日曜日の今朝は随分寒くて早朝に目覚めたが、今日はお釈迦様の誕生日であり、更には私と妻の結婚記念日だ。結婚した次の年に誕生した長男が来月で49歳も迎えるところから逆算して今年は数えて50回目、世間では金婚式とか謂うそうな…(^^)。処が、私達は夫婦として50年共に暮らして居るが、今や妻は私に対し経済的に依存するだけで他に何も求めて居らず、斯様な金婚式の如き瑣事には全く興を示さず何の感慨も持たないので、仕方なく私一人「追憶(The Way We Were)」のCDなど聴きながら、50年昔を偲んでお酒を少し飲むことに決めたが、流石に一人では少し心(うら)悲しいよな(;;)。然し50年間一度だって妻を旅行にも連れて行ってやらず、私は一人好き勝手していた報いであり自業自得なんだろう(;;)。「幾ら仕事ができても女房に精神的な幸福感を与えられないような男は人間として三流四流であり、仕事に成功した幸福感も必要だが、それ以上に自分を愛しんでくれる人間がこの世に居ると謂うこと、その幸福の照り返しで此方の肌も熱を持って暖かくなる、そういう人間関係になれなければ本当の幸福とは言えない」とは確か田辺聖子の言(げん)であったと思うが、因果は巡ると言うから、私は今その応報を受けているんだろうな(;;)。

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事務所の庭では先日より花韮(にら)が所々薄紫の可憐な花を咲かせているが、この花は別名「ベツレヘムの星」と名付けられて居り、東大のキャンパスに多数咲いている処から、子弟の入学式に随行された家族の方が記念に持ち帰られることが多いとか…(^^)株分けして知人に差し上げ、それとなく東大に受かった子供の話なんかされるのは何とも晴れがましいよな(^^)。そんなこんなで全国に花韮の普及が進んでいるそうだ。
そう謂えば今年ももうすぐ東大の入学式だが東大キャンパスの「ベツレヘムの星」もごっそりと少なくなることだろう。でも、もともと繁殖力の強い花だから年に一度位間引きされる方が株には却って良いのではないかと思う。
思えば確か今から31年前の4月18日だったと思うが、長男の入学式が東京武道館で行われ、妻にせがまれ二人で初めて新幹線に乗り出席したことを思い出したが、虫が知らせたのか妻を残し一人5時前に帰所した処、その日お得意先に明石税務署の特別調査班10名が乗り込み落花狼藉だったのには落ち込んだ。天国と地獄とはこんなことを謂うのだろう。結局特調班には3000万円もの追徴税を召し上げられることと相成った(;;)。

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60年以上の歴史を持つ月刊誌「囲碁」が、今月4月5日発売の5月号を最後に休刊すると発行元の誠文堂新光社が発表した(;;)。同誌創刊は1951年7月で、現在発行中の囲碁誌で最も古く、私が60年も愛読した雑誌であり、プロが一手一手を丁寧に解説する、掌版の付録「名局細解」が人気だったな。
80~90年代には月に2万5000部も発行していたそうだが、その後売れ行きが落ちてきて、編集部は休刊の理由を「読者の高齢化で、今後部数が持ち直す見通しが立たないため」としているから事実上の廃刊だろう(;;)。振り返って見ればゲーム機の出現に伴い衰退して行く囲碁界に救世主であるマンガ「ヒカルの碁」が登場し、少年少女にブームを巻き起こしたのが丁度10年前で、漫画は週間少年ジャンプに1998年から2003年まで連載され、単行本は全23巻、累計売上部数は2500万部であり、小説やガイドブックなど関連書籍が多数出版され、一時は少年少女囲碁大会など盛況となってブームであったが、その彼や彼女達も20歳台となり現代の若者の常として熱し易くて冷め易く殆どの者が囲碁と無縁になったのだろう(;;)。毎号懸賞詰碁が載っており、結構難問であり、高段者でも容易に満点は得られなかった。年間高得点者は誌上で発表されて表彰され、なにがしかの賞品を頂戴する仕組みであったが、5月号の問題には最早解答の載る号が発行されないため、自己採点と書かれ末尾に解答が載せられていたのは悲しかったな(;;)。
