「ホタル帰る」

オリンピックの喧噪も漸く去ろうとし、高校野球が取って代わり愈々お盆が到来した。朝夕懸命に鳴き交わして居たキリギリス達も、無事伴侶に巡り会えることができたらしく温和しくなっている^^。きっと露草の根元では沢山の卵が産み付けられて居ることだろう。
今月になって早朝からクマゼミの鳴き声が喧しく最近頓に増加する傾向に見られるが、その代わり昼下がりに五月蠅く午睡を妨げて居た油蝉の声が昨今少なく、ニーニー蝉の甲高い「チー」の声も聞かれなくなった(;;)。そして最近では深山幽谷が住処だったミンミン蝉が都会に進出してきたとか聞くから蝉の生態にも変化が出てきたようだが、都会となるとミンミン蝉も神社仏閣、皇居宮殿などを選んで産卵しないと7年後出て来られなくなるのではないか、処で東北大震災の津波で長く塩水を被った地域の蝉の幼虫達は果たして無事だったのだろうか:-)。

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6月17日号のブログの巻頭で満開の写真をご紹介したからご記憶だろうか。お盆だと謂うのにうちの玄関先では何故か未だに紫陽花がしぶとく一枝咲き残っている、咲いてから3週間以上経つのに少しも色褪せず瑞々しいのが不思議でならないが、毎夕しっかりと撒水して遣っている私への感謝の気持ちだと思うことにしよう^^。
ミンミン蝉と謂えば戦時中私が姫路の山奥へ疎開して居た頃のことだが、住居の近くにあった西国二十七番札所増井山随巌寺(姫路市白国)の参道の途中に名前は知らぬが柳に似た木で朝だけ必ずミンミン蝉の鳴いている木があり、虫取り網などなかった時代だったので、早朝4時頃に一人で山に登りそっと木の下に蹲(うずくま)り、蚊に刺されるのも我慢してミンミン蝉が恐らく産卵目的だろう少し宛降りてくるのを1時間以上も待ち続け、目の前まで降りてきたとき木の枝を擬した片手を振り下ろして捉まえる快感は得も言われぬものだった(^^)。此の蝉は羽根が白く背中に青い模様が入って居て今思えば翡翠のような輝きを持ち、それはそれは美しい蝉だった。友人の居ない私には昆虫達はキリギリスに限らず親しい友であり、65年以上も昔のことだが未だ忘れられぬ懐かしい想い出だ(^^)。
後3日で終戦記念日だ、終戦の頃私は国民学校4年生、あの日から今年で67回を迎えることになるから私も年老いたな。終戦と聞くと決まって想い出されるのは、帰りの燃料の代わりに弾薬を積んで南に飛び立ち散華(さんげ)した多くの知覧少年特攻隊員だ。出撃の前夜、言葉に尽くせぬ世話をして貰った軍の指定食堂の小母さん鳥浜トメさんに「明日此の時刻にホタルになって帰ってくるから戸を閉めないでね、部屋に入ってくるから追っ払ったらだめだよ」翌夜本当にホタルが入ってきて皆を愕かせたのは映画にもなったから有名だが、ホタルの話は兎も角として高倉健さんには悪いが此の映画には嘘が多い:-)。真実を知りたい人は鳥浜トメさんの娘である赤羽礼子さんの書かれた「ホタル帰る」を読まれるべきだろう。
皆さんには「ホタル帰る」の次の一節を是非お伝えしたいと思います。
『少年飛行兵達の指導を担当した教官藤井一中尉は幼気(いたいけ)な少年兵達が次々と戦死する悲報を聞くにつれ、子供達だけを死なす訳には行かぬと決意し自らも特攻隊員を志願した。若くもなく家族のある将校などは特攻に採用されない決まりであったが、却下されても却下されても彼の意思は変わらず、最後には血書して願書を提出した。反対して居た中尉の妻も夫の決意が揺るがないことを知り、後顧の憂いを断つため、近くを流れる荒川に幼い二人の子供の手を引いて入水(じゅすい)し、「自分達が生きていては心残りでしょうから、お先に逝って待って居ます」と遺書が残されていたそうだ:-)。』血書の願書に加えて妻子の自死は流石に軍上層部も決断せざるを得なくなり、藤井中尉の特攻志願は受理され、昭和20年5月28日彼は知覧を飛び立ち還らぬ人となったが、私は此を読んで、中尉がきっと黄泉の国で愛する妻と幼い二人の子供、そして大勢の少年飛行兵達の笑顔に迎えられての再会が果たされたに違いないな、と思った。「夫婦は二世(注1)」と謂われ、夫婦の縁(えにし)はこの世ばかりでなく来世も続くと謂われて居るが、本当にそうであって欲しいなと私は神に祈った。
我々の周囲の哲学は終戦を境に何時とはなく観念論から唯物論の世界となって久しいが、私はこんな「あの世」って本当にあったらいいなと思った。そして無垢の少年達を騙(だま)してろくに飛べもしない欠陥機に乗せ敵地に送り込んだ軍部の連中の末路は「あの世」で地獄の業火に焼かれたに違いないと思うことにした:-)。
さすれば私なんかはどうなんだろうかと振り返って見ると、此までの所業よりどう考えても地獄の業火に苛(さいな)まれることになるとしか思えなかったが、此も自業自得と諦めねばなるまいな(;;)。
戦前は男女の距離が遠く、婚礼の日初めて相手の顔を知るような環境が多かった中を、お互いが己を弁えて不平も唱えず夫婦となって琴瑟(きんしつ)相和する者が多く、妻は夫の教えに対し誠心誠意敬い慎んで仕えるのが務めであった。夫婦は傍目にはお互い距離を置いているように見えても、実際には目に見えない強い絆で結ばれて居り、夫婦は二世、一心同体と堅く心に信じて居れたから、藤井中尉の夫妻のような決断ができたに違いない。戦後は「好きだ好きだ」と親に逆らってまで一緒になった二人がちょっとした諍(いさか)いで別れ、半年も待たずに違う男に身を任す身勝手な連中ばかり出てきた此の不条理は一体何処から来たものだろうか。我が国の高度成長以後我々は餓える貧しさから逃れることができた代わりに忍耐とか我慢と謂う言葉が忘れられてきたのでなかろうか:-)。
「ホタル帰る」を読んで私は我々自身の持つ倫理観を「唯念仏して、阿弥陀仏に助け参らすべし」と、親鸞の時代にまで遡って考えねばならぬと思ったものだ。
卓球女子は初の銀メダルに輝いたが、女子の卓球選手は中国を含め20カ国が中国出身の帰化選手だそうだ:-)、石川選手など全5試合の相手全てが中国人だった。彼女が準決勝で負けたシンガポールの相手も中国人やないか、石川選手にせめて一回位他所の国の選手と戦わせてやれなかったものか!
男子サッカーは宿敵韓国が勝利し、我が日本は敗れた(;;)、何と言っても勝利への執念は「メダルで兵役免除」だったろうな、我が国にも兵役があれば負けなかったものを…:-)。
韓国と謂えば人気の凋落した李大統領が威信回復に一昨日島根県の竹島に上陸して殉職者の献花などをしたと大騒ぎになり、政府は慌てて駐韓大使を帰国させたりしているが、昭和29年から韓国の警備隊が常駐し、韓国住民が生活して居るのだから、今になって「うちのもんや」と騒いでもダメだろう。領土であると主張するなら当初から竹島に海保を配置し、周辺海域での日本漁民の漁獲活動を援助せねばならぬ処を現実は韓国の漁場とされ、島に韓国人が棲んでいるのでは政府は何をしていたのかと指弾されても仕方がない。従軍慰安婦問題で政府の腰が引けているせいだろうが此は別の話ではないか、竹島の領有権を巡っては韓国側が何かする度に一応抗議らしきものをしているが、抗議のみで何もしないことを相手に読まれており、世間では此を「痩せ犬の遠吠え」と謂う:-)。北方領土についても同じことが言えよう。消費税を上げることばかりに憂き身を窶して情けない政府だな!
先週の常用漢字表外読みの答え
殊更に(論う)な (あげつらう)でした
今週の常用漢字表外読みの問題
指先が(潤びる)
(注1)
「二世(にせ)」とは現世と来世、この世とあの世のことであり、古来「親子は一世、夫婦は二世、主従は三世(さんぜ)」と謂われる。

「抱っこの宿題」忘れんでね!

灼熱の8月を迎えて炎天下の庭ではキリギリスが露草に乗っかって我が世の春?を謳歌し恋人を求めて鳴き交わしている。彼女はきっと直ぐ傍までそっと近寄って鳴き声の良いフィアンセを選んでいるのだろうな^^。タイミング良く先月半ばに孵化を始めた小さい三角バッタの子供が少し宛大きくなり、すばしこく雑草から雑草へ飛び交いキリギリスの絶好の給餌となって居る。キリギリスは雑食性だからタマネギやキュウリばかり食べている訳ではなく、庭の雑草を食い散らす此のバッタこそキリギリスの蛋白源であり大好物なのだ(^^)。バッタと謂えば最近精霊バッタも殿様バッタも見掛けなくなって久しいがどうしたんだろう、昔戦争で疎開していた頃、田圃に網と袋持参で取りに行かされ、おかずとして食べさせられた蝗(イナゴ)も何時やら居なくなったなあ(;;)、あの蝗の足は不味かった!

