防災と学校の役割り

雨が降ったりして寒い一週間でしたね(;;)週刻みに寒さが増してくるように感じられますが皆様お元気ですか?小生は先週或る日の早朝5時頃にふと思いついて寝巻き姿の儘、隣の事務所に書類を取りに行った帰路、序でに…と何気に普段日夜私達夫婦の生活を支え、苦労を掛けている娘の役に少しでも立てばと考えて先夜洗った下着の洗濯物を洗濯機から取り出し寝巻き姿の儘、物干し竿に掛けて居たら、突如私の背筋がゾクリと撃たれ、瞬間風邪に罹患したことを知りました(;;)。その後布団に包まるも熱がどんどん上がって8度6分にまでなったので、娘に助けを求めて解熱剤を貰う羽目となり現在も7度台の発熱で仕事に齟齬を来し職員の足を引っ張っている体たらくは恥ずかしい限りであって「年寄の冷水」の典型でありました(;;)。

富山県内で最大震度5強を観測した能登半島地震で、住民が緊急避難場所に指定された小中学校に避難しようとしたところ、校舎が施錠された儘になって入れなかったケースが富山市で相次いで居たことが判明しました🤬。仕方なく住民達はガラス窓を割って鍵を開けて中に避難した学校も少なくなかったそうです🤬。学校には今も宿直制度があるのか先生が偉くなって廃止されたのか良く分からないけど、夜間警備のガードマンくらい置いてそうなのに不思議です?当時は津波警報も発令されており、市は今になって迅速な解錠方法を検討して居るそうですが、学校自体が汎ゆる災害に対する避難場所であること位役所は知らなかった筈はありませんからお粗末極まる慣例でしたね(;;)。こう謂うのを巷ではお役所仕事って嗤うよな🤬。

市立水橋西部小学校(水橋辻ヶ堂)は海岸から600メートル離れた場所に位置し、津波の指定緊急避難場所になっています。地震発生から約20分後には富山湾で最大の津波(80センチ)が観測され、その頃、同校には150人ほどの市民が集まっていました。然し、校舎は施錠された儘であって外の非常階段では最上部の3階付近に人が殺到していたそうです🤬。

そこで、避難誘導をしていた押田大祐市議が「階段で将棋倒しになる危険もある」と考え、市の許可を得た上で職員室の窓を割って中に入り、校舎の鍵を開けました。息子夫婦ら9人で避難した男性80歳は「津波避難は「とにかく高いところに」と謂うのが頭にあったので、中に入れるまではずっと不安だった。と振り返りました。

市防災危機管理課によると、今回の地震で住民がガラス窓を割って中から鍵を開けた小中学校は8校あったそうです。鍵を管理しているのは、各地区センターの職員か学校関係者ですが、いずれも校区内に住んでいるとは限らず🤬、水橋西部小学校では地震発生から地区センター所長が到着するまで約50分も掛かったのは危機管理をなおざりにしていると思われても仕方がないと思います🤬。 こうした遅れを解消するため、全国では屋上につながる外付け階段の前に蹴破れるドアを設置したり、避難所の鍵を暗証番号で開けられる電気錠に変更したりしている自治体もありますがてんでにバラバラであって毎年行われる全国市町村長会は単なる公費による飲み会なんだろうね🤬。

高知県四万十市では2012年、市立竹島小学校で屋上に避難できる外付け階段を設置し、日頃は階段の入り口を集合住宅のバルコニーなどに設ける「隔て板」で閉じ、災害時は蹴破って避難できるようにしました。三重県桑名市でも緊急避難施設の扉に非常時は壊すことのできる小窓をつけ、鍵を開けられるようにしています。両自治体の避難所の学校には、震度5弱以上で自動的に蓋が開いて鍵を取り出せる箱も設置されています。一方、18年に西日本豪雨の被害を受けた広島県三原市では、学校の体育館や公民館など市内22か所の鍵を暗証番号で開けられる電気錠に変更しました。地元住民も市が電話で暗証番号を伝えることで解錠できます。同市デジタル化戦略課の担当者の話では「開閉時間も記録できるし、安全を担保しながら解錠も早くできる」そうです^^。

然し、こうした仕組みは南海トラフの恐怖を知らない富山市では導入されておらず、藤井裕久市長は4日の定例記者会見で、ガラス窓を割って鍵を開けたケースが相次いだことを認め、「オートロックなど市側で解錠ができるシステム導入を検討したい」と語りました。全国の市町村長会で当然に取り上げられ実行されている筈の災害対策が唯漫然と見過ごされている実情には驚くほかありませんが、全国市町村長会議なんて唯のお酒を飲む会だと思い込んでいる人が殆どなのは当然でしたね🤬。でも私の素人考えですが、災害など数十年に一度あるかないかのことだし、解錠システムに多額な税金を費やすより壊したガラスの交換費用の方が予算的には遥かに廉価なのではないかと考えますが、皆様は如何思われますか?。

 

先週の読めそうで読めない字 怖ず怖ず(おずおず)と前に出る     

今週の読めそうで読めない字 道路を(系ぐ)

おざなりな調査報告書

松の内も明日までであり暖かいお正月も僅かであってずっと寒い日が続きましたね。街中では帰郷やら旅行から帰ってきた多くのビジネスマンやビジネスウーマンが何時ものようにさり気なく闊歩して居ますが、私達のように誰からも忘れられた片田舎である町外れの人間には何時も変わらぬ見慣れた長閑な風景が続いて居ますからお正月というイベントがTV番組特番になっている位にしか思えず正月は年に一度の仕事でのロングバケーションだと割り切って考えております。

東京都町田市立小学校に通っていた6年生の女子児童当時(12歳が「苛めを受けていた」などとするメモを残し自殺していたことが最近分かりました🤬。市教育委員会は事件の風化を期待して苛めと自殺の因果関係をゆっくりと調査しています🤬。両親は都内で記者会見をして「学校や市教委から十分な説明がなく、不誠実だ!」と語りました🤬。文部科学省に調査の徹底などを求める要望書も提出しました。そして両親は記者会見で、女児への苛めに関し「学校が配ったタブレット端末が苛めに使われた。娘は独りで闘っていた。早く事実を知りたい」と涙を流して語ったのです🤬。

