今年は梅雨とは名ばかり殆ど雨が降らず、梅雨明け即酷暑の到来となりました。何時もなら週に2回程度夕立が来るものですが、今年はカンカン照りが続く中を突如埋め合わせのように先週月曜日各地で水害続出の被害が相次ぎ、神戸市でも灘の河川で小学生3人を含む5名が鉄砲水に襲われて亡くなられました。水の怖さを学校で良く教えて居なかったことや、水に対する地域の警戒態勢にも不充分な箇所があったのではないかと疑問が残る処です。
灘は雨の多い六甲山系の真南に位置していますから山に降った雨水の逃げ場所と考えられていますが、実はそうではなく六甲山への雨水はその殆どが山土を通して樹木に吸い取られ、永い期間少し宛周囲の河川を潤します。今回の事件の元兇は灘の地形の勾配そのものが大変きつい上に可成り山の方まで宅地造成されて住宅街が蔓延り、舗装道路が多くなって居ることにあると思いました。急勾配の舗装道路や側溝の雨水は、行き場所を失って小さな川に押し寄せるは自然の理(ことわり)であり、住宅地の浸水しか考慮せず、今回のようなケースについての対処法を全く怠っていた市も愚かでありました。此までも大雨の出水で同様な事態が幾度となく繰り返されたに違いありませんが、今回に限って偶々水遊びの季節であり児童の遊ぶ時間帯であったことが、悲劇を生んだものと思います。市は森林を伐採して大規模な宅地造成をする際には必ず調整池(水の逃げ場所)を作るように指導しながら、宅造が完成し雨水の排水路が完成すると調整池自身もその役割を終えて宅地化されて建築用地と化しますが、調整池の役割は実は永遠に終ることのないものであることを我々は今回の事件で学習したのでありました。(;;)
亡父の三回忌とお盆を控えて今月は決算も少なく、久し振りに幼い頃を振り返る余裕が持てそうですが、漢字の勉強も忘れずに消夏法の一つとしたいと思って居ります。
『石川や浜の真砂は尽きるとも世に盗人の種は尽きまじ』ご存じ石川五右衛門の辞世句です。此方は“世にブログの種は尽きまじ”であり毎週不届きにも”殺す相手は誰でも良かった“など小生の血圧を上昇させる巫山戯た事件が数多登場する毎週ではありますが、一週位ネタ切れの週があって欲しいと願ってもそれも叶わず、今週はお盆前でもあるし新聞などのニュースに目を瞑り皆様を遠い昔に誘(いざな)って見たいと思いました。
間もなく終戦記念日を迎えますが、この日が近づくと何時も思い出されるのが幼かった頃(3歳位から?)の儚く懐かしい想い出です。支那事変で傷痍軍人になって帰国した父が、今風に言えば唯一のスキンシップだったのでしょう仕事柄毎夜帰宅が遅くて私が就寝後であったために“御休み”の子守歌の埋め合わせであったと思いますが、朝早く5時か6時頃寝ている私に添い寝して必ず歌ってくれた歌です。聞かされる子守歌?は決まって”♪此処はお国を何百里…♪赤い夕日に照らされて…♪“と軍歌“戦友”でありました。(;;)幼心に分からぬ儘何時とはなく憶えてしまいましたが、軍歌でありながらとてももの悲しい歌であり、戦時中姫路に疎開をした折も姫路城の北側にあった姫路師団四六部隊の兵隊さん達が行進時によく歌っているのを聞いて幼い頃の懐かしい想い出に浸ったことを想い出します。
【戦友】
皆様は此の歌をどんな風にお聴きになられましたか? 聴かれた方の世代に依ってまるで印象が異なったと思いますが、若い方もご年配の方も此の歌が軍歌でありながらまるで軍歌ではないのに気付かれたことでしょう。此の歌は軍歌の最高傑作と謂われていますが、実は反戦歌だったと思います。明治38年日露戦争で乃木希典が旅順203高地陥落に至るまでに数万人の兵士を無駄死にさせたと言われた奉天大会戦の悲惨な体験を後で作詞者真下飛泉の妻の姉婿となった木村直吉からその地獄絵巻を真下飛泉が具(つぶさ)に聴かれて書き下ろされたものであり、その臨場感溢れた生々しさは本人の体験かと思える程であって、スローテンポで哀愁に充ちたメロディーは亡き戦友への鎮魂の詩であり、作者が推敲に推敲を重ねたであろう重厚な歌詞は14連からなるしみじみとした悲しい物語で、“もう戦争は厭だ!”と聴く者の心に訴えかけ迫っています。そして会うことも叶わぬ両親と子の絆を切々と感じさせるこの詩は、親が子を殺し子が親を殺す現代の親子関係を、親子は本来斯くあるべきことを教えて呉れていると感じました。
此の詩(うた)は当時としては珍しい言文一致体で書かれたために一般大衆に受けたと謂われています。此の歌の丁度1年前に与謝野晶子の”君死にたまふことなかれ“が発表され大ヒットしたこともあり、斯うした歌は文語体でなければその歌の荘重さや重厚さが保てないとした既成観念があったのでしょうが、言文一致体で書かれた此の詩は荘厳さを少しも損なうことなく、子供もお年寄りもその感慨に浸れたことが人々の共感に繋がったものと思われます。皆様も14連6分11秒悲しい物語の読後感は如何だったでしたか?
