清涼飲料水で脳梗塞に

聴いている人に空々しく響くジングルベルも終わり愈々年の瀬が到来した。こんなに長く不景気が続くのも珍しい、新内閣の組閣も白々しくて何の感慨を湧かない。日銀の白川総裁など御身安泰だけを願って何もしようとしないのは衆生の暮らしのことなど何も関心がないのだろうな:-)。不景気の株高と謂うが我が国の企業が斯くも疲弊していると言うのに年末には世界に溢れたお金を引っ提げて外国から投資ファンドがやって来て買いまくり、円安を理由に株値を1000円以上吊り挙げた。年初には軈て利食いして去って行くのだろうが高値掴みをした日本の投資家だけがババを引くことになるのは情けないな(;;)。

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年末の三連休に近鉄沿線長島温泉「なばなの里」を訪れられたEさんご家族から頂戴した幻想的なのイルミネーション冬華の競演をご覧下さい。LEDの光が美しいですね。良い後、悪いと言いますが、バスツアー帰路の大渋滞に帰宅が夜中になって閉口されたとか…(;;)。
最近丸谷さんのエッセイばかり読んでいるが、この方のエッセイはすっかり考えさせられることが多いので気晴らしに角川文庫から今年発売された鎌田敏夫(30年位前に金妻(きんつま)で大ヒットした脚本家)の文庫本「好きじゃないのに…」を読んだら、ナント!中身はそっくりそのまま3年前角川書店から「ジュテーム」の題名で読んだ単行本だった(;;)。題名だけすっかり変えて文庫化するなんて角川書店もえぐいことする、私のように同じ被害に遭った人も少なくないと思うが誰も怒らないのかな:-)、出版社はモラルが大切だ、単行本を発行して数年後文庫本で再登場するのは最近の傾向だが中身を確認せず題名だけで買う読者は少なくない、文庫本になったら題名を変えるなんてこんな詐欺まがいの角川の本は二度と買わんぞ…、と思った人は私だけでなく沢山居るに違いない(;;)。知人に話したら題名を変えて文庫化するのは角川の常套手段であり、中を読んでから買わないお前が悪いと笑われてしまった(;;)。その上「角川が単行本を文庫本化したときは奥書に題名を変更して文庫本になったことをちゃんと記載しているから其処を見てから買わんからや」と笑われてしまった:-)。
大阪大学研究グループが先週18年間の研究結果を発表したが「毎日250ミリリットルの清涼飲料水を飲んで居る女性の脳梗塞発症率1.8倍に…」の記事には誰もが魂消た(゚ロ゚)。水分を取ることは血流を良くする基本のようなもので、我々は普段医者から「水を飲め、お茶を飲め」と絶えず慫慂されて居るから、脳梗塞の予防になるのだろうと思って居り素人には全く解せぬ話だったが、大阪大学の磯教授の話では「女性は小柄で筋肉量が少なく血糖値や中性脂肪が上がりやすいのが原因の一つだと推測される」など素人には理解し難い分析結果を述べていられる、大柄な体格でムキムキマンなら良いのかその辺は全く不明だ。水分の中でも特に良質で健康に良いとされる清涼飲料水が「脳梗塞の元祖」などと引導を渡されては、サントリーを始め10兆円業界はどうしたら良いのか狼狽えてしまうな(;;)。
30年位前だったか新聞報道から「魚にPCBが入って居る」だとかの風評が広がり魚屋さんに閑古鳥が鳴いたことがあったが、人の噂も75日だったから清涼飲料水の事件もその内忘れられると思うが、大阪大学も此の極秘ニュースを発表する前に「全国清涼飲料工業界」に情報を伝えれば、此の会は全国の清涼飲料水メーカーが加盟しているから直ちに口封じに数億円の研究費助成など頂戴できたのではあるまいか。最近財政悪化で各大学への研究費予算が削られ続け研究室では助手の手当にも事欠く有様だから、阪大は千載一遇のチャンスを逃したのではないのかな:-)。
それとも此の記事は阪大が「全国清涼飲料工業界」に研究費の助成依頼をして断られた腹いせだったのかも知れないな:-)。
投手として徳島商業を準優勝に導き高校球児からタレントにトントン拍子で人気を高めた板東英二があろうことか、税金対策上法人化した個人事務所である芸能プロダクションが税務調査を受けて過去3年間に下請け先に外注費の支払を装って現金を環流させるなど悪質な8000万円もの脱税が発覚し、巨額な追徴金を払ったと先週夕刊に報道された:-)。長い間毎年確定申告期初日に申告して国税庁のイメージボーイとなり電子申告の慫慂などで先年局長表彰を受けたばかりだが、表彰状にはきっと「国民の模範となられた納税者として…」とあったに違いないから、彼のしたことは国民を裏切り万死に値するぞ:-)。
板東英二個人が優良納税者と指定されて居たのなら5年間税務調査は免れるが、個人会社でも会社は会社だ、彼には国税庁に貸しがあるから脱税してもお目零しがあるとの甘えがあったと思うが、国税局長上がりの税理士が脱税で起訴される時代だから、それを知らなかった彼がアホだったが、3年で済ませて貰った処にまだしも役所の温情が感じられる。イメージボーイの実績がなければ7年間たっぷりと毟(むし)りとられたに違いない。然し此の事件で彼に対する庶民の好感度が一気に失われるから、芸能界追放は赦して貰っても当分はTV局のお呼びはなくなるだろうな(;;)。
此から来年3月15日に掛けて納税者の忠誠心を駆り立てるため、国税庁が今年起こった此の手の事件を少し宛小出しにしてくるから見物(みもの)だな^^。次は誰だろう?
先週松井秀喜は引退宣言にて「何一つ後悔していない」と堅く口を結んだとあるが、痩せ我慢が丸見えだ(;;)。年末近くまで拾ってくれそうな球団にオファーを掛けて全て断られての引退だから、彼の心中が未練の波止場であったことは誰にもよく分かる。日本に帰れば拾ってくれる球団はあるが、彼自身3割を打てる自信がないから老醜を故郷に曝すことに到底プライドが赦さないのだろうな。来年第一子を儲けることとなるが、過去の栄光と膨大な財産を背負って残る半生を彼は此からどう生きて行くのだろうか。無骨で真面目な性格はタレントなど馴染まず解説者も不向きだし、帰日せずにロバート.レッドフォードのように車1日で走りきれない程の農園でも経営しての隠遁生活が相応しいのではないかと思うがどうだろうか…。奥さんが嫌がったりして…:-)。
ロシア外務省は先週26日北極圏に近い同国北部ムルマンスク州で氷点下27度の道路を自転車で走っていた日本人男性が車に刎ねられ死亡したと発表したが、彼は冒険家の渡辺大剛(はるひさ)さんと判明した。彼は2004年、22歳で世界7大陸の最高峰を制覇し、日本人最年少記録を達成したが、今年6月に今回の旅行を中国からスタートし、中央アジアなどを通過してロシアのリゾート地ソチに入り、自転車で北に向かっていたという。自転車にコンロに寝袋など生活用品全てを積んで真っ暗な道路を氷点下27度の想像を絶する寒さの中何処までも漕いで走り続けるなんて、かの冒険家植村直己さんも魂消る荒行だ。軟弱な日本男性の多い中で数少ない豪快な日本男児であった彼の功績の凄い処は04年1月にビンソンマシフ(4,897m)の登頂を成功させ、5月にはエベレスト(8,850m)登頂に成功し、更にその19日後にマッキンリー(6,194m)の登頂を成功させていることだ、将に疲れを知らぬ不死身のスーパーマンだな。こんな素晴らしい男を死なしたなんてプーチンは何もお詫びをしないのか?
先週の常用漢字の表外読みの答
1(粉)は10糎米です。 (デシメートル)でした
今週の常用漢字の表外読みの問題
(薄)は秋の七草の一つだ。
今年も又世相を憂えて溜め息の連続でありましたが、1年間お付き合い頂いたことを厚く御礼申し上げます。ご拝読本当に有難う御座いました。来年も宜しくお願いします。
皆様どうぞ良いお年を…m(_ _)m