遺族と代理人弁護士によると、女児は自室で亡くなっているのが見つかり、机の引き出しに遺書とみられる複数のメモが残されて居たのです(;;)。児童2人の名前を挙げ「お前らの玩具じゃない」などと記してありました🤬。

学校は記者会見にて女児の死後、同級生ら約30人から聞き取りを行ったと説明し、苛めは4年生の頃に始まりメモの2人を含む計4人が関与したと述べました。女児が仲間外れにされたり、「死ね」と言われたりしたとの証言まであったと明かました🤬。

そして児童同士が学校貸与のタブレット端末のチャット機能で、女児の名前を挙げ「うざい」「お願いだから死んで」などとやりとりし、その内容を女児が端末上で目にしていたことも指摘しました。

遺族によると、いじめは9月の学校のアンケートで発覚しましたが当時は秘匿されて伝えられず、知ったのは女児の死後だったそうです。学校は当初、児童が女児に謝罪したとして「問題は解決済み」と主張し、両親が開示を求めたチャットの履歴も「見当たらない」と空々しく回答したそうです🤬。

その後、他の児童が作成し、一部に「この女児の殺しかた」と題する絵が描かれたノートを学校が保管していたことが判明し、2月に学校が独自の調査報告書を纏めていたことも分かったそうですからチャットの内容を把握していた学校も明らかに共犯者だったのではなかったでしょうか🤬。確信犯やんか!

市教委はいじめ防止対策推進法が定める「重大事態」として、非公開の常設委員会で調査していますが、担当者は「遺族の意向に沿って対応してきたが、今後も丁寧な説明をしながら調査を進めたい」と空々しく話ししていますが、こんな不誠実な対応では親は怒リ狂って当然です🤬。自殺した子供の心情を分かろうともせず唯々言い逃れに終始する先生たちの態度は腹立たしい限りで聞いただけで私の血圧が上がります🤬が現在の教育現場は日本国中此のような状態が絶えず蔓延し継続していることを知って甚く悲しみに暮れたものです❢。

我々の学生時代には存在しなかった学校貸与のタブレット端末が齎した事件ですが、生徒たちが情報を共有できたと謂うことは当然先生たちも知って居たことになりますよね、私が思うに全く不誠実極まりない先生達の態度が腹立たしくてなりません🤬が、恐らくタブレットの悪用を予想もしていない単細胞な今の教育制度そのものが子供達の心に寄り添わない空虚なものであることを思い知り、教育現場に子どもたちを想う細かい思い遣りの心が欠けていることを実感しました🤬。何とか先生の無関心から子ども達を助ける方法はないものかと考えますが今の文科省のやり方では先ず無理なんだろうと思います🤬。学校って生徒が主役であるべきですが文科省の遣り方では実際には先生が主役で生徒は脇役なんや!🤬そして都合が悪くなったら事実を隠蔽して植木等のマネをし「♬ハイそれまでよ♫」を目指します🤬🤬🤬。生徒にセクハラする先生と児童教育に無関心な先生を除外したら残る先生は何パーセント居るのかな?

 

先週の読めそうで読めない字   私は心底(しんそこ)感心した

今週の読めそうで読めない字  ( 怖ず怖ず)と前に出る。

 

脚注「おざなり」とは?「おざなり」と「なおざり」は意味が近く、共にいい加減な言動を指していうが、「おざなり」は「御座成り」と書くように、当座の間に合わせの意味であり、自分で意識的にいいかげんな言動をしてその場を逃れようとすること

能登の大災害

新年明けまして御目出度うございますm(_ _)m。

今年も又暖かいお正月でありました、皆様も快適な新年を迎えられたと思います。処が元日の午後突如北陸地方を襲った大津波と大地震によって既に百数十人もの死亡者が確認され、不明者の数は数百名に登るそうですが、我等同胞の尊い命が奪われ日本列島は震撼し東北大震災の再来かと国民誰もが身震いする非常事態が生じ、元日のNHKラジオも唯々高い方に逃げて下さいとしか言わぬもどかしさには彼の地には多くの原子力発電所が存在するため多くの国民がその恐ろしさに身を捩って慄きましたが、その後原発については発電所内にて我々に知られたくない問題が勃発しているようですが、政府は固く口を閉じているので原子炉の損傷や処理水の流出など周辺地域に影響がなかったのか秘匿されているのではないでしょうか?、或いは若しや国民が欺かれて居るのではないかと内心強く危惧するのでありました🤬。倒壊した珠州の民家から昨日口の聞ける90歳代女性生存者の生存者が奇跡的に発見!されたことは災害史上初の出来事です!女性は強い!而も90歳代とは(゜o゜;/今回の災害にはっ阪神大震災と違って大きなネックがあり、それは現地への交通網が震災と津波に依って道路が寸断されて余りにも劣悪であり、避難物資は全てヘリコプターが用いられ、民間ボランティアの現地入が不可能に近いと謂うことでありました(;;)。

