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「坊ちゃん」(漱石)を読んで

皆様あけましておめでとう御座います。昔々朝霧にあった事務所で98年に開設したホームページも06年からブログに移行し今年で15年目を迎えることとなりました^^。現役で仕事ができる間はブログの更新を続けたいと願ってきましたが、思えば長い歳月でありこんなに長く仕事をして居られるなんて夢のようで唯々感慨無量です。ブログ更新がきっと私に仕事への活力を与えてくれて居るのでしょう。本年もどうか拙いブログにお付き合い下さい。

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秋に、近くにある作家筒井康隆邸の右隣の崖にランタナ (花期8月-10月) が咲き乱れて居たので先ッチョを幾つか失敬してコップに挿して栄養剤HB101など与えて窓辺に置いて居たら4週間位で茎から髭のような根が出た、根が10本程度に増えた頃4号鉢に植え替えて事務所一階の玄関内と二階の窓際で数鉢育てたら正月前にナント二階のが(上の写真)咲いた^^、此の寒いときに魂消たな、一階の方は道を隔てた向かいの家の関係で一日に2時間しか日が当たらないが事務所の暖房のため6時から21時位まで20度位あり、二階はずっと日が当たって居るが暖房なく日中(ひなか)ほぼ10度弱だから咲くなら誰が考えても日照より温度が勝ると思ったのだが1階のは(下の写真)蕾すら付かない(;;)、植物には矢張りお日様の恵みが必要なことがよく分かった。ランタナ君寒いのにご苦労さん^^。

正月休みのつれづれに何十年振りかで漱石の「坊ちゃん」を読んだ。歯切れの良い文体のリズムが躍動し何度読んでも面白い、この小説がいつの時代になっても名作として読まれている原因はこの小説に流れている温もりだと思う。此は漱石の自叙伝だがこの小説の中で一貫して坊ちゃんの心を占めているのは学校でも赤シャツや山嵐やうらなりでもマドンナでもなく、先生になって田舎の松山へ出かけた坊ちゃんの帰りを東京でひたすら待ち侘びて居る下婢のお淸であることに誰もが気付かされる。「坊ちゃん」の真の主人公はお淸ではあるまいか。此の作品から暖かさを感じるのはお淸が存在するからだ。「坊ちゃん」の呼び名もお淸の呼び掛けの言葉であり、他に誰も彼を「坊ちゃん」なんて呼びはしない。お淸は年寄りだが「坊ちゃん」には恋人以上の存在だったのだ、其れが証拠に、小説の終わりに至って俄に…俺は淸のことを書くのを忘れて居た…、…おれが東京に着いて下宿へも行かず革鞄を提げたまま「淸や帰ったよ、」と飛び込んだら、「あら坊ちゃんよくまあ早く帰ってきて下さった」と涙をぽたぽたと落とした。おれも余り嬉しかったから、もう田舎には行かない、東京で淸とうちを持つんだと云った…。
恰も長く逢わなかった恋人との再会を彷彿(ほうふつ)させる章(チャプター)だが、漱石のお淸への深い愛情があふれ出ている。……淸は玄関付きの家でなくっても至極満足の様子であったが気の毒なことに今年の2月肺炎で死んでしまった。死ぬ前日俺を呼んで「坊ちゃん後生だから淸が死んだら、坊ちゃんのお寺に埋めて下さい。お墓の中で坊ちゃんの来るのを楽しみに待って居ります」と云った。だから淸の墓は小日向の養源寺にある。……此処でこの小説は終わるが、最後「だから」の重い言葉に漱石のこの小説への全ての思いが籠められて居る。恐らく若い頃の彼にはお淸のような下婢が実際に存在し、その女性の死に直面した深い悲しみが心に染みついており、彼女への追慕の念が「坊ちゃん」の作品の背景になったのだと思う。或いは彼が結婚に踏み切ったのもお淸の死であったかも知れない。処で漱石の奥さんの旧姓はキヨであったし、未完の絶筆となった「明暗」の主人公の嘗ての恋人が矢張り清子であったが、漱石には「淸」には深い思い入れがあったのだろう。そして漱石は大正5年49歳で帰天したが、ひょっとしたらお淸が雲の向こうから「坊ちゃん、早くに来て下すった、お待ちして居ましたよ」とハラハラ涙を流して喜んだのではあるまいか^^。
国語の教科書にはしばしば「坊ちゃん」が引用されるが、彼の性格が直情径行な個所などが多く、校長や教頭が「坊ちゃん」の被害に対し生徒の不始末を揉み消すのに懸命な事勿れ主義の個所など出る道理がない、ましてお淸なんか眼中にないが文部科学省は此の作品の意味を全く取り違えているのではないか:-)。
正月には他にも三浦哲朗の「忍ぶ川」と高橋治の「風の盆恋歌」などを読んだが、前者は芥川賞受賞作らしい駄作であって失望したが、後者は30年に亘っての悲恋を綴った渾身の力作だ、とても感動した。風の盆の音は聞けなかったが、何故か私はチャイコフスキーのピアノコンチェルト一番第一楽章の前奏部分の清冽を想った^^。

恒例の箱根駅伝は予選会から出場した日体大が往路復路共に制し前年19位の屈辱を晴らし30年振りに勝利の美酒に酔った。下馬評にも挙がらなかった日体大優勝の秘訣は同大学出身で元西脇工業の監督を42年も務め都大路8回優勝の記録保持者渡辺公二氏75才が自らの教え子である別府監督に請われこの4月から母校の特別コーチとして選手の指導に当たったものであり「練習の量や質が良くても生活態度が悪ければ絶対に勝てない。駅伝はタスキを渡すのではなく、心をつなぐもの」と渡辺氏は真っ先に生活面の改革に着手し、朝5時半から生徒と共に練習場の草むしりや掃除を実施し、午後10時半の消灯時間も厳守させた。耐えられず辞めていく部員も出たが、こんな部員はお邪魔虫で居ない方が良く、一切の妥協を排除しての優勝だったのだ^^、然しコーチが変わっただけで斯くも強くなるものかと誰もが渡辺マジックに舌を巻いたが、選手達は未だ子供だから、この人の言うことを聞いて居れば自分は大丈夫だとの自己催眠を促されたのだろう。区間賞は山登りの服部翔太一人だけだから如何に全員の力のバランスが取れていたか窺える。実力は東洋大学の方がずっと上だったが、選手達全員が力をだし切れなかったのは精神力の差だろう、♫王将の一節が聞こえるようだな。日体大は全員持てる力を100%出し切り無欲の優勝と見た^^。渡辺コーチに1000万円位ボーナスを支払っても此の学校は今春受験者の激増できっとモトが取れるに違いないぞ^^。
最後早稲田と帝京4位争いのゴール前の争い100mダッシュは面白かった^^。双方の駆け引きは帝京が勝り、二日間のレーで一番悔しい思いをしたのは10時間以上も走って、秒まで同タイム5位だった早稲田10区の選手だったろう(;;)。

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お正月に税理士会連合会から新春号の会報が届けられた。中には池田日本税理士会会長が自民党の安倍総裁を表敬訪問し握手などしている写真が幾つか掲げられて居た。総理とは10cmを越す背の高さが気に掛かったな(;;)、9月30日号では野田総理を表敬訪問した池田会長のクールビズの写真を紹介したばかりだからナント!その変わり身の早さに唯々驚くばかりだ。時の権力者に縋るためには節操なんて屁のようなものなんだろうか?

先週の常用漢字の表外読みの答
(薄)は秋の七草の一つだ。(すすき)でした。

今週の常用漢字の表外読みの問題
(能う)限りの努力を尽くす。

今年からバルコ出版の読者投稿であるパロディーやギャグに満ちた「御教訓カレンダー」三日坊主めくりから秀逸なものを今年一年ご紹介することにしましょう^^。
「愛って堪えるものなのね!」 → 「愛って絶えるものなのね!」 移り気な女