TOUKYO エアポートと月の恋人

街が奏でるジングルベルも今年の不景気で何故かもの悲しく聞こえる。昔、鍋底景気の折「クリスマス」を「クルシミマス」と謂ったことがあったが、年の瀬の商店街は最早「クルシミマス」を通り越して断末魔の様相を呈してきた(;;)。
騒々しい選挙も終わったが、3年前に自民党政権の置いていった不始末が余りにも大きすぎて処理できなかった民主党の瓦解で再び自民党が政権を握ることになったのは皮肉だったな。誰も自民党に勝たそうなどとは思って居なかったけど民主党だけはイヤだと謂う思いが、究極自民党の勝利に繋がったのだが、全ては小選挙区の齎(もた)らした弊害だろう。意外な選挙結果に国民も驚いたが、自民党が一番驚いたに違いない。此の儘では対抗馬の居ない自民党の独裁政治は民主党時代よりずっと酷くなるから一番喜んだのは国益より省益優先を叫ぶ高級官僚達だろうな。5年以下の退職について退職所得の税金2分の1課税廃止の法案が通った直後でまだしもだったな^^。
「供託金600万円と街宣車1台150万円に加えてポスター代アルバイトの給与と選挙の立候補をするには優に千万円を超す資金が必要だから並の人にはできない」と新党改革代表の舛添要一は街頭で叫んでいたが、どうなんだろう、私は並の人に立候補して欲しくない。一人前に票が取れれば供託金は帰ってくるし、我が国の政治を司る国会議員になるのだから千万円程度の金が用意できるのではなくては其の器でないし、でなければ有象無象の手合いが続出するから厭だ。立候補者に対して國や地方自治体が投ずる莫大な費用(前回は800億円)のことを舛添さんは知って居るのかな、2000人立候補しても一人頭4000万円を要する勘定だから選挙に投ぜられる税金は莫大だ!投票所で人数合わせのようにぽつねんと座っている人達もボランティアなんかでなく、ちゃんとした日当を取って居るのだぞ。
話は変わるが昔尾崎行雄と言う政治家がいて昭和16年東条英機が内閣を組閣すると、彼は議会政治に見切りを付け山の草庵に籠って晴耕雨読の生活に浸り、上京もしなかった。終戦後の選挙で尾崎行雄は一度も選挙活動をせず無論金も持ってなかったが、三重県の人達は彼の人徳を偲び彼が95歳で亡くなるまで彼の引退を認めずに有志で供託金を積み、何の選挙活動することもなく彼を衆議院銀議員として当選させてきた。有為の人となれば陋屋に棲まって居ても誰もが投票するので何時も最高点で当選する慣わしであったが、もうそんな政治家も居なくなって久しいな:-)。
高校生の頃「水色のワルツ」と共に大好きだった二葉あき子の「さよならルンバ」を先日懲りもせずに「you tube」で聞こうとしたら、2年程前フジTV連ドラだったキムタクと林志玲(リン・チーリン)の「月の恋人」で、空港での二人の別れのシーンが歌のバックに現れた。リン・チーリンが日本語でキムタクに話し掛けている口の動きが何故か日本語の発音と僅かに違うことに気付いたが話している言葉が日本語であることは唇の動きから分かった。「さよならルンバ」の歌声のために二人の会話は全く聞き取れず已むなく口許を見ていたせいだが彼女はしっかりと正しく口を開いていた。

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コマーシャルではリン・チーリンをよく見掛けるが、此の写真の蜻蛉型サングラスを掛けた彼女の顔はコマーシャルと雰囲気が違って小さくて可愛く、台湾南部の人ととても思えぬ位色白で良家の子女風であり、勿論眼鏡を外した後も輝くばかりに可愛かったな、さよならを告げられ振られる役ではあったがあのキムタクがすっかり霞んで見えたぞ。特に美人と言う程でもないから優秀なスタイリストが付けばアラフォーだってあんな風に変身するんだと魂消た。彼女が小首を傾げて微笑みながら相手の目を見てゆっくりと話す其の所作はその品の良さに於いて日本の女優とは格違いを思わせ、比較されるべき上質の日本女優が誰一人居ないことを知った:-)。その理由は何故なのか考えて見たら、彼女が上質なのは彼女が正しく教えられた日本語を正しい口の動かし方で相手をしっかりと見詰めながら懸命に話しているからだった。
この頃誰もが相手を見詰めて話さなくなり日本語をいい加減にしか話さず言葉もすっかりダメになった、日本人は誰も彼女に倣って基本に返り、正しい発音で日本語を話すよう努力すべきだ。NHKのアナだってこの頃怪しげな日本語を喋っている:-)。我々は今になって日本語の正しい話し方を台湾人から教わるとは思わなかったな:-)、とても恥ずかしい。リン・チーリンをご存じのない方は一度フジTVの連ドラだった「月の恋人」をどうぞ、DVD化されて居ます。
蜻蛉型サングラスが顔を小さく見せることができることは知らなかった、リン・チーリンは可成り面長だもんな。
空港管制官五-六人のスタッフが羽田空港で数十機の離着陸を誘導するドラマだが緊張感の絶えない事件の連続が視聴者を魅了するフジTV「TOUKYO エアポート」が今夜最終回を迎える。処が昨日の夕刊「ニュースクリック」に此の番組に水を差すハプニングが報道された。高知空港で着陸許可を求めた旅客機の無線に管制官が応答しなかった(;;)。2人態勢のシフトであったが、原因は一人が夕食を買いに外出し、一人は居眠りしていたそうだ(;;)。1日僅か42便の発着で1時間当たり3.5機の作業だから暇を持て余し、つい気が緩んだのかも知れぬが航空機の離着陸に管制官の誘導は不可欠だから彼等の行為は赦されない。勤務時間中に食事を買いに行くなど職場放棄であり、職務の重要性を鑑みて懲戒免職すべきだろう。居眠りの管制官は緊張感を欠いた勤務態度も又厳罰に値するが、便意を催してトイレに行ったと考えれば、買い物に行った管制官の咎が遙かに大きいと言わねばならぬ:-)。羽田の管制官と高知の管制官と給与が倍ほど違うとも思えんがそれでも高知の管制官は羽田に勤務したいだろうな。独りだから寂しくて居眠りしてしまったんだろうな。
「上書き保存」と「名前を付けて保存」此はパソコンの文章や計算式でお馴染みの選択肢だが、此の選択肢が男女の恋愛について顕著だとさるコラムに書かれて居た。一つの恋愛が本意不本意に拘わらず終わり、次なる恋が始まると男は必ず以前の想い出を「名前を付けて保存」するが、女は容赦もなく「上書き保存」するそうだ(;;)。男が未練がましいのは倣い性だが、女の「上書き保存」は力強く男らしい?とでも言えようか実にさっぱりしたものだ。私などこの歳になって大きいのや小さいのや数個も「名前を付けて保存」ファイルを心に抱えて蟠って居る:-)。そして時々旧いファイルの中から15歳の私、18才の私、20歳の私、27歳の私、そして44歳の私などを取り出して感慨に耽り再び記憶のファイルに戻すがついぞ消去しようとしない。男って本当に女々しいな。
先週の常用漢字の表外読みの答
それは人倫に(戻る)行為だ、(もとる)でした
今週の常用漢字の表外読みの問題
1(粉)は10糎米です。 

