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パート社員の執念

先週の或日、年寄りの倣い性で早朝4時半に起床しましたが外はもうすっかり明るくて、夏至の到来を実感しました。明るくなってはいても早朝なので誰も通らない家の前で何気に庭を眺めて居るとプランターから勝手に生えて来た芒(すすき)に紋白蝶が止まっているではありませんか?蜜が有るわけでもないのに…?あ、睡ってる!と気付いてスマホを取り出し写した途端、私の動きが伝わったのか、音が聞こえたのか紋白蝶はヒョロヒョロと斜めに飛び出して何処かへ行ってしまいました。せっかく気持ちよく睡っているところを起こして紋白蝶さんゴメンm(_ _)m。

 

今日は分単位での給与の話です。スカイラークと言えばファミレス大手ですが、一人の勇気あるアルバイト社員が、給与の計算方法について疑問を抱き、5分単位で計算し5分未満は切り捨てられて居るのは不当だとスカイラークの労働組合に訴え、会社と労使交渉の結果、労働基準法の原則に従い此のバイト青年は過去2年分の給与差額約6万4千円を会社に支払うことを合意させたそうです^^。此の社員は「1分だろうと1秒だろうと汗水たらして働いたお金に代わりはないから切り捨てられるのは許されない」と訴えたのでした。数分くらいと思いがちですが、紆余曲折の結果、スカイラークは過去2年分の切り捨てられた給与をパートやアルバイト9万人に支払うこととなったそうです^^。そしてその金額はナント!16億円に上るそうです(@@)。「塵も積もれば山となる」の格言は蓋し箴言でありました。

 

もう50年も前のことになりますが、フォークソングが全盛時代にフォークグループ「かぐや姫」の南こうせつが登場して歌った「神田川」が当時の貧しかった若い人達に受けて大ヒットしたことを憶えていられる方はもう70歳になられましたね、此の歌は現在とは違って我が国が当時未だ高度成長の黎明期にあって、苦しいながらも誰もが明るい未来への希望に萌えて貧しい生活の中を大きな目標に向かって懸命に生きて居る時代でありました。この曲のヒットにより当然の如く南こうせつの「神田川」が紅白歌合戦の候補に上がりました。然し商品の宣伝はしないモットーであるNHKの方針から歌の内容にある♪24色のクレパス買って♫が物議を醸し、株式会社サクラクレパスの商品名である「クレパス」から一般名詞である「クレヨン」に歌詞を替えて歌うように要請されたことを不服としてかぐや姫は拒否し、紅白歌合戦の出場はなりませんでした。私が南こうせつの矜持と硬骨振りに称賛のエールを送り、何時だったか、Facebookに掲載しましたから皆様の中で憶えて居られる方もあると思います。

でも最近私は加齢と共に人間が疑り深くなったせいなのか彼の当時の言動に疑問を抱くようになりました。それは、南こうせつが当時「神田川」の歌詞によって売上が激増したサクラクレパスから申し出を受けてスポンサー契約をしていたのではないかと謂う極く極く素朴な疑問でありました。スポンサー料には必ず契約が伴い、契約書には必ず禁止事項があるもので、「クレパス」と歌うことがスポンサー料支払いの条件になって居たのではないかと考えられます。紅白出場は歌手の目標であり、歌手である者全てが悲願とする紅白出場を辞退してまで「クレパス」に固執したのは「クレヨン」と歌うことによって、クレパスから契約不履行による違約金支払いを迫られることを恐れてのものではないかと考えました。果たして私の推理は妄想なんでしょうか?間違っていたら、こうせつさんゴメンなさいm(_ _)m。

 

先週、私は7年振りに西明石へ漢字検定に行って参りました。テスト会場は昔と少しも変わらぬ佇まいで懐かしさに胸が一杯になりましたが、今回は両眼手術に因る視力低下もあってルーペ持参となりました(::)。試験開始時間を告げられて問題紙を開けましたが、何時もならスイスイと筆が進む冒頭の「仮名付け30問」ではペンが止まること暫しの有様に内心動揺し、知ってる字が読めぬもどかしさに身悶える有様に愕然とし、第2問-4問は何とか通過しましたが第5問の書き取りは冷汗三斗で第6-7問の誤字訂正と四字熟語でメチャ落ち込み、第8問の対義語類義語が思い出せず第9問の故事成語で躓くなど第10問の古文の書き取りと仮名付けが8割位書けて、漸く終わりましたが総合では散々の出来栄えでした。これまで一ケ月間の猛勉強は一問も擦らず正答は7年前までの記憶にしぶとく助けられたもので、4割はすっかりと忘れて書けませんでした。書けたものにも誤りが多いと思われ、100点前後(満点200点合格160点)しかできなかったのではないでしょうか。17年前に初めて受験したときよりも、さらに屈辱的な得点となったようです(::)。7年間のブランクを悔いましたが、全ては後の祭りでありました。
おまけに要らぬお土産迄頂戴してしまいました。久し振りに1時間以上身動きもせずに硬い板の椅子に座らされた影響で、その夜から筋肉痛に悩まされ翌日から整形外科への通院となりました。将に踏んだり蹴ったりであり、悪夢の一日でした。トシは取りたくないなあ(;;)。

今朝西垣の奥様に贈り物を頂いたのでお礼の電話をしました。平成の初めから私が加古川地帯から撤退する平成11年までお得意先だった電機店の経理を担当されている奥様です、とても美人で頭の回転の早い方で数年に一度久闊を叙す間柄ですが、此の方とお話をするとめちゃ元気が貰えます。今朝も一杯元気を頂きました^^。私も弱音を吐かないでもう少し頑張ろうと力付けられました。奥様有難う御座いましたm(_ _)m。

 

先週の読めそうで読めない字  香(かぐわ)しい香り(かをり)

今週の読めそうで読めない字   (分限者)の意味はお金持ち

士工農商?

風薫る五月も早くも後半を迎え歳月の過ぎゆく速さに圧倒される毎日です。五月と謂っても昨今では過ごし良い時候は極く短くて、間もなくあの灼熱の夏が近づいて来るのかと思うと憂鬱です。全てはCO2の仕業なんでしょうが、基はと言えば我々が吐き出したものですからしっかりと受け止めねばなりません(;;)。自宅前の小さいプランターでは清楚なコオニタビラコが咲き終わったあと紫カタバミが何処かからやってきて咲き始めました^^とても可憐な花で私の好きな野草の一つです。何処から来たんやろ?

