お彼岸も過ぎて彼方此方に桜が綻び、4月を待たずに本格的な春の訪れだ。幾歳になっても私は春の到来に胸をときめかせ青春時代の感傷に心を浸す。
うちの庭ではカタバミも我が世の春を誇り、メダカが嬉々として藻の間を戯れている^^。カタバミの隙間からカラス豌豆まで鎌首を擡げているのには愕いた。此ではまるで5月ではないか!
新須磨リハビリテーション病院の院長であり、200人もの癌患者の死を看取って来られた神代(こうじろ)尚芳先生(67歳)が癌で間もなく最期を迎えられると衝撃的にも新聞が報じた。此の先生は並みの医者とは異なり東北大学工学部の出身で理論物理学(素粒子)の研究を経て仏門に入ろうとして果たせず、大阪大学医学部に学ばれた異色の徒だ。癌患者が自宅で充実した最期を迎える「完成期医療福祉」を20年に亘って提唱され、94年には在宅で看取った癌患者などの生き様を記した「自分らしく死にたい」を著された。その中では老若併せ16人の方々の突如訪れた癌による理不尽な死の受容への葛藤と、其れに伴う神代先生の苦悩が描かれているが、その先生自身が癌で死期を迎えられたことを先生は天佑と考えられたのではなかろうか、それ故、先生は医師と看護婦に支えられて充実した死を迎えるそのモデルを務められる決意を固められたのだ。「独居老人が仰山居るが自宅で死にたい希望があるやろ、儂は其れを可能にするモデルになりたいんや」と自らの理念を実践すべく病院を出て独りでマンションの一室に移られる。積極的な治療はどうなのか、「手遅れの仕合わせ」がありはしないかと問われる先生の言葉は、何故か無学な私の思いと同じだ。近年医療の進歩で隠れた病も発見できて手術などで延命すら充分に可能になったが、反面、病再発への恐怖や治療方法の選択などで身も心も摺り減らすから、死への恐怖心もあろうし私のような弱虫は病気発見後に充実した人生など望むべくもないに違いない。そんな思いをしてまで生きているよりも、私は気が付いたら死が直ぐ傍にまで近寄っている「手遅れの仕合わせ」を選びたい。この世とあの世を繋ぐ通路は短い方が良く、神代先生の言われる「死は人生の完成」なる言葉を拠(よりどころ)として私は残り少ない人生を悔いなくあるが儘に過ごしたいと思って居る。
だけど、捻(ひね)くれ者の私が徒然(つれづれ)に思うに、著名な医師である神代先生だからこそ絶えず訪れる教え子の医師と看護婦に護られて充実した死が迎えられるのではなかろうか、我々市井の老爺は週一回数分程度医師と看護婦のあたふたした訪問看護を受けるのがやっとであり、後は苦しくても誰からも見ても貰えず孤独死を迎えることになりはしないか:-)。然し、それはそれで病院で「未だ死なぬのか…」と呟く医師や看護婦の眉間に深まる皺に怯えて生きているよりずっとマシかもな^^。
童謡「赤とんぼ」は我が国を代表する名曲だ。この歌は平成19年に遅蒔きながら日本の歌100選に選ばれた^^。歌は1番から4番まである、先日気付いたが音楽教科書では何故か3番が飛ばされて居る(;;)、調べてみたら♫十五で姐(ねえ)やは嫁に行き♬の個所に風紀上或いは教育上問題があるそうな(;;)。考えて見たが、どうやら18歳未満は…とか書かれた児童福祉法辺りに文科省が引っ掛かって居るように思われる:-)。児童福祉法では満18歳未満の者を児童(児童はせいぜい13歳迄ではないのか?)と呼び、色んなハードルや足枷を設けて居るからだ。然し其れは児童福祉法そのものが時代にそぐわないものであり、この3番を聴いて不謹慎な思いを抱く人など誰一人ありはしない。何故ならこの歌は大正10年に作詞されたもので当時女性は14歳位から結婚適齢期であって30歳後半には孫が沢山居てお婆さんと呼ばれたものだ。