先月の末31日の夜関与先のYさん(この方は80歳近い一人暮らしの女性で子なしの独り暮らしです。)から電話があり、何でも裁判所のような処からから動産不動産の差押えの書類が来たと怯え声だったのです。事情がよく分からぬので取り敢えず書類を読んで貰い、不謹慎ではありましたが思わず噴き出してしまったのでした。内容は下欄の写真にある如くであり、明日までに電話を掛けさせようとする巧妙な手口は所謂オレオレ詐欺の類(たぐい)であり独り暮らしの老人をターゲットにした悪質なものと判明しましたので、早速近くの交番所に届けるように申し上げ、参考までにコピーを撮って貰うよう頼んでいたコピーが一昨日頂けたので皆様にご紹介することとなりました。こんな書類でも50人に一人位は気になって電話をし、その内幾人かは引っ掛かって餌食にされる人が出てくるのでしょう。それにしても通販もどきのフリーダイヤルには笑ってしまいますよね。
お年寄りがシブチンなのを知ってのフリーダイヤルなのが馬脚を現す基になっていることもご愛嬌ですよね。(^^)


200511201

悲愁の風更けて

陣雲暗し 五丈原(ごじょうげん)

零露(れいろ)の文(あや)は茂くして

草枯れ 馬は肥ゆるども

蜀群の旗 光なく

鼓角の音も 今静か

丞相(じょうそう)病(やまい)あつかりき

戦中派の方なら一度は耳にされ口遊(ずさ)まれたことがあるでしょう。明治33年、当時旧制仙台二高(現東北大学)の教授に任ぜられた弱冠29歳の土井晩翠("荒城の月"の作詞家)によって作られた漢詩【星落秋風五丈原(ほしおつしゅうふうごじょうげん)】の冒頭の一節です。

50数年前に聞いた詩(うた)でありましたが、現在同様当時も"漢文"は必須課目ではなく、そのために私はこの課目を履修する機会を失ったことに生涯の悔いを残すことになりましたが、漢文は言葉の韻律を大切に護るために日本人には不可欠なものであると考えられ、特に言葉の乱れの激しい昨今漢文の七五調は失われた正しい日本語を回復する原点ではないかと思っております。

この詩が私のWEBの仲間入りしたきっかけは先日朋友(元囲碁アマ名人)西村修君が所用でうちの事務所に立ち寄ったとき、漢字の話から話の弾みで"準1級に受かるならこの詩位詠めんとあかんぞ"と漢詩【星落秋風五丈原】全文のコピーを頂戴しましたが、上述はその第一章第一節であり全文は七章44節もある壮大な詩(うた)です。青年期に覚えたものは幾歳になっても忘れることなく却って記憶を深めるものであり、大正から戦前まで旧制高校では漢詩や漢書の素読が義務付けられ誰もがこの詩を暗誦させられていましたから、西村君曰く"僕は3節しか詠えんけど、旧制高校卒の90歳代の人なら全員この詩の全文を諳(そら)んじている"は、成程と納得させられるものでありました。

私など未だに諳んじているのは藤村の"千曲川旅情の詩"や"初恋"位でありますから恥ずかしや恥ずかしやです。(;;)

三国志で有名な諸葛亮孔明が蜀の丞相(宰相)として古戦場五丈原で僅か9万人の軍勢で35万人の魏の大軍と闘い勝利を目前にして不運にも病いに倒れ諸葛亮が死に逝く様を詠ったこの詩は土井晩翠が東洋史に通じ三国志の原文を精読したことが滲み出ており、漢文の素養格段の豊かさから格調高い名文が連なり、各節尾に詠われた"丞相病篤かりき"は詠む者をして今風に謂えば所謂"鳥肌が立つ"衝撃でありました。

"星落秋風五丈原"の題名は孔明が病で無念の死を遂げたとき、大きな流れ星が飛び逝きたことから付けられたものでありましょう。この時魏の大将司馬壱恣(仲達)は流れ星から孔明が死んだことを悟って蜀軍に総攻撃を掛けようとしますが、蜀軍には孔明の姿(木像だった)がありこれに狼狽した仲達は慌てて逃げ帰った。これが『死せる孔明、生ける仲達を走らす』の名句として後世に残されたことは皆様もご存知の通りです。皆様も一度この詩の全文を詠まれたら如何ですか、ネット検索"詩歌の館"より簡単に貴方の手に入りますよ。そして吉川英治、村上知之最近では北方謙三"の三国志"全13巻など如何でしょうか。現在角川文庫で発売中です。読書の秋ですものね。(^^)



読書と謂えばジユンク堂明石店が9月から休業しました。仕事で明石に行くとき帰路ちょくちょくと立ち寄っていましたから不便でなりません。と言ってもジユンク堂が経営不振に陥った訳ではなく、ダイエー明石店が8月一杯で店仕舞したためテナントは全て放り出される運命となったものですから不運です。入り口がなくなっただけの理由で休業とはジユンク堂も災難でしたね。フロアも5階6階全部と広く従業員も結構居ましたからその後をどうしたのでしょう。第一何万冊もの図書を問屋に返品するにせよ大変な手間ですし、委託でなく買取りの図書も少なくなかったでしょうから相当な損失補償を貰わないと引き合いませんがダイエーとはどんな契約だったことか聞いてみたいですね。

"甲(ダイエー)の都合による店舗閉鎖には無条件に無償で立ち退くこと…"の一項が入っていたりして…(;;)