 

 

今日も少し漢字の話をさせて下さい。又か!と言わないで下さいねm(_ _)m。

何時も触れていますが字体の画数を無差別に減らして常用漢字が生まれたのは第二次世界大戦の後、国語審議委員会の委員たちの悪巧みでした。此れまで何百年も伝統を積み重ねた由緒ある我が国の漢字の画数を無残にも無作為に減らしたり別の字にしたりと…💢、良識を疑われる行為を経てその多くを常用漢字という名前を付して国民に押し付けたのでしたが、それまでは漢字には新聞、小説ともに全てルビが付されて居ましたから昭和22年までは我々小学生でも難しい漢字が読めました。読めれば憶えますから我々世代以前の方はどんな字でも書けなくても読めたのです。

処が戦争終了後、エセ学者たちが「漢字は易しいに限る…」と、勝手に我々世代までの者が漸く憶えた旧字体(旧のホントの字は「舊」です、全然似てないね)の多くを廃止して漢字の一部を簡略化して画数を減らしたり字体を替えたり…と、その大部分を常用漢字と準一級一部の配当漢字に作り変えたため、それまでの旧字体に馴染んできた人達がルーツを持たぬ変な漢字の創設に大いに悩まされたことはこれ迄に何度も皆様にお伝えしました。字体の変えられた漢字が一部の漢字に限定されたため、学校卒業後も漢字を極めたい人達は昔の漢字の儘の字と、変えられた漢字との乖離に大いに悩まされ、漢字検定試験を目指す若者も2級までは順調に通過できてもその上を目指そうとするとそれまで憶えた杜撰に作られた常用漢字の記憶が妨げとなって所謂旧字体が書けないためハードルが高くなり、容易に合格できない実情に気付かざるを得なくなりました。

喩えを申し上げると羽の旧字体は中の書体が「ン」と「ノ」が二つであった字を含めた「翡翠(ひすい)」の二文字からご理解頂けると思います。左の字の翡の下部にあるハライと右の字の上にあるハネの相違でお分かりでしょうね、左は昔からあるハネで右は戦後変えられたハネです。でも右の字は国語委員会が戦後勝手に変えた字である理由は「翠」は準一級の配当漢字なのです、常用漢字とともに「ン」に変えられましたが「翡」の方は一級の配当漢字であったため放置されこんな無様は熟語構成となり心ある国語を愛する人たちを深い悲しみに陥れたのでした(;;)。

かくなる経緯により国語委員会に無断勝手に漢字を捏造されたことから前途有為な多くの若者達が漢字の世界に興味を失って去ってしまいました(::)。漢字の歴史を軽視した国語委員会の連中こそ由緒ある漢字を冒涜した亡国の徒でありました💢。因みに「羽」の旧字体は中が「ン」ではなく「ノ」の反ってない字が二つだったのです(::)。

 

 

矢作(やはぎ)川と言えば、長野県に端を発し岐阜県と愛知県を流れる著名な1級河川ですが、先週その矢作川を堰き止めて、農工業に利用するために造った人工の川を「明治用水」と呼び、そこから取水施設を「頭首工」と言っていましたが十日程前に何故か陥没事故が起こって水が地下に逃げてしまったため「明治用水」が機能しなくなりトヨタを初め周辺企業が就業不能となる重大事故が引き起こりました。行政は必死で修復作業に乗り出し仮設の水取りはやっと可能となりましたが、農業用水の方は水取りが全く放置されて居ます。運悪く丁度各農家では丁度田植えの時期を迎えているため適期に田植作業を終えないと苗が徒長して稲が実らなくなるのですが、行政は税金を沢山払ってくれる企業の工業用水ばかりの復旧に身に入れてお百姓を放ったらかしの状態が現在も続いて居ます。「士農工商」の四字熟語は今や「士工農商」となってしまいました(::)。自治体に税金を払っているのは桁外れに企業が多いから百姓を助けず企業を救った県の選択肢も止むを得ないと思いますが、大切な米を作るお百姓が無視されるなんて日本人に大切な何かが何処か間違っていると思われてなりません💢。

 

先週の夕刊の記事に「学舎(まなびや)」であるべき熟語を写真のように「学びや」と書いてあって、初めは何のことかわからず、軈ておかしな熟語もあるものだと驚きました(;;)すぐに国語辞典を見ると(学び舎) (学舎)と二つありましたが(学びや)はどの辞書にもなく記者と校閲者のチョンボと判明しました。文字に忠実であるべき新聞も質が落ちたものですね。早速新聞社に投稿フォームより「校正が杜撰ですね?」…とメールしましたが当然にスルーされましたよ(::)。

 

先週の読めそうで読めない字     五月雨(さみだれ)が降る

今週の読めそうで読めない字    (現し身)

故郷を古里と書くな!

寒暖を幾度となく繰り返した3月が漸く終わって花の4月を迎えて居ます。奥庭でひっそりと周囲の雑草に気兼ねしながら懸命に咲いているサルビア・ミクロフィアとは対象的に庭の道路際では春の到来を待ち望んでいた「ゆきやなぎ」が先週後半から満を持して咲き誇って居ます^^。僅か数日の命なんですが、彼女はその日のために一年間営々と根を張って今日に備えてきたのでした。偉いなあ^^。

 

埼玉県のさる高校が生徒達の学校の制服にユニクロを加えたそうです(@@)。此れまで学校の制服について男子は詰め襟で女子はブレザーにプリーツのスカートが定番だったのを見直す新しい試みだそうですが、制服は意外に高く5万円位もして、替着も要るので父兄の負担は半端ではなく、その辺りを見直すためにユニクロの案が出たそうです。でも制服って値段で決めるものなんかなあ…。その上ユニクロは中国の新疆ウイグル自治区で縫製された綿製品がウイグル人の強制労働により生産された疑いがあるとユニクロが国際的に批判されている中を日本の公立高校がユニクロ製品を制服に定めたことには各界から「無神経な行動だ」との批判が起こるのではないでしょうか?

 

「♪春は名のみの風の寒さよ♫」と誰もが口遊んだことがある小学校唱歌「早春賦」(そうしゅんふ)は、東京音楽学校の教授だった吉丸一昌が大正初期に信州の安曇野を訪れ、穂高辺りの雪解け風景の美しさに感銘を受け書かれた詩であったとされています。私はこの歌を聴く度に65年前を思い出します。当時私の好きな人は音楽の先生で岡谷の長地小学校勤務、家は当時南安曇郡三郷村にあって林檎栽培農家でした。丁度穂高山系の麓にあり大糸線の一日市場(ひといちば)夏休みに駅から徒歩で西へ4キロ余り右手に雄大な穂高山系を眺めながらの訪いはとても思い出深いもので脳裏を去ることはありません。今思うに南安曇郡三郷村は丁度飛騨の幼い工女たちが野麦峠を経て松本に出る街道口ではなかったでしょうか…、話が脱線したので引き戻しましょうね、春早々の話題は私の拘(こだわ)りである漢字の話です。「早春賦」と同じ時代の愛唱歌「故郷(ふるさと)」を皆様きっとご存じですね。私が国民学校で習ったこの歌は前の世代の方も後の方も誰も忘れずに何時でもソラで歌える数少ない愛唱歌であり、幾つになってもこの歌を聴くと童心に帰れるから不思議でなりません。

