独り言」カテゴリーアーカイブ

沖縄人も日本人だ!

5月もあと2日、春と謂うより何方かと言えば夏の雰囲気を漂わせるこの頃です。先週玄関先で七星テントウムシが石蕗の葉に寛いでいるのを発見しました^^見ると他にも幾つか居るようです。益虫ですから心がホッコリしますね^^。数年前迄はこの時季になると必ずアマガエルが姿を見せ門柱に乗って辺りを眺めて居ましたが、その微笑ましい光景も何時とはなく見なくなりました。水質汚染のせいだと思われますが家の前を流れる生活用水の交じる側溝に棲息していたウシガエルも死に絶え、今棲んで居るのは弁慶蟹に似た赤い蟹だけとなりましたが、湧き水が多い処だとは言え町の中の溝にネズミ以外の生き物が棲んでいること自体稀有なことだと思って居ます^^。

 

復帰50年を迎えた沖縄ですが、実は未だ政府も世間も内心では沖縄県出身者を日本人と扱って居ないようなのはとても悲しいことです。「♫守りが憎いとて 破れ傘着せて可愛がる子に 雨やかかる、何処が違う!何が悪い♪」 ふと部落差別を歌った「竹田の子守唄」が思い出されますが、内地の人は沖縄を同和部落だと勘違いして居るんでしょうか(::)。先日運転を誤った若い米兵の乗用車に住民が轢き殺され、事故現場に先に到着した米軍が兵隊を引き取って行きその後は再三の交渉で我が国での裁判が認められましたが、復帰50年にして未だこの 状態が継続していることには遣る瀬無い思いに駆られます💢。政府も激しさを増す中国海軍の示威行為や北朝鮮の脅威を目の当たりにしては米軍の存在が自国の安寧に不可欠であって、自衛隊など何の役にも立たぬことを重々承知しているから何も言えないと思います。米軍基地の費用は全て我が国の「思い遣り予算(年間約2110億円)」にて賄われていますから、「お金は全部負担するから沖縄から帰らないで中国や北朝鮮から日本を守って下さいね」とアメリカに懇願している構図でしょう。情けないですね(::)そのうちロシアが羨望の目で狙っている北海道をロシアに攻め込まれた時アメリカはきっと知らぬ顔で助けてくれないと思います💢。観光に往くだけで私達は何も気付いていませんが、実は沖縄の人たちは学者達から、アイヌなどと同じく日本人と異なった人種である原住民「琉球民族」だと信じられています(::)。先年沖縄やアイヌの遺骨を研究名目で持ち帰った東京大学と北海道大学はその後遺族からの訴えで返還を前提に和解しましたが、研究名目で沖縄から琉球時代の遺骨を持ち帰った京都大学については、法廷は返還請求者を子孫と認めながらも「墓を参拝しているからと言って彼等が真の遺族かどうか分からないから「祖先の祭祀を主宰すべきものには当たらない」など訳もわからないことを言って此れを退けました。ついでに遺骨は信仰対象であっても同時に学術資料的文化財的価値を有するなどと言って京大が遺骨を保管することに違法性はないと結論づけたのです。先祖の墓を祀るのは子孫の務めですが盗掘までして持ち出した京都大学が勝訴するのはどう考えても納得が行きません。研究が大事か祖先の祭祀を祀るのが大切か答えは自明だと思うけどな?どうやら判事達は琉球の人を野蛮人であって日本人とは認めたくないようです!だから沖縄の女性が米兵にレイプされても辺野古の美しい珊瑚礁を踏み躙られ米軍基地にされかけても内地の人間は知らん顔を決め込んで居るのだろうが、可怪しいね、悲しいね、どうして誰も何も言わないんだろう?

 

国会議員の特権で新幹線切符が無料になるため起きた元参議院議員の切符詐取事件が報道されました💢。駅員が間違った切符を渡したことでの電話を奇貨として事件が発覚したものですが、新幹線グリーン車がタダになるのなら昨秋問題になった税金のかからない議員への文書交通費代月額100万円支給は重複して居るんじゃないの?どちらも廃止しないと!💢。

 

今月20日の深夜、東急田園都市線で他の乗客に注意されて激昂し殴る蹴るなどの暴行を加えた罪で現行犯逮捕されたのは財務省大臣官房総括審議官小野平八郎(56歳)でした。東大法学部卒ですからもう少しでバラ色の終着駅である事務次官の椅子、更には退職後の絢爛たる天下りが待っていると言うのに少しのお酒で輝かしい将来が全部ふっ飛びました。それにしても財務省はどうして実名報道を止められなかったのでしょうね?同省には警察庁から照会が入った筈です。お役所には派閥とか色々ありますが、此の程度の不祥事報道の外部流出を止められなかったのは財務省に旧大蔵省当時の力が失われてきたものでしょう。思えば平成10年三塚博大蔵大臣と松下康雄日銀総裁まで引責辞任することとなった旧大蔵省のノーパンシャブシャブ事件が思い出されますね(;;)。あれは国家公務員として破廉恥極まる猥褻な事件でしたね^^。

 

ウクライナが攻め込まれてゼレンスキーさん懸命の防戦ですが、西欧諸国やアメリカは武器貸与などだけ…、ロシヤが怖くて軍隊を送らないため住民が多数殺されているウクライナを見殺しにしようとしています。おまけに此の戦いのお陰でウクライナの小麦が輸出できなくなり、運悪くアメリカやカナダも不作であって世界の小麦市場が危機的な状態に陥りました。我が国でもパン屋さんは何れ米粉のパンを作らねばならぬ運命ですが、パンは些細なこと…、暑い夏を迎えてロシヤからの液化天然ガスの供給を断たれては電力が持ちません。アメリカに媚びてロシヤに楯突いた岸田総理!一体どう終熄する?!

 

奈良県庁で35歳の有為な青年が月100時間超のヤミ残業で鬱病を発症し自殺していたことで、両親が提訴!上司は知らぬ存ぜぬを貫いています。役人にも5時に帰れず休日出勤ってあったんや!大昔のことですが大阪の国税局は残業が蔓延ったため、ある日から17時に暖冷房を打ち切って職員を強制的に帰宅させて居ましたよ。

 

先週の読めそうで読めない字     五月雨(さみだれ)が降る

今週の読めそうで読めない字    (現し身)

士工農商?

風薫る五月も早くも後半を迎え歳月の過ぎゆく速さに圧倒される毎日です。五月と謂っても昨今では過ごし良い時候は極く短くて、間もなくあの灼熱の夏が近づいて来るのかと思うと憂鬱です。全てはCO2の仕業なんでしょうが、基はと言えば我々が吐き出したものですからしっかりと受け止めねばなりません(;;)。自宅前の小さいプランターでは清楚なコオニタビラコが咲き終わったあと紫カタバミが何処かからやってきて咲き始めました^^とても可憐な花で私の好きな野草の一つです。何処から来たんやろ?

