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公務員試験の予備校

1年で一番寒い時季となったが皆様風邪対策は大丈夫ですか、外出帰宅時の手洗いと嗽(うがい)は絶対に欠かさないようにしましょう、それから外出から帰宅時に玄関を入る前着ている衣服の上下ををパンパンと手で払うことで戸外にて付着したウイルス菌が家に進入することが妨げられるため、風邪に罹らない効果が大きいそうだから是非実行して下さいね。

先日の姫野カオルコさん直木賞受賞会見場でのジャージ姿について、うちのブログで少し触れさせて頂いたが、世間でも相当な反響を呼んだらしく先日の毎日新聞夕刊で本人の弁明が大きく5段抜きで掲載された^^。会見場へジャージ姿での登場について彼女の言い訳は直木賞の発表を待つ際は何時も多くの編集者に囲まれて皆でお酒を飲む習慣があり、毎回落選のショックからヘベレケになって翌朝地獄の二日酔いを味わっていたため、今回はそれを避けてスポーツジムでストレッチをして居たとのことであった。当人の本心は分からず此の言葉を信ずるほかないが、私は落選を重ねた経験からの苦肉の策であり、一種の験(げん)担ぎの類いもあったのではなかったかと思って居る。それにしても直木賞の会見場は天下の帝国ホテルであり、リューと着こなした編集者達に二重に囲まれての入館でなければきっとジャージ着用を咎められてガードマン達に摘み出されて居たのではなかろうか:-)。
彼女のジャージ姿は受賞作「昭和の犬」の新聞広告にもデカデカと載せられ全国版になったから、ジャージをフォーマルな服装として前例を作ってしまった帝国ホテルは今後ジャージ姿の若者の来場を拒否できなくなったのではないのかな、現在帝国ホテルはホテルランキングがフォレストイン昭和館に続いて二位だが、常連である外国人VIPの顰蹙を買ってホテルを変えられては最早5位くらいに転落する他ないかもね^^。

大卒の就職戦線も愈々終盤を迎えて居る。昔我々の若い頃は公務員になりたい人はとても少なく、その理由は給与が廉いことにあった。終戦後のことだが闇米を買えなくて餓死した判事さんが居た位だ。街に出たが失職し、生まれ故郷に帰って役場勤めなどよくあるパターンだったのだ。処がバブルが弾けた20年位前から景気後退のせいで民間の雇傭が不安定になり、会社の業績次第で僻地へ単身赴任ささせられたり、40歳で退職勧奨されたりで、定年60歳まで勤めるなど夢の又夢だし、一流企業にも肩書きだけ課長にして残業手当も出さずに過労死させるブラック企業が続出している:-)。それやこれやで近年は終身雇用が決まりで、リストラも肩叩きもなく給与が高い公務員の希望者が激増しているのは当然だろう。何せお役人は企業と違って正面からこっちを向いて睨んでいる人も居ないし、お金儲けはしなくて良いし、サボっていても目立たなければ誰から叱られることもなく安心だよね。痴漢しても飲酒運転がばれても給与減額10分の1一月限りでは痴漢も飲酒運転も減らないよね。民間企業ならこんな事件を起こすと企業イメージを損なうからクビになるか、運が良くても僻地の子会社に飛ばされるから役人はいいよな^^。だから当然に公務員試験の就活戦線は最難関となり、有名省庁に入るとなると100倍を超す競争率だそうだ。そのため最近では公務員試験向けの予備校があって有名大学の3回生4回生が懸命に通っているそうだが予備校では30科目にも上る学科試験は勿論面接や小論文対策まで教えてくれるが、予備校の必殺のウリは60分間1600字の論文試験に合格するための次なる5つの鉄則にあると何かの本に書いてあるのを読んで愕いた。
論文に合格するための五つの鉄則
① 国に対する批判はしない ②公務員に対する尊敬の念を表現する ③マスコミ風の文章は止める ④自分の考えは入れない ⑤国を立てる、
うーん唸るよね、1番3番5番はまあ我慢できるとしても2番はしらじらしくてまるで戦争中の軍部礼賛愛国行進曲だね:-)、それにしても4番には魂消るな(゚ロ゚)、自分の考えで論文を書かなくて何を書くのだろうか?こんなことでは我が国の進路を正しい方向に舵取りしようと青雲の志を抱いている若者は先ず此の論文試験で蹴落とされるシナリオだろうな:-)。どこの役所へ行っても個性のない金太郎飴のような連中ばかり居るのは此の論文試験が原因だろうな。予備校の模範答案を自分の考えと差し替えて生きて行ける人間なんて世の中には居るんだね、器用だな、私には想像を絶するものがあるが、こんなカメレオンのような受験生とこんな詰まらぬ試験だからストーカーに相手の住所を教えたり、人工授精の子どもの出生届けを受理しないようなバカな役人がボコボコできたんだろうね:-)。

先週のかな付けの答え
① 愛い ② 愛しむ ③ 愛でる
うい    おしむ    めでる でした、

今週の難読漢字の問題
① 許多 ②許嫁

村上春樹と群ようこ


一昨日10日の神戸は0度と今冬初めての寒さで震え上がり路面の凍結を恐れて早朝の散策も取り止めた。この歳で滑って転んだら人生終わりだもんね:-)。
年末には105円の円安となり、不景気の株高なる言葉の通り日経平均は16000円を付けて超高値の儘推移している。円安が株高の原因に違いないが我が国は昔と違って輸出より輸入の方が多くなっているから喜んでばかりも居られない、円安は円の値打ちが下がったことを意味するから我々の財産が世界的に見て価値を下落したことを意味するよね。日経平均は兎も角として1ドル90円位が丁度良いのではと私は思うが今後為替と株はどのように展開して行くのだろう。

『百態の馬を鞄に詰めて行く』
お正月の昼下がり仕事をしながらNHKラジオ短歌川柳の時間を楽しんだ^^。川柳のお題は「馬」であり上記の句はリクエストで選ばれた句の一つだった。然し選者3人の内誰もこの句の意味が掴めずああでもない、こうでもないと議論沸騰し、挙げ句は投稿者に電話で聞いてみることになった。私も分からなかったが電話に出た投稿者の言葉から此の句の謎がするすると解けた^^。鞄に詰めてくるのはお正月郵便屋さんが運んでくる年賀状だったのだ^^。最近の郵便局は郵便物をバイクの荷台に載せてくるが荷台では味気なくて句にならず、言われてみれば納得だった、野暮は言うまい。皆も鞄を肩に掛けて峠道をテクテクと上ってくる郵便屋さんをイメージしようね^^。
聴いていると投稿川柳の選ばれるコツは上手下手ではなく選者3名に「?」と思わすものが話題を作って句と句の間の座が盛り上り選ばれる確率が高いことを知った。
この日のゲスト選者は落語家の林家きく姫だったが、選者が交代で投稿された川柳を読み上げる際彼女は「駿馬(しゅんめ)」を「しゅんば」と読んでしまった:-)、座は一瞬凍り付いてしまい、重い沈黙の末誰かが耳打ちしたのだろうかきく姫さんは「しゅんめ」と言い直したが、彼女は読み間違いから暫く立ち直れずその後の数分間は何を言っているのか支離滅裂だった。如何に話のプロでもレールが外れるとこんなことがあるんやと思ったが彼女が動揺したのは読み間違ったことよりこの程度の熟語が読めなかった事への恥ずかしさであったと思う。NHKのスタッフも投稿された句を選ぶ際、難読漢字にルビを付すること位してやれなかったのかな、彼女は元来が中卒で落語家になって知名度が上がり世間体やら何やらで38歳で高卒資格を取ったから学力は「駿馬」が読めなくても仕方がなくちょっと可哀想だったな:-)。