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大津市の中学生自殺事件は当初新聞の小さい記事からのスタートだったが、何故か何時の間にか炎が大きく燃え広がり、ネットの力も借りて勢いが盛る一方で一向に治まる気配がない。マスメデイアも加害者の母親が此の学校のPTAの会長であることまで探り出し事件の真相に迫っている。今現在一番窮地に立たされているのが虐め児童とその親達それに中学校の教諭と教育委員会だが、市長とて同様であり、この市長はハーバード出身の国際弁護士として華々しく当選したが、今回の「中2虐め自殺」の事件に関しては、初動から現在まで弁護士とも思えぬはっきりせぬ対応が事件を迷走させて居る。原因は表に出ずに事件を陰で仕切ろうとする地方都市によくある土着勢力の抵抗に戸惑ってお嬢さん育ちの経験不足を読まれてタジタジさせられて居るのだろう。教育委員会の連中の生殺与奪を市長権限にない処も想定外だったろうし、県警が警察庁の要請で一転して40人体制の調査網に変貌するなど、態度を豹変させたことも市長には計算外だったろうな。
今回の「虐め事件」で、アンケートの結果が隠蔽されたり、被害届が無視される背景には地方都市独特の教育委員会、教員、PTA、警察組織などの「自己防衛」という力学が働いていたのに違いないが、市長にはそのような「ローカル権力の腐敗」と戦う意思を持たず、川の流れの儘に流されようとしたのではないか、市長選で今の市長を当選させた票には、恐らくはこうした「土着の権力構造との対決期待」と謂うものがあったに違いないから此の市長の態度は市民の期待を無残にも裏切るものだったな。
市長は直接の公選で選ばれた首長として正しいメッセージ性のある行政を進めることを期待されている立場と、終身雇用制の官僚組織の支援を受けないことには日々の行政が進められないという絶対矛盾を今後どう解決するのだろうか。頑迷な教育長を選んだのが市長自身だったのも誤算だった。市長は此処で被害者の立場に立って虐め少年とバカ教師にバカ教育委員達としっかり対峙しないと市民からの特別の期待感を以て市長に選ばれた信頼を一挙に失い、2期目は嘉田県知事からも見放されることになるは自明だろう(;;)。
現在担任教師の男性は隠れており表に出なくなっている。最大の問題はこの担任教師の教育的無関心が事件の背景にあることを知りながら、彼の存在をひた隠しにしようとする学校と教育委員会の姿勢にあり、学校側には「本人が批判の矢面に立てば、何を喋り出すか分からず同類項の他の教諭に火の粉が飛んで来る」とシラこいことを言っているが、そうした学校の隠蔽体質を何故教育委員会が許しているのか。その理由は沢村憲次教育長が2代前の同校の校長だったから彼には同校の教諭は子分のようなものであり、先生の味方はしても児童の味方をする道理がないのだろう:-)。
処で、私は「苛め」は常用漢字ではないので常用漢字である「虐め」を使って書いているが新聞など全てひらがなを用いている。何故?と辞書を引いてみると「虐」の字は「虐(しいた)げる」が常用漢字の訓読みであって「虐(いじ)め」は表外読みだったのだ(;;)。表外読みしか使えないのではこんな字が常用漢字として威張っているのが烏滸(おこ)がましいよな:-)。
詰まらぬ話の口直しに明るくて楽しく心暖まる話題を宮崎からお伝えしよう^^。
『小学校1年生のこはるちゃんは学校から家に走って帰るなり「今日の宿題は抱っこよ」と叫んだ。担任の先生が「おうちの人から抱っこして貰ってきて」と云う宿題を出して貰ったのだ、こはるちゃんはお父さん、お母さん、お祖父ちゃん、お祖母ちゃんそして二人のお姉ちゃんの6人に抱っこして貰って翌日クラスで「抱っこのチャンピオン」になったそうだ(^^)。次の日お父さんが「お友達はみんな宿題やってきとったね」と聞いたら、こはるちゃんは「何人かしてきとらんやった」との答え、「だけん、その子らは先生に抱っこして貰ってた」』以上は先日日本経済新聞に掲載されたものであり、宮崎県発全国版で発行されて居る「みやざき中央新聞」の社説の一部だとか…^^、此の新聞の社説はミニコミ誌で読んだ話を記事にされて居るそうだ。最後には「抱っこの宿題は子供にではなく親に課せられた宿題だったのだ」と結んである。日経も格下同業者の社説を載せるなど懐の広い処を見せたが、日経社長の醜聞も此で少しは恢復したかも知れないな。それにしても社説なんてものは堅苦しい文章だと思い勝ちだが変わった社説もあるもんだなと唯々感心した(^^)。
今時珍しいが三世代世帯っていいな(^^)、そして「抱っこ」っていいなと思った。私など戦時中軍国主義の体制下に育てられたからそんな女々しいことはとても赦されなかったのだろう、物心が付いてから頬桁を叩かれることは数知れずあったが、母に抱きしめられた記憶など全くない(;;)。現在高三の孫が昔5年生位の頃だったか、何かの弾みで家の前の道の真ん中冗談交じり母親に「むぎゅう」と抱きすくめられて、嬉し恥ずかしの恍惚状態になって居たことをよく憶えて居る、とても羨ましかった。私自身の子供時代には考えられず、あり得ない情景だったからだ。スキンシップとは昔から謂われる言葉だが、子供にしてみれば「抱っこ」は親の愛情の最大限の表現として受け止めるから、世の親達は十日に一回と謂わず三日に一回でも「むぎゅう」をしてやると何も会話がなくても親子関係は常に円満快適ではなかろうか。最近は何故か親子間の距離が開きスキンシップが減ったように思えてならない。昔は一寸したことでも直ぐに「お利口、お利口」と親に頭を撫で撫でして貰って居たが、最近はそんな光景もとんと見掛けなくなったな(;;)。そう言えばお父さんに肩車して貰っている子供も長く見ていないぞ:-)。
でもこの社説に出てくる小学校1年生の担任の先生は偉かった、家で抱っこして貰えなかった子供達を代わりに抱っこしてあげる処が最高だったな(^^)。
大津市のいじめ中学校の先生も、親の代わりに子供を抱っこして呉れる宮崎の先生の爪の垢でも煎じて飲めば?
母校である星陵高校の同窓会「星六会」から『8月11日の「暑さをぶっ飛ばす昼食会」は暑いので中止にしました』とのメール連絡が入った。何となく可笑しいよな^^。何故か笑ってしまうよな^^。
先週の常用漢字表外読みの答え
此の味は(堪え)られない。(こたえ)でした
今週の常用漢字表外読みの問題
殊更に(論う)な 

「粗にして野だが卑ではない」

梅雨が明けて灼熱の夏が訪れた、暑い夜は50年前一世を風靡したニーノ ロータの気怠い「太陽がいっぱい」など聴きたくなる。ロンドンオリンピックも愈々始まったが、23時就寝厳守の小生には縁がない、期待の「なでしこ」も柳の下の泥鰌で今度は金メダルダメだろう(;;)。
先週は待ちに待ったキリギリスが雌雄10匹今年も金魚屋さんから届けられ庭では早速小気味よい鳴声を響かせている(^^)。昆虫の棲息環境悪化の中を世の不景気を受けお陰で今年も値上げされずに雄が700円雌が350円でありヤレヤレだった。聞けば雌を買う客も居るとか…^^、庭で産卵させ翌年孵化後夏に鳴かせるのを楽しみにしている人が私以外にも居ることを識って嬉しかった。毎朝事務所に来て庭のキリギリスの鳴き声を聞くと一遍に元気が出る、此の庭で生まれた奴も混じっているからきっと沢山卵を産んでくれることを期待して暑いけどエアコンを我慢して今日も一日頑張ろう(^^)。

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早朝菊水山からの明石大橋と淡路島の偉容であり、神戸の街にも未だ多くの森が残されていることに知って心が癒された。お馴染みのEさんから先週届けられたものです。Eさん又山に登れて良かったですね(^^)。

