昔は6月を梅雨と呼んで居たのに何時の間にか季節がズレ込んだのか、7月に雨が多く而も情緒のある「しとしと雨」ではなく酷暑の中豪快な男性的な雨は全く風情がなく昔と大きく気象条件が異なって参りましたが全てはCO2のせいではないでしょうか!裏庭では今年もクレマチスが咲き始めました^^和名を「鉄扇」と呼ばれる此の花は花期が長くうちのは蔓性であって暑さ凌ぎの簾に纏わり次々に花を付けていますから醸し出す雰囲気がとても優しくて涼しげです^^。
なったら最後絶対に治らないと謂われた「B型肝炎」が日本人に多いのは何故かご存知でしょうか?私の生まれた時代の後、戦争勃発後の昭和16年以降に生まれた戦後世代の人達となりますが、幼児期に集団予防接種でB型肝炎を罹患して居られる方が多く約40万人も居られるのです。医師の不注意と国の杜撰な遣り口が齎した不幸な事件でありましたが、予防接種時に不用意にも医師が注射器を消毒せずに幾人にも使い廻した結果が罹患の原因となりました。お粗末にも肝機能不全を引き起こして何時亡くなるか分からないのが実状です。17年前に最高裁の判決で漸く国が責任を認めましたが現在までに約10万人が提訴し約6万人が和解して僅かな給付金を貰っていますが、損害賠償請求権は20年で時効になると国が主張して補償を拒まれて居る方が少なくありません🤬。又、卑怯な政府は肝不全が注射針のせいなのか患者自身のせいはっきりと分からないとか屁理屈を持ち出して、できるだけ補償をしないことを目標に掲げていますが疑わしきは罰せずと言いますから政府も此れまで何も知らされない儘に死んで行った多くの方々の供養の為にも生きて居る患者に温かい目を向けるべきではないかと思います。肝臓病はとてもしんどくて苦しいものです、注射器のせいで一回しかない貴重な人生を棒に振らされた不幸な患者たちに対しどうして政府は前を向いて真摯に対応しないのでしょうか?補償金を支払うばかりでなく多くの患者独り々々に対し岸田総理は膝を八重に折って詫びるのが「人の信義」と謂うものではないでしょうか?総理には金食い虫の自衛隊に数兆円と無尽蔵に使うことに忙しくて補償はしたくないのでは?此れって総理が年寄りを無視して居ると思いませんか…?🤬。
「不親切教師の勧め」という本を読んで居たら「学校の教室で背の順に並ばせるのは差別だ」と書いてありました。背の順は後ろの者に前が見易いためにされている当たり前のことだと思われますが、背が低くても一番前では首の負担が重くて大変なことを本人も周囲も先生も気付かないことは可怪しいと書いてありました。至極ご尤もであって私も納得です。最前列の生徒の黒板を見るために費やす首の負担については教壇の高さを考慮しない愚昧なものだと思いました。教壇の段差は50cm位あるし身長差に拘るのは背の低い生徒に対して差別だと思いますが誰も何も言わないが私は可怪しいと思います。50人学級だった私自身の経験では何時も後ろから二番目でしたが、順序は必ず身長差で決められて居たのでした。四年生のとき後ろの奴が先生に「黒板が見えへん!」と抗議したことがあり、先生は無造作に私と後ろの生徒を並んで立たせた処、後ろの子の方が少し高かったので彼の要求はその場で却下されましたが、今から考えると私は足が短く腰から上が長い所謂「胴長の足短」だったので座高では彼に勝っていたことを先生は愚かにも見落として居たからでした^^。話は突然変わりますが当時は終戦直後で勉強するにも教科書も試験に用いる紙やエンピツすら何もない絶望的な時代であり、先生が黒板に書く字を見ることが全てでありましたから戦争のせいで我々世代が勉学の上で背負ったマイナスのハンディキャップはメチャ大きくて私自身戦争による疎開と疎開からの帰神など国民学校(今の小学校)5回の転校は勉強の地域的な格差や教科書の進捗度の異なり、更には戦後が突然訪れた4年生の秋行われた雷撃的な男女共学の実施は中国古来にある「礼記」の言葉「男女七歳にして席を同じうせず」と男女間の戒律を明らかにし、濫(みだ)りに交際してはならないという不文律が破られ、二人掛けの机に学校の何処かから忽然と現れた女生徒と並んで座らねばならぬ環境はそれまでの教育環境が根底から覆されて到底耐え難いものでありましたが、驚くべきことに女性軍には少しの動揺もなく泰然自若としており、男ばかりが居場所を失って右往左往している様(さま)は滑稽極まるものであり、「女性強し!」を思い知らされた終戦後秋の一刻(ひととき)でありました(;;)。
岸田総理の長男が夏季賞与を辞退したとか…、美談のように書かれて居るが、そもそも1日か2日勤めただけの者に賞与が貰える国の規定自体が可怪しいのではないか!
先週の読めそうで読めない字 美徳の蹌踉(よろ)めき
今週の読めそうで読めない字 「姑く」様子を見よう