昨年も登場したが、作家の群ようこは人を衒(てら)わぬ天衣無縫と謂うか人を人と思わぬとても変わった人だ。作品中著名人を実名で登場させる一匹狼でありエッセイがとても巧みだ、その筆致は林真理子など傍にも寄れぬが少し品位に欠ける。彼女のエッセイ集「半径500mの日常」にて小柳ルミ子のことを「歩く生殖器みたいなタイプ」と書いて居たが、少し書きすぎかなと思った。こっちは歳が近い(群ようこが2歳下)だけに彼女の全裸ヌードなどに対する嫌悪感だと思ったがちょっと酷いな:-)、宮崎美子の三段腹も酷いと思ったが、こっちはずっとずっと上手(うわて)だったな^^。
エッセイ「別人群ようこができるまで」にこんな物凄いのまであった^^。『千駄ヶ谷にあるピーターキャットという店に行った、私はそれまで其処が村上春樹さんの店だったとは知らなかった。お店は混んでいてお洒落っぽいカップルが多かった、―――ふとカウンターの後ろの壁を見たら物凄く大きなゴキブリが張り付いていた:-)。私はそれを見ながら「そうか、村上春樹さんの店にもゴキブリは居るんだな」と思い家に帰った。』
天下の村上春樹に対して物凄い迫りようだね^^。其処まで書くか!群ようこにはノーベル賞候補者でも落魄(おちぶ)れた歌手の熟女ヌードでも一緒くただね(゚ロ゚)、此では作家仲間から歓迎されるとは先ず思えないね、筆が立つ上手な作家なのに直木賞候補にすら選ばれないのはこの毒舌?のせいなんだろうな。でも私のようなひねくれ者には彼女の筆はとても爽やかで快感だ^^。
村上春樹と謂えば私はこのお正月に文藝春秋新年号掲載の作品「イエスタデイ」を読んだ、彼の作品に接するのは四半世紀前に読んだ「ノルウエイの森」以来だったが、筆致が全く変わっていないのに愕いた。彼の作品が好まれる理由は作風が平易で読み易い処にあるが、静謐で淡々とした文書のストーリーは上質だが、登場する主人公達の性格が意外と晦渋であって読みこなすには相当な力が必要だ。私如き者には作品主人公の思考に到底理解が及ばないが、その辺がノーベル賞候補者たる所以かも知れないね。日経今月の「私の履歴書」は指揮者の小澤征爾さんだったが彼は村上春樹の親友だと書かれて居た。筆とタクトは何処か相通ずるものがあるのかも知れないが、共に芸術の世界に生きている人類であって我々衆生とは別世界の人なんだろうね:-)。でも雲の上の人でなく俗な処があることを群ようこがちゃんと証明してくれてホットしたね^^。うちの事務所にはゴキブリ居ないモン^^。

先週のカナ付けの答
① 過ぎる(すぎる) ②過つ(あやまつ) ③過ぎる(よぎる)でした。
どうでしたか、ちょっと難しかったかな?
(よぎる)は同じ通り過ぎるでも心の中の映像でしたね。

今週の難読漢字の問題
① 東風  ② 南風
② が少し骨がありますよ^^

パソコン眼鏡の隆盛


年の瀬が迫り早くも年末調整の時期が到来した。愈々戦闘開始だ、バブルの熾火がすっかり消え去ったのが平成16年であり、以来の不景気が続く昨今小規模企業では慣例だった賞与の支給がなくなった処が多くなり、我々も事務量が減ったものの此は決して喜ばしい傾向ではない。盆前と暮れにそれぞれ給与の2月分宛賞与を貰って居た昔が夢のようだ:-)。銀行などボーナスが3回あり、給与の総額より賞与の総額の方が多かったのだ^^。今、役所は何処も財政赤字で喘いでいるが公務員の賞与は昔通り4.2ケ月なのかな?不公平だな:-)。

先日散髪に行った。髪の多い中高生より料金が高い理不尽に耐えて残り僅かな頭髪を刈って貰って居たら隣の席に幼稚園児か小学校低学年の男の子が母親らしい女性に連れられて来た。この子は散髪をされている間、一度も鏡の方を見ることなく切った髪の毛が手に掛かるのにも頓着せず一心不乱に俯いて両手でゲーム機を操作して居た。職人は仕事が仕難いのに母親は何も言わず素知らぬ顔だ。此では家でもきっとゲーム機から離れられないことだろう、大切な幼児成長期にモニターばかり見ているときっと目を悪くするに違いなく母親は無知で子どもの視力の低下について何も考えて居ないんだろうな:-)、勉強で目を悪くするのは已むを得ぬとしても、できるだけ遠くを眺めて凝(こ)った眼球を休める時間を与えてやらないと此の儘では間違いなく眼鏡組となりコンタクトなどに憂き身を窶し、自業自得とは謂え不自由な一生を過ごすことになる。最近パソコン眼鏡の安売り(3990円)で全国大展開「JINS」の創業者田中仁が持株の極一部を売り出して27億円を手に入れたと報道された。此などゲーム世代の連中と無知な母親達が彼を大金持ちに仕立て上げるお手伝いをしたことになったんやろね:-)。

何時だったか紹介しましたね、日経新聞夕刊のエッセイ「プロムナード」本年下半期週一回執筆者火曜日の担当は唯一作家である辻村深月さんだが、先月半ばに「東京會舘の思い出」を記された。彼女は29歳で結婚、意識的に結婚式を直木賞授賞記者会見の行われる会場に決められている丸の内の東京會舘で挙げられ、席上大胆にもウェディングプランナーに「何れ直木賞のときに帰ってきます」と公言し(本人曰く軽口を叩いたそうだが)実際4年後の昨24年公約通り33歳で直木賞を受賞して東京會舘へ帰ってきたと書かれて居る。60歳で授賞の佐々木譲さん52歳授賞の白石一郎さんなど直木賞に到達するため作家人生の殆どを費やした人達が多い中で作家になって8年での彼女は物凄い実力者だったんだ、筆力がある人は自分のレベルが察知できるのかな、此までも2回直木賞候補に上がったが、それは何れも結婚後であったから結婚式場での「直木賞で帰ってくる」発言は大衆文学作家として一流になるべく自己暗示を掛けて不退転の覚悟で天下に示し自らの退路を断ったものであったろう、偉いな^^、この言葉を吐いて居なければ彼女は未だ直木賞には届いて居なかったのでは…と私はつくづく思った。直木賞授賞の記者会見では東京會舘の支配人もプランナーも4年前の彼女の言葉をしっかり覚えて居てくれて「お帰りをお待ちして居ました」と祝福してくれたそうだ^^。「故郷へ錦を飾る」とはよく謂われる成句だが、彼女にはある意味東京會舘は故郷だったんだ、彼女は感慨に胸が迫ったろうな^^、「為せば成る」やなあ^^。
彼女の作品はミステリー風だが作品の根幹が紛いもなくホラーであり、どの作品も原点から抜け出せず恐がりの私はどうしても好きになれない、登場人物の心理描写が巧みで筆致がとても素晴らしいから恋愛小説を書かれたら小池真理子に少しは近づくと思うが「三つ子の魂百まで」と謂うから先ずムリだろうね:-)残念だな。

