馬小屋と言われた霞中(カスチュウ)

 

11日もあったゴールデンウイークも漸く終わりましたが皆様の大連休は如何でしたか?90歳を半年後に迎える私は何処へも行かずに囲碁のネット対局と畑の世話に明け暮れて居ました^^。

今日は学舎の話のお約束でしたね。昭和23年私達が通う現垂水中学である「霞ヶ丘中学」は電気もガラス窓もなく雨が入らぬよう低く長い屋根があって雨風を防いでいる通称馬小屋と謂われて戦時中軍用品の倉庫にでも使用されていた仮校舎でした。1年生の担任が予科練帰りの長浜先生であって生徒を殴ったり投げ飛ばしたり、軍国主義をその儘引き摺った先生でした 。
何故か被害者は何時も私であり、原因は前の席に座っているアメリカ帰りの生意気な太っちょの女子が英語の質問にペラペラ得意げに答えるので、彼女が座る際を狙って私がさっと椅子を横に引き、良く肥えた彼女を床が痛むほどUの字にドシンと転倒させて居たので教室の後部の踊り場で先生に背負投げを二連発食わされ、多くの女生徒たちの許しを乞う泣き声の合唱によりお許しが出るのが日常でありました。

月日の経過により学舎の老朽化が酷く急遽歌敷山に新校舎を建設することとなり、その時間待ちのため、遥か西に聳える山の上にある星陵高校の四階に寄留するとなって私達霞ヶ丘中学と舞子から「細道」と名付けられた文字通り細い山の峠道を上ってくる舞子中学の生徒と同じ校舎で学ぶことになったのですが、下畑から来る生徒だって居ましたから舞子からは急坂さえ我慢すれば通える体力を皆戦時中に身につけていました。

その星稜高校の四階には威風堂々とした子供心に国会議事堂もかくやと思われる大講堂があったのです。その大講堂は後年バブル当時土地持ち亡者共を相手に一儲けを企んだ神戸銀行が企画した「不動産の相続税対策」と銘打って土地持ち極上顧客に「うわもの」を立てるお金を貸すために相手に私に講演をさせた神戸銀行本店の講堂を彷彿させ、懐かしさが籠みあげてきたものです。
(次週に続く)

先週の読めそうで読めない字  清拭(せいしき)

今週の読めそうで読めない字  権力に(抗う)

 

 

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