長男の嫁なんよ

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タンポポに良く似た鬼田平子(おにたびらこ)や酢漿草(かたばみ)には良く見られるが、此の寒いときに野菊が事務所の前コンクリートの隙間から花を咲かせたから珍しい。「ド根性菊」とでも謂うべきか。こんなに小さい株なのに二つも花を咲かせている^^。下の写真はお姉さんの陰に咲いていじけて居た妹が必死に頑張り1週間で姉を追い抜いて表舞台に躍り出たのだ、人間でも何でも兄弟姉妹は下の方が逞しいのは納得だな。
この種類の菊はうちの庭に生えて居ないから何処か他所から種が飛んできて発芽したものに違いないから大切に育てて来春には若葉を挿し芽にしてしっかり根が張れる菊に育てようと思う^^。
此の野菊を見て居ると詩人伊藤左千夫の小説で幾度も映画化された、政夫と2歳年上の民子が奏でる『野菊の墓』の悲恋物語が懐かしく思い出される。この小説からは叶わぬ恋に身を焦がし乍ら、年上を恥じて去って行き黄泉の国に逝った女の情念が迸り、読む者の身を捩(よじ)らせるが、今なら年上など寧ろ大歓迎の時代だから明治時代は柵(しがらみ)が多くて大変だったろうな、「野菊」の花言葉が「純愛」などでなく「障碍」であったのも皮肉だった:-)。
私が愛読している日経夕刊のエッセイ「プロムナード」今年の下半期執筆者の一人は中村和恵氏だ。他の執筆者は誰も職業を作家とか脚本家と書かれているが中村さんは職業を「比較文学者」と書いて居られる。何だろうと広辞苑を繰ると「比較文学者」とは、二カ国以上の文学を比較して相互の関連や影響、特徴などを実証法的に研究する学者だと書いてある、ネットを見るとこの方は明治大学の教授であって小説や評論などを書いて居られるようだが、名刺の肩書きには明治大学教授とあるに違いないから、どうして職業を「大学教授」とされずに難解な「比較文学者」とされたのか、不思議に思って居たら先日ご本人から「プロムナード」上で種明かしをされた^^。どうやら彼女は自分の仕事に対ししっかりとプライドを持って居られ、「比較文学者」を大学教授如きと同列に論じられたくない矜持がまざまざと感じられた。世知辛い今の世は文学研究などでとても食って行けるものでないから、誰も学校の先生や翻訳や講演などで糊口を凌いで居られるが彼女もその一人であり、あくまで彼女は「比較文学者」であり、大学教授は餬ぎ(くちすぎ)のためであって本人にとっては恥ずべき職業なのだろうかと推測した。されば最近詩人とか歌人と謂う職業の人を見掛けなくなったが、今も詩人や歌人は居るに違いないから矢張り学校の先生や翻訳とか演歌の作詞などで生計を立てていられるのだろう。石川啄木だって小学校の先生だったもんな。中村和恵氏曰く、現在日本だけでなく世界中で詩や歌だけで食べて居る人は誰も居ないそうな(;;)。詩集や歌集を買ってくれる文学青年少女も居なくなって久しく悲しいよな:-)、戦前萩原朔太郎や三好達治は詩だけ書いて優雅な生活をして居たが、今は誰もが詩や歌を詠まなくなりトゲトゲして心に余裕のない生活を送っているのだろう:-)。その元兇は全て占領軍の意の儘に動いて文語体を禁じ「やまと言葉」の韻律を奪った文部省の役人だろうな。「係り結びの法則」が泣いて居るぞ、若者達から「係り結びって何や?」と言われそうだな(;;)。
トラックなら分からぬでもないが常用車の前の横の席はどうして誰も助手席と言って憚らぬのか。誰に聞いてもよく分からないので調べて見たら、戦前タクシーが円タク(1円で一定の場所まで走るのでそう呼ばれていた)だったとき、必ず横に男が座っていたそうな。タクシーなど殆どない時代だったのでこの男の役目は町の中で帰ろうとする酔客などを見付けて行き先に応じて料金を決めてタクシーまで連れてくる助手の役目だったから何時も彼が座って居る隣の席を助手席と言ったそうだ。今ではこの言葉は助手を意味することなく「助手席」で完結して「後部座席」の対の言葉になって誰も訝ったりしないのは何故かおかしいよな^^。
2回も最優秀男優賞に輝いた俳優の「ショーケン」こと萩原健一は「ひらかな」しか読めないので、結婚相手の姓名も「ひらかな」だったと何かに書いてあった(;;)、此はきっと「いしだあゆみ」のことでタチの悪いジョークだろうと思ったが、平仮名しか読めないで芝居の台本はどうして読めたのだろうか、著書も数冊あり、還暦を迎えた今講演まで引き受けられるそうだが漢字をどうして克服されたのだろう、彼は高校中退でいろいろあって刑務所に入っていた期間も数回ありそれも結構長かったからきっとその間に勉強して漢字をちゃんと書けるようになったのではないかなと私は思った。
今の公立高校の生徒には自分の名前が漢字で書けない奴が2%も居るそうだが、自分の名が書けぬのなら易しい漢字だって書けないに決まっている。親や学校の先生は何をしてたのかと訝しい。省みるに我々が学校で受けた勉強なんて一体何だったんだろうなと思ってしまう。誰も自分で勉強してたんだな、やる気のない奴は自分の名が書けなくても先生は何も言わなかったんだろうな:-)。
又、昔必死に習ってきたものでも、今は通用しないものも少なくない。「Have you a book?」なんて構文を大学まで10年間習ってきたが、今そんなこと書いたら鼻で笑われ×になるそうな:-)、昔我々が馬鹿にして笑った「Do you have a book?]が今は正解だとか…(;;)。be動詞はその儘でもhave動詞が使われなくなったなんて我々昔人間には衝撃だなあ:-)。
先週体力維持の点滴に行ったIクリニックでとても懐かしくとても良い言葉に巡り会った^^。点滴の注射は新しい看護婦さんだった。胸に付けたプレートの名札が読めないので「どう読むん?」と訊ねたら「カツチ」と教えてくれ、序でに「お嫁に行って変わったんよ」と言ってくれた^^。「息子に嫁を貰った」とは義父母が言っても、100人が100人当人が「お嫁に行った」の言葉は死語と化し「結婚して変わった」としか言わないから、若い女性の口から家単位の言葉に出逢うなんて思っても見なかったのでとても愕き且つ戦前の人間として嬉しかった^^。おまけに「長男の嫁なんよ」とまで言って微笑んでくれたんだ。彼女の言葉から紛いもなく家には舅も姑が居ることが察せられたから長男にこんなに良いお嫁さんが来て舅も姑さんもさぞ満足だろうな、仕合わせだな。今時「長男の嫁」なんて忌み言葉の見本のようだが胸を張って「長男の嫁」と言った彼女の明るい笑顔からははっきりと家を守る心意気が垣間見えた^^。今もこんな女性も未だ居るんだなあ、未だ未だこの世は捨てやもんでないぞ!と帰路一人で呟(つぶや)いたもんだ。彼女はきっと夫を愛し尊敬しているから彼の住む「家」にも愛情が持てるのだろうな。今風「貞女の鑑(かがみ)」と迄は言い過ぎかな^^。
先週の常用漢字の表外読みの答え
事の真相が(露)になる。(あらわ)でした。
今週の常用漢字の表外読みの問題
世界に(普く)知られて居る。

原発事故20km圏内の話

先週の月曜日、裏庭で栽培したさつまいもを収穫した^^。昨年は大根を植えて居たから目先を変えて見たのだが、西瓜の収穫のときも大根を引き抜くときも嬉々として参加した崖上ハイツに住むヤゴを見付けて呉れた少女が風邪で来られず盛り上がりのない芋掘りだった(^^)。

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収穫した甘藷の大部分で、真ん中の大きいのは挿し枝を取るための親芋です。切って炊くことになると思うがきっと美味しくないと思う(;;)。
うちの事務所入り口に置いてある小さい水槽には春に庭のビオトープで誕生したメダカ達が泳いで居る。ビオトープでも狭いのに30cmの水槽の中で飼い主のエゴの犠牲となっているのは可哀想だと思うがせめてもの罪滅ぼしにと餌だけは毎日3回しっかりと与え(ビオトープは1回)水替えも時々している。メダカと同居させられている川エビはめいめいてんで勝手に動いているが、不思議にメダカ達は決まって同じ格好をして同じ方向を向いて居るのが常だ^^、然し良く見ると群れと離れて一匹だけ反対方向に尻尾を振っている奴が居る。仲間外れにされたかなと思って見て居ると此奴は結構のびのびと水槽を行き来している。「僕は独りで生きているぞ、文句あっか!」と言わんばかり、60数年前ワルガキの時代に友達もなくクラスで独りぼっちだったが苛めっ子にまで敬遠されて居た狷介固陋な私とそっくりな性格の此奴にすっかり愛着を覚え、つい餌を此方に大目に撒いてしまうが、「同病相憐れむ」と言う奴かも知れないな、然しメダカにも個性があるなんて不思議だなあ^^。否、否、「一寸の虫にも五分の魂」と謂うではないか。
80歳の石原慎太郎が都知事を辞して国政に参画しようと新党を立ち上げ国会解散総選挙へと年末の気忙しいときに火蓋が切って落とされた。世界から見ればまるで「コップの中の嵐」だろうな:-)。石原都知事の辞職表明の理由として日本の官僚が「優秀だ優秀だ」と言われながらその実、継続性と一貫性に拘り物事を多角的に見る柔軟性に欠け、硬直した手法に拘泥するため地方の実態も知らずに机上で物事を決めて行く悪弊から脱却できずに居る弊害を挙げて居られ此等を打破すべく老骨に鞭打たれたそうだが、私も官僚に対して同じ思いだ、つい先だって私は原発ドラマ「希望の園」の筋書きを読んで、お役人は原発現地被害者について何の思い遣りも有して居ないんだなと思った。あの未曾有の大事件に際し役人は机上で20km圏内ルールを決定し現地を何も見ることなくこの線引きに固執した処に役人の国民に対する軽視を知った。20kmボーダーラインで分断された福島県の鈴木さんという方のご自宅の庭が20km圏内と圏外に真っ二つにされ、圏外とされた庭では手入れをされた花が咲き誇って居るのに圏外の方は手入れがされないため全てが枯れ果てて居るそうだ:-)。20km先のたった2mなら僅か1万分の1に過ぎない、花の枯れ果てた方には放射能が充満し百花繚乱の方は放射能が全く存しないなど誰も思って居ない。風が吹けば圏内は15kmにも25kmにも変化するに違いないから目安である20kmに執拗に拘る役人は頭が硬く融通が利かぬ天然のアホだ。役人の作った規則とは融通が利かぬものだが、四角い法律を丸く用いるのが役人の仕事だと思っていたから用いる方も真四角では誰も救われないぞ(;;)。「木を見て森を見ず」の格言があるが、こんな役人ばかりだから日本はアメリカばかりか中国、北朝鮮、韓国にまでバカにされ、せせら笑われるのだろうな:-)。過疎地帯だからまだしも良かったものの若し20kmラインが家の中だったらどうするのか、家を半分壊すわけにも行かず家全体が利用不能とされるのだろう、然しよく考えて見れば庭半分使用禁止なんてもっと残酷で惨いのではなかろうか、役人は「休まず、遅れず、働かず」だとよく言われるが、「融通の利かぬアホだ」も加えるべきだろうな:-)。
毎日新聞今朝の川柳にいみじくも投稿あり、「耳掃除してられるのも役所ゆえ」
急に文学の話に飛ぶが、志賀直哉の「暗夜行路」を10代と60代で二回読んで、時任謙作なる金持ちの放蕩息子が父親の妾を嫁に貰いたいなどと巫山戯(ふざけ)たことを言うつまらぬ自分史の小説がどうして名作だろうかと私は予て訝しく思って居たが、私が名もなき衆生の一人とあっては世人に公言もできず自分の浅学菲才のせいで彼が理解できずに居ると恥じてずっとブログにも蝕れずに居た。処が日本を代表する作家であり文芸評論家の丸谷才一が昨年書かれたたエッセイ集「月とメロン」の中で『志賀直哉の「暗夜行路」のプロローグを読んで閉口して此はダメな小説に違いないと思ったが果たして予感は的中した。読んでみてズバリでした。』と書かれたのを読んで思わず飛び上がった^^。昭和を代表する文芸評論家丸谷才一の目は誰よりも確かだから私の目も節穴なんかではなかったのだ(^^)/。志賀直哉は小説の神様とか言われて居るが、ヤフーの知恵袋など見ていると実際はつまらん作家やと書き込んで居る人が沢山居るのに気付いて目からウロコだった^^。そう言えばこの人長編小説は「暗夜行路」一冊きりだ、彼がどうして文豪だなんて謂われるのか不思議だな?
私は此の秋頃から前述丸谷才一の作品を読み始めたが先月87歳で急死され執筆中の作品が多く残されて未完作品として先日発売の文芸春秋に掲載されている。彼は東大を僅か3年で卒業された秀才で「博覧強記」の言葉がピッタリ当てはまる人であり、持てる知識の量の物凄さは作品を通じて犇犇(ひしひし)と伝わってくる。亡くなられた後アマゾンで購入する彼の書物(古本)の価格が値上がりして困ったが、暫くして治まったので今のうちにと未読のエッセイ集20冊ほどを全て購入した^^、山本夏彦翁のエッセイ集と併せて本年中に読破したいと思って居る。
先週日経の夕刊にて丸谷さんの追悼録が掲載されたが死ぬまでペンを放さなかった現役作家であり、「文人と謂う言葉がしっくりとくる古風な佇まいの作家だった」と結ばれていた。私のブログではこれから当分彼丸谷才一の博覧強記振りを存分に皆様にお伝えしようと思う。
先週の常用漢字の表外読みの答え
(謀)を巡らしているらしい。 (はかりごと)でした。
今週の常用漢字の表外読みの問題
(打打)発止と打ちあった
先週灘中入試問題の解答です
エラーでやらず(もがな)の追加点を与えてしまった。
「聞こえよ (がし)に悪口を謂われて腹が立った
まじめに働いてきたAさんの話を聞いてさも(ありなん)と思われた。
「私でも国語位は灘中の入試できるんや!」などと思われたでしょうね?