第100回東京箱根間往復大学駅伝は2日3日と東京・大手町と神奈川県箱根町までの往復10区間220キロに関東の23校が参加して行われましたが、2日の往路を制した青学大が復路でも強さを発揮し、10時間41分25秒の大会新記録で2年ぶり7度目の総合優勝を果たし、誰もが疑って居なかった駒澤大学の三連覇を阻みました^^。昨年10月の出雲全日本選抜と同11月の全日本を制した駒澤大学は惜しくも6分35秒差の2位に終わり、史上初となる2季連続の大学駅伝3冠を逃しましたが、駒澤大学は「過去の自分」と勝負し、相手を見て居なかったのが敗因だったと思いました(;;)。昨シーズンから3大駅伝をすべて制した圧倒的な強さを考えれば、それもやむを得ないのかも知れませんが、青山学院大学は絶対に倒さなければいけない駒沢大という明確な「相手」があり、チーム内からは「駒沢の2区と3区を抑えれば勝てる」という具体的な目標までありました。手順通り2区の黒田3区の太田が相手エースに区間順位で走り勝ったのでした^^。青山学院の駅伝力にはもともと定評がありましが今回は追う立場となり、相手に勝とうという強い気持ちが数字だけでは見えない力を存分に引き出した結果でしょう。私は駒澤大学が3冠へのプレッシャーの大きさに各選手が押し潰されたものだと思いましたが、追われる立場の者って「勝たねばならぬ!」思いが強い分だけ足に力が入っての敗北は体力と謂うより「勝つと思うな、思えば負けよ」選手個人が有する「王将」の心意気でしたね。又、無名の城西大学が5区の雨の箱根路を昨年に続いて新記録を打ち立てた山本選手の活躍を軸として3強の一角に食い込んだのはメチャ凄い!と思いました^0^/。

石川県の能登で起こった大地震並びに大津波は足が挟まって動けません><助けてください>。X(旧ツイッター)ではそんな投稿が広がりました🤬。住所は石川県川永市と書かれています。ところが同県内にそんな名前の市は存在しないからこのXがガセネタだと分かりますが、私達の同胞に降り掛かった災難にこのような偽情報を流して喜ぶ連中の登場は到底許せませんが、このような手合を懲らしめる手立てはないものでしょうか🤬。

 

先週の読めそうで読めない字   着物の裾を纏(まつ)る

今週の読めそうで読めない字   私は(心底)感心した

年の瀬を迎えて

激動の2023年もあと半日で終わりますが、コロナを無理やり終結させたリ、パーティー券の裏金化が5億円超とか…🤬、今年はいろんな話題に騒がされた一年でしたね。

又、巷では今年は秋のない年だったと謂われて居ます。長かった猛暑が終わると、あっという間に小雪が舞う寒い冬が訪れました(;;)。11月がまるでなかったような感じをお持ちの方も少なくないと思います。「四季」と言う言葉が何れ死語となる日が近いのではないでしょうか(;;)。

 JR東海がリニア新幹線の開通で東京名古屋間67分?とか…、「狭い日本、そんなに急いで何処に行く!」と揶揄されながらも鉄道用トンネル開通のために自然豊かな南アルプスの裾野を掘削し貴重な地下水を無尽蔵に湯水のように汲み上げての自然破壊には流石に温厚な静岡県の川勝知事も憤って工事差し止め命令を発動し他に大井川の問題もあって双方の談判が決裂し、今般JR東海は「令和27年」と定めていたリニア新幹線開通の年月を渋々今月になって「令和27年以降」と敗北の宣言を発表しましたが、これって県民の信の厚い川勝知事の在任中は工事が再開できないし掘削した箇所から噴出する水は流れ放しだし貴重な地下水が日一日と失われて行くことを意味しますが、リニア新幹線開通のために南アルプスの裾野を掘削しての自然破壊に静岡県の川勝知事が憤るのは当たり前であってJR東海の行為は到底許されるものでは有りません🤬。川勝知事は他にも大井川の問題もあり、工事差し止め命令を発動しJR東海との談判が決裂しました(;;)が、川勝知事の在任中は工事が再開できないことだしその間綺麗な地下水は溢れ放しとなり我が国の貴重な水源が日一日と失われて行くことになることについて一体から政府や農水省は何と考えているのでしょうか?、地下水垂れ流しの現状は我が国の水資源に関する根幹の問題であって早急な解決策が望まれますが、政府は安倍政権以来のパーテイー券裏金問題で騒がしくてそれ処ではなく確固たる信念を持たずに優柔不断な態度に終止する岸田総理の支持率も2021年4月に総理大臣を辞任した森喜朗元首相の10%に並ぶ為体(ていたらく)では解散も遠くなく、我が国の将来には暗澹たる未来が待ち受けているように思われ我らが国民は遣る瀬無い思いを抱える暗い年の瀬を迎えることになりました(;;)

真に日本の未来を憂いる総理誕生が待たれますが今の議員達はどいつも此奴もお金にしか興味のない政治家ばかりですから我々国民は見捨てられたも同然であり、増税と減税を同時にしようとする岸田総理など支離滅裂であって何を考えているのか分からずもう顔も見たくもありません🤬

振り返れば本年は私自身にとって激動の一年であり、来春数え年で90歳を迎え、日常生活にはさして不都合はありませんが、仕事に関して判断力や理解力、記憶力が秒刻みで乏しくなって来たようで加齢を実感する毎日であり、日増しに増加する物忘れから執務上の連携リズムに乗れないもどかしさに身を捩るような焦燥感に苛まれることでありました(;;)。うちの仕事は全員が同じモチベーションを持って連帯して居ますから私の加齢を理由に離脱が許されるものではないために私の敗北感も半端ではなく既に私の存在が事務所にとってマイナス効果を齎しているように思われ、一日も早く自身の進退を決断せねばならぬと考えるに至りました。と、言っても現在では私を入れて僅かに4人世帯ですから、病弱な長男に多くは期待できず私の離脱は最早不可能であり顧客との潤滑油として取り敢えず一年で尤も繁忙期である3月15日の確定申告完了まで頑張って行かねばならぬと考えて居ります。

今秋の大きな話題は宝塚歌劇団での劇団員の自死と歌劇団と親会社である阪急電鉄の対応が社会問題として大きく取り上げられ労災事故として西宮労働基準局まで乗り出したことでありました🤬。事件は劇団幹部が頑としてパワハラを否定し、世間の顰蹙を買う事態に立ち至りましたが、上級生から額にアイロンを当てられ皮膚が3センチも捲れ上がる火傷を追ったと母親が証言しましたから男不在の社会でもあり、女性ばかりの世界には極く有り勝ちな限度を超えたヒステリックな残虐な行為が常習だったことと誰もが想像しています🤬。お飾りの何も知らぬ劇団理事長が「証拠があれば見せて頂きたい!」と居丈高に開き直リ、遺族側の弁護士を激怒させるシーンまであって損害賠償金を吊り上げる効果を上げるなど劇団人を人として見て居ない土壌を曝け出して遂には阪急電鉄の社長まで謝罪に引摺り出されそうな様相を招いて居りますが、これも全て歌劇団が世間から隔離された世界の存在であったせいだと私は考えました🤬。男の介在しない女ばかりの世界って情が薄く冷酷でホンマ怖いよなあ(;;)。