この間玄関先で雑草に水撒きして居たら中学生位の可愛い女の子が彼女に相応しい可愛い子犬を連れて家の前を散歩されていた。見ると子犬のリードを持つ反対の手に大きいペットポトルを持って居る。「なんでペットボトルやろ?」と眺めていたら、角の電柱に子犬が片足を上げてピッとオシッコを掛け、犬が片足を降ろすや間髪を入れず少女がペットボトルの水を電柱にバシャとぶっ掛けた。そうなんや、此が本当の手動水洗トイレやったんや^^、犬のウンチもうちの玄関前に放置して憚らない手合いが多い昨今とても気持ちの良い晩秋の光景だった^^。

先週の誤字訂正の答え
多忙とは怠慢者の頓辞である、(遁辞)でした

今週の誤字訂正の問題
岩礁に打ち寄せる怒騰は凄い迫力だ、

御教訓カレンダー 
「打ちっぱなし」→「打ちっぱなし」安藤忠雄の設計のゴルフ練習場

不世出の30秒CM


愈々あと1日で9月ともお別れだ、今月も後半は概ね暑くて雨が降らず「セプテンバーソング」など聴く気にもなれなかったよ:-)。

児童文学の大家灰谷健次郎も漸く約30冊を読み終えた、学校では子どもに読ませているらしいが彼の作品は子どもが読むものではなく子どもを持つ親が読むべきものであることを悟った。此の先生の作品を読み熟すには物凄いエネルギーが必要だ、読む途中に立ち止まってうーんと考え込まねばならぬことが多い。そこで今度は一転して気軽に読める「群ようこ」の作品を選んだ、その次は「内館牧子」と決めている。彼女は日本芸術大学で林真理子の一年後輩だが作風は林真理子と大違いで性格に厭味がなく軽妙洒脱な文体を操る一風変わった小説家でありエッセイイストだ。小説は林真理子同様余り面白くないが、エッセイが断然面白い^^。筆に委(まか)せて著名なタレントを情け容赦なく一刀両断に切って捨てる処などとても快感で、日常のストレス解消を求める女性ファンの多い所以だろう^^、面白さでは内舘牧子と良い勝負だろうか、きっとご存じの方も多いと思う。
彼女が30年位前に処女作として上梓されたエッセイ集にて宮崎美子を叙した言葉は、読者の視線を集め彼女が世間と出版界から作家として注目されるきっかけとなった^^。
宮崎美子と謂えば、古くは「タイムショック」の無敗記録保持者、最近では「クイズQさま」でお馴染みの漢検1級にも合格した才女の熟年タレントだが、今の若い人から見てさほど著名なタレントではない、然し此の人のデビューは余りにも鮮明であり、我が国の高度成長終焉期で今思えばバブルの萌芽期でもあった1980年熊本大学在学中、超一流の写真家篠山紀信に見出されて、週間朝日の表紙に抜擢された幸運児だ^^、その後ミノルタ一眼レフカメラ「X-7」のテレビCMで放映された映像は、木陰でTシャツとGパンを恥ずかしそうに脱いでビキニ姿になるというシーンが何故か巷の大反響を呼び起こした^^。その理由は彼女が楚々として可愛かったことにもあるが、彼女がグラビアモデルとして可成りの「太め」であったことだ。それまではグラビアモデルは紺野美沙子のような痩身でエロ感なし清潔感オンリーが決まりであり、「太め」感乃至「ボリュ-ム」感はタブーだったのだが、彼女が前例である悪しき殻を打ち破ってグラドルとして世に出たあのインパクトは現在50歳以上の男性なら誰もが強烈な印象を持って記憶して居られるのではないだろうか^^。
あの30秒のCMは当時巷の大評判となり、CM中不世出の大傑作とまで謂われるようになったが、その後河合奈保子や榊原郁恵など「太め」で「ボイン」がお色気路線として当たり前のように輩出したのは時代の変遷とは謂え宮崎美子を魁(さきがけ)としたものであったと思う。
群ようこのエッセイ処女作「午前零時の玄米パン」には「宮崎美子がでてきて木の下でTシャツとジーパンを脱いで三段腹をブルブル震わせたときは、これで私の時代がやってきたと思った…」と書かれている、「三段腹をブルブル」とは大胆不敵な表現だな^^。此は群ようこ自身が太めの容姿を何時も気にして居た処、此の映像を見て吹っ切れ、三段腹の女性だって美女の仲間に一般参加できるとの価値判断を下されたのだろう。彼女の小説「都立桃耳高校」では主人公が高校生の頃、150cmで60kg大根足でなく蕪(かぶら)足でミニスカート、気分だけ「アンアン」モデルだったと書かれて居たから多少の誇張が入って居たとしても彼女自身がモデルであったに違いなく宮崎美子より10kg程多いが端数は都合良く切り捨てて自らの体型に置き換えたものだろうな^^。
あの当時、バラエティーでお腹の贅肉を掴み「ミヤザキヨシコー」と叫ぶ芸人まで出てきて評判になったから、30秒CM宮崎美子の出現は、グラビアモデルはスリムでなければならないという既成観念を崩すものであり、一般大衆は彼女によって自分達が虚像しか見て居なかったことに気付き、漸く真の女性像に巡り会ったのだと思う。あのときの宮崎美子のお色気を凌駕するグラドルにはその後お目に掛かっていないが、「お色気」なんてものは多すぎると男の劣情を刺激するばかりで決して良いと謂うものではなく、あの程度に仄(ほの)かに漂うのがベストなのだ^^。

19日JR北海道での鉄道事故が大きな波紋と共に広がり、367個所にも達する欠陥レールが露呈し、レール幅の拡大幅は3.7ミリにも及ぶとか…(;;)、事故原因について事業本部長が釈明に追われて居るが彼は線路に降りたこともないエリートの事務屋やから何も分からない。保線作業員の勘違いになるそうだがレール幅の基準値の過ちが30年近くも前から踏襲されて居たのでは責任者の突き止めようもなく結局有耶無耶になることだろう、でも保線作業員の勘違いとかミスだと言うのは少しおかしいよ、作業員は命令通り「此処掘れワンワン」と仕事をさせられて居るだけだから、寧ろ被害者ではないのかな。悪いのは検査基準を目で見ながら心の目でしっかり確かめようとしなかった保線現場の責任者だろう、それと民営化で運悪く蝦夷に飛ばされ、やる気のない経営陣も同罪だろう。北海道は昔から線路が長くて乗客が少ない赤字垂れ流し会社だ、毎年国から300億円血税を貰って赤字補填して居るからキャリア組は誰も花の東海、東日本、西日本に行った連中を羨んで仕事などする気がまるでないのと違うのかな。会計検査院の指摘したJR四国のレール未補修50本も同じ理由やと思うけどなあ:-)。

