風薫る5月もあっという間に終わりを告げ、あと数日で6月にバトンタッチだ。6月を旧暦では「水無月」と言うが梅雨だのに「水無月」とは何でやろ?と思うが、「水無月」の「無」は「なし」ではなく「の」という意味の連体助詞「な」であり「水の月」と謂う意味だ。

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久し振りにEさんから中之島の薔薇の写真が届けられたのでご紹介しましょう。薔薇の花は白がベストです。花言葉は「清純、純潔」でありこの花に敵うものはありません。
水と謂えば、TVの8チャンネル夕方のニュースアンカーでは毎週作家の玉岡かおるさんがコメンテーターとして出演される。「私には水が大ありだ」と書かれた“水のご褒美”なるエッセイにお目に掛かったが、彼女が「水が大あり」の理由は彼女が個人的に“河川功労賞”と活動団体の長として“環境功労知事表彰”を受けられたそうだ。彼女の作品には加古川水系での生い立ちからだろう河川に纏わるものが少なくなく、多くの作品の中でも播州加古川上流の加西や小野を舞台とした「おんな紋、まろびだす川」「はしりぬける川」「あふれやまぬ川」と明治、大正、昭和を生き抜く「お家さん」の生涯を綴った大河小説3部作は秀作だったな。男社会にあって男達に翻弄されることなく毅然と生き抜いた女性を描き山本周五郎賞の候補にもなったことによる受賞だったそうだ。
「家」を守るために己を捨て恋人とも別れ見知らぬ男の許へ嫁いで行き、生んだ子供達を戦争に奪われる理不尽で悲しい物語は、戦後生まれの方には理解され難いと思うが、我々戦前の人間には決して忘れられぬことであり、昨年の今頃だったろうか滂沱(ぼうだ)の涙と共に三冊を読み終えるのに2週間を要した。明石の女子師範に学び教職の道を選びながら、恋の柵(しがらみ)を捨てて家を護ることを選んだ知的女性の権化とも思える小説の主人公の芹生(旧姓青倉)柚喜には嘗てのフォークグループ「赤い鳥」で“竹田の子守歌”を唄った山本潤子をイメージしたものだ(^^)。
話は飛んで行くが、山本潤子は若いとき唄も下手だったし顔もブスだったが40年を経て、歌も上手くなり顔も締まってきたな。きっと激震の歳月を弛まぬ努力を続け乗り越えて来られたのだろう。同じ時代「赤い鳥」の仲間であった「紙ふうせん」の平山泰代など当時はとても可愛く歌も山本潤子より上手かったが、今では上沼恵美子そっくり幸せ太りの小母さんになり、あの綺麗な高音が苦しくなっているのは気の毒だが亭主を顎で使い平和な家庭にどっぷり浸かってしまった報いだろう(;;)。でも平山泰代の亭主である後藤悦次郎を含めて全員、我々が愛する関西フォークの貴重な草分けだ(^^)。
今でも時々「竹田の子守歌」など聴いて過ぎし昔を懐かしんでいるが、♫久世の大根飯、吉祥の菜めし、またも竹田のもん葉飯♬の「もん葉」は「おから」のことなんかなあ?などと考え、子供時分お腹の足しになるからと菜っ葉の煮物に混ぜてよく食べさせられたことを思いだした。30年位前のことだが、お得意先明石の豆腐屋さんが豆腐の副産物である「おから」を養豚場に売却しその売上代金を脱税したと税務署に絞られたことがあったから、もうその頃から「おから」は人間の食べるものではなくなって居たのではなかろうか。
四月一日或いは四月朔日(ついたち)と書いて「わたぬき」と読む変わった姓があることは知って居たがその訳は全く知らなかった。処が先日ある書物を読んでいたらその語源に触れてあり、4月1日は旧暦の4月1日のことであり太陽暦で謂えば先週の5月21日となる。この日には昔は来ていた衣服の衣替えの季節であったらしく、綿入れを脱いで袷に変わる日だそうで、着物につめた綿を抜く慣わしであったとか…、私は此の慣わしから貧しかった日本人の昔は冬も初夏も同じものを着ていて着物の中に綿が入って居るかないかの違いだったことを知らされた(;;)。今思えば少し更衣(ころもがえ)が遅い感じだが、地球温暖化の現在と違って昔は5月に遅霜が降りていたりして居たから結構寒かったものと思われる。学校や修道院の制服なども6月から夏服となって居たから納得だ。
