6月も愈々終盤を迎えて居ます。でも今年は何故か未だ梅雨入りが聞かれず、お百姓さんを思い複雑な心境です。今年もきっと又豪雨や颱風が襲ってくることでしょう。全ては我々が地球を恣(ほしいまま)にした神の怒りだと思います。

 

 

 

今年は50年振りに挑戦した庭の種なし西瓜が植えてから二ヶ月が経過しますが漸く咲いた種あり西瓜の雄花を雌蕊に交配させ漸く結実して少し宛大きくなって呉れました^^。今丁度ソフトボール位でしょうか、この儘無事に大きくなってくれるよう慈しんで育てて行きたいと思っています。

 

 

 

先週のお約束だった土曜日未明に私が市民病院の救急外来で診察を受けた話ですが、原因はその二日前の木曜日正午前に庭で足長蜂を見付け、虫取り網で捉まえ足で踏み付けて殺そうと試みたのでしたが、網の端から逃げ出そうと藻掻いているので咄嗟に親指で蜂の頭を押し潰そうとしたら、蜂はするりと身を躱して私を刺しました。イタタタ(;;)、その痛みの瞬間、蜂は網を逃れて遁走…グヤジー…💢。蜂には子供時代から最近まで何度も刺されて居ましたから大して気に留めてなかったのですが、翌日の朝から親指が5割増しに大きく腫れ上がって真っ赤に変色してきました。マジやばい、と思い、行き付けの皮膚科で診て頂くと一寸腫れ過ぎやから月曜日にもう一度来るように言われ塗り薬を処方して頂いたのですが、夕方看護師さんを通じての電話で指の状態を確認されましたが、そのときは朝と変わりませんでした。寝床に入った午後10時頃先生から直に電話を頂いたので指の写真をスマホで送りました。それを見るや先生は内部が壊死して親指を切断する危険があるから、中央市民病院の救急外来に連絡を入れるので直ちに行くように促され、着のみ着の儘アレヨアレヨと言う間に愚娘の運転で中央市民救急外来に辿り着きましたが、11時なのに外来病棟は会計2時間待ちと書かれ一杯の患者で溢れ零時半頃に漸く診察に呼ばれ、ことの仔細を聞いた先生は上司の先生と二人で念入りに診察した結果「危ないから切開しましょう」と言われ「ドキッ!」指がなくなるよりマシか…と観念したのですが、直後に「利き手は?」と問われ「左です」と答えると即座に「明日の朝まで様子を見ましょうか」と返されました。切ったらひと月は使えないから利き手では困るみたいです。冷房が大嫌いな私(;;)は、翌朝までギンギンに冷房を利かした救急病棟のストレッチャーに横たわって毛布と掛蒲団を2枚宛借りて服も脱がずに包まって震えて居ました。2時間毎にナースが肘下から指先まで4箇所の太さを計りに来ましたが、少しでも太くなると即切開だそうで…(;;)怖い…💢、でも朝になっても患部の状態が変わらず時間の経過と併せて先生からひとまず切開の必要なしとの判断が頂け無事帰宅を赦されました、良かった^^

右手は「食べる」のと「書く」だけしかできない私めは、幼い頃食事と習字に左手を使ってはホッペタを抓られビンタを張られて次第に此の2つだけ右使いにさせられたのだと思い両親の腐心が偲ばれたのでした。因みに中学生以来私の渾名は「チョンギー」です^^。私がギッチョなのがお分かりになりますよね。昔は厳しい矯正が当たり前でしたから今と違ってギッチョはとても少なかったのです。でも食べることと書くことは右だと告げて居たら指を切開されて居たやろね(;;)、怖っ…💢、要らんこと言わんで良かった^^。

 

 

仕事でのお付き合いを通じて誠実な方だったため退職後も長く知友であったEさんが、帰天されて先週鈴蘭台へお別れに行ってきました。菊水山から神戸港夜明けの写真を何時も頂きブログを飾らせて頂いたのはついこの間のことでしたよ、佳人薄命、合掌m(_ _)m。優しい奥さんとEさんの想い出話に花を咲かせ、帰路の神戸電鉄粟生線は60年前の昔信州で乗った懐かしい単線でした^^。最近では自宅付近で見られなくなったトンボの王者ギンヤンマが線路を伝って疾走して行きましたが、懐かしかったなあ^^。トンボ少年の幼い頃を思い出して思わず胸がときめきました。

 

 

先週の読めそうで読めない字    夫婦は二世(にせ)主従は三世(さんぜ)

間男は止せ」と続きます^^。

来週の読めそうで読めない字    武士は(二君)に(見)えず