梅雨も佳境に入り、雨が降らなくても蒸し暑い毎日が続いて居るが、昨秋植えた百合が見事な位大きな花を付けた。大きく重たい花なので先週の台風接近で倒れるのではないかと心配し添え木をして補強したため何とか無事だった。ホームセンターで球根を幾つか買ったもので種類は忘れたがこんなに大きな花が咲くのなら名前を覚えておけば良かったと後悔しているが、花が大きくなったのは育て主である私の腕前かも知れぬ(^^)。来年は球根を玄関先に移して道行く人の目を惹こうと思っている。若しかして今年大きな花だったため精魂力尽き果たして、来年咲かなかったりして…(;;)。

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先週のブログは試験疲れで筆が伸びなかったので、今週漢字検定の続きを書かせて頂こう。昔漢検の試験会場が山手短大だった折は二級の受験生が多くて自分の受験番号の教室を捜すのに右往左往したものだが、6年振りの二級受験で驚いたことに今回はたったの一教室であり、神戸市全部で受験者総数123名しか居なかったことだった:-)。学校単位の受験など別にあるにせよ、それは6年前とて条件は同じであり、大久保一族の漢検私物化を知った受験者層からの反感が未だに根強く漢検の受験者離れが進んで居ることを知り、雑踏に揉まれるような当時喧噪の会場雰囲気が懐かしく余りの隔世の感に唖然としてしまった。「250万人受験の漢検」と書かれた当時のパンフが妙に忘れられない(;;)。日本人にとって漢字は教養の原点だから漢検の衰退は残念でならぬ。
それにしても一般会場での受験者が大学推薦狙いの二級と漢字オタクの多い準一級とほぼ変わらぬ数とは世の中本当に変わってしまった(;;)。
午後検定が同じ時間のため一緒に受験した4級の孫娘に聞くと6級受験者と一教室の相部屋だったそうで、会場の神戸外大が広いせいもあって検定終了後三々五々帰宅する受験生の数の少なさに寂しくて泪が出たぞ。
仄聞だが、永年掛けて一級を合格した人の中には再度二級にチャレンジされる方が少なくないそうであり、私は此までその理由が分からなかっだが、自分が6年振りに二級に受験して見てその気持ちがよく分かった。一級挑戦時までに旧字体や難しい字ばかりを学ばれた人には常用漢字に限られる二級は大変な苦痛であり、準一級なら満点を取れても二級は自分の持てる知識が災いして190点台の高得点は至難の技ではなかろうかと思ったものだ。
その理由の一つは今回国語審議会も一気に196文字もの常用漢字を増やした疚(やま)しさのせいか、音読みのみの読みが過半数を占め日本語古来の訓読みが省かれている文字がヤケに多い(一部音読みが省かれている字もある)ことにある。日本人は音読みだけでは文字の意味が咀嚼(そしゃく)し難いから折角常用漢字に引き込んだのなら訓読みも一緒に参加させるべきだったのではないか。此までの常用漢字について表外読みとされた言葉は過去に夏目漱石など文豪が用いた故事付けの当て字が殆どであって、教科書などに使用されたため、仕方なく文部省が「表外読み」とか名付けて妾の子のように扱ってきたが、多くの常用漢字には音読み訓読みの両方が本来存在していたから今回の196文字については何故か隙間風が多く理解に焦燥感を禁じ得ない。一つでも訓読みを入れてあったら良かったのに…と思ったものだ。例えば「惧」や「慄」は「おそれる」の訓読みが記載されて居ないので、「ぐ」や「りつ」と言われても意味がまるで伝わらないからジンマシンが出そうで牴牾(もどか)しい(;;)。
