愈々1月も最終週に入った。お陰様で愚息も少しは仕事に携わることができるようになったし、週明けからうちの事務所も確定申告本番に向かってさあ全員スタートだ!(と言っても僅か4人だけど…)。
木っ端役人にも傲慢な奴が居るもんだね。小田原市の生活支援課歴代職員64人が服のゼッケンに「保護なめんなよ」と自費作成したジャンバーを着用していたことが判明したそうだ。並みの神経の持ち主なら恥ずかしくてとても着て居られないと思うが、保護家庭訪問の際着用していたとか…、胸には「悪」「HOGO.NAMENNAYO」のロゴ付きだって…(><)、背中には「私達は正義、不正を見付けたら追及する」「不正受給する奴はクズ」などの英文印刷まであったそうだ(><)。彼等は人格も教養も品性も持ち合わせない最低の連中だね。福祉健康部長ら7人が厳重注意されたそうだが、ジャンバーが自腹だったからとの理由で64人にはお咎めなしだ。まるで貧しい人達を甚振(いたぶ)るサディストだが、お役人の「上から目線」って劣等感の裏返しだと謂われるがそうだよね、公僕って言葉は最早死語になって居る。ネット上では弱い人達を貶める言葉が溢れ返っているが、例えば「自業自得の人工透析患者には全額自己負担させろ!無理だと泣くならその儘殺せ!」とブログに書いて番組を降ろされたフリーのアナウンサーが居たが、国家負担の財政を減らすと謂う「正義」はどうなんだろうか。甘い物を食べなくてもお酒を飲まなくても生まれつき糖尿病になる体質の人って幾らでも居る。人の命は何よりも尊いと教えられた我々戦中派の人間はバブル期に育った傲慢な彼等には戸惑うばかりだ。
話は変わるが、お正月に尾木直樹先生のエッセイを読んでいたら20代結婚願望の男は3年前の67%から今では39%に低下し、女の方も82%から59%に減少と昨年6月に発表されたと書いてあった。恋人が居る20代男性は5人に一人で若者が恋愛に消極的な理由は「めんどくさい」んだそうだ。別の調査では20代の約20%が「結婚しても子供は欲しくない」とか…。どうしてそんな味気ない世の中になったのか熟々考えてみると、どうやら今の若者の親世代の姿勢が原因ではないかと思う。バブル期以降子供時代に友達との遊びや家族での団欒など人間的な触れ合いが少なくなり、独り食事をしてゲームで時間を消費する生活基調が人との触れ合いを煩わしく思う人間に育てたのではないかしら?学校生活も陰湿な虐めが多くて逃れるには自分の殻に閉じ籠もるしかないし、籠もった性格では恋愛も他人事(ひとごと)となるのかなあ、それが現代の浮き世であるなら今の若者達は心底可哀想だと思う。新解さん第五版「恋愛」の語釈は81才の私が今読んでも心躍るが、今の若い人達が読んでも全く意味が分からないかも知れないね?青春期に異性に恋をする感情は新解さん第五版の語釈そのものであり、あの切なく遣る瀬なく譬えようのない甘美な気持ちを味わったことがない人生なんて私には想像もできず、あの青春のときめきの余韻で今まで私は生きてきたと思うから、恋人を抱きしめ乍ら味わう心の高揚と喩えようもない心の充溢と仕合わせ感を知らない今の若者達はメチャメチャ可哀想だと思う。
尾木先生の「転び方を知らない子ども達」にもビックリした。今の子供は木登りや鬼ごっこや寒いときのどんま(馬跳び)など外遊びをしないから、背筋は弱くて転け方も知らず転けたとき手を付かないで顔から落ちて前歯を折ったり鼻骨が折れたりするそうだから驚いてしまう。だから膝なんか擦り剥けることを知らない。片足立ちが全くできないで、雑巾掛けをさせると脱臼する子までいるそうだからロボット以下だね、幾らスマホのラインが早く送れても運動能力がない子がどんどん増えてきているんだ。結婚しても腹筋がなくてはセックスだってやる気になれないのではないかしら?
子ども達の遊びと家族の団欒が失われた結果について尾木先生は嘆いて居られるが、10数年前にノーベル化学賞を受賞された野依良治さんが記者会見で『今の子ども達の学力低下についてどんな対策を取れば良いでしょうか』の質問に対し、『遠回りのようですが、家族が揃って食事を摂ることです。食卓を囲んで家族全員が今日のことを楽しく語らいながら感謝の気持ちでご飯を美味しく頂くことです』と答えられたが、含蓄のあるとても素晴らしい言葉であり心に響きました。日本中の子供が高校生になっても今こんな団欒家庭が何割いや何%あるんだろう?そうだ!学力って生活環境から生まれるんだ!家族の団欒は学力だけでなく、友人関係、対人関係などあらゆる外部との関係の原点に違いないから其れを忘れたのが今の若者なのかも知れない。子供の非行、引き籠もり、家庭内暴力は全て団欒家庭の構築への努力を怠った親達の責任なんだと思う。団欒の字から私に小津安二郎や向田邦子を想い出す。あの頃が懐かしいよ。団欒なんてなくなった証拠にこの頃は誰も団欒って漢字が書けないよね;;。
三省堂国語辞典 しかと(する) 無視すること、花札の鹿の絵から…
新解さんには「しかと」はありません
新潮国語辞典「しかと」はありません
明鏡国語辞典 しかと(する) 相手を無視すること、花札の10月に書かれて居る鹿が横を向いて居ることから…
調べて見ると1980年代に不良どもが使った俗語が生き残った言葉だそうだが、10月の鹿だから「シカト」とは単純明快だがセンスが全く感じられぬからハイソサイエティーから生まれた言葉でないことが即座に分かる。新潮さんと新解さんがこの言葉をシカトしたのは言葉に対するプライドだろう。三国は中学生が相手の辞典だから利用者を慮って已むを得ず入れたんだろうと思う。明鏡さんの型破りは何時ものことだ。
先週の読めそうで読めない漢字 首相の施政方針を論(あげつら)う
今週の読めそうで読めない漢字 (人間)到る処青山あり、「にんげん」と読まないでね