丸谷才一と大岡信

「秋の日は釣瓶落とし」とは古来謂われている俗諺だが、11月になると毎日のように、ほんに夜の訪れが早くなるのに愕いてしまう。此から来月の冬至まで毎日少し宛日が短くなるのだと思うととても憂鬱だな。
「いとけなき日のマドンナの幸(さっ)ちゃんも孫三(み)たりとぞe(イー)メイル来る」
とても頬笑ましい短歌だな^^、この歌は新聞や雑誌などに掲載された読者投稿などかと思ったら、ナント!平成16年宮中での歌会始にて召人(めしゅうど)(毎年1名特に天皇から召された者)として招かれた歌人大岡信(まこと)が御題「幸」により陛下の前で詠まれた歌だったのだ(゚ロ゚)。
上記の詠進歌を詩歌の仲間である評論家の丸谷才一(先月逝去)が絶賛し、彼のエッセイ集「袖のボタン」の巻頭に掲載した^^。彼はこの歌について言葉の芸が鮮やかで水際だった機知の遊びとお色気が斬新だと書いて居る。詠進歌には我々俗世の衆生には縁のない花鳥風月を主題にした味気ないものが多いが、俵万智も斯くやと思われる此の歌が歌会始の召人の歌だなんて魂消るほかない^^。この年は「幸おほかれとわが祈るなり」で終わる陳腐な歌が皇太子殿下と何とか殿下と3名もあったが、ま、皇族の連想力はせいぜいこの程度であり、此が歌会始には相応しいものだろう。
嘗て明治政府は天皇に対し歌会始に恋歌を禁じて居たそうだが、陛下は昔禁句であっても既に100年近くが経っているからと逡巡せずに懐広く、この恋歌の採用を決断されたものだろう。きっとご自身現美智子妃である正田美智子に恋をされた若き頃の憧憬を彷彿されたせいではなかろうか。然し召人大岡信の歌だったから赦されたものの一般からの応募ならこの歌は選者の目に留まらず一刀両断完全にボツだったろうな。御題が人名の一部に使われて居るところが瓢逸であって、常套句で占められる歌達を将に薙で切った型破りなスタイルであり詠進歌とはよもや思えない^^。丸谷才一もこれを存分に評価したのではなかろうか、処で陛下はeメイル(Eメール)を使われるのかな?
歌会始と謂えば平成9年の召人に、高橋是清などが射殺された2.26事件の首魁である栗原安秀大尉の同級生であり恋人であった斎藤史が選ばれたことだ:-)。彼女の父親である陸軍少将斎藤瀏は栗原大尉と娘との関係により事件に利したと見なされて長く投獄されているから、その後現代短歌の第一人者となった斎藤史が平成9年に召し出されたことは2.26事件の因縁の深い斎藤家へ天皇家の和解の申し出ではないかと噂されたものだ。
因みに斎藤史は銃殺刑に処せられた栗原安秀について下記の歌を詠んでいる。
わが道やここに在りきとかへりみむ三十に足らぬ一生(よ)をあはれ
天皇陛下萬歳と言ひしかるのちおのが額を正に狙はしむ
ひきがねを引かるるまでの時の間は音ぞ絶えたるそのときの間や
女性なのに「史」とは珍しいなと思ったが、実は出生時に斎藤瀏が「史子」と届けたのに戸籍係が間違って「史」にしてしまったとか…:-)。歌人としては「史」の方が相応しい名だから戸籍係も粋な間違いだったな^^。
同じく丸谷才一の著作「輝く日の宮」を読んでいたら中に芭蕉の俳句について面白いことが書かれて居た^^。評論や随筆の得意な人は小説を苦手としたものだが、この人の作品は評論だけでなく小説も結構面白い。
俳句「閑けさや岩にしみいる蝉の声」は「奥の細道」に収録されている松尾芭蕉の発句だが、元禄2年5月27日に山形県立石寺で読まれたそうだ。処が何を思ったか歌人の斎藤茂吉がこの句の蝉はアブラゼミだと雑誌「改造」に書いたのが発端となり、蝉の種類についての文学論争が起こり、翌年岩波書店の岩波茂雄が斎藤茂吉を始め阿部能成、小宮豊隆といった著名な文人を集めて討議したそうだから愕く(゚ロ゚)。
関東大震災の後で皆頭が怪訝しくなって居たのではないかと思うが歌人や文人には暇な人も居るもので読者は誰も呆気にとられたのではあるまいか。
アブラゼミだと主張する茂吉に対し、小宮は「閑さ、岩にしみ入るという語はアブラゼミに合わないこと」、「元禄2年5月末は太陽暦に直すと7月上旬となり、アブラゼミはまだ鳴いていないこと」を理由にこの蝉はニイニイゼミであると主張し大きく対立し、この詳細はある雑誌に寄稿されたが、科学的問題も孕んでいたため決着はつかず、その後茂吉は実地調査などの結果をもとに翌年誤りを認め、芭蕉が詠んだ詩の蝉はニイニイゼミであったと結論付けたそうだ^^。丸谷才一は此の蝉はミンミンゼミだと書いている^^。可笑しいよな、芭蕉が蝉の種類に詳しかったかどうか分からず、詠んだのは想像上のことであったかも知れぬから蝉の種類が論争の焦点になるなど噴飯ものだと思う。私は何より江戸時代の気候と昭和の気候と等しかったとは思わない、江戸時代如何に冬が寒かったかは当時の書き物でよく分かるから、地熱も当然に江戸時代と昭和では異なっていただろう、昭和に検証した蝉が250年前にも同じ時期に鳴いていたと断定するのは早計に過ぎるのではないか。蝉の声によって句の雰囲気や味わいが変わってくるかも知れぬが、其れは句を鑑賞する人が自分の世界で自在に想像したら良いのではなかろうか。世の中誰もがトゲトゲして居る昨日今日芭蕉の句の蝉の種類などが論点となった古き時代が懐かしいよな^^。
芭蕉には「古池や蛙飛び込む水の音」の名句があるが、私は此の句は事実描写ではないと思っている。何故か誰も蛙は水に飛び込むとき音を立てないと謂う事実を誰も認識していない。蛙は石ころではない、漫画などでよく蛙が飛び込んだ絵を見掛けるが、飛び込み台の水泳選手ではあるまいし…、何故なら蛙はするりと水に入り決して音を立てて水に飛び込まないことを私は知って居る。蛙は音を立てると鳥に気付かれることを本能的に察知して居るからだろうな。然し此の句は事実に基づかないもので嘘だという説を聞いたことがないから、誰も声を上げない、論題にすべきは蝉の声ではなく、蛙の方ではなかったのかな。
阪神タイガース金本選手の引退に伴う永久欠番問題に終止符が打たれた。答は初めから分かっていた。彼は阪神の生え抜きではなく広島カープからの移籍だったからだ…、と謂うのは表向きの話であり、内実は彼が韓国人であり日本人でなかったからだろうな:-)。
先週の常用漢字の表外読みの答え
(寿)ければ(則ち)(辱)多し、 
(いのちなが)ければ(すなわ)ち(はじ)多し
今週の常用漢字の表外読みの問題
(郭詞)が板に付いてきた。
先週の漢検テストで出題されました。

