皆様あけましておめでとう御座います。昔々朝霧にあった事務所で98年に開設したホームページも06年からブログに移行し今年で15年目を迎えることとなりました^^。現役で仕事ができる間はブログの更新を続けたいと願ってきましたが、思えば長い歳月でありこんなに長く仕事をして居られるなんて夢のようで唯々感慨無量です。ブログ更新がきっと私に仕事への活力を与えてくれて居るのでしょう。本年もどうか拙いブログにお付き合い下さい。

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秋に、近くにある作家筒井康隆邸の右隣の崖にランタナ (花期8月-10月) が咲き乱れて居たので先ッチョを幾つか失敬してコップに挿して栄養剤HB101など与えて窓辺に置いて居たら4週間位で茎から髭のような根が出た、根が10本程度に増えた頃4号鉢に植え替えて事務所一階の玄関内と二階の窓際で数鉢育てたら正月前にナント二階のが(上の写真)咲いた^^、此の寒いときに魂消たな、一階の方は道を隔てた向かいの家の関係で一日に2時間しか日が当たらないが事務所の暖房のため6時から21時位まで20度位あり、二階はずっと日が当たって居るが暖房なく日中(ひなか)ほぼ10度弱だから咲くなら誰が考えても日照より温度が勝ると思ったのだが1階のは(下の写真)蕾すら付かない(;;)、植物には矢張りお日様の恵みが必要なことがよく分かった。ランタナ君寒いのにご苦労さん^^。

正月休みのつれづれに何十年振りかで漱石の「坊ちゃん」を読んだ。歯切れの良い文体のリズムが躍動し何度読んでも面白い、この小説がいつの時代になっても名作として読まれている原因はこの小説に流れている温もりだと思う。此は漱石の自叙伝だがこの小説の中で一貫して坊ちゃんの心を占めているのは学校でも赤シャツや山嵐やうらなりでもマドンナでもなく、先生になって田舎の松山へ出かけた坊ちゃんの帰りを東京でひたすら待ち侘びて居る下婢のお淸であることに誰もが気付かされる。「坊ちゃん」の真の主人公はお淸ではあるまいか。此の作品から暖かさを感じるのはお淸が存在するからだ。「坊ちゃん」の呼び名もお淸の呼び掛けの言葉であり、他に誰も彼を「坊ちゃん」なんて呼びはしない。お淸は年寄りだが「坊ちゃん」には恋人以上の存在だったのだ、其れが証拠に、小説の終わりに至って俄に…俺は淸のことを書くのを忘れて居た…、…おれが東京に着いて下宿へも行かず革鞄を提げたまま「淸や帰ったよ、」と飛び込んだら、「あら坊ちゃんよくまあ早く帰ってきて下さった」と涙をぽたぽたと落とした。おれも余り嬉しかったから、もう田舎には行かない、東京で淸とうちを持つんだと云った…。
恰も長く逢わなかった恋人との再会を彷彿(ほうふつ)させる章(チャプター)だが、漱石のお淸への深い愛情があふれ出ている。……淸は玄関付きの家でなくっても至極満足の様子であったが気の毒なことに今年の2月肺炎で死んでしまった。死ぬ前日俺を呼んで「坊ちゃん後生だから淸が死んだら、坊ちゃんのお寺に埋めて下さい。お墓の中で坊ちゃんの来るのを楽しみに待って居ります」と云った。だから淸の墓は小日向の養源寺にある。……此処でこの小説は終わるが、最後「だから」の重い言葉に漱石のこの小説への全ての思いが籠められて居る。恐らく若い頃の彼にはお淸のような下婢が実際に存在し、その女性の死に直面した深い悲しみが心に染みついており、彼女への追慕の念が「坊ちゃん」の作品の背景になったのだと思う。或いは彼が結婚に踏み切ったのもお淸の死であったかも知れない。処で漱石の奥さんの旧姓はキヨであったし、未完の絶筆となった「明暗」の主人公の嘗ての恋人が矢張り清子であったが、漱石には「淸」には深い思い入れがあったのだろう。そして漱石は大正5年49歳で帰天したが、ひょっとしたらお淸が雲の向こうから「坊ちゃん、早くに来て下すった、お待ちして居ましたよ」とハラハラ涙を流して喜んだのではあるまいか^^。
国語の教科書にはしばしば「坊ちゃん」が引用されるが、彼の性格が直情径行な個所などが多く、校長や教頭が「坊ちゃん」の被害に対し生徒の不始末を揉み消すのに懸命な事勿れ主義の個所など出る道理がない、ましてお淸なんか眼中にないが文部科学省は此の作品の意味を全く取り違えているのではないか:-)。
正月には他にも三浦哲朗の「忍ぶ川」と高橋治の「風の盆恋歌」などを読んだが、前者は芥川賞受賞作らしい駄作であって失望したが、後者は30年に亘っての悲恋を綴った渾身の力作だ、とても感動した。風の盆の音は聞けなかったが、何故か私はチャイコフスキーのピアノコンチェルト一番第一楽章の前奏部分の清冽を想った^^。