先週の誤字訂正の答え
議員から舌砲鋭く詰問され大臣は答弁に苦慮した。(舌鋒)でした

今週の誤字訂正の問題
彼の純真さが誤ちを犯す

ご教訓カレンダー
「これにて一件落着」→「コネにて一件落着」 事件揉み消し

子供のこころと大人の心


暦の上では今日から9月になったが、久し振りの降雨の後、風が少し涼しくなったように感じられるからやっと秋が来たのだろうか、先週の雨のお陰で庭の雑草も随分と元気を取り戻し三角バッタも青い食事にありついて嬉々と戯れて居り大きくなった。多分間もなく「負んぶバッタ」が見られるだろう^^。颱風が近づいているようで少し心配だな。

先週にも触れたが最近私は灰谷健次郎先生の作品ばかりを読んでいる。この先生の本を読むと汚れた心が少し宛澄んで透明になってくるような気がする^^。「兎の目」で心の目が少し開け「天の瞳」9巻を読み終え更に「太陽の子」など約20冊を読み終えた。^^何処かから優しい風が吹いてくるように感じられ、トゲトゲした心が何だか柔らかくなって来る。この方は神戸で長く小学校の先生をされて居り、妙法寺とか荒田のグラウンドなど絶えず出てくるのが懐かしいな、終戦後舞子に住まれ私と同じ歌敷山中学の出身(1年先輩)だから「だぼ」なんて穢い神戸の言葉が幼い頃への郷愁を誘う^^。先生の作品には戦後発行された児童向けの雑誌「きりん」に登載された子供達の美しい詩が一杯載せられている。食べる物もない苦しい時代やったけど子供達の言葉はいじけないで純粋で珠玉のように美しくてキラキラ輝いている^^。
私は「きりん」に収録されたものを灰谷先生が紹介されて居る作品を読んで大人の予断の介入する余地のないその純粋さに唯々驚嘆した。以下に掲げるものはその極々一部だが皆様も読まれたら子供の心の透明さと純粋さにきっと愕かれると思う。ひととき幼い頃に帰って耳を澄ませてね、
灰谷先生のご遺族の方へ 「無断でブログに掲載してご免なさい」m(_ _)m

しりたいねん 谷口のり子 三年生  
わたし お父ちゃんとおかあちゃんが どうしてすきになったか しりたいねん、それから みあいかれんあいかしりたいねん それからどうしてすきになったのに けんかばかりしているのかしりたいねん

せんそう 斉藤苣 五年生  
せんそうなんかやっちゃあ、いけない おとうさんがしんだら、どうする
 まきも、われんじゃないか (注 まき=薪のこと)

るすばん 河中正子 六年生  
父は戦死した 母が産後で死んだ 私は おばあちゃんに育ててもらっている 「つかいにいってくるさかい、るすばんしといてや」 「おやつはとだなに入れてある」 とだなの中をみたら紙が一まいあった 「おやつはありません」とかいてあった

皆戦争を経験した私と同じ世代の子供達であり食べる物もなく誰もが貧しさを共有していた時代の詩だが、少しもへこたれずに一所懸命生きている明るい子供ばかりなのに心が温かくなる^^。昔は私もこんな風に目をキラキラさせ輝いて居たんやろな?生活が貧しかった分、家族が懸命に寄り添って生きていたから、こんな風になれたんやろな。今の子供達は物が豊富になったせいで心が貧しくなり家族誰もが寄り添う心を見失って家庭がバラバラになって居るようやから可哀想やな:-)。 当時三年生の谷口さんもその後結婚されてよくご主人と喧嘩されたのと違うかな?喧嘩をするのは仲が良いからだときっと気付かれたろうな^^。六年生の河中さんが「私はおばあちゃんに育ててもらっている」と書いたのは心底えらい、今の子供なら感謝の心より己が不仕合わせな運命(さだめ)を嘆く詩となったろう(;;)、「おやつはありません」はお婆ちゃんのお茶目心だろうが、それを暖かく受け止めている河中さんは優しい人やな^^。

優しい心になって居た私の目に、国立大学名誉教授であ夫を奥さんが陶器のマグカップで十数回殴って殺したと謂うむごたらしい事件が先週の夕刊から飛び込んできた(;;)、原因は教授の浮気だそうだが、我々衆生から見たら、大学教授夫人ともなれば良識ある人格者で口は達者でも教養が邪魔をして手など出さない人だと思って居たが夫人も矢張り人の子で只の嫉妬深い女性に過ぎなかったようだ:-)。でも殺された名誉教授70歳にして浮気とは元気だな^^。奥さんが殺すまでに激怒したのはご主人への愛が裏切られたせいであり、今時61歳は熟女として充分に若いから普段自分が構って貰えなかった不満が原因ではないかと思ったが、愚妻に話すとそれは愛情やセックスではなく世間体だと言った。どっちにしても情けない行動だ。子供達は二人とっくに独立しているそうだが教授夫人は子供達や孫達に及ぼす影響まで考えが及ばなかったのか、今の人間って刹那的で利己的になったな、「きりん」に詩を書いた子供達に恥ずかしくないのかな?教授夫人になったことで自分が特別の人間になったと錯覚したんだろうね。

昨日の夕刊に「オレオレ詐欺」の受け子となった男装の女子中学生が逮捕されたとあった、先っちょを捕まえてしもたらあかんがな、お金に発信器でも付けて首謀者まで辿り着かんとその上の者が捕まるだけで終わりになるのが警察はどうして気付かんのかな?アホやな:-)。

先週の誤字訂正の答え
虚疑の申告で脱税を図る (虚偽)でした

今週の誤字訂正の問題
人生の愛歓を描写する小説

ご教訓カレンダー
「お父さん約束守ってよ」→「お父さん役職守ってよ」 挙式前の娘

谷崎潤一郎と新村出

暑い夏が到来してウンザリしている処へ選挙カーがソッコーで暑さを運んでくるから堪らない、週休二日制なんだから選挙運動も土日はお休みにして欲しいね。選挙なども寒いときに済ませて欲しいね。
先週木曜日早朝待ちに待ったキリギリスの第一声が叢から聞こえた^^。赤ちゃんのキリギリスをご紹介してから2か月余り漸く成人?したらしい、そっと跫音を忍ばせ鳴き声の30cm近くまで近づいたが声はすれど姿は見えず、凛々しい鳴き声が向こうへ廻ればこっち、こっちに居れば向こうから聞こえてくる。悪い目を凝らして気付かせないように懸命に叢を探ると居た居た^^、二ヶ月前の赤ちゃんが見違えるような美丈夫になっている。普通彼等は叢の上に乗って鳴くものだが此奴は用心深い性格らしく露草の中段に居て鳴いている。此では天敵の燕も容易に手が出せまいぞ^^。今日も暑いけど窓を開けてキリギリスの鳴き声を聴きながら涼を取ろう^^。

