寒い冷たい毎日が続く中を私達は愈々確定申告の本番に突入しています。私ごとですが面会謝絶の病院にて手術後21日間のリハビリに耐えて愚息が一昨日無事病院を退院し帰宅致しました(^^)/。当初は退院しても車椅子生活になるのでは…と危惧して居リ、車椅子になれば段差の多い自宅や事務所は最早彼が帰れる場所ではないため松葉杖で歩ける彼に心から安堵致しました。丁度20年前彼が脳溢血で倒れた折には半年間に及ぶリハビリに耐えて復帰した経験もあり、きっと此れから少し宛元気になってくれるものと信じて居ます。皆様に多大なご心配を掛けて申し訳ありませんでした。心から御礼申し上げますm(_ _)m。

最近府立の高校生約10万人に対し大阪府教育委員会がアンケートを試みた処、意外にも在籍校からヤングケアラーとして把握されて居ない生徒が6割以上も居ることが分かりました💢。個人的な生活の部分だし、本人も触れて欲しくないことでしょうが学校側が生徒の生活内容を把握できて居ないことは問題でもあり、府は中高生に対しては行われていない学級担任の家庭訪問を実施するなどして生徒の私生活を把握し、更にはスクールカウンセラーやソーシャルワーカーにて対応すべきだと思いました。そして大阪府だけでなく各都道府県に於いても中高生のヤングケアラーの把握をしっかりと行って生徒の勉学での支障が解消するように前向きに取組んで頂きたいと願ったのでした。然し家族へのケアが生徒自身の満足であり、干渉は迷惑だと思う私のような生徒も中には居ることを先生に知って頂きたいと思います。

私自身戦後11歳も離れた弟が生まれて、下校後彼をねんねこで括り付けられ今で言うヤングケアラーになったことは此れまでよく触れました。然し私は家族が助け合うのは当然であり自分が家族に少しでも貢献できることを嬉しく思ったのですが、個を重視する今の世相では「ヤングケアラー=可哀相」と社会的な価値観が変わって居ます。大切なのはケアラー本人が自らの状況に満足しているのかどうか生徒の意思をしっかりと確認すべきだと私は考えます。親に食べさせて貰っているのだから家族に対して自分のできることをしたいと思うのは当たり前ではないかと私は考えました。厳しい父は中学までは義務教育だから親の義務だが、高校へ行きたければ自分で授業料を支払えと言って私の自立心を克己しました。その時私に役立ったのが戦後の混乱期での畑作り、焚木取り、更には小学5年生でのロウソク売りの体験でした。一方何故か私の姉は私と正反対に乳母日傘で育てられ、世間のことを何も知らぬ儘に20歳で養子を採って父の寵愛を継承し、経済的には幸せな生活を過ごし昨年89歳の生涯を終えましたが、全てを父の庇護と遺産に頼リ、人生の辛酸を嘗め己を高める機会を全く持たなかった不幸?な生涯の持ち主であったため、他者に対し常に上から目線で接するので、心を開いて近づく者が居らず孤独な生涯でなかったかと思いますが、それは全て両親の溺愛が原因であリました。その根っこは賢い姉が単純な気性である父の操縦法を心得えて己が意の儘に操って居たものでしたが、不幸にして結果的に自らを切磋琢磨する機会を失い人生の荒波に接する人生を送らなかった姉を不仕合わせであったと思っています(;;)。父が渾身で愛した長女が養子共々遺産の大半を取って父の墓に入らず見捨てて行ったことを黄泉の父はどう思っているかと考えると心が痛みます。一方少年期に父よりスパルタ教育に徹した生活を課せられた私は躰は細くても、打たれても怯まぬ根性の持ち主となり艱難辛苦を耐えて激動波乱の20歳代を生き抜き現在の私があるのは偏に10代までに与えられた凄まじい父のスパルタ教育であり、父にどのように感謝しても感謝しきれぬ思いで一杯です。人生決してお金が全てではありません。幾つになっても希望に満ち父母に感謝を捧げる生活が必要ではないでしょうか?

政府はコロナオミクロン株ピークは超えたとか罹っても軽症だと発表しましたが、感染は一日10万人に迫り、70歳代以上は死屍累々です(;;)、なのに…各県の蔓防を続々中止、どうして?そこまで経済が大切ですか?そうか…税金で食っているのは役人やもんね(;;)。

宿題であった「坊っちゃん」の主人公が「清」であることに異論を唱える方が多かったのではないかと思いますが、私の変わらぬ持論を述べると「坊っちゃん」主人公の謎解きの鍵は文末の最後のひとこと「だから、清の墓は小日向の養源寺にある。」に尽きると思います。坊っちゃんの主人公は幼い頃から坊っちゃんを愛し、彼が松山に往くとき列車が去るまで独り坊っちゃんを見送り、ずっと坊っちゃんの帰京を待ち焦がれて居たばあやの「清」でありました。『…俺は家に帰らず鞄を提げたまま、清や帰ったよと飛び込んだら、あら坊っちゃんよくまあ、早く帰って来てくださったと涙をぼたぼたと落とした。俺もあまり嬉しかったから、もう田舎へ行かない、東京で清とうちを持つんだと云った。…玄関付きの家でなくても清は至極満足の様子であったが気の毒なことに今年の二月肺炎に罹って死んでしまった。死ぬ前日俺を呼んで「坊っちゃん後生だから清を坊っちゃんのお墓に埋めて下さい。お墓の中で坊っちゃんが来るのを楽しみに待って居ります」と言った。』文末の「だから清の墓は小日向の養源寺にある」を日本文学史上最も美しい「だから」であると喝破したのは作家の井上ひさしです。主人公っていつも悲劇的な役割です。坊っちゃんは主人公「清」の唯ひとり愛する人でありましたm(_ _)m。

先週の読めそうで読めない字     熱り(ほとぼり)が冷める

今週の読めそうで読めない字         昔は(文盲)の人が多かった