 

 

今日も少し漢字の話をさせて下さい。又か!と言わないで下さいねm(_ _)m。

何時も触れていますが字体の画数を無差別に減らして常用漢字が生まれたのは第二次世界大戦の後、国語審議委員会の委員たちの悪巧みでした。此れまで何百年も伝統を積み重ねた由緒ある我が国の漢字の画数を無残にも無作為に減らしたり別の字にしたりと…💢、良識を疑われる行為を経てその多くを常用漢字という名前を付して国民に押し付けたのでしたが、それまでは漢字には新聞、小説ともに全てルビが付されて居ましたから昭和22年までは我々小学生でも難しい漢字が読めました。読めれば憶えますから我々世代以前の方はどんな字でも書けなくても読めたのです。

処が戦争終了後、エセ学者たちが「漢字は易しいに限る…」と、勝手に我々世代までの者が漸く憶えた旧字体(旧のホントの字は「舊」です、全然似てないね)の多くを廃止して漢字の一部を簡略化して画数を減らしたり字体を替えたり…と、その大部分を常用漢字と準一級一部の配当漢字に作り変えたため、それまでの旧字体に馴染んできた人達がルーツを持たぬ変な漢字の創設に大いに悩まされたことはこれ迄に何度も皆様にお伝えしました。字体の変えられた漢字が一部の漢字に限定されたため、学校卒業後も漢字を極めたい人達は昔の漢字の儘の字と、変えられた漢字との乖離に大いに悩まされ、漢字検定試験を目指す若者も2級までは順調に通過できてもその上を目指そうとするとそれまで憶えた杜撰に作られた常用漢字の記憶が妨げとなって所謂旧字体が書けないためハードルが高くなり、容易に合格できない実情に気付かざるを得なくなりました。

喩えを申し上げると羽の旧字体は中の書体が「ン」と「ノ」が二つであった字を含めた「翡翠(ひすい)」の二文字からご理解頂けると思います。左の字の翡の下部にあるハライと右の字の上にあるハネの相違でお分かりでしょうね、左は昔からあるハネで右は戦後変えられたハネです。でも右の字は国語委員会が戦後勝手に変えた字である理由は「翠」は準一級の配当漢字なのです、常用漢字とともに「ン」に変えられましたが「翡」の方は一級の配当漢字であったため放置されこんな無様は熟語構成となり心ある国語を愛する人たちを深い悲しみに陥れたのでした(;;)。

かくなる経緯により国語委員会に無断勝手に漢字を捏造されたことから前途有為な多くの若者達が漢字の世界に興味を失って去ってしまいました(::)。漢字の歴史を軽視した国語委員会の連中こそ由緒ある漢字を冒涜した亡国の徒でありました💢。因みに「羽」の旧字体は中が「ン」ではなく「ノ」の反ってない字が二つだったのです(::)。

 

 

矢作(やはぎ)川と言えば、長野県に端を発し岐阜県と愛知県を流れる著名な1級河川ですが、先週その矢作川を堰き止めて、農工業に利用するために造った人工の川を「明治用水」と呼び、そこから取水施設を「頭首工」と言っていましたが十日程前に何故か陥没事故が起こって水が地下に逃げてしまったため「明治用水」が機能しなくなりトヨタを初め周辺企業が就業不能となる重大事故が引き起こりました。行政は必死で修復作業に乗り出し仮設の水取りはやっと可能となりましたが、農業用水の方は水取りが全く放置されて居ます。運悪く丁度各農家では丁度田植えの時期を迎えているため適期に田植作業を終えないと苗が徒長して稲が実らなくなるのですが、行政は税金を沢山払ってくれる企業の工業用水ばかりの復旧に身に入れてお百姓を放ったらかしの状態が現在も続いて居ます。「士農工商」の四字熟語は今や「士工農商」となってしまいました(::)。自治体に税金を払っているのは桁外れに企業が多いから百姓を助けず企業を救った県の選択肢も止むを得ないと思いますが、大切な米を作るお百姓が無視されるなんて日本人に大切な何かが何処か間違っていると思われてなりません💢。

 

先週の夕刊の記事に「学舎(まなびや)」であるべき熟語を写真のように「学びや」と書いてあって、初めは何のことかわからず、軈ておかしな熟語もあるものだと驚きました(;;)すぐに国語辞典を見ると(学び舎) (学舎)と二つありましたが(学びや)はどの辞書にもなく記者と校閲者のチョンボと判明しました。文字に忠実であるべき新聞も質が落ちたものですね。早速新聞社に投稿フォームより「校正が杜撰ですね?」…とメールしましたが当然にスルーされましたよ(::)。

 

先週の読めそうで読めない字     五月雨(さみだれ)が降る

今週の読めそうで読めない字    (現し身)

連合の危機

何時もより少し暑いけど季節は一年で一番良いと謂われる絶好の行楽を迎えましたが此れでGW後不気味に増え続けるコロナ禍さえなければいいのですが…(::)。庭の西奥に植えていたアマリリスを昨秋玄関の庭に植え替えたら日当たりが良くなって何時もより半月も早く咲き出しました^^。花の色は薄黃緑色とでも言ったら良いのでしょうか?幻想的な妖しい色は道を行く人達の視線を浴び他の雑草を圧倒していましたが、「花の命は短くて…」の例により先週末の雨で敢えなく今年の命を終えました(::)。

 

 

昨年10月に連合初の女性会長に選ばれた芳野友子に昨年来自民党が急接近して居ます(;;)、年末に連合が衆議院選挙の総括を了承し、立憲と共産党の連携を批判したことを知って幸いと、今年の1月5日連合の新年交換会に恰も火事場泥棒のように岸田首相が挨拶に出席しました。そのせいか連合は2月17日参議院選の基本方針を明らかにするも支援政党を明かさず、同日夜芳野会長は自民の小渕優子氏と会食、更には3月16自民党麻生太郎副総裁と会食し、遂には連合内部よりさらなる批判の声が続出しています。「連合の幹部は政府と付き合うのは良いがちゃんと切り分けて自民党との付き合いを止めてくれないと連合は与党と戦う政党を応援すべきが本来の目的だ!そうでないと連合は潰れる…💢、」と芳野会長への風当たりが日一日と強くなっていますが、此の会長さん歴代会長が大企業労組の歴代会長経験者が占めていたところをトヨタ労組会長が突然出馬を見送ったため止む無く「女性」「高卒」「中小企業」と異例ずくめで選ばれたところから今回の騒動が勃発したのでした。日の当たらないところに燻っていた吉野会長はその地位に有頂天になり、連合は自民党を斃して政権を取れる政党を作ると謂う本来の目的を忘れてしまったのが全ての原因でしょうか、「覆水盆に帰らず」の喩え通り今や連合は自民党の奴隷と化し、救世主が現れなければ何れ連合は大義を失って分散する運命(さだめ)と思われます。「女子と小人は養い難し」の格言を実証したのは他でもないこんな無学で煽てに乗り易い女性を会長に推薦した神津前会長でありましたが、今になって悔やんでも悔やみきれぬ思いだと思います。神津前会長の賭けは大外れとなり連合はこれから一体どうなって行くのでしょう (;_;)/~~~。先週毎日新聞に投稿された風刺ギャグ「ふんすい塔」をどうぞ^^。

 