囲碁はコンピュータが勝てない唯一のゲームだが、ルールを憶えることが至難の業であることと、奥深くて容易に強くなれない処が、急からしく落ち着きのない若者達に疎んじられたのかも知れぬが右脳を使うゲームは他に少なく、感性を培う右脳の鍛錬は勉学に大きなプラスを齎(もたら)すことが忘れられたものであろう、因みに日本棋院の発行する「週間碁」の新聞定期購読者をASA朝日新聞の垂水販売店に確かめたら垂水では私を含めてたったの5名とか…(;;)、60年間囲碁を愛し続けてきた一人としてこれも又、万感胸臆に満つ思いだ。
廃刊に似た話だが、小生好物の「おはぎ」を買いに週に2-3回立ち寄っていた和菓子屋のパートさんが先月一杯で退職された。この人店員さんには珍しく客に媚びない性格で一寸した世間話をしても思ったことをポンポンと言う歯切れのいい人であり、同類項の私と波長が合っていた。開店当初はシルバーセンターの経営ではないかと思う程年寄りの爺さんばかりの中に彼女が「鶏群の鶴」のように現れ、パートのくせに社長より貫禄と威厳があり女将さんのようだったので愕いたものだ。顔に似合わず野太い声の持主でナツメロ演歌など唄わせたら結構聴けるのではないかと想像し、「アルトのお姉さん」と内緒で名付け、「おはぎ」を包んで貰う間、四方山話などするのが楽しみだったが、先月の終わり頃になって少し宛表情が硬くなり、何処となく物言いたげであり乍ら必要なことしか話されなくなったので訝しく感じて居たが、今思うときっと私に「辞めるんよ」と言いたくても他の職人さんも居るし、個人的なことだし言い難かったのだろう(;;)。今月に入ってお店の爺さん達は私の「別嬪さんは?」問い掛けに対して「今日も休みです」が数回続いたのは此までの雰囲気から私を失望させるのを哀れみ、せめてもの慈悲心だったろう。
諸行無常、縁なんて儚いものだが、それはそれで人生と謂うものだろう。
春の選抜は4日浪花のダルビッシュこと藤浪投手を擁した大阪桐蔭が初優勝した(^^)。惜しくも準優勝に終わった光星学院は青森県の代表だが、殆どの選手が関西出身で中でも大阪の中学校からスカウトされた少年が多いそうだ(;;)。ネットで検索したら紹介されている選手21名の内大阪出身者が12名とダントツで地元青森は僅か3名で彼等は全員補欠だった(;;)。光星学院の三塁側スタンドの応援は青森県人より大阪の人達の方が多かったのではなかろうか:-)。
決勝戦では選手達も中学生の頃同じチームだったり近隣のライバルだったりして、お互い懐かしく「どないしてんねん」なんて声を掛け合ったのではなかったかな。
然し良く考えて見ると、青森県出身の選手が少ししか居ずに県外からの留学生が殆どとは如何なものか?大相撲でも外人は1部屋一人と制限されていることだし、春夏の高校野球は究極府県対抗戦だから正選手は出身中学校が県外出身者である者を3人位に制限して地元の選手を引き上げてやらないと、烏滸(おこ)がましくて県の代表などとは言えないのではないのか? そうなれば3年生の三学期だけ地元を離れて青森の中学に編入する手合いが増えるかも知れぬが、其処まで努力されると此は仕方ないよな(;;)。
先週の常用漢字表外読みの答え
彼女は(繊い)手で私を招いた。(ほそい)でした
今週の常用漢字表外読みの問題
水仕事で指先が(潤びる)