今年は何時もより早く梅雨がやってきたので憂鬱だ。6月のことを陰暦では“水無月”(みなづき)と謂うが、梅雨の時季でもあるのにどうして水無月なのか調べて見たら、田植えのために池の水を田圃に注ぎ入れる月だそうな。池や湖沼の水がなくなる処から謂われるのならそれはそれで理屈だなと思っていたら、何かの本を読んでいて陰暦10月の神無月は八百万(やよろず)の神々が出雲大社に集まるため他の地方が神様不在となるためだと我々が信じているのは俗説であって、正しくは神無月の“無”は“の”の意を示す格助詞であり“神の月”を謂うそうな…(;;)。さすれば6月は“水の月”が正解となる。現代の一般常識が通用しない古語は難しいぞな。
何時もの原発関連だが福島県南相馬市では生活保護を受けている被災者が東電から仮払補償金を受け取ったことに対し此を収入と見なし生活保護を取り消す措置にでたと報道された(;;)。何やら胡散臭い話であり、よく考えて見たら義捐金や補償金の類いは身体又は財産上の損害に対する償いであり一番厳しい所得税法でも此等は非課税とされており無税である。お上(かみ)が勝手に収入だと決めつける筋合いのものではなく、あくまで精神的肉体的資産的マイナスに対する埋め合わせと考えるべきだ。従って此のお金は生活の原状回復に必要な資金であって決して収入ではない。南相馬市は厚労省の通知に従って止むなく実施したそうだが、厚労省の役人も幾ら仕事が暇だと謂っても被災者の実情や補償金の事実関係を知らずして空調の利きすぎた霞ヶ関に踏ん反り返って電気代を無駄遣いし、斯くなる戯けた心狭き通達を出すなど言語道断ではないか。特に東電の補償金は仮払であって確定したものではない。返還することは考え難いが法的には東電の仮払処理はバランスシート上資産に計上されて居り決して損金ではない。従って東電が資産だと言って居るものが被災者の収入になる道理がない。百歩譲って収入とされるとしてもそれは東電が将来損金処理をした時点以降となろう。仮払されたお金を貰った人が収入にすることを世間一般では此を詐欺と呼ぶ(;;)。公務員一種試験は受かったキャリアである厚労省の生活保護担当課長が地方自治体に詐欺を慫慂するなど考えも及ばぬが、彼は己が地位に傲り社会的弱者の傷みに気付かぬバカだ。こんな奴は公務員の風上にも置けぬから馘にしてもう一度小学校一年生から算数の勉強のやり直しが必要だろうな:-)。
今日の午後、学園都市の神戸外大キャンパスを訪れ漢字検定試験に臨んだ。受験会場の教室で受験者の顔ぶれを眺めたが、何時もは必ず一人は居る小学生低学年の坊やは今回見掛けず(さては一級に昇格したか?)中学生が最年少で今年も私が最年長のようだった(;;)。高校国語教師志望者と思われる大学生が多いように感じたが、就職難の昨今漢字検定もある意味就活に役立つかと思ったものだ。
漢検のテストも数年前までは大盛況で受験する教室を探すのに一苦労だったが例の不祥事以後最近は受験者も極端に少なくなり、準一級は一教室で約100人(神戸市全部で)だった(;;)。同時間に行われた4級6級も併せて一教室だったから淋しくなったなあ。
この歳になると仕事で漢字に接する程度では日に日に語彙が失われ漢字が書けなくなる(;;)。仕事の合間や就寝前の読書の時間を利用して漢字の書き取りなどして居るがそれでも加齢により日々失われ行く脳細胞のせいで毎日熟語を百字覚えても同じ位忘れ(;;)、中に常用漢字までも忘れて行くので情けない(;;)。電車に乗っているときは必ず単語カードを捲っているので周囲の人に変な目で見られるがもう慣れっこになった(;;)。一週間に二日サボれば確実に200字が書けなくなって居るのでその分休日の負担が重くなる。愚痴は扠(さて)措き今年は昨秋の一級挑戦が体調不良で行けなかったため1年振りであり、一級挑戦を己が浅知識への身の程知らずであることを充分に悟り、元の準一級に戻したがこれとて前年6月の獲得点数を超えることはムリではないかと憂い、それでもできるだけ近い点数で9回目の合格を果たしたいと思ってチャレンジした。今年も体調はイマイチであったが何とか前回と変わらぬ点数が確保できたのではないかと思う(^^)。然し簡単な字なのに“偏”を思い出せないのや、突き抜けているか止まっているか定かでないのが幾つか出てきたのには牴牾(もど)かしくて身を捩(よじ)る思いだったが此も脳の硬化のせいだろう。つくづく歳は取りたくないものだと痛感した(;;)。
先日木曜日の朝19歳の女性が軽自動車を運転していて民家の玄関に衝突する事故があったが、此の女性の呼気からアルコールが検出されたため道路交通法違反(酒気帯び運転)で逮捕された(;;)。ハテ?未成年者がお酒を飲めば罰せられるのではと調べて見たら未成年者飲酒禁止法には“満20歳未満の者の飲酒を禁止する(第1条1項)”と書かれているが、ナント!飲んだ本人を処罰する規定がないそうな…(;;)、世の未成年者にとって此は素晴らしい朗報だ(^^)。未成年者に酒を飲ませた周囲の者は罪に問われても自分の意志で飲めば罪にならないなんて未成年者飲酒禁止法はザル法じゃないの!
先週の常用漢字表外読みの答え
世界の平和を(幾う)(こいねがう)でした
今週の常用漢字表外読みの問題
畳の(縁)を踏むな
投稿者「tigerace」のアーカイブ
三角窓の謎
東北大震災の被害者達が他府県の人達より心ない差別を受け続けているが何もしない行政の愚かな“強引グ my way”にも困ったものだ(;;)。子供が石をぶつけられた。県外に嫁ぐ予定の女性が婚約を解消された。福島ナンバーの車の給油を断る立て看板。病院への入院拒否等々被差別部落の住民もかくやと思えるこの差別は一体何処から来たのか。東京の書の師匠から交流も手紙も拒絶された福島県の女性に至っては言葉がない(;;)。風評被害なのか師匠の心が狭いのか恐らく両方だと思うが、被災者を疎んじるのは自分達に降りかかる火の粉を避けようとする保身であり、堪らなく醜いが此が人間の本性だとしたらそれはそうかも知れない。所詮人間は利己的な動物であり、芥川龍之介“蜘蛛の糸”の浅ましい地獄図が脳裏に浮かび人間が宿業として持つ根源的な闇を知らされ心潰れる思いだ(;;)。
もう7年にもなるが、当時“物言う株主、村上ファンド”として4400億円余を運用し数百億円を稼ぎ出して名を馳せ、挙げ句ニッポン放送買収計画による株式100億円もの買い付けがインサイダー取引であるとして証券取引法違反に問われた村上世彰元村上ファンド代表の裁判で無罪を主張する被告に対し先週最高裁は執行猶予付き懲役2年の有罪判決と11億5千万円の追徴金を言い渡した。追徴金以外にオマケとして罰金300万円も課されたが、追徴金との段差に思わず笑ってしまった(^^)。彼の経営する投資顧問会社も罰金2億円が確定したそうだ、言葉としては余り変わらないが、法律上追徴金と罰金は何処が違うのだろうか。恐らく罰金には法的根拠と個人法人それぞれに上限があり、追徴金にはそれがなく理由付けせずに裁判官の一存でふっかけることができるものではないかと考えた。村上被告のインサイダー取引は此までの経緯からして無理矢理罪を擦(なす)り付けられた感が強く、訴追された事件も実際にはニッポン放送の経営権を握るには発行済株式の1/3に当たる600億円の資金が必要であり“物言う株主”の幻影に怯えてニッポン放送が早々に手を打ったことが原因だとだと思われるが、罪に問われた理由は矢張り株式の買い占めで彼が余りに儲け過ぎたことが検察庁や裁判官を刺激して彼等の心証を悪くしたからに違いない。情報提供とされたライブドアの堀江貴文が実刑を食らったことや最高裁の裁判長が男でなく女性であったことも敗因の一つであったろうか(;;)出る杭は打たれるとは名諺だ。