日本に住むロシア人YouTuberでモデルの安涼奈(Alyona)が先日自身のYouTubeを更新し、日本への帰化を申請することを報告しました。母国ロシアのウクライナ侵攻について「今すぐ終わってほしい」と思いを語っていた安涼奈さん「今そう思うのは私だけではないと思いますが、(日本に)帰化することにしました」と報告し、ロシアには両親が住んで居るので国籍を変える気持ちはなかったけど、今回のウクライナ侵攻で気持ちが変わったそうです。YouTubeでロシア侵攻への批判なども行った安涼奈は、「ロシアで絶対にできないことを彼等はウクライナでしてしまいました。私は公の場で『戦争反対』です、と言ったんですがそれをロシアですると、法律によって「15年刑務所に行かないといけません」と話し、更に「私はウクライナへの寄付もしているので、それに対しては20年懲役に行かされことになります」と話しました(@@)。ロシアって途方もなく怖い国ですね💢。日本も総理がロシアに対しウクライナの肩を持つ発言をし、ウクライナ避難民を喜んで受け入れていますが、そのうちロシアから竹箆返しを食うのではないでしょうか?一番恐ろしいことは予てからプーチンが狙っている北海道の略奪ですが、プーチンは実はウクライナよりも緯度が低く温暖な気候の北海道を手に入れたいと願って居ると考えます。なんと言ってもスターリン時代から一貫して北海道と東北はロシアの欲望の的でありました。第二次世界大戦終了後、謂わばオフサイドの状態であるにも関わらず無法にも急遽満州を襲って多くの日本人を殺傷し、更には残る日本人を捕虜として母国に連れ帰り、長期間奴隷として酷使し多く日本人を極寒と飢餓から死亡させたロシアに対する深い恨みを我々は未だに忘れていません。ロシアは終戦締結後、当時米大統領トルーマンに北海道と東北地方を要求して撥ね付けられ、無法にも我が国の北方領土と樺太を不法略奪したのは誰もがよく知る事実です💢、今回のウクライナ事件の終結後我々は北方領土の奪還を毅然とした態度でロシアに対抗せねばなりませんが、その結果北海道が攻め込まれることだって当然考慮すべきです。我が国には表面だけ強気でも実は内気で気弱な総理が居るだけでその器はゼレンスキー大統領の100分の1にも及びませんからアメリカに泣きつくしかなく、挙げ句は米露の駆け引きの材料として使われ、末路は一体どうなることでしょうか?

 

被害状況を聴く限り孤軍奮闘のウクライナですが、アメリカも西欧諸国もウクライナ被害状況を世界各国に発表するばかり…、何処の国も軍隊の援助とかロシヤを刺激することは極力控えて動こうとしないけど、此れってロシヤが怖いからウクライナを見殺しにして居ると思われても仕方ありません。どこも我が身可愛いだろうね?

 

先週の読めそうで読めない字     松明(たいまつ)を灯す 

今週の読めそうで読めない字     (五月雨)が降る

映画のエンディング

4月も半ばを迎えて各地のサクラや八重桜が満開を迎えて居ます。それにしても週初めのポカポカ陽気が何処に行ったのかやっと仕舞ったストーブを再び出す寒い昨日今日でしたね、この花冷えには桜も戸惑っていると思います(::)。

 

最近どこかしこでイタリア映画「ひまわり」が放映され、大入り満員が続いています。ヘンリー・マンシーニの音楽がとても素晴らしい作品です。舞台が今全世界注目の渦中にあるウクライナであることが紹介され、リバイバルしたものですがあの広大なひまわり畑はちっぽけな島国に住む我々日本人を圧倒します。処で私はこの作品がジョバンナ役であるソフィアローレン主演であることを百も承知の上で、マーシャの可憐な美しさに惹かれたマルチェロ・マストロヤンニ演じるアントニオの選択肢を選びたいと思いました。マーシャ役の女優リュドミラ・サベーリエワはウクライナ人でバレリ-ナですが、ジョバンニが探して辿り着いたアントニオが暮らす小さなお家は温もりがあり幼い娘のカチューシャとの生活は心地良さげです。ジョバンニの話を聞いたマーシャが不安な面持ちながらも戦争で記憶を失ったアントニオを彼女に逢わせようと決意し、駅舎で列車から降りてきたアントニオの処へ走り寄って話して居るマーシャを見てジョバンナが突然逃げるように動きかけた汽車に飛び乗り、人目を構わず号泣する情景には思わず涙をそそられます。二人の強い絆を目の当たりにした女の鋭い直感で自らの敗北を一瞬にして悟ったに相違ありません。Time and tide wait for no man「歳月人を待たず」でありました。その後ダラダラした幾つかのシーンは全て蛇足であって、別れのあの場面を前奏曲とし、ジョバンナの号泣を以て映画の「FINE(the end)」にすべきだったと私は思ったのです。

 

先週講談社文庫の「同和と銀行」を読みました。1980年当時銀行大手6行の最下位にあった三和銀行がバブルのど真ん中に急成長を遂げるべく、当時被差別部落の出身であった部落解放同盟の小西邦彦との癒着が生んだノンフィクションでありましたが、読んで居て動くお金が桁外れに大きいので魂消ました(@@)。昭和44年に制定され33年も生き続け、悪法の最たる見本であった「同和対策事業特別措置法」により国の財政上の特別措置を設けられ全国展開されましたが、寝て居た子を起こすような此の法律は「穢多」を「新平民」と呼ぶ「穢多廃止令」が明治4年施行に制定されたことで、ひっそりと息を潜めて生きてきた人達が人前に曝され戸惑い逆に棲み難くなった約100年間を償うべく税金から限りなく同和関係者に利益を与え、それまでの身分差別の贖罪にしようと政府が目論んだ忌まわしい法律でありました。そんなこんなで特措法が成立し、特に同和部落の多い関西各府県各市町村では役所の公共事業をほぼ同和関係者が独占することになりましたから、それまでの業者は同和の下請けに成らざるを得ず美味しい上澄みはしっかり同和に取られる有様でした。国税局にもわざわざ同和担当部門が置かれ、所得税や法人税ばかりか更には相続税や贈与税までお目零しされて一般の住民が酷税に悩んでいる最中にも彼等が特別待遇だったことを私は職業柄この目で見て良く知っており、そのあからさまな不平等には歯軋りしたものです(::)。本文では同和関係者が土地を10億円で売ったら税務署が態々(わざわざ)やって来てくれて譲渡収入5千万円での申告書を作って済ませてくれたとはっきり書いてあります(;;)。

「同和と銀行」の舞台は大阪東淀川区にあった三和銀行淡路支店が主要な資金提供役を務めて進行しますが、群がった他の銀行も併せて不良債権の総額は80億円にも上り、バブルが弾けて焦げ付いた貸金が訴訟となって最終的に銀行が回収できたのは僅かに部落解放同盟会長小西邦彦の定期預金1億円のみでありました(::)。

エピソードとしては1980年当時のこの淡路支店にその後俳優になる「竹内力」が2年間ではありましたが大分の高校を卒業して入行し勤務しており、ヤクザ顔に整形する前の彼は半端なくハンサムであって、態々支店にやってくる女性達が多く、近くの柴島高校の女子高生が下校途中に彼の顔を見ようとして行列を作ったそうです(@@)。此の本には三和銀行の慰安旅行時の写真まで掲載されており、あのリーゼント姿は間違いなく「難波の帝王」竹内力その人でありました^^。

 

ウクライナの惨状は見るに堪えない状況だが、米、西欧共にロシアを非難するだけ、傍観して居ないで助けてやろうとウクライナに武器を持って入る国はどうして居ないの?