 

北朝鮮による日本人拉致問題の支援者団体が開催する集会では、集会の最後に日本人拉致被害者の早期帰国を願って、参加者全員で「故郷」を熱唱することが慣例となっていることは皆様御存知の通りであり聴く度に涙するこの「故郷」ですが、近年「故郷(ふるさと)」の漢字が当て字であると言い出したのは、あの不埒な国語審議委員会だと思いますが、彼らの企みに国語辞典を編集する辞典発行の各社が微妙に影響されて読みを優先した言葉を採択する傾向が強くなりました。つまり「故郷(こきょう)」を「ふるさと」と読ませない姿勢が強くなり「故郷(ふるさと)」の代替字「古里」が国語審議委員会の推奨する熟語となって参りました💢。不思議に思った私は2000年以降に発行された手持ち8冊の国語辞典を調べた処、「ふるさと」の漢字第一候補はナント!「古里」が7冊で「故郷」は三省堂の新明解国語辞典のみでありました(;;)。そして7冊の辞典にある「ふるさと」の漢字表記トップは「古里」で二番目が「故里」三番が「故郷」でした(;;)。同じ三省堂の辞書であっても三省堂国語辞典は一番目が「古里」であり、新明解国語辞典が「故郷」ですから同じ会社でも部門が変わると対立し金田一京助派の新明解チームが見坊豪紀派の三省堂国語辞典チームに真っ向から立ち向かっている姿勢が窺えます。私は「古里」は易しい漢字を単に優先させただけで情緒がまるでなく人気(ひとけ)のなくなって誰も行きたくない寂しい「古里」なんて書きたくありません。「郷」が画数が多い6年生の配当漢字ではありますが、国語審議委員会は唯々易しい漢字でさえあれば言葉の由来などどうでも良い姿勢を崩さないのは正しい日本語に対する冒涜ではないかと考えます。「故郷」は訓読みを採用しているので決して当て字ではなく「古里」が第一候補に居座り、公式文書や新聞に採用され跋扈しているのはどうにも合点が行かず腹立たしく思います。誰か文句を謂う学者は居ないのでしょうか?何れも常用漢字だし画数の多少で使用を制限するのはどう考えても無理筋だと考えます。

 

お笑いタレントの松本人志が先月27日日曜日放送のフジテレビ「ワイドナショー」に出演、北朝鮮の弾道ミサイル発射に対し、メモを見ながらコメントする岸田文雄首相について苦言を呈しました、つまり「原稿棒読みを止め自分の心を直にマイクに伝えよ」という意味でした、この方お笑いやったのに何時の間にか政治評論家になったみたい…^^。誰も言いたくても言えなかったことだから「いいね」を付けたいけど司会が本業になった浜田はどうするのかな?二人共大物になりすぎて今更お笑いに戻れないみたい…(::)

 

昨日まで私は三日間白内障手術神戸アイセンター病院に缶詰にされて居ました。通常白内障は日帰り手術なんですが、私が両目ともに黄斑変性症であることを理由に前日入院当日手術翌日退院とされました(;;)。見えない方の目まで手術されて何か手術代を損をしたような気持ちでしたが掛かり付けの先生の言葉は絶対で断れば二度とアイセンターに行けなくなるので仕方なくお言葉に従いました。詳細は次週にて…。。

 

多勢に無勢なのにウクライナの人って挫けないで戦っています。女性戦士も多いとか…、強いなあ!偉いなあ!我々も彼らの爪の垢でも煎じて呑まないと…(::)。

 

先週の読めそうで読めない字     紺屋(こうや)の白袴

今週の読めそうで読めない字     花の(顔)

再び「坊ちゃん」

明日は春分の日を迎えますが、待ちに待った春の訪れで日一日と暖かく、庭では春を待ち焦がれていたいろんな花が咲き初め、毎朝「見て!見て!」と、私の起きるのを待っています。今日は久し振りに酢漿草に覆われた奥庭に咲いた紅白のサルヴィア・ミクロファイアを御覧ください。ドコモには未だ行けてないので写真添付は愚息を煩わせました。

 

三年前の東京医科大学の不正入試について調査をしていた第三者委員会(委員長=元最高裁裁判官那須弘平)から一次報告書が公表されました。それによると女子の受験生に対する不利益な得点操作をした結果、2017年度と18年度の一般入試では本来合格していた計55人の女子が何故か不合格にされて居ました💢。報告書は同大が追加合格の判定を行った上で結果を公表し、新たに合格者となった受験生には補償などの対応をするよう求めて居ますが、少女期から成年へ脱皮する貴重な三年間を償う方法など何処にも有りはせず、金銭になど到底換算できないものを東京医科大学は如何に収拾するのでしょうか。女子を合格させなかった理由が「女は仕事を休んで子供を生むから」など極限のセクハラでありましたが、本心は女性医師が増えることで男社会が脅かされることが彼等の気に入らなかったに相違ありません💢。

 

処で先日の報道では2021年度の各大学医学部試験合格者が男女逆転し女性が優位に立ったと正式に発表されました (@@)。2021年度の大学受験医学部の合格者率を全部曝けだすと驚くべきことに女子が13.60%、男子13.51%と僅かですが男女比が逆転して居ます(@@)。医学部志願者は高額な入学金や授業料など女子の受験機会が狭められている中での2021年度での合格者率逆転は若し男女平等の社会慣行への移行と周辺環境の理解更には家族の協力に依り受験機会が十分に与えられたならば女性の合格率は優に60%を超えて行くのではないでしょうか。「女性の方が勉強ができるんや!」2018年に東京医科大学で女性への不正採点が明るみに出たことで世間をアッと驚かせましたが、もともと女性は受験の年齢当時には男と違って青春の煩悩に悩まされることがなく勉学に集中できるため男性に優位であって当然です。先月ご紹介した高3で日本学生陸上競技対校選手権(インカレ)女子三段跳に出場し、翌春東大理科三類に現役合格した(@@)内山咲良さんのように女性が男性に勝るとも劣らぬことが実証されましたから愈々女性上位時代の到来となりました^^。学費の問題や社会環境に両親の財力と理解さえ得られれば今後女子が男子を上回ることに相違ありません。女子校である東京の桜蔭学院が85名と東大合格者の総数で男子校の嘗て東大合格日本一を誇った灘高校79名を上回ったのは確か一昨年でしたし、今年の前期入試でも桜蔭は理科三類にトップで13名を送り込み灘10名開成6名の男子校を見下ろして居ます^^。女性恐るべし!