半導体部門と白物(冷蔵庫洗濯機など)の不振から苦境に陥り、苦肉の策から創業者井植歳の孫を社長に据えて、藁をも縋る思いで外部からCEOを迎えた三洋電機でありましたが、遂に破綻の幕開けを迎えようとしています。05年期の予想赤字は当初920億円でありましたが、その後何んだかんだと増え続けてこの株高にも関らず最終2300億円もの巨額欠損に膨らむことが明らかになり、創業者2代目の井植敏氏等長老達が責任を取って退任する方向で金融機関の顔色を窺うことになりました。

事件の発端はニュースキャスターである野中ともよ氏が今春突然CEOに就任し財界をアッと言わせたものでありますが、早くも古瀬洋一郎常務と経営路線を巡って対立し、中に入って調整をすべき社長が30代の若僧で乳母日傘のボンボンですから何もできず、結局古瀬常務が先月に会社に見切りをつけて辞任し、三洋電機は貴重な人材を一人失うことになりましたが、私はクビにすべきはCEOであったと考えます。

CEOとはChief Executive Officer(実務部門の親玉)ですからニュースキャスター如きに勤まる道理がありません。彼女はアサヒビールの社外取締役をも務めていますが、外部からのアドバイスはできても、中に入ると"木を見て森を見ず"は必定であり実務家になるためには実戦での長い経験が必要とされることは経営学のイロハです。世に"評論家に小説書けぬ"と謂いますが正にその通りであり、野中ともよに実務の手腕を期待することは軍師諸葛亮孔明に槍を持って敵陣に突っ込めというが如くでありましょう。経営陣が目論む再建策は何もなく窮余の一策として従業員の給与を5%カットし更に主力銀行などに2000億円の増資を押し付けようとしていますが、これとて借入金が資本金となり、自己資本比率が10%になるだけでキャッシュフローの助けになりませんから三洋の苦境は益々深まるものと思われ何れは白物ならぬ白旗を掲げて松下やシャープの軍門に下ることになるのではないでしょうか。



紀宮様が嫁がれました。静かで穏やかな波の立たぬ湖であった上流生活から一見温室と思えても実は茨の牢獄に投げ込まれ一人の姑と数知れぬ小姑に虐げられた美智子妃にしてみれば、全てが規則尽くめで個人の意思などどうにもならない皇宮での生活から紀宮様を出られることには大賛成であったと思いますが、果たして紀宮様が美智子妃と正反対のコースである庶民の生活と謂う未体験ゾーンに上手く順応できるのか不安が一杯であったと思います。嫁がれる朝、美智子妃は紀宮様をきつく抱きしめられて幾度も"大丈夫よ"と仰られたそうですが、世の中というものは幾ら話や書物で身に付けても実際に自分が体験しないことには実感できないことが山程あります。その辺を皇后様は懸念されての抱擁であり"大丈夫よ"の半分は不安を拭い去るためご自分への言葉も含まれていたのではなかったでしょうか。清子(さやこ)さま一日も早く庶民の生活に馴染み、スーパーでご近所の方と世間話などできる環境に慣れられたらいいですね。それが唯一皇后様の願いだと思いますよ。

お輿入れには皇宮警察の4台のサイドカーが紀宮様の護衛を兼ねて随行し花を添えましたね。サイドカ-と聞くと四半世紀前を想い出し若き?日の血が騒ぎます。皇宮警察では戦時中一時国産の"陸王"のサイドカーが使われていましたが、戦後は元通りずっとハーレーダビッドソンであり、リッター当たり1キロの走行とか(;;)聞きました。寿命を迎えたのと故障が多いので現在は皇宮用としてホンダに特注されたものが使われていますが、車輪が3つあれば良いと謂うものではなく、ホンダのサイドカーでは観ているものに夢を与えません。あれでは女子マラソンを撮影するメディアのカメラマンの搭乗した不恰好なサイドカーと少しも変わりませんね。矢張りサイドカーはハーレーの偉容とあのサウンドがなければ迫力がありません。年に数回しか使用せず点検ばかりしているサイドカーですが、ブッシュさん今回は京都で良かったけど、皇居訪問などと強請(ねだ)られると本来なら出馬せねばなりませんから皇宮警察のサイドカーも偶には忙しくなりますね。処がブッシュさんにどうしてアメリカのハーレーを使わんのかと噛み付かれたら困るので警視庁の白バイで誤魔化したりして…(^^)


2005112021

四半世紀前の私と当時の愛車ハーレー(正式名 ハーレーダビッドソン エレクトラグライド エフ エル エッチ  クラシック ウイズ サイドカー)です。永い名前ですね。(^^)ご笑覧下さい。♪僕の心は舞子が浜よ、他に(木)気はない(松)待つばかり…♪(商大小唄より)と唄われた舞子が浜で未だ明石海峡大橋のない25年前写したものです。四半世紀の年月は私だけでなく写真をも随分老化させてしまいました。(;;)



恐らくラストチャンスであったでしょう、復活を賭けたQちゃん(高橋尚子33歳)が右足肉離れの不安にも関らず混戦の35.8km遂に先頭集団から疾風の如く抜け出し、2年振り東京国際女子マラソンを背水の陣で勝ち取り、悪夢の2年前の雪辱を遂げました。
東京国際への彼女の執念と神仏のご加護によるものと思いますが、それにしても判官贔屓は日本人の真髄です。2年前の鬱憤を晴らしたいと必死で旗を打ち振った沿道の大群集と声援は物凄かったですね。Qちゃんには何よりの援軍になったことでしょう。多くのTV観戦の方も多くてきっと視聴率は20%を遥かに超えたものと思われます。Qちゃん本当におめでとう。(^^)

女子プロゴルフも後2試合かと思ったら1試合でしたね。残念ながら横峯さくらちゃんは5ケ月振りお父さんの懸命のキャディーにも関らず37位タイと沈み残る1試合に賞金順位3位への返り咲きを賭けることになりました。
挫けるな!さくらちゃん(^○^)/