学校・教育」カテゴリーアーカイブ

孔孟の子孫は死に絶えたか

お彼岸が到来し、此から少し宛夜が長くなるので目の良くない小生は憂鬱だ(;;)。庭では恒例の如く今年も律儀に彼岸花が15日に鉛筆のような芽を出し軈て昨日咲き始めたから不思議でならない。最近の高気温を考えるとこの花は温度でなく日没や夜明けの曙光を土の中から察して開花期を悟っているのではなかろうか。
先週庭に何処からか大きな精霊飛蝗(しょうりょうばった)が飛んで来ているのに気付いた、小さい三角バッタはキリギリスの餌に余るほど庭に棲息するが此の大きいバッタは久しく見たことがなかった。トンボと違ってバッタの飛翔距離はそれ程遠くないと思われるので一体何処から飛来したものだろうか、トンボが水辺に気付くように遠くに居てもバッタにも草原の匂いが分かるのかな?うちの雑草だらけの庭も精霊飛蝗に「草原」だと認めて貰えて嬉しいな^^。

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今年うちの庭で誕生した赤ちゃんトカゲだ。良くご覧になると手の指が4本で足が5本なのに気付かれただろうか。なに、こいつだけでなくトカゲの前足は蛙など両棲類と同じく前足は4本と決まっている。バッタはうちの美人職員に持って貰って写したが、トカゲは気味が悪くてどうしても厭だ!と宣うので皺だらけでの私の手でゴメンm(_ _)m。
先日或るラジオ番組にリスナーから投書があって「学校給食で児童に『頂きます』と言わせるのはおかしい、給食費を払っているのにどうして食べさせて貰って居るように『頂きます』と言わされるのか、うちの子には言わさないで…」此の投書を聞かされたリスナー全員が此の母親の非常識に呆れてブーイングと思いきや、少なくない人達から賛意が上がったそうだ:-)。それなら給食費を滞納している児童だけが「頂きます」と言わねばならぬのか、何処か世の中狂ってきたようだ、只でご飯が食べられるときに食事を振る舞ってくれた相手に「ご馳走様」とか「頂きます」とお礼を言うものだと誤解をして奴が世の中沢山居るんだ:-)、そう謂えば最近食堂などで「頂きます」と手を合わせてからご飯を食べる人を随分見なくなったが、暖衣飽食に慣れ、ひもじい思いをせずに食事ができることが神の恵みであり何よりの仕合わせであることに気付かない愚かな日本人がどんどん増えてきたことは恐ろしいと思う。
私達の世代は学校給食を経験したことがない、戦時中も戦後も私の小中学校時代は国だけではなく皆が貧しかったから、弁当を持ってこない者も少なくなく、そんな子は誰も昼食時間には校庭で鉄棒や肋木などで時間を潰して居たものだ(;;)。動くと腹が減るので木陰で寐ていた奴も居たぞ。弁当を持ってきている者だって米より麦の方がずっと多い弁当だったし、弁当箱の中身はなんば粉(高粱)の団子や蒸したイモが一個などざらだった(;;)。このように食べ物の有り難さを身に沁みて憶えて居る我々は零した飯粒を拾って食べないと目が潰れると教わって育ったから食堂で食事を半分残して立ち去る若者の多いことに仰天するが、彼等は茶椀の飯を一粒も残さずに食べることをいじましく恥ずかしいことだと勘違いして居るのではなかろうか、世も末だな:-)。現在我が国の借金は1000兆円近くになり一家族当たりの借金総額が1764万円にも相当するが、此の借金の重みに耐えられる家庭は果たして何割あるだろうか、その内食べる物がなくなって慌てても、もう手遅れだぞ!
尖閣諸島国有化を火種としてチャンコロ共の格好の標的となり理不尽にも中国在住の日本人や日本人の店舗が襲われデモ隊には中国政府が内緒で後押ししているようだ:-)。持主の栗原氏も今になって国に売り渡すことを短慮であったと悔やんで居るに違いないが全ては自らが蒔いた種だ。石原都知事も寄附金処理への懸念は別として内心尖閣諸島を買わなかったことにホットしているのではないだろうか?
我々日本人は余り気付かないが彼等中国人には過去100年間そしてそれ以前からも我々日本人に対する劣等感がDNAに植え付けられ中国が経済大国になった今でも其れが少しも払拭されることなく寧ろ増幅されているのではないかと思う、きっと劣等感の塊なんだろうな:-)。彼等が如何に無法で不作法な人種なのかは彼等が日本人に対し知性と教養では及びもつかず、先ず理屈では勝てないから暴力に訴えて居るのだろう。今を去る150年前1860年に木村摂津守以下日本人96人が37日掛かって咸臨丸で日本人として初めてサンフランシスコに到着した際、彼等が現地の人々との間に全くトラブルを起こさず、礼儀正しい所作に終始したので、顔は支那人と同じだが日本人は目の輝きと知性がまるで違うとアメリカ人が驚嘆したのは有名な話だ。野蛮人だと思われた人々が予想に反して、礼儀正しさを賞讃され畏敬の目で見られたのは不思議でも何でもなく彼等が幼い頃から身に付けた孔孟の教える四書五経に従って行動したことに拠る。其れを思うと現在のチャンコロが孔子や孟子の子孫などとは到底思えない、孔子、孟子共に紀元前300年から500年戦国時代であった頃の支那の儒学者だが、ひょっとしたら彼等の子孫はその後邪悪な西戎東夷に攻め滅ぼされて死に絶えたのではなかろうか?今の中国人はその西戎東夷の子孫にとって変わられているのではないかと思ってしまう(;;)。
現在中国には此の国の発展に協力しようと多くの日本人が懸命に働いて居るが、今回の事件で「身を危険に曝すから日本語は余り使わない方が良い」と周囲から言われるそうだ。何て奴等なんだ!
「守るべきものは守る」と言うスタンスを見せなければ本当に日本は沈没するのではないか」と危惧を語ったのは先日兵庫県議和田有一朗らと共に「魚釣島」に上陸した東京都都会議員鈴木章浩であったが、上陸して驚愕したことは先人が尖閣を実効支配していた歴史的な証拠が散逸して行こうとしていることだったそうだ。日本の領土である限り番人が居て島は管理されるべきであって現在のように山羊が数百頭も蕃殖し植物を食い荒らしている実情に対し政府は一体からどう考えているのだろうか。恐らく何も考えずに中国との摩擦がこれ以上大きくならぬように蚊帳の中でうち震えているだけなのだろう:-)。
昨年悪辣極まりない中国漁船の漁師やくざ共が尖閣を襲って悪辣極まりなく已むなく逮捕されたが、日本政府は彼等の鬼畜の如き振る舞いの詳細をビデオに撮りながら中国政府を刺激することを恐れて世界に発信せず逮捕した船長までも直ぐに釈放してしまったが、飛行機なんか乗ったことがない漁師に其れもビジネスクラスでの送還とか…:-)。きっと第二第三の中国漁船が現れるに違いない。連中の悪事は全てリアルタイムに世界に発信して日本の正当性を証明しないとその内日本は悪者にされてしまうのではなかろうか。野田政権も尖閣購入の話が斯くも大事(おおごと)になるとは思っていなかったのではないかな:-)。買うのはヤメだと言いだし兼ねないぞ:-)。
アメリカ政府は1972年沖縄を返還するに際し尖閣諸島をも含めて我が国に返還したのだがその問題を我々はどう考えたら良いのか?日本は中国に対し「アメリカから返還されたものだから文句があるならアメリカに言え!」と言えんのかなあ。処でアメリカは尖閣諸島のことをどう呼んで居るのだろうか?魚釣島か釣魚島か読み方でどっちの味方か分かるよな?
先週の常用漢字の表外読みの答え
新聞紙で野菜を(包む)、(くるむ)でした
今週の常用漢字の表外読みの問題
(備に)辛酸を嘗める