 

先週の読めそうで読めない字     彼の家を訪(おとな)う

今週の読めそうで読めない字      (注連)飾り

 

白内障手術

昔から「花冷え」と謂う言葉がありますが、先週の日曜日や火曜日は小雨がばらぱらと寒い日でしたが木曜日から暖かくなり神戸では桜が満開になる処が多くて、週末は家族や友人たちと各地でお花見の方が多かったと思いました。コロナも怖いけど偶には息抜きもしないと…(;:)。写真は木曜日アイセンターへ外来診察に行く途中ポートライナーから眺めたポーアイ入り口の公園付近のお花見風景です^^。

 

そのアイセンターに先々週木曜金曜と二泊して両眼白内障の手術を受け土曜日午前中に帰宅しました。白内障手術は通常日帰りと聞いていましたがこの病院に限って手術の前後2日の宿泊を要求されます。第一日は14時30分までの入院を求められましたが簡単な手術の説明と点眼だけでお終いとなり、私はアンチTV派なので深夜までスマホのラジコを聴いて就寝し、翌日午後手術を受けて三日目の朝に開放され大量の目薬と共に漸く帰宅できました。思うに予め術前の点眼薬の処方箋は前の診察で既に貰っており、手術日の他二泊せずとも…と言って見たのですが、「そういう決まりです!」と突き放されてはそれ以上言えず「泣く子と地頭に勝てず」でありましたが、手術当日以外は説明だけで特に何もなく、アイセンター病院は神戸中央市民病院の一部であって眼の専門病院だけあり前日入院を経て翌日手術をされるのが決まりのようで、先生の命令で見えない方の目まで手術される仕儀となりました(::)。
この病院には変な規則があって、病棟全て絨毯敷きで靴を履いた儘入棟しスリッパ等には履き替えない仕組みだと言われました(;;)。靴は外出時だけで十分ですからスリッパ或いはつっかけを持参したいと願ったのですが、転んだら困るからと拒絶され居場所はベッドしかないため夜中にトイレに往く際もベッドで靴を脱着する煩わしさには外人でもあるまいし…、と呆れました(::)。次回があれば夜間ナースも手薄だしこっそりとスリッパを持参しようと思って居ます。翌日は先生の気紛れから手術時間がなかなか決まらず当初の11時から13時になり、術前瞳孔を開く点眼を済ませてからも更に時間が遅れて漸く13時半にオペ・スタートとなりましたが、終了まで50分を要し、殆ど麻酔なしの感覚で目を針やメスで突かれたり切られたりの苦痛は耐え難いもので、途中オペナースが「血圧217です!」と大声で先生に告げましたが、先生は手を止めることなく生まれてから86年間で一番長い50分でありました(::)。217の血圧って脳溢血クラスじゃないの?怖いよね(@@)。

 

もう一つ文句を言いたいことは運が悪かったのか病院の作為か分かりませんが今回私は31日入院の1日手術でしたから二月を跨ぐことになり、後期高齢者の月額上限が15万円なので二ヶ月分の負担となりメチャ損をした気分でした。今月中に別の病気で入院や手術などしたら取り戻せるけど…それはそれで嫌だしね(::)。31日は体調の質問以外特に何もしなかったけどしっかり算入されての入院費32000円は理不尽だと感じました。月跨ぎは病院の錬金術かも知れん(::)。
手術が済んで一番驚いたことは、帰宅して夜睡るときに枕元に置いている本やCDなどが全て埃まみれなのに気付いたことでした。「何十年も埃に塗れて寝て居たんや!見えてなかったんや!」知らぬが仏の数十年でありました(::)。唯々愕然としています(@@)。

 

部下をクソミソに言ったり、過激発言など何かと話題の多い明石市の泉市長が企業秘密に触れて問題になっています💢。この市長さん庶民派の顔や物言いに似合わず東大出の弁護士さんなんです。この方の衣着せぬ言葉は絶えず物議を醸しますが、失言責任をとって辞職しても必ず再任される庶民派ですが、今度は明石西部に大きな工場を持つ川崎重工業に対し、住民税を5年間も払わないことに「けしからん」とお叱りのお言葉でした。赤字の会社は均等割だけと法律で決まっており、膨大な敷地や建物への固定資産税はちゃんと払って居るし、従業員の多くは明石に住んでいるだろうから彼等の住民税や固定資産税が明石市の税収となって居るし、市長さんのイチャモンは無理筋です。
話は昔に飛びますがこの工場では戦時中は飛行機など作っていたため米軍の標的となり、B29に総攻撃されました。現在では主として輸出用のバイクを作っています。昔「メグロ」と言う重たいことで有名なバイクメーカーが倒産してその技術を川重が継承したものですが、国産のバイクはホンダやヤマハそしてスズキが多くのシェアを占め、川重のバイクは輸出専用となりましたが、その理由は単純でカワサキのバイクは非力な日本人には少し重たいと言うのが過去の定評であり、私が大昔自動二輪免許取得のため本山の試験場で乗った自動二輪車がメグロ350CCで100貫近くあリ、メチャメチャ重たい鉄の塊だったのに魂消たことを今も憶えています(@@)。最近は軽量化に努め随分軽くなりましたが、一般的に「カワサキのバイクは重い」のイメージが払拭されず、国内販売が振るわず止む無く輸出が主となって居ますが川重は主力の造船が大赤字ですからバイクが黒字になっても通算されて赤字決算が5年も続いて法人市民税が明石市に支払われないことが市長さんを苛立たせたものです。然し川重が赤字なのは誰も知ってることであっても公的には企業秘密であり、それを明石市長が暴くのは明らかに失言です。市長さんどう収拾されることやら…💢。

 

ロシア兵に拠る残虐行為によるウクライナの惨状は目に余ります(::)。この際だから西欧とアメリカは協力してウクライナ東部地区の復興と共に、数年前ロシアに掠め取られたクリミア半島をも奪還して頂くようお力添え賜りたいと希って居ります。

 

先週の読めそうで読めない字     花の顔(かんばせ)

今週の読めそうで読めない字   お力添え賜りたいと(希って)居ります

故郷を古里と書くな!

寒暖を幾度となく繰り返した3月が漸く終わって花の4月を迎えて居ます。奥庭でひっそりと周囲の雑草に気兼ねしながら懸命に咲いているサルビア・ミクロフィアとは対象的に庭の道路際では春の到来を待ち望んでいた「ゆきやなぎ」が先週後半から満を持して咲き誇って居ます^^。僅か数日の命なんですが、彼女はその日のために一年間営々と根を張って今日に備えてきたのでした。偉いなあ^^。

 

埼玉県のさる高校が生徒達の学校の制服にユニクロを加えたそうです(@@)。此れまで学校の制服について男子は詰め襟で女子はブレザーにプリーツのスカートが定番だったのを見直す新しい試みだそうですが、制服は意外に高く5万円位もして、替着も要るので父兄の負担は半端ではなく、その辺りを見直すためにユニクロの案が出たそうです。でも制服って値段で決めるものなんかなあ…。その上ユニクロは中国の新疆ウイグル自治区で縫製された綿製品がウイグル人の強制労働により生産された疑いがあるとユニクロが国際的に批判されている中を日本の公立高校がユニクロ製品を制服に定めたことには各界から「無神経な行動だ」との批判が起こるのではないでしょうか?

