黄 赤

秋も深まり庭の草花が残り少ないエネルギーを振り絞るように咲き乱れている。赤と黄はどちらも私の好きなランタナだ。初夏の時分に早朝散歩の途中に他所のお庭から道路に食み出して咲いているランタナの枝を10cmほど失敬し、コップの水に浸して窓辺に置いて根を出させ露地に戻したのが咲いた^^。但し、ランタナはコップの水で生き返る位生命力が強いから油断すると庭中を席捲し雑草化するので要注意だ。

先日芦屋に仕事で出向いた折、快速電車の窓際に座っていたら元町から俳優柄本明そっくり足の悪いお爺さんが乗ってきた。優先座席でもなかったが私の横に座っていた小母さんが、「どうぞ、私は次で降りますから…」とさりげなく立ち上がり、恐縮する老人に席を譲りドアの方に歩まれたが相手に有無を言わさぬ小母さんのタイミングはお見事だった^^。お爺さんは座るのに結構苦労して腰掛けられたが、横目でみると年齢が私と良い勝負と思われたので、車窓を眺めるにも退屈だったし息が整った頃、「率爾ながらお幾つになられましたか?」と問いかけると、「私は昭和6年です」と答えられ、お宅は?と返ってきたので「亥(いのしし)です」と言うと、「私が申(さる)やから、ええと…」と私の歳を考えて居られたので、「私は10年です、貴方は6年生まれだから未(ひつじ)ですね」と返すと何故か猛然と反発され、私は3月の早生まれやから申(さる)です」と引かない。怪訝しいなあ、早生まれと干支は関係ないのと違うのかなあと思ったが、これ位の年になっても自分の生まれ年や干支を間違う人は先ず居ないから私の勘違いなのかなと思いそれ以上追求するのもどうかと思ったので「何処へ行かれますか?」など話題を変えたら「大阪で乗り換えて丹波市に帰ります」と言われた。「丹波市?」と一瞬考えて居ると「前は氷上郡やった」と呟かれた、そうだ、平成大合併で何処も彼処も町や村は市になってしまったのだ。丹波市なんてのまでできてたんや、柏原(かいばら)や青垣町とか言われたら相続税の相談に行ったり鮒釣りに行った40年昔を漫(そぞ)ろに思い出すが、丹波市と言われても今ひとつピンと来ず、はあ?と思ってしまう。

今では姫路のずっと奥に今も交通手段が神姫バスしかない宍粟市なんてのができて居るが、山崎町とか千種だったら懐かしく60年前囲碁部の合宿で瑠璃寺に行った折、山崎までバスが3時間かかり山崎で更に乗り換えて瑠璃寺まで1時間かかった。山崎は鉄道もないのにバスのターミナルがあり、あちこちへのバスの集散地だったからとても驚いた。宍粟市なんてゴロが悪くて言い難いが、無理矢理市にしてしまわないと行政のコストが持たないのだろう、その分住民サービスは随分低下したことだろうと思う。
高所にある瑠璃寺での合宿は真夏なのに夜は布団を被らぬと寒くて眠れぬ程気温が下がり、一晩中林の木の梢から河鹿(かじか)の鳴き声が絶えなかったのを強烈に覚えているが、清流の潺(せせらぎ)と共に今も生き永らえて居るんだろうか。

閑話休題、このお爺さんと戦中派の性(さが)として子どもの頃食べ物がなく蛇苺まで捜して食べていた話などしていたら電車が芦屋に到着したので「それではお気を付けて…」と別れたが、話の中で戦争が終わったとき中学3年生でしたと言われていたことをふと思い出した^^。帰りの電車の中で早生まれと申(さる)のことを考えて居たら正解に到達した。明治41年生まれの私の父も昭和7年3月生まれの姉も矢張り早生まれの申(さる)だったことを思い出したのだ。だから私と姉は歳は三つでも4学年違う。申年は西暦では12で割り切れる決まりだ

終戦時に旧制中学3年生(早生まれだから終戦当時14歳)だったら逆算してこのお爺さんは1931年である昭和6年生まれであり、申年は記憶違いだったと結論した。自分の生年月日を書く機会は始終あるからこの方が生まれ年を間違う筈がない、申年は昔からけちん坊だとか狡いとか謂われていたからこの方の勘違いはお気の毒だった。もう一度お爺さんに逢って「貴方は本当は未年ですよ」と言ってやりたいがもうその機会もない。(注、尋常小学校5年で飛び級した場合はこの限りではない)
今の若い人には十干(じっかん)や十二支など話題にする方は少ないだろう。漢検ではこの手の「訓読み」がかなりの頻度で出題されるから私は油断なくしっかり覚えるよう努力している。十二支は兎も角十干の訓読みは難読字だ。丙午を(ひのえうま)などはよく知られて居るが、あなたは「庚寅」に「戊戌」の仮名付けができますか?
答え 訓読みは(かのえとら)(つちのえいぬ)であり、音読みは(こういん)(ぼじゅつ)です。

下町ロケット

早朝の散歩途中コンビニでこんな菓子パンを見付けた^^。ロケット型?のチョコパンだが発案者は頭良いね^^。作者の池井戸さんに使用料払っても売れさえすれば勝ちだ。TVでも先週視聴率20%を超えたとか大人気だし、文庫本は100万部を超えてのベストセラーに便乗しての菓子パン登場だ。「佃品質」には笑ってしまうね^^。
慶応を出て三菱銀行に7年在職した池井戸潤さんの作品は「空とぶタイヤ」を初めとしてどれを見てもアンチ三菱色が鮮やかで面白い、よほど在職中上役にいびられたんだろう、でも三菱重工の工員さんは本当に三菱のイメージカラーである真っ赤な作業服を着ているの?
巷間三菱の社員達の周囲を見下すエリート意識過剰には辟易している人も少なくないからこのドラマの中身は別にしてもきっと共感する人も多いと思う。それもヒットの原因だろうね。
うちに来る三井住友の外務員の小母ちゃんが言っていた「私昔三菱に少し勤めたことがあるお陰で今でも三菱の車は1割引で買えるんよ」

最近私のブログの中身がヤケに諄諄(くどくど)しい、歳のせいだろうか我ながら嫌になっている、もう少し明るい話題を爽やかにお送りしたいと願っているのでどうかご容赦を…m(_ _)m。

先週の書けないけど読みたい漢字
面白くて堪(たま)らない

今週の書けないけど読みたい漢字
和漢の(籍)に親しんだ
先月の漢検の出題からです。