夏目漱石と寺小屋

9月も半ばを迎えて、夜になると虫の声が喧しく、暑い暑いと言い乍らも秋が来たことを実感して居る。明日は本年5回目の振替休日だが1回目は1月2日だから実質的には4回目だ、未だ2回も残っている。こんなに沢山連休を作って貰っても不景気で給与も上がらず遊びに遠出する人達も多くないだろうから、仕事の疲れを取りたいサラリーマンにとって休日は水曜日位を振替休日にして貰った方が身体には優しくて良いのではなかろうか。
カレンダーには昨日15日は老人の日、明日17日は敬老の日となって居るが、老人の日ってなんだろ?街で買い物をしても何も負けて呉れなかったし:-)。
先日、漱石の「行人」(若いときから数回目だ)を読んで居たら、玄妙にして巧みな当て字にお目に掛かりウーンと唸ってしまった。彼の当て字は夙(つと)に有名であり、今や常用漢字の表外読みに多く用いられ辞典にも掲げられて居るから、誰もが漱石発とは知らずに平気で使っているが、今回「行人」でお目に掛かったのは「こそこそする」だった。ナント!「狐鼠狐鼠する」と書いてあったのだ!「こっそり」から来た言葉だから少し違う感じもしたが、「狐鼠狐鼠」とは言い得て妙であり、隠れて良くないことをするのだからイメージもピッタリで昔は本当にこんな字があったのではないかと疑った、然し広辞苑にも新潮国語辞典にも明鏡国語辞典にも平仮名しか書いてなく、矢張り漱石流の当て字なんだなあと思ったが念のため今春手に入れたけれど私には文字が小さすぎて読めないので孫に遣った大槻文彦著「大言林」を見て貰ったらこの辞書にはちゃんと「狐鼠狐鼠する」と書いてあったそうだ^^。漱石はきっと「大言林」を見て書かれたのであろう。狐と鼠に罪はないが昔の人は上手く当てたものだと数日の間感服頻りであった^^。
最近は漱石を読み返すことが多い、先週も就寝前に「三四郎」を読んで居たら、今度は寺子屋のことを寺小屋(新潮文庫232頁)と書いてあった。漱石は稀代の文豪で教科書にまで載せられ、顔写真が千円札にまで使われて、国語の神様とまで思われて居るが此の誤りには甚く愕いた。まさか新潮社が原稿を読み間違ったとは到底思えない「弘法も筆の誤り」で国語の神様もついうっかりペンが滑ったものと思われるが、此ばかりは漱石の造語だと承服する訳には行かないぞ。この言葉は寺子が主語であって寺ではない、従って「寺に集う子供達が学ぶ処」を「寺子屋」と呼ぶので、断じて寺小屋ではないことがお分かりだろう。漢字検定4級辺りの「誤字訂正」に良く出てくるから私も憶えて居たが、でなければその儘読み過ごしてしまっても誰も気付かなったのかも…(;;)、漱石も人の子だったな^^。
尖閣諸島が中国に侵略されようとしたとき中国を刺激することを恐れて民主党政府が袖手傍観見て見ぬ振りをしようとしたことに対し、石原都知事がことを愁いて所有者の承諾を得て東京都で買うと表明した。処が都知事に賛同した国民からの寄附金が14億円まで届いた今になって所有者が売買代金を当初約束の15億円から20億円に値を吊り上げ先日政府に売り渡すことに決めたそうだ:-)。政府が政府なら金で面(つら)を張られて都知事との約束を反故にした持主も持主だな、持主の栗原氏は私と同世代の人間だと思うが戦争に負けてチャンコロに大きな顔された屈辱を忘れたのか!態度を変えた理由は「寄附金に抵抗があり、心苦しかった」そうだが、ものには言いようがあるもんだな、野田政権の使う税金だって国民の寄附みたいなものであり寄附よりもっとタチの悪いものだろが…:-)。国もそんなに金が余っているなら福祉予算にでも使ったらどうなんだ!
苦境に立った石原都知事は此までの寄附金を国に渡すと発言したのを撤回したそうだが、一体から14億円をどう処理するつもりだろう。抑(そもそも)寄附金は石原都知事の侠気に対して国民が同意したものだから、東京都が買わぬとなると寄附金は宙に浮いてしまう。私は14億円を募金者に返却されるべきだと思うが、寄附金控除の証明書を依頼すべく住所氏名を明記して振込通知書を都に送った方以外は相手先不明で返還を受けられなくなる(;;)。東京都在住の方なら都のために有効に使って貰えば…と懐の深さが示せるだろうが、他府県の方は尖閣購入資金に使用されないと詐欺みたいになるぞ!

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私は尖閣を断じて野田政権の手に渡したくなかったから、石原都知事を信頼し侘びしい懐を遣り繰りし寄附したものだが誰が一体どうしてくれるのか:-)。
先日の夕刊で面白い記事にお目に掛かった。「憂楽帳」と名付けられ記者さん輪番でのエッセイだったが、記者である筆者が関西から東海地方に転勤になるとき幼稚園から小学生になる娘に「向こうではお友達の話す言葉が違うからね」と話したら、「あっちでは『なんでやねん』をどない言うのん?」と聞かれ返答に窮し、「あっちでは『なんでやねん』に当たる言葉はないんや」と教えたが納得行かぬ様子だった。と書かれていたので、『なんでやねん』はあっちでは「どうして」とか「どうしてなの」でよいのではないのかと私は疑問に思ったが、後を読んでみるとこの少女が言いたかった『なんでやねん』は単なる疑問詞ではなく関西地方で日常使う「つっこみ」であり、相手に返事を求めず双方がワハハ^^と笑って終了する会話の終着駅だったのだ^^、其れを察した上でのお父さんの返答だったのだが、トンマな私は全くその雰囲気が全く読めずに気付かなかったのは恥ずかしい(;;)。諧謔とでも謂うのかユーモアなのかこの言葉は関西独特の所産であって、転居先の東海地方では誰もボケやつっこみなど全く使って居らず、此の少女は大阪とは別世界で戸惑い息が詰まった生活ではなかったかと思ったものだ(;;)。
関西弁と謂えば乱暴だが何処かフンワカした河内弁が興味深い^^、私は若いとき親に勘当されて八尾に住んで居たことがあり、此処の河内言葉は得も言えぬ可笑しさがあり、会話の語尾に「あほんだら」とか「ボケ」が付いて喧嘩腰のようだが良く聞いてみると温かい心が通っていて、仕事などで上京する度に何時も怒られているよう冷たくに感じる「ご機嫌よう」とか「…して呉れ給え」と他人行儀な東京言葉と実に対照的だった。大映映画の「悪名」(古い話でゴメン)で浅吉の子分である清次こと田宮二郎(此の映画でスターになった)の河内弁の威勢の良い諧謔で思い出されたと思うが、我々関西人には慣れっこになって居る会話での言葉の遊びを他の地方の人はどんな風に受け止めて居られるのか考えれば興味深い、田辺聖子さんは「あほんだら」や「ボケ」は決して相手をアホと思って言って居るのではなく単なる会話の終了時のオマケ言葉だ、といちいち著書に注釈を付けて居られるが、成程、知らぬ他所の人が聞けば「どうしてこの人は相手にこんなに面罵されねばならぬのか」と訝しがられるよな。相手との距離をなくし親愛の情を示す反語なのだと知るのに時間が掛かる。
関西弁は好きな男に対する女性の言葉にも関西独特の色気と情緒があり、標準語で「私を捨てないでね」は命令口調で男の反感を買うが、関西弁で「うちを放(ほか)さんとってな」は男が聞いたら可愛くて抱きしめたくなる殺し文句だ^^。男の言葉にしても「君を愛している、結婚して下さい」などよそよそしい言葉より「めちゃ好きやねん、一緒になろ?」の方がずっと相手の心の琴線を激しく掻き立てる言葉ではなかろうか。何故か知らぬが狭い日本でも関西だけが異次元の文化を共有して存在し、言葉のアクセントにしても岡山県と愛知県の間にある六府県だけ異なっているのは不思議でならない。大古は関西地方だけ一つの島だったのが地震か何かで引っ付いたのではなかろうかと思ってしまう。何故なら他所の人にはどうしてもマネのできないのが関西弁であり、どんな上手い俳優でも関西出身でないと必ずアクセントにボロが出るから可笑しいよな^^。「憂楽帳」に導かれ、柔らかくて温かい関西弁の中で育ったことをつくづく仕合わせやと思ったものだ^^。実を言えば、毎日傍に居て五月蠅くしている婆さんは「めちゃ好きやねん、一緒になろ?」此の一言で50数年前コロリとその気にさせた^^。そのとき勿論彼女は「うちを放(ほか)さんとってな」と言ったものだ(^^)。そのとき何気なく「うん」と言ったお陰で今では放したくてもしがみついて離れない…(;;)。
先週の常用漢字の表外読みの答え
彼奴は(敏捷い)奴だ。(はしかい)でした
今週の常用漢字の表外読みの問題
新聞紙で野菜を(包む)
(つつむ)は常用漢字の読みです。

