5月も半ばを過ぎると彼方此方で燕の赤ちゃんの啼き声が聞かれ、親鳥達が子ども達の餌取りに忙しく道行く人達の傍を疾駆して愕かせている^^。うちの庭のキリギリスにも注意させないとあかんなあ。
垂水駅前商店街には減ったとは謂え昔からの名残りで今も幾つか燕の巣があるが、写真は2階が美容サロン1階にブティックなどがあるM&Cと謂うファッションビルの軒先にある巣だ、今年も燕が帰って来て居たが赤ちゃんの声も聞こえないし最近親鳥も見なくなった、どうしたのかな、近隣では餌の昆虫が少ないから卵が生めなかったのかしら?
ファッションビルに燕の巣は全く似合わないし落ちてくる糞などテナントが厭わないのが不思議だが、そこはビル所有者の寛容さだろうね。Mの字の角に作られた巣にガードが設けられているのがお分かりだろうか^^、巣が崩れないように冬の間に補強されたのだと思う。此処まで手を尽くされては綺麗好きのテナントも文句は言えないよな。来年は燕達も来てくれるかな?
先日日経夕刊「明日への話題」にて静岡文化芸術大学の学長が医者の診察について書いて居られたものを読み深く共感した。それは最近の医者がパソコンの方ばかり向いて患者を見ようとしないで話をし、患者の躰に触れることを全くしなくなったと書かれて居た。自身が体調を崩されて病院へ行き自覚症状を訴えたら即検査にまわされて、結果胆嚢にはっきりしない処があると言われ、始めて医者が腹部を触ったら飛び上がるほど痛かったそうだ(;;)。検査の結果が出るまで医者が一度も患者の躰に触ることがなかったのは不思議であり腹部の異常を触診してから検査をすればより緻密な結果が分かった筈ではないかと医者の態度に疑問を呈された。そうだよね、自慢じゃないが医者の診察券が財布の中で一番嵩張って居る私だって内科の医者には肌を触れられた記憶が全くない(;;)、血圧測定だって洋服の上からだ、「手当て」とは治療を探る第一段階の筈だが、今ではそれが「検査」に置き換わったんだね、医は算術と謂われて久しいし保険点数の多寡に医者の関心が走り患者の病の治癒なんか二の次になったのだろうね、「手当て」の省略により医者と患者の信頼関係がすっかり失われて居るように思えてならない、医者のすることは検査と薬の処方箋を患者に調剤薬局へ持参させることになったんや(;;)。有名大学の学長さんでこうだから、私など名もなき衆生は保険の点数としか見て貰えないんだろうね(;;)、そして、此の学長の書かれた最後の一行がズシンと胸に沁みた。
「今の時代は医者だけでなく肉体の接触がセクハラとかでタブー化されていることが問題だ、節度は必要だが、触れることの大切さを忘れてはならない。」そうだよな、幼児の成長過程に一番必要なものは親のスキンシップだもんね、子どもを作るにも第一歩として絶対必要なのが男女のスキンシップだ、さてはスキンシップが厭で結婚したくない若人が増えたのかな?
毎週楽しみにしている宮崎中央新聞を読んでいたら「婚学」の先生の面白い話が出て居た^^。結婚した夫婦がどう歩み寄って暮らして行くかについてお互いが長い間守ってきた生活習慣を容易に変えられるのかと謂うことだった。例えば夫婦お二人が風呂上がりにバスタオルを使って居るのかフェイスタオルなのか、バスタオルだったら毎日洗っているのか翌日も使っているのか、毎日洗う人は何も考えずに下着などと同様に考えるが、毎日洗わない人の考え方は「風呂に入って綺麗な躰になったから水分を取るだけでタオルは全く汚れて居らず「H2O」の単純移動に過ぎないから下着とは全く違う」と謂うものだそうだ。言われてみればそうだよね^^、「毎日洗う派」の人でも一家全員に一日1枚と決めて最後に風呂に入る人はビショ濡れタオルでも平然として居る家族もあり、一人一枚の「タオル派」には信じられないことなんだそうだ。言われてみれば「そうなんや…家族の間接的スキンシップなんや」などと考え込んでしまうが、先生の話では此はどちらが正しいとかではなく文化の問題だとか…、幼児からの生活習慣はなかなか変え難いからこんな些細なことでも離婚に至るケースだってあるだろうね、処で皆様のご家庭は「どちら派」ですか?恥ずかしながら私は此の問題に全く答えられなかった(;;)、何故なら私が使っているのがバスタオルであることは知っているが、妻や愚息が共用して居るかどうかは知らず、毎日洗濯しているかどうかについても今日まで考えたことがなかったのだ(;;)。妻に聞いたら妻は昔銭湯に行くのが習慣だったから日本手拭いの名残で現在もフェイスタオルを使っているそうだ。昔はお風呂屋さんから持ち帰った手拭いをもう一度ギュッと搾って物干し竿に掛けパンパンと叩いていたそうだ。愚息はバスタオル派で私のタオルと2枚妻が毎日洗っているそうだった。何も知らぬ私など亭主失格だな。
習慣と言えば子どもの頃のことだが親戚に葬儀があって呼ばれて行った折、その家の子ども達が卓袱台として使っている机に引き出しがあり、全員食事の後茶碗と箸を洗わずにその儘引き出しにしまって居るのを見て唖然とし、この子達について行けない気がしたことがある。何日に一回洗って居るのか知らないけど此の習慣は終生付き纏うから此処の女の子が結婚したときなど相手と習慣の違いをどう乗り越えたんだろう、お姑さんがちゃんと教えてくれたんだろうか?などと思ったが、生活習慣の修正はお互いが善意であるだけに大変だね。考えさせられる「婚学」の先生の話だった。
先週の仮名付けの答え
①間髪をいれず ② 綺羅星の如く
① かん、はつをいれず ② きら、ほしのごとくと句読点が入ります。続けて読むと誤りです。
①隙間に髪が入らないほど切迫しているさま「間不容髪」の漢文読みです、
②絹の衣装が星のように輝いていること、綺羅星なんて星はありません、
綺は綾織りの絹織物の意で羅は薄織りの絹織物の意です、綺羅で美しい衣服全般を指す。
今週の難読漢字の問題
① 飯盒炊爨 ② 吶喊