庭では早くも二輪草が開花しました、10年前よりひと月早くなっています。春の甲子園も各地の桜の開花と共に酣(たけなわ)となりました、重度の花粉症にもめげずに何時もながら県外の生徒で堅めた強豪校が敗れる番狂わせには快哉を叫ぶ私です。高校野球の醍醐味は43年前爽やかイレブンとか言われて、たった11人で決勝まで翔け上がった徳島池田高校が皆から熱狂的な支持を受けましたね、ファン誰もが判官贔屓であり、弱いチームが勝つと湧き、甲子園のベンチ前の土を掬う敗者の姿は視聴者の涙を誘います。

春朧ろ桜の咲く頃まで生き存えたことは感無量の思いです。毎週土日は午後ネット対局を1-2局楽しむことにして居ましたが忙しいときは体力不足で負けっぱなし、2年間で99勝しているのに後一勝ができないでふた月経過しましたから牴牾(もど)かしい思いで一杯でした。そして先週日曜日なにげにネットで10段同士の対局を鑑賞して居たら大きな石の死活について双方が見落とししていることに私は気付きました。そのことで私は心の内に力が湧いてきて勇気を振るってふた月振りに対局したら相手は6段で2子の手合いでしたが1時間半集中力を切らさずに右脳の力を振り絞って快勝できました^^。20年前にネット棋戦に参加して4年前750勝して九段☆にまで昇進しましたがその後加齢のせいでしょうか勝てなくなり負けてばかり(;;)、詮方なく一度退会して五段で再度参加して漸く八段まで戻ってきましたが81歳の私はどうやら棋力体力限界のようです、囲碁対局はある意味で心身の格闘技です。2年間で100勝60敗ですし大半は5段や6段のときの勝利ですからどうやらこの辺が限界と思われ昇段も望めない状態であり、勝率50%を維持するには体調の良い土日の午後一局が精一杯のようです。終局後は100mダッシュのあとのように疲労困憊します、頭しか使っていない筈なのに躰が疲労するのは何故でしょうか。5年位前は仕事が終わって夜九時まで対局していた頃が懐かしく夢のよう…、覚束ない英語でのチャット(相手は結構、韓国、中国アメリカなど外人が多い)も懐かしい思い出です^^。囲碁の勝敗は或る意味私の知力体力の限界を教えて呉れて居る気がしますから、これからは降段しないように体調の良い折を見て一所懸命丁寧に対局しようと思って居ます。

太陽族の元祖石原慎太郎も東京都議会100条委員会のTV画面では老残を曝して見苦しいですね。墜ちた偶像とでも言うのでしょうか、こんな姿は誰も見たくありません。公金をいじましくも私用した罪で糾弾されたのは舛添前都知事でしたが、ここに来て慎太郎も同罪で文春などに吊し上げられ100条委員会での哀れな姿は見るに堪えません。この人は昭和の誇りと言える人でしたが、そうではなかったことが次々に暴露されて居るのは悲しいことです。ファーストクラスに乗って叩かれた舛添さんと乗っても当然と受け止められた石原慎太郎の違いは人間の格(グレード)だった筈ですが我々の眼(まなこ)が曇っていたんでしょう。

安倍昭恵さんはとても誠実な良い人だと思います。悪いことをしていないのだから堂々と証人喚問を受けて下さい。一人の日本国民の妻として思うところを吐露して下さい。総理の妻だから右がかって居て当然でしょう。悪いのはこの純真でおぼこい女性を籠絡した籠池理事長夫妻と彼等に便宜を図って立身出世を謀った財務局の奴等です。

全然

三省堂国語辞典 1 完全に すこしも 2 まるで すっかり 戦前から1、2共に使われていた 戦後は 1 が特に広まった。

新解さん あらゆる点から見てその否定的な状態が認められる意を表す。全然だめだ、など古くからあった否定的表現を伴わず「非常に」の用法も最近は多く成った。例「全然面白い」

明鏡国語辞典 全然 元は肯定的表現であったが、今では否定的表現を伴って全面的な否定を表す。ちっとも まるで まったく。俗語として 断然の意 「私より全然若く見える」 全く問題なくの意を「全然平気だよ」

新潮国語辞典 全然 全くそうである様 打ち消しを強調する語

言葉の意味って時代の推移と共に変わるもので、四つの中では明鏡さんが格段に優れているようです。編者北原保雄の力量でしょうね。この言葉は江戸時代の後期から使われたもので「全く然り」の意でしたから漱石も芥川も肯定の表現で用いています、それが何時しか否定を強調する意味で「全然違う」などと用いられてきましたが、時代の流れと共に何時しか肯定に用いられ更には「非常に」とか「とても」と積極的な意になっています。皆様は「全然好き」と言えますか?言えない人は年寄りです。

先週の読めそうで読めない漢字  応(まさ)に彼を罰すべきだ、

今週の読めそうで読めない漢字  彼は(優)だ、(役者のことです)