夏目漱石と寺小屋

9月も半ばを迎えて、夜になると虫の声が喧しく、暑い暑いと言い乍らも秋が来たことを実感して居る。明日は本年5回目の振替休日だが1回目は1月2日だから実質的には4回目だ、未だ2回も残っている。こんなに沢山連休を作って貰っても不景気で給与も上がらず遊びに遠出する人達も多くないだろうから、仕事の疲れを取りたいサラリーマンにとって休日は水曜日位を振替休日にして貰った方が身体には優しくて良いのではなかろうか。
カレンダーには昨日15日は老人の日、明日17日は敬老の日となって居るが、老人の日ってなんだろ?街で買い物をしても何も負けて呉れなかったし:-)。
先日、漱石の「行人」(若いときから数回目だ)を読んで居たら、玄妙にして巧みな当て字にお目に掛かりウーンと唸ってしまった。彼の当て字は夙(つと)に有名であり、今や常用漢字の表外読みに多く用いられ辞典にも掲げられて居るから、誰もが漱石発とは知らずに平気で使っているが、今回「行人」でお目に掛かったのは「こそこそする」だった。ナント!「狐鼠狐鼠する」と書いてあったのだ!「こっそり」から来た言葉だから少し違う感じもしたが、「狐鼠狐鼠」とは言い得て妙であり、隠れて良くないことをするのだからイメージもピッタリで昔は本当にこんな字があったのではないかと疑った、然し広辞苑にも新潮国語辞典にも明鏡国語辞典にも平仮名しか書いてなく、矢張り漱石流の当て字なんだなあと思ったが念のため今春手に入れたけれど私には文字が小さすぎて読めないので孫に遣った大槻文彦著「大言林」を見て貰ったらこの辞書にはちゃんと「狐鼠狐鼠する」と書いてあったそうだ^^。漱石はきっと「大言林」を見て書かれたのであろう。狐と鼠に罪はないが昔の人は上手く当てたものだと数日の間感服頻りであった^^。
最近は漱石を読み返すことが多い、先週も就寝前に「三四郎」を読んで居たら、今度は寺子屋のことを寺小屋(新潮文庫232頁)と書いてあった。漱石は稀代の文豪で教科書にまで載せられ、顔写真が千円札にまで使われて、国語の神様とまで思われて居るが此の誤りには甚く愕いた。まさか新潮社が原稿を読み間違ったとは到底思えない「弘法も筆の誤り」で国語の神様もついうっかりペンが滑ったものと思われるが、此ばかりは漱石の造語だと承服する訳には行かないぞ。この言葉は寺子が主語であって寺ではない、従って「寺に集う子供達が学ぶ処」を「寺子屋」と呼ぶので、断じて寺小屋ではないことがお分かりだろう。漢字検定4級辺りの「誤字訂正」に良く出てくるから私も憶えて居たが、でなければその儘読み過ごしてしまっても誰も気付かなったのかも…(;;)、漱石も人の子だったな^^。
尖閣諸島が中国に侵略されようとしたとき中国を刺激することを恐れて民主党政府が袖手傍観見て見ぬ振りをしようとしたことに対し、石原都知事がことを愁いて所有者の承諾を得て東京都で買うと表明した。処が都知事に賛同した国民からの寄附金が14億円まで届いた今になって所有者が売買代金を当初約束の15億円から20億円に値を吊り上げ先日政府に売り渡すことに決めたそうだ:-)。政府が政府なら金で面(つら)を張られて都知事との約束を反故にした持主も持主だな、持主の栗原氏は私と同世代の人間だと思うが戦争に負けてチャンコロに大きな顔された屈辱を忘れたのか!態度を変えた理由は「寄附金に抵抗があり、心苦しかった」そうだが、ものには言いようがあるもんだな、野田政権の使う税金だって国民の寄附みたいなものであり寄附よりもっとタチの悪いものだろが…:-)。国もそんなに金が余っているなら福祉予算にでも使ったらどうなんだ!
苦境に立った石原都知事は此までの寄附金を国に渡すと発言したのを撤回したそうだが、一体から14億円をどう処理するつもりだろう。抑(そもそも)寄附金は石原都知事の侠気に対して国民が同意したものだから、東京都が買わぬとなると寄附金は宙に浮いてしまう。私は14億円を募金者に返却されるべきだと思うが、寄附金控除の証明書を依頼すべく住所氏名を明記して振込通知書を都に送った方以外は相手先不明で返還を受けられなくなる(;;)。東京都在住の方なら都のために有効に使って貰えば…と懐の深さが示せるだろうが、他府県の方は尖閣購入資金に使用されないと詐欺みたいになるぞ!

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私は尖閣を断じて野田政権の手に渡したくなかったから、石原都知事を信頼し侘びしい懐を遣り繰りし寄附したものだが誰が一体どうしてくれるのか:-)。
先日の夕刊で面白い記事にお目に掛かった。「憂楽帳」と名付けられ記者さん輪番でのエッセイだったが、記者である筆者が関西から東海地方に転勤になるとき幼稚園から小学生になる娘に「向こうではお友達の話す言葉が違うからね」と話したら、「あっちでは『なんでやねん』をどない言うのん?」と聞かれ返答に窮し、「あっちでは『なんでやねん』に当たる言葉はないんや」と教えたが納得行かぬ様子だった。と書かれていたので、『なんでやねん』はあっちでは「どうして」とか「どうしてなの」でよいのではないのかと私は疑問に思ったが、後を読んでみるとこの少女が言いたかった『なんでやねん』は単なる疑問詞ではなく関西地方で日常使う「つっこみ」であり、相手に返事を求めず双方がワハハ^^と笑って終了する会話の終着駅だったのだ^^、其れを察した上でのお父さんの返答だったのだが、トンマな私は全くその雰囲気が全く読めずに気付かなかったのは恥ずかしい(;;)。諧謔とでも謂うのかユーモアなのかこの言葉は関西独特の所産であって、転居先の東海地方では誰もボケやつっこみなど全く使って居らず、此の少女は大阪とは別世界で戸惑い息が詰まった生活ではなかったかと思ったものだ(;;)。
関西弁と謂えば乱暴だが何処かフンワカした河内弁が興味深い^^、私は若いとき親に勘当されて八尾に住んで居たことがあり、此処の河内言葉は得も言えぬ可笑しさがあり、会話の語尾に「あほんだら」とか「ボケ」が付いて喧嘩腰のようだが良く聞いてみると温かい心が通っていて、仕事などで上京する度に何時も怒られているよう冷たくに感じる「ご機嫌よう」とか「…して呉れ給え」と他人行儀な東京言葉と実に対照的だった。大映映画の「悪名」(古い話でゴメン)で浅吉の子分である清次こと田宮二郎(此の映画でスターになった)の河内弁の威勢の良い諧謔で思い出されたと思うが、我々関西人には慣れっこになって居る会話での言葉の遊びを他の地方の人はどんな風に受け止めて居られるのか考えれば興味深い、田辺聖子さんは「あほんだら」や「ボケ」は決して相手をアホと思って言って居るのではなく単なる会話の終了時のオマケ言葉だ、といちいち著書に注釈を付けて居られるが、成程、知らぬ他所の人が聞けば「どうしてこの人は相手にこんなに面罵されねばならぬのか」と訝しがられるよな。相手との距離をなくし親愛の情を示す反語なのだと知るのに時間が掛かる。
関西弁は好きな男に対する女性の言葉にも関西独特の色気と情緒があり、標準語で「私を捨てないでね」は命令口調で男の反感を買うが、関西弁で「うちを放(ほか)さんとってな」は男が聞いたら可愛くて抱きしめたくなる殺し文句だ^^。男の言葉にしても「君を愛している、結婚して下さい」などよそよそしい言葉より「めちゃ好きやねん、一緒になろ?」の方がずっと相手の心の琴線を激しく掻き立てる言葉ではなかろうか。何故か知らぬが狭い日本でも関西だけが異次元の文化を共有して存在し、言葉のアクセントにしても岡山県と愛知県の間にある六府県だけ異なっているのは不思議でならない。大古は関西地方だけ一つの島だったのが地震か何かで引っ付いたのではなかろうかと思ってしまう。何故なら他所の人にはどうしてもマネのできないのが関西弁であり、どんな上手い俳優でも関西出身でないと必ずアクセントにボロが出るから可笑しいよな^^。「憂楽帳」に導かれ、柔らかくて温かい関西弁の中で育ったことをつくづく仕合わせやと思ったものだ^^。実を言えば、毎日傍に居て五月蠅くしている婆さんは「めちゃ好きやねん、一緒になろ?」此の一言で50数年前コロリとその気にさせた^^。そのとき勿論彼女は「うちを放(ほか)さんとってな」と言ったものだ(^^)。そのとき何気なく「うん」と言ったお陰で今では放したくてもしがみついて離れない…(;;)。
先週の常用漢字の表外読みの答え
彼奴は(敏捷い)奴だ。(はしかい)でした
今週の常用漢字の表外読みの問題
新聞紙で野菜を(包む)
(つつむ)は常用漢字の読みです。

「抱っこの宿題」忘れんでね!

