大根の発芽
先月播いた大根がスクスクと生長している、そろそろ混み合ってくるので間引いて食材にしようと思って居る、大根の葉っぱはビタミンCなどが豊富で根なんかより圧倒的に栄養豊富だ、でもスーパーで買った大根の葉っぱの方は農薬たっぷりだし食べない方がいいよね。

「昔は運送手段として馬車が多く用いられていたので街は道の真ん中に馬糞がボタボタで大変だった。馬は場所を選ばないから、むき出しの馬糞だよ、物凄い迫力だった、今だったら飼い主の責任問題だよ」なんて小説の一節に書かれて居るのを読んでとても腹立たしかった。此を書いた人は昭和の半ば生まれの人だと思ったが、きっと都会の人で馬糞の行方など考えたこともないのだろう。私は一瞬「勿体ないな」との思いが脳裏を過(よ)ぎった。
5年生の頃姫路郊外の借家に住まって終戦直後の食糧難で50坪の畑の管理を父から私が任されて居た。隣接した草原を毎日少し宛畑に開墾し畝作りまで半年掛かって遣り終えたのだ、ホームセンターなどない時代だし、あっても肥料など買えるお金がある訳もなく一家4人分自宅の糞尿と飼っている4羽の鶏の敷床草と鶏糞だけでは到底畑の肥料には足りず、父の助言で放課後バケツを荷台に括り付け自転車の三角乗りで46部隊練兵場横の大通りまで行き、通り過ぎる馬車を根気よく追跡し脱糞チャンスを待った。踏まれてぺちゃんこになって居るけど通り去った馬車の落とし物にも遭遇するから1里(4キロ)位走っていると大体バケツは一杯になるが、私と同じ目的の奴も少なくなく必死だったね。馬糞はべちゃべちゃの牛糞と違ってホカホカした草団子のようで手摑みしても余り手が汚れず、草食動物のため少しも臭くなく軽いので殆ど苦にならなかった。
馬と言えば牛だ、父の実家はお百姓で納屋や牛小屋の壁が牛糞と土と混ぜられてできて居た。牛糞は馬糞と違って人間の下痢便のようで触り難いものだったが乾燥するのが早く繊維質ばかりだから堅く締まるため接着剤の効果もあり分厚い納屋の壁土には適して居たらしい^^。そうそう実家の牛小屋には鶏の一家も同居していた、牛はとても温和しく鶏を踏んだりせず鶏も牛に纏わって挙げ句は尻尾で叩き落とされたアブなんかを頂戴し牛のベッドである藁の中に棲んで居る虫などを丹念に食べて牛の睡眠の手助けをし、とても仲が良かった。昔は人間も動物も助け合って生きて居たんだね^^。牛も馬も鶏も昔は人間の家族だったんだ。今の人達には全く考えられないことだろうな。
先日のみやざき中央新聞の巻頭記事は「あの頃の生き方を忘れないで…」だったがとても感動したよ、40年ほど前のことだったが、新潟県の僻村で小学校の入学生が3人しか居なかったので校長先生が子ども達に申し訳ないと駆けずり回り、入学生として子ウシを3頭集めてきたそうだ^^。子ども達への約束は体重が400kgになったら家畜市場に出荷することだった、その後の悲しいことも子ども達にしっかり伝えたそうだ。子ども達は毎日子ウシを散歩に連れ出し日曜日も寝床の掃除や餌やりに登校し、その代わり子ウシも運動会等の学校行事に必ず参加した、一人だけ居た女の子は牛の尻尾を持って散歩するのが習慣だった、牛は尻尾を触られるのを嫌うが、この少女だけには例外だったようだ^^。この少女は軈(やが)て一念発起し、僻村の子どもには可成り難しいことだったが必死で勉強して国立大学の獣医学科に進み獣医師になった^^。20年前の中越大地震の時は置き去りにされた牛たちを救出に行くボランティアとしてヘリの中だったそうで、彼女のことは「夢は牛のお医者さん」として今年映画化され全国放映されたんだ^^。同級生の牛を育て見届けただけでなく牛の成長を生涯の仕事と定めたこの女性高橋知美さんは偉かったな、だけど本当に偉かったのは子ウシを同級生にすることを思い付いた校長先生だったね、世の中の色んな不条理に人間が関わって居ることを教えて呉れるこんな柔軟な心を持った校長先生が今も居て呉れたら、子ども達は自らの意思で自由に進路を求めて羽撃(はばた)たけたて仕合わせなんだがなあ^^。昔は良かったね。

親子と謂うものは生まれてから死ぬまで慈しみあって生きて行くのが儒教の教えだが、何故か昨今親子の断絶が少なくない、先日の毎日新聞万能川柳に載せられた「本当の息子にだって振り込まぬ」と、もう一句「取りあった母、年老いて譲り合う」は核家族化した昨今の刺々(とげとげ)しい世相を詠んだ切ない投句であり、親子間に横たわった見えない硲(はざま)には深く考えさせられた。前者の振り込め詐欺に絡めた親子間の懸絶は面倒を見ようとせぬ子等への痛烈な皮肉だが、後者は我々年寄りにはとても悲しい句だ。幼い頃可愛がって貰った両親への郷愁も年月と共に冷めて今やお荷物だなんて生活環境次第で人間って勝手だね(>_<)、全ては経済的なゆとりができた反面、人々の心が貧しくなり育てて貰った親と寄り添って生きて行く忍耐が失われたせいだろうな。「勝手に生んだくせに」なんて良く聞くセリフだ、悲しいね。

昔小学校で死火山、休火山、活火山の別をしっかり習ったが確か富士山は休火山で御嶽山は死火山だった。その死火山である御嶽山が噴火して、日頃怠惰を貪り、勲章のことばかり気にしている学者達を狼狽えさせたのが35年前であり、よって今では過去1万年以内に噴火した山は全て活火山となるそうだ(;;)。紅葉の盛期に多くの登山者を地獄の業火に巻き込んだ今回の噴火は、不必要なダムなど国交省と土建業者が結託して自然破壊を進めて居るのを傍観し、滅び行く自然や里山を忘れようとして居る我々に対する自然界からの訴えではなかろうか。

合格率が5%を切る気象予報士試験に過去最年少15歳の少女が合格したと昨日の夕刊が報じた、男子は此までに12歳が最年少合格者だそうだが、予報士の試験には大学一般教養の科目がある筈だが合格者の平均年齢が36歳だそうだから12歳や15歳とは凄いね、15歳の少女はあの全国一の女子校桜蔭高校生だそうできっと東大医学部現役入学予定組なんだろうね。気象予報士は文字通り気象を予想する仕事だが、何故かどのチャンネルを見ても彼等は全く同じことしか言わないが只のアナウンサーなら資格は不要じゃないのかな?一人くらい「気象庁は晴れだと言って居ますが、私は雨だと思います」なんて独自の意見を吐露する反骨の予報士に巡り逢いたいけどダメかな。

先週の仮名付けの答え
畳の縁(へり) 縁(えにし)の糸

今週の仮名付けの問題
決して(疾しい)ことはない 彼は(疾っく)に逝った