先日ハイツの防水塗装工事などをお願いしているセキスイハイムのI氏が来られ世間話をしていたとき彼が乗っている商用車に三角窓(正確には三角ではなかったが…)が付いているのに気付いた。最近プリウスなど乗用車の三角窓が壊されてカーナビが僅か1分で盗難に遭うニュースを新聞で読んだばかりでもあり、何でも泥棒には窓を壊す際の音が大きいのを避けるために三角窓のある車ばかりが狙われるとか…(;;)、昔車には必ず付いていた三角窓に最近数十年私は気付いたことがなく、へえ何で又今頃三角窓が復権してきたのかと半信半疑だったがI氏の車で実物を見て納得し、暫し車の四方山話などし乍ら考えたのだがレトロブームでもないのにどうして三角窓が復刻したのか少なくとも製造コストに三角窓の利便性が勝るとは幾ら考えてもよく分からない(;;)。昔車内ではエアコンは疎かパワステやパワーウインドなど電動のものは殆どなく全て手動であったから運転中に窓を開ける作業などまるで大変であり、そのために手軽な三角窓が必要であってどの車にも必ず付いていた。指先だけ少しの作業でそよ風など送り込むのに使われていた筈だ(^^)。メーカーはコストダウンに懸命な昨今お飾りの三角窓などに予算を掛ける筈もなく、じっくりと考えて思ったのだがセルシオなどの高級なセダンには三角窓は見当たらず、最近の三角窓はプリウスを初め車高が高く車体が斜めになっている前傾のクーペタイプに多いことに気付いた。昔の車は全て箱形で角は殆ど90度であったが此等の車の場合流線形になりこの先細りのスペースが運転席左右の窓の格納に支障を来すのでやむなく塞ぐ必要があり、然しそれではドライバーの視界の死角に繋がり運転が危険なためやむなく開かない三角窓が復刻したものと考えた。従って三角窓は開閉が不能なものでありそよ風は全く期待できないものだと結論したが、昔はエアコンがなかったから三角窓から涼を取っていたなんて言っても今の若者には誰も信じて貰えないだろうなあ。
車には最近大型車に到るまでパワステが標準装備となっているが昔はそんなものはなく、車庫入れなどでの据切りは乗用車でも可成りの力を要し汗だくになったものだ。最近はTシャツ姿で首にタオルを引っ掛けて10トンもの大型車を転がしている若い女性を多く見掛けるが(あれ格好いいね)、此はパワステのお陰であり女性の職場を拡大するのに大いに役立っている(^^)。若しパワステがなければ彼女達の殆どが試験場でクランクやS字カーブ更には車庫入れに縦列とハンドル操作が力不足で大型免許取得を諦めたに違いない(;;)。
又何時もの昔の話で恐縮だが、私の若い頃は免許も大型、中型、小型の3種類しかなく、小型免許は2輪、3輪、4輪と3つに分かれていた。私は車体が重い上にキックに癖があるメグロ350CCの試験車で苦労して獲得した小型2輪免許だったが、40年位前の書換えで自動二輪免許に変えられ、更に普通免許がオマケで付与されたため何時とはなくハーレーから乗用車に乗り換えて今に至っている(^^)。当時私の乗っていた側車付きのハーレーはクラウンより高価だったから、県下で1台しかなく、毎年甲子園球場で行われる兵庫県警の音楽祭の都度交通機動隊に頼まれてパレード用に貸してあげて居たが、何時か私がオービスに速度違反で捉まった折、免停を内緒で赦して貰った(もう時効だから話せる)のはハーレー無償貸与のお陰だった(^^)。サイドカー付きハーレーのエピソードについては数年前のHPに折々触れられているので興味のある方はどうぞ…(^^)。
免許と謂えば、昔は車の絶対数が少なかったせいか県下で自動車学校は明石1校であり、誰もが学校など通わずに試験場に行っていた。試験も大雑把で簡単、友人達は皆高校を卒業すると先輩達にその辺の路上でクラッチの繋ぎ方を教わり、その足で明石の試験場に行き、幼稚な筆記試験と試験車のシボレーで試験場の外周コースを四角に走れたらそれでOKで大型免許が貰え、3年して書き換えに行ったら勝手に大型2種に昇格して居たものだ(^^)。車の絶対数が少なく交通手段の殆どは電車やバスであった大らかな時代であり、今思えば夢のような話だ。現在では大型免許の合格率は可成り難関で、二種免許は大型免許の取得者の内、更に10%しかないそうだから有名国立大学入学に匹敵するかも…(^^)こんな苛酷な条件の中をパワステとは謂え巷を群がる小さい車を縫って10トン車を転がす女性軍の頑張りには唯々敬服の一語だ(^^)。此も女性達の肉食化の一つかも知れないな。
先週の常用漢字表外読みの答え
(清かな)川の潺 (さやかな)でした
今週の常用漢字表外読みの問題
世界の平和を(幾う)
てーげーでゆるゆる
事務所の庭ではキリギリスの坊やが鳥にも食べられずに元気に遊んでいる(^^)。少し宛大きくなって行くようだが、叢(くさむら)は広いのに何故か何時も同じ樽プランターの傍らに屯しているのが不思議でならない。ひょっとして夜や雨の日はプランターの根っこに個室でもあって其処で寛いでいるのかも知れぬ。何を食べて居るのか知らないが、たった2週間で随分大きくなった(^^)。
上の写真ヒルガオの葉に左上を向いて相似形のように留まっている2匹がお分かりだろうか。片方は手前のキリギリスの斜向かい蛇苺の葉っぱに隠れて足と背中が見える筈だ(^^)。人間の兄弟姉妹には考えられないことだが、二枚の写真それぞれ2匹が付かず離れずの微妙な間隔を保っているにはそれなりの決まりがあり、彼等が兄弟であってもお互いが肉食(共食い)の本能を有し、相互に親しみ合い乍らも一抹の警戒をし合っていることを顕している。親から教わった訳でもないのにDNAは恐ろしい。然し親が居ないのに兄弟身を寄せ合って生きて行けない宿命だなんてちょっぴり悲しく泣けるよなあ(;;)。
共食いと謂えば現在中学生の孫が幼稚園だった頃小さい籠に腐葉土などを入れて鈴虫を数匹飼っていたが、直に触るのが怖くて食事の世話など私の役目だった。不思議なことに毎日決まって1匹宛消えて行き最後に1匹だけ残ったことをよく憶えて居る(;;)。
東京電力の清水社長が大震災当日、関西財界人と懇談との嘘がばれて実は夫人と奈良観光だったことが暴露された。関西電力を初め関西財界人が挙って清水社長との会見を否定したため清水社長も窮地に追い込まれた。資本金6000億円もの会社の社長が週日に夫人同伴の国内旅行位目くじら立てることはないと思うが時季が悪すぎた(;;)。この社長震災以降の言動に社長たる矜持が全く見られずマスメディアに狙い撃ちされたのだろう。内部告発もあったかと思われる、お陰で今月社長辞任後の相談役就任も危うくなったのではないか(;;)。
雑誌は月初めに翌月号が発行されるのが決まりだが、今月1日の日本経済新聞四面に小学館発行女性月刊誌“DOMANI”(7月号)の全面広告が掲載された(^^)。下段広告ではアラフォー女性を対象にした集英社”マリソル“の広告など時折見掛けるが、全面広告となるとプレジデントとかダイヤモンドの広告なら分からぬではないが、女性誌の全面広告が男性紙の日経に…ハテ?と頭の中がくらくら違和感に包まれる。余程ハードな内容なのかと一見すると広告の中どう見てもキャリアウーマンなんかでなく中身空っぽと思える表紙モデルの女性が“てーげーでゆるゆる”なんて発言をしているのを見て何事かとおっ魂消た(;;)。此は“大概で緩る緩る”の方言らしく、いい加減できっちりせずにおおまかで緊張感のないさま、と受け取ったが、要するに齷齪しないでのんびりと風の吹く儘にぶらぶらと…と謂うことだと思った(^^)。発行部数一位の読売新聞を足蹴にして、どうして一面1000万円と謂われるビジネス世界の日経新聞に“てーげーでゆるゆる”の女性雑誌広告が掲載されたのか、疾駆する時代からとっくに取り残されて居る小生には不可解でならなかったが、種々調べて見て意外なことを知った。現在日経が読者からアンケートを取ると必ず女性の割合が60%を超すそうな…(;;)アンケートの解答者が即読者の割合と同一とは限らないが、男の新聞と信じていた日経に多くのOLの購読者が居ることを知って新たな時代の曙光を見る思いだった。日経からは経済界の情報が速く且つ詳細に手に入るからビジネスマン必読であり、彼等が通勤電車で日経を読んでいるのはよく見かける光景だが、満員電車に揺られ乗客に押されて充分に新聞の中身が咀嚼できるとは思えない、更に会社に着けば上司の目もあり仕事に追われ最早新聞を読む余裕はないだろうから、実際の処40ページの内どれだけ消化できただろう。月額4383円の購読料の大半は周囲への見栄だと極論するのは言い過ぎだろうか。それに引き替えアンケートでは女性の殆どが夜間自宅で日経新聞を読むそうな…(^^)、多くのビジネスマンが上司や客の愚痴を零すため酒で憂さ晴らしをしている時間帯に、部下の女性達が自宅で独り一心不乱に日経を熟読し明日の仕事への糧としていることを知ってはその向上心に限りなく感動を覚える。通常新聞は1面か3面記事(39面?)から読み始めるが彼女達は5面の経済記事からスタートするに違いない、そして39面は最後だろう。その辺り小学館もOLに対する市場調査をしっかり終え手応え十分を信じ日経への1000万円投資であったろうかと思った。
