新緑の5月酣(たけなわ)を迎えています。GWも無事終わり交通機関の熾烈な争いは1000円高速道路の勝利(数だけ…)に終わりましたが、高速道路の収入減は道路の補修費と併せて何れ我々の血税を貪ることとなることと思われます。漁父の利を得たのは高速道路のサービスエリアだけでありました(;;)無策な政府も国民の人気取りにこんな詰まらぬことばかり考えているようでは先が案じられますね(;;)
世はメキシコ発A型インフルエンザなどと厚労相を筆頭に騒いでいますが、インフルエンザは毎年流行し、我が国でも毎年100人乃至300人が命を奪われていますが、今回の奴は病原菌も弱くそんなに騒ぎ立てることもないと思われ、我が国政府の対応は余りにも異常です。病気が流行すれば死者も出ますが此は自然の摂理であって、今度のインフルエンザ事件は経済界にまで飛び火して世情不安を惹き起こして株安(製薬会社も下がった!)まで招きましたから、持ち株の評価額で自己資本を維持している銀行が潰れたら政府はどう責任を取るつもりなのか!又阿呆な医者達が我が身可愛さで診療を拒否された患者112名には呆れ果てますね。こんな不埒な医者は医師法違反で検挙して3年間無医村で無報酬で働かせて下さい。
先日の夜日経ビジネスを読んでいて目に止まったのですが巻頭の“有訓無訓”に於いて銀行マンからホテルマンに転じた異色の経営者であるロイヤルホテルの佃孝之会長が、好きな言葉として“You may leave your footprint, you may take your memory”を上げて居られたのを読みウイットに欠けた日本人の一人として目から鱗の思いに駆られ感心すると同時に己の貧弱な日本語の表現力をとても恥ずかしく思ったものでした。(;;)このフレーズを直訳すれば『残して良いのは足跡だけ、持ち帰って良いのは思い出のみ…』と言うことですが、アメリカの国立公園を訪れる方は公園でのこの注意書きを誰も見掛けられるそうです。此は単に“ゴミを捨てるな!”“公園の花や器物を持ち帰るな!”ということの諧謔的な表現なのですが、この珠玉のような言葉には含蓄があって此処まで婉曲にやんわりと書かれると思わず微笑んでしまいます。(^^)然し公園を訪れる日本人の内何%の方がこの言葉の意味を解されたでしょうか。そしてこの機知溢れたユーモアやジョークはアメリカ人やユーロの方々には日常茶飯事なのでしょうが、語彙と表現力に乏しい我々日本人には先ず考えも付かない発想なのに甚く感動させられますね。中国には古来此に似た先人の格言が多く存在しますが、我々も是非見習わねばなりません。佃孝之会長もその辺りから日本人と諸外国の人々との言葉に対する感性の落差の大きさに危惧を抱かれたものであったでしょう。
何時だったか或る病院を知人のお見舞いに訪れた折、病院内のあちこちにポスターが張られ『あなたには周りの人の健康を害する権利はない』と喫煙の絵と共に描かれて居ましたが、日本人はこと言葉に関しては、喜怒哀楽の表情同様こんな直截(ちょくせつ)的な表現しかできず、これでは喫煙者の反感を買うばかりで逆効果です。もう少しユーモアを含めて、例えば喫煙の写真の傍に小さく『あなたが僅かの時間、近くに居られる方に心遣いをされることで多くの方を病いから救えるかも知れません』(拙(つたな)い自作で申し訳ありません<(_ _)>)などと柔らかく表現されればきっと喫煙者の方にも分かって頂けるのではないでしょうか(^^)
対外的には国際社会に於いても日本人は自らの真意を相手に充分伝える知恵や説得力に欠ける嫌いがあり、外交面でODAなど結構損をしているように思いました(;;)
言葉など使い方一つで何の労力も要さぬものです。言葉と謂えば古来“咎めずに褒めよ”の諺がありますが、皆様も出勤される時奥さんにさりげなく“今朝の君の目は綺麗だね”などと然りげなく言葉を掛けてから玄関を出られたら、パジャマ姿で欠伸をしながらご亭主を送り出した奥様も翌朝からは早く起きて薄化粧を施して柔(にこ)やかに門の外で手を振って頂けることを知るでしょう。(^^)家庭ゴミを出すのは奥様の仕事となり、夜には晩酌まで付いて居たりして…(^^)え?全く効果がなかった?そんな無神経な女は即刻離婚しなさい!家を抛り出されるのは男の方だったりして…(;;)
其の昔麻酔の元祖であった華岡青洲のお母さんだった方は夫が起床するまでに化粧を済ませ、夫が就寝するまで決して乱れた姿を見せなかったと謂われますが、日本人も昔は誰もこのような風潮が自然でありましたが、何時の間にか上記の様に逆転したのは、女性が向上したわけでも堕落した訳でもなく偏に男が不甲斐なくなったからでしょうね(;;)