灼熱の8月を迎えて炎天下の庭ではキリギリスが露草に乗っかって我が世の春?を謳歌し恋人を求めて鳴き交わしている。彼女はきっと直ぐ傍までそっと近寄って鳴き声の良いフィアンセを選んでいるのだろうな^^。タイミング良く先月半ばに孵化を始めた小さい三角バッタの子供が少し宛大きくなり、すばしこく雑草から雑草へ飛び交いキリギリスの絶好の給餌となって居る。キリギリスは雑食性だからタマネギやキュウリばかり食べている訳ではなく、庭の雑草を食い散らす此のバッタこそキリギリスの蛋白源であり大好物なのだ(^^)。バッタと謂えば最近精霊バッタも殿様バッタも見掛けなくなって久しいがどうしたんだろう、昔戦争で疎開していた頃、田圃に網と袋持参で取りに行かされ、おかずとして食べさせられた蝗(イナゴ)も何時やら居なくなったなあ(;;)、あの蝗の足は不味かった!

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大津市の中学生自殺事件は当初新聞の小さい記事からのスタートだったが、何故か何時の間にか炎が大きく燃え広がり、ネットの力も借りて勢いが盛る一方で一向に治まる気配がない。マスメデイアも加害者の母親が此の学校のPTAの会長であることまで探り出し事件の真相に迫っている。今現在一番窮地に立たされているのが虐め児童とその親達それに中学校の教諭と教育委員会だが、市長とて同様であり、この市長はハーバード出身の国際弁護士として華々しく当選したが、今回の「中2虐め自殺」の事件に関しては、初動から現在まで弁護士とも思えぬはっきりせぬ対応が事件を迷走させて居る。原因は表に出ずに事件を陰で仕切ろうとする地方都市によくある土着勢力の抵抗に戸惑ってお嬢さん育ちの経験不足を読まれてタジタジさせられて居るのだろう。教育委員会の連中の生殺与奪を市長権限にない処も想定外だったろうし、県警が警察庁の要請で一転して40人体制の調査網に変貌するなど、態度を豹変させたことも市長には計算外だったろうな。
今回の「虐め事件」で、アンケートの結果が隠蔽されたり、被害届が無視される背景には地方都市独特の教育委員会、教員、PTA、警察組織などの「自己防衛」という力学が働いていたのに違いないが、市長にはそのような「ローカル権力の腐敗」と戦う意思を持たず、川の流れの儘に流されようとしたのではないか、市長選で今の市長を当選させた票には、恐らくはこうした「土着の権力構造との対決期待」と謂うものがあったに違いないから此の市長の態度は市民の期待を無残にも裏切るものだったな。
市長は直接の公選で選ばれた首長として正しいメッセージ性のある行政を進めることを期待されている立場と、終身雇用制の官僚組織の支援を受けないことには日々の行政が進められないという絶対矛盾を今後どう解決するのだろうか。頑迷な教育長を選んだのが市長自身だったのも誤算だった。市長は此処で被害者の立場に立って虐め少年とバカ教師にバカ教育委員達としっかり対峙しないと市民からの特別の期待感を以て市長に選ばれた信頼を一挙に失い、2期目は嘉田県知事からも見放されることになるは自明だろう(;;)。
現在担任教師の男性は隠れており表に出なくなっている。最大の問題はこの担任教師の教育的無関心が事件の背景にあることを知りながら、彼の存在をひた隠しにしようとする学校と教育委員会の姿勢にあり、学校側には「本人が批判の矢面に立てば、何を喋り出すか分からず同類項の他の教諭に火の粉が飛んで来る」とシラこいことを言っているが、そうした学校の隠蔽体質を何故教育委員会が許しているのか。その理由は沢村憲次教育長が2代前の同校の校長だったから彼には同校の教諭は子分のようなものであり、先生の味方はしても児童の味方をする道理がないのだろう:-)。
処で、私は「苛め」は常用漢字ではないので常用漢字である「虐め」を使って書いているが新聞など全てひらがなを用いている。何故?と辞書を引いてみると「虐」の字は「虐(しいた)げる」が常用漢字の訓読みであって「虐(いじ)め」は表外読みだったのだ(;;)。表外読みしか使えないのではこんな字が常用漢字として威張っているのが烏滸(おこ)がましいよな:-)。
詰まらぬ話の口直しに明るくて楽しく心暖まる話題を宮崎からお伝えしよう^^。
『小学校1年生のこはるちゃんは学校から家に走って帰るなり「今日の宿題は抱っこよ」と叫んだ。担任の先生が「おうちの人から抱っこして貰ってきて」と云う宿題を出して貰ったのだ、こはるちゃんはお父さん、お母さん、お祖父ちゃん、お祖母ちゃんそして二人のお姉ちゃんの6人に抱っこして貰って翌日クラスで「抱っこのチャンピオン」になったそうだ(^^)。次の日お父さんが「お友達はみんな宿題やってきとったね」と聞いたら、こはるちゃんは「何人かしてきとらんやった」との答え、「だけん、その子らは先生に抱っこして貰ってた」』以上は先日日本経済新聞に掲載されたものであり、宮崎県発全国版で発行されて居る「みやざき中央新聞」の社説の一部だとか…^^、此の新聞の社説はミニコミ誌で読んだ話を記事にされて居るそうだ。最後には「抱っこの宿題は子供にではなく親に課せられた宿題だったのだ」と結んである。日経も格下同業者の社説を載せるなど懐の広い処を見せたが、日経社長の醜聞も此で少しは恢復したかも知れないな。それにしても社説なんてものは堅苦しい文章だと思い勝ちだが変わった社説もあるもんだなと唯々感心した(^^)。
今時珍しいが三世代世帯っていいな(^^)、そして「抱っこ」っていいなと思った。私など戦時中軍国主義の体制下に育てられたからそんな女々しいことはとても赦されなかったのだろう、物心が付いてから頬桁を叩かれることは数知れずあったが、母に抱きしめられた記憶など全くない(;;)。現在高三の孫が昔5年生位の頃だったか、何かの弾みで家の前の道の真ん中冗談交じり母親に「むぎゅう」と抱きすくめられて、嬉し恥ずかしの恍惚状態になって居たことをよく憶えて居る、とても羨ましかった。私自身の子供時代には考えられず、あり得ない情景だったからだ。スキンシップとは昔から謂われる言葉だが、子供にしてみれば「抱っこ」は親の愛情の最大限の表現として受け止めるから、世の親達は十日に一回と謂わず三日に一回でも「むぎゅう」をしてやると何も会話がなくても親子関係は常に円満快適ではなかろうか。最近は何故か親子間の距離が開きスキンシップが減ったように思えてならない。昔は一寸したことでも直ぐに「お利口、お利口」と親に頭を撫で撫でして貰って居たが、最近はそんな光景もとんと見掛けなくなったな(;;)。そう言えばお父さんに肩車して貰っている子供も長く見ていないぞ:-)。
でもこの社説に出てくる小学校1年生の担任の先生は偉かった、家で抱っこして貰えなかった子供達を代わりに抱っこしてあげる処が最高だったな(^^)。
大津市のいじめ中学校の先生も、親の代わりに子供を抱っこして呉れる宮崎の先生の爪の垢でも煎じて飲めば?
母校である星陵高校の同窓会「星六会」から『8月11日の「暑さをぶっ飛ばす昼食会」は暑いので中止にしました』とのメール連絡が入った。何となく可笑しいよな^^。何故か笑ってしまうよな^^。
先週の常用漢字表外読みの答え
此の味は(堪え)られない。(こたえ)でした
今週の常用漢字表外読みの問題
殊更に(論う)な 