「のらくろ」と小林秀雄

漸く9月の声を聞くこととなったが、秋の虫の声も余り聞かれず夏が終わった実感がない(;;)、2週間以上になるだろうか一昨日夜に漸く雨の音を聞いたが懐かしかった^^、然し暑くてとても「セプテンバーソング」など聞く気にもならないので仕方なくヘンリー.マンシーニの「ひまわり」など聴いて気怠い気分に浸って居る。此の曲は戦争が愛する二人を分かつこととなった悲しい映画のテーマソングで私の好きな曲であり、ハーモニカの演奏など哀愁を帯びて居てとても良いと思う。

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「ひまわり」の映画を見たのは40年も前だが、よく憶えて居らず先週ビデオショップからDVDを借りてきて視聴した。戦禍により死屍累々の雪原から負傷して死線を彷徨(さまよ)って居たアントニオ(マルチェロ.マストロヤンニ)を救い出し、彼との間に子供まで儲け貧しい乍らも家庭を守っているマーシャ(リュドミラ.ザベーリエフ)が写真に見られるように楚々とした美人で印象的だったな。ソフィア.ローレンが主演だが彼女はでかくて可愛くないからアントニオが自分を救ってくれた可愛いマーシャに惹かれたのは当然だったと視聴者誰もが思ったろう。此の映画は作曲がヘンリー.マンシーニでなければヒットしない駄作だったと思う(;;)。外国映画は「ある愛の詩」、「太陽がいっぱい」のように駄作が音楽によって名作に昇格しているようにテーマミュージックの可否が映画の価値を決めているが、映画の主題歌だけが単体でヒットする日本映画などでは到底考えられないことだ。それにしても映画に出たあのひまわり畑は壮大だったなあ。当時のソ連は撮影の許可が下りなくて、已むを得ずスペインでの撮影だったそうだが、飛行機ででも種蒔きするのだろうか?
又々古い話で恐縮だが40年を去ること30年と70年も前のこと、当時一世を風靡した漫画「のらくろ」を憶えて居られるだろうか。布製ハードカバーの此の本はメチャ魅力的だったが、我々貧乏人には高嶺の花であり、此の本を持っている奴は学校でも数人、裕福な家庭の子弟だけであり、ゴマすりの取り巻き達が呼ばれて見せて貰っていたが、私など疎開組は只指を咥えて僻んで居るしかなかった(;;)。この本は田河水泡と云う人が書かれたワンちゃんの漫画であり、主人公の「のらくろ」は新兵から大尉に昇進するのに11年間掛かった。次は少佐の順番だがドジで間抜けな役柄から少佐の役は重すぎるので、作者は「のらくろ」に軍隊をしくじらせて浅草辺りで「おでん屋」でも開かせようかと考えたそうだが、昭和6年のスタートだったから11年目は丁度第二次世界大戦の真っ只中だし考えた挙げ句「のらくろ」大尉を満州に渡らせ大東亜の共存共栄に資することにしたのだった。然しどっこい、此の漫画の構成上人間を出す訳にも行かず、已むなく朝鮮人や支那人に羊や豚を登場させた処、普段から「のらくろ」がドジでだらしない兵隊であることを苦々しく思っていた我が国の軍部が、千載一遇のチャンスとばかり、田河水泡を国家情報局に呼び出し「ブルジョア商業主義に諂(へつら)い国策を侮辱する者だ!」と叱責し、翌日より紙の配給が停止されて出版を禁止されたから何が仕合わせか不幸か分からない、此の儘「のらくろ」を書き続けていたら戦後田河水泡は戦犯として処罰されただろうし、「のらくろ」も敗戦の悲哀を存分に味あわせられる処であったのだ:-)。
『彼は洒落や冗談を飛ばしながら楽しそうに仕事をして居り、彼の漫画家としての才能は非凡であって「のらくろ」が書けなくなっても「蛸の八ちゃん」とか「凸凹黒兵衛」など漫画の主人公を発明し少しもへこたれた様子がなかった、』とお兄さん(義兄)は彼田河水泡のことを考えて居たそうだが、実は田河水泡にとって「のらくろ」が書けないことは致命的なことだったのだ。此の兄弟は偶さか会うと酒を飲み馬鹿話をするのが常だったが、或る日彼はしみじみ義兄にこう述懐したと言う『実は兄貴、「のらくろ」というのはありゃみんな俺のことを書いたものなんだ…』義兄はある種の感動を受けて目が覚める思いがしたそうだ。彼の生い立ちについては詳しく知らなかったが、家庭に恵まれぬ苦労の多い孤独な少年期を過ごしたことは知っていたから、言ってみれば子犬のように捨てられ誰かに拾われて育った男だったのだ。きっと「のらくろ」に動かされ「のらくろ」に親愛の情を抱いた巷の少年達は誰もそのことを直感していたのだろう、恐らく迂闊だったのは私だけだった。とは義兄の言葉だが、さすれば「フクちゃん」は横山隆一自身であり、「カッパ」は清水崑その人だった。との一文をものされた此の義兄さんこそ日本の知性と謂われ良識と謳われ文化勲章まで受けられた文芸評論家の小林秀雄だと言えば誰もが愕かれるに違いない。「のらくろ」と小林秀雄、この妙な取り合わせに疑問をお持ちの方は小林秀雄著「考えるヒント」」(文春文庫)47頁-49頁をお読み下さい。
彼は自分が迂闊だったと書かれたが、小林秀雄程の人物が決して迂闊である筈がなく、私は恐らく彼が我々鈍な衆生を思い遣って自らを迂闊だったと貶めて我々を教示啓蒙されたものだと思って居る。
因みに田河水泡の弟子には「サザエさん」の長谷川町子や「あんみつ姫」の倉金章介、「猿飛佐助」「ロンちび丸」の杉浦茂など多数だ、手塚治虫は田河水泡の「のらくろ」を模写し技術を磨いたそうだ。
田河水泡は本名を高見沢仲太郎と言い日本美術学校を卒業し文筆業を初め落語作家となった、彼の叔父に浮世絵複製の『高見沢版』で有名な高見沢遠治、夫人の高見沢潤子は前述の文芸評論家小林秀雄の妹にあたり作家で随筆家でもある。長男は東京都立大学教授の高見沢邦郎、ダークダックスのバクさんこと高見澤宏は甥にあたるそうだ。此の錚錚たる家系は「のらくろ」のイメージとまるで異なる雰囲気だが、どんな立派な家柄でも外見と内情では人それぞれなんだな、と私は思った:-)。
私の子供達が小学生の頃念願であった「のらくろ」の復刻版を手に入れたが、「てふてふ(ちょうちょ)」などの旧仮名遣いに子供達がとても戸惑っていた^^。「お菓子」は「おかし」でなく「おくわし」で「蝋」は「ろう」ではなく「らふ」だもんな^^。漫画も旧字体の「漫畫」だぞ!国民学校4年生までの国語の時間を想い出して懐かしかったなあ^^。
先週我が国IT企業最大手である日本IBMの元社長大歳卓麻最高顧問63歳が新宿JR四ツ谷駅構内で女子高生を盗撮したことが明らかになり財界に大きな衝撃が走った。彼は東大工学部出の超エリートで現在三菱UFJファイナンシャル・グループ、明治安田生命保険、花王、TOTO、カルビーの社外重役を務めて居たが此の事件が明るみに出るや経済同友会を始め最高顧問の役職まで全てを辞任した。痴漢なら知らないと開き直れても、盗撮はカメラと謂う証拠が残るためどうにも言い訳できないんだな。でも此だけ社会的地位の高い人がどうしてこのような情けない罪を犯さねばならなかったのか私には全く理解できない。私なら万一盗撮に興味があったとしても自分の家族や知人など周囲への影響を考えれば実行する勇気など全く起きない。此から傍若無人なマスメディアの横暴が始まるだろうが、家族は一体どうなるのだろう?性犯罪については全て病気だと謂われるが或いはそうかも知れないな。よく「魔が差した」と謂うが、魔が差すことは、己のせんとしている行為に対して己が矜持を守る自制心との葛藤に敗れた結果に相違ないからやはり病気なんだろうな(;;)。でも東大を出て40年間営々と築き上げてきた大きな砦と多くの人望をたかが数分の盗撮で粉微塵にするなんて、此が人の性(さが)と謂うもので心の闇なんだろう、此は病気ではなく狂気だ!人の心なんて外からはまるで分からないものだなと熟々(つくづく)思った:-)。
先週の常用漢字表外読みの答え
十干の8番目は(辛)だ。(かのと)でした 
十干とは木、火、土、金、水の五行を陽を表す兄(え)陰を表す弟(と)に分けたもの
甲(きのえ)乙(きのと)丙(ひのえ)丁(ひのと)戊(つちのえ)己(つちのと)庚(かのえ)辛(かのと)壬(みずのえ)癸(みずのと)となります。
今週の常用漢字表外読みの問題
平家の勢いも愈々(尽れて)きた。



田河水泡 のらくろ一代記/田河水泡/高見沢潤子
オンライン書店boox
著者田河水泡(著) 高見沢潤子(著)出版社日本図書センター発行年月2010年01月ISBN97842

