花冷えの今日4月8日は私達夫婦の結婚記念日です。{%warai_a%}思えば結婚式は1962年のことであり45年も前ですから家内などすっかりと忘れて居て聞いても先ず憶えていないでしょう。{%naku_a%}過去との訣別やいろんな意味で私に取っては想い出深い苦難の門出でありました。なけなしのお金で会下山のアパートの敷金を払ったら残ったお金は1万円にも足りませんでしたから、家財は全て実家にあったものばかり、お陰で新婚のアパートの一室が違和感に包まれていたことを未だよく憶えております。{%gakkari%}
一年後の1963年に合格した税理士試験の受験勉強の合間息抜きに出場した神戸新聞社囲碁の名人戦で2年連続して神戸名人を獲得することができたのもこのときでしたからきっと心技体共に充実した年頃であったことでしょう。あれから45年少しも進歩することなく(退化したか!)齢(よわい)71歳を迎えましたが、この儘老い朽ちるつもりはなく、目標をハードル高く掲げて行きたいと願っています。

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先週お約束したEさんご夫妻が尾道行脚の際撮られた尾道山上天寧寺の枝垂れ桜をご覧に入れましょう。瀬戸内海を見下ろしての展望は其れこそ“絶景かな”であったことでしょう。私など願っても山上への行脚など膝が到底もたず、Eさんご夫妻の健脚を羨むばかりです。{%tohoho_a%}
春の高校野球も早咲きさくらと共に終わりました。希望枠で出場の大垣共立高校は1回線突破が夢であり、それがよもやまさかの優勝進出でしたから驚きましたね。希望枠で選ばれたチームは打力が対象にならず与えた得点や守備力だけで選ばれるため、これまでベスト4が叶わぬものでありましたが、坂口監督は東邦高校で38年間監督をされていた大ベテランでありましたから指導者次第で子供達が自信を付けどうにでも変わることを知らされましたが、一戦一戦無欲の戦いの筈が決勝戦になっての三つのエラーは夢にも考えなかった優勝に平常心を失い無欲で居れなかったせいでありましょうが彼等には準優勝は出来過ぎであり敗北からきっとより多くのものを学んだことと思います。特に優勝候補の筆頭金に飽かして全国から選手を集めた帝京高校の打力を封じ圧勝した試合は守りが攻めに勝ることを実証したものでした。監督も胸を張って故郷に錦を飾ることができたことでしょう。{%uttori%}
中学高校の教育現場の世の先生方も是非大垣共立の監督さんに倣って子供達個々の長所を見出し、其れを精一杯延ばすことを是非見習って頂きたいと思いました。
これは難しいようで実は簡単なマジックであり、教師が子供達一人一人の性格を読み取った上でこの先生の言うことをしっかりと咀嚼して実行すれば必ずやればできると謂う自覚を子供達に備えさせることに尽きると思います。全ては“やればできる”と謂う自信が気負うことなく子供達が自然体で身に付けるかどうかに掛かっているのではないでしょうか。
世の先生方、教育委員会の顔色ばかり見ないで子供達のことを少しは真剣に考えてみたらどうですか!
世に“親馬鹿チャンリン”とは昔からよく言ったものでしたね。自身は人並みでも子のこととなると正常な判断力が働かなくなるのでしょうか。三洋電機の井植敏雅社長が余りの無能を露呈して再び今期も巨額赤字計上が必至となり遂に会社の経営権を外資により椀ぎ取られて解任(表向きは辞任)されることになり所謂井植商店も遂に崩壊に至りました。この会社は創業者の井植歳男氏が創立後井植家が社長をずっと承継して参りましたが、代々乳母日傘の後継者では社長の資質が少し宛軟弱となり低下するのは致し方なく、現社長に至っては自らの意思すら持たず75歳にして未だ最高顧問である前社長の敏氏の操り人形でありましたから前社長は典型的な“親馬鹿チャンリン”であり、井植敏氏がメディア出身の野中ともよ氏を経営陣に抜擢したことも世の批判を浴び“評論家に小説書けぬ”の故事を皮肉にも実証する結果となりました。彼女は敏雅社長の片腕になる処か彼の足を引っ張ることになり更に社費で夫と外国旅行などがメディアに発覚し辞任のやむなきに至りましたが、彼女の就任当時副社長の古瀬洋一郎氏が経営方針を巡って彼女と対立し、彼女が強引に “私を取るか古瀬を取るか”と敏会長に迫り、アホな会長が股肱の臣を切って捨てたことは遍(あまね)く知られた事実であり、此こそ夏目漱石曰く“情に棹させば流される”の典型でありました。