 

お詫びm(_ _)m。「坊っちゃん」は2013年1月6日に既に発表済でした!ブログ文末にバックナンバーが何故か勝手に数個表示されますが、先月の「坊っちゃん」の文末参照欄にに旧「坊っちゃん」が掲げられました(@@)。此の表示は流動的なものでその時々に応じ変化し、現在は消滅して居ますが上梓して足掛け10年となっては嘗て並の人より記憶力を誇った私も耄碌してすっかり忘れて居ました、申し訳ありませんm(_ _)m。 前回の文章は凡そ今回と変わって居りませんから、10年間私の思考は全く進歩して居なかったようです(::)。念の為下記に10年前の「坊っちゃん」を再掲させて頂きましたのでお読みください、きっと皆様も私の進歩のなさに驚かれることでしょう(;;)。

正月休みのつれづれに十年振りかで漱石の「坊ちゃん」を読んだ。歯切れの良い文体のリズムが躍動し何度読んでも面白い、この小説がいつの時代になっても名作として読まれている原因はこの小説に流れている温もりだと思う。此は漱石の自叙伝だがこの小説の中で一貫して坊ちゃんの心を占めているのは学校でも赤シャツや山嵐やうらなりでもマドンナでもなく、先生になって田舎の松山へ出かけた坊ちゃんの帰りを東京でひたすら待ち侘びて居る女婢のお淸であることに誰もが気付かされる。「坊ちゃん」の真の主人公はお淸ではあるまいか。此の作品から暖かさを感じるのはお淸が存在するからだ。「坊ちゃん」の呼び名も淸の呼び掛けの言葉であり、他に誰も彼を「坊ちゃん」なんて呼びはしない。お淸は年寄りだが「坊ちゃん」には恋人以上の存在だったのだろう、其れが証拠に小説の終わりに至って俄に…俺は淸のことを書くのを忘れて居た…、…おれが東京に着いて下宿へも行かず革鞄を提げたまま「淸や帰ったよ、」と飛び込んだら、あら坊ちゃんよくまあ早く帰ってきて下さった、と涙をぽたぽたと落とした。おれも余り嬉しかったから、もう田舎には行かない東京で淸とうちを持つんだと云った。
恰も長く逢わなかった恋人との再会を彷彿(ほうふつ)させる章(チャプター)だが、漱石の淸への深い愛情があふれ出ている。……淸は玄関付きの家でなくっても至極満足の様子であったが気の毒なことに今年の2月肺炎で死んでしまった。死ぬ前日俺を呼んで「坊ちゃん後生だから淸が死んだら、坊ちゃんのお寺に埋めて下さい。お墓の中で坊ちゃんの来るのを楽しみに待って居ります」と云った。だから淸の墓は小日向の養源寺にある。……此処でこの小説は終わるが、最後「だから」の重い言葉に漱石のこの小説への全ての思いが籠められて居る。恐らく若い頃の彼にはお淸のような女婢が実際に存在し、その女性の死に直面した深い悲しみが心に染みついており、彼女への追慕の念が「坊ちゃん」の作品の背景になったのだと思う。或いは彼が結婚に踏み切ったのもお淸の死であったかも知れない。処で漱石の奥さん鏡子さんの旧姓はキヨであったし、未完の絶筆となった「明暗」の主人公の嘗ての恋人が矢張り清子であったが、漱石には「淸」には深い思い入れがあったのだと思います。漱石は大正5年49歳で早世しましたが、ひょっとしたらお淸が雲の向こうから「坊ちゃん、早くに来て下すった、お待ちして居ましたよ」とハラハラ涙を流したのではあるまいか。

 

先週の読めそうで読めない字       雪洞(ぼんぼり)に灯をともす

今週の読めそうで読めない字      (血脈)とは家の血筋を言います

 

あゝ野麦峠

いつもの月より短い二月も明日でお終いとなりますが、うちの司令塔である愚息の帰還が思ったより早くて全員が安堵し申告事務が順調に進んでいます^^。あと半月どうか誰も風邪を引かぬよう体調に留意して頑張りたいと思います。北京オリンピックも抜き打ち検査とかいろいろあったけど日本がスケートの高木選手を筆頭に多くのメダルを獲得して無事終了しました。気温が氷点下17度とか…(@@)、選手の皆様ご苦労さまでした。

先週「ああ野麦峠(ある製糸工女哀史)」を読みました。再読は40年振りかと思いましたが、私の当時の年齢や価値観など現在と随分変わったこともあって全く違った気持ちで読了できました。明治の初期から大正昭和に掛けて飛騨高山在貧農の娘たちを巡る悲しい実話ですが、この地方のお百姓は苦労して作った焼き畑で採れた米を地主に渡し、小作料の米は食べずに全額金に替え、主食は粟や稗を常食と言う貧しい地域の人たちばかり、不作となっては田圃を地主に返して離散する者も少なくなく明日は我が身と周辺の貧農では女児を三才で子守に出して働かせ相手の子供が子守と同じ三才であることも稀ではなかったそうです(;;)。そして娘が小学校を卒業(当時4年生)すると「口減らし」と年の暮れに持ち帰る現金をあてにして明治維新当時信濃国鈴木村にて生糸の輸出で外貨を獲得のため勃興した製糸工場(通称キカヤ)へ働きに行かせました。子ども達は健気にも苦しい生活に喘ぐ両親に報いようと村の同年輩である仲間数人と道案内であるキカヤの若者に先導されて髪は桃割れ、赤い腰巻きに草鞋履きで身の回りのものを袈裟に背負い、両親に別れを告げて早朝3時に出立する姿はいじらしいものだったと謂われています。夕刻には海抜1670mの野麦峠を越えて歩む数知れぬ峠道の連続は慣れない者には果てしなく遠く、地図の上で直線80kmであっても実際に歩く山道は遠周りとなり幾つもの峠のアップダウンを経て島々、松本、塩尻を経由し信濃国諏訪鈴木村(現在の岡谷市)に到着するには7日間45里(180km)の山歩きであって幼い子どもの足では大変だったと思われます。野麦峠は岐阜県高山と長野県の県境に位置し、南に木曽岳、北に乗鞍岳、遠くに焼岳に穂高岳が一望される飛騨と信濃の国を結ぶ鎌倉街道、江戸街道とよばれ、古くから重要な路線の峠であり、明治時代には日本の製糸産業を支えた飛騨の女工たちの交通路として賑わい、そこから此の本が生まれてベストセラーとなり映画は大ヒットとなりました。明治の終わりに高山鉄道が開通してから汽車で下呂まで出て付知峠を越えて美濃坂下に出て中央線で岡谷に向かったのでした。野麦峠も今は街道の賑わいも忘れ去られましたが昔を偲んで静かで自然の美しいこの場所を訪れる人達が少なからず居られるそうです。