それではどうか皆様良いお正月を…(^0^)/

先週の読めそうで読めない字   螺子(ねじ)

今週の読めそうで読めない字   着物の裾を(纏る)

自殺予告に花マルを…

イヴは土曜日という感触ですが珍しく今夜の日曜日はクリスマスイヴですね。クリスマスの時期が到来すると中学一年生で学んだ英語で覚えて居た英文のフレーズを何故か思い出しますが、今も忘れないのはDecember the 24  is Christmas Eve, the chimney fill her stockings with nice toys.の構文です。煙突の中に靴下に入った玩具が一杯だなんてどう考えても怪しい構文ですね^^。もう66年も英語を使わない環境に居たのできっと真ん中の文章が抜け落ちて居るかと思いますがどうかご容赦くださいm(_ _)m。

同級生からいじめを受けた奈良市立小学校の女児が自殺を仄(ほの)めかした文章に、担任教師が「花マル」をつけて返却して居たことが市関係者への取材で明らかになりました🤬。此の女児は三年生だった頃に同級生から足を蹴られて怪我をさせられ現在も強度のストレス障害に陥って居ましたが、彼女は苛め防止対策推進法に基づく「重大事態」に認定されて居たのに、無理解でアホな教師と級友?は彼女を苛めることをゲーム感覚での優越感を得て少し宛エスカレートして行ったものと思われます(;;)。

女児は22年6月鬱(うつ)になった挙げ句「わたしは死ねばいいのに」と書いたノートを担任に提出しましたが、担任はノートに花マルをつけた上に「君はそれをできる!」などと書き込みました🤬。潰れそうに傷ついた幼い心を踏み躙ろうとする非道い先生もいたもんや!🤬/

此の女児は可哀想に3年生だった22年2月同級生に蹴られて全治1週間の怪我をしました(;;)。これを受けて両親は苛めの有無を調べるように学校に再三要求しました、処が学校は加害児童側と言い分が食い違ったことから「学校は警察ではない」と嘯(うそぶ)いて、詳細な調査に協力する姿勢を全く見せなかったそうです🤬。女児の父親は「全く調査する気がないと感じました。学校は何もしてくれないのだと不信感で一杯になった」と思ったのです。 また、相談したいことなどを記す自学ノートに花マルなどを書いた担任の対応をも批判し、娘が自殺を仄(ほの)めかす文章を記していると担任から知らされたのは、記入から約1週間後でした。自学ノートは普段は自宅に持ち帰らないそうですが、心配した両親が自宅にノートを持ち帰らせ、花マルなどが付けられているのを初めて把握し、両親は「なぜ担任は娘が悩んでいるとすぐに教えてくれなかったのか!花マルを付けた対応も信じられなかった🤬」と話し、その後も両親は調査を求めましたが、学校側が本格的な調査に乗り出したのは最初の訴えましから半年以上も過ぎた22年10月になってからで女児はこの間、適応障害と診断され、その後は一時学校を欠席し、5年生になって通学を再開しましたが、足が竦(すく)んで登校できない日もあったそうです。父親は「傷ついている娘を見るのが辛かった(;;)。普通の子と同じような楽しい学校生活を一刻も早く取り戻してやりたい」と語ったのでした🤬。

学校の調査や担任の対応について市教委は不備を認めており、経緯や再発防止策などをまとめた調査報告書を近く公表する方針ですが酷い学校で、教育委員会も同罪であって先生も先生です。此の不埒な先生こそ懲戒免職にできないものか🤬!腹が立つよなあ🤬/

 

ダイハツの不正が発覚しましたね。トヨタはダイハツを支配するために全株を買い占めましたが、事件はトヨタがその後ダイハツへのフォローを蔑ろにしたせいです🤬。トヨタがダイハツを完全子会社にして配当金を取り込むのは良いけど、養子にした子供の面倒はチャンと見ないと…🤬。面倒を全く見ないで株主総会に来て配当だけゴッソリと掠めてゆくトヨタに対するダイハツ全従業員の報復手段だったのではないでしょうか^0^/

今日は都大路を駆け抜ける毎年末恒例の男女高校駅伝でした。我らが兵庫県は近年須磨学園の台頭が著しく男女ともに地位を奪われて昔から贔屓の西脇工業が出場できず無念でなりません。女子今年は黒人を切り札にした神村学園が同じく黒人を軸とした仙台育英に最終区で逆転して優勝しましたが、何故かモヤモヤ感が拭えないのは私だけではないと思います。日本の大会なのに黒人を走らせる学校が少なくないのはとても残念です🤬。両校ともに強豪校だし日本国内なんだから純血主義を採れないものか!。何処が留学生や!三位の立命館宇治の純血主義を見習ってほしいと思いました。地元民も学校関係者も黒人を加えての優勝は心から喜べず何処か後ろめたい処がありはしないのか!わたし的には立命館宇治が優勝だと思っています🤬喝!。

 

先週の読めそうで読めない字   螺子(ねじ

今週の読めそうで読めない字   (徐ろ)に口を開く

女子マラソンの先達

愈々年の瀬を迎えて気忙しくなりましたね、私どもは恒例の年末調整事務で大童ですが、円安景気で大企業は儲かっても零細企業にまでお零れは来ずに物価高ばかりに喘ぐお得意先の年の瀬を見るのはとても辛いです(;;)。