男性の草食化に乗じて女性軍が少し宛力を貯めじわじわと男性の職場を浸蝕していることは世人の知る処だが、その背景には斯くなる女性達の弛まぬ努力が潜んでいたことを知って敬服したが、だからと謂って何故“てーげーでゆるゆる”なのか、熟々(つらつら)考えるに小学館の意図は恐らく彼女達が男共に負けまいと必死に背伸びをし肩肘張って戦っている毎日のごく一刻(ひととき)に “てーげーでゆるゆる” 時間を持たせることで活力のレフレッシュ効果を慫慂したものではないだろうか。忙中閑ありと謂うから四六時中必死で戦っている者に“頑張れ”と励ますより“一寸だけサボったら?”とズルを勧め一服させるのも悪くないのかも?…『35歳おしゃれも人生もその背中ちょっと押されてみませんか?』このコピーと共に戦国時代と謂われる女性月刊誌の中で生き残りを懸け現代女性の適齢期と謂われる35歳のOLをターゲットにした“ドマーニ”は明らかに日経新聞を通して働く知的女性を囲い込もうとしている。日経全面広告は女性月刊誌の中で“ドマーニ”の位置を飛躍的にグレードアップさせ、“ドマーニ”を読まない女性は知的女性の仲間入りができないような錯覚を与え、更に多くの知的OL達を読者として獲得することだろう(^^)。
イチロー選手昨日まで打率0.266と絶不調だ(;;)今年の200本には危険信号がでたぞ!
先週の常用漢字表外読みの答え
(枢)を開けて部屋に入る。(とぼそ)でした。
“とぼそ”とは開き戸の扉のこと
今週の常用漢字表外読みの問題
(清かな)川の潺(せせらぎ)
警察の執念を見た!
五月も今日を入れて後3日となりこの処雨模様の日が続いて居るが、東北地方を思い仕事にはエアコンを使わず汗ばむ毎日を過ごしている。然し軈て近づく夏を思うと暑さは高齢者の体力を極度に疲弊させるので憂鬱でならない(;;)。
一昨日政府は東日本大震災の被災者に対して被災証明書を提示することで高速料金を無料にする方向で検討に入ったと報道された。片や岩手県陸前高田市では仮設入居者に対する食糧支援を打ち切ると決めた。災害救助法では仮設入居者への食糧支援は想定して居ないことが理由だとか…(;;)車に乗って高速道路を走ることができる人はきっと恵まれた人達か事業者だろう。一方仮設入居者は家が潰され家財などを失ったとても気の毒な人達だ。一体から此の行政による二つの落差は何だろうか?車で他所へ移動できる人は一部の人だろうし、お金がなければ一般道を通行する選択肢がある。一方仮設の入居者の中には生活手段を失った高齢者が少なくなくスーパーまで徒歩で片道40分もあるのでは買い物に行けと言う方がムリだ:-)。行政の遣り方は杓子定規で真心が籠もって居ない。被災者に調理用具一つ提供しないで“電気や水道の復旧が進んだから自立せよ”とはメチャクチャではないのか!
先々週のブログにて12日大阪浪速区の国道25号線で発生した痛ましい死亡事故を起こしたタンクローリーの運転手より、その前に割り込んだ乗用車の会社員の方が重い罪に問われる珍しい事件についてお知らせしたが、あれから報道が途絶えて居たのでてっきり事件が終結したのかと思っていたら、ナント!先週24日乗用車の割り込みを誘発した自転車の男が逮捕されたと日経の夕刊に取り上げられた!此の警察のお手柄には将に彼等警官の執念を見る思いであった(^^)。警察は割り込んだ乗用車の男性の証言には信憑性があると判断し、10日以上も掛けて現場周辺を溝(どぶ)板作戦で、恐らくは交通課だけでなく生活安全課やマル暴まで動員し警官延べにして数百人もの聞き込み体制の結果が60歳無職の男性の逮捕に結びついたものだと思う。此の男性は車の有無を確認せずに道路を横断してしまったと容疑を認めているそうだ(;;)。自転車の男が捕まったからとて先の二人が無罪になる訳ではないが少なくとも裁判で情状酌量の上減刑の余地が大きくなっただろう。自転車による無謀な国道横断にも拘わらず、車に撥ねられなかったこの幸運な男性は、逮捕されたことで一転して世にも不運な男となり、事故を誘発した罪で自転車では珍しい重過失致死罪に問われることとなった(;;)。更に乗用車の男性と同じく“報告義務違反”(轢き逃げと同じ処罰)にも問われるとか…、重過失致死罪は過失に著しい不注意があった場合に適用され、5年以下の懲役又は1000万円以下の罰金と大変過酷な刑罰だから此の男性は“報告義務違反”との併合罪となり先ず実刑は免れないようだが、此の男性の逮捕で乗用車の会社員には執行猶予が付く可能性が出てきた(^^)。
自転車は小さいし何処へでも身を隠せるから此まで自動車による人身事故などを自転車が誘発しているケースは数知れずあると思われるが、証拠が掴めないため“大きい方が悪い”の原則に従い単なる人身事故として自動車運転者が罪に服さねばならぬ理不尽なケースが少なくなかっただろう。
警察によると、事故を誘発したとして自転車の運転者が逮捕されるのは例がないそうだから、今回の逮捕は或いは警察庁や最高検の判断により常時歩行者の通行を脅かし自動車の直前を横断して車に急ブレーキを掛けさせ事故を誘発し平然として恥じない世の自転車族に警鐘を乱打する意味で為された人身御供での逮捕ではなかったかと考えた。此の自転車の男性が乗用車に少しでも接触して怪我をしていたら、病院代から慰謝料まで頂戴できたものを、無傷であったばかりに逮捕されるまでに到ったのは本当に不運であったとしか言いようがない。少し遡れば乗用車の会社員も運転が上手かったばかりに咄嗟に自転車を避けることができた結果が、大きな死亡事故を生むことになったのも皮肉な話である。運転の上手なのも場合によりけりで、この会社員の運転が上手くなければ全てが軽微な接触事故で終わり歩行者2名の死亡に繋がらなかったろうから世の中なんて皮肉なものだ(;;)。
道路を歩いて居て一番辟易するのは我が物顔で街路を疾駆する若者達の自転車だ。歩行者との小さな接触事故など日常茶飯事であって、老齢の私などゴツンと当てられイタタ!と気がついたら当てた自転車は遙か彼方へ走って行ったなど始終である。高齢者だと転倒して負傷することがあるが加害者が見付けられなければ警察も動けない。尤も自転車側にも言い分があり現在の日本では自転車専用の通行レーンが殆どなく車道通行(歩道の使用は75歳以上)が原則である処に彼等の不満があるだろう。自転車走行は違法でも車からの危険を避けるために歩道を走行しての接触事故が大半だが、本当の原因は道路自体の使用区分が自転車の通行を考慮して居ない処にあり、国土交通省と警察庁が充分に協議して通行レーンの拡充など自転車に市民権を与えて頂きたいと思う。そのためには自転車から十分な税金と自賠責保険を徴収し、更に此までは黙認し或いは看過していた違反走行や信号無視をどんどん摘発すれば良いだろう。又所有者確認証など免許に代わるものを発行し、頻発する自転車の盗難防止対策も必要ではないか。