「交響詩ひめじ」

巷では計画停電とか脅かして原発反対に対する関西電力の嫌がらせが続いて居るが、停電はパソコン環境で仕事をしている者にとっては仕事に夢中になってサーバーに保存し忘れ、一日分の仕事が消えることだって考えられるから脅威だ(;;)。うちの家内など冷蔵庫にものを貯め込むのが大好きな性格のため、ない知恵を絞ってホ-ムセンターで発電機を買い停電に備えようと思っているようだが、燃料保管の問題もあるし上手く対処できるだろうか?

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お馴染み芦屋のNさんからお庭で咲いた「ねじ花」を送って頂いたのでご覧下さい。見たことない位大きな花だ(^^)。この花は名前通り捩(ねじ)れて咲くが、カトレアなど蘭の仲間であり世界一小さい蘭だとか…、百人一首の中で源融(みなもとのとおる)が詠んでいる「陸奥の しのぶもぢずり 誰ゆゑに 乱れそめにし 我ならなくに」の「もぢずり」は「ねじ花」のことだ、ラン科ネジバナ属の多年草であり、別名を綟摺(モジズリ)と呼ぶのだ。この花は不思議に芝生のような土壌環境を好み、鉢植えなどでは中々上手く咲いてくれないから、芝生の根っこと「ねじ花」の根っこの相性が良いのではないかと思っている。
連日少し宛事件が拡大し、遂に大津市長まで乗り出してきて調査委員会まで設置され今朝の毎日新聞朝刊など社会欄五段抜きの過熱ぶりだった。その内熱(ほとぼ)りが冷めるからと警察を抑え込んで高を括っていた教育委員会であったが、此処に来て袖手傍観(見て見ぬ振り)していた先生共々窮地に追い込まれた:-)。全ては児童を無視して我が身の保身のみを謀ったことが連中の命取りとなったようだ。護るべきは児童ではなく先生自身だったとは人間として全くの教師失格だ:-)。
昨年10月大津市の中学生男子生徒がマンションから飛び降り自殺した問題で、生徒が同級生から暴行を受けていた事実があるとして、父親が昨年末にかけ3回にわたり警察に被害届を提出しようとしたが、大津署から受理を拒否された(;;)。男子生徒への暴行については、中学校では全校生徒に実施したアンケートで、44人が記名の上、「体育大会で集団リンチに遭っていた」「万引をさせられ、殴る蹴るの暴行を受けていた」「自殺の練習をさせられていた」「先生は嗤って見ていた」などと生々しい具体的な証言を行っているし、男子生徒の父親は複数の同級生から独自に聞き取った暴行の証言と学校の調査結果を基に、生徒が自殺した後大津署に出向き暴行容疑の被害届を提出したいと三回も申し出たが署員は「犯罪としての事実認定ができない」として受理を断ったそうだ。あの事件の不受理が公にされて以来私なりに種々不受理の理由を考えて見た。父親の再三の申し出に対し一署員が独断で受理を断ったとも思えず、受理と事件の調査とは直接関係がないから被害届位受け取ってやればよいのにと思ったのだが、どうやら此の事件には県警と教育委員会の意向が深く関わっているように思った。同署は「一切、答えられない」としているが、「教育委員会から受理しないように県警に依頼があった…」などとは口が裂けても答えられないよな:-)。  
官庁と謂うものは縦の繋がりばかりか横もしっかり繋がって居るんだろう、この問題が表沙汰になると教育委員会とて標的になって糾弾されるからそれを防ぐための緊急避難であったろう。教育委員会には退職警察OBを学校の警備員にでも雇用する慣わし(警察への貸しとでも言うべきか)でもあるのに違いないぞ。
役所間の繋がりと謂えば、今は去ること40年も昔のことだが、関与先の医者が税務調査で不正を摘発された折、普段「税金は国民の義務です」なんてシラコイことを言って居た医者が「検察庁に親戚が居るので手を回して抑えます」と平然と言われ、事実税務調査はそれきり尻切れトンボなったことがあったが、不正を発見した調査官は上司から調査ストップの命令を聞き、折角の手柄が画餅に帰した遣り切れなさをどう処理されただろうかと考えたことを思いだした(;;)。税務署長は赴任したら先ず検察庁へご挨拶に行くそうだから、役所間には我々市井人には分からぬ柵(しがらみ)や貸し借りが色々あって、表から見えない処では権謀術数が蠢(うごめ)いて居るんだろうな:-)。
学校の先生と謂えば「痴漢」に「盗撮」が決まりであったが、今回更に「児童の虐めを無視する」まで加わったから、次は何だろうな?
不愉快な話題はこれ位にして口直しに、昨年YOUTUBEに投稿された「交響詩ひめじ」をご紹介しよう。私の両親は姫路の出身であり、私自身戦時中疎開で姫路に3年余り生活したから姫路は懐かしい街だ(^^)。
姫路と謂えば、60年位前の学生時代初めて上京した折、国鉄の乗務員が駅員さんも車掌さんも「姫路」のことを誰もが「ひめじ↓」と前下がりに呼ぶ違和感に甚く戸惑ったものだ(;;)、皆様もご記憶だろう。「のぞみ」が疾駆して日本が狭くなった今でも彼等は懲りずに「ひめじ↓」と前下がりに呼んでいるから一度でも播州の人間に新幹線の車掌をさせてみたいと思ったが、矢張りマニュアル通り前下がりに呼ばされるのだろうな(;;)。「ひめ」は「お姫様」と同じアクセントになる訳だが、播州でも「お姫様」は同じく「お姫↓様」と前下がりに発音するから、播州で使われる「ひめじ」は抑揚のない平坦な言葉であり「お姫様」の発音とは等しくない、国鉄に始まったかの此の妙な発音は一体何処から生まれてきたのか不思議でならなかったな。ひょっとしたら銀行のカウンター嬢(小母さん?)が決まって語尾だけ前下がりに嫌らしく口にする「お客様あ↓」の類いの悪しき営業語なのかも知れんなあ:-)。誰が言い出したんや!
交響詩「ひめじ」
この合唱団は日本民話の父と謂われる柳田国男が生誕した神崎郡福崎町(姫路から播但線で7つ目の駅)にある中学校の女子児童僅か13名の合唱だ。歌の上手下手で謂えばローカル地方の合唱コンクールでもあり、彼女達を上手いと言う者と下手だと言う者の賛否がコメント欄で犇めいて居るが、この辺りの年頃の子供達は先生の判断力と指導能力次第で隠されていた才能がどんどん伸びるもので、先生が子供達の秘めたる力を存分に引き出していると思った。歌を歌う場合、臍下丹田に力を入れるものだとは知って居たのだが、私が印象深かったのは、この少女達が指揮をする先生のさり気なく右手を上げる合図と同時に全員が左足を30cm程さっと左に引いて(前列真ん中の小さい子だけ20cmしか引かなかったけど…)下半身を盤石の姿勢としてから歌い出しを待つ姿勢を保ったことだった。これは基本に忠実な先生の教えであろうと思ったが、歌は口から出るけど実際にはお腹から出すものであることを重々納得したものだ。
標準語を話す女性司会者の言葉を聞いていて、「交響詩ひめじ」の語尾が下がらず我々の話す「ひめじ」であることに安堵したが、若し司会者が「交響詩ひめじ↓」と紹介したら観客は全員ずっ転けたろうから、矢張り「ひめじ↓」は変な発音なんだろうな:-)。
先週の常用漢字表外読みの答え
諸国の(賦)を載せた船が入港した。(みつぎ)でした。
今週の常用漢字表外読みの問題
事ここに到って道は(谷まった)。
此も先月漢検の準一級出題です。