女流王座戦

月日の経つのは何故か早くて今年も年の瀬を迎え、東日本大震災から1年9か月も経ったのには愕くなあ、寒くなると夜空に輝く星が美しい。何時だったか福島の方が述懐されていたが、あの大震災の夜には三陸の夜空には零れ落ちそうな星が燦めいて、満天の星とはこのことかと思う程、それはそれは美しかったそうだ。多くの方々が眠れないので夜中に空を眺められ星が余りに美しいのに気付かれたのだが、どうしてそんなに星が美しかったのか考えて見た。その訳は震災と津波のせいで東北地方全ての電気が消えていたためだったのではなかろうか。さすれば今から100年以上も昔は夜の電気も殆どなく大気中の二酸化炭素も少なかったろうから星はもっともっと美しかっただろうな。星は我々人間の生活の希望であり潤いであり救いであったに違いない。聞いた話では今でも沖縄の周辺に鏤められた孤島で夜を過ごすと雲さえなければ満天の星に浸れるそうだよ^^。
処が米宇宙ベンチャー・スペースX社のCEOのイーロン・マスク氏は先月27日、地球から火星に8万人を移住させる将来構想を明らかにしたそうだ。今世紀前半の実現を目指しているとか…、 火星への飛行費用は1人50万ドル(約4000万円)要るそうだが、到着できたとしても空気も食べるものもあるとは思えないし、向こうでどうして生活するのだろうか?人気取りの詐話師だろうと思うが、世の中には変な奴も居るもんだな、星は星として遠くから眺め愛でてやれないものか-)。
先週の「ど根性菊」の写真は好評だった^^。普通秋咲きの寒菊は11月の終わり頃か12月の初旬に決まって蕾を付けるそうだが、その律儀な性格を地温の低下を察知することに拠るものだと思い込んでいた私は、地球温暖化の昨今どうして開花が遅れないのか不思議で仕方がなかったが、岡山県笠岡の北木島辺りでは10月になると「夕暮れ時、菊の花畑に一斉に電灯が灯され軈(やが)て消灯し、毎日消灯時間を少し宛早める」と書いてあるのを本で読んだ。そうすれば菊達は電気が灯ったのを日照時間と勘違いして冬が未だ未だ先なんだなと安心し開花をサボるそうだ。誰もが開花を待っている筈だし花も咲きたがっているのに、どうしてそんな無駄なことをするのかと思ったらその理由は、他の土地で花がなくなる冬に咲いて欲しいからなんだって…、市場での花の数が少なくなれば値が高くなる、そうだったのか、菊の開花は温度ではなく日照時間だったのだ。なるほどな^^。そう言えば朝顔の苗に夕方早めにダンボールを被せるとか読んだ記憶があるよ。
毎夜日経夕刊の囲碁欄を見るのが倣わしだが、プロの対局譜は我々アマチュアには難解でなため、局面はちらっと見るだけで何時も観戦記だけ読んでいる。囲碁欄は将棋欄と並んで何時も12面辺りの最下段にあるが、隣の将棋欄の解説も序でに読む、将棋は全く分からず門外漢だが勝負の世界とあって観戦記者の筆次第で結構面白い。先週は女流王座戦で弱冠17歳の加藤桃子王座と挑戦者の本田小百合三段異色の対局だった。此の組み合わせはとても面白く加藤桃子王座は未だ奨励会1級だが、昨年16歳で王座になりたての防衛戦であり、挑戦者の本田小百合三段は14歳で棋士になり、今回常勝将軍里見香奈女流四冠を下して21年目にして悲願のタイトル初挑戦を果たしたのだ^^。結果は武運拙く桃子王座に三連敗し挑戦者のタイトル奪取は叶わなかったが、将棋は体力勝負だからできれば先のない35歳の本田三段に勝たしてやりたかったな。
此の対局の観戦記の担当は、第一期竜王で通算600勝の棋士島朗九段だったが、この方の筆致が又素晴らしく、過去観戦記を書かれた文壇の多くの有名作家(菊池寛、佐々木茂索、里見弴、永井竜男、大岡昇平などなど)に決して劣るものではなかった。「相手の作戦は決して得ではない筈だが…そうだ、勝負は理屈じゃないんだ、私を負かしに来て居るんだと桃子は思った。」…など対局者の心理描写が絶妙であり、「きょうの着手の応酬は地味に見えても衝動の抑制が随所に利いて居る。真のトップをきめるに相応しく、煩雑さを厭わず結論を急いでいない。其れは素晴らしくすてきなラリーだった」島九段と女流棋士の棋力の差は香車一枚以上あるから対局者の胸の内は手に取るように分かるのだろうと思ったが、将棋指しであり乍らプロの観戦記者顔負けの筆力とその静謐な叙情詩のような観戦記には夢とリズムがあり詩歌を詠んでいるように楽しい^^、他の棋士が書かれた観戦記が全て評論のような堅苦しい手駒の手段に尽きたものに終始して読み辛いのに比べ、その余りの落差に唯々舌を巻き驚いた。この人小説でも書けるのではないかとネットを調べたら将棋の本ばかりでなく河出書房から文庫本まで出して居られた^^。
囲碁の方は川端康成が本因坊秀哉引退碁の観戦記を書かれた位で、文壇の先生の観戦記も殆どなく、棋士にも島九段のような筆達者な棋士が居ないので詰まらないな。
尼崎の連続殺人事件の加害者と見なされ拘置中だった角田被告が獄中で横になった儘Tシャツの袖を首に巻いて自殺したが、引っ掛けるべきものもなしに本能に逆らって息を詰め縊れ死ぬのは容易な業ではなくとても驚いた(゚ロ゚)。こんなことで簡単に死ねるとなれば自殺願望の多い我が国だから同調者が続出するのではあるまいか:-)、警察も其処までばらすことはなかったと思うが、そう言わないと管理の不届きを糾弾されることを恐れたのだろうな:-)。
今月11日兵庫県西宮市立の8保育所で、職員がその日休んだ子供の給食を食べて居たことが市の調査で分かったそうだ。誰かが密告したに違いないが、恐らくお零れに預からなかった同僚からだろうな。捨てるのは勿体ないと謂うのが理由だが、市は「公費で買ったものなので廃棄すべきだった」とし、食べた職員を処分するかどうかを検討しているそうな…(;;)、何だ!廃棄して捨てるゴミを増やして平然としている西宮市の態度には魂消るな。如何に廃棄ゴミを少なくするか腐心する役所の人間の言葉とは到底思えない、常識が疑われるぞ!こう謂うのを「建前論」と言う。コンビニでも最近は賞味期限切れ直前の食品を値引きして販売しているではないか、処分されるとすれば食べた職員が特定の者であって公平を欠いた点であり、保母さんなども含めて全員が抽選にでもされていたら良かったと思うし、市は廃棄せずに処理できたことを大いに賞賛すべきだった。廃棄されるべき食品など絶対にあってはならないと思う。我々は飯粒一つ零しても拾って食べないと目が潰れると親に叱られた。役人と言う連中は規則々々と根性悪だな:-)。こんな連中に限って役得だとほざいて自宅の固定資産税など滞納しているに違いないと思う:-)。「休まず、遅れず、働かず」は役人の定義であり有姿だが、もう一つ「非常識」も加えないとならないな:-)。
先週も点滴に行ったが、終って抜針時に針跡を消毒した際、看護婦さんから「お酒弱い?」と聞かれた、その通りなので「うん」と言ったら、「弱い人は消毒の跡が赤くなるんよ」と言われて驚いた(゚ロ゚)。長く生きているがそんなこと言われたのは生まれて初めてだ。お酒は好きだが少ししか飲めないので知人と飲みに行くことがない。沢山飲めてカラオケなんか唄える人が羨ましい、私は直ぐに心臓がどきどきして眠くなってしまうからだ(;;)。皮肉なことに、うちの妻はお酒を全く飲まないが、昔、血管のカテーテル手術をしたとき先生から「貴女はお酒が強いでしょう」と言われたのでとても妬ましく思ったものだ。持って生まれた体質だろうが、お酒を飲みたい者が飲めないで、お酒を飲まない者が飲めるなんて世の中不公平だな:-)。
先週の常用漢字の表外読みの答
世界に(普く)知られて居る。(あまねく)でした
今週の常用漢字の表外読みの問題
それは人倫に(戻る)行為だ

長男の嫁なんよ

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タンポポに良く似た鬼田平子(おにたびらこ)や酢漿草(かたばみ)には良く見られるが、此の寒いときに野菊が事務所の前コンクリートの隙間から花を咲かせたから珍しい。「ド根性菊」とでも謂うべきか。こんなに小さい株なのに二つも花を咲かせている^^。下の写真はお姉さんの陰に咲いていじけて居た妹が必死に頑張り1週間で姉を追い抜いて表舞台に躍り出たのだ、人間でも何でも兄弟姉妹は下の方が逞しいのは納得だな。
この種類の菊はうちの庭に生えて居ないから何処か他所から種が飛んできて発芽したものに違いないから大切に育てて来春には若葉を挿し芽にしてしっかり根が張れる菊に育てようと思う^^。
此の野菊を見て居ると詩人伊藤左千夫の小説で幾度も映画化された、政夫と2歳年上の民子が奏でる『野菊の墓』の悲恋物語が懐かしく思い出される。この小説からは叶わぬ恋に身を焦がし乍ら、年上を恥じて去って行き黄泉の国に逝った女の情念が迸り、読む者の身を捩(よじ)らせるが、今なら年上など寧ろ大歓迎の時代だから明治時代は柵(しがらみ)が多くて大変だったろうな、「野菊」の花言葉が「純愛」などでなく「障碍」であったのも皮肉だった:-)。
私が愛読している日経夕刊のエッセイ「プロムナード」今年の下半期執筆者の一人は中村和恵氏だ。他の執筆者は誰も職業を作家とか脚本家と書かれているが中村さんは職業を「比較文学者」と書いて居られる。何だろうと広辞苑を繰ると「比較文学者」とは、二カ国以上の文学を比較して相互の関連や影響、特徴などを実証法的に研究する学者だと書いてある、ネットを見るとこの方は明治大学の教授であって小説や評論などを書いて居られるようだが、名刺の肩書きには明治大学教授とあるに違いないから、どうして職業を「大学教授」とされずに難解な「比較文学者」とされたのか、不思議に思って居たら先日ご本人から「プロムナード」上で種明かしをされた^^。どうやら彼女は自分の仕事に対ししっかりとプライドを持って居られ、「比較文学者」を大学教授如きと同列に論じられたくない矜持がまざまざと感じられた。世知辛い今の世は文学研究などでとても食って行けるものでないから、誰も学校の先生や翻訳や講演などで糊口を凌いで居られるが彼女もその一人であり、あくまで彼女は「比較文学者」であり、大学教授は餬ぎ(くちすぎ)のためであって本人にとっては恥ずべき職業なのだろうかと推測した。されば最近詩人とか歌人と謂う職業の人を見掛けなくなったが、今も詩人や歌人は居るに違いないから矢張り学校の先生や翻訳とか演歌の作詞などで生計を立てていられるのだろう。石川啄木だって小学校の先生だったもんな。中村和恵氏曰く、現在日本だけでなく世界中で詩や歌だけで食べて居る人は誰も居ないそうな(;;)。詩集や歌集を買ってくれる文学青年少女も居なくなって久しく悲しいよな:-)、戦前萩原朔太郎や三好達治は詩だけ書いて優雅な生活をして居たが、今は誰もが詩や歌を詠まなくなりトゲトゲして心に余裕のない生活を送っているのだろう:-)。その元兇は全て占領軍の意の儘に動いて文語体を禁じ「やまと言葉」の韻律を奪った文部省の役人だろうな。「係り結びの法則」が泣いて居るぞ、若者達から「係り結びって何や?」と言われそうだな(;;)。
トラックなら分からぬでもないが常用車の前の横の席はどうして誰も助手席と言って憚らぬのか。誰に聞いてもよく分からないので調べて見たら、戦前タクシーが円タク(1円で一定の場所まで走るのでそう呼ばれていた)だったとき、必ず横に男が座っていたそうな。タクシーなど殆どない時代だったのでこの男の役目は町の中で帰ろうとする酔客などを見付けて行き先に応じて料金を決めてタクシーまで連れてくる助手の役目だったから何時も彼が座って居る隣の席を助手席と言ったそうだ。今ではこの言葉は助手を意味することなく「助手席」で完結して「後部座席」の対の言葉になって誰も訝ったりしないのは何故かおかしいよな^^。
2回も最優秀男優賞に輝いた俳優の「ショーケン」こと萩原健一は「ひらかな」しか読めないので、結婚相手の姓名も「ひらかな」だったと何かに書いてあった(;;)、此はきっと「いしだあゆみ」のことでタチの悪いジョークだろうと思ったが、平仮名しか読めないで芝居の台本はどうして読めたのだろうか、著書も数冊あり、還暦を迎えた今講演まで引き受けられるそうだが漢字をどうして克服されたのだろう、彼は高校中退でいろいろあって刑務所に入っていた期間も数回ありそれも結構長かったからきっとその間に勉強して漢字をちゃんと書けるようになったのではないかなと私は思った。
今の公立高校の生徒には自分の名前が漢字で書けない奴が2%も居るそうだが、自分の名が書けぬのなら易しい漢字だって書けないに決まっている。親や学校の先生は何をしてたのかと訝しい。省みるに我々が学校で受けた勉強なんて一体何だったんだろうなと思ってしまう。誰も自分で勉強してたんだな、やる気のない奴は自分の名が書けなくても先生は何も言わなかったんだろうな:-)。
又、昔必死に習ってきたものでも、今は通用しないものも少なくない。「Have you a book?」なんて構文を大学まで10年間習ってきたが、今そんなこと書いたら鼻で笑われ×になるそうな:-)、昔我々が馬鹿にして笑った「Do you have a book?]が今は正解だとか…(;;)。be動詞はその儘でもhave動詞が使われなくなったなんて我々昔人間には衝撃だなあ:-)。
先週体力維持の点滴に行ったIクリニックでとても懐かしくとても良い言葉に巡り会った^^。点滴の注射は新しい看護婦さんだった。胸に付けたプレートの名札が読めないので「どう読むん?」と訊ねたら「カツチ」と教えてくれ、序でに「お嫁に行って変わったんよ」と言ってくれた^^。「息子に嫁を貰った」とは義父母が言っても、100人が100人当人が「お嫁に行った」の言葉は死語と化し「結婚して変わった」としか言わないから、若い女性の口から家単位の言葉に出逢うなんて思っても見なかったのでとても愕き且つ戦前の人間として嬉しかった^^。おまけに「長男の嫁なんよ」とまで言って微笑んでくれたんだ。彼女の言葉から紛いもなく家には舅も姑が居ることが察せられたから長男にこんなに良いお嫁さんが来て舅も姑さんもさぞ満足だろうな、仕合わせだな。今時「長男の嫁」なんて忌み言葉の見本のようだが胸を張って「長男の嫁」と言った彼女の明るい笑顔からははっきりと家を守る心意気が垣間見えた^^。今もこんな女性も未だ居るんだなあ、未だ未だこの世は捨てやもんでないぞ!と帰路一人で呟(つぶや)いたもんだ。彼女はきっと夫を愛し尊敬しているから彼の住む「家」にも愛情が持てるのだろうな。今風「貞女の鑑(かがみ)」と迄は言い過ぎかな^^。
先週の常用漢字の表外読みの答え
事の真相が(露)になる。(あらわ)でした。
今週の常用漢字の表外読みの問題
世界に(普く)知られて居る。