 

「♪春は名のみの風の寒さよ♫」と誰もが口遊んだことがある小学校唱歌「早春賦」(そうしゅんふ)は、東京音楽学校の教授だった吉丸一昌が大正初期に信州の安曇野を訪れ、穂高辺りの雪解け風景の美しさに感銘を受け書かれた詩であったとされています。私はこの歌を聴く度に65年前を思い出します。当時私の好きな人は音楽の先生で岡谷の長地小学校勤務、家は当時南安曇郡三郷村にあって林檎栽培農家でした。丁度穂高山系の麓にあり大糸線の一日市場(ひといちば)夏休みに駅から徒歩で西へ4キロ余り右手に雄大な穂高山系を眺めながらの訪いはとても思い出深いもので脳裏を去ることはありません。今思うに南安曇郡三郷村は丁度飛騨の幼い工女たちが野麦峠を経て松本に出る街道口ではなかったでしょうか…、話が脱線したので引き戻しましょうね、春早々の話題は私の拘(こだわ)りである漢字の話です。「早春賦」と同じ時代の愛唱歌「故郷(ふるさと)」を皆様きっとご存じですね。私が国民学校で習ったこの歌は前の世代の方も後の方も誰も忘れずに何時でもソラで歌える数少ない愛唱歌であり、幾つになってもこの歌を聴くと童心に帰れるから不思議でなりません。

 

北朝鮮による日本人拉致問題の支援者団体が開催する集会では、集会の最後に日本人拉致被害者の早期帰国を願って、参加者全員で「故郷」を熱唱することが慣例となっていることは皆様御存知の通りであり聴く度に涙するこの「故郷」ですが、近年「故郷(ふるさと)」の漢字が当て字であると言い出したのは、あの不埒な国語審議委員会だと思いますが、彼らの企みに国語辞典を編集する辞典発行の各社が微妙に影響されて読みを優先した言葉を採択する傾向が強くなりました。つまり「故郷(こきょう)」を「ふるさと」と読ませない姿勢が強くなり「故郷(ふるさと)」の代替字「古里」が国語審議委員会の推奨する熟語となって参りました💢。不思議に思った私は2000年以降に発行された手持ち8冊の国語辞典を調べた処、「ふるさと」の漢字第一候補はナント!「古里」が7冊で「故郷」は三省堂の新明解国語辞典のみでありました(;;)。そして7冊の辞典にある「ふるさと」の漢字表記トップは「古里」で二番目が「故里」三番が「故郷」でした(;;)。同じ三省堂の辞書であっても三省堂国語辞典は一番目が「古里」であり、新明解国語辞典が「故郷」ですから同じ会社でも部門が変わると対立し金田一京助派の新明解チームが見坊豪紀派の三省堂国語辞典チームに真っ向から立ち向かっている姿勢が窺えます。私は「古里」は易しい漢字を単に優先させただけで情緒がまるでなく人気(ひとけ)のなくなって誰も行きたくない寂しい「古里」なんて書きたくありません。「郷」が画数が多い6年生の配当漢字ではありますが、国語審議委員会は唯々易しい漢字でさえあれば言葉の由来などどうでも良い姿勢を崩さないのは正しい日本語に対する冒涜ではないかと考えます。「故郷」は訓読みを採用しているので決して当て字ではなく「古里」が第一候補に居座り、公式文書や新聞に採用され跋扈しているのはどうにも合点が行かず腹立たしく思います。誰か文句を謂う学者は居ないのでしょうか?何れも常用漢字だし画数の多少で使用を制限するのはどう考えても無理筋だと考えます。

 

お笑いタレントの松本人志が先月27日日曜日放送のフジテレビ「ワイドナショー」に出演、北朝鮮の弾道ミサイル発射に対し、メモを見ながらコメントする岸田文雄首相について苦言を呈しました、つまり「原稿棒読みを止め自分の心を直にマイクに伝えよ」という意味でした、この方お笑いやったのに何時の間にか政治評論家になったみたい…^^。誰も言いたくても言えなかったことだから「いいね」を付けたいけど司会が本業になった浜田はどうするのかな?二人共大物になりすぎて今更お笑いに戻れないみたい…(::)

 

昨日まで私は三日間白内障手術神戸アイセンター病院に缶詰にされて居ました。通常白内障は日帰り手術なんですが、私が両目ともに黄斑変性症であることを理由に前日入院当日手術翌日退院とされました(;;)。見えない方の目まで手術されて何か手術代を損をしたような気持ちでしたが掛かり付けの先生の言葉は絶対で断れば二度とアイセンターに行けなくなるので仕方なくお言葉に従いました。詳細は次週にて…。。

 

多勢に無勢なのにウクライナの人って挫けないで戦っています。女性戦士も多いとか…、強いなあ!偉いなあ!我々も彼らの爪の垢でも煎じて呑まないと…(::)。

 

先週の読めそうで読めない字     紺屋(こうや)の白袴

今週の読めそうで読めない字     花の(顔)

ウクライナの命運

コロナが終熄しない儘に緊急事態宣言が解除され春がやって参りました(;;)。でも地球の向こう側ウクライナの人々には春も来ず、来るのは一般人を狙ったロシアのミサイルばかりです。停戦すると言ってはウクライナの病院を攻撃して年寄り子供を虐殺するプーチンは酷い奴ですね。そしてロシアTVニュース画面の後ろに立って「NO WAR」のプラカードを掲げて視聴者に訴えた女ならではの度胸は男が到底叶わぬ肝っ玉の持ち主でありました(@@)。拘束されたけど国民の圧倒的な支持により彼女は無事釈放されたそうですから民の力は強いなあ!何れプーチンはウクライナではなくロシア内部から粛清されるのではないでしょうか?人間の常識を越えた彼の行動は悪魔だと言われても仕方がありません。そしてバイデンさんは口先だけで実行力がなく何か胡散臭いね💢、トランプさんの方がまだマシだったかしら?などと思ってしまいます(;;)。そして又コロナ禍は一体無事終熄するのでしょうか?不安一杯の春です。

 

皆様ご存知のグリコが先月創業100周年を迎えました^^。グリコの原点は牡蠣の煮汁に含まれる栄養である「グリコーゲン」です。グリコは森永の「ミルクキャラメル」全盛の中を「一粒300米」をキャッチコピーに小売店から百貨店まで売り込みに成功しましたが、バンザイして走る男性の姿は今も大阪道頓堀のシンボルです。グリコ創業者である初代江崎社長は商品の売上を注視し実際に販売現場でグリコを手に取って居る客を観察し、買わなかった客を追いかけその理由を尋ねたら「男の顔が怖い」との客の言葉に早速帰社してランナーを柔しい表情に変えたそうですが^^、発売から5年目に玩具のオマケをつけることがグリコ躍進の決め手となりました。全ては初代社長の実体験に拠る発想だったそうです。昔の社長さんは皆苦労人らしく偉かったね(@@)。高級車に踏ん反り返ってお昼前に出社して高給を食む幾多の坊っちゃん社長にはグリコだけでなく多くの創業者の苦労を偲んで爪の垢でも舐めさせたいよな💢。