然し此等の施策も警察の慢性的な人手不足の解消と交通課が警察内部で掃き溜めのような部署であることを払拭しないとならず前途は多難だと思われる。幸い世の中は不景気で失業者が溢れているから現在行われている駐禁摘発アルバイトのように民間人を嘱託採用し自転車の違反専門担当員を設けたらどうだろうか、きっと違反は激減するに違いないし、自動車事故の誘発も減るに違いない。
先週の常用漢字表外読みの答え
相手の気持ちを(慮る) (おもんぱかる)でした
今週の常用漢字表外読みの問題
(枢)を開けて部屋に入る
こんな難しい字が常用漢字だなんて:-) 誰が決めたのかなあ
顕による者は晦を見ず
何時もなら一番過ごしよい季節の筈だが、毎年少し宛気温が上がってきて未だ5月なのに扇風機を越えエアコンが必要な陽気となって居る。雨模様で湿度が高いが電力不足でもあるし仮設にも入れない東北の人達を思えば“なんのこれしき”と我慢しよう(;;)。
雑草の生い繁った庭で今年もキリギリスが数匹生まれピョコピョコ跳んでいるのを先日見つけた(^^)。昨夏雌雄7匹(自然環境の悪化で購入価額4900円)庭に放したのが誕生に繋がったものだが、雑草の背が低いので住環境は極めて悪く保護色で一見分からないとは謂え子供のうちはよく飛び跳ねるので視力の悪い私ですら見付けるから燕など鳥に襲われる危険度は可成り高く成虫になって鳴声が聴ける可能性は極少なく僅か1%位か(;;)。今朝は露草に止まっている1匹を見付けて撮って見た。暫く雑草を刈るのを止めようと思って居る。
公的資金を導入され再建を図ることとなった東京電力は厳しい世論に耐え兼ねて社長、会長、専務と代表権を持つ8人(多すぎるぞ!)の役員報酬を全額返上すると発表した。今月から実施だとか…(^^)当初50%返上で話が纏まり掛けていたが何でも海江田経産相が50%カットしても彼等の報酬が未だ一人月額300万円以上もあるのに気付いて余りにも高すぎると憤り、やむなく彼等は全額返還に追い込まれたようだ(;;)。経産相には守秘義務がないらしくTVでお喋りして呉れたお陰で国民は誰もが東電役員の高額報酬(常務以上で年額7200万円以上)を知り唖然としている。東電は昔から社員だけでなく役員報酬の高いことでも有名であり、嘗ても外部から指摘を受けて07年以降役員賞与カットや報酬の20%減(さては昔は年俸9000万円以上やったか!)を続けているが、昨年の株主総会で役員報酬の個別開示を求められた清水社長は此を拒否した。そりゃそうだ!“私達は報酬を昔は平均月額750万円でしたが、今は減らしても月に600万円頂戴して居ります”なんて株主に言えないよなあ。因みに東電社員の平均年収は750万円(38.2歳)で全国平均は406万円とか…(;;)、処で話は戻るが“返上”とは貰ったものを返すことを意味するから、正しい日本語を使うなら貰って居ないものは返せず、返すならこれまでに貰った4月分までの報酬を返すことになるがそんなことはしないに違いない、きっと向こう受けを狙った不用意な発言だろうからマスメディアもその辺の日本語の矛盾に食いついてもっと突っ込めなかったものか(;;)更に追求するなら彼等の報酬は平均月額600万円以上とメチャ高額であるため住民税や社会保険料などの控除金額も各月100万円を超える額となって居るに違いないから役員報酬がなくなると社長達は此の控除金額を逆に会社に支払わねばならぬことになる、然し主計部もまさか社長達に100万円もの控除金額を払えと毎月請求書を渡すことはできないだろうし、手取りゼロと言うことで帳簿上は控除額=月額報酬として経理処理するに違いない。これって “隠れ給与”で正確には全額返上とは違うと思うのだが…?誰か内部告発をする奴は居らんのかいな。
先月東電の副社長達(清水社長は来ず!)が計画的避難地域に指定された福島県飯館村を陳謝に訪れたが、下座とは謂え彼等は出された座布団に座って居た。このような場合座布団を出すのは儀礼的なものだが、出された座布団を固辞するのも又世間一般の常識である。陳謝する者が座布団に座ってどうするか!この傲慢で非常識な行為から彼等には陳謝とは上辺だけであって心の内では謝罪などの気持ちが毛頭ないことが手に取るように分かった(;;)。きっと彼等は被災者達を補償金に集(たか)るハイエナと思い、その様子を心卑しくそっと窺いに来たに違いない。そしてあくまで自分達は生活に欠かせぬ電気を供給してやっている側で住民達はその恩恵を最大限に享受している者達だとの認識から一歩も出ていないと思った(;;)。彼等自身が今回の事件について初心に返って反省し、補償金が“施し”であると謂う誤った認識を捨て去らないことには住民達との妥協点は全く得られないだろう。被災者にならないことには被災者の気持ちが先ず分からぬものだ。『晦に居る者はよく顕を見、顕による者は晦を見ず』(暗い処に居る者は明るい処に居る者がよく見えるが、明るい処に居るものは暗い処に居る者の気持が解せない)とは佐藤一齋言志後録の一節だが蓋し名言だ。
先月中旬JAの全国会長やJA福島県会長達が東電の本社を訪れ清水社長に謝罪を要求し抗議文を手渡したが、社長は唯申し訳ないと頭を下げるだけで抗議文の受け渡しを終えてお互いが後ろ向きになったとき“社長は我々の抗議文を二つ折りにして執務室に戻って行った”とJA会長からの怨嗟の声が先週の日経ビジネスに載せられていたが、よくよく考えてみれば東電の清水社長も渡された抗議文を抓(つま)んで持つ訳にも行かず、さりとて傍らの秘書に渡す訳にも行かず、丸めることもできず、捧げ持って帰るのは芝居掛かって空々しいし、二つ折りで持つことは当然かと思われたが、その当然がJA会長達を激昂させたとすれば、それは二つ折りのせいではなく社長が補償問題に触れようとせずに避けて会見を終了させたことではなかったか、社長はうちも被害者だと言いたかったと思うが、農家の方々には事業の将来を悲観して自殺者まで出ているから補償問題に言及しなかった社長の対応は少し配慮が足りなかったのではないか、“皆様の要望をお聞きして持ち帰りできる限り前向きに考えたい”位のことは言うべきだったろうな。きっと東電の天皇である勝俣会長に無断でことを運んで逆鱗に触れてはと止(とど)まったに違いない。このときの対応のせいばかりではないと思うが清水社長は先週引責辞任と決まったとか…(;;)処がもう一人のもっと悪い奴(勝俣会長)は居座るそうな:-)。
東電の事故の影響で三井住友銀行などは所有東電株式の評価額が80%も落ち込み、更に同社への貸金の債権放棄を官房長官から要請されて株価下落に歯止めが掛からぬ状態となっているが、大手銀行達も折角公的資金も返し終え10年振りの法人税を支払う安定してきた業績になったのに此所に来て思わぬ処から暗雲が立ち籠めて来た(;;)。東電の役員報酬事件で一番に危機感を募らせているのが彼等メインバンクの役員達ではなかろうか。何せ銀行の役員報酬は何処も極秘事項であり、そのことが報酬の不当に高額であることを自ずから示している。きっと東電の役員より沢山報酬を取っているに違いなく今頃金融庁にMOF担(高級官僚に対する銀行や証券会社の情報収集係、嘗てノーパンシャブシャブなどの接待漬けで有名になった)を通して債権放棄しないシナリオを懇願して居るに違いない。
“株主に申し訳ないから債権放棄には一切応じられない、その代わり役員報酬は全額辞退する”くらいの啖呵の切れる気骨ある役員は一人でも居らんのかなあ(;;)。
誰も我が身が可愛いいが、自分の会社を食い物にして私腹を肥やすようでは役員としての資質だけでなく人間としての資質に欠けると言われても仕方がないが、東電にせよ三井住友にせよ、此が我が国トップクラスの企業人かと思うと情けなくて涙がでるぞ!