オムロンと手動販売機

先週裏庭の石蕗(つわぶき)が開花した。この花が咲くと忙しない師走の慌ただしさと冬の訪れを実感する。

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先月11月の日経新聞「私の履歴書」はオムロン名誉会長の立石義雄氏だった。此の「私の履歴書」は政財界のみならず芸術の世界も含め一代で功成り名を遂げた方が登場され一ヶ月間執筆される。此処に登場できることは一つの世界で一流になれた証明だから、誰も拒まないで嬉々として登場されるようだ^^。一ヶ月間の連載は400字詰め原稿用紙にして約90枚大変なボリュームでちょっとした短編小説だから、中には書くのは苦手だと謂う方が結構多いと思うが、そんな方には談話を聞き取ったテープからゴーストライターがちゃんと書いてくれるから本人も満足するに違いない。今月の立石氏は立石電気を創業され医療機器などを開発されたベンチャー企業の元祖立石一真の三男で三代目社長(二代目は長男で短期間だった)を務められオイルショックも経験されオムロンに商号変更後ATMや自動改札機で時代の寵児となった方だ。初代の立石一真は世に希な立志伝中の人であって、立石電気を一代で技術大国日本を代表する先進企業にまで成長させた技術畑一筋の苦労人だが、大学も出ないのに世界に発表する英語の学術論文を出されるなど理系の鑑と云うべき人であり、1975年の日経新聞「私の履歴書」に出られたから、親の七光りとは謂え、同じ会社で親子続けてこの栄誉ある「私の履歴書」への登場は例がないように思われそれはそれで立派だなと思う。
この三代目は同志社を卒業した営業畑の人だからお父さんと違って難しい話でなく現場での苦労話が面白く、国鉄(今のJR)からの発注で現地組み立ての自動券売機の納入をする際徹夜での調整作業が捗らず、始発電車の動き出す時間となり、微調整が終わらないため已むなく券売機のお金が投入されると器械の裏に居る立石の社員が間を置かずに切符を受取口に出すことになったそうだ^^。「あっ、手が見えた!手動販売機や」の個所では笑ってしまったな^^。又、住友銀行本店では堀田頭取がCDにカラクリがあると思われて紙幣が出てくるのを見届けるや即座に裏側に回って扉を開き人が居ないことを確かめられ「うーん」と唸られたたとか…^^我々は日頃何も思わずに使っているが指というものは如何にも精巧なもので、どんなものでも人の指に代わる新製品は言葉に尽くせぬ苦労が多かったのだろう。それに昔は誰もがアナログ人間ばかりだったもんな。
先週木曜日の夕刊を見て魂消た(゚ロ゚)。大阪の或る会社員の男が独自で競馬予想ソフトを構築し、07年から09年の3年間に1億4千万円(馬券を28億7千万円購入し約30億円の払戻金だった)稼いだが、ネット馬券だったために国税局の知る処となり、哀れ5億7千万円の追徴課税されたそうだ(;;)、通常の考えでは1億4千万円の儲けに対し最高で40%の所得税と無申告加算税と思うが、所得税法には斯くなる競馬や宝籤の所得は一時所得であり50万円を控除して更に残る2分の1に対し税金が掛かる決まりとなって居る。2分の1なら税金は随分廉くなりそうだが、法律の考え方は一時所得の決まりは勝ち馬券の購入費しか控除して貰えない仕組みなので28億7千万円の購入馬券の内外れ馬券の購入費は含まれない。三連単一回こっきり大儲けた人が税金の申告をする場合、其の儲けた三連単の購入馬券しか控除しないことで、きっとその同じ日買った他の外れ馬券の購入費を認めない精神での立法なのだ。此の定めのお陰で此の会社員は所得こそ2分の1して貰えたが外れ馬券(計算上12億9千5百万円となる)を全く引いて貰えなかったので30億円の払戻金(購入費15億7千5百万円と推算される)の利益部分14億2千5百万円が収入金額とされたものだ(;;)、銀行口座へ発端の元金は1千万円だったそうだが、此の損得から想像するに中穴馬券ばかり狙っていたに違いなく、よくぞ20%のテラ銭がクリアできたもんだと感嘆頻りだ^^。然し実際に損をしているものを無視して損益の計算外とする国税局の遣り口は、彼が年間を通して数年間も継続して馬券を購入しているのに無理矢理一時所得の範疇に填めることは法の精神を逸脱して居るし、「一時」と謂う日本語の解釈からしても怪訝(おか)しいと思われる。何故ならこの方が株の相場師のように、競馬のプロとして事業所得或いは雑所得の申告をして居れば外れ馬券は当然に控除されて居たから、申告していないだけの理由で所得が変更されての一時所得扱いはどう考えても税法への身贔屓(びいき)としか思えない。此の会社員現在滞納税金に対し年14.6%の延滞税まで課せられ、給与の4分の1を差し押さえられ家族の生活まで脅かされて居るそうだが、給与30万円の4分の1では延滞税の足しにもならず滞納額は野放図に増える一方だ。昔国税局は払えない税金は所得を負けて呉れて払える税金で止めてくれる血も涙もある役所であったが、世の中不景気になって国税庁のノルマが達成できなくての所業だろうが阿漕なことをするもんだな:-)。大体一時所得の基本概念は単発的な大儲けや数十年掛け続けた生命保険の満期金や三連単の大穴などについて税の歯止めとして設けられたもので、継続的な馬券買いに対し、儲けたものだけに課税して外れたものは無視するなど、牽強付会も良いとこでまるで弱い者苛め悪代官の遣り口だ、此を権利の乱用と謂う。外れ馬券は無視して儲けた馬券だけ課税されるなら世の中脱税の不届き者がゴマンと居ることになるが、国税局は此の会社員に追徴課税するなら他のゴマンも連座させねばならぬから、今回の処置は不公平極まりない。或いはネット取引の場合は情報が入手できるから課税資料から多くの者が税務署へ呼び出されお灸を据えられているのかも知れぬが、毎週土日になると競馬新聞と色鉛筆を片手に競馬場で過ごすことを日課としている多くのアナログファンは資料化されることがないから課税できない不公平を国税局はどう説明するのだろう、課税公平の原則は何処に行ったんだろうか?
日本JRAは日本の政府が作ったもので毎年3000億円以上「下記(注)参照」も吸い上げて居る。宝くじのテラ銭は50%を超すから法律で無税にし、20%は課税だなど理屈に合わない、上場株式の売買差益(損は控除して貰える)は10%の分離課税だが富裕層ばかりを優遇する現在の税制は改められねばならぬ。「ハイセーコー」の登場以来隆盛を誇った競馬界ではあるが此処最近は若者の嗜好も変わり頓に売上が低下している。今回の事件は更なる顧客低下を招き、折角培った多くのネット顧客を失うものだろう。此は「金の卵を産む鵞鳥を殺すな」のイソップ童話に学ぶべきだ。告発された彼は既に3年間既に6億円(30億円×20%)ものテラ銭を徴されているではないか、其れは税金と代わらんのと違うのかな。今回の国税庁の犯した罪はアンチ大岡捌きであり、世界中が納得して居るイソップの世界を否定するものであった:-)。
今月裁判官がどんな判決を下すか注目されるが、裁判員裁判なら外れ馬券も控除してくれるだろうが、法律の条文で凝り固まった石頭の裁判官ならダメだろうな(;;)。そうなれば判例となるから競馬ファンも競艇ファンもきっと大挙して去って行くことになるだろう。農水省は国税庁に文句の一つも言えんのか:-)。
(注)日本中央競馬会を監督する部局は、農林水産省生産局畜産部競馬監督課である。世界最大の馬券売り上げを誇り、毎年3000億円以上を国庫に納入している。
この会社員悄(しょ)げて居ないで少し知恵を働かし苦労して自ら構築した馬券ソフトをコピーして1部10万円位でオークションに掛け脱税したことまで書き込めば1万本位直ぐ売れるだろうし、「競馬で1億4千万円儲けた男」と本を書けば滞納税金位直ぐ取り戻せるのではなかろうか^^。
12月から「私の履歴書」は元総理の森善朗となった。私はこの人が嫌いで全く読み気がしないのでパス。
先週の常用漢字の表外読みの答え
彼は一族の(覇)だ、(はたがしら)でした。
今週の常用漢字の表外読みの問題
ことの真相が(露)になる。