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ベツレヘムの星


日曜日の今朝は随分寒くて早朝に目覚めたが、今日はお釈迦様の誕生日であり、更には私と妻の結婚記念日だ。結婚した次の年に誕生した長男が来月で49歳も迎えるところから逆算して今年は数えて50回目、世間では金婚式とか謂うそうな…(^^)。処が、私達は夫婦として50年共に暮らして居るが、今や妻は私に対し経済的に依存するだけで他に何も求めて居らず、斯様な金婚式の如き瑣事には全く興を示さず何の感慨も持たないので、仕方なく私一人「追憶(The Way We Were)」のCDなど聴きながら、50年昔を偲んでお酒を少し飲むことに決めたが、流石に一人では少し心(うら)悲しいよな(;;)。然し50年間一度だって妻を旅行にも連れて行ってやらず、私は一人好き勝手していた報いであり自業自得なんだろう(;;)。「幾ら仕事ができても女房に精神的な幸福感を与えられないような男は人間として三流四流であり、仕事に成功した幸福感も必要だが、それ以上に自分を愛しんでくれる人間がこの世に居ると謂うこと、その幸福の照り返しで此方の肌も熱を持って暖かくなる、そういう人間関係になれなければ本当の幸福とは言えない」とは確か田辺聖子の言(げん)であったと思うが、因果は巡ると言うから、私は今その応報を受けているんだろうな(;;)。

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事務所の庭では先日より花韮(にら)が所々薄紫の可憐な花を咲かせているが、この花は別名「ベツレヘムの星」と名付けられて居り、東大のキャンパスに多数咲いている処から、子弟の入学式に随行された家族の方が記念に持ち帰られることが多いとか…(^^)株分けして知人に差し上げ、それとなく東大に受かった子供の話なんかされるのは何とも晴れがましいよな(^^)。そんなこんなで全国に花韮の普及が進んでいるそうだ。
そう謂えば今年ももうすぐ東大の入学式だが東大キャンパスの「ベツレヘムの星」もごっそりと少なくなることだろう。でも、もともと繁殖力の強い花だから年に一度位間引きされる方が株には却って良いのではないかと思う。
思えば確か今から31年前の4月18日だったと思うが、長男の入学式が東京武道館で行われ、妻にせがまれ二人で初めて新幹線に乗り出席したことを思い出したが、虫が知らせたのか妻を残し一人5時前に帰所した処、その日お得意先に明石税務署の特別調査班10名が乗り込み落花狼藉だったのには落ち込んだ。天国と地獄とはこんなことを謂うのだろう。結局特調班には3000万円もの追徴税を召し上げられることと相成った(;;)。

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60年以上の歴史を持つ月刊誌「囲碁」が、今月4月5日発売の5月号を最後に休刊すると発行元の誠文堂新光社が発表した(;;)。同誌創刊は1951年7月で、現在発行中の囲碁誌で最も古く、私が60年も愛読した雑誌であり、プロが一手一手を丁寧に解説する、掌版の付録「名局細解」が人気だったな。
80~90年代には月に2万5000部も発行していたそうだが、その後売れ行きが落ちてきて、編集部は休刊の理由を「読者の高齢化で、今後部数が持ち直す見通しが立たないため」としているから事実上の廃刊だろう(;;)。振り返って見ればゲーム機の出現に伴い衰退して行く囲碁界に救世主であるマンガ「ヒカルの碁」が登場し、少年少女にブームを巻き起こしたのが丁度10年前で、漫画は週間少年ジャンプに1998年から2003年まで連載され、単行本は全23巻、累計売上部数は2500万部であり、小説やガイドブックなど関連書籍が多数出版され、一時は少年少女囲碁大会など盛況となってブームであったが、その彼や彼女達も20歳台となり現代の若者の常として熱し易くて冷め易く殆どの者が囲碁と無縁になったのだろう(;;)。毎号懸賞詰碁が載っており、結構難問であり、高段者でも容易に満点は得られなかった。年間高得点者は誌上で発表されて表彰され、なにがしかの賞品を頂戴する仕組みであったが、5月号の問題には最早解答の載る号が発行されないため、自己採点と書かれ末尾に解答が載せられていたのは悲しかったな(;;)。
囲碁はコンピュータが勝てない唯一のゲームだが、ルールを憶えることが至難の業であることと、奥深くて容易に強くなれない処が、急からしく落ち着きのない若者達に疎んじられたのかも知れぬが右脳を使うゲームは他に少なく、感性を培う右脳の鍛錬は勉学に大きなプラスを齎(もたら)すことが忘れられたものであろう、因みに日本棋院の発行する「週間碁」の新聞定期購読者をASA朝日新聞の垂水販売店に確かめたら垂水では私を含めてたったの5名とか…(;;)、60年間囲碁を愛し続けてきた一人としてこれも又、万感胸臆に満つ思いだ。
廃刊に似た話だが、小生好物の「おはぎ」を買いに週に2-3回立ち寄っていた和菓子屋のパートさんが先月一杯で退職された。この人店員さんには珍しく客に媚びない性格で一寸した世間話をしても思ったことをポンポンと言う歯切れのいい人であり、同類項の私と波長が合っていた。開店当初はシルバーセンターの経営ではないかと思う程年寄りの爺さんばかりの中に彼女が「鶏群の鶴」のように現れ、パートのくせに社長より貫禄と威厳があり女将さんのようだったので愕いたものだ。顔に似合わず野太い声の持主でナツメロ演歌など唄わせたら結構聴けるのではないかと想像し、「アルトのお姉さん」と内緒で名付け、「おはぎ」を包んで貰う間、四方山話などするのが楽しみだったが、先月の終わり頃になって少し宛表情が硬くなり、何処となく物言いたげであり乍ら必要なことしか話されなくなったので訝しく感じて居たが、今思うときっと私に「辞めるんよ」と言いたくても他の職人さんも居るし、個人的なことだし言い難かったのだろう(;;)。今月に入ってお店の爺さん達は私の「別嬪さんは?」問い掛けに対して「今日も休みです」が数回続いたのは此までの雰囲気から私を失望させるのを哀れみ、せめてもの慈悲心だったろう。
諸行無常、縁なんて儚いものだが、それはそれで人生と謂うものだろう。
春の選抜は4日浪花のダルビッシュこと藤浪投手を擁した大阪桐蔭が初優勝した(^^)。惜しくも準優勝に終わった光星学院は青森県の代表だが、殆どの選手が関西出身で中でも大阪の中学校からスカウトされた少年が多いそうだ(;;)。ネットで検索したら紹介されている選手21名の内大阪出身者が12名とダントツで地元青森は僅か3名で彼等は全員補欠だった(;;)。光星学院の三塁側スタンドの応援は青森県人より大阪の人達の方が多かったのではなかろうか:-)。
決勝戦では選手達も中学生の頃同じチームだったり近隣のライバルだったりして、お互い懐かしく「どないしてんねん」なんて声を掛け合ったのではなかったかな。
然し良く考えて見ると、青森県出身の選手が少ししか居ずに県外からの留学生が殆どとは如何なものか?大相撲でも外人は1部屋一人と制限されていることだし、春夏の高校野球は究極府県対抗戦だから正選手は出身中学校が県外出身者である者を3人位に制限して地元の選手を引き上げてやらないと、烏滸(おこ)がましくて県の代表などとは言えないのではないのか? そうなれば3年生の三学期だけ地元を離れて青森の中学に編入する手合いが増えるかも知れぬが、其処まで努力されると此は仕方ないよな(;;)。
先週の常用漢字表外読みの答え
彼女は(繊い)手で私を招いた。(ほそい)でした
今週の常用漢字表外読みの問題
水仕事で指先が(潤びる)