無試験で東京大学に…

いろんなことのあった水無月(みなづき)も慌ただしく駆け足で遠くへ去り、文月(ふづき)を迎えることとなったが、何故か体感上一年の半分が過ぎ去ったとは到底思えず、古来漢書では「烏飛兎走」と謂うが、月日の経過の早さには唯々愕いてしまう、此もきっと歳のせいだろうな(;;)。40歳位までは一年が長くて年が変わるのが待ち遠しかったが喜寿を迎えてからの日々はまるでDVDを早送りしているようだ(;;)。

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庭の擬宝珠(ぎぼし)が綻び始めた。この花が寺社の欄干などの柱の上に付けられて居るあのお飾りに似ている処から擬宝珠と呼ばれるが、五重塔などの先端に飾られているのは「宝珠」だから、さしずめ擬(まがい)ものの「宝珠」であり、それで擬宝珠と名付けられたものだろう。とても丈夫な植物ですっかり忘れて居ても毎年梅雨に入ると咲いてくれる(^^)。この花は斑入りの葉が多いので(うちのは違うが)どことなく高貴な雰囲気を醸して居て、葉と花とセットで鑑賞するものであり花だけだと葱のようでまるで詰まらない。周囲が露草などの雑草でヤケにむさ苦しいが、この庭に生まれ育ってもうすぐ成虫になろうとして居るキリギリス達が鳥に見付からないための苦肉の防禦策なのだ。今日は雨なのでキリギリスも草葉の陰で休息していることだろう。
何時も古い話になって恐縮だが、父の代からの関与先で嘗て水産加工や畳藺草(いぐさ)を染める土の採掘をされて居た朝霧にあるA社のF社長は私より10歳年長の大正15年生まれで叡智の誉れ高く、理系の華とされ戦前我が国最高の教育機関である国立陸軍士官学校に進まれ昭和19年に卒業、直ちに姫路第三師団46部隊に配属し満州に進軍し終戦を迎えられ、帰国後家業に従事されて居た。才能豊かな方で財をなす能力にも秀でて居られたが、無念にもこと半ばにして16年前癌のため泉下の人となられたのだが、告別式の折ご自宅へ伺って何気なく拝見したら応接間の額縁に入った卒業証書の学校名が何故か神戸大学工学部となって居り、卒業年次は昭和23年3月であった。奇異に思いながらその儘忘れて居た処、先日10年近く前に没した作家の田中小実昌(東大哲学科中退)に就いて触れられた書籍を読み、アッ!と愕きF社長のことが想い出されたので私の独断と偏見に充ちた推理を皆様に聞いて頂きたいと思います。
大正14年生まれの田中小実昌は旧制福岡高校に入学する際、漢字の読み書きがまるでできなかったが、国語の答案は全部平仮名で書いて、それでも合格したとか…:-)、昭和19年には福岡高校を繰上げ卒業して赤紙で兵隊に取られ出征し、中国南京など各地を転戦して昭和22年帰国したら、当時復員軍人で高校を繰り上げ卒業した者に対して、お国から「何処の大学にでも入って良い」とお声が掛かったそうだ、其処で何となく東京大学文学部哲学科を希望したら無試験で入学できた多くの幸運児の一人となった(^^)。苦労も勉強もせずに入れた学校だったため有り難みが少なく、酒ばかり飲んで殆ど出席しなかったらその内大学を除籍されたそうだ(;;)。今の学生が聞いたらきっと勿体なくて震えが来て失神するに違いないが、大正の末期に生まれた青年と現代の青年の価値観の違いだろう、彼等には無残に引き裂かれた青春の代償としてこんな素晴らしい特権があったのだ!
田中小実昌は苦労して入って訳ではないから何も考えずに東大を中退できたのだろうが、東大中退の肩書きは「腐っても鯛」であって輝かしく、その後彼が作家として大成できたのはこの肩書きが大いに役だったに違いないと思ったものだ。
話を元に戻そう。具(つぶさ)な事情は分からないが、神戸大学の工学部が文理学部など他の5学部と共に実際に誕生したのはF社長の卒業証書の記載のある23年3月以後である昭和24年5月のことだ。当時A社のF氏は既に2代目として家業に従事され、土方のように毎日鶴嘴(つるはし)を振るって染土を採掘して居られたから、23年に未だできても居ない学校を卒業されるなど考えられず、ない学校に入学できたりその卒業証書があるなんて陸士卒ならではの荒業だったろう。熟々(つらつら)考えるに、終戦の混乱期が治まった昭和25年以降になって終戦の混乱期に学籍を失い、又学ぶべき学校を兵役のため犠牲にされた人達が東大への無試験入学などを暴露して糾弾し、お国に抗議したため恐らく内閣府が動き出し、戦時中「陸士」に在学した者を捜しだし「陸士」「海兵」は大学に準じた機関でもあるから今更違う大学へ行けとも言えないし、敗戦と共に消滅した「陸軍大学」「海軍大学」の卒面を渡すにもGHQの目が五月蠅いし、已むなく何処でも希望の大学の卒業免状が交付されることになったのではないかと推測した。きっと当時の文部省が内閣府に恫喝されて遡って架空の年月を記入した卒面を作成したにものだろう。何せ、戦争当時は所謂「陸士」と呼ばれた陸軍士官学校と「海兵」と呼ばれた海軍兵学校に入ることは東大に入るより遙かに難しかったと三島由紀夫の「金閣寺」にも書かれているから、東大を超える学校がないとなればお上も学校は何処でも良いと言わざるを得なかったろう。
因みに、三島由紀夫は19年に学習院高等科を首席で卒業し、宮中にて天皇陛下より恩賜の銀時計を拝受し東京帝国大学法学部に推薦入学した程の秀才だったが、身長、体重、体力、膂力に劣っていたため文武両道の「陸士」と「海兵」の入学は無念にも夢が果たせなかったものだろう(;;)。そのコンプレックスが後年「楯の会」を指揮して割腹自殺を遂げる遠因であったのかも知れないな。
戦前戦中、地方紙や中央新聞の地方欄には地元の人間が東大に合格しても記事にはならなかったが、陸士か海兵に合格したら必ず記事になるほどだったからその辺りからその凄さが分かるよな。そんな風潮であったから、F社長がお上の学士免状の申し出に対し、東大と返答すれば先ず東大の学士免状が貰えたのではなかったかと思われたが、さすれば一度位上京を求められたろうし、当時は交通事情も良くなく、生活に精一杯で交通費の問題も重大だし、今ほど学歴が重視される時代でもなかったし、深くも考えずにできたてホヤホヤの神戸大学にされたのではなかろうか(;;)。F社長とは仕事を離れてプライベートな会話をする機会がなかったのが返す返すも残念だが、社長の生前神戸大学の卒面にお目に掛かっていたら好奇心旺盛な私のことだから、事件の全貌を聞き出しF社長がこの件に関しどのような感慨を持って居られたか察することができたろうにと悔やまれてならない(;;)。
でも、今の若い人は我が国には戦前東大を超える学校が存在したなど私が言っても誰も信じはしないだろうな(;;)。まして無試験や推薦で東大に入れた者が居たなど、「冗談やろ」と笑い飛ばされるのがオチだろうが此は事実本当にあったことなんだぞ。
東大続きの話になるが、米ラスベガスで開催中のポーカー世界選手権で、東大出の日本人が初優勝を果たしたそうだ(^^)。東京都在住の木原直哉さんが先月末3日間の日程で行われたトーナメント戦に参戦し、419人の中から勝ち残った11人で優勝を争い、決勝の6人テーブルで米国人5人を退けた。優勝賞金は51万2029ドル(約4096万円)だったとか…。彼はポーカーの種目別の優勝者に贈られるブレスレットを笑顔で受け取ったそうだが、東大が世界の趨勢から取り残されて脱落の危機にある処をよくぞ頑張ってくれたなあ(^^)、彼は東大を出て現在プロのポーカー選手として世界を転戦中である異色の存在で、日本は囲碁では既に韓国中国の敵でなくなっているから、異国の文化であるポーカーでの勝利はせめて日本人の輝かしい誇りだ。彼は在学中から将棋部に属しバックギャモンで日本のトップクラスだったそうだから勝負勘は一流だったのだろう。
日本人はポーカーフェースと謂われ乍らもその利点が生かせず此まで世界で通用しなかったようだが、それはフェースの問題ではなく度胸と気迫の問題ではなかったか、木原さんは最終の勝負をきっとワンペアで勝ち取ったのかも知れないと思ったものだ(^^)。
先週の常用漢字表外読みの答え
小袖の(領)をつくろう。 (えり)でした。
今週の常用漢字表外読みの問題
諸国の(賦)を載せた船が入港した。
この問題も今回漢検準一級出題の一部です。此は辛うじて正解できました(^^)。

