あの忌まわしい東日本大震災から今日で1年を迎えることとなった、亡くなられた方々や被災された方々に心から哀悼の意を表したいと思うが、放射能の恐ろしさについて無知だった東京電力のバカ共には如何様にも呪詛の念を禁じ得ない:-)。此奴等を殺人罪で告訴できないのか!「犯した罪は知らざるを以て免れることを得ず」と謂うではないか。
我々の事務所では確定申告も90%終わり、今週から長く間放置していた1月決算など日常業務に専念することとなったが、税務署では明日から四日間押すな押すなの大盛況だと思う。嫌なことは先送りにする人間の本能がそうさせるのだろうが、早くに済ませておけば短時間で帰宅できたものが明日からの税務署行きでは半日仕事となる(;;)。特に13日は民主商工会のデモ付き集団申告などあって大変だから避けられた方が良いと思う。税務署は民商の申告を署内に入れず屋外でしか受付しないから雨など降れば厄介なことになろうな。
少し前、就寝時に「日経ビジネス」を捲っていたら、面白い記事にお目に掛かった。それは海外売上比率僅か2%と謂う内弁慶な我が国老舗文具メーカー「コクヨ」が遂にベトナムのハノイで「キャンパス」ブランドのノートの売れ行きに成功したと報じていた(^^)。2010年に発売開始してその年320万冊を売り、翌年2011年は実に1500万冊を売上げ、2012年は7500万冊の目標に掲げているとか、ベトナムでは2005年現地工場を立ち上げ、安い人件費で作られた製品を日本向けに出荷するのが目的だったが、何故かベトナムの文具店ではコクヨのノートは一冊も置かれてなかった(;;)。驕(おご)った日本人がベトナムの野蛮人如きにノートの需要を認識しなかった先入観が原因だったかと思うが、実際にはベトナムの文具店には他国のノートが積み上げられそのスペースが半端でないことに気付いたコクヨベトナムの社長がベトナムの学校を調査した処、ベトナムの若年層は勤勉で板書(黒板に書かれた字)をノートに書き取る習慣が身に付いており、学校では生徒一人当たりのノートの消費が日本の10倍にも上ることが分かったそうだ(;;)。7500万冊を売上に換算すれば全社売上高2600億円の僅か3%足らずだが、商売と謂うものは売ってナンボでなく儲けてナンボだから輸送費の僅少な現地での売上利益率は悪くない筈だ。
そんなことを書くために「コクヨ」の話を持ち出したのではなかった。私が疑問に思ったのは何故日本人の学生がベトナム学生の10分の1しかノートを使用しないのかと謂うことだった:-)。日本人の人口がベトナム人の10分の1しかないのなら分からぬでもないが、実際には我が国の人口は減少中であっても1億2千万人も居るに対し、ベトナムは増加驀地(まっしぐら)ではあるが9000万人と劣位にあり、然も我が国の国民所得(国民一人当たりGDP)は42345ドル、ベトナムのそれは2010年の数字で1155ドルであり、その差は実に36倍以上と愕くばかりだ。つまり単純に言って日本人がベトナム人より36倍も収入が多いと謂うことだから日本人にノートが彼等の10分の1しか買えない道理が全くなく、さすれば常識的に考えて我が国に比し後進国であり経済劣国であるベトナムのノートの消費量が少子化の影響を考慮しても我が国より圧倒的に少ない筈ではないのかとの疑問に辿り着くが、現実に彼等がノートを我々の10倍使用しているデータを突きつけられれば詰まる処、彼等が勤勉で勉学心に富み、日本人が怠惰で向学心に乏しいことの両極を如実に顕しているのではないかと考えた(;;)。