俵万智の短歌エッセイ集

昨秋以来の体調不良を引き連れて満身創痍の身体に鞭打ち、年中行事である確定申告を夢中で終えたが、来年は果たして大丈夫なんだろうか?と鬼が笑っても考えてしまう(;;)。
確定申告では何時も悲劇が登場する。今回も家族間の力関係と男の不甲斐なさを思い知らされる出来事に遭遇した。それは50年も前からお得意先であった工務店経営のMさんが7年前資金繰りに破綻して倒産され、国民年金の4分の1が借金払いに天引きされ乍ら、挫けず80歳にもなって未だ細々と車を駆け仕事をして居られるが、不況下のことでもあり半端な仕事しかなく毎年トントンか僅かの赤字続きに終始している。ま、仕事に励んで居る間は惚けずに済むから儲からなくても廉いものであり、永年ご愛顧頂いた感謝の意味から倒産後は無償で確定申告をさせて頂いている。
Mさんはご夫婦でお嬢さんのお宅に寄宿されているが、住民登録の上からは一応別所帯とされそれなりの区別を付けて居られる。然し実質は経済的にサラリーマンであるお嬢さんのご主人の丸抱え被扶養状態は免れない。倒産後私はMさんに所得が38万円以下だからご夫婦共にお嬢さんのご主人の扶養家族に入れて申告されたら税金が沢山返りますよと言ったのだが、家族内で中々意思の疎通が得られないようだった(;;)。然し今回は特に奥様の入院費用でお嬢さんのご主人に多額な出費を負担して頂いたこともあり、お二人を扶養親族にし、医療費控除をされたら住民税込みで50万円位税金が廉くなるから是非にと薦め源泉徴収票さえ頂戴すれば私の方で無料で電子申告するから税金が帰りますと慫慂し、Mさんも漸く重い腰を上げ恐る恐る奥様にお伺いを立てたら、「いやや!」たったの一言で蹴られてしまったとか…(;;)、奥様には還付税金の金額より、扶養されている身であり乍ら、娘を介して婿の収入を知ることの不作法に堪えられなかったかと思うが、何も奥様にお伺いを立てなくてもMさんから直に娘か娘婿に問えなかったものか訝しく思ったものだ。昔は「女三界に家なし」と謂ったが、今や「男三界に家なし」だな(;;)
Mさん曰く、「わて儲かりもせん商売止めよか、思いますねん」さすれば晴れて扶養家族に入れるが、家に居たとてすることなし、粗大ゴミや濡れ落ち葉と言われて直ぐに恍惚の人となるは必定であり、私は「体が動ける内は絶対に仕事止めたらあかんよ」と言ったものだが、この言葉は私自身に向かって言った言葉でもあったのだ(;;)。
皆様は書類を綴じる文具のホッチキスをご存じだろう。このホッチキスに用いられるコの字型の針は容器には「針」と書いてあっても、誰もが疑わずに「タマ」と呼んでいるが何故針ではなくタマなのか長く知らなかった(;;)。処が、最近俵万智さんの短歌エッセイ集「101個目のレモン」に書かれていたのを読んで、ハタと膝を打った。ホッチキスはこれを発明した人の名前だとか…、この人は機関銃の発明者として有名だそうで、その機関銃もホッチキスと呼ぶそうな…(^^)マシンガンの弾送り装置にヒントを得て考案されたのがホッチキスの針送り装置と謂うことらしい。従って針は当然にタマだったのだ。そうだったのか…(^^)
因みに戦後我が国でホッチキスを作るようになった会社は、戦時中にアメリカの機関銃に撃ち落とされた「零戦」を作っていた飛行機会社だと俵さんが書かれていたから世の中って皮肉なもんやな。
私が俵さんのエッセイを読み始めたのは、今年になって彼女が日経のプロムナードに登場されたからだ。彼女は昨年の大震災で已むなく石垣島に逃避されてその儘永住されるらしく、其処での出来事を面白おかしくペンに託されていられるのを読み、ファンの一人となった。
俵万智さんの短歌エッセイ集を読んで居て学ぶことが少なくない(^^)。
“ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの…”人口に膾炙(かいしゃ)した室生犀星、そして “わが名をよびてたまはれ いとけなき日のよび名もてわが名をよびてたまはれ”三好達治、など格調高い詩歌に学生時代より私は長く親しんできたが、短歌は何故か息苦しくて苦手だった(;;)。然しそれは食わず嫌いと云うものであり彼女が選ばれた短歌には人の心を揺さぶるものや心に共感するものが多いことを知り、詠(うた)えないまでも読む楽しみを知った(^^)。その内の一つで深く心に沁み入ったのは彼女が紹介された栗木京子の作品だった。
「観覧車 回れよ回れ 想い出は 君には一日(ひとひ) 我には一生(ひとよ)」
栗木さんは京都大学理学部卒でありながら畑違いの世界に足を踏み入れられた異色の歌人だが、30年前学生時代に創られたと謂われるこの歌は観覧車の回るのが止まるとき、恋の終わりを告げられそうな寂しい予感と「君には一日(ひとひ)我には一生(ひとよ)」のリズム感がとても良くて深く感動した。青春時代の哀歓を吐露した作品ではあるが、この歌も最後の七七の前後を入れ替えると、何故か「恨み節」に豹変するから短歌って恐ろしいよな。
文語体が「決まり」である短歌の世界も最近は著しく変革し、四半世紀前「サラダ記念日」を引っ提げた俵万智の登場以来口語体を交え、然も「五七五七七」に囚(とら)われない種田山頭火の自由律俳句ならぬ自由律短歌まで「あり」となったから、短歌の世界も文語調に拘泥わる旧い歌人は俵流下剋上の勃興により安住する住処を失って戸惑い、頭の切り替えに右往左往だったろうな。
好奇心の強い私は遅蒔き乍ら早速アマゾンに「短歌を楽しむ」を発注し、到着した本を見ると作者はナント!「観覧車」の栗木京子だった(^^)。
この入門書には読者が短歌に馴染み易いように平易に書かれており、栗木さんが練習問題として短歌のクイズまで登場させて居られたから興をそそられたのでその一つをご紹介しよう。
問題  ( )の中に適当な言葉を入れなさい。
「遠足より 帰り来る子は ひとつづつ 頭の上に (  )を載せをり」
 小島ゆかり(獅子座流星群)
作者の入れた言葉が必ずしも正解と謂う訳ではなく読者の誰もが自由な発想と感性で言葉を見付けることで短歌の世界に浸れるようにとの慮(おもんぱか)りだろう。あなたも一度考えて見られたらどうだろうか、私は拙い知恵を手繰っていろいろ右脳を巡らし貧弱な語彙から「想い出」とか「夢」或いは「春」などを填めてみた。少し直截(ちょくせつ)的でなかったかも知れぬが、考えることで短歌の世界をちょっぴり垣間見ることができて嬉しかった(^^)。
『作者の書いた(  )はこのブログの最後にあります』
今週の常用漢字表外読みの問題
訝しげに(左見右見)する
先週の常用漢字表外読みの答え
この貝は(去年の)浜辺に われひとり拾いし貝よ、 (こぞの)でした。
この詩を「さくら貝の歌」の一部だとお分かりになった方は相当なご年配だろう。
昭和14年に作られた歌で昭和24年NHKのラジオ歌謡に登場し、皆に愛唱された名曲だったな(^^)
 ♬うるわしき桜貝ひとつ
 去りゆける君に捧げむ
 この貝は去年の浜辺に
 われひとり拾いし貝よ♫
作者の小島ゆかりさんは( )に(雲)を入れました。

ベトナム人は日本人を超えるのか?

あの忌まわしい東日本大震災から今日で1年を迎えることとなった、亡くなられた方々や被災された方々に心から哀悼の意を表したいと思うが、放射能の恐ろしさについて無知だった東京電力のバカ共には如何様にも呪詛の念を禁じ得ない:-)。此奴等を殺人罪で告訴できないのか!「犯した罪は知らざるを以て免れることを得ず」と謂うではないか。
我々の事務所では確定申告も90%終わり、今週から長く間放置していた1月決算など日常業務に専念することとなったが、税務署では明日から四日間押すな押すなの大盛況だと思う。嫌なことは先送りにする人間の本能がそうさせるのだろうが、早くに済ませておけば短時間で帰宅できたものが明日からの税務署行きでは半日仕事となる(;;)。特に13日は民主商工会のデモ付き集団申告などあって大変だから避けられた方が良いと思う。税務署は民商の申告を署内に入れず屋外でしか受付しないから雨など降れば厄介なことになろうな。
少し前、就寝時に「日経ビジネス」を捲っていたら、面白い記事にお目に掛かった。それは海外売上比率僅か2%と謂う内弁慶な我が国老舗文具メーカー「コクヨ」が遂にベトナムのハノイで「キャンパス」ブランドのノートの売れ行きに成功したと報じていた(^^)。2010年に発売開始してその年320万冊を売り、翌年2011年は実に1500万冊を売上げ、2012年は7500万冊の目標に掲げているとか、ベトナムでは2005年現地工場を立ち上げ、安い人件費で作られた製品を日本向けに出荷するのが目的だったが、何故かベトナムの文具店ではコクヨのノートは一冊も置かれてなかった(;;)。驕(おご)った日本人がベトナムの野蛮人如きにノートの需要を認識しなかった先入観が原因だったかと思うが、実際にはベトナムの文具店には他国のノートが積み上げられそのスペースが半端でないことに気付いたコクヨベトナムの社長がベトナムの学校を調査した処、ベトナムの若年層は勤勉で板書(黒板に書かれた字)をノートに書き取る習慣が身に付いており、学校では生徒一人当たりのノートの消費が日本の10倍にも上ることが分かったそうだ(;;)。7500万冊を売上に換算すれば全社売上高2600億円の僅か3%足らずだが、商売と謂うものは売ってナンボでなく儲けてナンボだから輸送費の僅少な現地での売上利益率は悪くない筈だ。
そんなことを書くために「コクヨ」の話を持ち出したのではなかった。私が疑問に思ったのは何故日本人の学生がベトナム学生の10分の1しかノートを使用しないのかと謂うことだった:-)。日本人の人口がベトナム人の10分の1しかないのなら分からぬでもないが、実際には我が国の人口は減少中であっても1億2千万人も居るに対し、ベトナムは増加驀地(まっしぐら)ではあるが9000万人と劣位にあり、然も我が国の国民所得(国民一人当たりGDP)は42345ドル、ベトナムのそれは2010年の数字で1155ドルであり、その差は実に36倍以上と愕くばかりだ。つまり単純に言って日本人がベトナム人より36倍も収入が多いと謂うことだから日本人にノートが彼等の10分の1しか買えない道理が全くなく、さすれば常識的に考えて我が国に比し後進国であり経済劣国であるベトナムのノートの消費量が少子化の影響を考慮しても我が国より圧倒的に少ない筈ではないのかとの疑問に辿り着くが、現実に彼等がノートを我々の10倍使用しているデータを突きつけられれば詰まる処、彼等が勤勉で勉学心に富み、日本人が怠惰で向学心に乏しいことの両極を如実に顕しているのではないかと考えた(;;)。
数学を解くにも漢字を書くにもノートは必要だが、我が国の学生が松下幸之助翁のように届いた封書を裏返してノート代わりにしているとも思えず、究極懶惰(らんだ)で無気力な生活にどっぷりと浸かりハングリー精神が失われた我々日本人には最早世界的水準である勉強の絶対量が足りて居ないことを思い知らされた:-)。真のハングリー精神とは灼熱の砂漠で一滴の水を求める苛酷なものであり、ニートもプータローも引き籠もりも食べるに困らない日本人に最早ハングリー精神を期待することはムリなのではないだろうか(;;)。何れその内我々が無知な野蛮人と馬鹿にしているベトナム人の留学生で9月入学の東京大学が埋め尽くされるのではないかと憂慮するが、遠からず私の危惧はきっと現実化することとなろうな(;;)。イソップ童話ではないが、今の日本人の学生はまるで昼寝している兎(夜も寝ている?)であり、ベトナム人は遠く坂道の下から喘いで上がってくる亀だな(;;)。いやいや、もう其処まで近づいているのではないか。
「人の一生は重き荷を背負いて遠き道を行くが如し」此は徳川家康の家訓の一部として有名な一節だが、貧困と謂う重い荷を背負う負荷そのものがベトナム人の彼等を奮い立たせて居るのだろう、戦争で何もかも失った日本人はアメリカの迫害に耐えて朝鮮事変を奇貨として奇跡的にも復興を遂げ今日の栄光を迎えたのだが、その礎(いしずえ)となって戦時中戦後の激動期を生き抜いた明治大正生まれの人達も大半が黄泉の国に旅立ち、戦争すら知らぬ能天気な苦労知らずの世代に次代を託すことになった我が国には果たして未来はあるのだろうか、万感胸臆に満つ思いだ(;;)。
9日の参議院決算委員会で、「あまりにも態度が悪すぎる!何を笑っているのか!」とヤンキー先生こと自民党の義家弘介氏が野田佳彦首相や閣僚を一喝する場面があったそうだ:-)。
熱血男児の本領発揮だったな(^^)。
義家弘介氏は同僚議員が質問している間の閣僚の態度を問題視して「真剣な質問にへらへら笑ったり、隣の閣僚と話したり。日本の現状はそんなに甘いものではない!」と訴えたとか…(;;)。「そうだ!」「決算をやれよ!」との怒号が飛び交う中、注意された総理や閣僚はシュンとした様子だったそうだが、この先生過去の前歴(姉や弟を殴る蹴る、義母を階段から突き落とす、実父を殴り病院送りにした)からキレたらメチャ怖いことを総理初め閣僚全員が知って居たから青くなっただろうな。流石ヤンキー先生良くぞ言ってくれました(^^)。
国会での質疑は謂わば真剣勝負である筈なのに何時も閣僚達応答者が他党の質問には質問者を見下したように態度がでかくて返答を茶化したり、捨て台詞のような応答をして質問者に視線も当てないでプイと退席し憮然としているのが常であり、私はかねがね苦々しく思っていた矢先でもあったから、今後応答者を含めて閣僚は質問者の言葉を国民の声として襟を正して聞いて頂きたいと思った。だけど質問者も応答者も政策は疎か国語の基礎知識すら充分でなく、官僚の作った原稿を意味も分からず棒読みし「早急(さっきゅう)」、を「早急(そうきゅう)」などは日常茶飯事であり、更には「捲土重来(けんどちょうらい)」を「けんどじゅうらい」そして「重複(ちょうふく)」を「じゅうふく」と読んで恥じない手合いまで出現するから、ま、聞かされている側も熱が入らないのが分かるよな(;;)。国会議員に立候補するには漢字検定の2級位は条件に入れるべきだろうな。試しに試みたら全員落ちたりして…(;;)
国会議員に限らず、TVタレントなどにも(には?)酷いのが多い、「他人事(ひとごと)」が(たにんごと)と読んで恥を掻いているバカが少なくないが、撮影現場の周囲の連中が一言「違ってるぞ」と声を掛けてやれば済むことなのだが、どうやら周囲の有象無象も役者と同類項らしいな(;;)。日本人なら正しい日本語を使う努力をしろ!
今週の常用漢字表外読みの問題
この貝は(去年の)浜辺に、われ一人拾いし貝よ,
先週の常用漢字表外読みの答え
(坐ら)にして天下の情勢を知る。(いながら)でした

