あれだけ毎朝懸命に種なし西瓜雌花の開花を探していたのに先週初めに女子職員が朝出勤時に玄関先の庭の柵に左右2つも西瓜がぶら下がっているのに気付いて教えて呉れました^^。2つとも事務所の外塀の桟を蔓が巻いて内側に西瓜がぶら下がっているではありませんか。着果した時点で実がぶら下がっていたため冬瓜のように楕円形でした。慌てて柵に絡みついている蔓を切り地面に下ろして発泡スチロールを敷いて安定させましたが、上手く丸くなってくれるかどうか興味深い処です。予備の株にはちゃんと着果して収穫期を迎えて居るのに本命株は幾ら雌花に受粉させても黒くなって腐るばかり…、もうダメなんやと諦めていたら最近になって葉も茂って蔓がぐんぐんと伸びだしたのは肥料の効果が後になって出てきたせいだとわかりましたが繁茂し過ぎて雌花の開花には気付きませんでした(;;)。でも、何時の間にかチャンと媒介の昆虫が種あり西瓜の雄花の花粉を庭の西南から東の端まで遥々20mを運んで来てくれてたんや^^。蝶々か蜂か知らんけど有難うねm(_ _)m。
上の写真は、10日後のものです。茂みの右上に西瓜がありますが分かりますか?こんなに大きくなりました^^。
今日は我が国の教育のあり方に意見を呈したいと思います。シカゴ大学や東京大学など世界中で経済学を教えられた宇沢弘文先生の著書を私は愛読して居ますが、中でも「自動車の社会的費用」と「人間の経済」は私如き非才にもよく理解できる好著です。入学試験は成績の優秀な生徒を確保するためにありますが、先生は著書「人間の経済」でシカゴ大学内の選考試験について触れられ、優秀な成績で入学した学生の大半が学者として大してモノにならなかったので逆に合格者のうち点の悪い者から順に選んでみたら優秀な人材が揃うようになったとか…^^。ウソー!実の処、人が内に秘めた力など外部から正しく測ることはとても難しいことなんでしょう。宇沢先生は文科省が大学入試共通テストなど学生の内に秘めた個性特性を全く考慮することなく一定の生徒を選ぶために陳腐な方法を用い恬として恥じないのは奇怪であって所詮五者択一問題なんかで優秀な人間が選べる道理がないと嘆いて居られます(;;)。国語問題に自分の著書の一部を採用された作家が自分には正答が分からなかった例は山田詠美など文学者から数知れず報告されて居ることだし、加えて問題作成者の資質にも問題があるのはとても遺憾です。採点が容易でも正答が得られない5択など罷めて私は論文式の出題にすればきっと個性ある優秀な学生が選べると思います。昔のアナログ時代の問題は採点者の質と採点方法や時間が大変だから罷(や)めたと思いますが良い学生を選ぶために出題と解答の省力化するなんて学生をバカにして居ます、効率重視の現代では公平な採点が難しい論文問題は現実的でなくムリなんでしょうか(;;)。センター試験は文科省が安易な方法で自分たちの操れる学生を見付けようとする簡便法かも知れません。個性溢れた優秀な学生を見付けることはそれだけ手間隙(ひま)かけないとできないけど絶対にしなければならぬと宇沢先生は言って居られます。
私ごとで恐縮ですが65年前のことです。大学受験の昭和29年は鍋底不景気でもあったし「商大(家から歩いて通える)に落ちたら、後は知らんからな!」と四年後に勘当までされる怖い父から引導を渡され、仕方なく昼間は大阪で丁稚奉公をするつもりで当時は天神橋6丁目の関西大学経済学部の夜間部を受験しました。そのとき一般社会の出題で「民主主義について述べよ」と800字論文が出題されたことを憶えています。思うに関大は夜学の受験生如きの書いた論文まで真剣に読んでくれてたんや!採点者はきっと大変だったと思いますが昔は例え相手がしがない夜間生であっても其れ位手間隙(ひま)かけて力を吟味してくれて居たのでした。論文は国語作文、国文法更には漢字力も充分に試せるし入試に不可欠ではないでしようか。なんや!今の文科省は!何が5択や!💢。学問は自分の教養のためだと私は懸命に励みましたが、今の学生には学問は教養でなく受験のためのものなんや!(;;)。それなら受験が済んだら先ず忘れるよな💢。金太郎飴のような学生だけ作って文科省は日本の未来を政治家の思い取りにするつもりなんや❢!
京アニ事件は悲惨な事件でした。犯人は重症とか自業自得ですが、此奴の手術治療費は誰は支払うの?阪大病院に移送されたから国が税金で払うことになりそうや(;;)けど結局我々の税金やないの?
今日は参議院選挙です。何故かカナ表示の候補者が多いけど自民党比例区の候補者33名を数えたらカナが87字で漢字は80字やった(;;)漢字が読めないんやろと自民党は選挙民をバカにするな!❢💢。
先週の読めそうで読めない字 彼は情(すげ)なく横を向いた
今週の読めそうで読めない字 (紅娘)