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先週の夜、寝所で本を読んでいたら何かを売りに来たらしいマイクの声が近づいてくる、今頃灯油でもあるまいしと聞き耳を立てると、どうやら♫わらび餅♪などと言っている。わらび餅はスーパーなど廉価で販売しているから軽トラの「わらび餅」など誰が買うのかなと思い、ふと昔昭和20年代中高生時代を思いだした。あの頃農家のお爺さんが毎朝天秤棒の前後に撓(たわ)んだ荷を担いで「麦茶にハッタイ粉、柏餅」と近くを行商されていた記憶が甦った^^。紛いもなく西神戸の言葉だった、当時は神戸の言葉も須磨から向こうと此方と少し違って居たのだ。車なんかない時代だし垂水の北方今の第二神明道路の向こうに農村があり、うちの辺りまで距離にして3キロ以上あっただろうか、あのお爺さん撓んだ天秤棒の撓(しな)りから荷の重さは5貫以上(20kg位)と察せられ、凄い膂力だなと当時感心した。家中して早朝暗いうちから作られたんだろうな、昔は皆貧しかったからよく働いたんだ。軽トラの「わらび餅」が私を60年前に戻してくれた^^。大麦を挽いて作られたハッタイ粉はチベットでは主食だが、今の子供達はまるで知らんだろな、大人もかな?
最近はフトしたことで少年時代の想い出が走馬燈のように浮かんでくるが、愈々冥府からのお迎えが近づいたんだろうね^^。

先週高峰秀子について触れさせて頂いたが、もう一言付け加えさせて欲しい。大宅壮一が高峰秀子を「25%女で25%が男、残りはミネラルウオーターだ」と評したが蓋し名言だったと思う^^、彼女は女性でなく中性だったんだ、彼女と接した人達はだれも彼女から色気や媚びを感じたことがないと書かれて居る。そんな彼女だが、我が国きっての言語学者であり京都大学教授と言うより広辞苑の編者で著名な「新村出(にいむらいずる)」が彼女の超大ファンであったことは余り知られて居ない。京都在住で83歳の氏が年一回帝国学士院会に出席するため上京した折、さる編集者に教えられて高峰秀子の自宅を前触れなく訪れたが偶々高峰夫妻は不在で帰宅後置かれて居た名刺を見て松山善三が恐懼したが、高峰秀子は「それって誰?」だったそうだ^^。その後夫妻で谷崎潤一郎に連れられて京都の自宅を訪問された折、あの大谷崎が5尺に足らぬ「新村出」の前では借りてきた猫のようになり「ハイさようで御座います」などと身じろぎもしないので高峰秀子は漸く目の前のこびとが余程の大物なんだと悟ったそうだが、「新村出」の家中には玄関から書斎まで所狭しと無数の高峰秀子のポスター(あらゆるナショナル製品のコマーシャル)で埋められていた^^。そしてそれ以来年数回彼から彼女を讃えた短歌を綴ったファンレターが届いたとか…^^謹厳実直で有名な広辞苑の「新村出」ならではの頬笑ましいエピソードだね。

「高峰のアメリカだより夕刊に出でし回りに赤き線引く」 新村出全集第15巻より

先週スペースが足りなくて書けなかった、6月末漢字検定の会場である神戸外大には前回の検定が流通大学で行われたため1年振りだったが、此までの学校らしい穢いトイレからホテルのように綺麗なトイレに変わって居て酷く愕いた(゚ロ゚)。手洗所まで自動だった。トイレの品格は学校の品格だ(東大のトイレは見たことないけど…)。
学園都市の学生を対象にワンルームマンションを経営されているお得意先のMさんが仰って居られたが、今の神戸外大は学生が遠くから集まってくるので利用率が一番高いそうだ、私の母校である神戸商大(現兵庫県立大学)や他の大学は地元の生徒が多くなったとか…:-)、私の頃は半数以上が下宿していたし神戸外大などローカルな学校だと見下げていたからショックだ。偏差値を調べたら神戸外大が62で県立大学は59だったから余計に落ち込んだ:-)。
今では姫工大や看護大学と一緒で名前まで変わってしまったが、40年前商大が神戸大学の商学部になることが99.9%決まりだったとき国会議員から横槍が入って強引に篠山農大(現農学部)と摺り変わったことが不幸の始まりだったんだ(;;)。

先週の誤字訂正の答え
経済復興の機動力として働く、(起動力)でした。

今週の誤字訂正の問題
聴衆の熱気は最高調に達する

今週のご教訓カレンダー
「事実上倒産」 「事実上父さん」 母さんが捨てたけど…

私の高峰秀子論

愈々参議院選挙戦が始まった。維新の失脚で巷では自民党圧勝の声が充ち満ちている。1党独裁はフアッショ政治を招き必ず国民に弊害を齎らすから好ましくないが、此も全ては異質の人間の寄せ集め集団だった民主党のバカ共のせいだったな:-)。
Eさんから久し振りの便りで神戸森林植物園にある長谷池の樹上で誕生を待つモリアオガエル卵塊の写真を送って頂いた^^。モリアオガエルは普段森林で生活しているが、この時季産卵時だけ生まれ故郷である池の周囲に戻ってくるが、卵が孵るとその真下に池がある枝を選んで産卵するなんてなんて賢い蛙だなあ、そして幾匹が口を開けて待つイモリやヤゴから逃れて池に入り軈て成長して故郷の森林に帰り着くことだろう。

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古い話になるが高峰秀子と謂えばご存じだろうか、大正末期生まれの女優であり一昨年86歳で冥府に旅立たれた。歌手兼女優であった「湖畔の宿」の高峰三枝子とは別人であり此方は年長でも格下になる。鄙びた漁港だった小豆島を一大観光地に変貌させた壺井栄原作「二十四の瞳」の大石先生と言えば思い出される方も居るだろう。先週私は思う処あって高峰秀子の自叙伝と謂われ日本エッセイスト賞に選ばれた「私の渡世日記」上下巻を夜就寝時にたった二日で一気に読み終えた。30数年振りの再読だったが歳月の経過が読む者の印象を全く変えることにとても愕いた、私の処世観が変わってきたせいだろう。38年前昭和50年週刊朝日に連載された後単行本として出版されたこの本には多くの関係者が実名で登場する。「本当に本人が書いているのか」と言う問い合わせが朝日新聞に殺到したそうだが、この自伝は当時のベストセラーになった。5歳から子役を務めて以後縋り付く家族10数人をずっと養っていた彼女が小学校もロクに(たった20日足らず)行けなかったし、本来なら教師代わりを務める養母がカタカナしか読めぬ文盲だったから、彼女が漢字も書けず引き算や掛け算もできなかったことは誰もが知る事実であったし、30歳での結婚後字が読めずに何時も他の幾つもの本をめくって類語を捜して居るのを夫松山善三が気付き、彼の中学時代に使った国語辞典を与えられこんなに便利なものがあったのかと感動したそうだから、此の執筆がゴーストライターのものであるとは誰も同じ思いであったろう。然し私は書かれた内容からこの自叙伝は彼女の自身の筆によるものだと確信した。何故なら彼女が終戦後昭和21年東宝のプロジューサーだった平尾に騙されて情婦にされて居たことや、同年日劇の広い舞台でフラダンスを踊ることになった際、フラダンスが基本的にガニ股歩きであるために稽古の途中に内股が痛くて階段の昇降ができず、洋式トイレなど存在しない時代だったし、蹲踞ることができなくなったため、仕方なくずっと立ち小便をすることになったと書かれて居るが、ゴーストライターに高峰秀子がプロジューサーの情婦だったり、立ち小便をして居たなどと書ける訳がない。
立ち小便と謂えば、昔何時だったか社会党女性代議士が国会質問で「男は立ち小便するなど下品だ」と言った処、「女もする、する」と沢山のヤジが飛んできて、女性代議士が真っ赤になって絶句したことがあった^^。田舎の野良作業などでは日常見慣れた光景だったがお嬢さん育ちの代議士には未知の世界だったろう。ヤジの中に「高峰秀子もするぞ」なんてのがあればこの女性代議士きっと失神したのではあるまいか^^。