明治5年(1872)、明治政府はフランス式繰糸機を輸入して官営富岡製糸場で生糸の操業を始めたことは皆様ご存知の通りです。近代日本製糸業の夜明けでありました。然しその当時はフランス人の技師が当時の太宰大臣より高い月額700円の給与を取っていたため、コストが高くついて大変でしたが、数年後、日本人の知恵は凄く諏訪の平野村(現岡谷市)で武居代次郎なる人が岡谷独自の繭から糸を紡ぐ「諏訪式繰糸機」を生み出しました^^。これはイタリア式とフランス式を折衷した画期的な機械でコンパクトで性能が良く、低価格で高品質の生糸が生産できました。そしてこの機械はあっという間に全国に広まり、日本が世界一の輸出生糸生産国になって外貨を獲得し、我が国が諸外国と肩を並べるまでに成長する要因となりました。日清戦争や日露戦争で我が国が最強の軍艦を率いて勝利し、世界を驚嘆させることができたのも「キカイ道楽」と呼ばれた情熱と創意工夫の人武居代次郎のものづくり精神から作られた「諏訪式繰糸機」により多くの生糸が廉価で生産され外貨獲得に拠って得られた戦艦射撃砲によるものであることは言うまでもありません。この機械は岡谷の宝物と呼ばれて、今も各地現役で活躍しています。その製糸工場で働く女性は北海道を始め全国各地から集められましたが、前述の聳える山脈西にある飛騨地方高山在の出稼ぎ娘が多く、当時は4年生で小学校を卒業する10歳で故郷飛騨を見下ろせる野麦峠を後にして島々宿に迂回し、松本に出て塩尻から諏訪へと草鞋を履き潰しながら7日間歩き通しての少女たちの強行軍は今なら想像もつかぬことでありましたが、幼い頃から田圃や水汲み仕事で鍛えた当時の女児の足は強かったなあとつくづく思いました。彼女達は只管働いて年の暮れにお金を持ち帰り両親の喜ぶ顔を見たさに二度三度と145キロの峠越えに挑むのでありました。工女の一人吉野すえさんの回顧談をご紹介しましょう。「仕事はノルマ制でそれは苦しいもので御座いました。いっそ諏訪湖へ飛び込んで死んでしまおうと思ったこと数え切れず、それでも暮れに野麦峠から故郷飛騨を眺めて涙を流し、峠を越えて家に帰り一年働いて貰った「1円」を母に渡すと母はそのお金を抱きしめて「此れで年が越せる」と声を上げて泣き、病いの父は起き上がって「すえ、ご苦労だったなあ」と言って手を合わせて何度も頭を下げて礼を言い、お金を一升マスに入れて神棚に供えお灯明を上げて明るいお年とりをしました。あのときの両親の顔を思い出すと工場でどんなに苦しくてもワシらは我慢できたのです」                     来週に続く…

遂にウクライナロシアが侵入し首都キエフに戦火が起こり巷ではプーチンに対する非難の声が轟々ですが、一方で先日まであれだけ意気込んでいたバイデンさんがいざ鎌倉となると何もできずにまるで対岸の火事を見る如き態度は看過できません(;;)、世界は何れ滅んで理不尽な行為を続ける悪魔であるロシアと世界一の物財を誇る中国共産党のものになるのでしょうか💢。

先週の読めそうで読めない字  昔は文盲(もんもう)の人が多かった

今週の読めそうで読めない字   彼女は(只管)糸紡ぎに励んだ

子連れ寡婦の悲劇

暖かかったお正月が済んだら急に寒波が襲ってきて日本列島は雪一色で温暖地方にも積雪が見られたようです。寒くなると庭の植物たちは縮こまってしょぼんとして居ますが、独り奥庭の十両だけは元気に成長しこんなに凛々しく咲いて居ます^^。

 

小笠原諸島の海底火山「福徳岡ノ場」の噴火によって地底から生まれた大量の軽石が世間の注目を集めていますが此の無数の軽石は黒潮に乗って北上して日本の各地に漂着して船舶の入出港を妨げ、更には魚類が食べて死亡するケースなどが続発するため、鹿児島県工業技術センターではこの軽石は漁業などに甚大な被害を与える厄介な漂着物であることは間違いなく憂慮して居ました。処がその後沖縄県環境部から発表された「県内に漂着した軽石の分析結果について」の報告書を読むと、軽石に意外なプラス面もあることがわかってきたようです。
沖縄農業関係者が直観的に思ったことは、軽石が漂着したときに「無料で土壌改良材が手に入る」ということだったとか…^^。粘度の高い沖縄の土壌には軽石のような水捌けのよい素材がどうしても必要だからとのことでした。然し軽石の中に毒性のある砒素やカドミウムに水銀などが入っていては全く使うことができません。そこで種々分析した結論では沖縄県内三か所から採取したサンプルは何れも土壌環境基準を充分に満たしているというものでした。そして厄介者と思われた今回の軽石は土木建築資材や農業用資材等としての活用が見込まれるということになり、一転して資源になる可能性が大きくなりました^^。プランターの底に入れる鉢底石や土壌改良材として水捌けの悪い土地などに用いて湿地の水分を低下させる可能性が充分に考えられるとのことでした。
でも連連(つらつら)考えるに軽石って石綿みたいなもので小さく砕いても何れは空気中を漂い水分と一緒に我々の体内に入って諸病の根源となるのではないかと私はとても恐れています。

 

大阪摂津市の集合住宅で昨年の8月に3歳の嬰児がお母さんと同棲している男から熱湯を掛けられて生命が奪われた事件で母親や知人が数回摂津市に相談していたそうです、その後嬰児が死亡した事件を精査した処、意外な事実が判明したのです💢。事あるごとに母親は複数の知人に松原容疑者の幼児への暴力を話しており、市の担当職員は数回に亘る母親や知人からの相談により虐待の事実を熟知しており、虐待は日常的だったと認識して居たという話を知人は聞いていたそうです。摂津市は計4回の相談・通告を受けましたが子供の保護には消極的な姿勢を変えず、挙げ句担当者全員が引き継ぎを何もしないで他の部署へ転任してしまったのです(;;)。その後間もなく熱湯による痛ましい嬰児虐殺事件が惹き起こされたのでした。
摂津市の弁解ではその後母親との面会時に、暴力がない事を確認していたとのことですが、当然に母親が隠して言えなかった可能性を全く考慮しなかったのは愚かと言うべきです。母親も被害者であった可能性をも充分に考慮すべきでした。男に捨てられないために心ならずも母親の「大丈夫です」という言葉を鵜呑みにして、嬰児は安全だ、などと考えた吏員は愚かでしたね。又、市は児童相談所に報告はしたけれど保護は求めなかったそうです。市は早急な保護を依頼すべきだったし、又彼等が子供から直接話を聞く機会を持たなかったことがポイントだと私は思いました。過去の事件でも同様のことがありましたが、親の意見だけ、大人の意見だけで子供の安全を判断しては駄目であって、3歳だと詳細に具体的な話をすることは出来ないにしても話をすれば「いやや」「怖い」位は言えたと思います。子供の気持ちを置き去りにした儘、子供の安全を判断した未熟な大人が市の吏員であったことが大きな不幸を惹き起こしました。昔から良く言いましたよね、「彼奴(あいつ)は役場くらいしか勤まらんやろ!」。

