この数日朝夕めっきり涼しくなり本当の秋が近づいたようだ、今朝も朝8時の気温は23度だったが庭のキリギリスは啼いていた^^。此奴は25度を下がると啼かなくなると学校で習ったがあれはウソだったのか?教科書も良い加減なこと書くな!
「暑さ寒さも彼岸まで」なんて殆ど死語となったがそれでも温度差などへっちゃらで今年も彼岸花が律儀に開花した。この間までツクシンボのようだったがみるみる大きくなって真っ赤に咲いたから愕きだ、温度に拘らない体内時計を持っているのだろうが閏年もちゃんと計算に入って居るんだろうな^^。不思議だね。
相続税恐怖の増税まで後3月余り愈々カウントダウンだ、新聞の書籍広告欄も相続税対策の本で満開だがそこに書かれている通り銀行でお金を借りて所有地に借家やマンションを建てれば相続税の評価額が20%程度カットされ更には借家やマンションは評価額が建築費の70%もカットされると書いてあるし、事実相続税は安くなるんだが、この平成超不景気に建物入居者がおいそれと見付かるとは思えず、銀行の借金払いのリスクがとても高くなるがそんなことは本の何処にも書いてない。相続税が減っても借金が返せないのではヤブヘビだ。
然し増税で震え上がるのは中途半端な金持ちで、聞こえた大金持ちは安泰だ、何故なら彼等は莫大な財産を利用して公益法人などを設立してお金や不動産や自社の株をそちらにどっさりと寄附すれば良い、相続税の全く掛からないよう公益法人なんかにするには最低でも数十億円を要するからその辺の小金持ちには先ず手が出ない。人名を付したナントカ記念館とかナントカ美術館なんかよくあるよね。子孫にはその法人の家賃や配当金で給与など払えるから末代まで安楽だ^^。相続税が掛からない条件として幾らかの縛りがあるが理事に友人など参加して貰えば寄附したことへの贈与税すら掛からず安全なんだ。法律は大金持ちが政治家に頼んで作るものだから、ま、仕方ないか(;;)、可哀想なのは中途半端なお金持ちだよ。財産に不動産が多いだろうから納税資金の確保が大変だろうな。「相続税、三代過ぎれば貧乏人」など揶揄されるのは我が国に多いこの階層だ。
相続税と言えばバブルの頂点だった平成元年前後、税務顧問をして居たT銀行が合併15周年記念行事と称して本店並びに各支店で講演会を催すこととなり、私も夙川支店を皮切りに当時は宍粟郡だった山崎支店まで数十店舗を講師として行脚し、最後に神戸本店大ホールに数百名のお客様をお迎えしての大講演会で締め括ったが、全国各地に363店舗もあったため講師となった税理士は数十名に上ったと思う。テーマは「相続税対策と土地の有効活用」と銀行に決められており、バブルを煽るため更に火を付け回ってボロ儲けしようと画策したあくどい所業の最後だったが、私も銀行の悪行に荷担した訳で今思えば忸怩たる思いだ。各支店講演の出席者は全て地元資産家の顧客に限られており講演への関心度を目の色から読み取り翌日早速支店融資担当者が駆けつけ賃貸物件の建設資金貸付がシナリオになっているようだった(;;)。
講演は仕事柄それまでも幾度もこなして来たが、私は決して「只今ご紹介頂きました…」などと堅苦しいことは言わない、壇上からではあるが何時も「皆さんこんにちは」と言って来場者と同じ目線でぐるりと出席者全員の目を見る、そうすると目を合わした人は自分に言われたと思い「こんにちは」と返事が返ってきて快調に話が流れるが、開演までに係員の不手際などあり出席者に不機嫌が読み取られるときは雰囲気の恢復に話を柔らかく変えたり、冗談から入ったりして出席者の興味をを逸らさないよう臨機応変がとても大切だ。原稿など題目だけを簡単列記して出席者には何も配らず、その場の雰囲気で話を変えるように心掛けて居る。来場者も有料の講演なら兎も角無料だし、お付き合いで来ているから難しい税金の話をされると興味を削いでしまう、私は来場者に眠られると勝負は講師の負けだと思うから脱税の手口やら怖ろしい税務署の調査にジョークも交えて必死だった。お得意先N社の社長はT銀行兵庫支店の取引先であり受講されたそうだ、処が兵庫支店は私の受け持ちでなく他の税理士だったが、講演中受講者の一人が居眠りしてコーヒーを引っ繰り返して大変な騒動だったとN社長に聴き深く自戒したものだ。先日15日毎日新聞川柳にて「講演で昨夜の寝不足解消し」なんてのまであったから、全員の興を惹くのはとても難しい、私の場合それらしい雰囲気の方を見付けると指差して簡単なイエスノーの質問などすることにする、そうすればその人は眠気から覚めるからだ。後は注意深く視線を当てて微笑みかければ話を聞いて貰える^^。
今は昔、中学二年生の時私が風邪で休んでいる日に校内対抗弁論大会のクラス代表が決められ、休んでいることを良いことにクラスの憎まれっ子でもあった私が運悪く代表にされてしまった(;;)。休んだことを深く悔やんだが後の祭りであり、父に頭を下げて原稿を書いて貰い1週間掛かって晦渋な文章を丸暗記し、当日屠所に引かれる羊の如くに登校したが、講堂の演壇までの10mをいつ頽(くずお)れるかを案じ、嗤う膝をガクガクさせながらヨタヨタと演壇を上がり「光陰矢の如しと申しますが、戦後3年を経て…」(此のフレーズは未だに忘れようとて忘れられない)と壇上で喋ったのがことの始まりだった、後で思えばその後人前で上がらずに話ができたのはこの時の講堂演壇(当時うちの中学は舞子中学と合併のどさくさで一時的に星陵高校に仮寓していたので何百人も収容できる大きな講堂で演壇まで踏み段が六段もあった)への途方もない距離の長さと富士の頂上の如きに感じられた演壇の高さに膝がなんとか耐えたせいだと思う。風邪で休んでいた偶然が私の未来を「艱難辛苦、汝を玉にす」に変えて呉れたんだ^^。結婚式の挨拶などもラクチンだったから幼いときの苦労は必ず実を結ぶんだなと実感した。佐藤一齋曰く「少(わか)くして学べば壮にして為すあり、壮にして学べば老いて衰えず、老いて学べば死して朽ちず」蓋し名言だね。
昨日この草稿を書いて居たら奇しくも先週ブログで触れた新開地のお得意先先代社長が崩御されたと奥様より電話を頂戴した。このお店は灰谷健次郎の作品によく出てくるのでとても有名だ。父の代からの大切なお得意先で40年前先々代の社長の相続に関わらせて頂き、その後女婿だった専務と先々代の社長の奥様と相続税申告させて頂き今回が4回目になる。もう次の代は私にはムリだから今回が最後のご奉公になるが精一杯お役に立ちたいと思っている。先代社長は私の方が2歳年長だから天寿を全うしたとまで言えないが、お金持ちには来年から相続税が篦棒に高くなりことを思えば或る意味先代社長の長逝は奥様や現社長達に対する大きな愛情だったかも知れないね。合掌m(_ _)m
先週の仮名付けの答え
①真相を弾(ただ)す ②弾(はじ)ける笑い声
今週の仮名付けの問題
仕事を中途で(止)める 読み(止)しの文庫本