閑話休題、「子役出身に大女優、名優なし」と謂うジンクスは世界中に共通したものだが、我が国で超一流の名女優になった彼女が5歳から映画や舞台で子役を演じることができたのは他の子役と違って数段可愛かったり演技力が優れていた訳ではなく彼女が格段に優れた頭脳の持主であり比類なき聡明さを身に付けて居たからだと私は知った。明治座で公演された花柳章太郎「松風村雨」の舞台では必ず付けられる筈のプロンプター(舞台の陰に身を潜め役者に台詞を教える人)が居なかったのだ。何故なら子役である彼女が3時間に亘る大作の分厚い台本の中身を稽古中に隅から隅まで字でなく記憶の中で丸暗記して居たから、役者が助けを求めて彼女の目に縋ると美女役の花柳章太郎の膝にちょこんと抱かれて章太郎にある筈もない乳房をまさぐっている彼女は小声で必ずセリフを教えてくれたのだ^^、又舞台で「名月赤城山」を歌う東海林太郎の背に負ぶわれた彼女が東海林の胸が苦しくないように負ぶい紐を前に引っ張って緩めてくれたそうだし、名監督五所平之助が玄関に降りて下駄を履こうとすると5歳の彼女が三和土(たたき)に飛び下りて新品の下駄の鼻緒を履きやすいように小さい手で引き伸ばしてくれて居るのを見て感激し、養女に欲しいと食い下がったそうだから彼女は将に人の心を解する神の使いだったんだな。
その怜悧な彼女が戦後立派な女優になったのは、その稀有な彼女の才能に気付いた沢山の超一流の男達がファンになって呉れた環境のせいだろう。梅原龍三郎、谷崎潤一郎、川口松太郎、司馬遼太郎、藤田嗣治、大宅壮一、池島信平等々キラ星の如き我が国最上級の知識階級にある人々との20年から40年に亘る交流は彼女にとってホンマ者の男を知る絶好の機会であり彼女も又彼等から多くのものを吸い上げてホンマ物の女になったのだと思う。と言うよりホンマ者になる素質を有する女性を見付けることができるのはホンマ者の男だけだったんだろうな^^。
彼女は86歳の生涯の終盤である50歳で筆を執り「私の渡世日記」を筆頭に多くの作品を書き上げたが、どれを読んでも此が30歳から漢字に接した人のものとは到底思えない、高峰秀子の生涯から人間の教育と謂うものが与えられるものでなく自らが自身で身に付けるべきものであることについて深く考えさせられた。学校ってなんだろう、学歴なんて何だろう、本当に必要なのかな?

先週の誤字訂正の答え
彼の最後の言葉は「有難う」だった、(最期)でした、

今週の誤字訂正の問題
経済復興の機動力として働く

今週のご教訓カレンダー
「お爺さんは芝刈りに行きました」→「お爺さんはしばかれに行きました」可哀想…(;;)

60年安保のデモ行進

昨日は久し振りの雨で良かったな、気象庁が月初め梅雨入りしたと言ったのにカンカン照りが続き稲など農作物への不安が出始めて居たから、これぞ「旱天の慈雨」だった^^。
最近見かけなくなって居たが、先日事務所横のトタンの塀を蓑虫が懸命に横に這って居た^^。どうやら何かの事情で裏の土手が住み難くなり転居のため玄関の紫陽花を目指して来たようだ。見付けたのは夕方だったからきっと朝から15m余りを時速0.3m位の速度で必死に移動してきたものらしい。近づくとピクッと首を引っ込めて隠れるところがメチャ可愛い^^。紫陽花まで未だ2時間以上掛かりそうなので抓んで紫陽花の花の上に放してやった。今頃は紫陽花の木陰で子育てでもしてるのかな?

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昨日6月15日はどんなことのあった日だったろう、人形作家である辻村寿三郎氏は26歳のこの日忘れられない出来事があったと或る書物で述べて居られた。今から50年以上も前のことだ、忘れもせぬ60年安保のデモ行進で東京大学の学生であった樺美智子が警官に撲殺された悲しい日だった:-)。あのとき彼女は警官の警棒を躱しながらも大声で警官に対して叫んだ「無知な山猿め!」の言葉を傍らでデモ行進に参加した辻村氏がはっきりと耳にされ、自身が中学しか出ていないためこの言葉が自分に対して言われているような物凄い衝撃を受けられたそうだ(;;)、樺美智子自身の矜持が言わせたのだと思うが、「無知な山猿め!」とは相手を貶めて自らを驕った言葉であり教養ある者が発する言葉では決してないと思うが出てしまった言葉はもう返らない。この言葉が警官達の耳に突き刺さり彼女が命を落とす原因を誘ったのではないかと考えた。大学卒の警官など当時は居なかったのだ:-)。私はこの言葉は彼女の「地」であったと考えた、両親は芦屋の住民で父親は大学の教授であり、彼女は神戸高校から東大に入った穎才だったが、既に彼女は20歳で日本共産党に入党しブントのメンバーとして羽田空港占拠事件では既に検挙され豚箱入りしたことのある筋金入りの党員だったのだ。彼女の死の波紋は大きくお陰で岸信介内閣は総辞職し、毛沢東は「樺美智子は全世界にその名を知られる日本の民族的英雄になった」と述べたから彼女は英雄視されたが、殺されたから英雄だなんて一寸怪訝しい、中学出の僻み根性を名指しで批難されたように感じられた辻村氏は遣り切れない思いだったろうな:-)。高学歴の人は何も感じないだろうが私のように下等な人間にはこんな言葉は凄く堪える(;;)。「国民の民の字はもともと目に針を刺すと謂う意味があるそうで、物事が見えない、判断できない状態に置かれている者を指す蔑称だった」と五木寛之は書いて居るから、彼女は東大に入って共産党員になり左傾したことでマルキシズムに毒されて変なエリート意識に浸り、こんな下賎な言葉を発するまでに自らの品性を貶めて居たのではなかろうか:-)。オーム真理教に高学歴者が多かったことが何となく分かるような気がする。でも現在我が国の状況からすればアメリカの奴隷となることになったあの安保条約のお陰で今も中国や北朝鮮の侵略から支えられて居る実情を考えると何とも皮肉だったな:-)。

