金閣寺 天竜寺庭園

秋の夕暮れは釣瓶落としと謂うが夜が更けるのは早い、シルバーウイークなのに盛り沢山の仕事で鬱屈して居る私に秋を満喫させてくれたのが先週頂いたEさんの京都散策時の写真だった^^。金閣寺天竜寺の庭園です。日本でしか見られない風景だが、最近では諸外国の方々にも静謐でひっそりした日本の自然の佇まいが理解されて来たようだね。
「金閣寺」と言えば60年前「新潮」に連載された三島文学の代表作を思い出す、あの頃私は未だ20歳で夢多き文学青年?だった。ひよんな旅行から信州で小学校の音楽の先生をしている恋人ができてバイトでお金を貯め大きく胸を膨らませ月一煤塗れになりながらシュッポシュッポと石炭車で中央西線を上って居た。歳月は干支(えと)が一回りしてその彼女も今は亡い(;;)。それ以来遠い儚い思い出となって私の郷愁を誘って居る。
あの頃木曽路は一面桑畑に掩われてお蚕さんの匂いに満ちていた。そのうち生糸の生産が後進国に移り、40年前の中央西線はトウモロコシ畑に変貌し、今では何もなくなった(;;)。

60年前と謂えばもう没されたが作家の車谷長吉さんが面白いことを書かれて居た、昭和30年に小学校への登下校に運動靴が義務付けられ下駄が禁止されたそうだ(;;)、理由は分からないが転倒事故など防ぐための文部省の要らぬお世話だったんだろう。然し下駄を履けば絶対に巻き爪にならないし、従って瘭疽(ひょうそ)で医者に儲けさせることもなかった。歩くのに下駄はバランスが必要だから体幹の強化には大いに寄与したに違いないと思う。禁止令のお陰でそれまで細々と暮らしていた下駄屋さんが殆ど倒産するか転業を余儀なくされたのは当然だろう、私はその頃もう大学生だったから余り記憶にないが、その頃垂水小学校の西側にあった下駄屋さんがなくなったを憶えている、子沢山で良く肥えた色白の奥さんも下駄の鼻緒の担当だったし、道に面した表の作業場には何時も小さい子達がお母さんに群れて仕事の邪魔をして居たがお母さんは少しも嫌がらず何時もニコニコしていた^^。廃業は子ども達からの需要が激減したからだろうね、何処へ行かれたのか知らないが文部省も酷いことをするよな(>_<)。

私の小学校時代は戦争中だし下駄履き以外に藁草履の子どもが多く素足の子も沢山居た、当時は貧しい時代だったから運動靴の子どもの方がずっと少なかった。私は学校から帰ると門の内側に鞄と履き物をそっと差し入れて裸足で遊びに行って居たことを今もよく憶えている、遊ぶのには裸足が最高だった、川を渉って蜻蛉(銀ヤンマ)を追い掛けるのに履き物は邪魔で何より早く走れるからだ^^、でも今の子どもと違って6時にはちゃんと帰宅していた、1分でも遅れると晩ご飯が貰えなくなるからだし、夜になると人攫いが来て連れて行かれサーカスに売り飛ばされると信じ込んでいた。8時には電気代が勿体ないので家族全員が眠って居た。今は9時や10時まで塾通いだなんてどんなに賢い子ができるかと思ったら安保反対もできない軟弱な腰抜けばかりだ、世の中何処か狂ってきたね(;;)。
車谷さんは昭和20年生まれで当時10歳だから下駄履き禁止令には強烈な記憶があるに違いない、昭和30年は鍋底景気だったしズックの運動靴は高価だったから買えない家庭は少なくなかったと思うが、どうして文部省はそんな理不尽なことを言いだしたかよく分からない。製靴業界の代表が政治家にでもなったんだろうな。60年も前のことだからネットで調べてもはっきりした記載がない。
皆さんの中で下駄の歯が禿びたから下駄屋で新しい歯を入れ直して貰った人って居ないよね?靴が禿びたら放(ほか)すしかなかったが、下駄は何度でも歯を替えることができたんだ、どうしても履けなくなったら下駄は風呂焚きの燃料で役に立った、ゴム靴革靴は最後に公害を齎(もた)らすが、木は灰になって畑の肥料で命を終えたから環境に優しい省エネの昔って良かったなあ^^。

来月25日はもう本年最後の漢字検定だが80歳を目前に控えて頭が鈍くなったのと相続税など臨時事件があったりと気忙しく漢字を学ぶ時間が余りない、せいぜい土日の午前中だが仕事の残りやブログ更新など余分の仕事まであって儘ならぬ毎日だ、前回6月の検定に間に合わすべく詰め込んだ漢字の記憶はたった三月(みつき)でシャボン玉の泡の如く消え去って居るから頑張らぬと合格が難しくなる(;;)。土日の午後のネット囲碁対局を暫くお休みすることにしようかな?

小為替

先月相続の添付書類で地方の市役所に戸籍関係の書類を依頼し書類枚数が不明のため小為替千円を送金したら料金が返金された。見ると彼方此方から届いた小為替だ、どうして小為替の発行が私の送付した市と違って大津錦織と小伝馬町なのか訝しく換金時に郵便局で聞いたら、いちいち返金時に手数料の掛かる小為替を買うより他から送られてきたものを流用すれば経費節減になるからだと教えられた。させれば私の送った小為替も何処かへ送られて行くのかな?と聞いてら私の送ったのは千円だから先ず郵便局で換金されて居ますよと言われた、そうだよね、戸籍謄本は1通300円から最高750円だから1000円の小為替は釣り銭には使いようがないよね。処で小伝馬町は江戸時代牢獄のあった町だから分かるが、大津錦織って何処にあるのかな?とネットで調べたら滋賀県大津市の神宮前駅にある郵便局だそうだ。IT時代にアナログのスタンプも案外郷愁があって懐かしかった^^。

先週の書けないけど読みたい漢字
昔人足や馬は駅(うまや)に居た、
(明治時代になり線路ができても中継地点として此の字を使って「駅(えき)」と言った)

今週の書けないけど読みたい漢字
湖畔の道を(漫)ろに歩く