然し、歌詞を変えて15を16や17にしたのでは字余りになり歌が死んでしまうし、19なら唄えるが子守の姐やが19歳では薹(とう)が立って絵にならない、子守の年齢は14歳位が上限であり16歳になれば身体も大きくなりもっと給金の高い仕事があったろうし、「嫁に行く」は或いは姐やと別れる子供に言って聞かせる比喩だったかも知れない。時代背景と謂うものは何時の時代にも大切であって昨今女性の晩婚に偏した風潮に迎合し、この3番を切り捨てた文科省は余りにも杓子定規で愚かだった:-)。あの頃は人生50年であり、子供は生まれても5歳までに3人に2人位死んで居たので、早く結婚して沢山子供産むことを労働力への要求からお上が奨励していたのを国民が忠実に実行して居たのだが、少子化に苦しむ時代になってから3番の禁止とは皮肉だった(;;)。現在でも民法の定めでは女は16歳になれば結婚できることになっている。援助交際じゃあるまいし、あの当時15で嫁に行ったのを咎めるなんて文科省の役人も余程の勉強不足なんだろうな!笑ってしまうな^^。児童がお嫁に行ける民法は児童福祉法に違反しているのか:-)。
(婚姻適齢)
民法第73条 男は18歳に、女は16歳にならなければ婚姻をすることができない。
私が思うに、我々戦前の人間を除けば「赤とんぼ」の歌詞を理解するには相当な教養が必要だ、京都の被差別部落で唄われ40年程前フォークグループ「赤い鳥」が唄ってヒットした「竹田の子守歌」の歌詞の意味が分かる人には、「赤とんぼ」はとても悲しい歌にしか受け止められないだろうし、40歳を超えた方なら「おしん」を思い出し涙されるだろう:-)。
この歌の2番に「桑の実」がでてくるが、知らない方が多いのではなかろうか、ちっちゃい葡萄のようで見てくれは良くないが終戦後山へ入って腹の足しによく食べたものだ^^。桑は学童の頃教育実習で必ず家庭でお蚕さんを育てさせられ、繭作りから最後に成虫が出てきて壁に卵を産み付ける処まで学習していたので早朝蚕の食料である桑の葉を採りに近隣の林を巡るのは日課だったから葉を見れば分かった。雨の日は大変だったな、それは桑の葉採りではなく、ぬれた葉を食べると蚕(まだ芋虫だけど)が死んでしまうから手拭いでしっかり拭いて葉の湿気を取り去ることだった。蚕は糸を吐き始めると食事もせず一度も休まずに1500mの連続した絹糸を一気に繭に仕上げるから当に神業だ。
「繭」は常用漢字だが糸を右に書く間違いが多い、此の漢字は漢書のように縦に書いては左に送って行く文章体で作られて居るから「虫」が右で「糸」が左になるのが正しい。
先週の誤字訂正の答え
007危機一髪 (007危機一発)でした。
日本語としては「危機一髪(髪の毛一本の際どい差)」が正しいのだが、昔映画輸入会社のアホな社員が邦題を付けるとき間違えて「007危機一発」としてしまって(;;)誰も誤りに気付かぬ儘に映画が封切られた:-)。お陰で高校のテストでは「危機一髪」を生徒が「危機一発」と書いてしまう混乱が続出して問題となったことがあった。
先週日銀の白川総裁が辞任し黒田東彦が就任した。白川総裁は無能だったが、政府は白川総裁を辞めさせたい口実に為替の問題を挙げるのは不適切だったな。誰もが重大な事実誤認をして居り、為替政策は日本銀行ではなくて財務省の役目なのだ。あの麻生さんに為替相場が捌けるなんて到底思えないが…:-)。
今週の誤字訂正
会場は相手を中傷する泥試合の様相を呈してきた。
ご教訓カレンダー
「♬十五で姐やは嫁に行き」 「♫中古で姐やは嫁に行き」 90年のときの流れは恐ろしいな