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先々週お知らせしたが、私の拙(つたな)い投稿文が目出度く25日毎日新聞全国版「みんなの広場」に掲載されたのでご覧下さい。拙文を読み返して居てふと考え付いたのだが、此の表現ではひょっとしたら毎日新聞社の担当者は私が此まで連続して12回不合格であると勘違いし、その報われることのない直向(ひたむ)きな努力を哀れに思って掲載を決められたのではなかろうかと思った(;;)。実際に不合格だったのは1回だけだが、毎日新聞の大いなる勘違いが原因で採用されたのなら、ま、それもいいか、幸運を素直に喜ぶべきだろうな(^^)。指を繰って計算したら私は7年半に亘って年二回宛きっちりと15回漢字検定を受け続けて居たのだから我乍ら結構しぶといなと呆れた^^。
早速投稿紙面を愚娘に見せたら、案の定「これを読んだ人はお父さんが12回も不合格なのかと思わへんやろか」と言ったから、私は「しょぼんとした小母さんの心情を思いやって言った言葉やから、そう受け取られても構へんよ」と返したのだった。
掲載当日、漢字検定協会と何時もの牴牾(もど)かしいやりとりも何とか上手く行き、かかりつけだったIクリニックを連絡場所とすることで、投稿文のヒロインである女性秋山さんとも25日再会でき毎日新聞をお渡しすることができてホッとした^^。Iクリニックの新木さんいろいろと有難うm(_ _)m。
「粗にして野(や)だが卑ではない」一昔前の方だが皆様は石田禮助をご存じだろうか、国鉄総裁在任中一度も俸給を私せず、全額国家に返納した清廉潔白の人であるが、昭和38年総裁就任のため国会初登院での就任挨拶のとき、謂わば国鉄の株主とも言える運輸族と呼ばれるベテラン議員達を前に、辺りを睥睨(へいげい)して「諸君」と言ったから議員達は皆口をポカンと開けて愕いた。「私は嘘は絶対に吐かぬが知らぬことは知らぬと言うからご勘弁願いたい」その後で登場したのが自分の性格を評し世に識られた上記の言葉であり余りにも有名だ(^^)。「私は粗野な性格だが決して心は卑しくない」と言われたのだと思う。そしてその次に彼の口から飛び出した言葉を聞いて議員達は再び腰が抜けるほど愕いた。「国鉄が今日のような状態になったのは諸君達に責任がある!」先生なんて言葉は何処からも出なかった、諸君なのだ、そうか、それまで国会で其処まで宣う大久保彦左衛門は誰一人居なかったのだ(;;)。
国鉄総裁に民間から初めて就任したのは、昭和16年まで三井物産の社長をしていた石田禮助であったが、財界の表舞台から退いて既に20年以上が経過しているから議員達は当時の総理大臣池田勇人が耄碌した過去の人を名誉職のつもりで選んだ人選だから外部へのお飾りには丁度良いか、などと高を括って居たのだろうが、実は、どっこいこの石田禮助が総裁になったのは他ならぬ経団連の会長を12年も務めて「財界総理」と呼ばれた石坂泰三のたっての頼みを引き受けてのものであり、石坂は石田が「野心も私心もない、あるのは素心だけ」の人間であることを充分に知って居たからだ。その上石田はそれまでの7年間をときの国鉄総裁十河信二の片腕となる監査委員長として、辣腕を奮い、例えば人事についてなら東大法学部出のキャリア組ばかりが超特急コースで出世し、後は全員鈍行を強いられた人事に反発し、「野(や)に遺賢は居る、ノンキャリを抜擢せよ、それで国鉄内に新しい空気が通る」と繰り返して提案して実行に移したことや、国鉄から日本銀行に預けられた金が40億円まで1銭も利子が付かぬ悪弊に抗議し大蔵省から47億円も金利をもぎ取ったことなど監査委員長が名誉職でないことを示し、その実績は枚挙に遑(いとま)がない。
因みに「野(や)に遺賢なし」とは出典が「書経」であり、賢者はすべて朝廷に任用されて、民間に埋もれている賢人が居ないことを言うが、此は孔子、孟子の居た頃の中国の話であって、現代の我が国ではこんな言葉は使えず、戦後、詰め込み丸暗記型偏差値重視の教育制度では立派な人材を掘り起こすことなどできる筈もなく、「金剛石も磨かずば…」であり「野(や)に遺賢あり」が正しいと謂うのが彼の持論だ。
石田禮助は東京高等商業学校(現一橋大学)を卒業後三井物産に入社し、30年間に日本に居たのは2年間だけであり世界中を巡った国際人だった。大豆や錫(すず)の取引で巨利を得るなど商才に長けており、僅か49歳で取締役になり55歳で社長になった切れ者だったが、彼が昭和38年に当時の総理池田勇人に三顧の礼を以て請われ78歳の老齢であり乍ら民間人初めての国鉄総裁に就任して発揮した数々の功績は誰もが目を見張るものだった。彼の凄いところはキャリアの官僚閥と謂う怪物の圧力には全く屈することなく、敢えて学歴年功を問わずに3階級5階級昇進の道を開いたことなど将に胸の透くような快男児だった。小学校しか出ていない志免炭鉱所長が難しい労働問題を解決したとき「苦労させたから一番良いところへ持ってきてやれ」と言ってすぐさま仙台鉄道管理局長に、次に東京鉄道管理局長に、更には常務理事にまで登用したから、警察で言えば駅前交番の巡査部長が一足飛びに警視庁の副総監にでもなったに等しいから愕きだ。下に仕えた東大法学部出のキャリアの渋い顔が見たかったなあ(^^)。
彼は映画を見るのをとても好んだが特に好きだったのは勝新太郎の「座頭市」シリーズであり、似た筋書きでも「水戸黄門」は嫌いだったそうだ。何故なら後で印籠を持ち出して威張るのが面白くないと謂うのが彼の理由であり、威張るのも又「卑」であって、権力を極端に嫌った彼の性格がよく分かる。一方座頭市は「粗にして野(や)だが卑ではない」の典型だったのだろう(^^)。目の前にはマンモスのように巨大な労働組合が立ちはだかり、初代下山総裁が常磐線で轢死体発見では、財界人ならずとも誰もが国鉄に対し腰が引けるのは当然だが、石田禮助は自分の老後は「パブリックサービス」だと宣って平然と進んで国鉄総裁の就任を受諾し、その数々の英断やエピソードについては皆様に一度暑さ凌ぎに城山三郎の小説『石田禮助の生涯「粗にして野だが卑ではない」』を読まれることをお勧めしたい。今日はそのさわりを少しだけご紹介させて頂いた。
先週の常用漢字表外読みの答え
盥(たらい)が(燥ぐ) (はしゃぐ)でした。(はしゃぐ)とは水分がなくなり、乾燥することです。
今週の常用漢字表外読みの問題
此の味は(堪え)られない。
先々週の問題である「心張り棒を支う」(かう)の答が違うものに変わっていました(;;)。
申し訳ありません。謹んでお詫びしますm(_ _)m。

日経新聞広告の怪


梅雨も漸く終わりを告げ本格的な夏の到来を迎えて居るが、関西電力も電気が足りない、足りないと計画停電のリストを再三送り付けて来る:-)。これだけ酷暑が続くのに未だに停電をしないのはきっと原発を認めさせるため我々庶民への陰湿な虐めなんだろうな。
先週午後神戸へ行った際、行きは阪神電車であり弱冷車でエアコンの苦手な小生には快適だったが、1時間後新開地からの帰路は相互乗り入れの山陽電車であり、ギンギンの強冷で震え上がった(;;)。車内の温度設定は恐らく車掌の裁量だと思うが行きと帰りで斯くも温度差が違うのは、会社間の摺り合わせができて居ないのではないかと思った。我々も節電には極力協力したいと思っているが、最も節電に敏感でなければならぬ公共交通機関が此ではどうしようもないぞ!山陽電車鉄道事業本部の橋本さん聞いていますか?

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先週木曜日の日経新聞第5面を読んで居たら、最下欄に週刊誌の広告欄があり、橋下大阪市長の醜聞記事や大津市の自殺事件の真相など盛り沢山の記事の傍らで小さく、「日経新聞喜多恒雄社長は裸の王様だ!本誌の広告掲載を拒否」なんて書いた週刊文春の広告に遭遇した。週刊新潮との併載は何時もの構図だ。拒否?だってちゃんと掲載してるじゃないの?日経と文藝春秋の間でどんなトラブルがあったのか知らないが、此の自分とこの社長を貶める記事を登載した週刊誌の広告をタイトル付きで掲載することに日経の広告担当役員は全く抵抗を感じなかったのかと不思議でならなかった:-)。
此の日経の広告掲載は恰も喧嘩相手から泥靴で足蹴にされ乍ら、その泥靴を舐めさせられている行為ではないのかな?確かに新聞社にとって広告収入は購読料に次ぐドル箱だ。広告スポンサーの言は絶対であり、彼等からのクレームで掲載予定記事が中止になるなど日常茶飯事なのは世人の知る処であるが、此の「広告を拒否すると言う広告」が掲載されて居ることは、日経の社長が社内からもバカにされ真実裸の王様であることを物語って居るのではないかと考えてしまった(;;)。「裸の王様」とはカリスマ的な存在である企業のトップが、実は何の能力も有さない男であることが暴露されることを謂うから、内部造反とも受け取れるこの広告の掲載は意味深長だったな!日経のブランド価値は巷では1500億円と謂われているが、此の広告を掲載したことで日経のブランド価値は大半が失われたのではなかろうか。
喜多恒雄社長は此を見て何も怒らないのか。
介護の世界が大きく揺れている、先日日経ビジネスを読んで愕いた。介護福祉士は仕事がハードで給与は特別廉く若い人でも短期間で辞めてしまう3Kの代名詞のような職業だ。知力より体力の勝負だから希望者が居ないではないが、若く元気な者でないと長続きしない。厚労省もその辺を察して外人の介護士を養成しようと試みて居り、インドネシア辺りから若い女性を多数渡日させているが、担当の役人がアホで能天気なため彼女達が介護士になるために日本人と同じ日本語の壁を乗り越えることが如何に困難であるかについて何の疑問も抱かず、3年間の研修期間の結果国家試験では殆どのインドネシア女性が筆記試験で刎ねられ心ならずも失意のうちに帰国させられて居るそうだ(;;)。彼女達は若いから日常会話位なら3年も居れば喋れるだろうが、漢字を書くテストは日本に来て3年では先ずムリだ!何でも「じょくそう」なんてのが出題されるそうだぞ、床(とこ)擦れの介護用語で、「褥瘡」と書くのだが、江戸時代の杉田玄白辺りからの言葉が化石のように生き残って居るなと思った(;;)。この字が漢字を覚えて3年目、漢字検定で謂えば8級小学校3年生レベルの者に書ける道理がない、こんな字は東大の学生でも医学部以外の連中にはまず書けまいな:-)。まして、来日3年インドネシアの少女に書ける道理がないことを試験問題など外郭団体への外注任せである厚労省はまるで気付いて居ないのだろう(;;)。介護士の仕事は難しい漢字を書くことではなくて、手と足と腰を使っての労働だからペーパーテストより腕立て伏せ100回で介護士或いは看護助手の資格を与えたら良いのと違うのか!厚労省もつまらぬことに拘るのは介護士の資格試験を下請けさせた法人に天下りして甘い汁を吸おうと企んでいるのに違いないぞ!現在我が国の介護保険給付費は7兆円だが、このうち介護士達現場労務者の人件費が幾らなのか?介護施設の役員報酬の方が圧倒的に多いことを厚労省は恥ずかしくて発表できないのではないだろうか:-)。いやいや、彼等はそんなことにはまるで関心も払わず、自分達が天下れる特殊法人を育てるのに一所懸命なんだろうな(;;)。此からの高齢化社会を考えると情けなくて泪がでるぞ(;;)。
ヤンキー上がりで変なタレントの木下優樹菜が先週、歯科助手になるための資格「歯科医療事務管理士」の試験に合格したことが明らかにされたとか…、彼女は高校を出ているのに勉強して居なかったのか字の読めないタレントで有名であり、過去に運転免許証の仮免ペーパーテストに連続26回落ち日本記録を打ち立てた猛者であり結局運転免許を断念しているそうだ。仮免テストも10回に一回は同じ問題に戻るからそれでも受からないのは彼女は漢字が読めないのではないかと思ったが、今回の「歯科助手」試験合格により世の歯科助手達のプライドを完膚無きまでに打ち砕くこととなったようだ(;;)。歯科助手なんて歯科衛生士と違って余り聞かない資格だが、歯医者の台の傍でボーと立って居て診察椅子の上げ下げと嗽(くちすす)ぎのコップに水を入れるボタンを押すだけの仕事だが、何故か歯医者には助手の存在が患者達に医師と手術時にメスを渡す看護婦のような連携関係の錯覚を与えて歯医者のプライドの保持に役立っているに過ぎないと思う、今回仮免連続落ちの記録者木下優樹菜の歯科助手合格が報道されたことにより最早歯科助手のなり手がなくなり、今後歯医者は困るのではないかと思うが、無資格の学生をバイトで立たせておけば良いだろう。なに、歯科助手なんて国家資格でも何でもなく技能認定振興協会とかのテストであり、聞けば試験時のテキスト持ち込み可とか、自宅での受験可とか、テストが年に6回もあるなど、受かりたくない者以外は落ちようのない仕組みの試験なのだ。落ちる者が居ないなんて世の中には怪訝しな資格もあったもんやな:-)。木下優樹菜でも受かる筈や。きっと受験料と国からの補助金を当てにした厚労省の天下り受け皿法人なんやろな。
一体から来日3年目のインドネシアの少女に「褥瘡」と書かせて介護士試験を不合格にしたり、テキストを持ち込んでまで合格させる歯科助手の試験との落差は何処から来たのだろうか?自分の国やけど日本って全く以て怪体な国やなあ:-)。ほとほと愛想が尽きるぞ!
先週の常用漢字表外読みの答え
里芋が(滑る) (ぬめる)でした
今週の常用漢字表外読みの問題
盥(たらい)が(燥ぐ)