 

コロナ感染者各地激増を受けて多くの都道府県が「蔓延防止措置」の指定を受けましたが、此れによって飲食業が再び時短に追い込まれて赤字を増やすことになりそうですが、今のオミクロン株は飲食店での接触から発生するだけでなく異なった形で伝播して居るのではないでしょうか?患者の激増から感染は空気感染だってあり得ると私は思いますが…。飲食店を規制してもオミクロン株患者の増加が変わらなければ、きっと飲食店の規制が間違っていたことを誰もが思い知ることでしょう。
ある介護施設では、職員は不織布マスクを一枚しただけでは足らず、二重にし始めたそうです。

文中の「あり得る」は正しく「ありうる」と読むべきですが、昨今NHKも政治家も「ありえる」と読む輩が頓に増加したことが私(わたし)的にはとても嘆かわしいと思います(::)。

 

先週の読めそうで読めない字   昨年の吹雪(こぞのふぶき)

今週の読めそうで読めない字    最近コロナの患者が(頓に)増加した

 

 

見捨てられた沖縄

 

 

寒かった年末に比し、お正月は暖かくて特に神戸の3ケ日は小春日和でしたね^^。今日の花は冬から春に咲く花テッセンの一種で準絶滅危惧種カザグルマです。自宅台所出口の右に置かれた10号鉢から伸びた茎が何故か秋に日除けに掛けられた簾の裏に廻ってしまいました(;;)。然し簾のせいや家からの暖気で気温がそれほど下がらなかったせいか見事に元日開花しました。花達は簾の内側で寒気から逃れ隙間からの光線だけでずっと咲いている姿はとても可憐です(;;)。一つは強引に簾の表にすり抜けお日様を浴びながら花を咲かせましたが、可哀相に寒さで夜を越せず枯れてしまいました(;;)。

 

昨年末小平奈緒選手相澤病院所属)は35歳にしてワールドカップ・スピードスケート1000m決勝にて優勝し、北京五輪資格を手に入れました。500mは小平選手の独擅場(どくせんじょう)ですが1000mは年齢的にしんどくて若い選手に勝てなかった数年間でしたから素晴らしいと思いました。是非北京五輪で日の丸の旗を掲げて下さいm(_ _)m。処で競技の練習に遠征に試合に…とお金が一杯掛かるのに信州大学時代からずっと彼女を支える結城コーチ共に二人を包み込んで下さる相沢病院の理事長さんは偉いですね。小平さんが所属でも、所属じゃなくても患者さん一杯来るのにね(^^)。小平さんも結城コーチも練習の合間を縫って病院スタッフの一員としてマメマメしく働いて居るそうですから患者さんも職員も全員彼女達のファンだそうです、偉いですね。話変わるけど小平選手の太腿は男子選手と変わらぬ60センチ以上あるそうです、全部筋肉ですから押しても凹まないとか…凄いなあ(@@)。

 

新聞の記事からですが現在の日本には恋人のいない20~30歳男性が930万人も居てその90%は結婚を目的とした恋人を募集中だそうです。仕事が忙しいと言いながらそれは負け惜しみであり、未だに良妻賢母型を求める奥手な男が多いらしく、実はプライドばかり高くて相手に好意を持っても断られて傷付きたくないし、失敗したくないのが本音のようです。そこで昨年登場したのが婚活アプリ「エール」です。エールは出会いからお付き合いまでAIがナビゲートすることで心理的ハードルを避け、破綻したときの傷を最小限に抑えてくれます。女社長のTさんは大卒後、武田薬品に7年間勤務し企業立案やマーケティングを担当しMBA取得後、婚活アプリを使っての会社を起業し、奥手でプライドばかり高い男性を掘り起こす活動で巷の好評を得ています。「会話ナビゲート」にはチャットにAIが入って居て関係の進展をセットしてくれるそうです^^。そろそろ誘ってみようかと男性が思ってもマッチングアプリでは8割以上の女性がまだ早いと考えているデータがありきっと本音でしょうね。このように両者の間には人間でなくAIが仲人として介在しお互いのコミュニケーションをアシストしデートのタイミングを模索しAIが察知することで男性にGOサインが出せる仕組みであり、好評を博しています。例えお金が掛かっても自分に相応しい配偶者を見つけてくれるアプリなんてとても良いですね。合コンは自分が晒し者になったようで惨めだし、何より紹介者が押し付けがましく断りにくい近所の遣り手婆さんでなくAIなのは噂が密閉されて広まることがなく良いですね^^。お蔭で此れまで路地裏を駆け巡って適齢期の男女を見つけて強引にお見合いを取り持ち、成約後双方から少なくない紹介料を受け取って生活していた海千山千のお見合い婆さんが失業する時代になったようですが、此れもAI時代の取り残され組と謂うべきでしょうか?

 

政府がコロナのせいで苦渋の決断の結果、東京オリンピックを無観客にしましたが、観客を入れていたら収入より経費が多くナント!赤字はメチャ増えることが、分析の計算の結果分かったそうです。ナンデや!理由はきっとパソナやろね…💢💢。

 

「海が赤くにごった日から、私は言葉を失った」沖縄に起こっている現実を見つめた上間陽子さん著「海をあげる」は、美しい珊瑚の海が土砂投入で死んでゆく様を描かれ沖縄での美しく優しい生活が失われてゆくさまを目の当たりにされペンを取られた2021年本屋大賞 のノンフィクション大賞に輝いた作品です。先週金曜日NHKラジオ夜9時から定番の「高橋源一郎の飛ぶ教室」にゲスト出演された作家である上間陽子さんの生々しい語りを聴いて作品を読もうと思いました。観光で著名な沖縄ですが、報道されないだけで裏面では種々米軍兵士とのトラブルが絶えません。思い遣り予算とか貰うんではなく米軍に毎年2000億円も支払っているのに沖縄住民が受ける国難に対し政府が素知らぬ顔をしているのはご承知の通りです。よかったら皆様もどうぞ…。

 

先週の読めそうで読めない字     (遮莫) さもあらばあれ

「不本意ながらそのままにしておこう」の意

今週の読めそうで読めない字    (曜く)ような朝日

苛めに黙るエセ教育者

先月はじめにレタスのポット苗を5つ購入して畑に植えたら瞬く間に株が大きくなってこの頃ではビタミン補給として毎朝食に欠かさず戴いて居ますが、葉の裏にナメクジが隠れて居るのに要注意です。歯がないくせに葉を舐めて食べる悪い奴です💢。神経の太い私はなめくじの嘗めたレタスを食べることに全く抵抗がありませんが、全ては戦争中の食糧難を生き抜いた経験からだと思います。唯、彼奴を掴んだあとのヌルヌル感がなかなか指から落ちないのが悩みです。

 