此処は「タキノトイレ」です

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秋も愈々終盤に入り寒い冬がその辺まで来ているようだ。お馴染みのEさんが北海道を旅されて沢山写真を頂戴した^^。此は最果ての宗谷岬にある間宮林蔵の銅像だ、眼下に蹴立てるオホーツクの白浪が眩しいな。遙か向こうに小さく見えるのは樺太なのか或いは船影だろうかとEさんに問えば小さい島だそうだ。樺太が見えるのは特別天気の良い日だけだとか…。
アメリカと日本と半々に暮らしているお得意先のTさんが来春の申告のことで訪ねて来て仰るにはオバマ大統領の再選で愈々アメリカでも国民皆保険になるそうだ、これを「オバマケア」とか謂うそうな(;;)。つまりアメリカに住む誰もが医療保険への加入義務が生ずるらしいがあちらの医療費はメチャ高いので病気になったら帰国して日本で治療されるとか…(;;)現にTさんは先月帰国されてポーアイの市民病院で心臓のカテーテル手術をされ現在病後の療養中だ。来年からアメリカに永住される予定であり今年春に会社を畳まれたが病気のことを考えると医療費が高ければ医療保険だって高いに違いなく今になってアメリカ永住に思案されて居るようだ、処でアメリカは貧民窟やスラム街が多く貧困の度合いは我が国と桁外れの筈だが、そんな人達には医療費は疎か医療保険料すら払えるとは思えんからアメリカで生活保護とは聞いたことがないし、国民皆保険とは訝しいぞな、其れこそオバマケアレスではないか、彼等は病気になれば座して死を待つしかないのではなかろうか:-)。そうだ、アメリカでは我が国の中国人同様無国籍のお邪魔虫が沢山居るんだったな:-)。
「(谷間)って何?」と何気なく人に聞くと、即座に「谷と谷の間やんか」と言われる^^、「山と山の間と違うか?」と返すと暫し考えて「…うーん、そうやな」。実際に広辞苑の初版本では「谷と谷のあいだ」と書いてあったそうだ^^。谷と谷の間は山ではないか、調べて見ると此の誤りには根拠があってその昔発行された「言海」で「谷間」を引くと「たにあい」に同じとあって「たにあい」を引くと「谷と谷との間、タニマ」となって居る、つまり広辞苑は「言海」を模写したことが分かる。もう少し深く「大言海」を見れば「たにあい」は谷間、谷と谷の間、たにまとあり、「たにま」には、はざま、たにふところ、とあって両者の意味が等しくない。さすれば大月文彦先生はどう書いて居られるか孫に与えた「大言林」を読んで貰うと谷間(たにま)は(谷間たにあい)に同じと書いてありと「タニアイ」には谷と谷の間と書いてあった。真犯人は大言林だったのだ!更に大言林の「谷間」の「間」の字が異体字で「閒」になって居た。漱石の弟子内田百閒の「けん」の字だ。昔は谷間という処は山の稜線に掛かった月が美しく見えたのだろうから雅(みやび)でとても叙情的だ^^。今では山間(やまあい)から上る日の出や夕暮に沈む太陽へと変わってきたのだろうが、時代によって文字まで変わって行くなんて不思議だな、私は月の方が好ましいと思う。
仕事で月1回程度明石に行くが帰るときJR明石駅の改札を入って直ぐ傍にあるエレベーターを利用する。膝が悪いわけではなく隻眼のため階段の段差が怖いからだ、エレベーターに向かい合って障害者用らしいトイレがあるが、エレベーターの前に立つとセンサーで関知するらしく「此処はタキノトイレです」と呼び掛けられて戸惑う、「駅のトイレ」の聞き違いかと思ったが暫くすると再び「此処はタキノトイレです」と言う。間違いなく「えき」ではなく「たき」と言っている。エレベーターに乗ってから良く考えたが「タキノトイレ」ではなく「多機能トイレ」と言っているのではないかと思った。障害者だけでなく老人等も含めた優先座席的なトイレだろうが排便排尿以外に別にすることも思い付かず「多機能」って少しオーバーかなと思った。もう少しマシな表現はなかったのかなあ。
エレベーターで思いだしたけど、山陽電車の垂水駅のエレベーターに乗って→←ボタンを押したらドアが閉まって暫くして「行き先ボタンを押して下さい」とコールされ少しも動いてないのに愕く(;;)、改札階で乗れば行く処はホーム階しかないから→←ボタンを押せば勝手に上がって呉れたら良さそうなもんだが此は過剰さービスではなく明らかに行き先が複数階あるエレベーターのソフトをそのまま使ったプログラムミスなんじゃないかと思った。処が今度は新開地駅で同じことが起こり、→←ボタンを押し考えごとして居たら今度は止まった儘で何のアナウンスもなかった(;;)。この駅は神戸高速鉄道で山陽電鉄ではないからエレベーターも違うものを使っているようで、山陽より不親切だから不愉快で、山陽電車のアナウンスの親切が懐かしく身に沁みたものだ^^。鉄道の場合、最近は障害者や老人に配慮して昇降機が多く使われるようになったが、都心部は除いて改札階とホーム階だけで中間の停止階がない場合が圧倒的に多いに違いない、それなら製造台数も可成りの数にあがる筈だから、少しプログラムを変更して→←と←→だけにして目的階の表示をなくせば乗客に優しく且つ省エネ効果が可成り高いと思うがどうなんだろうか?
電車と謂えば先日仕事で神戸へ行くとき須磨の駅で何気なく駅看板を見ていたら「え?中退しても難関校!」なんて大きいのがあった。予備校も現役の大学生にまで食指を伸ばさねばならぬとは愈々少子化に追い詰められて居るのだろう。大変だな:-)。
先週泉佐野で産経新聞販売店の所長が酒を飲んで車を運転し、通行中の男性を轢いて引き摺り死亡させ逮捕された事件で、産経新聞の広報部は「取引先である販売店の所長が逮捕されたことは誠に遺憾です」とコメントした。「取引先である販売店」と表現したのは「うちの会社ではありませんよ」と距離を強調したかったのだろう。「遺憾です」とはよく使われる言葉だが、この言葉は「残念に思う」の意であって謝罪の意味は全く入って居ない。産経新聞もその辺を充分に心得て使ったのだろうが、世間では一般的に謝罪の言葉と誤解されて居るからサンケイが申し訳ありませんと読者に謝ったと思われてしまったろうな:-)。
先週の常用漢字の表外読みの答え
(打打)発止と打ちあった、(ちょうちょう)発止でした
今週の常用漢字の表外読みの問題
彼は一族の(覇)だ、

原発事故20km圏内の話

先週の月曜日、裏庭で栽培したさつまいもを収穫した^^。昨年は大根を植えて居たから目先を変えて見たのだが、西瓜の収穫のときも大根を引き抜くときも嬉々として参加した崖上ハイツに住むヤゴを見付けて呉れた少女が風邪で来られず盛り上がりのない芋掘りだった(^^)。