来年6月まで待て!


永く皆の目を楽しませてくれた紫陽花も終わり、池では先月誕生したメダカ達が成魚の10分の1位のから、更に痛くない注射針でも斯くも細くないと思われる程小さい奴まで梅花藻の隙間を嬉々として泳ぎ戯れている(^^)。先週、愚娘が何処かから小さく可愛らしいオタマジャクシを30匹ほど掬ってきてメダカの赤ちゃんの遊び友達にしてくれた。大きくなってみないとイボ蛙か青蛙か分からぬそうだが、又一つ楽しみが増えたぞ。

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三つの写真は良く見れば何れも何処かにトンボが写っている。上のは池の中央上部で舞って居り、中のは濾過器の板の手前に右向きで、下のは矢張り板の手前で此方を向いて飛んでいるが尻尾が虎斑だからお分かりだろうか。先週の木曜日のこと、懐かしい「むかしトンボ」の雌が一匹飛んで来て池を巡って10分ほど寛いで居たが、軈(やが)て何処かへ帰って行った。飛び乍ら数十回もチョンチョンと尻尾の先を池の水に浸けて居たから或いは卵を産んでいたのかも知れぬ(^^)。此の藻の厚さでは魚たちに喰われることは先ずないから来年ヤゴが孵るかも…、来夏はヤゴの抜け殻が楽しみだな(^^)。然しよくまあ、住宅街のど真ん中にある此のチッポケな池を訪(おとな)うなんてトンボにはきっと遠くからでも溜まり水の匂いが嗅げるんだろうな。
幼い頃トンボは私の宝物だった。家のすぐ近くに叢があり葦が少しだけ群生していて中に自然の小さい水溜まりがあり、学校から帰って跣足になりそっと近づくと決まって水辺に銀ヤンマのカップルが逢瀬を楽しんでおり、素手で捕まえることもできたのだ。貴重な雌が手に入ると羽の根元を細い凧糸で×字に括り竹の先に1m程伸ばして、その辺りの田圃(昔は沢山あった)で飛ばすと田圃の上空を舞って蚊を食べて居た銀ヤンマの雄が本能に駈られて凧糸に繋がれた雌にしがみついてくる(雌の頸に雄の尻尾の先を挟んで連れて行こうとする)から労することなく面白いように取れ、夜蚊帳の中に入れて母親に怒られたものだ。銀ヤンマの雌は羽根に褐色の色が付いていて昼間単体で飛んでいるのを見ることがなかったから余程個体数が少なかったのだろう。この歳になってもトンボを見ると胸がときめき幼い頃の郷愁に搔き立てられて血が騒ぐのは雀百までなんだろうな。
突然先週毎日新聞大阪支社から電話があって「みんなの広場」への投稿が採用されたとのこと…(^^)、2週間もしたら全国紙に掲載されるとか。思えば7年前、当時5年生だった孫の漢検受験に触発されて初めて挑戦し、69歳で準二級に合格した際「老いて学べば、死して朽ちず」の見出しで投稿し掲載(2005.11.13ブログ参照)されて以来のことだが、一日僅か4名か5名に過ぎない全国版掲載は晴れがましい限りだ(^^)。投稿の内容は先月漢字検定の当日更新したブログの一節に記載した81歳の女性が準一級の検定を受けられた件(くだり)を400字(規定になっている)にダイジェストしたものであった。「みんなの広場」は二重投稿を禁じて居るが、うちのは自前のブログだからいいんだろうな、投稿掲載予定を告げる大阪支社の担当者は電話口で執拗に私の受験回数と女性の年齢に拘り、私が「5年生まれと言われたので82歳ですか?と聞いて否定された」とまで言ったら漸く納得されたが、恐らく当の女性が記事を読んで年齢が違っているとイチャモンが付くことを懸念してのものだったろう、然し女性は誰も若く見られることを喜ぶ筈だから若し誕生日が過ぎ82歳になって居ても81歳と書かれた方が嬉しいのと違うのかな?次回10月の検定日には是非新聞を持参して彼女にお渡ししたいものだと思ったが、お互いが老齢だし健康不安だってない訳ではないから、次回彼女に会える確率は決して高くなく、どうにかして「みんなの広場」のことを報せてあげたくて京都の漢字検定協会に電話したら私の告げた女性の席と滅多にない高年齢から目当ての女性は容易に特定できたのだが、先様への連絡に付いては「個人情報」だ「守秘義務」だと宣って一向に埒があかず、結局近く毎日新聞に掲載されることだけ漢検から先方に伝えて頂けることになったのだが、次回10月の漢字検定に私が投稿を掲載された新聞を持参して相手の女性を待つ、と伝えて貰うことに決着した。漢検もまるでお役所のようで頭が硬くて融通が利かないな。悪いことをしている訳ではないから、受験者に対してもう少し融通を利かし今回のエピソードを漢検の宣伝にでも利用すれば受験者獲得に資するのでは…などと考える頭の柔らかい奴は居ないのか!文科省の役人でも天下りして居るのかな?などと考えて居たら、次の日再び漢検から電話があり例の女性に電話が通じ、彼女は私のことも良くご記憶だったそうだが、この方は年に一回6月にしか受験されないらしく、その旨の連絡であった(;;)。来年6月なんてそんな先まで私は元気で居られるやろか?彼女は住まいを旭が丘と言って居られたから、うちから徒歩で10分位の処に住んで居られる筈なんだが、ほんまに融通の利かぬ漢検にも困ったもんやな!
先日新聞の片隅に三宮のジュンク堂で法律書のカバーを取り替えてレジで支払いし1800円弱を騙(だま)し取った裁判所の職員が警備員に捕まったと書かれていた。「?」と一瞬戸惑ったが、考えて見ると最近の書籍は本自体ではなくカバーに価格のバーコ-ドが印刷されて居ることに気付いた。職員は高価な法律書のカバーに廉価な法律書(法律書は文庫本と違って分厚いのが高価だとは限らない)のカバーを差し替えてレジのバーコードリーダーを潜り抜けたものだが、キャッシャーは本の題名とカバーの題名など確認するゆとりなどまるで持たないし、まして難解な法律書とあれば尚更だろう(;;)。さすれば何故発覚したのだろうか?恐らく本棚周辺でカバーの交換作業をしている不審な様子が防犯カメラの映像で確認され、無線でレジ近くの警備員に連絡がありレジ終了を待っての呼び止めで発覚したに違いない。万引きさえなければ本屋は存分に儲かる商売だから、昨今書籍店が万引き対策に全力を挙げて取り組んでいることに気付かなかった此の裁判所職員が愚かだった、僅か1800円余りを惜しんだ結果が警察の方は職業柄起訴猶予になるだろうが、役所への通報で減俸10分の1三ヶ月とか懲戒されることになったろうから、将来の昇進停止や肩叩きなどを併せ割の合わぬ努力だったな(;;)。それにしてもカバーの差し替えとは流石知恵の廻る裁判所の職員だ、若しかして判例で同じ手口の事件があり真似たのかも知れないな。書籍店も最近は万引きに加えて客の電子書籍への移行更にはアマゾンなど通販業者の攻勢が物凄く売上不振に悩んでいるところだから、この事件以後更に死角を減らすための防犯カメラの増設から警備員の増員まで気を配らねばならぬのは大変だろう(;;)。最近では本のスリットが挟まれていることで出店時に防犯ベルが鳴り響く方法も採用されているようだが、秋葉原の電気店なら兎も角未熟なアルバイト店員の多い本屋では客とのトラブルが増すばかりだろう(;;)。セコイ私など本屋で中身を斜め読みして気に入った本を物色しておいてアマゾンに発注することに決めているから重い本を持ち帰ることもなくラクチンだ(^^)。上手く行ったら中古本が検索できて1円で買えるもんな、その内書籍店は大規模店だけに淘汰されてしまうのではなかろうか(;;)。
滋賀県の児童虐め事件が遂に一面記事となり、九州の豪雨河川決壊を抑え込んだ(;;)。被害届不受理で味噌を付けた滋賀県警は捜査員25人体制から40人体制に増員し汚名挽回を図っているが、校長を初め教育委員会連中の責任を回避しようとする歯切れの悪さと見苦しさには全く腹立たしい。一言「虐められている児童を見て見ぬ振りして居た自分達が悪う御座いました。どうか懲戒免職にして下さい」と言えんのかいな!
先週の常用漢字表外読みの答え
事ここに到って道は(谷まった) (きわまった)でした。
今週の常用漢字表外読みの問題
心張り棒を(支う)

「交響詩ひめじ」

巷では計画停電とか脅かして原発反対に対する関西電力の嫌がらせが続いて居るが、停電はパソコン環境で仕事をしている者にとっては仕事に夢中になってサーバーに保存し忘れ、一日分の仕事が消えることだって考えられるから脅威だ(;;)。うちの家内など冷蔵庫にものを貯め込むのが大好きな性格のため、ない知恵を絞ってホ-ムセンターで発電機を買い停電に備えようと思っているようだが、燃料保管の問題もあるし上手く対処できるだろうか?