先月行われた岩手盛岡シティマラソンで往年の名マラソンランナーである瀬古利彦さんが、女子マラソンが正式に採用された1984年ロサンゼルス五輪代表で岩手県大船渡市出身の佐々木七恵さんの功績を発信されました^^。彼女の53歳での急逝から14年が経ち、記憶の風化が懸念されますが、ともに五輪を走った瀬古さんは「今の日本の女子マラソンがあるのは佐々木七恵さんのおかげです。その人が岩手に居たことを忘れないで…」と訴えました(;;)。昭和31年生まれの彼女は日本体育大学を卒業後、故郷の岩手で教員生活を送りながらマラソンに挑戦し、瀬古利彦を育てたエスビー食品陸上部監督中村清の指導を仰ぐために26歳で単身上京されましたが、チームの同僚だった瀬古さんは「教員を辞め、現在とはまるで異なった男社会であるマラソンの世界に女の子が独りでやって来て凄いなあと思った(゜o゜;。本当にマラソンが好きで頑張り屋だった。男社会の中を若い女性がよく独りで環境の変化に耐えられものだ」と述懐されて居ます^^。あの当時の日本では佐々木七恵さんの東北弁での言葉の訛(なまり)がメチャ強くて到底日本語と思えず彼女の言葉がちょっとやそっと通じるものではなくて意思疎通が大変だったそうです(゜o゜;/。 彼女は男子に混じっての猛練習を熟(こな)した結果、念願が叶(かな)いロサンゼルス五輪出場を果たし岩手から勇躍外国に出た彼女は厳しい暑さの中を19位で走り切り、日本女子マラソン歴史の第一歩を刻んだのでした^^。ともに出走し途中棄権したスポーツジャーナリストの増田明美は講演会で岩手を訪れる度に「女子マラソンのパイオニアと言ったら私じゃなくて佐々木七恵さん」と強調されて居られます^0^/。そして彼女は1983年11月の東京国際女子マラソンに、ロサンゼルス五輪の女子マラソン代表(このロス五輪から女子マラソンが正式種目となる)を目指して出場し、このレースには9月に再び日本最高記録を出した増田明美もエントリーしており、マラソンでの2人の初対決が期待されましたが増田明美は直前に足を痛めて欠場し、佐々木七重は先頭に食い下がる我慢のレースからスパートをかけて、結果国内の国際女子マラソン大会で日本人として初優勝を果たし、念願だったロス五輪代表の座を掴みました(^0^)/。その粘り強く個性溢れる独特の走り方には、当時空前のヒットをしたNHK連続テレビに因んで「おしん走法」のあだ名も付けられた位個性溢れるものでありました^^。そして1984年1月の全国都道府県対抗女子駅伝に岩手県チームのアンカーで出場され17人抜きを演じ、この記録は2007年まで23年間破られることはなかったのです。彼女は独特の岩手弁で人付き合いが得意でない私生活であったため、引退後中村監督の紹介で実直な自衛官永田陽美一等陸尉を紹介されて結婚されましたが、お仲人は加藤紘一防衛庁長官に仲人を依頼され、佐々木七恵さんと婚約者の一等陸尉は幸福に暮らされましたが「佳人薄命」の諺は裏切らずに彼女は若くして癌に冒され53歳で冥府に旅立たれました。合掌(;;)。

佐々木さんの後を継いだ日本女子マラソン勢は1992年バルセロナ五輪から4大会連続でメダルを獲得し、2000年シドニーの高橋尚子04年アテネの野口みずきが連続「金」に輝く隆盛を誇りましたが全ての原点は男子に混じって独り血の滲む切磋琢磨の末、世界戦にて日の丸の旗を掲げた佐々木七重選手その人でありました^^。

此れ迄岸田総理が安倍総理に義理立てして大切に扱ってきた安倍派の議員達がパーティー券収入の超過分を懐に入れていたことが発覚し、現職大臣まで連座している様(さま)に国民は呆れ果てて居ますが、裏金を使わなければ棲んで行けない政治の世界って悍(おぞ)ましくてなりません。報道によると、西村大臣他安倍派の議員はスポンサー企業に1枚2万円のパーティー券を大量に購入させて、実際には企業からは誰も来ずにホテルの会議室で小規模の会合を開催し、10人足らずの経産省職員を動員して表向きを繕っていたそうですからこれってどう見ても詐欺じゃないんですか🤬?検察庁が動き出しましたが彼らも公僕の一人であって政治家の力で昇進が決まることだし、手加減するだろうから議員達の懲罰については先ず期待できないね(;;)。国民不在だね🤬。

 

先週の読めそうで読めない字  着物の長(たけ)

今週の読めそうで読めない字   (螺子

私の履歴書 その2後編

12月も半ばを迎えて少し宛寒さが厳しくなって参りました。此の時期になると決まって思い出されるのは草鞋を履いた足指の霜焼けに悩まされ毎夜の赤チン交換で泣き叫んで居た80年以上前の太平洋戦争直前での幼児期実体験です。今では被服も足り地球温暖化も訪れ幸せ一杯の筈が、近い将来北極の氷が溶けて海水の水位が上がって我々児孫の将来が暗転する時代が来ることを想像すると、此れで良いのか!と思い悩む今日この頃ですがどうして誰も何も言わんのか!!