先週の常用漢字表外読みの答え
(古)の文化を (尚ぶ)
(いにしえ)の昔を(たっとぶ)でした。
今週の常用漢字表外読みの問題
相手の気持ちを(慮る)
雀の子そこのけそこのけお馬が通る
長かったGWも終わりを告げて早や1週間が経ち初夏の訪れとなったが、東北地方の方々には一向に復旧が進む気配がなく混沌が続いているようだが政府や地方自治体は一体から何をしているのか(;;)被災者の方々に対する処遇がまちまちで避難所には支援物資が溢れているのに連絡網が不十分で被災者にはまるで行き渡らず、家が潰れなかった家族は唯それだけの理由で救援物資も炊き出しも受けられぬ不公平はどうしたことか、家へも帰れず家族同様の家畜を殺処分される酪農家の無念を誰が晴らしてくれるのか!遙か遠い神戸に居て牴牾(もどか)しく隔靴掻痒の念に駆られ役人の対応が腹立たしい。東北の方々が元通りと言わぬまでも幾らかでも平穏な生活に戻って頂かないことには我々他郷に居る同胞の心の安寧が得られず気持ちの晴れない毎日が続くが、そんなことを言っている暇もなく、3月決算が佳境に入ってきた。
先日輸入農産物の統計が発表されたが、3月以降目を疑う勢いで増えた品目があり、前月の2倍以上で、更に過去の最高を記録したそうだが、何だと思われるか?実はこの品は意外にも切り花の“菊”だった(;;)。悲しいことに需要は勿論東北地方であり万単位の方々の命が奪われたことに起因する。悲しい出来事には我が国では菊が欠かせない。菊は日本の国花であり当然に国産がメインかと思ったら国産は価格が高いのと収穫時期が限られているため、殆どが諸外国から輸入され中でも常夏の国で年に4回も収穫できるマレーシアからの菊が一番多いそうだ。其処にはバングラディッシュなどの貧しい国の労働者が多く働いているが、彼等も日本からの映像を見て自分達の栽培した菊が使われ死者に手向けられていることに気付き、自分たちの籠めた丹精が日本の人々の魂を癒やして居ることに誇りを感じられたことだろう。今日も又横浜埠頭には鎮魂の品々が粛粛と運ばれて来る。
先週12日大阪浪速区でタンクローリーが歩道に乗り上げ歩行者の男性2名を死亡させた悲惨な事故があったが、逮捕された55歳のタンクローリーの運転手が警察の調べに対し“右から急に割り込んできた車を避けようとしてやむなくハンドルを左に切ったと供述したが、結果的にはハンドルを切らないで割り込んだ車に追突していた方が良かった。然しこの55歳の運転手は冷静にも事故直前割り込んだ車のナンバープレートや車の色などをしっかりと記憶していたため警察が手配してすぐさま43歳の会社員が逮捕されるに到ったが、タンクローリーの運転手の容疑が自動車運転過失傷害罪で、割り込んだ会社員の容疑が自動車運転過失致死罪と報告義務違反の両罪とされた。当然に後者の方が重罪となるが、事故で気の転倒しているときに良くぞ割り込んだ車のナンバーを忘れず憶えて居られたものだと甚く感心した(^^)。恐らく普段から斯くあることを予知して心に念じて居られたものであろうが、ナンバーの記憶がなければタンクローリーの運転手は漫然と運転して居たとされ重罪に処せられる処だったからこの記憶の比重は非常に大きい。割り込んだ車は当然に止まらずドライバーは現場から逃げ去り安堵の胸を撫で下ろして居た矢先の警察の訪問に魂消たに相違ない。彼はアリバイから知らぬ存ぜぬが通用しないことを悟って“自転車の飛び出しで車線変更したが後方は車の居ないことを確認した。大きい音が聞こえたが自分は関係ないと思った”と警察の取り調べに対し事実関係を認めながらも容疑を否認しているが、マスメディアの報道を見て多くの目撃者から当時の状況が詳しく判明するのは時間の問題でありこの会社員の罪は最早免れないものと思われる。自動車運転過失傷害罪と自動車運転過失致死罪ではどちらが重罪か当然お分かりと思うが、罰金は前者が30万円以下(刑法209条)で後者は罰金50万円以下(刑法210条)と大差がないにも関わらず、前者が親告罪であるが後者は親告罪ではなく此の差は余りにも大きい。つまりタンクローリーの運転手は死亡者の遺族が事故の因果関係を理解して呉れて民事の方さえ上手く凌げば無罪になる可能性があり、後者はそれがないから罪に関しては雲泥の差となろう。当然に後者は民事の方も被告になるが自分の車が直接被害者二人を殺した訳でもなく、或いは自賠責や任意保険の適用外ではないかと思われるがその辺はどうなんだろう?会社員の証言が正しいとすれば横断してきた自転車が一番の加害者となるが、自転車を探すことは不可能に近く、又見つかっても自転車を過失致死罪に問うことは先ず無理だと思う。罪の中で恐ろしいのは余り人に知られて居ない“報告義務違反”(一般的には轢き逃げに使われる法律)であり道路交通法の規定だが、懲役3年以下若しくは5万円以下の罰金と厳しいから此の会社員は過失致死罪との併合で実刑を課せられる可能性がでてきた(;;)。
人生には何時思いも掛けない事件に遭遇することがあるか分からないが、どんなときでも慌てずに冷静に行動することで被害を最小限に止めることができることを学んだ事件だった。
“雀の子、そこのけそこのけ、お馬が通る”小林一茶の名句だが、清徳丸には羽がない(;;)先週横浜地裁で海上自衛隊イージス艦“あたご”事件の判決があったが、自衛官無罪とは呆れてものが言えぬ。衝突事故は大きい方が悪いと決まっている。弁護側が作った偽の航跡図を鵜呑みにして、踏んだ人間より逃げなかった蟻ンコが悪いと宣うた秋山敬裁判長は石頭のバカだ!
