GWが終わって雨の週末を数回終えたらもう五月の末となり、各地では30度の猛暑が訪れていますがこれも全てCO2の仕業であり誰恨むことなく私たち地球人が連帯して犯した罪の報いでありました(;;)。

 

庭では毎年6月に開花するアマリリスの球根を昨秋南の奥所から正面東側に植え替えたら日照のせいか先週開花しました^^幻想的なこの花の妖しい色は何色と言ったらよいのか分からず、基本は緑だと思いますが、限りなく黄色い緑はある種のエロチシズムを憶えます。
然し此の色だけはアマリリス独特であるように思えアマリリス色とでも言うべきでしょうか?道行く人たちの視線が甚く注がれて、中にはスマホで写真を撮る方も居られますから可成り露出度が高いようですが、昨年まで私にしか見られなかったこの花も今年は衆人の視線を浴びて可成り戸惑っているようです^^。

 

ここからは先週の続きです、…サイドカーの製作と本車への装着について待ちに待った約束の1か月が経過したある日曜日、東大阪の工場に電話で完成を確認の上側車を受け取りに電車に乗りました。最寄りの駅まで迎えに来て頂き、注文色の黒に統一されたピカピカのサイドカーを見た途端、私の胸は永年の夢が達成されたことで十分に満たされたのでしたが、そんな感慨に浸る時間もなく、このサイドカーに乗って帰宅せねばならぬので30分ほど近くの道路を走って走行練習をしました。直線は側車があるので転倒する心配がない代わりにカーブの取り回しに関し二輪車なら何気にできるカーブでのハンドル操作が側車側へのカーブに限って速度を極度に落としエンジンブレーキとフットブレーキを併用しないと、直進しようとする側車がエンジンブレーキの影響を受けないのでバイク本体の方に浮き上がってきて進路を失い前方障害物に激突する事故の可能性があることに気付いたのでした(;;)。
あれやこれや考えるとキリがなく「男は度胸」と心に決めて阪神高速で帰神したのでしたが、それから毎朝早朝車の少ない5時前から30分程度サイドカーを操って右折や左折にスピードを変えて練習を行い漸く操れるようになるにはひと月が必要でした^^。サイドカー走行で意外に思ったことは側車部分の重量が遥かに軽いため側車側に左折しようとすると直進するつもりの側車が嫌がって上に述べたように直進しようとする結果、側車の浮き上がりを招き転倒するかセンターラインを割るのでは?…と、冷や汗三斗の思いをしましたが、10㎏の砂袋を側車の前部に積むことでこの問題を解決しました。時折信号でお巡りさんに止められて違法車を指摘されましたが、暴走族でもない中年のおじさんなので何時も神妙に項垂れて切符は逃れて居ました。
ハーレーなら止められることもなかったのに…と側車付きハーレーを手に入れたい欲望への思いが一段と胸をときめかし、三ケ月を経て運転にもどうにか慣れてきたので遂に待ちに待ったこのフェースブック巻頭に掲げた側車付きのハーレーを購入しましたが1ドルが360円の時代だし、当時のクラウンと変わらぬ金額には魂消ました(;;)、実物は510kgとメチャ重たく走行時にドスンドスンとお腹に響くV型ツイン1460CCのサウンドは辺りを睥睨し圧巻でした。噂には聞いていましたが、アメリカ製のこのバイクは1万キロ走行までにクラッチワイヤーの切断に始まってあらゆる箇所が壊れそれらを修理したやっと完成車になると聞いて居ましたが一般的アメ車の特性だと言われて諦める他ありませんでした(;;)。戦後10年を経てアメリカに上陸したホンダのシビックに壊れない車があることを知ったアメリカ人が狂喜して飛びつき日本車ブームに火が付きましたが、シビックの登場はそれまで二輪も四輪も車と言うものは始終壊れるものだとの諦観を抱いて居たアメリカ人の世界観を大きく変えるものだったのです^^。
此のサイドカーは7年後私が20歳のとき患った腰痛の手術をするため手放すことになりましたがハーレーは私の永遠の恋人でありました^^。

 

G7にて渡日したバイデン大統領は加齢のせいか、岸田総理を「岸田大統領」と二回呼びました(;;)。総理と大統領とどっちが偉いのかな?

 

卓球世界選手権準決勝にて世界ナンバーワンである中国の孫選手に敗れるまで無名の女子早田ひな選手20歳が勝ち上がって54年振りに三位に入賞し日本勢のトップに君臨しパリ五輪代表を掴み取りました^^。この選手色白で可憐な美形選手で華麗で鋭いスマッシュのスタミナは何処から出てくるのでしょうか?女性とはまるで思えない色黒ズングリムックリの中国選手との対比は会場の応援を独り占めし、嘗ての福原あい選手の再来を思わせました(^^)。

先週の読めそうで読めない字    白地(あからさま)に言う

今週の読めそうで読めない字    (梅桃)