恒例の箱根駅伝は予選会から出場した日体大が往路復路共に制し前年19位の屈辱を晴らし30年振りに勝利の美酒に酔った。下馬評にも挙がらなかった日体大優勝の秘訣は同大学出身で元西脇工業の監督を42年も務め都大路8回優勝の記録保持者渡辺公二氏75才が自らの教え子である別府監督に請われこの4月から母校の特別コーチとして選手の指導に当たったものであり「練習の量や質が良くても生活態度が悪ければ絶対に勝てない。駅伝はタスキを渡すのではなく、心をつなぐもの」と渡辺氏は真っ先に生活面の改革に着手し、朝5時半から生徒と共に練習場の草むしりや掃除を実施し、午後10時半の消灯時間も厳守させた。耐えられず辞めていく部員も出たが、こんな部員はお邪魔虫で居ない方が良く、一切の妥協を排除しての優勝だったのだ^^、然しコーチが変わっただけで斯くも強くなるものかと誰もが渡辺マジックに舌を巻いたが、選手達は未だ子供だから、この人の言うことを聞いて居れば自分は大丈夫だとの自己催眠を促されたのだろう。区間賞は山登りの服部翔太一人だけだから如何に全員の力のバランスが取れていたか窺える。実力は東洋大学の方がずっと上だったが、選手達全員が力をだし切れなかったのは精神力の差だろう、♫王将の一節が聞こえるようだな。日体大は全員持てる力を100%出し切り無欲の優勝と見た^^。渡辺コーチに1000万円位ボーナスを支払っても此の学校は今春受験者の激増できっとモトが取れるに違いないぞ^^。
最後早稲田と帝京4位争いのゴール前の争い100mダッシュは面白かった^^。双方の駆け引きは帝京が勝り、二日間のレーで一番悔しい思いをしたのは10時間以上も走って、秒まで同タイム5位だった早稲田10区の選手だったろう(;;)。

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お正月に税理士会連合会から新春号の会報が届けられた。中には池田日本税理士会会長が自民党の安倍総裁を表敬訪問し握手などしている写真が幾つか掲げられて居た。総理とは10cmを越す背の高さが気に掛かったな(;;)、9月30日号では野田総理を表敬訪問した池田会長のクールビズの写真を紹介したばかりだからナント!その変わり身の早さに唯々驚くばかりだ。時の権力者に縋るためには節操なんて屁のようなものなんだろうか?

先週の常用漢字の表外読みの答
(薄)は秋の七草の一つだ。(すすき)でした。

今週の常用漢字の表外読みの問題
(能う)限りの努力を尽くす。

今年からバルコ出版の読者投稿であるパロディーやギャグに満ちた「御教訓カレンダー」三日坊主めくりから秀逸なものを今年一年ご紹介することにしましょう^^。
「愛って堪えるものなのね!」 → 「愛って絶えるものなのね!」 移り気な女