先週の常用漢字表外読みの答え
里芋が(滑る) (ぬめる)でした。
今週の常用漢字表外読みの問題
(古)の文化を(尚)ぶ
切れなかった赤い糸
長い連休も今日で終わり、新たな気持ちで東北の方々の心の平安を祈りつつ風薫り新緑に萌える五月の許を3月決算に臨みたいと思う。林檎の花が終わって、庭の牡丹が満開となったが毎朝散ってしまったのではないかと気になり、風が吹く度にハラハラする。“触れなば落ちん風情”とはこんなことを謂うのだろう。
菅総理が中部電力浜岡原発の全面停止を要請したため、我が国の電力事情は一気に暗転し、オール電化が当たり前の我が国に文字通り暗黒が訪れようとしている。総理の発言は泥縄だが電気の過剰依存について我々も考えて見る良い機会ではないか。私は電化製品のない灯火管制の戦時中に育ったためきっと耐えられると思う。政府も子ども手当など廃止して午後9時からの電気代を5倍に引き上げる法律でも作れば我が国は少子化から一気に脱することができるだろう。
私が学校卒業当時は鍋底景気と言われ、私自身囲碁に感(かま)けて学業成績が最悪であったため就職の学内推薦すら受けられなかった。そのために就職試験を受ける機会を与えられず、個別面談で学生部長の鬼塚教授に“受かるか滑るかは運やけど土俵に上げて貰えぬのは納得行かぬ”と談判したが、“いや君の此の成績ではどうしても無理だなあ、君は君の好きな道を選んで呉れ給え”と突き放されて取り付く島がなく、何処へも就職できずに已むなく父の大阪事務所でお茶汲みをさせられて居た。そのときは唯々世の無常を逆恨みした苦労知らずの大きな子供であり、男一匹人生如何に生くべきかの大切な志をも忘れ果てた愚か者であった処、近くに当時日本一大きい碁会所ができた(^^)。シネラマのOS劇場の真前でその名もOS囲碁センターと言って阪急直営であり200人も入場できる明るい洋風の社交場で、対局は全て椅子席、受付には若い女性が居り、彼女からゲーム表を貰って名前と段級位を書いて置くと軈て受付嬢から近い段級位の相手を紹介されて好きな場所で対局できる斬新なシステムであり、それまで碁会所と謂えば場末のジメジメした薄暗い仕舞た屋の畳の間で裸電球の下を柄の悪い連中が血走った目で屯し、賭碁のイメージが強く新参者にはとても入れる雰囲気ではなかったから明るく健全なOS囲碁センターは多くの囲碁愛好家に受け入れられて遠方からの客も多く土日など満員の盛況であったが、それでも未だ未だ最近のように子供や女性など底辺の初心者が門を潜れる場所ではなく、入って行けるのは現在の段級位で言えば初段(当時なら8級位か?)がやっとであったろうか。私は当時4段でOSの主を名乗って居り、多くのギャラリーが見易いように入り口の角が私の指定席であった(^^)。
この囲碁センターは梅田のOSミュージックホールの4階にあって隣の部屋が同じ系列のレストランだった。何かの拍子に当時恋人だった女性からそのレストランで食事を奢って貰うことになり、私は何時ものように懲りずに囲碁センターで碁を打っていた。6時頃彼女がやって来て私からの“もうすぐ終わるから…”の言葉で“ご馳走を注文するよ”と言ってニコニコ隣のレストランへ行き私は終局を急いだ。間もなく彼女がやってきて“もうできるから早よ来て”と言って隣へ帰って行った。処が私たちの会話を聞いていたのか劣勢だった相手の着手が急に滞り勝ちとなり打たなくなってしまった。明らかに“モテモテ男”への嫌がらせだ!将棋なら王様を召し捕ってお仕舞いになるのだが囲碁の場合王様が居ないため終局に到る手順が複雑で面倒である。困っていたら再びやってきた彼女の顔付きが変わっており“お料理が冷めてしまうやんか、なにしとんのん”と周囲の誰もが振り向くほど顔を真っ赤にして大声で怒鳴り捲った(彼女は心優しいけど人一倍気が強く気短だった)、私が対局相手の顔を見詰めると相変わらず素知らぬ顔をしているので、此所は一番格好を付けねば折角結ばれかけた赤い糸が切れるわいと思い、相手に“あんた、負けとる碁を何時まで打つ気や、投げる気がないんか!儂は止める!”と喚いて相手を睨み付け碁盤の石を崩して彼女を隣に帰し、そのまま自分のゲーム表に×印(入場料200円一局負けたら10円)を付けて受付で清算してから慌ててレストランに行ったのだが、彼女の怒るのも当たり前で豪華な食事の前には彼女独りが泣きそうな顔をしてションボリと座って居り、数名のウエトレスと数少ない食事客がどんな白馬の騎士が登場するのかと好奇の眼を光らせて居るのだった(;;)。然し現れたのが痩せこけた風采の上がらぬ貧相な青年だったので皆は期待を裏切られ全員が失望の色をまるで隠そうとしなかったため私達は居たたまれぬ気持ちとなり、折角のご馳走も冷たくなっているし喉を通すのがやっとだったが、二人とも頭に血が上っていたのだろうか何を食べたのかどうして帰ったのか何も憶えて居らず、ほろ苦い思い出となったがあのときの強烈な印象が今も忘れられず夢にでてくる(;;)。
その頃二十歳(はたち)だった色白の彼女は一番の旬(しゅん)で美しく、歩くとき当時はカップルであることを他人(ひと)に知られたくない古い時代だったため彼女が腕を絡めて歩こうとして私に窘(たしな)められ頬っぺを膨らませ拗ねた顔が妖精のように可愛いく得(え)も言えぬ魅力だった。短躯ではあったが犀の角に聳(そばだ)つたEカップが道行く人の視線を止めたことをよく憶えている(^^)。
その後50年余が経過し、今では彼女も腰の曲がった皺の老婆となって嘗てのOS囲碁センターでの如く私をボロカスに貶すことを何よりの生き甲斐として傍(かたわら)に居るが、私が心を悔い改め己が目標に向かって邁進し漸く志を達成することができたのも彼女が居て辛酸を分かち合って呉れたお陰であり、その後も私の気儘と移り気から幾度も危機を迎え、何度も切れ掛かった運命の赤い糸であったが彼女の忍耐と努力に助けられてどうやら切れずに結び合った儘二人は今人生の終着駅へと向かって居る。無事辿り着くまでもう一息だ。
先週の常用漢字表外読みの答え
(禍々しい)出来事 (まがまがしい)
今週の常用漢字表外読みの問題
里芋が(滑る)
同時死亡の推定
風薫る5月の到来となりゴールデンウイークの真っ直中だが東北地方の被災者の方々のことを思うと行楽気分になどなれない。
♪林檎の花綻び、川面に霞み立ち…♫私の青春時代に歌声喫茶を風靡したロシア民謡“カチューシャ”の冒頭の一節だが、事務所の庭の林檎が東北の不幸も知らぬげに先月末より可愛い花を咲かせ始めた(^^)。梅や桃と違って林檎の花はピンクに特徴があって憶え易い。でも周囲の雑草が鬱蒼として見苦しいなあ。
うちの事務所では日頃職員達を安月給で扱き使っている罪滅ぼしに先月の土曜日から今週一杯を休みとして来るべきハードな3月決算に備えることにした。お正月休みを超える都合十日間の休みとなるが日本中が大災害の渦中となって居ることでもあり、搭乗口でTVカメラに捉まって放映でもされたら…と浮かれた海外旅行も気が引けるし、いっそ家族全員で東北地方へボランティア活動に行きたい気分だが、70代の老人2人と障碍者の伜とでは被災者の方々のお邪魔虫になるばかりだと諦め、何がしかの募金でもさせて頂こうかと考えたが、募金も果たしてちゃんと被災者の手許の届くのか甚だ疑わしく、ユニセフでさえ25%もテラ銭を取るのやから赤い羽根など後は推して知るべしだし何処でどう使われることやら思うと募金も考えてしまう。あれやこれや考えた挙げ句がこの連休は何処へも行かずにこの夏不足するとか謂われている野菜類の畑作りと庭の雑草退治に専念することとした(;;)。
先週日経新聞の“家計力向上ゼミ”なるコラムで震災による行方不明者の年金について触れられ、死亡推定の期間を通常は災害の日から1年とされる処を厚労省の英断で今回の東北の災害の場合3ヶ月に短縮され遺族厚生年金が請求できると書かれてあった。行方不明者の多くは津波によって命をなくされた方と思われ、遺体が発見される可能性は極めて少なく、死亡を何時に確定するのかとても困難であり、厚労省も善意での発想だと思われたが、ちょっと待って!津波で流された方は若い方ばかりでなく、65歳以上の厚生年金受給者も多く居られたと思う。例えば年金受給者のお父さんと年金加入者の子供の二人が津波に攫われたなら、残された遺族は死亡届を何時出したら良いのか考えてしまうだろう。子供の家族は早く遺族厚生年金が欲しいが、お父さんの事情を考えると死亡届を出すことでお父さんの厚生年金が30%程度カットされた遺族年金に変えられるし、若し配偶者が居なければ支給停止の運命となるから、ことは面倒であり多分死亡届の提出は少しも楽しくないことになりそうだ。最善の方法は1年間厚生年金をしっかりと受給して、お父さんの死亡届を1年ぎりぎりまで待って出し、子供の方の死亡届を特例で短縮された3ヶ月で出すことだが、死亡した事実は誰も確認できないことだし厚生労働省は文句を言えないのではないだろうか。コラムではお父さんのケースにまで言及して居なかったが充分あり得ることだと思った。斯くなることを慮った訳ではないだろうが我が国では同時死亡に関する法律がちゃんと定められているが、厚生労働省はアホだからその辺まで気付かないと思う。
話はがらりと法律論に変わるが交通事故などで親と子が死亡し、死んだ時刻が不明な場合は民法32条の2により“同時死亡の推定”が定められて居る。同時死亡では何故か両者間で相続が発生しないこととされるため子供が婚姻していた場合その配偶者の相続分が大きく異なってくる。つまり子供の配偶者は通常はお義父さんの財産が夫を通じて相続できるが、同時死亡とされる限り夫の財産は相続できても義父の財産には全く権利がなく、義母が存命なら義母と小舅小姑がそして義母が没後なら小舅小姑が全部取ることになる(;;)。普段義父の世話もしたことのない小舅小姑に財産を取られるのは耐えられないことだが“同時死亡の推定”の論理により斯くなることになる。お義父さんの財産が欲しければ1秒でも夫が長く生存していたことを立証するしかないがそれは不可能だ。義父は老齢だし夫の方が若いから少しでも長く息をして居たに違いないと叫んでも法律とは無情なものだ。子供でも産んでいれば代襲相続(親が死亡した場合子が親の権利を承継すること)によって孫に夫の取り分が救済されるが、代襲相続の権利は血の繋がりのない嫁にまで及ばないため、子なしだとなけなしの夫の財産だけを貰って泣く泣く実家に戻されることになるだろう(;;)。私は学生時代に民法と税理士試験に措ける相続税法の勉強をした際、民法の定めるこの“同時死亡の推定”には甚だ疑問があり、同時とは謂いながら結果的には当然に夫が得られたであろう権利を夫が先に亡くなった場合と同様な解釈に到るのはまるで合点が行かぬと考えたものだ。
私見だが同時死亡の場合高齢者が先に亡くなったものとする考え方の方が自然ではないだろうか。ものには順序があり、相続は財産を世代の上から下へ降ろして行くのが常識だろう。野球で同時はアウトかセーフかの議論があるが、世間の一般論として親は子供に財産を残したいのが心情であろうし、同時死亡はアウトで“遣らない”とする現行法の解釈には無理があると思うが諸兄はどう考えられるか。
親子で海外旅行する場合は親に遺言を書いて貰えとよく言われるが、それは上記のような事態を回避するために生活の知恵として知っておきたい。もっと確かな方法は嫁が義父の養子になっておくことであり、そうなれば法定血族となるから相続権は盤石だ。相続分も増えるし絶対に安心だと思う。もう一度言うが災害や事故で同時死亡などあり得ない。体の脆弱な者(高齢者)が先に息を引き取るのが当然ではないのか。法律で勝手に決めるな!