そう謂えば今度社長から会長に勇退した三代目江崎社長を誘拐したグリコ森永事件の犯人であるキツネ目の男は警察に二度も顔を見られながら結局捉まらなかったね。世間を席捲したあの事件が解決しなかったのは大阪府警と兵庫県警が互いの縄張り争いから情報を共有せず秘匿したからだとの説が強いが、そんなときこそ警察庁が出馬し、頭(かしら)として両警察の意思疎通を図るべきを放置したせいだと私は思っています。一昔前である30歳位の頃ですが夕刻、神戸大学病院の南にある山手線楠町の道路を歩いていた折、見知らぬ男が喧嘩をしていたので、道を隔てた西の歩道に偶然警察官が居るのを見付け駆け寄って喧嘩を通報したら、「あれは生田警察の管轄やから儂は知らん…」と言って去ってゆきました(@@)。後で聞いたのですが、兵庫警察署の人は警官として所轄外地域に入って行けない規則なんですって…(;;)。殺人事件なら放って置けないと思いますが、生田署の管内で兵庫警察が喧嘩しているものを止めもできないなんて不思議な規則ですね💢。グリコ森永事件は兵庫県警と大阪府警がお互いの情報を共有せず手柄を独り占めにしようとしたため未解決に終わったに違いないと思ったものです。

 

罪のないウクライナに対するプーチン大統領の理不尽な手口は太平洋戦争終戦末期のドサクサに樺太と千島列島などを奪い取ったスターリンと全く同じです。弱者を苛めるロシア人ってホントに狡いヤツや💢。第二次世界大戦当時日ソ中立条約を結んでいたのに、スターリンはドイツ戦終了と同時に対日参戦することをソ連の意思として伝え、45年8月ア広島に原爆が投下された直後スターリンはヤルタ会談での他の連合国との密約を基に日ソ中立条約を一方的に破棄し、攻撃開始の直前に駐ソ日本大使に対して形だけの対日宣戦布告をし、日本および満州国に対して参戦し、8月15日昭和天皇による玉音放送(終戦の詔勅)をもってポツダム宣言の受諾を表明し、日本軍の全ての戦闘行為は停止されたにも関わらず日本の領土を少しでも多く略奪することを画策したスターリンは停戦を無視し、日本の同盟国の満州国と蒙古連合自治政府への攻撃のみならず、南樺太と千島列島への攻撃を継続させたことにより、その後の北方領土問題を引き起こす原因を作ることになりました。スターリンは南樺太や千島列島に加えて、北海道北部をも併合したいとトルーマンアメリカ大統領に申し入れましたがトルーマンにこの提案を拒否され、腹いせに同年8月23日に「国家防衛委員会決定」を発令し、これにより戦後に抑留された70万人にも達する日本軍捕虜や民間人をシベリアに抑留して強制労働に就かせ、日本企業の生産設備などをソ連国内に運び去ったのはハゲタカのような無法行為でした。その上英米軍を中心とした連合国軍事司令官総本部に対し、北海道全体と東北一帯の分割占領を提案したものの、これは即座に英米から拒否されましたが、これらの経緯からプーチン大統領のすることなすことスターリンもどきであり、非人道的で今回のウクライナに対する卑劣な攻撃は76年前ロシアの我が国に対して行ったと同じ手段をウクライナに対しても取っていると思います。アメリカも西欧も今の為政者は何れも76年前の旧ソ連であるロシアが如何に残虐で酷(むご)い人種で非人道的な行為をしたかを知らない世代であり、根本的に事態の対応策を変えるべきです。彼に人の倫を説いても理解しないと思います。このままではウクライナは76年前の我が国の満州と同じ運命を辿るのではないでしょうか。バイデンさんも西欧も何故かはっきりせず及び腰で牴牾(もど)かしい毎日です。

 

先週の読めそうで読めない字     血脈(けちみゃく)とは家の血筋を言います

今週の読めそうで読めない字    (紺屋)の白袴

 

あゝ野麦峠 その3

春が来た気配は不幸にして目が痒くなり今年の花粉症を体感することになりました(;;)。色々あった令和3年度の確定申告も漸く無事終了することができて全員ホッとする反面、確定申告に感(かま)けて放置していた関与先法人の決算や月次帳簿処理など日常業務が一杯残って居ることを思い起こしもうひと踏ん張りせねばならぬと覚悟を新たにして居ります。

「あゝ野麦峠1&2」は多くの方の共感を呼びました。私が購入した令和3年版は再販に続く再販でナント!75版であったのには驚きました(@@)。読者からの投書や資料提供に基づいて著者が更にペンを取られた力作「続あゝ野麦峠」を読むと北アルプスの野麦峠を越えて岡谷に向かった工女の中には飛騨高山在の少女ばかりでなく越中富山の八尾(やつお)からの少女も多く野麦峠を越し、岡谷までの往還をして居た事実が新たに判明します(@@)。著者が実際に八尾を訪れてそれが真実であることを確認されたそうですが、「越中おわら節」で有名な富山県八尾町から飛騨高山まで直線で凡そ50km、野麦峠には及ばぬまでも冷たい高原を野に山にと高低に加えて、高山を経由し野麦峠を経ての強行軍は筆舌に尽くせぬものだったでしょう。昔の子供の逞しさより今の子供を始めとする多くの若者のメチャ軟弱な身体機能に腹立ちを禁じえませんが、我が国も韓国に倣って男子に兵役義務を課したらどうでしょうか!

話は戻ります。富山の八尾(やつお)と謂えば誰もが越中おわらの祭の夜に互いに心を通わせながら、離ればなれに20年の歳月を生きた男と女が辿る危うい恋の旅路を八尾を舞台に美しく描き出した作家高橋治の直木賞受賞風の盆恋歌」が懐かしく思いだされます。此の唄は八尾で歌い継がれる民謡であり、毎年多くの観光客が訪れるおわら「風の盆」にてこの越中おわら節の旋律に載せて若い女性の踊りが披露されます。雪洞に灯(あかり)がともり、胡弓の音が流れるとき、風の盆の夜が更ける「風の盆恋歌」は石川さゆりが唄ってレコード大賞でしたからご存知の方も多いでしょう。八尾の少女達の旅は越中八尾から飛騨高山まで直線で15里(60km)であってもアップダウンがあり約2日を要したと思います。著者が実際に聞き取った八尾の少女(当時)高井すえの話「初めて糸引きに出たのは12歳だった、それまで4年子守に出ていた。」此の在所では飛騨高山と風習を異にして糸ひきのできない者は嫁に行けない仕来りで全員糸ひきに出て居ました。「それでわしは13年間糸ひきに通った。2月頃雪の野麦峠を越えて行ったときのことは今も忘れられん。出発のときオレも近道を行くと野麦を越えた。」飛騨の高山でそこの女子と一緒になり野麦峠まで5日も6日も掛かったが、ここまで来ると疲れ果てて動けなくなるものも出てきた。八尾から野麦峠を越えての岡谷までの往路は凡そ260kmにも達し少女たちの徒歩での強行軍は筆舌に尽くせぬ労苦であり想像を絶する過酷な道程であったと思われます。雪の野麦峠はあまりに過酷なので後には海岸線を直江津まで歩いて行くことになったが、距離は120km(約神戸岡山間)と長くても平坦であり直江津には既に岡谷へ行ける汽車が来ていました。昔の少女って逞しいなあと思ったものです。キカヤでは朝4時から夜10時まで働き詰めで休みはなかった。食事は4回でも少なく夜はおにぎりか芋が出たがひもじくて動けなくなり家からも豆や干し栗を送って貰ったとか…。