先週から続く…、武田薬品の社長に就任した武田長兵衛の三男國男は、海外で武田薬品とは比較にならない位大規模な欧米の製薬会社を間近に見て強烈な危機感から武田薬品の大改革実行へと突き進むことになります。途中膀胱がんを患い自らの生命の危機に瀕しながらも徹底的な社内改革と人事制度刷新を進め、ノンコア事業であった動物向け医薬品、ビタミンバルク製造や食品、化学品、農薬などを次々に切り離し、コア事業である医薬品事業への経営資源の「選択と集中」を中心とした大改革を行った結果、2002年3月期社長9年目の連結決算で売上高1兆円を達成し純利益は2356億円、武田薬品の営業利益は3.4倍、時価総額は3倍となり世間から注目されました^o^/。又武田薬品コンプライアンスプログラムを実施し企業倫理を重視した経営は高く評価されるようになりました。人は見かけによらぬもので、中からも外からもバカ殿と思われて居た武田家直系である三男のアホボンが武田薬品を救ったのはとても有名な話です^^。人は見かけやその所作で判断するべきではないと日本の財界人全員が驚嘆したのが武田薬品の三男の國夫だったのです(゜o゜;/。彼はバカ殿として扱われ窓際族であった期間を利用して徹底的に武田製薬の現状を俯瞰し、社員の中で胡麻すりと茶坊主を見つけ出し、更には有能な社員をも選別することができたのは彼が誰からも警戒心を抱かせないアホボンを装った國男だからこそできた所作であったと私は思いました。三男國男はまだ存命中ですが、冥府を訪れられた暁には父の長兵衛がどんな顔をして迎えられることだろうか^0^/。きっと「國男済まなかったm(_ _)m」と詫びられるのではないでしょうか?。 因みに現在では2015年に初の外国人社長としてフランス人のクリストフ・ウェバー氏が武田薬品工業代表取締役社長CEOに就任され7兆円規模のシャイアー買収を行うなどしました。また彼の年10億円を超える役員報酬は世間の話題となりその役員報酬は5年総額92億8600万円(1年当たり18億円超)にも上り、流石の國男氏もビックリされたことでしょうね🤬。月給泥棒のカルロス・ゴーンも顔負けや!

今年に入ってジャニーズ事務所に宝塚歌劇団とハレンチ事件に苛めや暴力沙汰が報道されていますが、一番悪いのはしっかりと知って居ながら色んな忖度を働かせて報道を躊躇ったマスメディアでありました。きっと沢山の情報が被害者たちからマスメディアに送られていたに違いありませんが、あざといマスメディアは此れらの情報をジャニーズ事務所や宝塚歌劇団に密告し密かに見返りを得ていたも。のと思われます🤬。週刊文春以外はどの社も情報を見返りに金を貰ってたことだろうね🤬。

 

立憲民主党の辻元清美参院議員は先月の参院予算委員会で、内閣支持率の低迷に悩む岸田文雄首相に対し「増税メガネの上に減税メガネをかけているから国民の望むことが見えなくなっている」などと厳しく辻元節が囀りました(^0^)/。立民の蓮舫氏や小西洋之氏も首相へのヤジで加勢しましたが、首相の味方となるはずの自民党の議席は静かな儘で、首相を援護射撃する場面は殆どなかったようです(;;)。岸田総理!孤立無援やないか!統一協会領領袖との会合まで暴露されて「遺憾です」と言ったのみで四面楚歌に陥って居ますが、松野官房長官1000万円にも上るパーティー券キックバック事件の勃発もあり、更迭の已む無きに至っておりますからもう岸田総理の座が沈没に向かったタイタニックであることが私達にも十分予感されますね🤬。

大阪万博は多くの国が不参加を申し出ている中を当初計画の1250億円が、設計変更や資材の高騰等で3200億円までに膨らんだ会場建設費に幾ら掛かるか分からない会場運営費のため、吉村知事が入場料の金額を7500円と決めましたがこんなに高いお金では誰からもそっぽを向かれるのではないでしょうか?我々日本人もそんなに高いのなら同じ額のディズニーランドにしよう!…と誰もが考えるに違いありません🤬。喜んでいるのは竹中や大林組などゼネコンさんだけであり、建築費用の3分の一を負担させられる地元財界は悲劇の受難者となることでしょう(;;)。

 

先週の読めそうで読めない字   独り若気(にや)ける

今週の読めそうで読めない字   着物の(長)

 

私の履歴書 その2前編

気のせいか師走の風が先月より冷たく感じられますが、きっと5年で43兆円と異常な防衛予算に加えて、国民に寄り添う気持ちの見えない岸田総理の無策により給与が上がらず諸物価ばかりが高騰し、下がるのは総理の支持率ばかりとなっては庶民にとってとても住み難い国となりました🤬。事務所の玄関には先々月採取し先月半ばに播種器に蒔いた月見草の種が発芽を始めました(^0^)。もう少し大きくなったらご紹介しましょうねm(_ _)m。

履歴書の続編は製薬大手である武田薬品本家の三男武田國男氏の登場です。武田薬品は1974年に六代目武田長兵衛が会長に退き副社長の小西新兵衛が社長となりました。此の人事は1981年の創業200周年を機に長男彰郎を社長に昇進させる準備が進められており、小西の社長就任は六代目の長男彰郎へ世襲する間の繋ぎでありました。処が武田薬品に思わぬ不幸が訪れたのです。1980年2月に彰郎がジョギング中に倒れ46歳で急逝し(;_;)、六代目長兵衛は長男の死に大きなショックを受け気鬱から9月に死んでしまったのです(;;)。兄の死後病床の父を見舞った三男の國男は「なんでお前が生きとるんや。彰郎の代わりに、このアホが死んどってくれたらよかったんや」父の目がそう語っていたと私の履歴書にて述懐して居られます。家族全員から無能と思われて居た三男國男は武田薬品入社後誰からもアホボンと見做されて本流の医薬事業を歩むことなく、後年成果を発揮することとなる傍流の国際部門に窓際族として永らく配置されていました。創業家一族のエリート社員とは全く遇されて居なかったのでした(;;)。武田薬品を立て直した三男の息子國男は父・武田鋭太郎(後に六代目武田長兵衛を襲名)母繁子(十代目國分勘兵衛の娘)の三男として住吉村に生まれ、長兄・彰郎次兄・誠郎の三兄弟のオトンボであり、1955年甲南高等学校に進学し1958年に甲南大学経済学部に進みましたが彼はそれまで一度も入学試験を受けたことがなかったため授業について行けず大学時代はパチンコ屋に通うのを日課として居ました(;;)。卒業後は武田薬品に入社し経理部事業計算課に配属されましたが、武田家の期待から全く諦められて居た三男國男は入社しても決して本流の医薬事業に歩むことなく、傍流の部門に永らく配置され、決して創業家一族のエリートとは遇されて居ませんでした(;;)。そして誰も彼の品行を知って居るので彼の存在を無視して行動したため、彼は窓際族の特権で会社の片隅に居て誰からも警戒されないので営業や人事その他の汎ゆる情報を自在に耳に入れることができることができたため、何も仕事のない彼にも次第に会社の全貌が読めてきたのでしたが、それに一番早く気付いたのは武田家の子飼いの番頭であった小西社長であったのです。