「仰げば尊し」を子供達に

風薫る5月もあっという間に終わりを告げ、あと数日で6月にバトンタッチだ。6月を旧暦では「水無月」と言うが梅雨だのに「水無月」とは何でやろ?と思うが、「水無月」の「無」は「なし」ではなく「の」という意味の連体助詞「な」であり「水の月」と謂う意味だ。

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久し振りにEさんから中之島の薔薇の写真が届けられたのでご紹介しましょう。薔薇の花は白がベストです。花言葉は「清純、純潔」でありこの花に敵うものはありません。
水と謂えば、TVの8チャンネル夕方のニュースアンカーでは毎週作家の玉岡かおるさんがコメンテーターとして出演される。「私には水が大ありだ」と書かれた“水のご褒美”なるエッセイにお目に掛かったが、彼女が「水が大あり」の理由は彼女が個人的に“河川功労賞”と活動団体の長として“環境功労知事表彰”を受けられたそうだ。彼女の作品には加古川水系での生い立ちからだろう河川に纏わるものが少なくなく、多くの作品の中でも播州加古川上流の加西や小野を舞台とした「おんな紋、まろびだす川」「はしりぬける川」「あふれやまぬ川」と明治、大正、昭和を生き抜く「お家さん」の生涯を綴った大河小説3部作は秀作だったな。男社会にあって男達に翻弄されることなく毅然と生き抜いた女性を描き山本周五郎賞の候補にもなったことによる受賞だったそうだ。
「家」を守るために己を捨て恋人とも別れ見知らぬ男の許へ嫁いで行き、生んだ子供達を戦争に奪われる理不尽で悲しい物語は、戦後生まれの方には理解され難いと思うが、我々戦前の人間には決して忘れられぬことであり、昨年の今頃だったろうか滂沱(ぼうだ)の涙と共に三冊を読み終えるのに2週間を要した。明石の女子師範に学び教職の道を選びながら、恋の柵(しがらみ)を捨てて家を護ることを選んだ知的女性の権化とも思える小説の主人公の芹生(旧姓青倉)柚喜には嘗てのフォークグループ「赤い鳥」で“竹田の子守歌”を唄った山本潤子をイメージしたものだ(^^)。
話は飛んで行くが、山本潤子は若いとき唄も下手だったし顔もブスだったが40年を経て、歌も上手くなり顔も締まってきたな。きっと激震の歳月を弛まぬ努力を続け乗り越えて来られたのだろう。同じ時代「赤い鳥」の仲間であった「紙ふうせん」の平山泰代など当時はとても可愛く歌も山本潤子より上手かったが、今では上沼恵美子そっくり幸せ太りの小母さんになり、あの綺麗な高音が苦しくなっているのは気の毒だが亭主を顎で使い平和な家庭にどっぷり浸かってしまった報いだろう(;;)。でも平山泰代の亭主である後藤悦次郎を含めて全員、我々が愛する関西フォークの貴重な草分けだ(^^)。
今でも時々「竹田の子守歌」など聴いて過ぎし昔を懐かしんでいるが、♫久世の大根飯、吉祥の菜めし、またも竹田のもん葉飯♬の「もん葉」は「おから」のことなんかなあ?などと考え、子供時分お腹の足しになるからと菜っ葉の煮物に混ぜてよく食べさせられたことを思いだした。30年位前のことだが、お得意先明石の豆腐屋さんが豆腐の副産物である「おから」を養豚場に売却しその売上代金を脱税したと税務署に絞られたことがあったから、もうその頃から「おから」は人間の食べるものではなくなって居たのではなかろうか。
四月一日或いは四月朔日(ついたち)と書いて「わたぬき」と読む変わった姓があることは知って居たがその訳は全く知らなかった。処が先日ある書物を読んでいたらその語源に触れてあり、4月1日は旧暦の4月1日のことであり太陽暦で謂えば先週の5月21日となる。この日には昔は来ていた衣服の衣替えの季節であったらしく、綿入れを脱いで袷に変わる日だそうで、着物につめた綿を抜く慣わしであったとか…、私は此の慣わしから貧しかった日本人の昔は冬も初夏も同じものを着ていて着物の中に綿が入って居るかないかの違いだったことを知らされた(;;)。今思えば少し更衣(ころもがえ)が遅い感じだが、地球温暖化の現在と違って昔は5月に遅霜が降りていたりして居たから結構寒かったものと思われる。学校や修道院の制服なども6月から夏服となって居たから納得だ。
この四月一日或いは四月朔日(わたぬき)が姓になったのは綿貫と語源をともにし、現千葉県北部である下総国葛飾郡発祥とも謂われており、桓武天皇の子孫で平の姓を賜った家系である平氏(桓武平氏)千葉氏族で現在約10人が現存されるそうだ。
苗字については奇抜なものは架空のものや江戸時代の戯書から引用されたものが多いので、そのまま実在するとは限らず、全国の電話帳が電子電話帳としてCDに纏められて居たり、ウェブ上に夥しい人名が溢れていたりする今日では、そのどちらにも記載が無く、且つ如何にも奇抜な名字は99%以上の確率で幽霊名字と考えてよいそうだ。小鳥遊(たかなし)など典型的な幽霊苗字と思われるが、実はこの姓は実在するものであり現在全国で約40名居られるとか…。元は高梨からの転化で清和源氏井上氏流の名族であり信濃国高井郡高梨邑(村)を領した高梨盛光が長男に高梨、次男に鳥楽(たかなし)、三男に小鳥遊(たかなし)、四男に仁科(たかなし)の姓を与えたことからであり、意味は読んで字の如くである。きっと領主高梨盛光は洒脱な粋人であったろうな(^^)。
ご存じの方も居られると思うが「小鳥遊恋(本名)」は数年前可成り売れたAV女優であり、著名な美人女優「長沢まさみ」によく似ていることと奇抜な姓で有名だったことを想い出した。
大阪市が市職員に対し交通やゴミ収集等現業職の給与を大幅に下げると提案したがどうして現業職ばかりで事務職が下げられないのか分からない。一ケ月の仕事を三日でできるとほざく事務職の給与をカットしてから現業職を説得するのがスジではないか!
50年以上前の名張毒ブドー事件での奥西勝被告86歳の再審請求がまたもや覆され名古屋高裁は再審請求を退けたが、50年も塀の中に留め置かれて然も86歳だから、せめて娑婆の空気を吸って往生させたいと思うのが人情だが裁判官とは強情なもんやな、それにしても弁護団が大きな文字で印刷済み「不当決定」の垂れ幕をメディアに示したのは愛嬌だったな。「無罪」の印刷なら分からぬでもないが、「不当決定」ならばその場でマジックで書き殴ったものでないと弁護団の真意が疑われるぞ!
先週の常用漢字の表外読みの答え
思えばいと(疾し)此の年月、  (とし)でした。口語体の場合は(とく)となります。
このフレーズは「仰げば尊し」の1番の一部であり、年配の方はお分かりになったと思う。日本の歌百選にも選ばれた名曲で私は4回の卒業式でこの歌を歌ったが、今でもこの曲を聴くと純情無垢?だった幼き頃を想い出して泪に眩(く)れ、人生の旅立ちへの感慨一入(ひとしお)だ。
「大言海」の大槻文彦が作詞されている格調高い文語体の詩文だが、先日高三の孫に聞いたら此まで卒業式で一度も歌ったことがないそうな…(;;)、歌われなくなったのは「お金を貰って勉強を教えている先生なのに、恩とはまるで押し付けがましい」のが文科省の言い種(ぐさ)だそうだがお金の問題ではなく、教えを受けた先生に感謝の意を表すのは「長幼の序」であり、自然の理(ことわり)ではなかろうか。2番の歌詞に「身を立て名をあげ」と立身出世を呼びかけている処も「民主主義」的でなく、また「いと」「やよ」のような文語が「難解である」ことも歌われなくなった原因の一つであり敬遠されているそうだが、難解なものを教えるのが教育ではないのかな。係り結びの法則も知らず「今こそ別れめ」を「別れ目」などと信じ込んでいるアホな連中が多いのは文科省のせいかも知れぬだろう:-)。係り結びも知らなくて古文が読めるか!努力を重ねて立身出世して何処が悪い!
今週の常用漢字の表外読みの問題
彼は(謙った)態度を崩さなかった。