八尾からキカヤに行ってから仕事はずっと苦しかったが唯一楽しかったことは年に一度のお盆に他の工場の者も越中者ばかりを集めて「越中おわら」を一夜町を流して歩いたことだった。「あの岡谷のお盆の楽しさは今も忘れられない」辛い過酷な仕事の中での故郷を想う年一回の楽しい踊りは生涯の想い出として脳裏に深く刻まれたことでしょう。恐らく日常抑圧された青春のエネルギーが夏の夜の一夜爆発してのもので「♫ 越中で立山、加賀では白山、駿河の富士山、三国一だよ。キタノサー、ドッコイショ♪」哀調を帯びた北陸独特の旋律は一夜中岡谷の町並みに溢れたのでした。越中八尾の人達はその後10数年を経て故郷に帰って結婚し、貧しいながら死ぬまで糸を繰ることを生業(なりわい)としたそうです。

「あゝ野麦峠」には北アルプス安曇野の山々が再々出て参ります。私は初めて信州を訪れたのは囲碁部の主将となった大学3年生のとき先輩に招かれた夏の合宿でした。普段山と謂うものは目の前に見えるものですが、驚いたことには松本駅では頭の真上に山があることでした(@@)。

合宿で車座での晩餐時にはお酒が出て先輩が唄った安曇野に伝わる俗謡が今も忘れられません。                            「♫酒は焼岳、心は穂高♪、早く乗鞍、槍ヶ岳♫」                                  とお猪口(ちょこ)を片手に首を振って唄うのです。昔の方ってお米も碌に食べられない貧しい暮らしの中でこんなに諧謔心が旺盛だったのにとても驚いたものです^^。

ウクライナ情勢は予断を許さず原油欲しさに西欧はプーチンの専横を止めようとしない(;;)。多くのウクライナからの難民の訴えには身が詰まされ、遣リ切れない抵牾(もどか)しさに我が身を捩(よじ)って居ます。銃弾の中をキエフに留まって必死で国を護るウクライナの大統領は立派だと思いますm(_ _)m。

先週の読めそうで読めない字    深い縁(えにし)で結ばれる

今週の読めそうで読めない字   (雪洞)に灯をともす

あゝ野麦峠 その2

久し振りに雨が降って暖かい春の訪れかと思える穏やかな一週間でしたね。このまま春が来ればいいのですがお彼岸までにもう一度「寒の戻り」が訪れるのが通例です(;;)。事務所では3月15日の確定申告期限を間近に迎えて土日も最後のラストスパートですが、うちの司令塔の3週間不在のブランクをも全員力を併せて奮励努力して奪い返し、申告も後数件となり間もなく無事ゴールに辿り着くことができそうです^^。

「あゝ野麦峠」今日は前回に続き飛騨から険しい峠を幾つも越えて信州に向かった飛騨の貧しい工女達の回顧談などをお伝えしましょう。「2年目から峠を越すときはキカヤの男衆が付いてくれて越しました。雨具にはキゴザ(藺草「いぐさ」で編んだゴザ)を背負って行きました。今考えるとザマではない、ワハハハ^^、銭なんか貰わなかったね、ただ食べさせて貰えるだけせ」。「3つのときに子守に行き学校は知らね。10歳の時のとき野麦峠を越えて諏訪湖に出た。2月の野麦峠を皆素草鞋で越えたが、足が凍って泣いて越した。初めの年は1年働いても3尺のモス切れ1枚貰った」。「ワシラは紺股引に素草鞋で峠を越した。あれはワシが11の年(当時は満年齢でなく数え年でした)だったがその頃は雪のときは通らなかった。1年働いて1円貰って帰ったことを覚えている。昔は口減らしに往くのだから銭のことで不平はなかった。米の飯が食べられるので家に居れば粟や稗(ひえ)しか食えないから遥かに良かった。」米のご飯が食べられれば仕事の対価として充分だなんて美酒飽食に馴れた私達には考えさせられることです。飛騨の貧農は誰も子沢山で作った米を地主に取られ、高い利息で借米をして居たので借金が増える一方でした。あの頃は取り上げ婆さんしか居なかったけど、大気汚染など全く無かったせいか、高山でも何処でも嫁は10人位子供を生みました。それにしても人工授精とか保険の効かない高価な不妊治療に命を尽くす現代の夫婦と当時の夫婦と何処がどう異なっていたのか不思議でなりません(;;)。現代はあらゆる交通手段から垂れ流されるCO2ばかりでなく、食物にも化学肥料や有害防腐剤が満載され、海の魚も汚染が酷く、文明の発達は人類の滅亡を齎す不妊原因を増加さして居るに違いありません。あの当時は生まれた子供を半分疫病で亡くしても食い扶持が足らずに地主から借金しての利息は幾ら働いても追いつかず、正月位しか米のご飯が食べられなかったのは士農工商の順位の割には田を持たない百姓は誠に不公平であり不憫でした、きっと食べ盛りの彼女達は毎朝4時起き就業で夜10時まで糸を繰り、休日は週に半日のキカヤであっても三度々々食べさせて貰える米の飯が何より嬉しかったのは、彼女達が貧農の出身だからこそ辛抱ができたものだと思いました。当たり前に白米を食っては今日の飯は不味い…💢など言っている私達は二分搗き三分搗きの米を嬉々として食べていたあの頃の少女たちに対して顔向けのできない罰当たりだ!と思ったものです。

明治も30年後半になると百円工女(1年間に)が出るようになって、娘の持ち帰る百円は現在の数百万円にも当たり、高山では田圃が1反(1000㎡)買えました。此れは全て工女の生来の器用不器用と眼の良さに由来して居り、矢張り年の瀬に1円も持たずに帰る口減らしだけの娘も多く居たのです。ある村では三人の姉妹が250円持ち帰って評判になり、翌年は飛騨古川の三宅イトが13歳で4人の姉に続いて岡谷に行って姉4人が全て百円工女になり、5人で600円持って帰った年もあったりして小作農であった父は毎年田圃を買い増して地主にまでなった逸話がありますが、百円工女の秘訣は努力だけでなく持って生まれた才能にあり、本人の眼力(めぢから)と器用さと体力であり、目の悪いものには蚕から出す細い糸がうまく紡げず、売価の80%を占める原料繭を無駄にするため借金が増える一方の工女と100円工女の差となりましたが、180度の熱湯で茹で上がられる繭は蛹(さなぎ)の悪臭で充満し作業場現場では全員が汗まみれで、並の人には数分すら耐えられぬ場所であったと思います。

「あゝ野麦峠」は発売後ベストセラーの地位を譲らず昭和43年35回も増刷を重ねた結果、紙型が摩耗してしまい47年には新たに活字を組み直して出すに当たって著者は新事実の追加や夥しく届いた読者からの助言や資料提供などにより旧版を全面的に書き改められましたが、新版も15回の増刷を繰り返し、如何に此の本が世の読者に迎えられたかが分かる具体的な数字でありました。読者層は年寄りから中学生にまで及び、昭和45年2月「青少年読書感想文第15回コンクール」入賞作品の一つに此の本を取り上げた三重県の女子中学生の感想文が選ばれて居ます。恐らく作文には此の中学生の100年前の同世代女性に対する切々たる想いが籠められたものだったと思いました。