“苦役列車”を読んで


先週の月曜日午後の降雪は凄かった。牡丹雪なのに見る見る間に事務所の庭が一面銀世界となり(^^)ビオトープで寛いでいるメダカや川エビ達もさぞかし愕いたことだろう。

画像

アラブの赤鬼ムバラクも民衆の怒りには勝てず30年間居座った地位を辞任し逃走したが、逃げる直前に此まで不正に貯め込んだ一族の資産400億ポンド(5兆3000億円)を他国に移動したことが明らかになり、エジプト人民の貧困はムバラク一族の汚職などによる不法な蓄財に反比例したものだと思われるが、飢えに苦しむ人民の上前を撥ねるなんて悪い元首も居たものだ。こんな奴は地の果てまで追い掛けて捉まえ梟(さら)し首にすべきだろう:-)。大統領の辞任で果たして今後エジプト人民は絶望的なインフレと貧困から解放されるのか。政権を掌握した軍事政権に政治力があるとも思えないが、彼等の軍事政権否定も信用ならずエジプト国民には更なる試練が訪れることを憂える。イスラエルとの平和条約にしても宗教的な対立は畢竟ヤーウェとアッラーの神に関する根源的な問題であり解決は先ず困難だろう。
中東各国の民主化は世界の注目する処だが、アラブ諸国はイランを筆頭にアルジェリア、ヨルダン、シリアなど全て長期に亘って国王や大統領が専横政治を敷いて居るからどの国も貧富の差が極度に激しく国王達一部の特権階級が自らの地位と財産を護るために彼等以外の人民は誰もが日本で謂えば所謂“穢多”のような身分で生涯を暮らせねばならぬのだろうか。私共は詰まらない国だが貧富の差の大きくない日本人として生まれ仕合わせだと考えねばならぬだろう。
先週駅前の本屋で文芸春秋3月号を買い求めた。今回晴れて芥川賞に輝き、父親が強盗強姦罪で監獄行きとなったため、母親と夜逃げ中卒で日雇い労務者をして風俗通い、暴行傷害事件で2回も逮捕歴のある破天荒で破滅型私小説作家43歳西村賢太の受賞作品“苦役列車”が掲載されたためだったが、作品の内容は彼の辿った底辺の生活そのもの低俗で下品で卑猥なもので凡そ純文学を標榜する芥川賞の品格にそぐわないもので、賞の銓衡者達の価値観が時代と共に変遷してきたのかと思われた。泉下の芥川龍之介が読まれたらさぞかし愕き卒倒されたろう(;;)。昭和30年に受賞した石原慎太郎の“太陽の季節”なんてちょろこいもので(;;)その彼が銓衡委員の一人だったことも何とも皮肉な回り合わせだった(^^)。
私が愕いたのは西村賢太の文章の巧拙などではなく、到底中卒が書いたとは思われぬ難解な漢字や熟語の羅列だった。“黽勉(びんべん)たる労働”こんな言葉はついぞ此まで私がお目に掛かったことのない言葉で、著者が自らの無学を上擦(なす)りするため難解な漢字を無理矢理学んで覚えたとは到底考えられず、熟語の年輪から昭和初期以前の文芸書を読み熟し、弛まぬ努力を重ねて知らず知らずに取得されたものと推察し甚く敬服した。人間は自己を錬磨し研鑽するにはその意志と行動力さえあれば学校など全く不要であり、人生、高校大学の6年間は一体何のためにあるのだろうかと考えさせられる一刻(とき)だった。
因みに“黽勉たる”とは辞書によると努め励むことを謂い、浅学非才の私は“黽”は青蛙の意味としか知らず恥ずかしくも”努める、励む“の意があることも”黽勉“をも全く以て知らなかった(;;)。
今日の昼食は何時もの松屋で何時ものカレーだった。私の行く時間は大体11時半位で充分に空いて居るが、先日から牛丼の値が250円に下げられたので俄に客数が増し最近は12時には満員となるようだ(^^)。
入店時に松屋のパート店員の挨拶は決まって“いらっしゃいませ、こんにちは”であり、最近松屋に限らず何処其処でこの種の挨拶が多く見られる。少し気になったのでチケットを取りに来た店員に“朝から晩までいらっしゃいませ、こんにちは”と言うの?と聞くと“いいえ朝はお早うございます、夜はこんばんは、に変えます。こんにちは、は10時から5時までです”と答えられ、へえ?時計を見て挨拶を変えるのも大変やね“と言うと”私は夜のシフトが多いので昼のシフトでもつい、こんばんは、と言ってしまいます“とはにかんで居た(^^)。松屋は24時間営業であり、午前0時から”こんばんは“が”お早うございます“に切り替わるのかどうかをうっかりと聞きそびれた(;;)が、未成年の女の子だったから深夜勤務はなく聞いても返答に困ったことだろう。
昔は何処も、”いらっしゃいませ“だけだったから如何してこうなったのか熟(つらつら)考えるに、昨今人件費節減でチェーン店などは自動券売機など何もかもセルフ形式に代り、店員が”何に致しましょうか“とか”此方にどうぞ“など対面で客を構うことのない傾向に変わってきたため、顔を合わさず声だけならせめて挨拶だけでもしっかりと…と、接客マニュアルが丁寧語の連続となったようだ。然し丁寧語は続ければよいと謂うものではなく、重複は却って相手への礼を失することになるのではないか。松屋に限らずコンビニの店員にしても最近の若者は何故か目を合わすことを好まず、目が合えばすっと逸らす連中が多く、話をするときでも意識的に相手の顔や目を見ない手合いが多くなったが、相手の目を見て話す正しい礼儀が忘れられてきたことは困ったことだ。学校教育の一環として手話でも取り入れて、聾唖者が話す相手に相手の目を見て如何に表情たっぷりに自分を表現されているかを直接子供達が目の辺りにできるような教育を実践したらどうだろうか(;;)。戦前に育った人間の一人として客への挨拶はしっかりと相手を見詰め乍ら行うものだと信じて居り、客にお尻を向けて“いらっしゃいませ、こんにちは”はなかろうが…と心底思ったものだ(;;)。
先週の常用漢字表外読みの答え
盥(たらい)が(燥ぐ) (はしゃぐ)でした。
“はしゃぐ”は本来調子に乗って騒ぐの意ですが、水分がなくなり乾燥するの意がある。
今週の表外読みの問題
(疾う)に帰られました。