今年の日本音楽コンクールピアノ部門第一位は写真の如く桐朋女子高校3年の谷昂登くんがピアノ部門最年少にして優勝しました^^。素晴らしことだと思いましたがこの少年の顔に髪型服装そして名前といずれも紛れもなく男性ですから、どうして女子校に男子が居るのか?又此れが今流行りのジェンダーなのかしら?と気になってネットで調べたらこの学校は女子校と名乗っていますが中身は共学でした(::)。女子校から共学になり桐朋高校と名乗りたくてもそのときには既に桐朋高校が存在したため名前を変えるきっかけを失い今日に至っているそうですから男子生徒の居心地は最悪だと思われます。学校側ももう少し男子生徒に配慮した「桐朋学院」など別な校名を選ぶことはできないものでしょうか?この儘では男子の応募がなくなって何れ本当の女子校になってしまうと思いますが…。

 

何時の世にも卑怯なやつが居るもので気が弱くて面と向かって言えない分、陰でこそこそ陰湿な苛めを繰り返す糞餓鬼達が絶えません。最近「チャットで悪口」事件が多発しています。教材として小学校支給のタブレット端末を使用して同級生が教師の目を盗んで苛め対象の女子児童に「死ね」とか「うざい」を繰り返し送信し、この児童を追い詰めて遂には自殺にまで追い込んだ行為に対し学校並びに教育委員会が後ろ向きの姿勢で事件に向かい合おうとしなかった東京都町田市の小六自殺事件から1年が経過しようとして居ますが、何時ものこととは言え当事者を究明してもノラリクラリです。
先週NHKで旭川市中二凍死事件の特集番組が組まれましたが、いじめの実態が生々しく語られ、虐める女生徒が泣いて謝る少女に自慰行為を強制するなど男ならそこまでは…女の残虐さに眉を顰めました。大人顔負けや!未だ第三者員会とか例によってまどろっこしい儀式が続いています。事件の再現は不可能なので委員会の設営などは世間の目をはぐらかすためで真実を何処かに封じ込めて無念の少女が浮かばれないのが実情です。何が第三者委員会や!何が学識経験者や!この事件は学業用のタブレットが生徒たちの交信に使われることを想定せずに機器を導入した学校にも大きな落ち度があり、そちらだって糾弾されるべきと思いますが、加害者は未成年だからと放置されて居るのも我慢なりません。14歳はすっかり大人です。被害者が自殺した場合に限って加害者の下の名だけでも(ダメならせめて頭文字だけでも)公表したらどうですか?今後の苛め事件が劇的に激減すると思いますよ…。教育者は自分たちの無能を隠すため常に苛めっ子の味方であることを皆様は知って下さい。

 

お得意先のMさんには今月間もなく100歳を迎えられるお母様が居られ、お目出度い限りです。でも介護付きの施設でもう命のゆとりが余り残されて居ないとか…(;;)。此のお母様宛に先月来市長や県知事など各行政の長(おさ)から100歳の長寿を祝う賞状が次々に届けられたそうですが、数年近く前103歳で亡くなられたお得意先のAさんは100歳のとき何処からも何も来ませんでしたから政府も余りの不人気に耐え兼ねて菅総理から方針を変更したのではないでしょうか?総理大臣からもちゃんと表敬状が届いたそうです。「え?岸田総理?」と問うと菅総理だそうで9月の日付が入っていたとか…(;;)。どこも見切り発車しているようで二月も前の発行ではその後送付時に戸籍のチェック等がきちんと行われているのか疑わしく賞状到着時には既に帰天されご遺族の悲しみを増すことになることだって起こるのではないでしょうか?

 

瀬戸内寂聴さんが100歳を前に99歳で大往生されました。彼女は東京女子大在学中に大学教師と恋愛し結婚、出産後夫の弟子と不倫して駆け落ち、離婚後は50歳で中尊寺にて得度、今東光師から「寂聴」の法名を得て岩手県天台寺の住職となり、以後70歳過ぎから源氏物語の現代語訳全10巻を完成されベストセラーとなった波乱万丈の生涯を送られた著名な文筆家でありました。昨年末大晦日にはNHKラジオで、寂聴さんに導かれて「読み解き般若心経」を書かれた親友の詩人の伊藤比呂美さんと対談出演され昔変わらぬあの甲高い若々しい声には驚いたものですが、もう謦咳(けいがい)に接することができないことをとても悲しく思いました。

 

先週の読めそうで読めない字     彼は急勝(せっかち)だ。

今週の読めそうで読めない字     彼は(緩緩)のキャラだ。

「世間体」と謂う戒律

漸くの昨夜から小雨パラパラまで先月来晴れの日が何日続いたことか…、夏日が日本列島を覆い、近畿地方では各地共に雨が殆ど振らなかったので夜間睡眠時の室内温度が連日30度には魂消ましたがエアコンの嫌いな私は南北の窓を全開にして睡みますから朝方の冷え込みで目を覚ましての風邪気味を繰り返すのには参りました。一階と二階の温度差は2度以上あり、階下で睡む家族が羨ましくてなりませんが、私が一番遅く寝て一番早く起きるため止む無く2階に隔離生活となって居ます(;;)。暑さの全ては屋根がコンクリートの陸屋根で直射日光を受けることに起因しています。日本の風土には瓦屋根で熱を冷ます三角のスペースが二階屋根に存在することが生活上必要なことを痛感しましたが、親父から貰った家だし…(;;)。今夜からは漸く快適に眠れそう…^^。

写真の緑色の変な奴は何でしょうか?これは初夏に咲いた山百合のタネなんです。もう一月もすれば熟すと思います。種は沢山入って居ますからご希望の方にはどうぞ遠慮なくお申し込み下さいね。

 

