桜花爛漫、僅かな期間でしょうが1年で一番良い季節となりました。これで花粉症さえ癒えば申し分ありませんが、杉が終わったら檜と戦後農林省の採った施策が疑われます。クシュンクシュンの毎日がGWまで続きそうなので憂鬱でなりません(;;)。
中高6年間ソフトボール一筋だった孫も今春関西学院に合格し先週の月曜日から大学生になりました^^。入学式行きの晴れ姿を見ましたが最近では昔のような制服もなく私にはリクルートスーツとの区別が全く付かないので何だか大学生と思えず、大学生になって先ず角帽を冠った昔人間の私には全然物足りない感じです。
文学をはじめ音楽、演劇、美術など多彩な分野で評論活動を行われ、1979年から28年間朝日新聞のコラム「折々の歌」で読者を魅了した歌人であり詩人であり文学者だった大岡信が先週5日86歳で病没されました。彼は我が国の知性と言うべき碩学者の一人でしたから巨星墜つと感慨無量です。彼の詩は英語、オランダ語、フランス語、ドイツ語、中国語、スペイン語、マケドニア語と7カ国語にも訳されました、如何に素晴らしい作品であったか誰にも分かりますよね。
彼が2004年皇居での歌会始め選者に選ばれた折、お題は「幸」でした。誰もが「…幸おほかれとわが祈るなり」とか陳腐な歌が続く中、最後に詠まれた選者である彼大岡信の歌「いとけなき日のマドンナの幸(さつ)ちやんも孫三(み)たりとぞE(イー)メイル来る」はご参加の皇族全員をアッと仰天させるものでした。幼ない頃憧憬の対象だった少女からの便りと此れまでに過ぎ去った年月の罪深さを詠った歌ですが、「幸」に掛けた処が秀逸で大岡信真骨頂の歌です。一般募集の詠進歌は格調の高さを優先しますからこの作品では先ず読まれることなく真っ先に「ボツ」とされたと思います。敢えてこの歌を掲げて歌会に臨まれた大歌人大岡信ならではのユーモアとペーソス溢れた諧謔は叙情的で面目躍如でしたね^^。この歌を聴かれた天皇陛下も美智子さまもきっと莞爾と頷かれたのではないでしょうか。泉下では5年前に亡くなった友人の文学者丸谷才一が早く来ないかと彼を待ち侘びていたことでしょう。合掌m(_ _)m。
森友学園に寄附した方は、口を揃えて「幼稚園児が健気に教育勅語を暗誦する姿に感動した」「幼稚園児達が論語を暗誦する姿に心打たれた」と言って居られるが、きっと園児達は森友学園の広告塔にされたに違いない、私だってそんな風景を見せられたらきっと寄附していたと思います。年長者の持つ愛国心を利用した巧みな作戦を用いたのがあの籠池夫妻だったんだろうね(;;)。ほんまに悪い奴や!
稲 妻
三省堂国語辞典 いなずま 雲と雲、或いは地上にあるものとの間に電気が流れるときに筋のように見える強い光
新解さん いなずま 稲光りの別称
明鏡国語辞典 いなずま 雷雨などの時、空中の放電によって生ずる光
新潮国語辞典 いなずま 空中放電のひかり
岩波国語辞典 いなずま 自然に起こる放電に伴って空を走る光
意味はどの辞書も似たものですが、どの辞書も「いなづま」と書いていない。「人妻」は「ひとづま」なのにどうして稲妻は「いなずま」なんだろう?と疑問に思いませんか?答は稲妻それ自身が一つの言葉で「妻(つま)」の意味がないからだそうです。このように二語に分解できないものは「ず」と書くと決められています。誰が決めたの?昭和61年7月に「現代仮名遣い」として内閣告示第一号として発表されました。世の中その頃はバブルの驚倒勃発時代ですがこんな暢気な浮き世離れなことをしていた役人が居たんやね^^。「融通」も同じく「ゆうずう」が正解とされます。今週から岩波国語辞典が仲間入りします。20年前発行の第五版で書棚の隅に隠れていたのを見付けました。
上の写真は書けない漢字研究会編纂の「書けないと恥ずかしい漢字」の或るページです。平成17年発行のものです。よく眺めると、この「いなづま」の方が違和感がなく読んでいて自然ですよね。「づ」を「ず」に押し込めた文部省がムリだったみたいだけど誰も文句を言わないのかな?
先週の読めそうで読めない字 鼻緒を挿(す)げる
今週の読めそうで読めない字 お(刑)を受ける