1981年小西は後任の社長に叩き上げの倉林育四郎を指名し、倉林以降は厚生省事務次官であった森田桂や梅本純正が天下りとして社長を務めました。この間國男は武田一族としては窓際族と謂う異例の閑職に追いやられたことによって、誰からも胡麻を摺られたりせず警戒もされずに客観的に会社を俯瞰できる環境に身を置くこととなって会社の良いところだけでなく悪いところも全てが把握できたことが彼のポテンシャルを広げる結果となりましたが、此のアホボンは閑職に追いやられることで誰からも警戒されずに会社の本当の姿を眺めることが可能となって武田薬品の内部事情を客観的に俯瞰することができたのだと思いました。その後小西社長の指示により米国・アボットラボラトリーズとの合弁会社TAPファーマシューティカル・プロダクツのエグゼクティブ・バイスプレジデントとして派遣されましたが、彼は武田薬品の米国本格進出に際して売り出す製品として、当初の予定であった抗生物質ではなく社内の猛反対を押し切って独断で前立腺癌の治療薬を投入しました(;;)。ナント!これが功を奏し武田薬品の米国事業が成長軌道に乗りました。尚、既に当時抗生物質製剤は米国内では価格競争が進み成熟から衰退期に差し掛かっており、武田薬品が抗生物質を製造しても採算が取れる見込みは殆どなかった可能性が後日明らかになったのです!。このときの判断は経営者としての判断力を表すエピソードとして可成り有名となりました^^。そしてそれらの功によって1987年には晴れて取締役に選任されることとなり、その後順調に常務、専務・医薬事業部長を経て、1992年に副社長、翌1993年遂に社長に就任したのでした^0^/。 そして國男の社長登用を強力に進めたのは長兵衛子飼いの番頭であった小西新兵衛氏であったのです(゜o゜;/。翌週に続く…

先週の読めそうで読めない字   罪を原す(ただす)

今週の読めそうで読めない字   独り(若気)ける

 

私の履歴書その1

9月決算でアタフタして居たらあっという間に11月の終わりが参りました。そして今年も又この11月が少ない貴重な秋であったことに我々は知らされたのでありました(;;)。師走を五日後に控え、東の庭では春から8ケ月間咲き続けた野路菊が寒空を道行く人々に見て欲しくて最後の力を振り絞り健気にも道路側に咲き零れて居るのは見るのも哀れでありました。

いやあ驚きました(゜o゜;。それは日本経済新聞が朝刊最終面に掲載している「私の履歴書」です。政治や経済、文化、スポーツなどの領域で大きな業績を残した人物が月替わりで自らの半生を語る1956年から続く異色のベストセラーですが此の日経の名物コラムに今月からナント!日銀の黒田東彦前総裁が登場しています(゜o゜;。 時あたかも後任の上田和男総裁が異次元緩和の後始末に右往左往し、終わりの見えない円安と物価高という黒田前総裁が残した「負の遺産」に庶民がのたうち回っている中を何食わぬ顔で登場しましたが、その最悪のタイミングと無神経さは厚顔無恥と言うべきで、日経の良識が疑われても仕方がありません。連載開始の前日、奇しくも後任の植田日銀総裁は金融政策決定会合で金融緩和策の再修正に追い込まれて居たのでありました🤬/。

私の履歴書」と謂えば筆力の乏しさから兎角ゴーストライター任せが多い中を2000年代初期に登場された画家の野見山暁治と名女優の有馬稲子の印象が強くて私は今も忘れられません。前者は福岡県飯塚市にて炭鉱経営者の子として生まれ、東京美術学校(現東京藝術大学)入学当時は故郷の炭鉱を制作の原風景とし、その後12年間のパリ生活を経て抽象画へと変化し帰国後は東京芸術大学で教え、美術学部助教授、教授などを歴任し、同大名誉教授となり102歳の長寿を本年終えられた絵描きさんですが、この方の履歴書の内容とその筆致が此の人は絵描きさんなの?と訝る位ダントツに筆が伸び作家顔負けであって格段に上手くて私を魂消させました(゜o゜;/。何で…?とネットを繰れば彼は26作もの著書を出版された本職裸足(はだし)の強者(つわもの)であることを知って絵画に疎い私でも彼の両刀遣いに甚く感銘を受けたものです。早速著書を購入して拝読致しましたが、抜群の筆致に引き込まれて、これが正(まさ)しく筆のプロだ!と感じ入ったものです^^。

後者の有馬稲子は際立って現世で一二を争う美しい女優でありながら、「私の履歴書」にて人に告げたくない己が秘めた内面の恥部をトコトン晒したことで余りにも有名です(゜o゜;/。それまでは有馬稲子自伝「薔薇と痛恨の日々」にて「J」とされた匿名で登場し、彼女が中村錦之助と結婚した後も離婚した後も「妻と別かれ結婚するから…」と有馬稲子を騙しできた胎児を堕ろさせるなど、ずっと関係を持っていた男が東宝の映画監督として第一人者を誇っていた「市川崑」であることが読者にわかるように「私の履歴書」にて暴露したのでした。今日にも妻と分かれて結婚すると偽って彼女の身体を散々弄んだ「市川崑」が自宅前にて妻と子を相手に戯れる姿を道の曲がり角から垣間見て嫉妬の炎を燃やした怒りの怨念が彼女を修羅の世界へと誘(いざな)ったものと思いました🤬。此の履歴書を読んで市川家ではどんな騒動が起こったことでしょうか(^0^)/。