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お馴染み芦屋のNさんからお庭で咲いた「ねじ花」を送って頂いたのでご覧下さい。見たことない位大きな花だ(^^)。この花は名前通り捩(ねじ)れて咲くが、カトレアなど蘭の仲間であり世界一小さい蘭だとか…、百人一首の中で源融(みなもとのとおる)が詠んでいる「陸奥の しのぶもぢずり 誰ゆゑに 乱れそめにし 我ならなくに」の「もぢずり」は「ねじ花」のことだ、ラン科ネジバナ属の多年草であり、別名を綟摺(モジズリ)と呼ぶのだ。この花は不思議に芝生のような土壌環境を好み、鉢植えなどでは中々上手く咲いてくれないから、芝生の根っこと「ねじ花」の根っこの相性が良いのではないかと思っている。
連日少し宛事件が拡大し、遂に大津市長まで乗り出してきて調査委員会まで設置され今朝の毎日新聞朝刊など社会欄五段抜きの過熱ぶりだった。その内熱(ほとぼ)りが冷めるからと警察を抑え込んで高を括っていた教育委員会であったが、此処に来て袖手傍観(見て見ぬ振り)していた先生共々窮地に追い込まれた:-)。全ては児童を無視して我が身の保身のみを謀ったことが連中の命取りとなったようだ。護るべきは児童ではなく先生自身だったとは人間として全くの教師失格だ:-)。
昨年10月大津市の中学生男子生徒がマンションから飛び降り自殺した問題で、生徒が同級生から暴行を受けていた事実があるとして、父親が昨年末にかけ3回にわたり警察に被害届を提出しようとしたが、大津署から受理を拒否された(;;)。男子生徒への暴行については、中学校では全校生徒に実施したアンケートで、44人が記名の上、「体育大会で集団リンチに遭っていた」「万引をさせられ、殴る蹴るの暴行を受けていた」「自殺の練習をさせられていた」「先生は嗤って見ていた」などと生々しい具体的な証言を行っているし、男子生徒の父親は複数の同級生から独自に聞き取った暴行の証言と学校の調査結果を基に、生徒が自殺した後大津署に出向き暴行容疑の被害届を提出したいと三回も申し出たが署員は「犯罪としての事実認定ができない」として受理を断ったそうだ。あの事件の不受理が公にされて以来私なりに種々不受理の理由を考えて見た。父親の再三の申し出に対し一署員が独断で受理を断ったとも思えず、受理と事件の調査とは直接関係がないから被害届位受け取ってやればよいのにと思ったのだが、どうやら此の事件には県警と教育委員会の意向が深く関わっているように思った。同署は「一切、答えられない」としているが、「教育委員会から受理しないように県警に依頼があった…」などとは口が裂けても答えられないよな:-)。  
官庁と謂うものは縦の繋がりばかりか横もしっかり繋がって居るんだろう、この問題が表沙汰になると教育委員会とて標的になって糾弾されるからそれを防ぐための緊急避難であったろう。教育委員会には退職警察OBを学校の警備員にでも雇用する慣わし(警察への貸しとでも言うべきか)でもあるのに違いないぞ。
役所間の繋がりと謂えば、今は去ること40年も昔のことだが、関与先の医者が税務調査で不正を摘発された折、普段「税金は国民の義務です」なんてシラコイことを言って居た医者が「検察庁に親戚が居るので手を回して抑えます」と平然と言われ、事実税務調査はそれきり尻切れトンボなったことがあったが、不正を発見した調査官は上司から調査ストップの命令を聞き、折角の手柄が画餅に帰した遣り切れなさをどう処理されただろうかと考えたことを思いだした(;;)。税務署長は赴任したら先ず検察庁へご挨拶に行くそうだから、役所間には我々市井人には分からぬ柵(しがらみ)や貸し借りが色々あって、表から見えない処では権謀術数が蠢(うごめ)いて居るんだろうな:-)。
学校の先生と謂えば「痴漢」に「盗撮」が決まりであったが、今回更に「児童の虐めを無視する」まで加わったから、次は何だろうな?
不愉快な話題はこれ位にして口直しに、昨年YOUTUBEに投稿された「交響詩ひめじ」をご紹介しよう。私の両親は姫路の出身であり、私自身戦時中疎開で姫路に3年余り生活したから姫路は懐かしい街だ(^^)。
姫路と謂えば、60年位前の学生時代初めて上京した折、国鉄の乗務員が駅員さんも車掌さんも「姫路」のことを誰もが「ひめじ↓」と前下がりに呼ぶ違和感に甚く戸惑ったものだ(;;)、皆様もご記憶だろう。「のぞみ」が疾駆して日本が狭くなった今でも彼等は懲りずに「ひめじ↓」と前下がりに呼んでいるから一度でも播州の人間に新幹線の車掌をさせてみたいと思ったが、矢張りマニュアル通り前下がりに呼ばされるのだろうな(;;)。「ひめ」は「お姫様」と同じアクセントになる訳だが、播州でも「お姫様」は同じく「お姫↓様」と前下がりに発音するから、播州で使われる「ひめじ」は抑揚のない平坦な言葉であり「お姫様」の発音とは等しくない、国鉄に始まったかの此の妙な発音は一体何処から生まれてきたのか不思議でならなかったな。ひょっとしたら銀行のカウンター嬢(小母さん?)が決まって語尾だけ前下がりに嫌らしく口にする「お客様あ↓」の類いの悪しき営業語なのかも知れんなあ:-)。誰が言い出したんや!
交響詩「ひめじ」
この合唱団は日本民話の父と謂われる柳田国男が生誕した神崎郡福崎町(姫路から播但線で7つ目の駅)にある中学校の女子児童僅か13名の合唱だ。歌の上手下手で謂えばローカル地方の合唱コンクールでもあり、彼女達を上手いと言う者と下手だと言う者の賛否がコメント欄で犇めいて居るが、この辺りの年頃の子供達は先生の判断力と指導能力次第で隠されていた才能がどんどん伸びるもので、先生が子供達の秘めたる力を存分に引き出していると思った。歌を歌う場合、臍下丹田に力を入れるものだとは知って居たのだが、私が印象深かったのは、この少女達が指揮をする先生のさり気なく右手を上げる合図と同時に全員が左足を30cm程さっと左に引いて(前列真ん中の小さい子だけ20cmしか引かなかったけど…)下半身を盤石の姿勢としてから歌い出しを待つ姿勢を保ったことだった。これは基本に忠実な先生の教えであろうと思ったが、歌は口から出るけど実際にはお腹から出すものであることを重々納得したものだ。
標準語を話す女性司会者の言葉を聞いていて、「交響詩ひめじ」の語尾が下がらず我々の話す「ひめじ」であることに安堵したが、若し司会者が「交響詩ひめじ↓」と紹介したら観客は全員ずっ転けたろうから、矢張り「ひめじ↓」は変な発音なんだろうな:-)。
先週の常用漢字表外読みの答え
諸国の(賦)を載せた船が入港した。(みつぎ)でした。
今週の常用漢字表外読みの問題
事ここに到って道は(谷まった)。
此も先月漢検の準一級出題です。

無試験で東京大学に…

いろんなことのあった水無月(みなづき)も慌ただしく駆け足で遠くへ去り、文月(ふづき)を迎えることとなったが、何故か体感上一年の半分が過ぎ去ったとは到底思えず、古来漢書では「烏飛兎走」と謂うが、月日の経過の早さには唯々愕いてしまう、此もきっと歳のせいだろうな(;;)。40歳位までは一年が長くて年が変わるのが待ち遠しかったが喜寿を迎えてからの日々はまるでDVDを早送りしているようだ(;;)。