ヤマザキマリさんと言えば著名な漫画家であり随筆家ですが、僅か14歳でヨーロッパを一人旅するなど普通常識では考えられない破天荒な度胸と行動の持ち主であり、普通の人の数倍聡明だと考えられる女性で新聞の人生相談などとても著名な方です^^。美術を学ぶため殆どの人生を世界各地で暮らされ、ご主人はイタリア人だそうです。イタリア人は感情を表に表さないと受け入れられない国民だそうで、日本人の「言わぬが花」とか「目でものを言う」なんて心の奥床しさが全く通用しない人種ですから、ハグや抱擁は日常礼儀の範囲、唾を飛ばして語り合うのもイタリア人ならではであり何時までたってもコロナ感染が止まらぬは日本人なら離れて軽く一礼で終わる挨拶にハグが彼等人種固有の生活習慣から来たものだからです。彼女が昨年2月仕事でイタリアに戻った折に我が家に帰ろうと電話したら10歳年下の夫から「帰って来て欲しくない」と無情にも断られそれ以後ずっと日本で暮らして居られます(;;)。
イタリアでは昨春横浜のダイアモンドプリンセス号事件以来アジア圏の人が危険だとの認識が固定化しているそうですから笑止です。イタリアのコロナが当初北部地方にある中国との貿易交流地域から発したものであることが判明しており、私達は絶対にイタリアに行きたくないと思って居ますから、お互いの価値観の違いだと思いますが考えさせられますね。イタリアでは感染者の氏名を堂々と発表するに対し我が国は絶対秘匿に徹し、コロナに感染し周囲に迷惑を掛けてしまったことを苦にして自殺した日本人女性の話を聞いてイタリア人は信じられないと反応するそうです(@@)。
日本人は宗教や倫理には比較的柔軟ですが、「世間体」と謂う強い戒律があり、これが法律より何より強いものであることを私達誰もが承知して居ます。然しイタリア人には「世間体」と謂う床しい仕来りなどなくて全てが奔放な生活は我々日本人の深い慮(おもんぱか)りもイタリア人には理解できないことでしょう。ヤマザキマリさんがプリンセスダイアモンド号事件以来ずっと日本に居続け、時折NHKラジオ高橋源一郎さんの「飛ぶ教室」に出演されるのはメチャ楽しみです^^。亭主は10歳も年下らしいし、新しい彼女を作って居るかも知れないし、マリさんもうイタリアなんかに帰らないで日本に居て下さい。コロナ禍も取り敢えず収まったようだし、イタリアのほうがずっと危険だと思いますよ。

 

新しい岸田総理にはあまり期待してなかったけど、彼が菅前総理に増して下を向いての原稿棒読みに没頭する姿にはゲンナリします。出だしだけでも原稿を覚え前を向いて話したらどうなの?あまりの不勉強に呆れます💢。財務省赤木さんの奥様からの手紙への件では木で鼻を括った無礼な答弁に此の総理の「薄情」が垣間見えましたね。これは安倍さんに泣きついて「総理になれたら森友問題の再調査をしないし、桜を見る会も忘れます」と約束して安倍派の票を集めて手に入れた座ですからメチャ卑怯です。安倍さんは密約束について今更「約束違うやんか!」なぞ立場上口が裂けても言えないから、赤木文書については奥様のご要望にしっかりと受け止めて真実の解明に向けてお答えすべきであり、桜の会も声を大にして糾弾の姿勢を明らかにすべきでした。それが国民への信義だと思いますが、彼は徒に虚勢を張るばかりで菅前総理同様全く期待できないことを早くも露呈ししています。こんな総理では我々国民はこれからどうなるんやろう(;;)。

 

先週の読めそうで読めない字    彼は彼女との幸せを希う(こいねがう)

今週の読めそうで読めない字    (身動ぎ)一つしない

マサララジオ

先週までの暑さを最後に10月に入って 急激に気温が下がり、秋の虫の声が喧しくなリ、我々は漸く秋の到来を実感し始めて居ますが内心暑さのぶり返しがあるのではないかと怖怖(こわごわ)の毎日です。玄関先では秋の到来を待ち焦がれていた水引草が今年も開花を始めました^^。水引草はタデ科イヌタデ属の草で和名は紅白に見える花序が水引に似ていることに由来します。

『サニーさん八塚さんこんばんは。今朝の新聞を見てお二人の出られている日曜夜の番組を何故か思い出しました。「スタッフの馬鹿笑い聞き局変える」秀逸句に選ばれた一句です。 いや決してお二人のことを思い出した訳ではありません。マサララジオではお二人の掛合漫才?にスタッフが馬鹿笑いをされている声がしょっちゅう聞こえることを思い出したからです。あれは決して愉快なものでなく番組スタッフの不真面目さを表していると視聴者は誰もが思っていることでしょう。真面目に仕事をしろ!お二人の話が面白くても黒子(くろご)であるべきスタッフが笑い声をマイクに乗せてどうしますか!笑うのは我々視聴者であることへの無自覚を知って下さい。この投書が絶対に八塚さんに読まれることがないことを知りつつ義憤に耐えかねペンを取りました。』

此の私の投書は毎週楽しみにしている日曜日夕方6時から9時まで3時間ぶっ通しでトークされるインドから来阪されて30数年になる大阪弁コテコテのサニー・フランシスとサニーさん初来日の頃に生まれたABCきっての美人アナ八塚彩美さんが即興で掛け合いのトークなど色々盛り沢山3年目の番組でサニーさんの台本なしの痛烈なツッコミに八塚アナは何時も負けじと小気味良い返し技にてサニーさんを翻弄しての完勝に終わりますから何時も攻守が逆転し、サニーさんは宛(さなが)らお釈迦様の掌で踊らされる孫悟空のようで痛快であり、よって八塚アナは圧倒的なファンの持ち主となって居ます。下記の一節はそのマサララジオがオリ・.パラやプロ野球中継などで7週間立て続けにお休みになってファンを欲求不満に陥れていた4週目くらいにABC局宛に私が投稿したものですが、内容は新聞の川柳欄を見て「マサララジオ」を何故か思い出しましたのが発端です。

先週8週間振りに再開した日曜日夜、期待を籠めてマサララジオを3時間存分に楽しみましたが、あれだけ聞こえて居たスタッフの馬鹿笑いがピタリと影を潜めて居り気味が悪いくらいでした^^。お二人には決して知らされない投書でしょうがスタッフは全員しっかり読まれたものと思われます。効果は劇的でした^^。果たして来週も持続できるかな?

未だ独身やのに生年月日はかわいそう(;;)

 

小学校で授業用に生徒に配布したタブレット端末を使ってイジメが起こった事件です。授業中に端末チャット機能を用い児童間で女子生徒の悪口が書き込まれ、被害者本人が目にすることとなって学校に訴えましたが、学校は加害者児童への指導だけで問題解決として居ました、処が被害者が自殺し、親が記者会見したことで事件が露見しました(@@)。先生の無関心と見て見ぬ振りは何時ものことですが、授業用の端末が苛めに使われることを想定しなかった教育現場も真にお粗末です(;;)。モラルの問題だと言ってしまえばそれまでですが、教師が情報をちゃんと点検することを怠っていたことが児童の自死を誘ったのでした。木村花さん自死事件のようにネット苛めは社会共通の課題です。月給泥棒の無関心に徹する教育委員会と児童に対する愛情の全く欠如した今の教諭達では苛めを受ける子供達を見つけることさえ不可能であることは自明ですが一体から何時まで同じ過ちを繰り返したら気が済むのでしょうか💢。ネット社会となり子供達もITに関しては大人顔負けの悪知恵を身につけて居る時代となり、教諭達がついて行けていないのが実情ではないかと思います。彼らの勉強不足です、合掌(;;)。

 

眞子さまが長くPTSDを発症されて居たが、発症の犯人は紛いもなく宮内庁や!

 

先週の読めそうで読めない字        残念だと切(しき)りに言う
今週の読めそうで読めない字      (真に)お粗末な話です