09年に郵便不正事件を巡って起訴されたが、検察の連日執拗な訊問に最後まで屈せず頑として首を縦に振らず無罪を勝ち取った当時厚労省家庭児童局長の村木厚子が本月末で審議官を跳び越えて厚労省事務次官に就任することに決定した^^。安倍さんの人気取り選挙対策に違いない、女性の次官は旧労働省の松原亘子 (東大卒のキャリア官僚)以来二人目だ。松原亘子は男女雇用均等法の創設など抜群な能力の持主であり女性次官は松原亘子が最初で最後だったと謂われ、霞ヶ関では女性の次官はもう出ないと断言されたものだ。だから今回の村木厚子次官人事には誰もが驚愕した(゚ロ゚)、そして女は強いなとつくづく思った、彼女が男ならとっくに観念して罪を認め今頃はきっと塀の中だったろう:-)。彼女は僻地高知大学の出身だし一種試験合格者と言っても東大閥官僚の蚊帳の外であり、あの事件がなければ局長止まりが決定的だったのに「禍転じて福となす」の見本のようだな。人間とことん諦めてはならないことを彼女は教えてくれたんだ。
世の冤罪事件など多く再審請求が絶えないが、請求者は全員男性でありきっと取調室で苦しさから逃れ楽になりたいために自分を偽って安易にサインをした報いだろう。
江戸時代捕まった盗賊は膝に3寸の石を5枚抱かされ、生爪を全部剥がされても音を上げなかったそうだから昔の男は根性があったんだ。そして今の男は軟弱になったんだ:-)。何故だろう、きっと女が強くなったせいなんだろうな。

先週の誤字訂正の答え
最早秘密は万人の衆知の事実だ、(周知)でした

今週の誤字訂正の問題
早合点で失敗して苦渋を嘗める

今週のご教訓カレンダー
「父帰る」菊地寛→「父替える」 浮気性の母

再び山本有三の登場

今日は節分だ、私が子供だった戦争が始まる前までは家中で必ず豆撒きをして邪鬼払いをして居たが、戦後の家庭では殆ど見掛けず神社だけの行事となった。鬼など実際には居ないことを知っており、豆が食べられる楽しみだけで嬉しかった。豆撒きの豆は必ず炒り豆だったから部屋中タンスの裏まで捜して拾っては埃を払って食べ空腹の足しにしたものだ、雨戸の戸袋の中なんか秘密の花園だったよ^^。

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久し振りに芦屋のNさんから山茶花の写真を送って頂いた。何も此の寒いのに咲くことはないと思うが、此も植物の倣い性だから仕方がない、でも花弁が霜焼けしているのを見るのはとても悲しいな(;;)。

先月触れさせて頂いた山本有三だが、先週日経の夕刊「文学周遊」に彼の作品「波」が紹介されて懐かしかった^^。彼が後年貴族院議員や参議院議員を務めて居たことを知る人は多くない。彼は戦後の日本人にとって掛け替えのない人であり、終戦後国語問題に取り組んで「ふりがな廃止論」を展開し、当用漢字を定め現代仮名遣いを決定しことでも知られるが、当用漢字と現代仮名遣いの功罪は扨置いて、彼が我が国の国語に果たした功績は大きく占領軍が、日本人が硫黄島や沖縄であれ程までに命を捨ててまで最後まで戦ったのは「日本人は誤った情報を伝えられており正しい情報を得ていなかったに相違ない、何故なら新聞にあれほど難しい漢字を使って書いてあるが、あれを民衆が読める筈がない、事実を何も知らないからあんな死にもの狂いの戦い方をするのだ。だから日本人にきちんと情報を与えなければならない、そのために漢字と謂う悪魔の文字を使わせてはならぬ」とあろうことか漢字を止めてローマ字か仮名文字にすべきだと勧告し、その勧告は行政命令だったのだ:-)。このとき明治時代から我が国で根強く活動していた「カナモジカイ」と「ROMAZIKAI」は喜び勇んで其れを実行しようとしたときに前に立ち塞がったのが参議院議員の山本有三だった。彼は「アメリカ人に日本の国語を弄(いぢ)られるのは耐え難い、我々は自分で遣るから任せてくれ」と占領軍に申し出て国語審議会を運営し、「カナモジカイ」と「ROMAZIKAI」の執拗な妨害を排除しつつ少ない乍ら当用漢字表と現代仮名遣いを決定し、21年に内閣告示された。彼が居なければ我々は仮名かローマ字しか使えない民族に落魄(おちぶ)れて居たのだった:-)。
これに先立ち連合軍が日本人の識字率を訝(いぶか)り、山本有三の意見に従うかどうかを決めるために日本国民数万人から無差別にテストを行った結果日本人の驚くべき高い識字率が判明し、占領軍は日本語のローマ字化を断念し山本有三に従うこととなったそうだが、皮肉なことにその頃、勤務が解けて除隊し本国へ帰国のため我が国での記念写真を撮りに来たアメリカ兵の内3人に1人は自分の名前が書けなかったと横須賀の写真館の主は証言したそうだ。アメリカは我が国より百年も遅れており識字率の低いのは日本ではなく26文字すら書けないアメリカ人だったのだ^^。占領軍エリートのバカ共よ、此を聞かされては穴があれば入りたい程、恥ずかしかったろうな^^。

先日何かを読んで居たら、30年位前オーストラリアに女子水泳で27回も世界新を更新したドン.フレーザーと謂う選手が居り、彼女は当時水着を着ずに裸で泳げたらもっと良い記録が出せると言ったそうだ。それなら5年前くも膜下出血で急死したあの木原光知子選手も現役当時、裸なら100mで0.8秒記録が短くなると言って居たから実際に試したことがあるに違いない^^。其れでは400mで3秒以上違うからどう考えたら良いのだろう。男子の場合邪魔物の関係で明らかに水着の恩恵が大きいと思うが、女性ならどんなに軽い水着でも幾らか重力はあるだろうし身体の動きも少しは制限されるに違いない木原選手のような胸の薄い女性は裸がベストなのは異論がない処だ。太古はどんな戦いでも裸で争ったに違いないから補助具は原則禁止だったろう。現在女子はセパレート型になったから少しは負担が軽くなったろうがそれでも身体への負担は少なくない、だから競技の折下半身は勿論上半身も裸体とすべきだ、カンマ00秒の記録が争われる世界でもあるし、アメリカやドイツなど白色人種はアジア型黄色人種に比べて遙かに豊胸だから胸部を締め付ける水着を必要とする選手が多く、胸部の露出は却って記録的には不利となり、日本選手の勝機は圧倒的に高まるのではなかろうか^^。さすれば背泳の選手はどうなんだ、と言われそうだが、彼女達は絶対にイヤダ!と頑強に抵抗しそうだな^^。前月に続いて女性の裸の話題ですが偶然なのでお許しを…m(_ _)m。

退職金の減額を前に、埼玉県で100人以上の教員が年末に「駆け込み退職」をしたと報道された:-)。3月まで在職する場合との比較は退職金が140万円ダウンし3月までの給与150万円貰える訳だから単純計算で3か月分の労働の対価を僅か10万円で評価されることになるが、所得税や住民税を計算すると退職金は1/2課税だし住民税は10%割引が13年からなくなるから、頭の良くない教員が計算しても税引きの手取りは年末に辞めた方が圧倒的に有利だ。
普段子供達に「世の中は金ではない」などと心にもないことを教え乍ら、子供達の指導を2学期で放棄し、「金色夜叉」のお宮じゃあるまいし、金に身を擦り寄せる身勝手な此の態(ざま)は一体何だろう、生徒に恥ずかしくないのかな、生徒達とまともに目が合わせられるのかな:-)。文科省は退職金規定を改正し、正当な理由なくして年度途中で辞める教員の退職金を20%カットすべきだろう。

