画像
画像

タンポポに良く似た鬼田平子(おにたびらこ)や酢漿草(かたばみ)には良く見られるが、此の寒いときに野菊が事務所の前コンクリートの隙間から花を咲かせたから珍しい。「ド根性菊」とでも謂うべきか。こんなに小さい株なのに二つも花を咲かせている^^。下の写真はお姉さんの陰に咲いていじけて居た妹が必死に頑張り1週間で姉を追い抜いて表舞台に躍り出たのだ、人間でも何でも兄弟姉妹は下の方が逞しいのは納得だな。
この種類の菊はうちの庭に生えて居ないから何処か他所から種が飛んできて発芽したものに違いないから大切に育てて来春には若葉を挿し芽にしてしっかり根が張れる菊に育てようと思う^^。
此の野菊を見て居ると詩人伊藤左千夫の小説で幾度も映画化された、政夫と2歳年上の民子が奏でる『野菊の墓』の悲恋物語が懐かしく思い出される。この小説からは叶わぬ恋に身を焦がし乍ら、年上を恥じて去って行き黄泉の国に逝った女の情念が迸り、読む者の身を捩(よじ)らせるが、今なら年上など寧ろ大歓迎の時代だから明治時代は柵(しがらみ)が多くて大変だったろうな、「野菊」の花言葉が「純愛」などでなく「障碍」であったのも皮肉だった:-)。
私が愛読している日経夕刊のエッセイ「プロムナード」今年の下半期執筆者の一人は中村和恵氏だ。他の執筆者は誰も職業を作家とか脚本家と書かれているが中村さんは職業を「比較文学者」と書いて居られる。何だろうと広辞苑を繰ると「比較文学者」とは、二カ国以上の文学を比較して相互の関連や影響、特徴などを実証法的に研究する学者だと書いてある、ネットを見るとこの方は明治大学の教授であって小説や評論などを書いて居られるようだが、名刺の肩書きには明治大学教授とあるに違いないから、どうして職業を「大学教授」とされずに難解な「比較文学者」とされたのか、不思議に思って居たら先日ご本人から「プロムナード」上で種明かしをされた^^。どうやら彼女は自分の仕事に対ししっかりとプライドを持って居られ、「比較文学者」を大学教授如きと同列に論じられたくない矜持がまざまざと感じられた。世知辛い今の世は文学研究などでとても食って行けるものでないから、誰も学校の先生や翻訳や講演などで糊口を凌いで居られるが彼女もその一人であり、あくまで彼女は「比較文学者」であり、大学教授は餬ぎ(くちすぎ)のためであって本人にとっては恥ずべき職業なのだろうかと推測した。されば最近詩人とか歌人と謂う職業の人を見掛けなくなったが、今も詩人や歌人は居るに違いないから矢張り学校の先生や翻訳とか演歌の作詞などで生計を立てていられるのだろう。石川啄木だって小学校の先生だったもんな。中村和恵氏曰く、現在日本だけでなく世界中で詩や歌だけで食べて居る人は誰も居ないそうな(;;)。詩集や歌集を買ってくれる文学青年少女も居なくなって久しく悲しいよな:-)、戦前萩原朔太郎や三好達治は詩だけ書いて優雅な生活をして居たが、今は誰もが詩や歌を詠まなくなりトゲトゲして心に余裕のない生活を送っているのだろう:-)。その元兇は全て占領軍の意の儘に動いて文語体を禁じ「やまと言葉」の韻律を奪った文部省の役人だろうな。「係り結びの法則」が泣いて居るぞ、若者達から「係り結びって何や?」と言われそうだな(;;)。
トラックなら分からぬでもないが常用車の前の横の席はどうして誰も助手席と言って憚らぬのか。誰に聞いてもよく分からないので調べて見たら、戦前タクシーが円タク(1円で一定の場所まで走るのでそう呼ばれていた)だったとき、必ず横に男が座っていたそうな。タクシーなど殆どない時代だったのでこの男の役目は町の中で帰ろうとする酔客などを見付けて行き先に応じて料金を決めてタクシーまで連れてくる助手の役目だったから何時も彼が座って居る隣の席を助手席と言ったそうだ。今ではこの言葉は助手を意味することなく「助手席」で完結して「後部座席」の対の言葉になって誰も訝ったりしないのは何故かおかしいよな^^。
2回も最優秀男優賞に輝いた俳優の「ショーケン」こと萩原健一は「ひらかな」しか読めないので、結婚相手の姓名も「ひらかな」だったと何かに書いてあった(;;)、此はきっと「いしだあゆみ」のことでタチの悪いジョークだろうと思ったが、平仮名しか読めないで芝居の台本はどうして読めたのだろうか、著書も数冊あり、還暦を迎えた今講演まで引き受けられるそうだが漢字をどうして克服されたのだろう、彼は高校中退でいろいろあって刑務所に入っていた期間も数回ありそれも結構長かったからきっとその間に勉強して漢字をちゃんと書けるようになったのではないかなと私は思った。
今の公立高校の生徒には自分の名前が漢字で書けない奴が2%も居るそうだが、自分の名が書けぬのなら易しい漢字だって書けないに決まっている。親や学校の先生は何をしてたのかと訝しい。省みるに我々が学校で受けた勉強なんて一体何だったんだろうなと思ってしまう。誰も自分で勉強してたんだな、やる気のない奴は自分の名が書けなくても先生は何も言わなかったんだろうな:-)。
又、昔必死に習ってきたものでも、今は通用しないものも少なくない。「Have you a book?」なんて構文を大学まで10年間習ってきたが、今そんなこと書いたら鼻で笑われ×になるそうな:-)、昔我々が馬鹿にして笑った「Do you have a book?]が今は正解だとか…(;;)。be動詞はその儘でもhave動詞が使われなくなったなんて我々昔人間には衝撃だなあ:-)。
先週体力維持の点滴に行ったIクリニックでとても懐かしくとても良い言葉に巡り会った^^。点滴の注射は新しい看護婦さんだった。胸に付けたプレートの名札が読めないので「どう読むん?」と訊ねたら「カツチ」と教えてくれ、序でに「お嫁に行って変わったんよ」と言ってくれた^^。「息子に嫁を貰った」とは義父母が言っても、100人が100人当人が「お嫁に行った」の言葉は死語と化し「結婚して変わった」としか言わないから、若い女性の口から家単位の言葉に出逢うなんて思っても見なかったのでとても愕き且つ戦前の人間として嬉しかった^^。おまけに「長男の嫁なんよ」とまで言って微笑んでくれたんだ。彼女の言葉から紛いもなく家には舅も姑が居ることが察せられたから長男にこんなに良いお嫁さんが来て舅も姑さんもさぞ満足だろうな、仕合わせだな。今時「長男の嫁」なんて忌み言葉の見本のようだが胸を張って「長男の嫁」と言った彼女の明るい笑顔からははっきりと家を守る心意気が垣間見えた^^。今もこんな女性も未だ居るんだなあ、未だ未だこの世は捨てやもんでないぞ!と帰路一人で呟(つぶや)いたもんだ。彼女はきっと夫を愛し尊敬しているから彼の住む「家」にも愛情が持てるのだろうな。今風「貞女の鑑(かがみ)」と迄は言い過ぎかな^^。
先週の常用漢字の表外読みの答え
事の真相が(露)になる。(あらわ)でした。
今週の常用漢字の表外読みの問題
世界に(普く)知られて居る。