私が「あゝ野麦峠」を二度に亘ってまで取り上げたには理由があり、私が昔、この小説の舞台である信州岡谷と二度に亘って深い縁に関わったことに拠ります。経緯詳細は私ごと故、伏せさせて頂きますが、初めは蒸気機関車の噴煙に塗れながら中央線を北上した学生時代には木曽福島辺りからお蚕さんの桑畑が林立し、二度目は電化により煤煙に塗れることがなくなった木曽は桑畑が消失して玉蜀黍(とうもろこし)畑と化し、塩尻から岡谷への車窓には変わらず私の好きな月見草が一面に土手を覆って居たのを今も夢に見ます。その後40数年が経過しましたが、時代の変遷には唯々感慨無量の思いです。

工女たちはその後キカヤからの余りの冷遇から日本初の一大労働争議と発展し、結果は言うまでもなく国家権力の庇護を受けた製糸業者の圧勝に終わったのですが、此の事件には市川房江、片山哲等戦後の日本に民主主義を灯した方々が登場されています。来週が最終回となります。

先週の読めそうで読めない字      偏に(ひとえに)両親の顔を見たい

今週の読めそうで読めない字  深い(縁)で結ばれる。

 

あゝ野麦峠

いつもの月より短い二月も明日でお終いとなりますが、うちの司令塔である愚息の帰還が思ったより早くて全員が安堵し申告事務が順調に進んでいます^^。あと半月どうか誰も風邪を引かぬよう体調に留意して頑張りたいと思います。北京オリンピックも抜き打ち検査とかいろいろあったけど日本がスケートの高木選手を筆頭に多くのメダルを獲得して無事終了しました。気温が氷点下17度とか…(@@)、選手の皆様ご苦労さまでした。

先週「ああ野麦峠(ある製糸工女哀史)」を読みました。再読は40年振りかと思いましたが、私の当時の年齢や価値観など現在と随分変わったこともあって全く違った気持ちで読了できました。明治の初期から大正昭和に掛けて飛騨高山在貧農の娘たちを巡る悲しい実話ですが、この地方のお百姓は苦労して作った焼き畑で採れた米を地主に渡し、小作料の米は食べずに全額金に替え、主食は粟や稗を常食と言う貧しい地域の人たちばかり、不作となっては田圃を地主に返して離散する者も少なくなく明日は我が身と周辺の貧農では女児を三才で子守に出して働かせ相手の子供が子守と同じ三才であることも稀ではなかったそうです(;;)。そして娘が小学校を卒業(当時4年生)すると「口減らし」と年の暮れに持ち帰る現金をあてにして明治維新当時信濃国鈴木村にて生糸の輸出で外貨を獲得のため勃興した製糸工場(通称キカヤ)へ働きに行かせました。子ども達は健気にも苦しい生活に喘ぐ両親に報いようと村の同年輩である仲間数人と道案内であるキカヤの若者に先導されて髪は桃割れ、赤い腰巻きに草鞋履きで身の回りのものを袈裟に背負い、両親に別れを告げて早朝3時に出立する姿はいじらしいものだったと謂われています。夕刻には海抜1670mの野麦峠を越えて歩む数知れぬ峠道の連続は慣れない者には果てしなく遠く、地図の上で直線80kmであっても実際に歩く山道は遠周りとなり幾つもの峠のアップダウンを経て島々、松本、塩尻を経由し信濃国諏訪鈴木村(現在の岡谷市)に到着するには7日間45里(180km)の山歩きであって幼い子どもの足では大変だったと思われます。野麦峠は岐阜県高山と長野県の県境に位置し、南に木曽岳、北に乗鞍岳、遠くに焼岳に穂高岳が一望される飛騨と信濃の国を結ぶ鎌倉街道、江戸街道とよばれ、古くから重要な路線の峠であり、明治時代には日本の製糸産業を支えた飛騨の女工たちの交通路として賑わい、そこから此の本が生まれてベストセラーとなり映画は大ヒットとなりました。明治の終わりに高山鉄道が開通してから汽車で下呂まで出て付知峠を越えて美濃坂下に出て中央線で岡谷に向かったのでした。野麦峠も今は街道の賑わいも忘れ去られましたが昔を偲んで静かで自然の美しいこの場所を訪れる人達が少なからず居られるそうです。

明治5年(1872)、明治政府はフランス式繰糸機を輸入して官営富岡製糸場で生糸の操業を始めたことは皆様ご存知の通りです。近代日本製糸業の夜明けでありました。然しその当時はフランス人の技師が当時の太宰大臣より高い月額700円の給与を取っていたため、コストが高くついて大変でしたが、数年後、日本人の知恵は凄く諏訪の平野村(現岡谷市)で武居代次郎なる人が岡谷独自の繭から糸を紡ぐ「諏訪式繰糸機」を生み出しました^^。これはイタリア式とフランス式を折衷した画期的な機械でコンパクトで性能が良く、低価格で高品質の生糸が生産できました。そしてこの機械はあっという間に全国に広まり、日本が世界一の輸出生糸生産国になって外貨を獲得し、我が国が諸外国と肩を並べるまでに成長する要因となりました。日清戦争や日露戦争で我が国が最強の軍艦を率いて勝利し、世界を驚嘆させることができたのも「キカイ道楽」と呼ばれた情熱と創意工夫の人武居代次郎のものづくり精神から作られた「諏訪式繰糸機」により多くの生糸が廉価で生産され外貨獲得に拠って得られた戦艦射撃砲によるものであることは言うまでもありません。この機械は岡谷の宝物と呼ばれて、今も各地現役で活躍しています。その製糸工場で働く女性は北海道を始め全国各地から集められましたが、前述の聳える山脈西にある飛騨地方高山在の出稼ぎ娘が多く、当時は4年生で小学校を卒業する10歳で故郷飛騨を見下ろせる野麦峠を後にして島々宿に迂回し、松本に出て塩尻から諏訪へと草鞋を履き潰しながら7日間歩き通しての少女たちの強行軍は今なら想像もつかぬことでありましたが、幼い頃から田圃や水汲み仕事で鍛えた当時の女児の足は強かったなあとつくづく思いました。彼女達は只管働いて年の暮れにお金を持ち帰り両親の喜ぶ顔を見たさに二度三度と145キロの峠越えに挑むのでありました。工女の一人吉野すえさんの回顧談をご紹介しましょう。「仕事はノルマ制でそれは苦しいもので御座いました。いっそ諏訪湖へ飛び込んで死んでしまおうと思ったこと数え切れず、それでも暮れに野麦峠から故郷飛騨を眺めて涙を流し、峠を越えて家に帰り一年働いて貰った「1円」を母に渡すと母はそのお金を抱きしめて「此れで年が越せる」と声を上げて泣き、病いの父は起き上がって「すえ、ご苦労だったなあ」と言って手を合わせて何度も頭を下げて礼を言い、お金を一升マスに入れて神棚に供えお灯明を上げて明るいお年とりをしました。あのときの両親の顔を思い出すと工場でどんなに苦しくてもワシらは我慢できたのです」                     来週に続く…

遂にウクライナロシアが侵入し首都キエフに戦火が起こり巷ではプーチンに対する非難の声が轟々ですが、一方で先日まであれだけ意気込んでいたバイデンさんがいざ鎌倉となると何もできずにまるで対岸の火事を見る如き態度は看過できません(;;)、世界は何れ滅んで理不尽な行為を続ける悪魔であるロシアと世界一の物財を誇る中国共産党のものになるのでしょうか💢。

先週の読めそうで読めない字  昔は文盲(もんもう)の人が多かった

今週の読めそうで読めない字   彼女は(只管)糸紡ぎに励んだ