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庭の擬宝珠(ぎぼし)が綻び始めた。この花が寺社の欄干などの柱の上に付けられて居るあのお飾りに似ている処から擬宝珠と呼ばれるが、五重塔などの先端に飾られているのは「宝珠」だから、さしずめ擬(まがい)ものの「宝珠」であり、それで擬宝珠と名付けられたものだろう。とても丈夫な植物ですっかり忘れて居ても毎年梅雨に入ると咲いてくれる(^^)。この花は斑入りの葉が多いので(うちのは違うが)どことなく高貴な雰囲気を醸して居て、葉と花とセットで鑑賞するものであり花だけだと葱のようでまるで詰まらない。周囲が露草などの雑草でヤケにむさ苦しいが、この庭に生まれ育ってもうすぐ成虫になろうとして居るキリギリス達が鳥に見付からないための苦肉の防禦策なのだ。今日は雨なのでキリギリスも草葉の陰で休息していることだろう。
何時も古い話になって恐縮だが、父の代からの関与先で嘗て水産加工や畳藺草(いぐさ)を染める土の採掘をされて居た朝霧にあるA社のF社長は私より10歳年長の大正15年生まれで叡智の誉れ高く、理系の華とされ戦前我が国最高の教育機関である国立陸軍士官学校に進まれ昭和19年に卒業、直ちに姫路第三師団46部隊に配属し満州に進軍し終戦を迎えられ、帰国後家業に従事されて居た。才能豊かな方で財をなす能力にも秀でて居られたが、無念にもこと半ばにして16年前癌のため泉下の人となられたのだが、告別式の折ご自宅へ伺って何気なく拝見したら応接間の額縁に入った卒業証書の学校名が何故か神戸大学工学部となって居り、卒業年次は昭和23年3月であった。奇異に思いながらその儘忘れて居た処、先日10年近く前に没した作家の田中小実昌(東大哲学科中退)に就いて触れられた書籍を読み、アッ!と愕きF社長のことが想い出されたので私の独断と偏見に充ちた推理を皆様に聞いて頂きたいと思います。
大正14年生まれの田中小実昌は旧制福岡高校に入学する際、漢字の読み書きがまるでできなかったが、国語の答案は全部平仮名で書いて、それでも合格したとか…:-)、昭和19年には福岡高校を繰上げ卒業して赤紙で兵隊に取られ出征し、中国南京など各地を転戦して昭和22年帰国したら、当時復員軍人で高校を繰り上げ卒業した者に対して、お国から「何処の大学にでも入って良い」とお声が掛かったそうだ、其処で何となく東京大学文学部哲学科を希望したら無試験で入学できた多くの幸運児の一人となった(^^)。苦労も勉強もせずに入れた学校だったため有り難みが少なく、酒ばかり飲んで殆ど出席しなかったらその内大学を除籍されたそうだ(;;)。今の学生が聞いたらきっと勿体なくて震えが来て失神するに違いないが、大正の末期に生まれた青年と現代の青年の価値観の違いだろう、彼等には無残に引き裂かれた青春の代償としてこんな素晴らしい特権があったのだ!
田中小実昌は苦労して入って訳ではないから何も考えずに東大を中退できたのだろうが、東大中退の肩書きは「腐っても鯛」であって輝かしく、その後彼が作家として大成できたのはこの肩書きが大いに役だったに違いないと思ったものだ。
話を元に戻そう。具(つぶさ)な事情は分からないが、神戸大学の工学部が文理学部など他の5学部と共に実際に誕生したのはF社長の卒業証書の記載のある23年3月以後である昭和24年5月のことだ。当時A社のF氏は既に2代目として家業に従事され、土方のように毎日鶴嘴(つるはし)を振るって染土を採掘して居られたから、23年に未だできても居ない学校を卒業されるなど考えられず、ない学校に入学できたりその卒業証書があるなんて陸士卒ならではの荒業だったろう。熟々(つらつら)考えるに、終戦の混乱期が治まった昭和25年以降になって終戦の混乱期に学籍を失い、又学ぶべき学校を兵役のため犠牲にされた人達が東大への無試験入学などを暴露して糾弾し、お国に抗議したため恐らく内閣府が動き出し、戦時中「陸士」に在学した者を捜しだし「陸士」「海兵」は大学に準じた機関でもあるから今更違う大学へ行けとも言えないし、敗戦と共に消滅した「陸軍大学」「海軍大学」の卒面を渡すにもGHQの目が五月蠅いし、已むなく何処でも希望の大学の卒業免状が交付されることになったのではないかと推測した。きっと当時の文部省が内閣府に恫喝されて遡って架空の年月を記入した卒面を作成したにものだろう。何せ、戦争当時は所謂「陸士」と呼ばれた陸軍士官学校と「海兵」と呼ばれた海軍兵学校に入ることは東大に入るより遙かに難しかったと三島由紀夫の「金閣寺」にも書かれているから、東大を超える学校がないとなればお上も学校は何処でも良いと言わざるを得なかったろう。
因みに、三島由紀夫は19年に学習院高等科を首席で卒業し、宮中にて天皇陛下より恩賜の銀時計を拝受し東京帝国大学法学部に推薦入学した程の秀才だったが、身長、体重、体力、膂力に劣っていたため文武両道の「陸士」と「海兵」の入学は無念にも夢が果たせなかったものだろう(;;)。そのコンプレックスが後年「楯の会」を指揮して割腹自殺を遂げる遠因であったのかも知れないな。
戦前戦中、地方紙や中央新聞の地方欄には地元の人間が東大に合格しても記事にはならなかったが、陸士か海兵に合格したら必ず記事になるほどだったからその辺りからその凄さが分かるよな。そんな風潮であったから、F社長がお上の学士免状の申し出に対し、東大と返答すれば先ず東大の学士免状が貰えたのではなかったかと思われたが、さすれば一度位上京を求められたろうし、当時は交通事情も良くなく、生活に精一杯で交通費の問題も重大だし、今ほど学歴が重視される時代でもなかったし、深くも考えずにできたてホヤホヤの神戸大学にされたのではなかろうか(;;)。F社長とは仕事を離れてプライベートな会話をする機会がなかったのが返す返すも残念だが、社長の生前神戸大学の卒面にお目に掛かっていたら好奇心旺盛な私のことだから、事件の全貌を聞き出しF社長がこの件に関しどのような感慨を持って居られたか察することができたろうにと悔やまれてならない(;;)。
でも、今の若い人は我が国には戦前東大を超える学校が存在したなど私が言っても誰も信じはしないだろうな(;;)。まして無試験や推薦で東大に入れた者が居たなど、「冗談やろ」と笑い飛ばされるのがオチだろうが此は事実本当にあったことなんだぞ。
東大続きの話になるが、米ラスベガスで開催中のポーカー世界選手権で、東大出の日本人が初優勝を果たしたそうだ(^^)。東京都在住の木原直哉さんが先月末3日間の日程で行われたトーナメント戦に参戦し、419人の中から勝ち残った11人で優勝を争い、決勝の6人テーブルで米国人5人を退けた。優勝賞金は51万2029ドル(約4096万円)だったとか…。彼はポーカーの種目別の優勝者に贈られるブレスレットを笑顔で受け取ったそうだが、東大が世界の趨勢から取り残されて脱落の危機にある処をよくぞ頑張ってくれたなあ(^^)、彼は東大を出て現在プロのポーカー選手として世界を転戦中である異色の存在で、日本は囲碁では既に韓国中国の敵でなくなっているから、異国の文化であるポーカーでの勝利はせめて日本人の輝かしい誇りだ。彼は在学中から将棋部に属しバックギャモンで日本のトップクラスだったそうだから勝負勘は一流だったのだろう。
日本人はポーカーフェースと謂われ乍らもその利点が生かせず此まで世界で通用しなかったようだが、それはフェースの問題ではなく度胸と気迫の問題ではなかったか、木原さんは最終の勝負をきっとワンペアで勝ち取ったのかも知れないと思ったものだ(^^)。
先週の常用漢字表外読みの答え
小袖の(領)をつくろう。 (えり)でした。
今週の常用漢字表外読みの問題
諸国の(賦)を載せた船が入港した。
この問題も今回漢検準一級出題の一部です。此は辛うじて正解できました(^^)。

JALの社長はパイロット


梅雨も佳境に入り、雨が降らなくても蒸し暑い毎日が続いて居るが、昨秋植えた百合が見事な位大きな花を付けた。大きく重たい花なので先週の台風接近で倒れるのではないかと心配し添え木をして補強したため何とか無事だった。ホームセンターで球根を幾つか買ったもので種類は忘れたがこんなに大きな花が咲くのなら名前を覚えておけば良かったと後悔しているが、花が大きくなったのは育て主である私の腕前かも知れぬ(^^)。来年は球根を玄関先に移して道行く人の目を惹こうと思っている。若しかして今年大きな花だったため精魂力尽き果たして、来年咲かなかったりして…(;;)。

