この間まで暑い暑いと言っていたら早や9月も後3日を残すのみとなりました。先週突如として現れた5連休の間特に急ぐ仕事もなく、畑仕事の合間にネットの囲碁対局と夜は音楽鑑賞に費やしましたが、何と言っても9月なので例年聴く曲は飽きもせずに気怠いスローバラードが秋の風情を掻き立てるクルトワイルの名作“セプテンバーソング”で始まり“セプテンバーソング”で終わります。ウイリー ネルソンからマント ヴアーニーまで歌手や演奏者は変わっても毎年この時期50数年前の郷愁に浸るのが倣わしなのです(^^)。昔は9月になると此の曲が其所此所でよく聴かれたものでしたが最近は殆ど聴かれなくなりましたね(;;)。
♪Oh it’s a long long while…♪で始まる此の曲は必ず学生時代に見た映画“旅愁(September affair)”を想い出させてくれます。若い方はご存じないかと思いますが、此の映画は“第三の男”でお馴染みのジョセフ コットンとヒッチコックの“レベッカ”で初出演したジョン フォーンティーンが競演した悲しい恋の物語であり、セプテンバーソングは劇中に挿入された主題歌でしたね。ジョン フォーンティーンはその後4度も結婚離婚を繰り返した女優とは思えず、可憐な楚々とした美人でした(^^)。
“旅愁”とか“追憶”や“慕情”や“哀愁”などの二字熟語が当時恋に焦がれる純情な若者向きに外国映画に付けられた流行りの邦題でありましたが、ときは巡り何時とはなく愛よりお金の時代に変わって(;;)純情な青年や乙女は何処にも居なくなり、子女の紅涙を誘った悲恋物なんて今の若い人達にはまるで見向きもされなくなったのはとても寂しい限りです(;;)。
男女7歳にして席を同じゅうせずの時代に育った私は、悲恋物語に共感し実生活でも叶わぬ恋の片思いで充分満足して居ましたから、“バツ一” “バツ二”が当り前になっている現在の若者の衝動的な行動が理解できないのも無理ありませんよね(;;)。
昔から“鳴く蝉よりも鳴かぬ蛍が身を焦がす”と謂う俗諺があります。この諺の意味は奥が深くて、“身を焦がす”は蛍が光る処に懸かって居ますが、気軽に携帯でプロポーズし、携帯で別れを告げる現代の若者は“鳴く蝉”であり、言葉には出せずに長文の手紙で心に綴る思いの丈(たけ)を託した我々戦前派は“鳴かぬ蛍が身を焦がす”だったのでしょう(;;)。
旧聞に属しますが、先月兵庫県小野市(全国唯一算盤の産地)で高校生算盤日本一の大会が行われました。出場選手は全国59校から僅かに294名であり、嘗て2万人参加した栄光ある55年の歴史を持つ大会でありましたが無念にも今年限りで廃止が決まったそうです(;;)。江戸時代以前から古来唯一の計算機器として重宝されてきた算盤でありましたが、電卓の普及に加えてパソコンなどの計算機能が容易に操作できるため少し宛算盤の人気が廃れて来たのは寂しい限りであり今では民芸品のようになってしまいました(;;)。小学校でも此までの惰性で数時間算数の時間に繰り込まれているようですが、数時間で算盤が理解できる道理もなく、“昔こんな道具で数の計算をしていましたよ”と子供達に伝えるだけですから算数の時間を用いるのは誤りで歴史(社会)の時間の方が相応しいでしょうか(;;)。そんなこんなで子供達の中には算盤の名前は知っていても使い方を知らない者が殆どになっているとか…(;;)
昔私達が税理士試験を受験するためには最低商工会議所珠算2級の力がないと試験時間内に回答が不可能であり、良い歳をした小父さんが会社帰りに算盤塾へ通われて居り、ああこの人も税理士志望なのかと思ったのは50年前の懐かしい思い出でした(^^)が、電卓が発明されてから何時とはなく算盤が衰頽し、其所此所にあった算盤塾も次々と潰れて行ったのも時代の趨勢でありましょう。高校生の時桁数の大きな掛け算をするのに算盤を二つ並べて計算した記憶がありますが、その後できた電卓も12桁が普通でしたから負け惜しみではありませんが、算盤には到底敵わなかったのでした。見取り暗算なども算盤を習熟した者でないと先ずできませんよね。現在の税理士試験では誰もが電卓使用ですが、殆ど左手を用い右手は筆記となりますから、計算も筆記も右手を使った算盤の方が計算能力は早かったように思います。“割り算の九九”なんてありましたね“二一天作の五”“二進の一十(にっちんのいんじゅう)”なんて懐かしいですね(^^)。5年生の孫に話したらキョトンとして居ましたよ(;;)。
【割算九九】
“五七五七七”は我が国伝統の短歌ですが、ずっと昔自己流で少し学んだことがあったせいで、時折新聞の文芸欄などに目を通して居ますが、先日M新聞の毎日歌壇を見ていると『ささやかなれどプライドは有るパートにも、だから私も名前を呼んで』と少し字余りの川柳のようなのが特選に選ばれて居り、私は奇異な感に打たれ愕きました。スーパーの店員さんでしょうか、自分がパートと呼ばれたことに抵抗を憶えての歌のようです。評には“パートタイムで働く自分も同じ従業者として尊重して欲しいとの願いが胸に刺さる”とありました。誰から呼ばれたのか読み取れませんが、上司ならパートの名前を呼ぶのが常識ですから、特定の者に対して“パート”などと呼ぶ非常識な上司が若し居たなら此は明らかにパワハラものであり、“名前で呼んで下さい”とはっきり言い返し、店長にでも進言して上司を譴責させるべきでしょう。よくこんな詰まらない短歌が特選になったものだと呆れて隣の短歌に目を遣ると、これは又『愛の名の下、許されていることを実行、すごくごく事務的に』と女性からの投稿でありましたが、己が夫への復讐かと思えるもので、極(ごく)の形容詞に籠められた敵意が夫婦間の心の亀裂を禍々(まがまが)しく描写しており、どうしてこんな短歌が入選したのかと情けなく思いました(;;)。こんな詰まらない歌を考える暇があれば離婚訴訟でも始められた方が良いのではと思ってしまいます。短歌の分類として植物詠、自然詠以外に生活詠、家族詠等がありますが、始めの歌は職場詠ですが、此の歌は家族詠に入るとも思えず、強いて創れば愚痴詠とでも謂うのでしょうか(;;)。こんな入選作もありましたよ。『一日も欠かすことなく生きてきたこれってなかなか凄いことだなあ』、此が川柳でなく短歌とは嗤ってしまいますね。ひょっとして仲畑流万能川柳の採用率5%とは違い、短歌は投稿が少ないので誰でも採用されるのではないかと思った位です。万葉集並みとまでは行かなくても、もう少しマシな歌が創れぬものでしょうか。最近の投稿短歌は品がなくなり質が低下しましたね(;;)。時事川柳、サラリーマン川柳、健康川柳など読む人が膝を叩いて共感する川柳とは違って、短歌の世界そのものが時代の流れに逆らって別世界のオタク人間として生きているせいなのでしょうか(;;)。
女子プロゴルフツアー宮城TV杯橫峯さくら選手は先週の優勝疲れからか無念にも3位がやっとでした(;;)。