「秋の日は釣瓶落とし」とは古来謂われている俗諺だが、11月になると毎日のように、ほんに夜の訪れが早くなるのに愕いてしまう。此から来月の冬至まで毎日少し宛日が短くなるのだと思うととても憂鬱だな。
「いとけなき日のマドンナの幸(さっ)ちゃんも孫三(み)たりとぞe(イー)メイル来る」
とても頬笑ましい短歌だな^^、この歌は新聞や雑誌などに掲載された読者投稿などかと思ったら、ナント!平成16年宮中での歌会始にて召人(めしゅうど)(毎年1名特に天皇から召された者)として招かれた歌人大岡信(まこと)が御題「幸」により陛下の前で詠まれた歌だったのだ(゚ロ゚)。
上記の詠進歌を詩歌の仲間である評論家の丸谷才一(先月逝去)が絶賛し、彼のエッセイ集「袖のボタン」の巻頭に掲載した^^。彼はこの歌について言葉の芸が鮮やかで水際だった機知の遊びとお色気が斬新だと書いて居る。詠進歌には我々俗世の衆生には縁のない花鳥風月を主題にした味気ないものが多いが、俵万智も斯くやと思われる此の歌が歌会始の召人の歌だなんて魂消るほかない^^。この年は「幸おほかれとわが祈るなり」で終わる陳腐な歌が皇太子殿下と何とか殿下と3名もあったが、ま、皇族の連想力はせいぜいこの程度であり、此が歌会始には相応しいものだろう。
嘗て明治政府は天皇に対し歌会始に恋歌を禁じて居たそうだが、陛下は昔禁句であっても既に100年近くが経っているからと逡巡せずに懐広く、この恋歌の採用を決断されたものだろう。きっとご自身現美智子妃である正田美智子に恋をされた若き頃の憧憬を彷彿されたせいではなかろうか。然し召人大岡信の歌だったから赦されたものの一般からの応募ならこの歌は選者の目に留まらず一刀両断完全にボツだったろうな。御題が人名の一部に使われて居るところが瓢逸であって、常套句で占められる歌達を将に薙で切った型破りなスタイルであり詠進歌とはよもや思えない^^。丸谷才一もこれを存分に評価したのではなかろうか、処で陛下はeメイル(Eメール)を使われるのかな?
歌会始と謂えば平成9年の召人に、高橋是清などが射殺された2.26事件の首魁である栗原安秀大尉の同級生であり恋人であった斎藤史が選ばれたことだ:-)。彼女の父親である陸軍少将斎藤瀏は栗原大尉と娘との関係により事件に利したと見なされて長く投獄されているから、その後現代短歌の第一人者となった斎藤史が平成9年に召し出されたことは2.26事件の因縁の深い斎藤家へ天皇家の和解の申し出ではないかと噂されたものだ。
因みに斎藤史は銃殺刑に処せられた栗原安秀について下記の歌を詠んでいる。
わが道やここに在りきとかへりみむ三十に足らぬ一生(よ)をあはれ
天皇陛下萬歳と言ひしかるのちおのが額を正に狙はしむ
ひきがねを引かるるまでの時の間は音ぞ絶えたるそのときの間や
女性なのに「史」とは珍しいなと思ったが、実は出生時に斎藤瀏が「史子」と届けたのに戸籍係が間違って「史」にしてしまったとか…:-)。歌人としては「史」の方が相応しい名だから戸籍係も粋な間違いだったな^^。
同じく丸谷才一の著作「輝く日の宮」を読んでいたら中に芭蕉の俳句について面白いことが書かれて居た^^。評論や随筆の得意な人は小説を苦手としたものだが、この人の作品は評論だけでなく小説も結構面白い。
俳句「閑けさや岩にしみいる蝉の声」は「奥の細道」に収録されている松尾芭蕉の発句だが、元禄2年5月27日に山形県立石寺で読まれたそうだ。処が何を思ったか歌人の斎藤茂吉がこの句の蝉はアブラゼミだと雑誌「改造」に書いたのが発端となり、蝉の種類についての文学論争が起こり、翌年岩波書店の岩波茂雄が斎藤茂吉を始め阿部能成、小宮豊隆といった著名な文人を集めて討議したそうだから愕く(゚ロ゚)。
関東大震災の後で皆頭が怪訝しくなって居たのではないかと思うが歌人や文人には暇な人も居るもので読者は誰も呆気にとられたのではあるまいか。
アブラゼミだと主張する茂吉に対し、小宮は「閑さ、岩にしみ入るという語はアブラゼミに合わないこと」、「元禄2年5月末は太陽暦に直すと7月上旬となり、アブラゼミはまだ鳴いていないこと」を理由にこの蝉はニイニイゼミであると主張し大きく対立し、この詳細はある雑誌に寄稿されたが、科学的問題も孕んでいたため決着はつかず、その後茂吉は実地調査などの結果をもとに翌年誤りを認め、芭蕉が詠んだ詩の蝉はニイニイゼミであったと結論付けたそうだ^^。丸谷才一は此の蝉はミンミンゼミだと書いている^^。可笑しいよな、芭蕉が蝉の種類に詳しかったかどうか分からず、詠んだのは想像上のことであったかも知れぬから蝉の種類が論争の焦点になるなど噴飯ものだと思う。私は何より江戸時代の気候と昭和の気候と等しかったとは思わない、江戸時代如何に冬が寒かったかは当時の書き物でよく分かるから、地熱も当然に江戸時代と昭和では異なっていただろう、昭和に検証した蝉が250年前にも同じ時期に鳴いていたと断定するのは早計に過ぎるのではないか。蝉の声によって句の雰囲気や味わいが変わってくるかも知れぬが、其れは句を鑑賞する人が自分の世界で自在に想像したら良いのではなかろうか。世の中誰もがトゲトゲして居る昨日今日芭蕉の句の蝉の種類などが論点となった古き時代が懐かしいよな^^。
芭蕉には「古池や蛙飛び込む水の音」の名句があるが、私は此の句は事実描写ではないと思っている。何故か誰も蛙は水に飛び込むとき音を立てないと謂う事実を誰も認識していない。蛙は石ころではない、漫画などでよく蛙が飛び込んだ絵を見掛けるが、飛び込み台の水泳選手ではあるまいし…、何故なら蛙はするりと水に入り決して音を立てて水に飛び込まないことを私は知って居る。蛙は音を立てると鳥に気付かれることを本能的に察知して居るからだろうな。然し此の句は事実に基づかないもので嘘だという説を聞いたことがないから、誰も声を上げない、論題にすべきは蝉の声ではなく、蛙の方ではなかったのかな。
阪神タイガース金本選手の引退に伴う永久欠番問題に終止符が打たれた。答は初めから分かっていた。彼は阪神の生え抜きではなく広島カープからの移籍だったからだ…、と謂うのは表向きの話であり、内実は彼が韓国人であり日本人でなかったからだろうな:-)。
先週の常用漢字の表外読みの答え
(寿)ければ(則ち)(辱)多し、 
(いのちなが)ければ(すなわ)ち(はじ)多し
今週の常用漢字の表外読みの問題
(郭詞)が板に付いてきた。
先週の漢検テストで出題されました。