カラー カラー2

放ったらかしのうちの庭は鬱蒼として小さなビオトープなど雑草に覆われすっかり分からなくなってしまった、うっかり庭に入るとビオトープに嵌まることになるからメダカやエビ達を阿修羅の地獄に追い落とすことになるし、暑くなって先週から鳴きだしたキリギリス共を愕かすので控えているので益々雑草の天下となって道行く人の顰蹙(ひんしゅく)を買っているが、私はそんなことは一向に意に介さない。
ビオトープの横に大きなハーブの株が威張っているがその葉蔭に3年前に植えたカラーが今月初めてひっそりと咲いた。葉の先っちょが丸まって色づいたような不思議な花弁で水芭蕉に似た清楚な花だ。黄色い花の方が葉っぱに斑が入って可愛いね^^。

4月から始まったTBSドラマ「天皇の料理番」が今日で最終回を迎えるが、各局が競った異色の番組の中を15.8%と高視聴率を稼ぎ、キムタクの「アイムホーム」に迫ったのは大健闘だったね。特に際立った個所もなく時代考証も杜撰で凡作だと思ったが、何故か視聴率が高かったのはどうやら主役である料理人秋山篤蔵を演ずる佐藤健のせいではなく妻を演じた黒木華の人気だそうだ。彼女は平成生まれだが顔立ちは全く昭和の顔だ。恋人の顔ではなく昭和の妻の典型である凹凸に乏しい一重瞼のお多福顔だった。荷物を持つのが似合う顔と謂われているのは玄妙だ^^、荷物も鞄ではなく背中に負ぶった風呂敷だろうね、大正の匂いまでする処が適役と謂われ、その辺が目新しくて普段絶世美人ばかり見慣れている視聴者に受けたんだろう。着物姿で荷物や子どもを負ぶった女性の顔は恋人の顔では似合わない。彼女は篤蔵と離縁してから子持ちの中年男と再婚するなど汚れ役まで務め演技力ががしっかりして居るから、此から強力な助演者として主役を食ってしまうのではなかろうか。
ドラマのエンディングソングさだまさしの「夢見る人」は心に沁みる良い曲だったね^^。

お地蔵さん

近年幼い子どもが親に殺される事件が各地で後を絶たず毎日のように新聞を賑わして居るが痛ましい限りだ。夜泣きが止まないとか、親の言うことを聞かないなど瑣末な原因が多いのに愕いてしまう、堪え性のない親の苛立ちが生んだ愚行だ、子どもが怪我を負っての児童相談所行きまで数えれば果てしない数字となりそうだ。父親ばかりか最近は母親の加害者も多いから嘆かわしいが、此は教育とかの問題ではなく人間が固有に有する本能である倫理の問題だ、親たるべき者が親になる資格もなければ覚悟もない儘子どもを儲けた結果であり子育ての自覚もなしに生じた悲劇だろう。自分達も嘗ては子どもであり両親に慈しんで育てられたのに、成人に達する間に何時の間にか親への感謝の念も忘れ去り自分独りで大きくなったと錯覚したのだろうか。
本来なら本能として当然に有せねばならぬものが欠如した人間が多くなって居るのは、幼い子どもの間に家族を思い遣る心を教える周囲の人が居なくなったことに原因するのではないかと思う、生活環境が核家族化し、子どもが両親だけでなく祖父に祖母に更に近所の年寄りからも叱られなくなって物の道理を弁えない儘躰だけ大人になり親の資格もないのに親となった理不尽な連中が増え続けたのだ。
私は幼い頃「一つや二つや三つや四つ十よりうちの幼子がひとつ積んでは父のため、ふたつ積んでは母のため、みっつ積んでは西を向き…」と子守歌のような唄を聴かされたが誰から聴かされたのか定かでない、その後は「樒(しきみ)程なる掌を合せ…」と続くそううだが、いつしかそ部分以後は忘れ彼処だけは今でも憶えて居る。この唄は幼くしてこの世を去った子どもが親に孝行ができなかったことを詫び賽の河原で石を積もうとするもので、鬼がやってきては積んだ石を崩し、再び積んでは鬼に崩される無間地獄を語った御詠歌「賽の河原地蔵和讃」として世に知られ、何故かこの部分だけ我々世代の子どもは数え歌として誰もが憶えて居たし、他に唄は幾らも知らなかったのでよく口遊みながらメンコなどして遊んでいたものだ。
話は戻るが、幼い子を殺した親に対し裁判官が殺された子どもが賽の河原で親に孝行できなかったことを詫びて石を積む「地蔵和讃」を聞かせて諭(さと)したことが嘗てあっただろうか、なかったよね、又刑期中この歌を獄舎にて朝夕唱えさせば子を殺めた親は本能に芽生えて気が狂(ふ)れるほど動転し自らの過ちを悔やみ、真人間に戻ろうと懸命に努力するのではないかと私は思うがどうなんだろう。