先週の常用漢字表外読みの答え
亡き父を偲ぶ(縁)とする (よすが)
今週の常用漢字表外読みの問題
(禍々しい)出来事
散髪屋では誰が顔を洗うのか
東日本大震災から1ヶ月半が経過したが、何だか数ヶ月以上過ぎ去ったような気がしてならない。被災地の方々は時間をもっと長く感じて居られるのではないだろうか。被災者の方には帰るにも家がない、土地がない、安全性がないと“三ない尽くし”で将に四面楚歌の極に到ったものと思われるが、先週花冷えの夜など此方より遙かに寒い東北を思い心が凍る。一体から政府は何をしているのか。手を拱いて居ないでボランティアの災害地入りを拒否せずに有償で受け入れるべきではないか。仕事がなくてハローワーク通いの多くの若者に仕事と生き甲斐を与えてやるのが施政者の役目ではないのか。彼等若者達からはきっと役人の規則に縛られない闊達な協力が得られるものと私は信じて疑わない。
江戸時代には屡々襲う大火に備えて火事があると直ちに“お救い小屋”が作られたそうだが、1000坪ほどの小屋(大屋か?)が僅か半日で建てられたそうな…(^^)現世では高度な技術を駆使する建設機械が数多(あまた)存在するのに未だ完成した仮設住宅は僅かに百戸とか(;;)この落差は一体何処にあるのか?きっと当時の施政者と今の施政者を比較対象すれば私心を去って国民を思う心の軽重にあるに違いないと思う。既に数千億円の義捐金が寄せられている居り、多くの著名人から善意か売名か分からぬが東日本大震災に対して多額の寄附を表明されているが、大切なことは寄附金が正しく被災者の手許に或いはボランティアの労働に対して支給されているか充分なチェック機能が為されているかが気になってならない。オレオレ詐欺より悪質な手合いが涎を垂らして義捐金を待ち受けて居るのではないかと危惧している。どうも被災者には義捐金がなかなか巡ってこないようだ(;;)どうやら赤い羽根共同募金などの怪しい募金団体がより多くテラ銭をごまかすのに時間を取られているものと思われるが、この緊急時にそんなさもしいことでどうするか!政府は国民からの温かい義捐金を使って早急に寝具と電化製品の完備した仮設住宅を建設し、有償ボランティア(義捐金から払えばよい)の力を借りて被災者の入居の応援をせよ!そして政府は税金より大切なお金だし各募金団体の義捐金の収支について公認会計士協会に依頼して監査報告書を作成させて国民に公表させねばならぬ!この際だからこれまでの経験を生かして連舫大臣達を総動員しての募金団体の仕分け作業も効果的だろう。収支報告についてはきっとどの団体の報告書も不適正意見が附されるに違いない(;;)が、さあ浄財を提供した国民を納得させるために政府はどう対応するのか見物だ!
私は親父のバリカン(痛かった!)を卒業して散髪屋へ行くようになったのは中学生になってからだが、散髪と洗髪が済んだ後は必ず自ら顔を洗わされたものだしそれが慣わしだと思っていた。処が先日日経の夕刊関西欄を読んでいると、洗顔については関東では客が自分で顔を洗うことは絶対になく店員が蒸しタオルで顔を拭くと書いてある。そう言われれば漱石の“草枕”にも散髪屋での蒸しタオル事件があったことを思い出した。はて?散髪屋は理容専門学校で免許を取るから各都道府県で教育の方法が異なるのも訝しいと思ったが、日経記者が神戸の理容専門学校で確認したところによると客自身に顔を洗わすことは教えていないとのことだそうな…(;;)、然らばどうしてそのような風習が伝播したのかその理由は理容学校を卒業した者は先ず数年間理髪店で修行するのが一般的だがその修業時代にその地方に昔から引き継がれた洗顔方法が先輩や親方から教え継がれたものではないかと考えた。因みに日経の調査によると客が自身で洗顔する地域は近畿以西に偏っており、東は奈良、和歌山県から西は広島、島根県までの9府県であり、何故か三重県や山口県、滋賀県など隣接県では一部を除いてそんな風習が殆どなく、隣接県以外では全く風習がない状態が確認されたそうだ。滋賀県の組合関係者など“客が自分で顔を洗うとは一体どう言うことですか ?”とまるで理解できない様子であり、其れに引き替え隣の京都府では”自分が洗わんと汚れがしっかり取れんと思う、爽快感が違うよ“と異なった意見なのは隣接県でありながら不思議だなあと思ったが、60年以上散髪屋で洗顔している私には蒸しタオルは”おしぼり“のような不潔感が拭えず好きになれない。真夏時に冷たい水での洗顔など最高だと思う。恐らくこの風習は過剰サービスを避けようとする店と料金への転嫁を懼れた客との歩み寄りによる吝(しわ)い関西人らしい合理的な結論ではなかったかと考えた。関西の風習大いに賛成だ(^^)
先週私の母校神戸商大卒業生の集いである淡水会から年に一度の会報が届けられた。神戸高商、神戸商大と一本の縦の線であったのが何時の間にやら姫工大や看護大学なんかと合併させられて兵庫県立大学と名前が変わったのは不本意であり母校が遠く翳んできた(;;)。届けられた会報で何時も真っ先に目が行くのはクラブ活動のページだが、残念乍ら我が母校から囲碁部が消滅して既に30年以上が経過し未だ復活の兆しとてなく、10年前TVアニメにまで登場した“ヒカルの碁”ブームも神戸商大にだけ無縁のようだった(;;)。
齡(よわい)を重ねると走馬燈のように昔のことが脳裏を巡る。毎度昔のことばかりで恐縮だが、思えば昭和31年春、当時碁キチばかりの集い囲碁同好会だったのを、兵庫県大学対抗戦で商船大学、甲南大学、関西学院、神戸外大などを蹴散らして神戸大学と共に県代表となって近畿大会に出場した実績を引っ提げて学校と折衝した結果、見事“部”に昇格を果たし年間予算6000円と運動場片隅にあった進駐軍払い下げ蒲鉾兵舎の部室一室を獲得したことは何より感慨深く忘れられない思い出だ(^^)。我が校の学生総数僅か1000人余とあっては他校の学生数とのハンディキャップが大きく数の上では圧倒的に劣勢であり、近畿大会にまで勝ち上がったチームは運動部、文化部共過去全くなかったことが部昇格の決め手となった(^^)。処が学校から与えられた蒲鉾左側の隣室(右横は卓球部で実害なし)には不運にも我々が入る以前からESSが棲みついて居て日中(ひなか)下手クソな英語をアイウエオカキクケコと日本語で喚(わめ)き合って小五月蝿く、臍下丹田に力を籠めて雑念を去り沈思黙考Sound of Silenceの我々囲碁部員達を始終悩ませて居たものだが、トイレがメチャ遠かった(100mも)ため、誰もがこっそりとその辺の雑草に栄養補給(除草剤?)して居た尾籠なことなどを含め、今となればそれはそれで懐かしい想い出となって甦る(^^)。
ESSの彼奴らは商社などに就職したと思うが、あの下手くそな英語が果たして入社した会社で役に立ったのかなあ?