数学を解くにも漢字を書くにもノートは必要だが、我が国の学生が松下幸之助翁のように届いた封書を裏返してノート代わりにしているとも思えず、究極懶惰(らんだ)で無気力な生活にどっぷりと浸かりハングリー精神が失われた我々日本人には最早世界的水準である勉強の絶対量が足りて居ないことを思い知らされた:-)。真のハングリー精神とは灼熱の砂漠で一滴の水を求める苛酷なものであり、ニートもプータローも引き籠もりも食べるに困らない日本人に最早ハングリー精神を期待することはムリなのではないだろうか(;;)。何れその内我々が無知な野蛮人と馬鹿にしているベトナム人の留学生で9月入学の東京大学が埋め尽くされるのではないかと憂慮するが、遠からず私の危惧はきっと現実化することとなろうな(;;)。イソップ童話ではないが、今の日本人の学生はまるで昼寝している兎(夜も寝ている?)であり、ベトナム人は遠く坂道の下から喘いで上がってくる亀だな(;;)。いやいや、もう其処まで近づいているのではないか。
「人の一生は重き荷を背負いて遠き道を行くが如し」此は徳川家康の家訓の一部として有名な一節だが、貧困と謂う重い荷を背負う負荷そのものがベトナム人の彼等を奮い立たせて居るのだろう、戦争で何もかも失った日本人はアメリカの迫害に耐えて朝鮮事変を奇貨として奇跡的にも復興を遂げ今日の栄光を迎えたのだが、その礎(いしずえ)となって戦時中戦後の激動期を生き抜いた明治大正生まれの人達も大半が黄泉の国に旅立ち、戦争すら知らぬ能天気な苦労知らずの世代に次代を託すことになった我が国には果たして未来はあるのだろうか、万感胸臆に満つ思いだ(;;)。
9日の参議院決算委員会で、「あまりにも態度が悪すぎる!何を笑っているのか!」とヤンキー先生こと自民党の義家弘介氏が野田佳彦首相や閣僚を一喝する場面があったそうだ:-)。
熱血男児の本領発揮だったな(^^)。
義家弘介氏は同僚議員が質問している間の閣僚の態度を問題視して「真剣な質問にへらへら笑ったり、隣の閣僚と話したり。日本の現状はそんなに甘いものではない!」と訴えたとか…(;;)。「そうだ!」「決算をやれよ!」との怒号が飛び交う中、注意された総理や閣僚はシュンとした様子だったそうだが、この先生過去の前歴(姉や弟を殴る蹴る、義母を階段から突き落とす、実父を殴り病院送りにした)からキレたらメチャ怖いことを総理初め閣僚全員が知って居たから青くなっただろうな。流石ヤンキー先生良くぞ言ってくれました(^^)。
国会での質疑は謂わば真剣勝負である筈なのに何時も閣僚達応答者が他党の質問には質問者を見下したように態度がでかくて返答を茶化したり、捨て台詞のような応答をして質問者に視線も当てないでプイと退席し憮然としているのが常であり、私はかねがね苦々しく思っていた矢先でもあったから、今後応答者を含めて閣僚は質問者の言葉を国民の声として襟を正して聞いて頂きたいと思った。だけど質問者も応答者も政策は疎か国語の基礎知識すら充分でなく、官僚の作った原稿を意味も分からず棒読みし「早急(さっきゅう)」、を「早急(そうきゅう)」などは日常茶飯事であり、更には「捲土重来(けんどちょうらい)」を「けんどじゅうらい」そして「重複(ちょうふく)」を「じゅうふく」と読んで恥じない手合いまで出現するから、ま、聞かされている側も熱が入らないのが分かるよな(;;)。国会議員に立候補するには漢字検定の2級位は条件に入れるべきだろうな。試しに試みたら全員落ちたりして…(;;)
国会議員に限らず、TVタレントなどにも(には?)酷いのが多い、「他人事(ひとごと)」が(たにんごと)と読んで恥を掻いているバカが少なくないが、撮影現場の周囲の連中が一言「違ってるぞ」と声を掛けてやれば済むことなのだが、どうやら周囲の有象無象も役者と同類項らしいな(;;)。日本人なら正しい日本語を使う努力をしろ!
今週の常用漢字表外読みの問題
この貝は(去年の)浜辺に、われ一人拾いし貝よ,
先週の常用漢字表外読みの答え
(坐ら)にして天下の情勢を知る。(いながら)でした