今の小学校では性教育をするそうだ、性風俗の乱れた昨今性教育も大切だろうが、私は学校が此の「地蔵和讃」こそ子ども達に教えるべきではないかと思って居る。そうすれば子どもが親を慕い親に孝を尽くすことなく死んで行く無念さについて理解でき、軈て成人し儲けた子どもが泣いても聞き分けがなくても殺したりなどせず優しく慈悲深い寛容な心の持主になれるのではなかろうか。

昔は道端に鄙びたお地蔵さんが点在し、お供え物が欠かさずあり、道行く人が道中の無事を祈り、家族の安穏をお祈りしたものだが、車社会となって人々が道端のお地蔵さんを忘れ去ったのが子どもを虐待したり殺したりする遠因となったのかも知れないね。
私の住む垂水の街のど真ん中にに奇特な方が所有される立派な地蔵尊があって多くの方が始終お詣りされお花が絶えない。お年寄りがお詣りできるように4段の階段に手摺まで付いているし、それでも上り難いお年寄りのために平坦な勝手口まで付けてあるからどんなに身体の不自由な方もお地蔵さんの温顔に拝することができる仕組みだ^^。今は商店街になって車輌通行禁止になったが昔はバスが通っていて「地蔵前」の名のバス停まであったんだ。地価の高いところだが聞けば今では区役所が固定資産税まで免除して呉れて居るそうな…粋な計らいだね^^。相続税はどうなんだろうな、税務署が仏具や墓地と見なして呉れると非課税なんだが…。
そして私の住む隣町の西舞子近辺は戦争で焼かれなかったせいか今も車の通れない露地が沢山あってお地蔵さんも彼方此方に沢山祀られ近くのお年寄りの方々の心の拠り処になって居り此処も私の好きな場所だ。
もう少し西に行くと、うちのお得意先のYさん(85歳)は朝霧川の傍らに貸駐車場を所有されて居られるがその駐車場の真ん中に昔からお地蔵さんが可愛い小屋に祀られて鎮座して居る。お地蔵さんのために車3台位のスペースを失って居るが信心深いYさんは撤去されようとされないから偉いなと思う。私が市役所に掛け合ったが民有地だからと固定資産税の免除も受けられなかった(>_<)。罰当たりな明石市役所め!

岩手県矢巾町の中学生が自死の直前に必死の思いで縋ったのはクラスの担任だったが、此の先生どんな悩みに対しても話題を変えスルリと体を躱して居たのは見事な技だったね。此方の質問に対し違う話にすり替えるのを得意とした友人が居たがこの担任は全く上手いよね、担任に縋り乍ら最後まで「柳に風」とスルーされた少年の無念は遣り切れなかったと思う(;;)、担任の方が同級生より酷い苛めじゃなかったの…(>_<)。

先週の書けないけど読みたい漢字
倹(つま)しい生活をする

今週の書けないけど読みたい漢字
(約)まやかな生活