灼熱の8月を迎えて炎天下の庭ではキリギリスが露草に乗っかって我が世の春?を謳歌し恋人を求めて鳴き交わしている。彼女はきっと直ぐ傍までそっと近寄って鳴き声の良いフィアンセを選んでいるのだろうな^^。タイミング良く先月半ばに孵化を始めた小さい三角バッタの子供が少し宛大きくなり、すばしこく雑草から雑草へ飛び交いキリギリスの絶好の給餌となって居る。キリギリスは雑食性だからタマネギやキュウリばかり食べている訳ではなく、庭の雑草を食い散らす此のバッタこそキリギリスの蛋白源であり大好物なのだ(^^)。バッタと謂えば最近精霊バッタも殿様バッタも見掛けなくなって久しいがどうしたんだろう、昔戦争で疎開していた頃、田圃に網と袋持参で取りに行かされ、おかずとして食べさせられた蝗(イナゴ)も何時やら居なくなったなあ(;;)、あの蝗の足は不味かった!

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大津市の中学生自殺事件は当初新聞の小さい記事からのスタートだったが、何故か何時の間にか炎が大きく燃え広がり、ネットの力も借りて勢いが盛る一方で一向に治まる気配がない。マスメデイアも加害者の母親が此の学校のPTAの会長であることまで探り出し事件の真相に迫っている。今現在一番窮地に立たされているのが虐め児童とその親達それに中学校の教諭と教育委員会だが、市長とて同様であり、この市長はハーバード出身の国際弁護士として華々しく当選したが、今回の「中2虐め自殺」の事件に関しては、初動から現在まで弁護士とも思えぬはっきりせぬ対応が事件を迷走させて居る。原因は表に出ずに事件を陰で仕切ろうとする地方都市によくある土着勢力の抵抗に戸惑ってお嬢さん育ちの経験不足を読まれてタジタジさせられて居るのだろう。教育委員会の連中の生殺与奪を市長権限にない処も想定外だったろうし、県警が警察庁の要請で一転して40人体制の調査網に変貌するなど、態度を豹変させたことも市長には計算外だったろうな。
今回の「虐め事件」で、アンケートの結果が隠蔽されたり、被害届が無視される背景には地方都市独特の教育委員会、教員、PTA、警察組織などの「自己防衛」という力学が働いていたのに違いないが、市長にはそのような「ローカル権力の腐敗」と戦う意思を持たず、川の流れの儘に流されようとしたのではないか、市長選で今の市長を当選させた票には、恐らくはこうした「土着の権力構造との対決期待」と謂うものがあったに違いないから此の市長の態度は市民の期待を無残にも裏切るものだったな。
市長は直接の公選で選ばれた首長として正しいメッセージ性のある行政を進めることを期待されている立場と、終身雇用制の官僚組織の支援を受けないことには日々の行政が進められないという絶対矛盾を今後どう解決するのだろうか。頑迷な教育長を選んだのが市長自身だったのも誤算だった。市長は此処で被害者の立場に立って虐め少年とバカ教師にバカ教育委員達としっかり対峙しないと市民からの特別の期待感を以て市長に選ばれた信頼を一挙に失い、2期目は嘉田県知事からも見放されることになるは自明だろう(;;)。
現在担任教師の男性は隠れており表に出なくなっている。最大の問題はこの担任教師の教育的無関心が事件の背景にあることを知りながら、彼の存在をひた隠しにしようとする学校と教育委員会の姿勢にあり、学校側には「本人が批判の矢面に立てば、何を喋り出すか分からず同類項の他の教諭に火の粉が飛んで来る」とシラこいことを言っているが、そうした学校の隠蔽体質を何故教育委員会が許しているのか。その理由は沢村憲次教育長が2代前の同校の校長だったから彼には同校の教諭は子分のようなものであり、先生の味方はしても児童の味方をする道理がないのだろう:-)。
処で、私は「苛め」は常用漢字ではないので常用漢字である「虐め」を使って書いているが新聞など全てひらがなを用いている。何故?と辞書を引いてみると「虐」の字は「虐(しいた)げる」が常用漢字の訓読みであって「虐(いじ)め」は表外読みだったのだ(;;)。表外読みしか使えないのではこんな字が常用漢字として威張っているのが烏滸(おこ)がましいよな:-)。
詰まらぬ話の口直しに明るくて楽しく心暖まる話題を宮崎からお伝えしよう^^。
『小学校1年生のこはるちゃんは学校から家に走って帰るなり「今日の宿題は抱っこよ」と叫んだ。担任の先生が「おうちの人から抱っこして貰ってきて」と云う宿題を出して貰ったのだ、こはるちゃんはお父さん、お母さん、お祖父ちゃん、お祖母ちゃんそして二人のお姉ちゃんの6人に抱っこして貰って翌日クラスで「抱っこのチャンピオン」になったそうだ(^^)。次の日お父さんが「お友達はみんな宿題やってきとったね」と聞いたら、こはるちゃんは「何人かしてきとらんやった」との答え、「だけん、その子らは先生に抱っこして貰ってた」』以上は先日日本経済新聞に掲載されたものであり、宮崎県発全国版で発行されて居る「みやざき中央新聞」の社説の一部だとか…^^、此の新聞の社説はミニコミ誌で読んだ話を記事にされて居るそうだ。最後には「抱っこの宿題は子供にではなく親に課せられた宿題だったのだ」と結んである。日経も格下同業者の社説を載せるなど懐の広い処を見せたが、日経社長の醜聞も此で少しは恢復したかも知れないな。それにしても社説なんてものは堅苦しい文章だと思い勝ちだが変わった社説もあるもんだなと唯々感心した(^^)。
今時珍しいが三世代世帯っていいな(^^)、そして「抱っこ」っていいなと思った。私など戦時中軍国主義の体制下に育てられたからそんな女々しいことはとても赦されなかったのだろう、物心が付いてから頬桁を叩かれることは数知れずあったが、母に抱きしめられた記憶など全くない(;;)。現在高三の孫が昔5年生位の頃だったか、何かの弾みで家の前の道の真ん中冗談交じり母親に「むぎゅう」と抱きすくめられて、嬉し恥ずかしの恍惚状態になって居たことをよく憶えて居る、とても羨ましかった。私自身の子供時代には考えられず、あり得ない情景だったからだ。スキンシップとは昔から謂われる言葉だが、子供にしてみれば「抱っこ」は親の愛情の最大限の表現として受け止めるから、世の親達は十日に一回と謂わず三日に一回でも「むぎゅう」をしてやると何も会話がなくても親子関係は常に円満快適ではなかろうか。最近は何故か親子間の距離が開きスキンシップが減ったように思えてならない。昔は一寸したことでも直ぐに「お利口、お利口」と親に頭を撫で撫でして貰って居たが、最近はそんな光景もとんと見掛けなくなったな(;;)。そう言えばお父さんに肩車して貰っている子供も長く見ていないぞ:-)。
でもこの社説に出てくる小学校1年生の担任の先生は偉かった、家で抱っこして貰えなかった子供達を代わりに抱っこしてあげる処が最高だったな(^^)。
大津市のいじめ中学校の先生も、親の代わりに子供を抱っこして呉れる宮崎の先生の爪の垢でも煎じて飲めば?
母校である星陵高校の同窓会「星六会」から『8月11日の「暑さをぶっ飛ばす昼食会」は暑いので中止にしました』とのメール連絡が入った。何となく可笑しいよな^^。何故か笑ってしまうよな^^。
先週の常用漢字表外読みの答え
此の味は(堪え)られない。(こたえ)でした
今週の常用漢字表外読みの問題
殊更に(論う)な