古瀬副社長に続き幾多の有能な人材が将来の希望を失って転職して行きましたから、ゴマスリばかりが残り経営が硬直化し斯くなるは当然の帰結であったものでしょう。全ては井植敏氏のワンマン経営が招いた罪であり、外資ゴールドマンサックスに気兼ねして今まで手を拱(こまぬ)いていた主力銀行である三井住友にも責任の一端があると思いますが、私はこのような事態に至った原因は3000億円(たった一株70円で!)の第三者割り当て増資に食いついた禿鷹ゴールドマンサックスが三洋電機を食い物にしようと謀ったものと考えております。そしてそれは3%しか株を持たずに井植一族が会社を私物化し、幼い頃からの苦労知らずで底辺を知らず、企業にとって何よりも大切な宝である従業員の処遇が不充分どころか虫けら同然の扱いしかされなかった三洋に未来はないと彼等に読まれたものでありましょう。{%komaru%}
3年前あの中越地震で新潟工場が致命的な打撃を受けた際、工場はおろか被災した従業員の見舞にすら行かなかったことで誰もが井植親子に経営者としての資質を疑いましたから、従業員の彼等への不信感が萌芽したとしても不思議でも何でもなく、今回の解任劇はその辺を外資達に見透かされたものでしょう。人の上に立つ者は従業員を会社の宝と考えねばならぬ意識が井植親子に欠けていたことが今回の悲劇のエピローグでありました。何時も紙面を賑わすとき敏雅社長の姿はお詫び会見か釈明会見のために額に手を当てているか俯いて溜息を吐いているかまるで生気のないものでありましたが、解任が決まったときは久し振りに社長就任当時の笑顔の写真が用いられましたから新聞社も最後は武士の情けでありましたね。{%warai_a%}
禿鷹ゴールドマンサックスは年利20%以上の案件にしか手を出さぬ阿漕な連中であり、3000億円の投資を早期に4000億円程度で回収する腹でしょうから、三洋も斯くなった上は多数の役員を投入してきた彼等が合理化を御旗の下に不採算部門を潰しては採算部門をどんどん切り売りし換金して行くものと思われ、最早三洋電機の命運は尽きた感があります。我が身可愛さに三洋電機を護る振りをし乍ら実は見限り、禿鷹に寝返った三井住友も仁義に外れた恥知らずでありましたが、元々住友は人の倫に外れたアウトローであり、その辺が読めなかった井植親子の愚かさが責められる処です。これからは敏雅前社長もあの身長と馬鹿面じゃなかった馬面はしっかりと目立ちますから誰彼なく“あれ?三洋のアホぼんやんか!”と道行く人に指差され当分は表も歩けなくなりましたよね。{%gomenne%}
政界財界共に緑内症(視野が狭い)となり禿鷹の狙いにも気付かず、自分達の足許の地盤沈下に気付かない単細胞な連中ばかりが日本を背負う人達であったなんて呆れ果てますよね。(T_T) 三井住友などの金融機関を始め日本の財界の連中は禿鷹共に貴重な日本の財産が食い荒らされて行くことに義憤を感じないのか!自分達だけが良ければ日本がどうなっても良いのか!
先週の答え
『目から鱗(うろこ)が落ちる』
突然急に周囲の状態が正しく把握できるようになったとき使う言葉であることは皆様もよくご存じの通りであり、最近頓に良く使われる言葉ですが、本当の意味をご存じの方は少ないと思います。この言葉は新訳聖書の”使徒行録第九章”に、『主イエスを迫害しようとしたサウロが天からの光で目が見えなくなったとき主が弟子に命じられ、サウロの頭に手を当てサウロに“貴方は再び目が見えようになりまた聖霊に満たされる”のお言葉通り、忽ちサウロの目より鱗のようなものが落ちて彼は再び目が見えるようになった。』と謂う箇所からから引用されたもので、見えなかった目が急に見えるようになったことを謂うと同時に、主や主の弟子達を殺そうと企んでいたサウロが回心(聖書では改心と謂わずに回心と言います)し、主イエズスがメシア(救世主)であることを語ったことから、心の中の疑いが晴れて物事を正しく認識することができるようになったことを意味します。諺等の殆どが中国渡来の言葉で占められて居る中を稀に聖書が原典とされているものが幾つかありますから興味深いですね。{%warai_a%}
先週から女子プロゴルフが再開されました。期待の横峯さくら選手はアメリカから帰国しての疲労と時差ボケの中を健闘しましたが、最終日の今日力尽きて無念にも25位タイに沈みました。無念!
さくらちゃんお疲れ様
故事格言諺の問題は好評のため時折出題することにしました。