遂に平成最後のブログと成りました。先日お得意先の芦屋のNさんを訪問した折、庭に生えている土筆(つくし)を見せて頂き、此の坊やを見るのは何年ぶりではなく何十年ぶりだと思い感激しました^^。最近では土筆など見たことも聞いたこともない都会の子供達が多いのではないかと思います。戦前では土筆はゼンマイや蕨などと貴重な副食品であり、母に命じられて裏の土手から土筆を取ってきて袴取りをさせられた記憶が鮮明です。お味噌汁の具でしたが腹の足しになってもそれほど美味しいものでは無かった記憶です。でも旬のものですから今でも食べている方はきっと居られると思いますよ。あの頃は日本人の殆どが貧困で食べるものがなく私など年中ひもじくて考えていることは何時の食べ物のことばかり、寝ていても台所からお茶碗の音が聞こえてきただけで目が覚めたものです。道端のスカンポ(いたどり)を食べたり、タンポポの茎を口で吸って苦い白い液体まで飲んでいた記憶が蘇り、懐かしい土筆の坊やから食べ物に飢えていた昔を思い出し、当時冬の間も素足だった足指の付け根に下駄の鼻緒が擦れてできる霜焼けの痛さから開放される春の情景まで脳裏に蘇りました。いつもの悲しい80年近く昔の回想でした。
10歳でプロ棋士となった初段中邑菫ちゃんの初デビュー対局は日本棋院で22日午後から将棋の藤井聡太くんを上回る100名もの大報道陣に囲まれてのものでしたが結果は菫ちゃんのほろ苦い敗局となりました(;;)。仕方ありませんよね、相手の大森らん初段は16歳の院生上がりで本試験合格者だし、菫ちゃんは女子推薦枠での入段ですから同じ初段でもコミ(6目半)位の実力差がありますから敗北は当然でした。でもプレッシャーは大森君の方が遥かに大きかったと思います。敗けていたら一生言われますよね^^。大学でも本試験合格者と推薦入学者は学力が違うため当初1年生はクラスを別にされると、お嬢さん学校の山手女子高校から甲南大学受験にトライし見事合格したお得意先Yさんのお嬢さんから聴きました。持ち上がり組は成績がもっと酷いので又別クラスとか…(;;)。
近畿税理士会須磨支部から86歳である会員の訃報のメールが届きました。今年になって2人目です。亡くなった方はどちらも私より年配者でしたが会員番号が古くて13000台と11000台の方でした。須磨支部には私より年長者が未だ未だ多く居られますが、合格順の登録番号からすれば14809の私が支部120名の中で最古参者となりました^^。何せ私は関西にあった6つの税理士会が統合されて近畿税理士会ができる前の大阪税理士会での入会者です。3年前には近畿税理士会も50週年を迎え賞状が本部から送られ、記念品を支部長さんから会員研修会のついでに「はいこれ記念品です」と何気に手渡されて終わりでした(;;)。持ち帰りが重いばかりのケチ臭い膝掛けタオルであり、毎年10万円余りも会費を払ってきてもう少しマシなものを呉れんのか…と思ったものです。政権政党に日本税理士会は毎年10億円も寄付しているくせに…。
余談ですが訃報と謂えばちあきなおみの「喝采」が思い出されますよね。45年も前の歌ですがあの曲はとてもいい歌でした。歌詞が暗くて発売が躊躇われたそうですが、一躍ヒットチャートNo.1 となりました。彼女も愛する夫の死去で引退してしまいましたが まだまだ歌ってほしい人でした。どうして居られるかな?楽しい人でドッキリカメラの罠に良く嵌って居ましたよね^^。
今週の読めそうで読めない字 タオルで背中を擦(こす)る
今週の読めそうで読めない字 風邪で声が(擦)れる