青々と茂った此の葉っぱの軍団は現在咲き終わろうとしているピンクのカタバミ(オキザリスボーイー)に変わって、間もなく開花する白いカタバミ(未開花)です。寒さが増さないと開花しない珍しい奴ですが、今は花を咲かす前に葉と球根を増やしてピンクのカタバミの縄張りを侵略しようと懸命です。ピンクだって敗けて居られず水面下じゃなく土の下では壮絶な鬩ぎ合いが行われていると想像されます^^。

 

今日は終戦後昔話の最終回となります。世間が幾らか落ち着き、私達家族は父の仕事の都合もあって城北増位山の陋屋から東雲町に転居し、学校も船場小学校に移って5年生を迎えました。田舎の学校から街へ戻ると同級生から全くの田舎者扱いで虐められ環境の変化に馴染めない毎日を過ごし、それまでの生活は早朝と放課後日課とされて私の小さい躰に委ねられて居た数匹の鶏の世話と一家の食料源となる畑の手入れに午後は竈(かまど)の燃料を採取に裏山に入って二宮金次郎姿で枯れ枝の収集と働いていた日課が堪らなく懐かしく思われるのでした(;;)。そして辛かったあの日々は実に充実した生活だったのに気付いたのでした。しょんぼりと元気がなく意気消沈した私を見て父は私を鍛え直そうと思ったのか、当時電力事情が悪く停電が当たり前の時代でもあり、顧問先からローソクを1本10円で購入し私が中学校に上がった折の制服を買ってくれる約束で私に姫路の街を巡って一本12円で売るように命じ、停電が治まりローソクが売れなくなるまで毎日放課後は背嚢にローソクを詰めこんで家を出て近くの子供達が空き地で遊んで居るのを横目に見ながらとぼとぼと出掛けるのでした。行く先は駅前を中心に東部北部西部と足の向くままでしたが、物乞いや泥棒に疑われる家庭より飲食店等の方が買ってくれる確率が高く、本数も住宅ではお義理で1本か2本の所を、お店は10本買ってくれたのをよく覚えています。夕暮れになって帰宅すると父はいつも1歳の弟を膝に抱いて飲酒中であり、私が残ったローソクとお金と計算書を渡して厳しいチェックが済むまで食事が与えられぬ毎日でした(;;)。その頃女学生の姉は「蝶よ花よ」と乳母日傘で育てられて居ましたから何故私だけ厳しい鞭を受けるのかその時は分かりませんでしたが、それから10年少しして私の身の不始末から父に勘当され大阪八尾でミシンのセールスをする羽目となった際、トップセールスマンとなれたのはローソク売りで培った貴重な経験が力となったに違いなく父には感謝の気持ちしかありません。父は私が憎かったのではなく「ライオンの父」を演じたのだと思います。

 

最後の最後となりましたが、船場に住んで一番悲しかった出来事は、隣家の長屋に住む小さい男の子を持つお母さんが、ご主人を戦争に取られ食糧事情も劣悪で子供に食べさせるため、夜ごと街角に立つ運命となって妊り(みごもり)、お腹が目立つようになったとき、ご主人帰還の知らせを受けて哀れにも入水(じゅすい)されたことを母に聞かされ泪しました。戦争の悲劇はこんな所にも影を落としていたのです。もう絶対に戦争はイヤだ! 🙏。

 

先日中国の日中外相会談で王毅外相は尖閣諸島が我がものであると盗人猛々しい発言をしましたが茂木外相は一言も反論しませんでしたね💢。尖閣諸島が日本のものであることは明治28年に閣議決定され入植者が多数アホウドリの羽毛を採取するなど事業を行ってきた厳然たる事実がありますが、今になって海底に天然ガス資源が横たわっていることに中国が気付き横取りしようとしています。共産党志位委員長すら「赤旗」に尖閣は日本固有の領土だと声明を発表し、「茂木外相はだらしない!」と一喝しました。こんな役立たずの外相はさっさとクビにせよ!

 

ステージ3になっても経済々々とGOTOを止めない菅総理は亡国の徒だ!片やドイツのメルケル総理は命を護るように懸命に説く!感染対策強化への理解を国民に力鋭く呼び掛ける言葉や良し。

 

先週の読めそうで読めない字      身動(みじろ)ぎしない状態

今週の読めそうで読めない字      (歴)とした家柄