その有馬稲子も今では91歳になり、横浜の高層マンションにて単身悠々の余生を送って居られますが、彼女が日本経済新聞「私の履歴書」にて暴露されたものは自らを貶め世間から有馬稲子自身の偶像を破壊するものであったと思いますが、自らの体面を省(かえり)みず、彼女の人生を幾度も狂わせた市川崑監督の欺瞞と色欲に対する恨み辛みが如何に大きかったのだろうか?女の情念は恐ろしくて死ぬまで恨み続けるものではないか…🤬、と私は自身の60数年前、己の過去を顧みてぞくりと身震いしたものでありました(;;)。

本年度の日本女子プロゴルフの熾烈な戦い38試合も愈々本日が最終日のリコーカップで終わりとなりますが優勝よりも賞金女王争いが熾烈だと思います。先週四国松山恒例のエリエールオープンでは、一昨年が原英莉花、昨年は藤田さいきとロングヒッターが優勝し、“飛ばし屋”が有利なコースとされていましたが、平均飛距離280ヤードも飛ばす選手も居る中を今回優勝した青木瀬玲奈選手は50人中最下位の222.6ヤードであって飛ばすだけがゴルフではないことを彼女が立派に証明して見せました(゜o゜;/。「Pat  is Maney」と謂いますもんね^^。

 

先週の読めそうで読めない字     小火(ぼや)

今週の読めそうで読めない字   神を(礼う)

 

尊属殺人罪(終)

暑い夏が長居して10月一杯まで居座ったため、待ち焦がれていた秋がやって来たのは今月の僅か二十日足らずであり、先週にはもう冷たい雨が降りもう冬の予兆が訪れています(;;)。玄関前では夏の花であるポーチュラカの挿し芽が漸く花を付けました^^。先月散歩の折、空き地で葉っぱを採取し挿芽したら先週二つ花を咲かせましたが、今週の寒波で元気を失って居るので玄間内に入れて養生し、春の訪れを待つことにしました^^。

先週から続く…、原告と被告更には傍聴人全員が息詰まって見守る中を最終審の最高裁判所大法廷は、従来の判例を変更し同条を違憲と判断した上で、刑法199条を適用し懲役2年6月執行猶予3年の判決を言い渡したのです(゜o゜;。
最高裁判決の多数意見は尊属殺人罪を普通殺人罪と別途に設けること自体は違憲とせず、執行猶予が付けられないほどの重罰しか規定しないことを違憲とするものでありました。本判決は大法廷で審理され、15名の裁判官による判決でしたが、一人だけ尊属殺に関する法定刑の加重の程度は立法府の判断に委ねるべきこととして、同規定を違憲とする結論に反対する裁判官が居ました(;;)。また6名が違憲との結論に賛成し、尚且つ尊属殺人罪自体をも違憲とする結論を述べています。

死刑の求刑に一時は己の絞首刑を毎夜夢に見て魘(うな)されて居た彼女はその後見事に立ち直って別の男性と結婚しました^0^/。毎年正月になると大貫弁護士に年賀状を送って来て居ましたが、或る年大貫弁護士が 「もうそういうことは止めなさい。いつまでも私に年賀状を送ると貴女は何時までも辛い事件のことを覚えて居ることになるから私のことも全て忘れてしまいなさい」と返信してから、彼女の音信が途絶えたのでした。

今は生死も含めて何処でどうして居るのか分からないそうですが何処か世間の一隅で幸せに暮らしているのだろうと大貫弁護士は考えて居られます。あれだけ時間と労力を掛けた裁判を…、一袋のじゃがいもを貰っただけで依頼者のために「自分まるごと忘れろ」という大貫弁護士の姿勢に人間としての優しさが溢れていましたね^^。 大貫弁護士は「この裁判に関われたことだけでも、自分が弁護士をやっていた価値があったと思えます」と言われ「一人の女性を救えたんですものね」という周囲の問い掛けに頭(かぶり)を振り 「それだけじゃなく、刑法200条が違憲によって無効になったからです。そのお陰であの条文に苦しめられた多くの人たちを救うことができました^0^/」。

明治憲法から日本国憲法に改正されてもっとも価値が転換したものの一つに、「家父長制度」からの解放があります。憲法24条1項において《婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本》と規定しているのはそのひとつの象徴です。従って本判決は「家父長制度」の残滓(ざんし)ともいえる尊属殺重罰規定を違憲無効にすることによって、たとえ親子であっても一個の人格として同等であることを宣言したものだと思いました^^。

尊属殺重罰規定違憲判決 (そんぞくさつじゅうばつきていいけんはんけつ)とは、昭和48年4月4日に日本の最高裁判所が刑法第200条(尊属殺人)の重罰規定を憲法第14条( 法の下の平等)に反し無効とした画期的な判決でありました。世間の好奇の目に晒され、渦中の人であり続けた被告人の女性は最高裁判決後「1日も早く静かな生活を送りたい」と語ったそうです。

その彼女からは大貫氏のもとに毎年年賀状が届いていました。大貫氏曰く「でもね、あるとき返事を出し、年賀状を出すのを止めなさい。私宛に年賀状を書く度貴女は事件のことを思い出している。一刻も早く全てを忘れて貴女の人生をしっかりと生きなさい』と…。それからは一度も連絡はありません」悲しい此の事件は本当に終わりを告げたのでしたm(_ _)m。「親に孝」という床しい道徳を法律が再考した判決だと私は思いました。

「法律にも情がある」と私が知ったのは昭和48年4月4日に最高裁大法廷にて尊属殺重罰(そんぞくさつじゅうばつ)規定違憲判決となった父親殺し裁判を一人で戦った弁護士についてネットでの書き込みを読んだことでした。以上5年を要して一人の弁護士が憲法違反を勝ち取った「尊属殺人」の推移についてSNSの記事を参考にし4週に亘り私見を述べさせて頂きました。(終)

(尚、一昨日市川猿之助が両親の自殺幇助とされた殺害に対し執行猶予がつきましたが、此れは有名人に対する検察の忖度であったのかと私は感じました)

先、週の読めそうで読めない字     犬を手懐(てな)づける

今週の読めそうで読めない字   (小火)