教えて何処が悪い!

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今年は何時もより早く桃色月見草が満開となった(^^)。昨年全部除去したつもりだったが根の一部が残っていたようだ。こんなに薄いピンクが美しい花も珍しいが、アカバナ科であるため甲虫類の大好物なので、間もなく地中から甲虫の卵が孵り、花も葉っぱもボロボロに浸蝕されるのが痛ましい。然し此も自然の摂理であろうな(;;)。
野に山に新緑が萌え、一年で一番良い季節を迎えて居るが、何を思ったのか私は来月17日の漢字検定にて準1級に加えて2級までも受験することに決めた(^^)。理由は今回から新常用漢字196字が2級に出題されることになったことに由来するが、2級に合格したのは6年も前のことでありその後準1級受験となってから、部首や送り仮名が出題されないため疎遠となって記憶が杜撰になって居り、その辺りを改めて記憶の襞(ひだ)に取り込むため再度2級に挑戦してみたいと思ったからだ。体調さえ維持できれば合格できると思うが、2級のテストは準1級と違って旧字体の使用が許容されないため、5年前「暁」を旧字体である「曉」と書いて2点失なった苦い経験もあり、5年間のブランクと1級配当漢字からの格下げ28字により2級の得点が準1級のそれを下回ることは充分に予想され、二つの検定の点数はカツカツの良い勝負となるのではないだろうか。
又、検定時間が10時からと3時半からと歪(いびつ)であり、会場である神戸外大キャンパスまでバスと徒歩で片道50分だから一度帰宅してもう一度行くことになるので、合否と点数はその日の体調と体力勝負になりそうな気配だ(;;)。
最近のTVドラマはちっとも面白くないぞ:-)。毎日曜日9時フジTVのドラマ「家族のうた」を録画して後日観ていたが(9時は読書の時間なので…)、少しも面白くなく、主役のオダギリジョーなど一昔前の暴走族顔とモヒカンの髪型は時代錯誤であり、多くの高齢者の視聴者が嫌悪感一杯だったのだろう、因って記録的な低視聴率(3%!)を誇り遂に打ち切りと決定したそうな…(;;)。何しろストーリーの展開が全く読めず、藤竜也が何故出てくるのかも不明で視聴者も戸惑って翌週への期待感が全く得られないため視聴率を衰微させたものだろう。今からオダギリジョーに救急箱を持たせて江戸時代にタイムスリップさせてももうアカンやろなあ(;;)。
同じフジTVの木曜日「カエルの王女様」も苦戦中であり、この番組もストーリーの行く末が不明で、翌週への期待感が持てず、天海祐稀の孤軍奮闘も空回りに終わっているが、原因はシンデレラであるべきAKB出身の大島優子が役不足の大根でどうにもならず、もう少し花のある女の子は居なかったのかと思う。大島優子は前作「私が恋愛できない理由」で吉高由里子と共演したとき、吉高と正反対な暗い役割であり、それが尾を引いて客にそっぽを向かれているのだろう。俳優は観客の抱くイメージと好感度が何よりだ。昔私の同年齢だった人気絶頂松竹の石浜朗が1度悪役を演じてそのまま消え去ってしまったことを未だ憶えて居る。3枚目はどうにでも変えられるが、2枚目や美女は役柄を吟味しないと次がないことを知るべきだろう(;;)。
先週14日警視庁は70代の男性3名を郵便局に1万円の偽札を持ち込んだとして、偽造通貨行使の疑いで逮捕したと発表した。
 偽札の一部は透かしがある精巧な作りだったそうで、3人は2か月前に墨田区の郵便局の窓口で偽造された聖徳太子の1万円札220枚を持ち込み換金したそうだが、翌日都内の別の郵便局に偽札150枚を持ち込んだところを局員に見破られて発覚したとか…(;;)。
私が不思議に思ったのはプロの眼力と触覚に勝るものはないから、入金が受付けられなくてもダメモトだし、どうしてATMで入金しなかったのかとの疑問だったが、ATMで無事収納できても入金と出金が別に管理されているため後刻現金預入者がカメラで追跡され発覚するのが怖く窓口を利用したのではないかと考えた。窓口なら現金が環流するため預けてしまえば預入者が特定されないとの読みではなかったか。それにしても警視庁が二ヶ月も逮捕に時間を掛けて極秘捜査をして居たのは、きっと公安が乗り込んできて北朝鮮との絡みを調べて居たに違いないだろうな。今回の発表は北が絡んでいない事件であることが判明したせいだろうが、偽札作りは全く割の合わぬ犯罪だと何かに書いてあった。日本のお札のセキュリティーは世界一だそうで北朝鮮もドル札は偽造できても円札は尻込みするのではなかろうか。
JR明石駅の駅員が定期券の解約で8600万円もの横領が発覚したと先週報道された。架空名義で定期券を申し込んでおいて駅の端末機で払い戻しを受けて居たらしく、6年も前から継続していた内部犯行だそうだが、被害が長期間に渉り、被害額がこんな多額に達するまで誰も気付かなかったのは訝しく、JRの内部牽制制度が杜撰で国鉄時代の親方日の丸体質が少しも変わって居ないことを露呈したものだろう。大体から定期券を申し込んでお金の授受も確認せずに解約が可能だなど、こんな欠陥ソフトを誰が認めたのか?そっちを責めるのが先ではないのか:-)。可哀想に何も知らぬJR西日本神戸支社長が謝罪会見をさせられ上、この事件のお陰で窓際族直行だから宮仕えは辛いよな(;;)
一方、福知山線脱線事故の元兇であった当時社長であった悪い奴垣内剛が今回無罪の判決を受けてJR西日本関係会社の技術顧問に就任することが判明したが列車の技術顧問に東大法学部出は面妖だと思うが、どうしても適当な天下り先がなかったんだろう(;;)。ま、給与を貰うだけで出勤などしないんだろうな:-)。それはそうと此奴は退職金を辞退しないで取って帰ったのかい?
先月京都の亀岡で未成年の少年達が無免許で友人から借りた軽自動車を突っ込んで、児童達10人を刎ね死傷させた事件で、加害者の父から被害者の親に謝罪の電話があったことで「どうしてうちが分かったのか」と被害者の親が騒ぎ出し、挙げ句連絡先を教えた警察官や学校の教頭が糾弾され、署長や府警本部長共に懲戒される羽目に陥っているが、不注意で事故を起こせばお詫びをするのが当然だろうし、お詫びをしたいと言う加害者の親の心情は尤もで、警察官や教頭が加害者の親の心情を察したことは人の親として当然な行為だと思うのだが、どうして加害者の親の願いを叶えてやって懲戒されねばならぬのか私にはまるで分からない。ストーカー事件ではあるまいし、個人情報と謂うものが人の倫理を超えてまで秘密が守られねばならぬとは到底考えられない。加害者の親が我が子の不始末に謝罪をしようとするのは自然の理であり、放置すれば今度は「何故謝罪しない!」と誹られるだろうから、謝罪された方もどうして自然体で受け止められなかったものか。
今度は逆のケースだが関越道高速ツアー事故を起こしたバス会社から被害者側に謝罪の手紙が届いて居たことが先週分かったそうな…、謝罪文には社長が被害者一人一人に直接お詫びに行くと記されて居たそうだが、此方は何処から漏れたのか情報源は詮索されず、それどころか手紙が届かない別の家族は、「手紙も来ない、謝罪する気があるのか!」と怒って居るそうだからこっちがまともであり、前者は被害妄想もよいとこだ。世の中何処か怪訝(おか)しくなってきたな。
先週の常用漢字の表外読みの答え
勉強が(疎か)になる。(おろそか)でした
今週の常用漢字の表外読みの問題
思えばいと(疾し)此の年月 

