暑い夏が長居して10月一杯まで居座ったため、待ち焦がれていた秋がやって来たのは今月の僅か二十日足らずであり、先週にはもう冷たい雨が降りもう冬の予兆が訪れています(;;)。玄関前では夏の花であるポーチュラカの挿し芽が漸く花を付けました^^。先月散歩の折、空き地で葉っぱを採取し挿芽したら先週二つ花を咲かせましたが、今週の寒波で元気を失って居るので玄間内に入れて養生し、春の訪れを待つことにしました^^。
先週から続く…、原告と被告更には傍聴人全員が息詰まって見守る中を最終審の最高裁判所大法廷は、従来の判例を変更し同条を違憲と判断した上で、刑法199条を適用し懲役2年6月執行猶予3年の判決を言い渡したのです(゜o゜;。
最高裁判決の多数意見は尊属殺人罪を普通殺人罪と別途に設けること自体は違憲とせず、執行猶予が付けられないほどの重罰しか規定しないことを違憲とするものでありました。本判決は大法廷で審理され、15名の裁判官による判決でしたが、一人だけ尊属殺に関する法定刑の加重の程度は立法府の判断に委ねるべきこととして、同規定を違憲とする結論に反対する裁判官が居ました(;;)。また6名が違憲との結論に賛成し、尚且つ尊属殺人罪自体をも違憲とする結論を述べています。
死刑の求刑に一時は己の絞首刑を毎夜夢に見て魘(うな)されて居た彼女はその後見事に立ち直って別の男性と結婚しました^0^/。毎年正月になると大貫弁護士に年賀状を送って来て居ましたが、或る年大貫弁護士が 「もうそういうことは止めなさい。いつまでも私に年賀状を送ると貴女は何時までも辛い事件のことを覚えて居ることになるから私のことも全て忘れてしまいなさい」と返信してから、彼女の音信が途絶えたのでした。
今は生死も含めて何処でどうして居るのか分からないそうですが何処か世間の一隅で幸せに暮らしているのだろうと大貫弁護士は考えて居られます。あれだけ時間と労力を掛けた裁判を…、一袋のじゃがいもを貰っただけで依頼者のために「自分まるごと忘れろ」という大貫弁護士の姿勢に人間としての優しさが溢れていましたね^^。 大貫弁護士は「この裁判に関われたことだけでも、自分が弁護士をやっていた価値があったと思えます」と言われ「一人の女性を救えたんですものね」という周囲の問い掛けに頭(かぶり)を振り 「それだけじゃなく、刑法200条が違憲によって無効になったからです。そのお陰であの条文に苦しめられた多くの人たちを救うことができました^0^/」。
明治憲法から日本国憲法に改正されてもっとも価値が転換したものの一つに、「家父長制度」からの解放があります。憲法24条1項において《婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本》と規定しているのはそのひとつの象徴です。従って本判決は「家父長制度」の残滓(ざんし)ともいえる尊属殺重罰規定を違憲無効にすることによって、たとえ親子であっても一個の人格として同等であることを宣言したものだと思いました^^。
尊属殺重罰規定違憲判決 (そんぞくさつじゅうばつきていいけんはんけつ)とは、昭和48年4月4日に日本の最高裁判所が刑法第200条(尊属殺人)の重罰規定を憲法第14条( 法の下の平等)に反し無効とした画期的な判決でありました。世間の好奇の目に晒され、渦中の人であり続けた被告人の女性は最高裁判決後「1日も早く静かな生活を送りたい」と語ったそうです。
その彼女からは大貫氏のもとに毎年年賀状が届いていました。大貫氏曰く「でもね、あるとき返事を出し、年賀状を出すのを止めなさい。私宛に年賀状を書く度貴女は事件のことを思い出している。一刻も早く全てを忘れて貴女の人生をしっかりと生きなさい』と…。それからは一度も連絡はありません」悲しい此の事件は本当に終わりを告げたのでしたm(_ _)m。「親に孝」という床しい道徳を法律が再考した判決だと私は思いました。
「法律にも情がある」と私が知ったのは昭和48年4月4日に最高裁大法廷にて尊属殺重罰(そんぞくさつじゅうばつ)規定違憲判決となった父親殺し裁判を一人で戦った弁護士についてネットでの書き込みを読んだことでした。以上5年を要して一人の弁護士が憲法違反を勝ち取った「尊属殺人」の推移についてSNSの記事を参考にし4週に亘り私見を述べさせて頂きました。(終)
(尚、一昨日市川猿之助が両親の自殺幇助とされた殺害に対し執行猶予がつきましたが、此れは有名人に対する検察の忖度であったのかと私は感じました)
先、週の読めそうで読めない字 犬を手懐(てな)づける
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