大陸から寒波が訪れると言われて居たとおり、神戸市内は風が冷たく昼過ぎから雪や霙(みぞれ)が舞う一週間でした^^。

愈々確定申告業務が佳境に入って参りました。寒さのせいもあると思いますが申告資料の収集が思うように捗らず事務所全員がジレンマに悶える毎日です。

(前回の続きー伊集院静の生涯)
作家としてデビューを果たされた伊集院静氏は1981年「小説現代」に『皐月』を発表されましたが、代表作に「機関車先生」や山口県防府市を舞台とした自伝性の強い「海峡」三部作等があります。彼は、1984年8月嘗てカネボウ化粧品の「クッキーフェイス」のCMキャンペーンガールで一緒に仕事をした当時花形美人と囃された女優夏目雅子と7年間の不倫交際の後再婚をされたのですが、1年後1985年9月に新妻夏目雅子は不運にも27歳の若さで当時は助かる術(すべ)のなかった白血病を発症し冥府の人となられましたが、彼女の死は衝撃的であってマスメディアにて大々的に報じられましたのでご年輩の方なら或いはご記憶の方も多いと思います。
彼は又、伊達歩(だて あゆみ)の名で作詞家としても活動され、当時のアイドルでありその後トップ歌手にまで成長した近藤真彦にはデビュー当時から多数の作詞を提供しており、その中でも「愚か者」が1987年に第29回日本レコード大賞を受賞しました^0^/。他にもバブルの萌芽期に彼が歌った「ギンギラギンにさりげなく」を代表とするシングル・ヒット曲が多くあって、10代の若者達が夜の街中を此の歌を大声で歌って居たことを私は今も忘れません。「…さりげなく」の「く」が数音符高くなる変わったメロディーが特徴でしたが、若者が独り夜道で歌を唄うのを聴いたのは私が20歳代の初期に毎夜大酒を飲み過ぎて早逝した水原弘が熱唱し大ヒットした「黒い花びら」以来のことであったように思われます。70年も古い話までして御免なさい(T_T)。

閑話休題、2015年には伊達歩提供作品のみの楽曲を集めたアルバム三十五周年「 近藤真彦×伊集院静の二十四曲」が発売されて居ますから彼自身が何故か他の人を惹きつけるきっと特別の魅力の持ち主であったであろうと私は思いました。

そしてその後、彼は1992年7月に執筆した小説『受け月』で直木賞を受賞し一流作家の仲間入りをしたのでした^^。又同年8月7日に現在の妻である当時の人気女優であった篠ひろ子さんと再々婚され世間をあっと驚かせたことは今もご記憶に残されて居る方が多いことでしょう。恐らく彼が人間的にも人並み外れた優しさや暖かさの持ち主であったのではないかと私は思って居ります。

その後30数年に亘り順風満帆の人生を謳歌されて居た中を突然不幸の女神(悪魔か?)が彼に襲い掛かり2020年1月21日、彼は突如「くも膜下出血」で倒れて病院に救急搬送され、即刻手術を受けられて2月に退院し3月12日にコメントを発表し、同月下旬リハビリ病院を退院されたのですが、その後2024年10月27日肝内胆管がんとの診断を受け、治療と静養のため執筆活動を休止することを明らかにして居ましたがその約1か月後である同年11月24日に突如逝去されました(;;)。享年73歳であり訃報は妻である篠ひろ子が発表したコメントにより公表されました。

伊集院静が何故天下の美女二人に愛されて結婚したのか謎であり不可解ですが、彼が韓国人であることを決して隠さずに居たことと、人種を超えた特別に魅力的な男性であったためでは無かろうか?と私は思ったものです。彼が遺言を書いていたかどうかに就いては詳らかではでありませんが,先々妻の子どもが二人共に存命して斯界にて活躍されていることは知って居ますから少なくないと思われる彼の遺産を巡って先々妻の子ども二人と妻女篠ひろ子との相続争いの葛藤はさぞ壮絶なものになろうと察せられ彼が遺言書を認(したた)めて居たとしても、先妻の子ども二人について日本の民法相続法による遺留分(2分の1✕2分の1)が厳然と存在しますから彼がどう理解して居たのかとても興味深いと思います、これから後妻、篠ひろ子と先妻の子二人の険悪な関係はきっと阿修羅の争いが想像されますが果たしてどんな決着をみることでしょうか?(;;)。

先週の読めそうで読めない字      終の栖(ついのすみか

今週の読めそうで読めない字      心張り棒を(支う)