5月も愈々後一週となりましたが、道行き人にも半袖がチラホラ…夏が来たんや!と思わせる暑さは毎年増幅しているように思え、間もなく居なくなる我々老輩の身は良くても此れから長い人生を健康に生きて行こうとして居られる若い方々のことを思うと遣り切れぬ思いです(::)。爽やかで過ごしよく春の終わりを満喫できた五月も近年では真夏の暑さと思える日も多くなり、花粉症も去らずに残って居たりして、昔と比べて余り楽しくないように感じますが、道行く人の半袖姿を見て「昔は良かったなあ!」と思う今日この頃です。
75年も前のことになりますので私の記憶に残っていることをお知らせしたいと思いますが、記憶違いがあればお許しください。私達霞ヶ丘中学生を寄留させて下さった星稜高校は戦後である昭和23年に旧制から新しい学区制(新制)になってから俄にできた神戸四中と同じく戦後創設の県立第四女学校が一緒になり星陵高校の名前に変わったのでしたが、何故か明治時代から存続し多くの有名人を輩出した兵庫県立商業学校(県商)の校舎が終戦後学区制の変更に紛れて星陵高校に乗っ取られた由緒ある県立商業学校は何故か星陵高校の商業科と矮小化して存続されることになって居ました🤬/。その後外部から批判の声が出て独立することができましたが何故か学舎はあの立派な講堂共に星稜高校が取り込み、仕方なく県商は星陵高校の南側に安普請の新しく校舎を作りましたが、結果として県商は星陵高校に庇を貸して母屋を取られることになったのです(;;)。
原因は終戦後教育環境が大きく変わり、又、朝鮮事変を基因とする思わぬ特需景気の到来を受けて、それまで一部の者しか行かなかった大学に少し宛若者が進学できるようになったため何時しか両校の地位が逆転して普通校が商業高校の上位に位置し、昔は崇められた専門職を養成する商業高校や工業高校が見下される環境に変化したのでありました🤬/。大学は戦前極く一部の人のみ通うところであって通常は小学校卒業後高等小学校2年乃至は中学5年間が最終学歴だったのですが戦後の復興と朝鮮戦争特需によって我が国にアメリカより多くのドルが落とされ、為に急激に経済成長を遂げた我が国は誰もが経済的な余裕を身に付け、多くの家庭の子弟が大学を目指すようになり大学への登竜門として普通高校の地位が高くなり、商業高校や工業高校は少し宛衰退するようになりました。
間もなく創立150年を迎える「県商」(兵庫県立神戸商業高等学校)は、福沢諭吉により設立された「神戸商業講習所」に遡る、わが国最古の歴史と伝統を有する商業高校です。その学校が戦後設立された県立第四中学如きに吸収され、自身は星陵高校商業科だなんて財界に君臨する先輩達は黙って指を咥えていたのでしょうか。私達はそれらの歴史についてあまりにも多くのことを知らずに過ごしてきましたが今思えば由緒と伝統のある県商(当時は星稜高校商業科)から神戸商大に進んだ私にはどうして借家人に母屋を取られなければならなかったのか無念でなりません。
あの講堂の大演台には小生が中二の折、クラス別弁論大会で全生徒を前に「日本経済と民主主義」と題した3分間の弁論を76年経た今も昨日のことのようにも記憶しており今も忘れられません。
先週の読めそうで読めない字 継子(ままこ)
【ブログ終了のお知らせ】
長い間「じいちゃんの独り言」を読んでいただき、本当にありがとうございました。
振り返ってみると、今まで税理士として働きながら、このブログで皆さんといろんな話ができて、本当に楽しい時間でした。懐かしい学校の思い出を語ったり、世の中の変化に驚いたりしながら、こうして文章を通じて皆さんとつながれたのは、私にとってかけがえのない宝物でした。
もうすぐ90歳になります。最近は何かとネットを巡る環境も変わってきて、昔のように気軽に書くのが難しくなってきました。突然のお知らせで驚かれる方も多いと思いますが、この度「じいちゃんの独り言」をいったん終了することにしました。
一人の人間として歩んできた道のりを、少しでも皆さんにお伝えできていたなら、これほど嬉しいことはありません。
本当に長い間、ありがとうございました。皆さんのご健康をお祈りしています。
もしご縁があれば、「新・じいちゃんの独り言」でまたお会いできるかもしれませんね。それまで、どうぞお元気でお過ごしください。
感謝を込めて