先週の常用漢字の表外読みの答
(刺)のない薔薇はない。 (とげ)でした

今週の常用漢字の表外読みの問題
叔父を(便)として転職した、

ご教訓カレンダー
「貧乏暇なし」→「貧乏居間なし」 狭くて寐る場所もない

路傍の石と山本有三

正月以来降らなかった雨が先週月曜日に降ったが、それ以後次第に寒さが増し暦では今日から大寒の入りとなった。悪性の風邪など闊歩しているから外出時の保温と帰宅後の手洗いに嗽(うが)いを忘れないようにしよう。

大津の事件の熱(ほとぼり)が覚めたら、今度は大阪の高校で部活コーチの体罰を原因とする自殺事件が世間を騒がせている、生憎私は体罰肯定論者だ。猫と子供は言っても分からないから叩いて間違いであることを教えるべきだと思っている、自身戦時中より中学生までそのような教育を受けてきて居り、其れを是としている。
国民学校時代、体操の動作が他の者より鈍い私を見付けた先生は「岡本!」と怒鳴っては駆けつけ、覚悟を決めて「気を付け」の姿勢で待つ私に「奥歯噛みしめろ!」と言うなりパンパンと往復ビンタが飛んできたが己が鈍いので納得であり、今となれば懐かしい想い出だ^^。然し今回の事件は体罰の度が過ぎて居り一度に30回も叩くなどまるでサディストではないか、此は明らかに愛の鞭とは異なっている、ビンタは左右2回乃至は4回で終わるものであって、それを30回とは此のコーチは異常であり、懲戒免職の上暴行罪で刑事罰に処すべきだろう。他方生徒にも親にも非があったのではないか、持って生まれたものだろうが我々の少年時代にも苛められ易い子は沢山居た、直ぐにめげるタイプだ。親は子の性格位分かって居ただろう、だから30回も殴られ口まで切れて居るのを見て、親はどうして学校に駆けつけなかったのか、過保護の近年、先生の体罰でなくても怒鳴り込む親の多いことは少ないことではなく、その殆どが親の独り合点が多いが、今回の場合子供に手紙を書かすなど生半可に親が子供を理解できていないのに驚く、恐らく親も子も同じ虐められっ子体質だったろうから子供の気持ちが分かって居た筈だと思うから情けない:-)。子の心情を慮(おもんぱか)って行動できなければ親の資格は全くない:-)。
子供も追い詰められたのだろうが死んでことを解決しようとするのは傲慢だ。死を考える前に己の不甲斐なさを反省し自分の生きる術(すべ)を必死で模索すべきだったと思う:-)。

山本有三と謂えば皆様ご存じのように「路傍の石」や「女の一生」で有名な作家だが、彼は尋常小学校卒業後呉服屋へ丁稚奉公に出されたのに逃げ出して故郷へ帰り、雑誌に投稿などしてお金を稼ぎ血の滲むような苦学の末東京帝国大学に学んだ有為の人だ。軍の弾圧でペンを折り戦後は占領軍の検閲で再度筆を折らざるを得なかった「路傍の石」に書かれた「たった独りしかない自分を、たった一度しかない一生を、本当に生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」とは吾一少年に対し小学校の次野先生の言った言葉だが、山本有三は自分が歩みたかった人生の覚悟を、先生の言葉を介して書いたのではなかったか、自殺した少年は「路傍の石」など読みもしなかったに違いない:-)。皆様もこの言葉のように生きていますか?

「生きることは食べること」我々の世代は幼い頃、常に飢餓と闘って生きてきた。そして食べられるものは蝗から石蕗にタンポポまで何でも食べた。ひもじさは生への執着が増幅するものらしい。だから周囲の連中や先生からどつかれても叩かれても、死のうなんて全然思わなかった。ひもじさに比べればどつかれることなんか屁でもなかったからだ。10回どつかれても握り飯の欠片が食べられるならどつかれる方を選んだろう。空腹から逃れることが生きるための本能だったのだ、命を捨てようと考えたのは火となって燃える恋に敗れた時だったが「路傍に石」の言葉を思いだして堪えた。今の子供達は「蝶よ花よ」と育てられ飢餓など感じることなく育てられてきたから、少しのことで挫折し自己を否定して安易に死に向かう。そんな軟弱な子に育てた家庭や学校や社会が間違っていると思う。子供達に命の大切さを訴えるなどそらぞらしい、私は親と学校が、叩かれようがどつかれようがめげずに立ち直れる雑草のような逞しさを持つ子供達に育てる環境にあって欲しいと希(こいねが)うが先生や親達が育った軟弱な時代背景を考えると所詮ムリなんだろうな:-)。

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【みやざき中央新聞】

先週「みやざき中央新聞」から寒中見舞のお葉書を頂戴した。新年号に対する感想文を送らせて頂いたことへのお礼であって「私どものホームページ上に掲載させて頂きました」と書かれて居り、早速同新聞のネットにアクセスし、「読者の声」を開いたとたん、ガーン!私の拙(つたな)い字と文章が目の前に飛び込んできた(゚ロ゚) いやあ参った参った、(皆様がご覧になるときは新しい投書が幾通か載せられているが、先週木曜日までは9日到着の私が1週間主役を張っていた)私の下手な字が画面一杯に広がって居り将に冷や汗タラタラだ。穴があったら入りたい気持ちで一杯、恥ずかしくて死にたくなる位だった。私の悪筆は知る人は知るが、知らない人は知らないからこんな風にネットに出されるなら、書き殴らずにもう少しマシな字を書けば良かったと後悔頻りだ(;;)。然しどんなに丁寧に書いても所詮生来の悪筆に変わりはないから此は親を怨むことにして、ま、いいか、と観念した:-)。お便りに書いて頂いたが親切にも感想文ばかりかうちのブログまで紹介して下さって感謝感激の極みだ^^。
此の新聞社の普通でない処は読者への返信を全て肉筆のペンで書かれることだ、パソコン印刷が当たり前になり年賀状ですらペン字など殆ど接することがない昨今、ペンの筆圧からほのぼのした指の温もりが知らず知らずにホンワカと伝わってきた。とても嬉しかった^^。

昨日今日と特別寒い中を大学入試のセンター試験だ。私の孫も両親の期待を双肩に担って出掛けていった^^。処で他府県の者には不公平だが東京の高校生の内、1万人以上が幸運にもセンター試験を本郷の東京大学で受けることになるが、このうち何人が此の幸運を正夢に変えることができるのかな?

先週の常用漢字の表外読みの答
宴席に(器皿)を並べる、(きべい)でした。皿が(べい)と読める人は少ないよね

今週の常用漢字の表外読みの問題
彼は我々の(倫)だ、

ご教訓カレンダー
「覆水盆に返らず」→「服役盆に帰らず」 受刑者