“光陰矢の如し”“烏飛兎走”とか謂われますが、月日の経つのは早いもので私共のHP(現在のブログ)を開設し、世相に対する拙(つたな)いオピニオンなどに手を染めてからから早や10年が経過致しました。(^^)その10年間自らに如何なる進歩があったのかと振り返ってみると自説を曲げない拙い文章に自己主張の強い牽強付会は10年間少しも変わらず、退歩はあっても僅かの進歩も見られない処は、歳のせいばかりでなく自らが持って生れた頑迷な性格によるものだと反省しておりますが、雀百までと謂いますから最早癒えることもなく三途の川まで同伴する運命でありましょうか。(;;)
先週泥棒が消火器を撒いて逃げ帰ったことをお伝えしましたが、何時かのブログを飾った昼咲き桃色月見草が枯れて半分以上が全滅しました。可哀想なことをしたと憎っくき泥棒を怨みましたが、今後此の畑の土壌がどうなるのかと気になり、ネットで調べた消火器屋さんに聞いてみると、うちは販売しているだけで粉末の成分はメーカーに聞いて下さいと言われ、教えて頂いた八田と云うメーカーさんに電話して事情を話したら、消火器の粉末は人畜無害であって畑の肥料にも使われる材質とか聞かされホッとしましたが、それなら如何して月見草が枯れてしまったのかと追い詰めると『“肥料焼け”とか言いますし…』とか誤魔化されてしまいました。(;;)取り敢えず両隣のピーナッツは何とか元気なようですし、月見草も周囲から恢復しているようなので安心することに致しました。(;;)
下の方に咲いている黄色いのがピーナッツの花です。何れ花が終わったら果実が地面に入って行って土の中でピーナッツになりますから入り易いように根元近くで花が咲き、決して上では咲きませんから生活の知恵とは言え賢いものですね。(^^)又土の中で果実が大きくなるのも烏など天敵から身を護る術(すべ)だそうですから益々賢いですね。豆科の植物は根粒菌とかのせいとかで地力が付くため後に植える作物や花にはとても良いそうですよ。
今日から大相撲名古屋場所が始まりました。嘗ては土俵の鬼と謳われた初代若の花の花田勝治氏80歳が協会を離れてから15年間の長い沈黙を破って、この度毎日新聞の単独インタービュに応えて現在の相撲界について激しく論評されました。
“こんなに相撲が変わるとは思っても見なかった、まるでレスリングだ、立ち合いの叩(はた)きや引きが多くなっているが何であんなもので負けるのか不思議でならぬ。稽古不足と言えばそれまでだが、叩(はた)いて手をついて終りでは相撲ではない、相撲の目的を忘れて目先の勝ち負けに拘り、それを咎めない親方が悪い、更には学生相撲の出身者が駆け引きで待ったをし、仕切りで相手を焦らすなどプロになってから頭の切り替えができていない、それを外人に真似られている”などと現在の相撲界をボロクソに総括されたものでありました。
又、日本人横綱の誕生については、一番心配だ!外国人とハングリー精神が違うから此の儘だと日本人の横綱は出ないのではないかと憂慮されて居りました(;;)
日本の国技とされた相撲が外人に無惨にも席捲されたことに対して、元相撲協会の理事長としてさぞ隔靴掻痒の思いをされていることと思います。師匠が悪い、師匠の指導が悪い、と繰り返し述べられた言葉には現在の相撲協会の部屋頭が指導力に乏しく、後継者が指導者としての資質ではなく單なる年功序列と自己の到達した最高位の地位によって安易に決められていることへの憤りが籠められて居たように感じられました。
若の花元理事長ならずとも相撲界の現状を憂いて居る方は各界に多く居られると思いますが、古くには水泳、卓球、バスケ、更には囲碁と世界無敵だった日本が、現在の相撲界同様諸外国の後塵を拝して居ることは紛れもない事実であり、全ての原因は我が国の高度成長と飽食時代の到来によるハングリー精神の欠如によるものであろうかと思われ情けなくてならず、残るのは将棋位になりましたが、此方は囲碁に比べて手数が短いためにコンピュータと謂う思わぬ大敵が現れ、最近では渡邉棋王が平手であわやとまで追い詰められ冷や汗ものでしたからチェスと同様の運命を辿る可能性が高くなって参りました。人間も自分の作ったロボットに負けるようでは何をか言わんや…ですね。(;;)
先週毎日新聞夕刊の『音楽評』を読んでいて、えっ!と愕きました。何時もなら『音楽評』は読者を演奏会場に誘(いざな)う役目を担っていますから、演奏者に阿(おもね)る提灯記事が多い中を今回のそれは世界的に著名なピアニストであるロハン デ シルヴァと、競演した神尾真由子(昨年度チャイコフスキー国際コンクール第一位のバイオリニスト)が、この6月に日本縦断ツアー16回の内12回目を評者が聴かれて、此をけちょんけちょんに貶されたものであったからです。ピアニストに対しては明澄感に乏しい響きでバイオリンがしっかり響いていてもピアノが覆い分断してしまうなどと不満が溢れており、神尾真由子に対しても音色が単一に近く、バイオリンの高音に出せる優艶な表情がまだしであり音楽産業の脚光を浴びているだけに自分の音と演奏とは何かを考えて欲しいと手厳しく締め括られていました。(;;)
アーチストを通り越し既に芸術家の域に入られた演奏者二人に対してこの痛快極まる批評をものにされた方は大阪大学文学研究課音楽学の教授である根岸一美と仰る先生でありましたが、私がウーンと唸(うな)ったのは、更に此の先生が聴きに行かれた演奏会場である大阪の“いずみホール”の音響特性を演奏者達が確かめる余裕がなかったのだろうかと記された箇所でありました。音楽の演奏ホールは建物自体の構造上似ていても何処か異なった作りであるため音響が異なるのは当然でしょうが、私が感じたことは演奏者がその会場の音響効果にまで神経を巡らせてあるときは強く、あるときは弱く、鍵盤を叩き又は絃を弾くことができるのか?の驚愕でありました。勿論本番に備えてリハーサルなどは入念にされたものと思いますが、音響とはスピーカーを何処に置くとかの問題ではなくてエコーの世界でしょうから、強いてならピアノ位置とバイオリニストの位置を動かすことで幾らか音響効果が変えられるかも知れませんが、そこまでの配慮を経て楽器を操ることは殆ど不可能に近いのではないかと素人考えに思ったものでありました。
然しプロの耳とは実(げ)に恐るべきものですね。神尾真由子さんも16歳にして天才少女と謳われて早や6年が経過し、世界のトップに立っての上でのこの批評はずっしりと堪(こた)えたことでしょう。音痴の私にとやかく言える次元の話ではありませんが、芸の道に到達点はありませんから芸道の厳しいことだけは骨の髄までよく分かりました。阪大の根岸先生もよくぞそこまで書いて下さいました。きっと神尾真由子さんもこの『音楽評』を人伝(ひとづて)に聞かれて更に一から初心に返って練習に励む決心をされたのではないでしょうか。(^^)
ロハン デ シルヴァの方はどうかって?エリザベス女王の晩餐会で演奏される程の大物ですから、きっと“こんな小娘如きに…”と云った気持ちがなかったとは言えませんよね。(;;)
今週の女子プロゴルフ明治チョコレートカップは横峯さくら選手全米の疲労が未だ癒えず13位タイと惨めな成績に終り自己の持つパーオン率パーセーブ率を落とすに留まりました。(;;)
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