生き馬の目を抜くと謂われる東京で気丈にも女の独り暮らしをして居る孫が先週の連休を利用して帰神しました^^。ゴールデンウイーク以来のことでしたが見た処元気そうなのに安堵しましたが、祖父としては孫が他郷の地で変な男に騙されないかと何時も気掛かりでなりません。孫には「誇大妄想や」と嗤われますが、私の中では未だに一輪車を漕いでいた少女の頃の面影が何時まで経っても脳裏から消えず記憶が止まった儘であり仕方がありません。上の孫は結婚したものの子供が要らないらしくどうやら私は曾孫の顔を見ることができない儘に冥府に向かうことになりそうな気配であり、日本の少子化を憂う私としては、身近な処から現実を突きつけられメチャ複雑な心境です(;;)。

暑い夏ですから誰からも見られることなく奥庭にひっそり佇んでいる「忍草(しのぶぐさ)」を御覧ください。先日のこと毎年妻が頼んでいる植木屋さんが奥庭に入って居り、忍草が雑草として刈られてしまいそうになって居るのを見て慌ててその旨を伝え、間一髪忍草は生き存えることができました^^。皆様への一幅の清涼剤となれば幸いです^^。

 

あなたがしてくれなくても」この露骨な題名は4月から先月までTVドラマとして放映されたフジTVの連ドラでありましたが、最後に1週追加されましたからきっとこの作品に共感される方が多くて視聴率が高くなったせいでしょう^^。此の作品は若い夫婦のタブーである「セックスレス」をテーマとした恋愛ドラマであって人には言えない夫婦関係に悩む人達の思いを代弁するかのような不倫ドラマであり禁断の木の実を予感させるストーリーの展開でありました。最近では大人の読むコミックを基(もと)に作られるドラマが多く、この作品もSNSを中心に話題を呼んでいたアニメ作家ハルノ晴による同名コミックを原作としており、TV放映後俄に小説化までされましたから通常の経緯を辿って放映されるものとは順序が全く逆になりました。題名が露骨過ぎるために目的語が一つ省略され文法的に可怪しいものになっているようです(;;)。
内容はそれぞれの配偶者とのセックスレスに悩む男女が「同病相憐れむ」…と惹かれ合って恋仲になり一線を越える危ういスタートでしたが、視聴者の大いなる期待に背いたストーリーの終焉はカップルが元通りの鞘に戻って行く、ある意味意外なドンデン返しでありました。
仕事に感(かま)けてセックスレスになった妻を持つ男と5年間も夫とのセックスを望んで果たせない女性が知り合って過ちを犯したあとの葛藤は、将に危うい現代の世相を描き出しており、世の多くの夫婦を象徴しているように感じました。夫婦は元を言えば他人だし、昔と違って衣食住以外にお金が掛かる贅沢な世相となった上に夫婦が互いに仕事を持つ時代となっては「子は鎹(かすがい)」の格言のように子供を儲けないと夫婦の絆まで危うくなることに気付かされる特異な作品でありました。考えるに昔は「子づくり」とか言って暈(ぼか)していた床しい言葉が今ではストレートにカタカナ四文字に置き換えられて居ます。昨今何故か男も女も結婚を煩わしいと考える若い人が増加し、更には何故か中性化した若者が多くなり世間体から不承々々結婚してもセックスレス人間が頓に増加して居ます。終戦後は一年間に230万人も生まれた子供の誕生数が昨年は僅か70万人でしたから🤬、単純に平均寿命80歳を乗ずれば日本の人口は何れ5千万人に減少するは必定であって、遠くない将来に我々日本人が激減し、そのうち絶えてしまうのではないでしょうか?ある意味で色々と考えさせられる異色ドラマでありました。

 

先週の或る夕刻に自宅前のプランターに水を遣っていたら、20m離れた筋向かいの家の前に立っている少年から「おじいちゃんおじいちゃん」と甲高い声で呼び掛けられて手招きまでされました^^。小学校に上がった位の物怖じしない少年でしたが、五回も呼ばれて仕方なく知らないその子のところまで歩み寄って用件を聞くと自分が捕まえ大切に持っているトンボと蟹を私に見せるためでした(;;)。そして私を呼んだのはお母さんから垣根も何もない家の前の敷地から一歩も出ては行けないと命じられて居たからだと言いました。今どき不思議にも親に忠実で勇敢な?子供が居るもんや!と思いましたが久し振りに人見知りをしない子供に会って甚く驚くと同時に「おじいちゃん」と呼ばれた言葉から遠い昔の郷愁に思いを馳せたのでした(゜o゜;。宝物を見せて貰った代わりにメダカの赤ちゃんを見せてやるよ?と言うと「うん」と言い家の中に向かって「お母さん、メダカ見に行っても良い?」と問いかけたら、家の中からお母さんが一緒に付いてきて「わー居る居る!」と大量のメダカの幼魚を賞玩して仲良く帰って行きましたが、何だか昭和の母子に会ったように思え深い郷愁に浸った日暮れのひと時でした^^。
私の二人の孫は平成生まれであり、私のことを「じいちゃん」と呼びますが、わたし的には自らの祖父や祖母は必ず「おじいちゃん」「おばあちゃん」であって、昭和の時代では必ずそう呼んで居たのでした。「お」が付いても付かなくても大したことじゃないと思われるかも知れませんが、私は幼い頃から使っていた言葉であり敬語でもある「おじいちゃん」「おばあちゃん」を守りたいと思います。「じいちゃん」は尊敬語だと私は思って居りません。私的には今は亡き父母も「お父さん」「お母さん」でありました。

 

先週の読めそうで読めない字    形振り(なりふり)構わず

今週の読めそうで読めない字     彼は自らの立場を(弁えて)いる