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収穫した甘藷の大部分で、真ん中の大きいのは挿し枝を取るための親芋です。切って炊くことになると思うがきっと美味しくないと思う(;;)。
うちの事務所入り口に置いてある小さい水槽には春に庭のビオトープで誕生したメダカ達が泳いで居る。ビオトープでも狭いのに30cmの水槽の中で飼い主のエゴの犠牲となっているのは可哀想だと思うがせめてもの罪滅ぼしにと餌だけは毎日3回しっかりと与え(ビオトープは1回)水替えも時々している。メダカと同居させられている川エビはめいめいてんで勝手に動いているが、不思議にメダカ達は決まって同じ格好をして同じ方向を向いて居るのが常だ^^、然し良く見ると群れと離れて一匹だけ反対方向に尻尾を振っている奴が居る。仲間外れにされたかなと思って見て居ると此奴は結構のびのびと水槽を行き来している。「僕は独りで生きているぞ、文句あっか!」と言わんばかり、60数年前ワルガキの時代に友達もなくクラスで独りぼっちだったが苛めっ子にまで敬遠されて居た狷介固陋な私とそっくりな性格の此奴にすっかり愛着を覚え、つい餌を此方に大目に撒いてしまうが、「同病相憐れむ」と言う奴かも知れないな、然しメダカにも個性があるなんて不思議だなあ^^。否、否、「一寸の虫にも五分の魂」と謂うではないか。
80歳の石原慎太郎が都知事を辞して国政に参画しようと新党を立ち上げ国会解散総選挙へと年末の気忙しいときに火蓋が切って落とされた。世界から見ればまるで「コップの中の嵐」だろうな:-)。石原都知事の辞職表明の理由として日本の官僚が「優秀だ優秀だ」と言われながらその実、継続性と一貫性に拘り物事を多角的に見る柔軟性に欠け、硬直した手法に拘泥するため地方の実態も知らずに机上で物事を決めて行く悪弊から脱却できずに居る弊害を挙げて居られ此等を打破すべく老骨に鞭打たれたそうだが、私も官僚に対して同じ思いだ、つい先だって私は原発ドラマ「希望の園」の筋書きを読んで、お役人は原発現地被害者について何の思い遣りも有して居ないんだなと思った。あの未曾有の大事件に際し役人は机上で20km圏内ルールを決定し現地を何も見ることなくこの線引きに固執した処に役人の国民に対する軽視を知った。20kmボーダーラインで分断された福島県の鈴木さんという方のご自宅の庭が20km圏内と圏外に真っ二つにされ、圏外とされた庭では手入れをされた花が咲き誇って居るのに圏外の方は手入れがされないため全てが枯れ果てて居るそうだ:-)。20km先のたった2mなら僅か1万分の1に過ぎない、花の枯れ果てた方には放射能が充満し百花繚乱の方は放射能が全く存しないなど誰も思って居ない。風が吹けば圏内は15kmにも25kmにも変化するに違いないから目安である20kmに執拗に拘る役人は頭が硬く融通が利かぬ天然のアホだ。役人の作った規則とは融通が利かぬものだが、四角い法律を丸く用いるのが役人の仕事だと思っていたから用いる方も真四角では誰も救われないぞ(;;)。「木を見て森を見ず」の格言があるが、こんな役人ばかりだから日本はアメリカばかりか中国、北朝鮮、韓国にまでバカにされ、せせら笑われるのだろうな:-)。過疎地帯だからまだしも良かったものの若し20kmラインが家の中だったらどうするのか、家を半分壊すわけにも行かず家全体が利用不能とされるのだろう、然しよく考えて見れば庭半分使用禁止なんてもっと残酷で惨いのではなかろうか、役人は「休まず、遅れず、働かず」だとよく言われるが、「融通の利かぬアホだ」も加えるべきだろうな:-)。
毎日新聞今朝の川柳にいみじくも投稿あり、「耳掃除してられるのも役所ゆえ」
急に文学の話に飛ぶが、志賀直哉の「暗夜行路」を10代と60代で二回読んで、時任謙作なる金持ちの放蕩息子が父親の妾を嫁に貰いたいなどと巫山戯(ふざけ)たことを言うつまらぬ自分史の小説がどうして名作だろうかと私は予て訝しく思って居たが、私が名もなき衆生の一人とあっては世人に公言もできず自分の浅学菲才のせいで彼が理解できずに居ると恥じてずっとブログにも蝕れずに居た。処が日本を代表する作家であり文芸評論家の丸谷才一が昨年書かれたたエッセイ集「月とメロン」の中で『志賀直哉の「暗夜行路」のプロローグを読んで閉口して此はダメな小説に違いないと思ったが果たして予感は的中した。読んでみてズバリでした。』と書かれたのを読んで思わず飛び上がった^^。昭和を代表する文芸評論家丸谷才一の目は誰よりも確かだから私の目も節穴なんかではなかったのだ(^^)/。志賀直哉は小説の神様とか言われて居るが、ヤフーの知恵袋など見ていると実際はつまらん作家やと書き込んで居る人が沢山居るのに気付いて目からウロコだった^^。そう言えばこの人長編小説は「暗夜行路」一冊きりだ、彼がどうして文豪だなんて謂われるのか不思議だな?
私は此の秋頃から前述丸谷才一の作品を読み始めたが先月87歳で急死され執筆中の作品が多く残されて未完作品として先日発売の文芸春秋に掲載されている。彼は東大を僅か3年で卒業された秀才で「博覧強記」の言葉がピッタリ当てはまる人であり、持てる知識の量の物凄さは作品を通じて犇犇(ひしひし)と伝わってくる。亡くなられた後アマゾンで購入する彼の書物(古本)の価格が値上がりして困ったが、暫くして治まったので今のうちにと未読のエッセイ集20冊ほどを全て購入した^^、山本夏彦翁のエッセイ集と併せて本年中に読破したいと思って居る。
先週日経の夕刊にて丸谷さんの追悼録が掲載されたが死ぬまでペンを放さなかった現役作家であり、「文人と謂う言葉がしっくりとくる古風な佇まいの作家だった」と結ばれていた。私のブログではこれから当分彼丸谷才一の博覧強記振りを存分に皆様にお伝えしようと思う。
先週の常用漢字の表外読みの答え
(謀)を巡らしているらしい。 (はかりごと)でした。
今週の常用漢字の表外読みの問題
(打打)発止と打ちあった
先週灘中入試問題の解答です
エラーでやらず(もがな)の追加点を与えてしまった。
「聞こえよ (がし)に悪口を謂われて腹が立った
まじめに働いてきたAさんの話を聞いてさも(ありなん)と思われた。
「私でも国語位は灘中の入試できるんや!」などと思われたでしょうね?

