今年も入院前に播種した畑の大根が少し宛大きくなって来ました。毎年秋には紋白蝶がやってきて卵を産み付け、青虫が葉っぱを食害するので虫取りが大変でしたが、今年は何故か蝶々の数も少なく青虫も僅かで私も退院後しゃがむのが億劫で虫取りに感(かま)けて居たのですがその割に葉っぱは綺麗です。大気汚染が蝶々の生存にまで影響したのかと考えましたが、それにしても青虫が少ないので、良く思案してみたら昨年まで大根畑の傍らで豪華に咲き誇っていたランタナを私の入院前にシルバーセンターに頼んで全部伐採して貰ったせいだと思いました。蝶々ってきっと上空から花を見付けてやって来てたのでしょうね^^。

 

今日は新解さんなど国語辞典の言葉の語釈についてお話したいと思います。毎週文末のお飾りに過ぎないのですが、語釈への私の感想が少しばかり長くなるので、A4三枚以内に削ったブログ構成の関係で私の履歴書の最後30年については上梓を辞めることにしました。実は後の15年に悲しいできごとが多すぎたのです。

 

三省堂国語辞典の「右」

横に広がり並ぶもののうち、一方の側をさす言葉、「一」の時では書き終わりの方、「り」の時では線の長い方。

新明解国語辞典の「右」

アナログ時計の文字盤に向かったときに一時から五時までの表示のある側、明という字の月が書かれて居る側と一致。

お互い解釈に汗を流して苦労しているのが良く分かりますね^^。

他の辞書はどうなのか調べて見ましょう。

明鏡国語辞典の「右」

人体を対照線に分けて沿って二分したとき心臓のある方。

新潮国語辞典(昭和40年発行)の「右」

東に向かって南に当たる方、人体で、普通ペンや箸を持つ手の側。

 

昔の辞典は殆ど其れまでの辞典の「てにおは」を巧妙に変えたコピペやパクリが当たり前だったのが、新解さん(新明解国語辞典)が登場し、もの凄い個性と斬新な発想を打ち出して他社のパクリを赦さない語釈を貫いたのがきっかけとなり、何処の出版社も安易なコピペで巨利を得ることが出来なくなって仕方なく独自の解釈が求められるようになったのは偏に新解さんの語釈の業績だったと思います。

「恋愛」に対する新解さん第五版の語釈を憶えて居られますか?「…出来るなら肉体的な一体感を得たいと願いながら常には叶えられないで遣る瀬ない思いに駆られたり、稀に叶えられて歓喜したりする状態に身を置くこと…」他社はどう足掻いたってパクれないですよね^^。

処で、うちにある広辞苑第五版の「右」 には「南を向いたとき西に当たる方」と書いてあります。 昭和57年発行だからひょっとして新潮国語辞典の語釈を少しだけ弄ってパクったんではないかと思ってしまいますよね。

辞書の神様の如くに敬われる岩波の広辞苑には昔から多くの批判があります。その一つは第一版に20万語も搭載して居ながらそのうち14万語は百科事典からのコピペであり、国語辞典が標榜する一般項目(専門用語でない言葉)の言葉は6万語に過ぎません。あの小さい新解さんが7万7千語を載せているから詐欺みたいですね。

広辞苑の辞書がとても引き難いのは2倍以上ある百科事典を避けて、目的の一般項目の言葉を捜さねばならぬことからだと思います。広辞苑も最近は版を重ねて少しはマシになって来たようですが、未だ未だ三国や新解さん明鏡さんに及びません。「過ぎたるは及ばざるが如く」って言いますよね。続きは来週です。

 

先週の読めそうで読めない漢字

彼は一廉(ひとかど)の人物だ。

 

今週の読めそうで読めない漢字

持ち寄った弁当を(交)に味わった。