春の高校野球も雨に祟られながらも先週日曜日に漸く終り、伏兵の健大高崎が昨年準優勝の報徳高校を破って歓喜の初優勝を飾りましたが、実力で勝る報徳が敗れたのは報徳に優勝を意識した堅さが残ったせいであって「勝つと思うな思えば負ける」と「王将」の一節が思い出されるのでありました^^。

天皇陛下と雅子皇后の長女愛子さまは今春、港区芝大門にある日本赤十字社に入社され、4月1日よりネイビーのスーツに白シャツ姿に身を包み社会人としての勤務を始められました^^。
庶民の生活を知るとても良い手段だと思慮致しますが、千代田区にある皇居からの通勤退勤手段はどうされているのでしょうか?愛子さま通勤と聴いて近づいてくる暴漢だって居るや知れず恐らく愛子さまの給与では全く賄い切れないボディーガード費用を費やして周囲を警戒して居ると思われます。地下鉄に乗る訳にも行かず車での往還でしょうから社会勉強とは謂えメチャ大変でしょう。でも一緒に仕事をされる赤十字の職員の方がもっと大変だろうね🤬。愛子様用トイレが特別に造られたりして…(;;)。

 

近頃黄泉路が近くなったせいか若い頃の回想に浸ることが多くなり、思い出すことは当然昔の苦労話となりますが、思えば私が幸運にも受験生3万人合格者800人の税理士となれた60年前は昭和の半端(なかば)であって我が国が全てを失った戦争の痛手から漸く立ち上がり掛けた経済の黎明期でありました。私も未だ20代で税理士のホヤホヤでした(;;)学校を出て間もなく身の不始末から親に勘当され、大阪の八尾でミシンのセールスをして辛酸を舐め、その後勘当が解けて父の事務所に入りましたが、その当時父は初代の公認会計士として戦後新しくできた証券取引法に基づいて上場企業の財務諸表を監査し、その是否を有価証券報告書に記載して大蔵省に提出する職務に没頭し更には公認会計士協会の常務理事など務めたため、勲五等を貰って宮中に招かれたり…と公務?に忙しくしていました。そのうち、戦時中お得意先を訪れては鉄兜を被って決算を組むなど長くお付き合いをさせて頂いていた中小企業であるお得意先の関係が少し宛疎(おろそ)かとなって行き、古くて大きなお得意先は父に構って貰えぬことに失望してどんどん離れて行ったため、神戸と姫路と二箇所(当時は事務所を2つ持つことが許され、兵庫県には父を含めて2人居ました)あった事務所の経営が危機に瀕しました。止むなく神戸事務所を私が任され、歯が抜けたように減った50件近くの顧客を分担し、朝は8時から夜は10時まで仕事に没頭して居た頃の税務署と税理士とお得意先の事情などを今日は皆様にお知らせしたいと思います。

当時の我が国は現在とはまるで異なり、未だ高度成長期のスタート地点にあり、税金を一杯支払わねばならぬ酷税(最高で80%)時代であって正しく申告したら税金が高くて生活ができずに首縊りの羽目となるため、誰もが売上を除外し帳簿を誤魔化して生活費に充て、或いは裏預金に勤しんで居たものです。思えば「貧乏人は麦を食え」と嘯いた池田勇人のように総理とは思えぬ下賤な宰相が現れて以来爾来税金を払いたくても食べて行くために払えぬ将に酷税時代の熟成期でありました🤬。当時は高度成長の萌芽期でもあったため事業者の増加に比べて税理士の絶対数が現在と比べて圧倒的に少なかったので、多くの事業者が帳簿を有さない白色申告で確定申告には納税貯蓄組合とか色んな無資格者が関わって脱税事件が跡を絶たず、業を煮やした国税庁は無資格者の関わっている事業者に税理士以外の者に税務申告をさせないよう通告し、彼らとの関与を停止させる措置を講じました。そうなると困ったのが無資格者に申告を委ねて居た事業者であり、伝手(つて)を辿って我々の処にも多くの依頼が参りましたが、受け入れ側には其れ程の許容量がないため、断れない方からの紹介先だけ受け入れることになりました。結局引き受け手がなくて途方に暮れた事業者も多く、従って生き延びた無資格の潜り税理士がその後も少なくありませんでしたが、税務署の調査の際立会税理士はバッチや税理士証票を見せることが決まり処となって少し宛正常化されて行くのでした。翌週に続く…。

 

自民党が行った派閥の政治資金規正法違反事件を巡る関係議員への処分で、党内から反発の声が治まりません🤬。厳しい処分が下った議員は批判を強め、処分対象が多い安倍派からも不満が噴出しています。岸田首相は早期の党内融和を図りたい考えですが収束は全く見通せず、6日に告示される衆院3補欠選挙への影響が大きく懸念されています。全ての原因は岸田総理が自らの責任を取らずに逃げたことに起因することではないでしょうか🤬。

 

先週の読めそうで読めない字     恐れ入り仕(つかまつ)る

今週の読めそうで読めない字    彼の身体を(動揺ぶる)