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先週のブログは試験疲れで筆が伸びなかったので、今週漢字検定の続きを書かせて頂こう。昔漢検の試験会場が山手短大だった折は二級の受験生が多くて自分の受験番号の教室を捜すのに右往左往したものだが、6年振りの二級受験で驚いたことに今回はたったの一教室であり、神戸市全部で受験者総数123名しか居なかったことだった:-)。学校単位の受験など別にあるにせよ、それは6年前とて条件は同じであり、大久保一族の漢検私物化を知った受験者層からの反感が未だに根強く漢検の受験者離れが進んで居ることを知り、雑踏に揉まれるような当時喧噪の会場雰囲気が懐かしく余りの隔世の感に唖然としてしまった。「250万人受験の漢検」と書かれた当時のパンフが妙に忘れられない(;;)。日本人にとって漢字は教養の原点だから漢検の衰退は残念でならぬ。
それにしても一般会場での受験者が大学推薦狙いの二級と漢字オタクの多い準一級とほぼ変わらぬ数とは世の中本当に変わってしまった(;;)。
午後検定が同じ時間のため一緒に受験した4級の孫娘に聞くと6級受験者と一教室の相部屋だったそうで、会場の神戸外大が広いせいもあって検定終了後三々五々帰宅する受験生の数の少なさに寂しくて泪が出たぞ。
仄聞だが、永年掛けて一級を合格した人の中には再度二級にチャレンジされる方が少なくないそうであり、私は此までその理由が分からなかっだが、自分が6年振りに二級に受験して見てその気持ちがよく分かった。一級挑戦時までに旧字体や難しい字ばかりを学ばれた人には常用漢字に限られる二級は大変な苦痛であり、準一級なら満点を取れても二級は自分の持てる知識が災いして190点台の高得点は至難の技ではなかろうかと思ったものだ。
その理由の一つは今回国語審議会も一気に196文字もの常用漢字を増やした疚(やま)しさのせいか、音読みのみの読みが過半数を占め日本語古来の訓読みが省かれている文字がヤケに多い(一部音読みが省かれている字もある)ことにある。日本人は音読みだけでは文字の意味が咀嚼(そしゃく)し難いから折角常用漢字に引き込んだのなら訓読みも一緒に参加させるべきだったのではないか。此までの常用漢字について表外読みとされた言葉は過去に夏目漱石など文豪が用いた故事付けの当て字が殆どであって、教科書などに使用されたため、仕方なく文部省が「表外読み」とか名付けて妾の子のように扱ってきたが、多くの常用漢字には音読み訓読みの両方が本来存在していたから今回の196文字については何故か隙間風が多く理解に焦燥感を禁じ得ない。一つでも訓読みを入れてあったら良かったのに…と思ったものだ。例えば「惧」や「慄」は「おそれる」の訓読みが記載されて居ないので、「ぐ」や「りつ」と言われても意味がまるで伝わらないからジンマシンが出そうで牴牾(もどか)しい(;;)。
10年近く前まで数年間うちの事務所に勤めて居た女性から先日電話があり、税理士試験に合格し税理士会に登録したいから私の実印を押して欲しいので伺いたいと依頼の電話があった。訊ねて来られ書類に判子を押しながら話をして分かったのだが、この女性、大学(神戸商大であり私の後輩)を卒業した翌年から税理士試験に挑み始め17年掛かって5科目合格を果たされたのだった(^^)。うちの事務所に勤めるとき既に4科目をクリアされて居たが、最後の一科目である「消費税法」に苦労され、更に10年以上を掛けて消費税を退治され漸く合格の栄誉を手に入れられたことにとても感銘を受けた。「石の上にも三年」とは良く謂われる言葉だが蝉でも7年経てば出てくるのに17年とは気が遠くなるような歳月であり、その間自分の実生活にも様々な変化があったろうし、好きな男性との縁(えにし)もあったかと思うが、結婚もせずに一つの目標に向けて最後まで挫折することなく合格の栄誉に輝かれたことを心から祝福したい。
先週触れさせて頂いたが、勉学に勤しむ青春時代であるべき時期に不運にも戦火に追われ、食べるものとてなかった終戦後の混乱期を懸命に生き抜かれた昭和5年生まれの漢検準一級挑戦女性や、17年掛けて税理士合格の女性などに接することができた此の6月は私にとって希望の灯に心が癒されるとても有意義な月だった(^^)。彼女達のド根性に肖(あやか)って私もトシのせいにして叶わぬ願いと諦めて居た漢検一級受験に向けて厚かましくも再び充電に邁進しようかなと思ったものだ。
片岡知恵蔵と謂えば我々の世代では知らない者はないほどのスーパースターであり、赤穂浪士仇討ち劇浅野内匠頭の役など見事な当たり役だった。吉良上野介を新劇の薄田研二が演じたこともその憎々しげな風貌から相乗効果だったな。戦後時代劇が進駐軍から剣劇映画の制作を制限され已むなく知恵蔵は「多羅尾伴内シリーズ、七つの顔の男」など現代劇に活路を求め、ギャングアクションものは圧巻で多くのファンを獲得し、三船敏郎、鶴田浩二、石原裕次郎、小林旭等のアクションスターの始祖となった。30年前80歳で帰天されたが、今年知恵蔵が50歳の時に誕生した長男であって35年間日航のパイロットを務められた植木基晴氏が日航の社長に就任され、先週日経夕刊コラム「人間発見」に登場されたのでアッと愕いた。
有名人の二代目は先ず親を超えられないとしたものだが、「腐っても鯛」である日航の社長の座を技術畑のパイロットから転身できたことは凄いなと思った。日航立て直しの祖である京セラの稲森会長が指名しての社長だから、親の七光りの筈がない。
植木社長が言われるには「若い頃は親父のせいで絶えず好奇の目に晒され、学校でも会社でも窮屈でならなかったが、社長になってからはやっと得をするようになった」とか…、それは社長になられてから接する取引先の相手が立場上70歳台の方が多くなったため、昔を懐かしがって頂いて親父さんの話で30分は保ち、商談も円滑に進むそうだ(^^)。この辺りも稲盛会長の計算に入って居たかも知れないな。
カエルの子はカエルで役者の子供は役者になる者が多くそれも親を超えられない役者が殆どだ。その中で慶応大学を中退してまで航空大学に進みパイロットの道を選ばれたのは本人の努力もさること乍ら、知恵蔵は晩年お妾さんと一緒に生活していたそうだから、きっとお母さんの力によるものだと思う。お妾さんに夫を取られたお母さんはきっと子供の教育に生涯の全てを託され賭けられたのではなかろうか。昔の母は誰も偉かったなあ、それに比べ今の母親は不甲斐ないぞ!子供に迎合することばかりに感(かま)け挙げ句子供にどつかれてるんやから態(ざま)ないよな:-)。
先週の常用漢字表外読みの答え
 破れた個所を布で(接ぐ) (はぐ)でした。
今は余り使わなくなりなったが、「はぐ」とは布、板、紙など平らなものを継ぎ合わせ更に平らにする場合に使う。
今週の常用漢字表外読みの問題
小袖の(領)をつくろう。
先週漢検準一級に出題された問題の一部です。
当然乍ら私にはできない仮名付けであったが、「つくろう」が「繕う」と書かれてない処に何故か意地悪さを感じた(;;)。

東京電力の昇給


本格的な梅雨のシーズンを迎えて居るが、梅雨と謂えば「紫陽花」だ。変わり映えしないけど猫の額程の事務所庭に咲く白い紫陽花をご覧下さい。数年前まではこの花の葉っぱにはカタツムリが留まって風情を醸していたものだが何時とはなく見掛けなくなって寂しいよ。ナメクジは厭になるほど沢山居るのにカタツムリだけどうして淘汰されたのかな?

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今日は日頃の心懸けが良かったせいか天気予報の雨マークも外れ傘も差さずに念願の漢検二階級受験を無事終了し安堵した。テストの時間より自宅から学園都市まで徒歩とバスでの2回往復(片道1時間)がきつい体力勝負であって帰宅後疲労困憊の体であり自己採点をする気力もないが、両方共に何とか合格点だけは確保できたようだ。
二級のテスト受験は6年振りのことであり、大学推薦入学を目指す多くのヤングギャル高校生に混じっての受験であったが、試験問題を見て此までの6年間準一級配当漢字主力の問題で複数あった解答の文字が二級は常用漢字に限られて居ることの縛りがきつくて解答に迷う問題に気遣った。小生の漢字環境があの頃とは随分と色合いを異にして居り、果たして正答できたかどうか疑わしい?
例えば「覆う 蔽う」(おおう) 「恨む 怨む」(うらむ)など、つい無意識に右側の字を書いてしまう。7年前なら常用漢字しか学んでなかったから何も考えずに左の正答を躊躇なく選べたものだが、歳月の経過は私の記憶脳を常用漢字外だった右の字にも移行させて居るのだった(;;)。右の字の「蔽」と「怨」は今回揃って常用漢字に指定されたから使用しても構わんと一見思い勝ちだが、常用漢字になったと言っても実はその字の読みが「蔽」は「へい」「怨」は「えん」の音読みに制限され、「蔽う」 「怨む」の訓読みは所謂常用漢字の表外読みとされ、準一級以上でしか用いられず二級の解答に使用すると×になるのだった(;;)。
午後準一級のテストで初めて私と同年配の方にお目に掛かった。前席だったのでお顔は見えなかったが項(うなじ)の気配でそう察した。帰路漢検四級に挑戦した中二の孫娘(テストが同じ時間だった)とバスを待っていたら、小さいお祖母さんがヒョコヒョコ来られて矢張りバスを待たれるご様子に、上着の模様からどうも準一級検定会場の前席の方と雰囲気が似ているので厚かましくも「アノー漢字検定に行かれて居ました?」と聞くと「ハイ」「準一級?」「ハイ」嬉しくなって四方山話をしながら「失礼ですがお幾つですか?」流石に返答を口籠もられたので「わたしはイノシシで10年生まれです」と言うと「5年ですねん」恥ずかしそうに答が返ってきたのにアット驚くタメゴローだった!この方81歳なのだ。一人暮らしで惚け防止に4級からスタートしてストレートに合格を果たされ、今日の準一級を迎えられたそうだが「参考書全部憶えてきたけど今日はあきませんでした」とがっかりされて居たので「私など今回が13回目ですよ。合否なんか別にして受験することを目標にされたら良いと思いますよ」とかお慰めしたが、計算したら78歳位からのスタートだから私など未だ未だ若輩者の若造だったのだ(;;)。「又10月にお会いしましょうね、お元気で」と途中の駅でお別れしたが、5年生まれのこの方から私は大きな希望と曙光を与えられた。10月再びこの方とお目もじするのを楽しみに頑張ろうと思ったものだ。
何時だったか夕刊に載っていた。今年度から京都府が介護サービスを受けずに元気に暮らして居られる90歳以上の方に地元商店街などで使える商品券を3万3千円プレゼントすると発表したそうだ。商店街も活性化するしとても良いことだと思う。但し、過去10年間に介護サービスを受けて居ず、且つ介護保険料の滞納がないと謂うセコい条件が付いて居るが、商品券の一部を商店街に負担させることで予算額の軽減を図るとか…(^^)、滞納不可の条件は若い世代に介護保険料の納付を奨励しているのであろうが此は大きな間違いで、納付記録の残る過去10年となれば80歳になって健康であればそれから滞納を止めれば済むことであり、アラフォーの世代への滞納解消へ期待はできない浅薄で単細胞な発想だ。ともあれ全国で初めての試みとか…(^^)、是非今後全国各府県に於いても自力で頑張ろうとする人達に対する希望が広がることを希(こいねが)った。
こんな話題に触れたのも一昨日神戸市から介護保険料の通知が来たからだ。年額10万円もの金額にビックリ!生まれてから一度もこの保険の恩恵に浴したことがないことを喜ぶべきだが、介護保険の受給者も健常者も同額の保険料は少し高すぎると思う。自動車保険にも無事故割引があるように、京都府の今回の試みを叩き台として私は今後介護保険料の割引制度の法制化を検討し、90歳と謂わず75歳の後期高齢者から介護対象者とならない人の保険料を5歳位の年齢で刻んで割り引くことで老人の自立心を促すことに資すれば良いと思う。現在90歳以上の方なら79歳から10年以上も介護保険料の負担をされてきたことでもあるし思い切って介護保険料を無料にし、85歳以上であれば75%割引し、以下50%、25%とすれば、愕く程要介護者が減少するのではなかろうか。この年齢層の方々は我々戦前派であって粗食に耐えて足腰は鍛えてあって身体は元来頑健だから、介護保険料を不当に搾取されることに抗議して、要介護者に身を窶(やつ)して居られる方が結構多いと思われる。依って保険料の割引制度が実施されればお年寄りは自立心に芽生え80歳代の要介護人口は急激に減少し、介護保険会計は黒字化するのではないかと考えるが如何であろうか。
一方、現在コーディネーターやケアマネの前だけ立ち上がれないお芝居などして介護の点数を上げて貰おうとする不埒な奴らが結構巷には多いが、コーディネーターやケアマネの一時の判断に任すことなく、介護の現場はヘルパーしか分からないから要介護者の日常の動作をヘルパーに監視させ、彼女達からデータを吸い上げて、こんな不埒な奴らは介護の点数を0点(全額負担)に下げれば似非介護対象者は自ずと自立せざるを得ないのではないかと思うがどうなんだろうか。介護保険料の通知書を受け取っていろいろと考えさせられたものだ。
東京電力が、平成25年度の社員一人当たりの平均年収を571万円と今年度より46万円引き上げることが先日分かったそうな(;;)。リストラ処か昇給とは魂消るな!申請中の家庭向け電気料金値上げのコストに織り込んであるそうだから盗っ人猛々しいと言わねばなるまいぞ。今年度見送った夏の賞与を来年度は復活させる計算で原価を見積もって居るから、この会社の偉い人達には自分達が公的資金の導入を受けて居る謂わば破産会社だと謂う認識にまるで欠けているのではないか(;;)。株価が161円(50円株に換算すれば16円)と潰れた会社同然だからこんな会社が社員に賞与を出すなど嘗て聞いたこともないが、親方日の丸とは役人上がりの経営者感覚を麻痺させる恐ろしいもんやな。
財政が赤字だからと給与をカットされる大阪市の現業職員と東電社員との大きな落差を我々はどう受け止めたらいいのか、東京電力へ橋下さんから厭言の一つでも言って貰わないと市長が吏員達から突き上げを喰って困るのではなかろうか(;;)。
常用漢字の表外読みの答え
水仕事で(亀)ができた。(あかぎれ)でした。
常用漢字の表外読みの問題
 破れた個所を布で(接ぐ) 「つぐ」は常用漢字の読みです。