この四月一日或いは四月朔日(わたぬき)が姓になったのは綿貫と語源をともにし、現千葉県北部である下総国葛飾郡発祥とも謂われており、桓武天皇の子孫で平の姓を賜った家系である平氏(桓武平氏)千葉氏族で現在約10人が現存されるそうだ。
苗字については奇抜なものは架空のものや江戸時代の戯書から引用されたものが多いので、そのまま実在するとは限らず、全国の電話帳が電子電話帳としてCDに纏められて居たり、ウェブ上に夥しい人名が溢れていたりする今日では、そのどちらにも記載が無く、且つ如何にも奇抜な名字は99%以上の確率で幽霊名字と考えてよいそうだ。小鳥遊(たかなし)など典型的な幽霊苗字と思われるが、実はこの姓は実在するものであり現在全国で約40名居られるとか…。元は高梨からの転化で清和源氏井上氏流の名族であり信濃国高井郡高梨邑(村)を領した高梨盛光が長男に高梨、次男に鳥楽(たかなし)、三男に小鳥遊(たかなし)、四男に仁科(たかなし)の姓を与えたことからであり、意味は読んで字の如くである。きっと領主高梨盛光は洒脱な粋人であったろうな(^^)。
ご存じの方も居られると思うが「小鳥遊恋(本名)」は数年前可成り売れたAV女優であり、著名な美人女優「長沢まさみ」によく似ていることと奇抜な姓で有名だったことを想い出した。
大阪市が市職員に対し交通やゴミ収集等現業職の給与を大幅に下げると提案したがどうして現業職ばかりで事務職が下げられないのか分からない。一ケ月の仕事を三日でできるとほざく事務職の給与をカットしてから現業職を説得するのがスジではないか!
50年以上前の名張毒ブドー事件での奥西勝被告86歳の再審請求がまたもや覆され名古屋高裁は再審請求を退けたが、50年も塀の中に留め置かれて然も86歳だから、せめて娑婆の空気を吸って往生させたいと思うのが人情だが裁判官とは強情なもんやな、それにしても弁護団が大きな文字で印刷済み「不当決定」の垂れ幕をメディアに示したのは愛嬌だったな。「無罪」の印刷なら分からぬでもないが、「不当決定」ならばその場でマジックで書き殴ったものでないと弁護団の真意が疑われるぞ!
先週の常用漢字の表外読みの答え
思えばいと(疾し)此の年月、  (とし)でした。口語体の場合は(とく)となります。
このフレーズは「仰げば尊し」の1番の一部であり、年配の方はお分かりになったと思う。日本の歌百選にも選ばれた名曲で私は4回の卒業式でこの歌を歌ったが、今でもこの曲を聴くと純情無垢?だった幼き頃を想い出して泪に眩(く)れ、人生の旅立ちへの感慨一入(ひとしお)だ。
「大言海」の大槻文彦が作詞されている格調高い文語体の詩文だが、先日高三の孫に聞いたら此まで卒業式で一度も歌ったことがないそうな…(;;)、歌われなくなったのは「お金を貰って勉強を教えている先生なのに、恩とはまるで押し付けがましい」のが文科省の言い種(ぐさ)だそうだがお金の問題ではなく、教えを受けた先生に感謝の意を表すのは「長幼の序」であり、自然の理(ことわり)ではなかろうか。2番の歌詞に「身を立て名をあげ」と立身出世を呼びかけている処も「民主主義」的でなく、また「いと」「やよ」のような文語が「難解である」ことも歌われなくなった原因の一つであり敬遠されているそうだが、難解なものを教えるのが教育ではないのかな。係り結びの法則も知らず「今こそ別れめ」を「別れ目」などと信じ込んでいるアホな連中が多いのは文科省のせいかも知れぬだろう:-)。係り結びも知らなくて古文が読めるか!努力を重ねて立身出世して何処が悪い!
今週の常用漢字の表外読みの問題
彼は(謙った)態度を崩さなかった。