先週の月曜日午後の降雪は凄かった。牡丹雪なのに見る見る間に事務所の庭が一面銀世界となり(^^)ビオトープで寛いでいるメダカや川エビ達もさぞかし愕いたことだろう。
アラブの赤鬼ムバラクも民衆の怒りには勝てず30年間居座った地位を辞任し逃走したが、逃げる直前に此まで不正に貯め込んだ一族の資産400億ポンド(5兆3000億円)を他国に移動したことが明らかになり、エジプト人民の貧困はムバラク一族の汚職などによる不法な蓄財に反比例したものだと思われるが、飢えに苦しむ人民の上前を撥ねるなんて悪い元首も居たものだ。こんな奴は地の果てまで追い掛けて捉まえ梟(さら)し首にすべきだろう:-)。大統領の辞任で果たして今後エジプト人民は絶望的なインフレと貧困から解放されるのか。政権を掌握した軍事政権に政治力があるとも思えないが、彼等の軍事政権否定も信用ならずエジプト国民には更なる試練が訪れることを憂える。イスラエルとの平和条約にしても宗教的な対立は畢竟ヤーウェとアッラーの神に関する根源的な問題であり解決は先ず困難だろう。
中東各国の民主化は世界の注目する処だが、アラブ諸国はイランを筆頭にアルジェリア、ヨルダン、シリアなど全て長期に亘って国王や大統領が専横政治を敷いて居るからどの国も貧富の差が極度に激しく国王達一部の特権階級が自らの地位と財産を護るために彼等以外の人民は誰もが日本で謂えば所謂“穢多”のような身分で生涯を暮らせねばならぬのだろうか。私共は詰まらない国だが貧富の差の大きくない日本人として生まれ仕合わせだと考えねばならぬだろう。
先週駅前の本屋で文芸春秋3月号を買い求めた。今回晴れて芥川賞に輝き、父親が強盗強姦罪で監獄行きとなったため、母親と夜逃げ中卒で日雇い労務者をして風俗通い、暴行傷害事件で2回も逮捕歴のある破天荒で破滅型私小説作家43歳西村賢太の受賞作品“苦役列車”が掲載されたためだったが、作品の内容は彼の辿った底辺の生活そのもの低俗で下品で卑猥なもので凡そ純文学を標榜する芥川賞の品格にそぐわないもので、賞の銓衡者達の価値観が時代と共に変遷してきたのかと思われた。泉下の芥川龍之介が読まれたらさぞかし愕き卒倒されたろう(;;)。昭和30年に受賞した石原慎太郎の“太陽の季節”なんてちょろこいもので(;;)その彼が銓衡委員の一人だったことも何とも皮肉な回り合わせだった(^^)。
私が愕いたのは西村賢太の文章の巧拙などではなく、到底中卒が書いたとは思われぬ難解な漢字や熟語の羅列だった。“黽勉(びんべん)たる労働”こんな言葉はついぞ此まで私がお目に掛かったことのない言葉で、著者が自らの無学を上擦(なす)りするため難解な漢字を無理矢理学んで覚えたとは到底考えられず、熟語の年輪から昭和初期以前の文芸書を読み熟し、弛まぬ努力を重ねて知らず知らずに取得されたものと推察し甚く敬服した。人間は自己を錬磨し研鑽するにはその意志と行動力さえあれば学校など全く不要であり、人生、高校大学の6年間は一体何のためにあるのだろうかと考えさせられる一刻(とき)だった。
因みに“黽勉たる”とは辞書によると努め励むことを謂い、浅学非才の私は“黽”は青蛙の意味としか知らず恥ずかしくも”努める、励む“の意があることも”黽勉“をも全く以て知らなかった(;;)。
今日の昼食は何時もの松屋で何時ものカレーだった。私の行く時間は大体11時半位で充分に空いて居るが、先日から牛丼の値が250円に下げられたので俄に客数が増し最近は12時には満員となるようだ(^^)。
入店時に松屋のパート店員の挨拶は決まって“いらっしゃいませ、こんにちは”であり、最近松屋に限らず何処其処でこの種の挨拶が多く見られる。少し気になったのでチケットを取りに来た店員に“朝から晩までいらっしゃいませ、こんにちは”と言うの?と聞くと“いいえ朝はお早うございます、夜はこんばんは、に変えます。こんにちは、は10時から5時までです”と答えられ、へえ?時計を見て挨拶を変えるのも大変やね“と言うと”私は夜のシフトが多いので昼のシフトでもつい、こんばんは、と言ってしまいます“とはにかんで居た(^^)。松屋は24時間営業であり、午前0時から”こんばんは“が”お早うございます“に切り替わるのかどうかをうっかりと聞きそびれた(;;)が、未成年の女の子だったから深夜勤務はなく聞いても返答に困ったことだろう。
昔は何処も、”いらっしゃいませ“だけだったから如何してこうなったのか熟(つらつら)考えるに、昨今人件費節減でチェーン店などは自動券売機など何もかもセルフ形式に代り、店員が”何に致しましょうか“とか”此方にどうぞ“など対面で客を構うことのない傾向に変わってきたため、顔を合わさず声だけならせめて挨拶だけでもしっかりと…と、接客マニュアルが丁寧語の連続となったようだ。然し丁寧語は続ければよいと謂うものではなく、重複は却って相手への礼を失することになるのではないか。松屋に限らずコンビニの店員にしても最近の若者は何故か目を合わすことを好まず、目が合えばすっと逸らす連中が多く、話をするときでも意識的に相手の顔や目を見ない手合いが多くなったが、相手の目を見て話す正しい礼儀が忘れられてきたことは困ったことだ。学校教育の一環として手話でも取り入れて、聾唖者が話す相手に相手の目を見て如何に表情たっぷりに自分を表現されているかを直接子供達が目の辺りにできるような教育を実践したらどうだろうか(;;)。戦前に育った人間の一人として客への挨拶はしっかりと相手を見詰め乍ら行うものだと信じて居り、客にお尻を向けて“いらっしゃいませ、こんにちは”はなかろうが…と心底思ったものだ(;;)。
先週の常用漢字表外読みの答え
盥(たらい)が(燥ぐ) (はしゃぐ)でした。
“はしゃぐ”は本来調子に乗って騒ぐの意ですが、水分がなくなり乾燥するの意がある。
今週の表外読みの問題
(疾う)に帰られました。