無免許運転幇助罪

2012.06.10
昨年もご紹介したが、今年も高山植物のように岩から芽を出し花を咲かせる「岩さつき」の写真を芦屋のNさんから送って頂いたのでご覧下さい。今年は例年になく大きな花を付けています(^^)。戦前から百年以上も庭に鎮座して苔生(む)すこの岩こそ「雪の下」の背景に相応しいのではないかと思い、うちの「雪の下」の花が終わったら今度株を持参して岩の傍に植えさせて頂こうと思っています。

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愈々来週日曜日は私にとって8か月振りの漢検テストだが、近年頓に体調が捗々(はかばか)しくなく加齢のせいもあって前回のテスト時に確保していた漢字の記憶もまるで薄れ、ゼロから再出発の状態だから結果が危ぶまれるが、取り敢えず二階級制覇に向けて精一杯頑張ろうと思っている。
今回から新しい常用漢字が196字追加されたことは先月お知らせしたが、細部を検討してみると怪訝(おか)しな個所が幾つかある。新しい常用漢字に準一級の旧字体が用いられて居るものがあって、それではこれまでの常用漢字と矛盾することが露呈するため、それを繕(つくろ)うために、許容範囲とか言って折衷の字を登場させている:-)。補塡の「塡」は準一級からの降格だが此では真や慎の手前具合が悪いので「填」を許容字体にして辻褄を合わせ、更に「嗅(か)ぐ」の「嗅」にはテンが付いて居るが常用漢字の「臭」にテンがないため、苦肉の策でテンのない「嗅」も許容字体としてしまったからややこしい。「臭」の旧字体は「臭」とテンがあったことが発端だが、受験者もテンで悩まされることになり、「嗅」はテンがあってもなくても赦されるが、「臭」のテンありは×となるので要注意なのには困ったもんやな(;;)。一番不思議なのは「危惧」の「惧」だ、この字は目に足が二本出ている変な字で他に類を見ない処から、リッシンベンに「具」も許容字体とされたのに魂消た。一つくらい変な字があっても案外憶えやすいのと違うかなあ。大学入試推薦狙いの子供達が戸惑うぞ(;;)。
「淫」が遂に常用漢字入りを果たしたが、「生徒にどうやって教えればいいのか」と教育関係者からこの字の常用漢字入り随分反対があり頭を抱えたようだが、なに、此の手の字については大人より子供の方が遙かに進んでいるから、取り越し苦労と謂うものだろう。
先週厚生労働省が発表した昨年度の我が国出生率が前々年と同じ1.39であることが国民に大きな衝撃を与えて居る。今回の発表で特に恐ろしかったのは第一児出産年齢が前回より上昇して初めて30歳台に乗ったことだ(;;)昔は30歳台の出産を「マル高」と呼んで母子手帳にも記載され出産時の危険に対しての要注意だったが、今や「マル高」は40代に移行している。全ては食生活の充実により女性の体力が増したせいで、昔は40代前半だった閉経期が50代半ば以降となったことも出産年齢を大きく遅らせた動機だが、出産は体力のある若いときの方が危険が少なくて身体への負担も軽く30代40代の初産は如何に医学が進歩したからとてリスクが大きいと思う。処が医学上一番子供の産み易い20代は結婚していても経済的な理由から子供なんか産んで居られないのが我が国の実情だ。
此から生まれる子供達は団塊ジュニア世代の次の代となるから、高度成長期以降に生を受けた人達は暖衣飽食過保護を受けた報いは大きく、到底粗食に耐えた我々世代の者のように80代近くまで生きられるとは思われぬから、50年もしたら日本人の人口は7000万人を切るのではなかろうか(;;)。
若しそうなれば雇用の問題が解決するなど戯けた話ではなく、若者の減少は先ず教育産業が崩壊し、更には衣食住に関するありとあらゆる業種が生産調整に追いやられ、年金会計は破綻し日本経済は壊滅的な打撃を受けるに違いないから、アホな政府が何もせずに手を拱いているのが解せない。結婚しても出産できない大きな理由に保育所の絶対数が不足して居ることが指摘されている、政府も幼稚園は文科省、保育園は厚労省との縄張りを傍観して居ないで、早急に両者を統合させるなどして保育所を拡充し二歳児からの受入体制を全国的に充実させ、更には企業への育児休暇制度への慫慂などを積極的に実施させ出生率を増加させる努力を尽くすべきではなかろうか。20代で子供が得られれば30代になってからの出産第二児は第一子に世話をさせると謂う戦前型子育て全員参加の家庭環境を取り入れたら現代のバラバラ家族と違って家族の絆や連帯感が強くなるのに違いない。処が現実は第一児を欲しくても子供を預ける保育園がなくて子供が作れない親達がゴマンと居ることを政府は知って居乍ら態と素知らぬ振りをしているのだ:-)。幼稚園と保育園の所轄官庁をどうして一本化して風通しを良くしないのだろう。国民の困窮を無視しての省益の囲い合いなど恥ずかしくないのか!
丹羽宇一郎駐中国大使(元伊藤忠商事社長)が先週英紙インタビューに対して東京都による尖閣諸島購入計画を「日中関係に極めて深刻な危機をもたらす」と批判したのには、私は多くの日本人同様この人を高く評価していたから愕くと同時に幻滅した:-)。恐らく彼の発言は周囲の中国人への阿(おもね)りと自身の生活が脅かされ生命の危機を慮ってのものかと思ったが、命を捨ててでも我が国威を護るのが大使の役目ではないのか!
万一大使が襲われれば中国が世界中から糾弾され、大使は軍人でなくても靖国神社に祀って貰えば良い。そうすれば総理や閣僚が靖国参拝してもチャンコロ達は一言も言えないだろう。丹羽大使さん、もう一度記者会見をして「尖閣諸島は太古の昔から日本の領土ですよ」と言ってやれば?
実は、私は尖閣諸島買取資金15億円のうち既に10億円の寄附を集めた石原都知事の姿勢に手を焼いた政府が丹羽大使を秘かに口説いて言わせたものではないかと内心考えて居るが、この大使そんなにヤワな人ではないと思うんだがなあ(;;)。
亀岡市のむごたらしい交通事故で被害者の家族達が無免許運転に対して厳罰を科するように署名運動に乗り出すそうな(;;)。然し、彼等は何か大きな勘違いをしているのではないか?無免許運転の罰則を重くしたから事故が減るなんて私にはとても思えない。無免許運転等未成年者の犯罪は全て子供に対する家庭での親の教育が問題であって、両親が力を併せて子供達を思慮深い自制心のある人間に育て上げれば彼等が無免許運転など起こす道理もないから、罪の一端は子供達の教育を怠って放任した両親にあると思う。然らば、今後法改正して無免許運転の罪を子供にだけでなく両親も幇助罪に取り込めれば、親も我がことばかりに感けて居ないで少しは子供の倫理教育に身を入れるのではなかろうか。
先週の常用漢字表外読みの答え
彼は(謙った)態度を崩さなかった。(へりくだった)でした。
今週の常用漢字表外読みの問題
水仕事で(亀)ができた。 「亀」は晴れて新常用漢字になりました。