10年近く前まで数年間うちの事務所に勤めて居た女性から先日電話があり、税理士試験に合格し税理士会に登録したいから私の実印を押して欲しいので伺いたいと依頼の電話があった。訊ねて来られ書類に判子を押しながら話をして分かったのだが、この女性、大学(神戸商大であり私の後輩)を卒業した翌年から税理士試験に挑み始め17年掛かって5科目合格を果たされたのだった(^^)。うちの事務所に勤めるとき既に4科目をクリアされて居たが、最後の一科目である「消費税法」に苦労され、更に10年以上を掛けて消費税を退治され漸く合格の栄誉を手に入れられたことにとても感銘を受けた。「石の上にも三年」とは良く謂われる言葉だが蝉でも7年経てば出てくるのに17年とは気が遠くなるような歳月であり、その間自分の実生活にも様々な変化があったろうし、好きな男性との縁(えにし)もあったかと思うが、結婚もせずに一つの目標に向けて最後まで挫折することなく合格の栄誉に輝かれたことを心から祝福したい。
先週触れさせて頂いたが、勉学に勤しむ青春時代であるべき時期に不運にも戦火に追われ、食べるものとてなかった終戦後の混乱期を懸命に生き抜かれた昭和5年生まれの漢検準一級挑戦女性や、17年掛けて税理士合格の女性などに接することができた此の6月は私にとって希望の灯に心が癒されるとても有意義な月だった(^^)。彼女達のド根性に肖(あやか)って私もトシのせいにして叶わぬ願いと諦めて居た漢検一級受験に向けて厚かましくも再び充電に邁進しようかなと思ったものだ。
片岡知恵蔵と謂えば我々の世代では知らない者はないほどのスーパースターであり、赤穂浪士仇討ち劇浅野内匠頭の役など見事な当たり役だった。吉良上野介を新劇の薄田研二が演じたこともその憎々しげな風貌から相乗効果だったな。戦後時代劇が進駐軍から剣劇映画の制作を制限され已むなく知恵蔵は「多羅尾伴内シリーズ、七つの顔の男」など現代劇に活路を求め、ギャングアクションものは圧巻で多くのファンを獲得し、三船敏郎、鶴田浩二、石原裕次郎、小林旭等のアクションスターの始祖となった。30年前80歳で帰天されたが、今年知恵蔵が50歳の時に誕生した長男であって35年間日航のパイロットを務められた植木基晴氏が日航の社長に就任され、先週日経夕刊コラム「人間発見」に登場されたのでアッと愕いた。
有名人の二代目は先ず親を超えられないとしたものだが、「腐っても鯛」である日航の社長の座を技術畑のパイロットから転身できたことは凄いなと思った。日航立て直しの祖である京セラの稲森会長が指名しての社長だから、親の七光りの筈がない。
植木社長が言われるには「若い頃は親父のせいで絶えず好奇の目に晒され、学校でも会社でも窮屈でならなかったが、社長になってからはやっと得をするようになった」とか…、それは社長になられてから接する取引先の相手が立場上70歳台の方が多くなったため、昔を懐かしがって頂いて親父さんの話で30分は保ち、商談も円滑に進むそうだ(^^)。この辺りも稲盛会長の計算に入って居たかも知れないな。
カエルの子はカエルで役者の子供は役者になる者が多くそれも親を超えられない役者が殆どだ。その中で慶応大学を中退してまで航空大学に進みパイロットの道を選ばれたのは本人の努力もさること乍ら、知恵蔵は晩年お妾さんと一緒に生活していたそうだから、きっとお母さんの力によるものだと思う。お妾さんに夫を取られたお母さんはきっと子供の教育に生涯の全てを託され賭けられたのではなかろうか。昔の母は誰も偉かったなあ、それに比べ今の母親は不甲斐ないぞ!子供に迎合することばかりに感(かま)け挙げ句子供にどつかれてるんやから態(ざま)ないよな:-)。
先週の常用漢字表外読みの答え
 破れた個所を布で(接ぐ) (はぐ)でした。
今は余り使わなくなりなったが、「はぐ」とは布、板、紙など平らなものを継ぎ合わせ更に平らにする場合に使う。
今週の常用漢字表外読みの問題
小袖の(領)をつくろう。
先週漢検準一級に出題された問題の一部です。
当然乍ら私にはできない仮名付けであったが、「つくろう」が「繕う」と書かれてない処に何故か意地悪さを感じた(;;)。