田中真紀子の反逆

昨日10日で私は齢(よわい)77歳となった。私は小さいときから病弱だったからこんなに長生きできるなんて思っても見なかった^^。確か77歳は喜寿だと思ったのだが誰も言ってくれないので訝しく思い調べたら、古希や喜寿の類いは全て数え年で謂うのだったから私は昨年正月既に喜寿に達していたのだった(;;)。余り長生きしたくないが75歳からはオマケの人生だから、ジタバタしないで自然体で親父やおふくろのお迎えを待とうと思う。
彼女が外務省に巣くう魑魅魍魎を小気味よくやっつけてから何年経ったろうか、久し振りの真紀子節だったな^^。最後は役人達に背中を押された与野党総掛かりの文科族に裏切られ自説を撤回し謝罪せねばならぬ仕儀となったのは誠に残念であったができれば謝らずに頑張って欲しかったなあ、然し他の大臣のように役人の傀儡になることなく寸時であっても大学3校の開学認可をストップして文部官僚の思うが儘だった学校行政に波紋を投げかけ文部行政に警鐘を乱打した田中真紀子文科相の一声は大いに評価さるべきだ^^。
開学をストップされた役人や学校側の言い分は今更不許可と言われてもキャンパスができて応募者まで決まっているのに…と謂う恨み節であったが、学校を作りたければ見込発車などせずに認可をきちんと取得してからにするべきではなかったのか!少子化の進む狭い日本に773校もの多くの大学を抱えて、幾ら推薦入学を増やしても学力の程度が徐々に低下し、一方では学生の定員数が確保できずに経営不安に青息吐息の各大学が多い中を更に三流大学をポコポコ新設して乏しい国家予算から金を分捕ろうなどと不埒な役人だ!大学など50もあれば良いのではないかと思う。50校に入れない奴は高卒で働いたら良いだろう。抑(そもそも)私学などは税金を無駄遣いする元兇であり、法人税は非課税にされて払わないし、固定資産税は免税だし、更には国から私学助成金まで取って居る。我々が普段徴されている預金などの利息や配当金の源泉所得税すら彼等は払わなくて良いのだから過保護に過ぎると思うよ:-)。
今回の事件は此までが「大学設置審議委員会」さえ通れば、大臣の承認は全くのメクラ判だったお粗末さを露呈したが、此までの大臣が無能すぎて役人の顔色を読むことばかりに専念して余りにも不見識だったのだろうな。今の内閣も長くないと思われ田中真紀子も近く降板となるだろうが、辞める前にもう一声吼えて欲しいよな^^。例えば国語審議会のメンバーを全員馘首して常用漢字を廃止するとか…^^。
結果的に見て再認可されることとなった無名のこの3大学は今回の事件で図らずも世間に名前が知られることとなりそのプロパガンダ効果は計り知れない。恨み辛みの田中文科大臣ではあるが、この3大学の関係者は今後決して田中真紀子さんに足を向けて寐られまいぞ。
先月ご紹介した児童文学者の丘修三氏は稀有な教育者だ。彼は養護学校をなくし特殊学級を全廃することを常に提唱されている。丘氏は健常者と障害者の教育を分け隔てることの弊害が少なくなく、お互いが理解することなく成人に達し、そのために健常者と障害者との隔たりは途轍もなく大きくなり、殆どの障害者は同時代の健常者である子供との心の触れ合いがないため、障害者は常に偏見の目で見られ自分の秘めた力を知られることなくその生涯を終えることが多いが、幼少時より両者を同じ場所で学ばせ遊ばせれば健常者の子供達にも障害者に思いもよらぬことができることや障害者が外見とは似つかわしくない素晴らしい能力を有することに気付くに違いないと常に主張して居られる。私も将にその通りだと思う、人間の内面は外見と正反対なことが多い。人間が外見で判断される愚は、相手が美人だからだけの理由で結婚した男性が辿る運命そのものだもんな(;;)。
先月末今年度文化勲章や文化功労賞が発表され、ノーベル賞の山中教授や寅さん映画の山田洋次監督等が選ばれた。文化勲章と謂えば嘗て大江健三郎が「民主主義に勝る権威と価値観を認めない」と受賞を辞退したが、この人ノーベル賞はしっかり頂戴したから、僅か年350万円の年金如きに横を向いたと世間から顰蹙(ひんしゅく)を買ったのを思い出したぞ:-)。反対に文化勲章を受賞して「お金を頂戴できるのが有難い」と正直に真情を吐露された清貧の人漢字の白川静先生は潔かったな。然し白川先生が文化勲章を受賞されたのは94歳のときだったから貰えたのは2年足らずだった(;;)。70歳で貰って居ても不思議ではないが、受賞が遅れたのは勲章なるもの、功績なんかより如何に学歴がものを言う世界なのか誰にも良く分かるよな:-)。白川先生は尋常小学校を卒業後中学校からずっと夜学に学ばれて居たもんな。
シャープにパナソニックと我が国の家電業界がどうして斯くも無残なことになったのだろうか、最近旧米国松下電器の社長が「松下幸之助は泣いている」と謂う本を出された。彼曰く「茶坊主が増えて社長に案を持って行き、怖い顔をされるとすぐB案C案と節を曲げるからおかしな意思決定になった。社長に都合のよう販売データを纏めるばかり…(;;)」と佞臣が上ばかり向いて顧客に背を向ける行為が我が国の家電を惨状に曝し、究極軌道修正が効かなくなり世界の負け犬となったと記して居られるが此はおかしな話だ、茶坊主は家電でなくても何処にでも居る、うちの事務所でも居た:-)。然し、思うに佞臣の諂いを鵜呑みにした社長に咎はなかったのか!社長室でパターの練習をする暇があれば自ら第一線に出て行き、若い女子職員からパソコンの販売月報の前年比較グラフでも印刷させて見る勇気があれば家電の凋落を逸早く察することができ巨額損失を半減する対策の一つも打てたのではなかったか!人の上に立つ者は諫臣と佞臣の区別が付けられないではその資格がない。部下の心が読めなくてどうする!
もう三ヶ月もすれば入試のシーズンを迎えます。皆さんとこは大丈夫でしょうね。先週の毎日新聞「難関中学の入試問題に挑戦」に灘中学の問題が出題されていたので頭の体操にどうぞ。
問題 (  )内に適当な平仮名を入れよ
エラーでやらず(   )の追加点を与えてしまった。
「聞こえよ (   )に悪口を謂われて腹が立った
まじめに働いてきたAさんの話を聞いてさも(   )と思われた。
どうでしたか? 答は来週です。
先週の常用漢字の表外読みの答え
 (郭詞)が板に付いてきた。 (くるわことば)でした。
今週の常用漢字の表外読みの問題
(謀)を巡らしているらしい。
此も今回の漢検出題問題です。

丸谷才一と大岡信

「秋の日は釣瓶落とし」とは古来謂われている俗諺だが、11月になると毎日のように、ほんに夜の訪れが早くなるのに愕いてしまう。此から来月の冬至まで毎日少し宛日が短くなるのだと思うととても憂鬱だな。
「いとけなき日のマドンナの幸(さっ)ちゃんも孫三(み)たりとぞe(イー)メイル来る」
とても頬笑ましい短歌だな^^、この歌は新聞や雑誌などに掲載された読者投稿などかと思ったら、ナント!平成16年宮中での歌会始にて召人(めしゅうど)(毎年1名特に天皇から召された者)として招かれた歌人大岡信(まこと)が御題「幸」により陛下の前で詠まれた歌だったのだ(゚ロ゚)。
上記の詠進歌を詩歌の仲間である評論家の丸谷才一(先月逝去)が絶賛し、彼のエッセイ集「袖のボタン」の巻頭に掲載した^^。彼はこの歌について言葉の芸が鮮やかで水際だった機知の遊びとお色気が斬新だと書いて居る。詠進歌には我々俗世の衆生には縁のない花鳥風月を主題にした味気ないものが多いが、俵万智も斯くやと思われる此の歌が歌会始の召人の歌だなんて魂消るほかない^^。この年は「幸おほかれとわが祈るなり」で終わる陳腐な歌が皇太子殿下と何とか殿下と3名もあったが、ま、皇族の連想力はせいぜいこの程度であり、此が歌会始には相応しいものだろう。
嘗て明治政府は天皇に対し歌会始に恋歌を禁じて居たそうだが、陛下は昔禁句であっても既に100年近くが経っているからと逡巡せずに懐広く、この恋歌の採用を決断されたものだろう。きっとご自身現美智子妃である正田美智子に恋をされた若き頃の憧憬を彷彿されたせいではなかろうか。然し召人大岡信の歌だったから赦されたものの一般からの応募ならこの歌は選者の目に留まらず一刀両断完全にボツだったろうな。御題が人名の一部に使われて居るところが瓢逸であって、常套句で占められる歌達を将に薙で切った型破りなスタイルであり詠進歌とはよもや思えない^^。丸谷才一もこれを存分に評価したのではなかろうか、処で陛下はeメイル(Eメール)を使われるのかな?
歌会始と謂えば平成9年の召人に、高橋是清などが射殺された2.26事件の首魁である栗原安秀大尉の同級生であり恋人であった斎藤史が選ばれたことだ:-)。彼女の父親である陸軍少将斎藤瀏は栗原大尉と娘との関係により事件に利したと見なされて長く投獄されているから、その後現代短歌の第一人者となった斎藤史が平成9年に召し出されたことは2.26事件の因縁の深い斎藤家へ天皇家の和解の申し出ではないかと噂されたものだ。
因みに斎藤史は銃殺刑に処せられた栗原安秀について下記の歌を詠んでいる。
わが道やここに在りきとかへりみむ三十に足らぬ一生(よ)をあはれ
天皇陛下萬歳と言ひしかるのちおのが額を正に狙はしむ
ひきがねを引かるるまでの時の間は音ぞ絶えたるそのときの間や
女性なのに「史」とは珍しいなと思ったが、実は出生時に斎藤瀏が「史子」と届けたのに戸籍係が間違って「史」にしてしまったとか…:-)。歌人としては「史」の方が相応しい名だから戸籍係も粋な間違いだったな^^。
同じく丸谷才一の著作「輝く日の宮」を読んでいたら中に芭蕉の俳句について面白いことが書かれて居た^^。評論や随筆の得意な人は小説を苦手としたものだが、この人の作品は評論だけでなく小説も結構面白い。
俳句「閑けさや岩にしみいる蝉の声」は「奥の細道」に収録されている松尾芭蕉の発句だが、元禄2年5月27日に山形県立石寺で読まれたそうだ。処が何を思ったか歌人の斎藤茂吉がこの句の蝉はアブラゼミだと雑誌「改造」に書いたのが発端となり、蝉の種類についての文学論争が起こり、翌年岩波書店の岩波茂雄が斎藤茂吉を始め阿部能成、小宮豊隆といった著名な文人を集めて討議したそうだから愕く(゚ロ゚)。
関東大震災の後で皆頭が怪訝しくなって居たのではないかと思うが歌人や文人には暇な人も居るもので読者は誰も呆気にとられたのではあるまいか。
アブラゼミだと主張する茂吉に対し、小宮は「閑さ、岩にしみ入るという語はアブラゼミに合わないこと」、「元禄2年5月末は太陽暦に直すと7月上旬となり、アブラゼミはまだ鳴いていないこと」を理由にこの蝉はニイニイゼミであると主張し大きく対立し、この詳細はある雑誌に寄稿されたが、科学的問題も孕んでいたため決着はつかず、その後茂吉は実地調査などの結果をもとに翌年誤りを認め、芭蕉が詠んだ詩の蝉はニイニイゼミであったと結論付けたそうだ^^。丸谷才一は此の蝉はミンミンゼミだと書いている^^。可笑しいよな、芭蕉が蝉の種類に詳しかったかどうか分からず、詠んだのは想像上のことであったかも知れぬから蝉の種類が論争の焦点になるなど噴飯ものだと思う。私は何より江戸時代の気候と昭和の気候と等しかったとは思わない、江戸時代如何に冬が寒かったかは当時の書き物でよく分かるから、地熱も当然に江戸時代と昭和では異なっていただろう、昭和に検証した蝉が250年前にも同じ時期に鳴いていたと断定するのは早計に過ぎるのではないか。蝉の声によって句の雰囲気や味わいが変わってくるかも知れぬが、其れは句を鑑賞する人が自分の世界で自在に想像したら良いのではなかろうか。世の中誰もがトゲトゲして居る昨日今日芭蕉の句の蝉の種類などが論点となった古き時代が懐かしいよな^^。
芭蕉には「古池や蛙飛び込む水の音」の名句があるが、私は此の句は事実描写ではないと思っている。何故か誰も蛙は水に飛び込むとき音を立てないと謂う事実を誰も認識していない。蛙は石ころではない、漫画などでよく蛙が飛び込んだ絵を見掛けるが、飛び込み台の水泳選手ではあるまいし…、何故なら蛙はするりと水に入り決して音を立てて水に飛び込まないことを私は知って居る。蛙は音を立てると鳥に気付かれることを本能的に察知して居るからだろうな。然し此の句は事実に基づかないもので嘘だという説を聞いたことがないから、誰も声を上げない、論題にすべきは蝉の声ではなく、蛙の方ではなかったのかな。
阪神タイガース金本選手の引退に伴う永久欠番問題に終止符が打たれた。答は初めから分かっていた。彼は阪神の生え抜きではなく広島カープからの移籍だったからだ…、と謂うのは表向きの話であり、内実は彼が韓国人であり日本人でなかったからだろうな:-)。
先週の常用漢字の表外読みの答え
(寿)ければ(則ち)(辱)多し、 
(いのちなが)ければ(すなわ)ち(はじ)多し
今週の常用漢字の表外読みの問題
(郭詞)が板に付いてきた。
先週の漢検テストで出題されました。