戦時中軍部は厭戦の情が漂っているために此の歌が歌われるのをとても嫌って居たと謂われて居り、兵士が此の歌を歌うことを禁止していたのですが、明治時代から皆に歌い継がれた此の歌は、国民の心の叫びであって軍部の力でもってしてもどうにも止められなかったのでしょう。赤い夕日なんて誰が眺めても悲しいものです。不朽の名曲W Cハンディー作詞作曲のセントルイス ブルースでも”♪I hate see the evening sun go down♪”(私は悲しくなるから夕日を見たくない)と歌っていますから人生の黄昏を思わせる赤い夕日が悲しいのは万国共通のようでしたね。(;;)
それにつけてもこの詩を聴くと今の世代の人間関係の稀薄さをつくづく思い知らされます。友人など煩わしいからと唯部屋に籠もり、親が死んだとて無関心、友達と謂えば何処の誰とも分からぬメル友だけ、魂の慟哭など一生味わうことなく生涯を終えることは果たして幸せと言えるのでしょうか。人間として成長を遂げるには学問や教養に秀でることではなくて、魂の雄叫びを心の糧として自らを叱咤激励し自らの周囲の人間関係を密にすることから始まるのではないかと考えますが、此はこの歳になるまで持って生れた狷介固陋の性格により此の世に生を受けてから落日の今日まで真の友と謂うものを一人も持つことのできなかった自戒の念から生じた小生の何時もの繰り言でありました。どうかお赦し下さい<(_ _)>
一昨年鬼籍に入られた指揮者の岩城宏之氏が生前友人の作曲家林光氏に、一度で良いから軍歌“戦友”を男性合唱曲に編曲して欲しいと何十年も昔からずっと依頼されていたとか…氏が亡くなる直前最期のステージでタクトを振られたのがこの“戦友”だったそうです。(^^)亡くなられたのは永年の念願が叶えられて氏も思い残すことがなくなったからでしょうか。(;;)時代の流れと共に、次第に忘れ去られて行く歌の多い中で亡き友への鎮魂歌“戦友”は、反戦歌としての心情を何時までも次代に語り繋いで行かねばならぬと思いました。明治41年生まれの父も2年前に此の世を去り、今は昔70年前幼き頃の私の郷愁を語らせて頂きました。<(_ _)>
領有権を主張しながら教科書の記述でも日本の領土と書けずに子供達を騙し、韓国の顔色ばかり見ている日本政府には唯唯呆れる “竹島”の話題ですが、今回何の関係もないアメリカの国家安全保障会議までが韓国政府の阿りを受けて乗りだし“竹島”を韓国のものと決定したとか…(;;)米の地名委員会のHPの表記を韓国に変更されたと先日新聞で報道されたことは皆様ご存じの通りです。韓国は”流石ブッシュ大統領は偉い“などと喜んでいますが、どんな密約があったのか、どうしてこんな処にまでアメリカがクビを突っ込んできたのか良く分かりません。日本としてはアメリカに対して内政干渉は止めろ!と声を大にして謂うべきでありましたが、何処でどうなったのか、町村官房長官は『米政府の一機関がすることに過度に反応すべきではない』と述べて竹島問題から大きく視線を逸らす姿勢を示しましたから此の弱腰は一体何としたことでしょうか。そんなことだから何時も韓国ばかりか中国にも北朝鮮にもバカにされて居るのが分からないのか。日米協力の言葉は嘘だったのか!最近では対馬にまで乗り込んで来て此処は韓国領土だと言われても何も反論もできない我が国政府のアホさ加減には将に隔靴掻痒の思いですが、官僚の事なかれ主義も此処まで来れば韓国を図に乗らせるばかりであり、日本は過去の経緯について充分な資料を用意した上で世界国際司法裁判所に敢然と訴えて領有権を争うべきです。何もしないで負けるのでは負け犬であり、どう考えても我が国官僚の悪しき弊風である”物事先送り“を無能な閣僚達が鵜呑みにさせられているとしか思えません。
福田総理が一昨日解散を視野に入れた内閣改造を発表しましたが、新閣僚達は斬新さの感じられない人ばかりあり、期待などしていない国民を余計失望させるものでありました。(;;)
新閣僚の誰かが“儂は独りでも竹島を日本領土として護ってみせる”とか1リットル200円に迫っているガソリン代に対し“ガソリン税は儂が命を賭けて下げて見せる”とでも言える豪傑は居なかったのでしょうか? 例え実現できなくても渾身の努力さえ尽くしてくれれば国民は納得するでしょうにね…(^^)
え?そんなこと言うたら閣僚処か自民党にも居れなくなりますよ…ですって? 己が懐を潤すことだけに懸命で国民の困窮に手を差し伸べることさえできない政府なんてまるで後進国並みであり困ったものですね。そうです、日本はアメリカの属国であり立派な倫理的人道的後進国に落ちぶれて居ます。(;;)
今週は女子プロゴルフ唯一1週のみの夏休みですが、目下調子の悪い橫峯さくら選手は可哀想に今週全英オープンにまで駆り出されています。疲れが溜まらぬ内予選落ちして帰国されることを願っていましたが、どうやら小生の願望も届かなかったようで漸く予選を通過し、不動や宮里選手のお引き立て役に甘んじることになったようです。(;;)
不動選手は田舎の小母さんタイプで個人的には好きではありませんが日本人には違いありません。どうか4日目も首位を維持して31年振りに日本人として世界一になって欲しいと願っていますが、ハングリー精神の乏しい日本人は斯うした時には勝てないとしたものですから先ずダメでしょうね(;;)