先日M新聞“みんなの広場”で興味深い投書にお目に掛かりました。それは先月の選抜高校野球に21世紀枠で出場し活躍した宮城県の利府高校のユニフォームには“RIFU”とあったそうです。RIFUは現在ローマ字表記で主流として用いられているヘボン式によるものでありますが、投書の主は外人がRIFUを発音したら全く違った発音になるから現在のローマ字表記を改めるべきではないかと主張され、日本語には舌を巻いて発音するRの発音はないからラリルレロにはLを用いるべきであり、下唇に前歯を当てるFの発音もないからハヒフヘホのフにもHを使うべきだと主張して居られます。学生時代英語は訳すことと書くことしか学ばず、RとL、更にはFとHの発音の違いなどまるで無縁の世界で過ごして来た我々英語の発音オンチには全く異次元の話ではありましたが、言われて見ればさもありなん成る程と納得したのでありました。(^^)
国が変われば発音も変わります。言葉の発音から謂えば日本人より韓国人の方が遙かに英語に近い発音を有しているため英語に馴染み易いようです。李(り)さんが韓国では李(い)さんと発音され韓国人はラ行の発音ができないと謂われて“ラクビー”が“オクビー”などと発音されますが、恐らく韓国人はラ行の発音を全て舌を巻いて発音するため日本人には“リ”が“イ”と聞こえるだけで本人は“リ”や“ラ”と発音しているつもりではないかと思います。
投書された方は49歳の女性で恐らく外国で生まれられたか、或いは外国での生活が長かった方と想像致しますが、現在英会話を習っている方や英語を喋っている日本人の何%の方がRとL、更にはFとHを正しく発音して居られるのか疑わしくてなりません。(;;)
私にはこの方の言われるRとFを発音しようと懸命に試みましたが如何様に努力しても声がくぐもったり、唇を噛むばかりでまるで発音できませんでした。(;;)若し日本人が発音できたとしたら幼児の頃より外人と一緒に生活をして育った環境の下でしか考えられません。話す言葉は幼児の頃初めて聞く言葉の模倣によって、記憶脳に留められますからその機会を逸すれば努力によってある程度近い音は出せても永遠に正しく発音することは不可能でしょう。
ローマ字の表記を変更することによって日本人の発音が変わることは先ず考えられませんが、当初ローマ字のヘボン式表記法がアメリカ人のジェームスヘボン氏によって作られたのは明治の初期である1867年でありましたが、150年も前のことだし、ヘボンさんの英語が如何に訛(なま)っていたか良く分かりますね。(^^)
話は変わりますが昭和30年位私が大学生の頃神戸の町並みを歩いていると、タクシーの運転手から乗客のアメリカ水兵達を指して“兄ちゃん、こいつら何処へ行きたいのか聞いてくれんか?”とよく聞かれました。現在と違って当時の大学生は詰め襟に学生帽を被る倣わしであり誰にも識別ができたからですが、私にはこの見知らぬ乗客の話す英語?がまるで理解できなかったのです。”Speak more slowly”と言うと分かるらしく、少しはゆっくりと喋るのですが、どうしてもさっぱり理解できず到底英語とは思われず未開のアフリカ辺りの言葉かと紛うばかりでありました。(;;)運転手には結局私がニセ学生とでも思われてか侮蔑の眼差しを受け走り去られた屈辱を今もよく憶えていますが、当時は英語と謂ってもスラングが多くキングイングリッシュなど話す人は一部の将校に限られていたことを後で知りました。(;;)
又、学生時代に東北地方を一人旅していたとき、秋田県の田沢湖付近で列車の乗客が話している言葉が如何に耳を傾けても一言も分からなかったことがありましたから、狭い日本であってこうなら広いアメリカなら当然のことであったでしょうね。(;;)
ローマ字表記の投書を読んで、50年昔を回顧することになりましたが、昔は時がゆっくりと過ぎて行く長閑で良き時代でありました。(^^)
“巨星墜つ!”タイトル獲得数23個、藤沢秀行名誉棋聖が一昨日8日83歳で帰天されました。此の先生は聖人君子の揃ったプロ棋士の中で“呑む、打つ、買う”の三拍子揃ったハチャメチャに変わった方で競輪に一回数百万円を投じたり、懐に金がある内は家に帰らないなど凡そダメ男の標本のような私生活を送られ、NHKでも数回ドラマ化された程の奇人でありましたが、囲碁の才能だけは他の追随を許さない独特の異常感覚の持主であって、死の直前まで多くのプロ棋士に慕われて秀行塾の門戸を開いて指導を続けられて居られました。然し此まで権威主義の権化のような日本棋院の顔を逆撫でするような言動が少なくなく、日本棋院の遺恨は深く、恐らく棋院葬はして貰えないと思われます。(;;)秀行先生安らかにお睡み下さい。合掌
女子プロメジャー本年度第一戦ワールドサロンパス杯は茨城で行われましたが我等がさくら選手は初日1オーバーと出遅れたのが祟り9アンダー6位に終わりメジャー2勝目はお預けとなりました(;;)