それから幾星霜を経たことか、歳月の経過は無情なもので、当時チームとして一丸となって力を併せ他校と戦った連れションの友も全て泉下の人となり、今では不肖私独りが老残の身となり生き恥を晒しているのは無念遣る方ないが此が人の世の倣いと謂うものか(;;)。
合掌
先週の常用漢字表外読みの答え
(約しい)生活 (つましい)
今週の常用漢字表外読みの問題
亡き父を偲ぶ(縁)とする
特待生と一芸入試
東日本大震災から早や一ヶ月余が経過したが、未だ原発復旧の見通しすら立たぬお粗末さには呆れ果てる(;;)。放射能に色でも付いていれば避難の術(すべ)もあろうが無色透明、然も無臭では原発からどれ位離れて暮らしたら良いかも分からず、東京電力が言っていることが全くいい加減で信用できず20kmとかの発言は眉唾ものであり被災地の方々の恐怖は計り知れない。政府や東電は“健康には直ちに影響はない”などとほざいているが、“直ちに”と謂うことは“先では重大な影響がある”ことの反語ではないのか!TV出演する有識者らしき連中も、口に封印さられて居るようで東電の批判すらできないのでは国民は全くのつんぼ桟敷であり、60数年前言論統制の戦時中に引き戻されたようだ(;;)。汚染水の無断放出についても論外であり周辺諸外国から日本が被災国ではなく加害国だと糺弾されても致し方あるまい。
神戸ではサクラが咲き誇り軈て散って行こうとして居るが、被災地にサクラが咲く頃には被災者の方々には少しは穏やかな生活が戻ってきていることを祈るばかりだ。
ここん処、週一のペースで日経新聞夕刊のコラムを担当される姫野カオルコ氏の雑文はとても面白く楽しみだ(^^)。この変わったペンネームの作家をご存じの方も多いと思うが、彼女は変わっているのは名前だけでなく “松田聖子はブスだ!”と誰もが思っていても言えないことをずけずけと公言(雑誌などに書く)するなど有名芸能人をクソミソに扱(こ)き下し、思ったことを其の儘筆にされることで有名だ。藤原紀香や中井美穂アナなども舌鋒の対象とされて餌食になり、彼女の筆の肴にされた者は大竹しのぶなど数知れない。姫野氏の出席する会には芸能人は誰一人出たがらないとか…(;;)彼女は滋賀県甲賀の生まれであり、幼少の頃より1000坪もの自宅で祖父より武術を学ばれ忍法ならぬ剣道と合気道と薙刀の黒帯であり大学では空手まで修められた異色の猛女(もさ)で、30年位前青山学院在学中某出版社の懸賞に応募したら一発で受賞してしまって其の儘作家になったシンデレラ的異色な経歴の持主である。彼女には下積みの苦労がない分だけ天衣無縫な処があり、自らのペンネームを“姫野××××”と付けて編集者に“其れでは幾ら何でも書店に本を出せない!”と注意されて”カオルコ“にされたそうだが、文壇登場は順調でも直木賞候補に4回もなりながら何故か一度も受賞できなかった不運な作家である。その原因として私が思い当たることは、生来のH度がメチャ高くそのためペンが辷るのか、スケベ心では人後に落ちない直木賞銓衡委員の目にも剰るものがあり、受賞を逃されたのではないかと思う。彼女は自らをペチャパイで男にもてない骨太な大女タイプと極め付けていて、この作家を性転換して女性になった人だと信じている編集者も多いそうだ(^^)。然し姿形とは裏腹に自虐性が強く頭脳明晰で天性の筆力の高さとナイーブな感性は超一流であってHな小説を書かなければ多分私の好きな作家である。
先週は新聞の公共性を意識し何時もと路線変更したまともな話で特待生のスポーツ選手達を評した記事であり私も深く共感させられるものであったため彼女と同じ目線で考えてみたいと思った。
彼女は今年お正月の箱根駅伝を話題にされ、中継アナが早稲田の猪俣選手を一般入試で早稲田に入り箱根駅伝に出場したことを矢鱈強調し、“一般入試、一般入試”と独り昂奮したことに奇異を憶えたことと、以前某著名女優が早稲田に推薦入学したことに対して学校や当人に可成り露骨なバッシングが行われたことに関し、抑(そもそも)僅か3科目のテストで入学できる私学だから学校の宣伝になることなら大いにすべきであり、推薦入学を“ズル”して入ったような印象を与えるべきでなく、秀でた特技は3科目に匹敵する価値が充分にあると述べて居られたことに私は全く同感だった。学業と異質な特技を相対比較することは甚だ困難だが、此は彼や彼女達を学業の道である文学部や商学部に入れるから世間が騒ぐのであってはっきりと“有名人学部”を設ければ済むことではないかとの仰せである。推薦入学などと呼ぶから世間の誤解を招くので“招待入学”とすれば何の問題も生じないとの彼女の意見は明解であり蓋(けだ)し卓見である。
問題は入学してからの4年間を一般入試の生徒と招待入学者と何処かで一線を画さなければ、朝から晩まで走っている生徒や、年中ロケで不在の女優が所定の単位を取得して卒業できるのでは一般入試の生徒は一体から普段何をしているのかと思われ兼ねないから有名人学部に入った者は学校の“広告塔”であると割り切り授業料を只にする代りに授業などは受けさせないように決まりを付けたらどうだろうかと私は思う。極論ではあるが勉強させてもどうせ一般入試の連中にはついて行ける訳ないし、卒論など受かる道理がないことは当初から分かっているから授業など無意味だ。その代わり招待入学した学生の学校への広告塔貢献度に対して単位や卒業証書を附与すれば済むことであり、若し結果が付いてこないときは退学させることを入学の条件にして置けば何の問題も起きないと思う。大学は入るのは大変でも出る方は容易だと謂われるが、特技で招待入学させて貰った限りはせめてチームの補欠にでも選ばれないと退学通告の危機が迫るから本人も大変であり、只ほど高いものはない見本となるのではないか(;;)。
彼女の話とは少しだけ離れるが、最近の大学では特待生以外に一芸入試制度が人気となり、近畿地方では立命館などはその先魁となって“関関同立”と謂われた60年の屈辱を一気に晴らし現在では “立関関同” (関大が上になったそうな)に置き換えているのは偏(ひとえ)に此の手法に拠るものであり、囲碁と将棋日本一など此まで東大が恣(ほしいまま)にしていた地位を立命館が奪い取ったのだからマスメディアも挙って取り上げるし、学校全体のイメージが随分と上がったことだろう。何しろ個人戦ならいざ知らず知的競技5人の団体戦で東大や京大をやっつけるなど過去には想像もできなかったことであって学校全体のイメージを随分と嵩上げ世の若者に希望の曙光を与えるものだ。今後も少子化時代が永続すると思われるから、各学校も生き残りを賭けて学校を標榜する広告塔を模索するのに必死の時代となってきたのではないだろうか(;;)。
時代も随分変わったものだ!大学の角帽を冠りたくて必死に5教科7科目を学んだ60年前が何故か懐かしく思われてならない。
先週の常用漢字表外読みの答え
危急存亡の(秋) (とき)でした。 意味=大切な時期
秋は穀物の収穫があり大切な時期であることから…
今週の常用漢字表外読みの問題
(約しい)生活