何が「良識の朝日」や!

先週の雨で気温も夜間11度まで下がり、慌てて暖房機を出さねばならぬことと相成った(;;)。今日は4か月振りでの漢検テストであり試験会場が何時もの神戸外大が学園祭のため流通科学大学に移され同じ学園都市であっても今度は10分近く歩かされることになった。前回お逢いした81歳のAさんとも試験場で再会し久闊を叙したが、Aさん今回は元気そうで合格の感触を得られたようだ^^。歳を取ると前回の点数になかなか届かぬものだが、此のお歳で偉いなと感腹頻りだ。私の方は生憎先々週からの風邪を引き摺り体調悪く、集中力を欠いて詰まらぬミスが多く前回の点数と変わらぬ成績に終わったように思う(;;)。受験者が前回より少なく聞けば準一級は83名とか…(;;)漢字検定も少し宛凋落傾向にあるようだな。
児童文学者である丘修三氏は障害を持った子供も健常者も常に分け隔てなく同じ場所で学ばされるべきであるとの主張を標榜され、予て養護学校のあり方について批判されている稀有な作家だ、周囲に居る大人達は子供に対し充分な余裕を持って見てやることが大切だと常に言われて居る。この方の持論については次回触れさせて頂くが、彼はある新聞へのさる投書を読んで大いに共感されたそうだ。先日届けられた宮崎中央新聞にそのことが掲載され私はとても感銘を受けたので皆様にお伝えしよう。
投書の内容は、ある子供が家で宿題をして居て傍のお父さんに「かえる」はどう書くの?と聞いた処、よそ事を考えて居たお父さんは正しくは「変える」だった答を勘違いして「蛙」と教えたので、子供は其れを信じ込んで次の日のテストで「蛙」と書いたそうだ。処が愕いたことに先生はこの誤った解答を×とせず「この字を知って居るのは偉い」と花丸を付けて120点呉れたとか…^^。それを聞かされたお父さんは「この子が大きくなっても「蛙」と言う字を書くときにはきっと先生のことを想い出すでしょう」と先生に感謝の気持ちを籠めて新聞に投書され掲載されたそうだが、こんな素晴らしい先生も居るんや!と私も感動した。先生に褒められたお陰で、この子供は準一級の配当漢字である「蛙」が生涯読めて然も書けるようになったに違いない^^。「蛙」の音読みが「あ」であることも序でに憶えて欲しいな。
若し答が×だったらこの子は翌日には「蛙」の字を忘れただろう、唯褒めれば良いと謂うものではないと思うが、此の先生の懐の広さには子供が解答に辿り着いた経路など想像もせずに無機質に採点する世の先生達に是非見習って欲しいと思ったものだ。
勘違いでも花丸だった「蛙」から想い出されるのが、ノンフィクション作家の梯(かけはし)久美子さんの著作にあったが、2歳で女優になり声優でもあった中村メイコ(神津かんなのお母さん)の回顧談であって彼女が或るとき昭和初期の文学者であったお父さんの中村正常氏に「夕焼けってどうして赤くなるの?」と聞いたら、お父さんが「空が恥ずかしがっているから」と答えたので、学校でその通り書いたら×を貰ったそうだ。メイコがお父さんに嘘を教えたと詰ると、お父さんは「嘘じゃない本当のことは一つじゃないんだよ。一つに搾ると世の中が息苦しい、色んな人が色んな答えも出し合って世の中が成り立って行くのがよい」と言われたそうだ。
「変える」を「蛙」と書いても花丸を付けてくれた先生は特別だったのだろうが、夕日が落ちて行く状景を「空が恥ずかしがっている」と表現するのも叙情的で夢があり素晴らしいと私は思った。落ち行く夕日から恥じらう少女が目のふちを染めている光景がありありと瞼に浮かぶ、メイコのお父さんは唯物論が大手を振って罷り通って居る世間で稀有な感性豊かな人だったな。メイコの担任の先生も此の素晴らしい答案を少女趣味だと切り捨てないで○を付けて子供に夢を持たせてやれなかったものか:-)。「そんなこと言ってたらセンター試験がとても凌げないよ」と言われればそれまでだが、世知辛い世の中になったよな、世の中夢くらい持って生きて居たいよな。
米国のインターネット検索最大手・グーグルが、同社が運営する地図サービス「グーグルマップ」で、島根県・竹島(韓国名・独島(トクト))について、韓国の住所を記載していたのを先週削除したことが分かったそうだ^^、我が国にとってはとても喜ばしいことだが、然らば尖閣諸島の住所はどうなっているのかな?グーグルで検索しても尖閣諸島そのものが見付からなかった(;;)。
尖閣諸島と言えば東京都の石原慎太郎は近く都知事を辞任し新党を結成する意向を固め先週都庁での会見で表明した。自ら党首に就任し次期衆院選への立候補を検討するそうだ、今の政治はどうあっても変えねばならぬと思うがそれにしても80歳にもなって偉いと思う。処で私の支払った尖閣諸島購入寄附金は一体どうなるのかな?私は石原さんに寄附したつもりだったのだが…。
近年週刊誌がめっきり売れなくなって久しいが、中身が乏しくなったのにも気付かず過激な記事で読者の興味を惹こうとするあまりに今回朝日の橋下知事への暴露記事は「人権の朝日」を標榜する出版社とも思えぬ不快なものであり、朝日は同和地区を特定して明記することが其処に生まれ育った人達をどんな立場に追い込むか気付かなかったのだろうか。「噂の真相」でも此処まで書くまい、まるで昔の赤新聞ではないか!売るだけ売っておいて、反論されたらお詫びをすれば済むと思っていたなら大間違いだ。
昔山本夏彦翁が書いて居られた。「新聞社が人の師表となろうとするのは心得違いだ、人の患(やま)いは好んで人の師となろうとする処にあるが、朝日新聞の最大の欠点はその資格がないのに関わらず好んで人の師となろうとする処にある。」蓋し名言だったな^^。
朝日は他紙と違って、ことあれば日本人の悪口ばかり言い、南京大虐殺や朝鮮慰安婦問題などで他国の肩を持って必死で日本人を貶めることに憂き身を窶して居るが、自虐趣味も良い加減にせよ、それでも日本人か、何処が「良識の朝日」や!
レスリングの吉田沙保里選手が国民栄誉賞を受賞することに決定したとか…、彼女の受賞を喜ぶに吝(やぶさ)かでないが、圧倒的な知名度やTV中継の視聴者の絶対数からして女子マラソンの高橋尚子選手と比べたら相当凹むから13回連続優勝とか言われてもピンとこないし、どうなんだろう?国民栄誉賞の安売りなどして欲しくないよ、此までの受賞者の品位を下げることになるのではないだろうか!処でノーベル賞の山中先生は国民栄誉賞の対象にはならないの?
先週の常用漢字の表外読みの答え
彼のした行為を(聴す) (ゆるす)でした。
今週の常用漢字の表外読みの問題
(寿)ければ(則ち)(辱)多し、 三問在ります。昔一度出題したかも知れぬ?