「運動会少女の腿の百聖(きよ)し」
爽やかな風が吹いて愈々運動会のシーズンがやってきた。先日日経夕刊プロムナードにて歌人の小高賢さんが秋元不死男の俳句を紹介された。有名な句だと思うが私は俳句には全く不案内だ、そして此の俳句を読んでとても戸惑った。「百」は「白」の印刷誤りではないかと思い調べてみたら誤りではなくちゃんと「百」だった、自分流に種々考えて「百」は「ひゃく」で「沢山の少女の数」を比喩されたのではないかと思い、更に「百」にはその字に含まれた「足の白さ」も含まれているかなと考えたが愚昧の私にはまるで難解だった:-)。何方か正しい解釈をご存じの方は教えて下さい。

先月初め婚外子(結婚していない母親から生まれた子どもで父親から認知された者)差別は違憲だとの決定を最高裁が下したと報じられた。政府は急遽今秋の国会にて民法900条を改正する意向を固めたそうだが、私は民法改正には絶対反対だ。婚外子と謂っても様々であり、遊びの浮気で偶々できてしまった子どもを相手の女性から迫られて渋々認知してしまったケースや、妻が嫉妬に狂ったり他に男を作ったりしながら離婚に応じないため已むなく別居し他の女性と長く生活を共にして生まれた子どものケースでは全く事情が違うから、子どもに罪はないとは謂え一夫一婦制の許で前者に嫡出子と同じ権利を与えるのは疑問だと思う。何故なら婚外子は法的に父親の意思(遺言や生前贈与)によって全財産の半分を貰うことができるから、父親にその意思さえあればそれに従えば良く、現行法の「婚外子の相続分は嫡出子の2分の1」とする規定が決して違憲だとは思わない。全ては財産を有して居る父親が諸般の事情を判断して自身で決定することだと思う。今回の裁判の場合偶々後者のケースであって、同居の女性と子どもに財産を遺贈する手続きのため弁護士と会うその日に亡くなった不運な人であり、最高裁の決定は亡くなった父親の遺志をその儘引き継いだものとなったが、世間一般には斯くなるは稀とまで行かなくても数少ないケースであろうし、法制化まですべきものとは思わない。此の「一斑を見て全豹を卜(ぼく)す」如き民法改正について政府は思い留まり、裁判の都度個別事情を見極めて判断すべきが正鵠と言うべきではないのか、中には非嫡出子が嫡出子の半分貰うのだって多すぎるケースがあると思う。それにしても昨今未婚の母なんて連中が跋扈する時代となり、妻の座が段々影薄くなってきたのは時代の流れとは謂え情けないな:-)。
話はちょっと飛んで行く、数年前お得意先の年末調整でパート従業員に扶養の子が居て配偶者が居ないため「寡婦控除」を適用したら「私は未婚です」と怒られた:-)、税金を廉くしてあげて怒られたのでは世話ないよな^^。だけどシングルマザーの凛とした矜持は立派だった。此は「寡婦」と謂う言葉が今の時代にそぐわず瞎(めくら)や唖(おし)のような差別語であって暗いイメージが強く、シングルマザーを想定しない大昔の産物であり、時代錯誤の言葉を何時までも使っている政府が悪いと思う、現に自分の腹を痛めた子どもを扶養していれば自分の過去に戸籍上の亭主が居ようが居まいが、差別なく一定の控除は与えるべきだろう、それをシングルマザーだけマリア様に仕立てて控除対象から完全排除し、更に亭主との離別を死別と離婚で控除額に差まで付ける国税庁はメチャクチャせこいぜ。

漢検のテストまで後2週間だ、そろそろラストスパートと言いたいが、前回の問題の答を見てすっかり忘れて居る始末に歳は取りたくなく暗澹とした心境だ。今朝の毎日新聞万能川柳の欄に「今生の別れが“あんた足掻いて”」とある、昨日「(あがき)がとれない」の書き取り練習問題を解いたばかりだ。字足らずの変な川柳やなと思ったが、よく読んで見たら「あしかいて」やった^^、そうや、この場合は「あがいて」では×になる。日本語は難しいな:-)。

副頭取止まりと謂われた暴力団融資事件を受けてみずほ銀行の佐藤頭取が問題発覚後先週初めて記者会見を開き、「知りうる立場にあったが、問題の本質を認識するには至らなかった」と難解な釈明をしたが、原稿はきっと広報の担当者が作文したものだろう、上手く躱したつもりだろうが全く釈明になって居ない。「立場上知ってはいけないことなのでムリに耳を塞いで聞かないで居た」と言って謝罪すべきだったろうな。歴代の頭取が全員知って居る事実であり、全てはヤクザが怖くて公人としての立場を失念したものだが、頭取ともなれば自らの命と差し違えても銀行を護るべきではなかったか、 20年前融資を断りヤクザに射殺された住友銀行名古屋支店長の胸の内が分かるのか!

先週の誤字訂正の答え
親味になって忠告する相棒 (親身)でした

今週の誤字訂正の問題
容疑者には黙否権が認められる

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