推薦入学の悲劇

何処彼処に咲き誇って居た桜も昨日の雨で大半が散ってしまったようで無情の雨を怨めしく思ったが花と謂うものは何時か散るものであり、花の最期は潔いほど美しく、桜は散り際の潔さを愛でる代表花であろう。
「風誘う花よりもなお我はまた春の名残りを如何にとやせん」
元禄14年3月14日吉良上野介刃傷の咎により切腹を命じられた浅野内匠頭が「生」への執着を恨み節に託した辞世の句だと謂われるがこの花は当(まさ)に桜に相違ないと思われる。然し江戸の3月14日は桜の開花にほど遠く内匠頭の思った花は梅か桃ではないかとの疑問に到着するが、陰暦の3月14日は太陽歴の4月4日だから矢張り桜に相違なかろうな。
後二(ふた)月後6月17日(日)に本年度第一回の漢字検定試験が行われるので今回も又懲りもせず応募しようと思っている。受験し始めて数えて8年目となるが、この歳となれば憶えるより忘れる量が圧倒的に多く、前回の点数処か合格さえすれば良いと思っている。今月の土日は取り敢えず常用漢字のお復習(さら)いをする予定だが、「主人に(つかえる)」、「差しつか」えるなどをド忘れし、普段学んでいる「閊える」や「痞える」などが出てくるので困ってしまうな(;;)。
今年中学二年生になった孫娘にダメモトで「四級は祖父ちゃんのテストと同じ時間やから一緒にいこ」と誘ったら、その場は「ムリムリ」とか言って逃げて帰ったが、母親に説得されたらしく二三日後に受験の覚悟ができたようだ(^^)。孫と一緒に漢字検定に行くのは私の夢だったから嬉しくてならないが、部活のソフトボールが若し対外試合となるとそちらが優先し漢検はパスすることになるとか…(;;)。
試験の難易度は小学校一年生が10級受験だから、計算上四級は中一となって、漢字の習熟度は十分であり、教科書で覚えていない漢字は出ないと思うが、漢字を習って居るからとて熟語や対義語などの理解は十分でなく合格点に達するには更なる研鑽が必要だろう。四級を切っ掛けに漢字の面白さに気付き、順調に二級まで登り詰めて5年後の大学入試に資することができれば良いなと思っている。
漢検は例の不祥事以後受験者が激減して前回のテストでは同じ教室に準一級と四級が同居していたから、若しかして孫と同じ教室になるかも知れないな(^^)。
それにしても私が受験しだした8年前から各級のテスト時間は全く変わらず2級が10時からとトップで準1級と4級6級が15時30分から最後と変わらないが、偶には受験時間を変更して欲しいと思う。年寄りの受験は矢張り朝一番が良く、往復の2時間を要するから3時半スタートはちと辛いぞ:-)。
先週お得意先のS社で今年甲南大学に一般受験で合格されたお嬢さんの話を聞く機会があったが、入学した全員が早速クラス分けのため英語などのテストを受けさされたそうで、クラス毎に偏差値レベルを変えて所謂兵庫方式(賢い連中のクラスとできの悪い者のクラス)にし、今後の授業の難易度をクラス全員の学力のレベルを合わせるのが目的だそうだが推薦などない我々の時代にはなかった現象だ。テストの結果は当然だが上位クラスは圧倒的に一般試験組が占め下位クラスは殆どが推薦入学組となったそうな…(;;)、此は当然に予測された結果であり、推薦入試?が秋に行われるため、其れでなくても一般組と推薦組の偏差値の乖離が激しいのに1年間の努力の(通常推薦は2年生までの成績で決められる)の差がその乖離を更により大きくした結果が大学側の偏差値に応じたクラス替えを迫られる必要があったものと思われる。それなら初めから一般入試組と推薦組とクラスを分ければ簡単だが、推薦組の中にも甲南を目指した結果が安全パイの選択肢を選び、実は力を秘めた者も少しは居るに違いないから大学の内部テストで篩(ふる)いに掛けたものだろう。お嬢さんの話では推薦組のテスト多くの結果は余りにも無残なものであったそうな…(;;)。
それより甲南高校からの持ち上がり組の成績はどうだったんだろう、試験をしなかったのだろうか?してたらひょっとして推薦組より悪かったりして…(;;)。
私は以前から高校と大学は人生の試煉としての入試を乗り越えることで、人間としての節ができ、その人の人生に浮き世の波風にも耐えられる骼(ほね)が作り上げられると考えて居るが、此はどうやら私だけでなく、一般企業も同じ考えのようであって、大卒の入社試験では試験官が学生に聞く第一声が「大学は一般入試ですか、推薦ですか」だそうだが、推薦と答えると先ず20点減点されるそうで、この減点の恢復は容易ではなかろうな。よい会社に就職したければ平坦な道を歩んで得られるものは少なく、リスクは覚悟して一般入試を選ばれることを是非お勧めしたい。推薦組が入学後必死で勉強して一般入試組に追い付いたとしても20点のハンディキャップは少なくない。然し会社側の真の意図は入学後の勉学のことより、入社後の艱難(かんなん)辛苦を考慮して、茨の道を避けて安易な途を選んだ入学の動機に拘ったものではないかと考えた。
大学側も学校全体の質が落ちるので、できれば推薦などで取りたくないのだろうが、斯くも少子化が進み学生の奪い合いともなれば定員が確保できる保証は何処にもなく、学校経営の存亡に関わってくるため已むなく悪しき習慣を守っているが、内心は忸怩(じくじ)たる思いであろうな。
タクシー業界も不況の煽りで閑古鳥の情勢だが、此の垂水でも数年前にミナトタクシーが廃業し、何時もハイヤー代わりに愛用していた妻が「又新しい電話番号憶えんならん」と愚痴って居たが、先日その後使っていた垂水タクシーまで倒産した(;;)。聞けば業界不況で苦しんでいた処、不運にも偶々加入していた年金基金がAJI投資顧問にお金を任せてあり、今回AJIの遣い込みで、厚労省から直接AIJの損失相当額の返済命令を受けて矢折れ力尽きての倒産だそうだ(;;)。現在民事再生法などの適用を受けるべく奮闘中であり細々と営業中だが、五体満足な会社でも危うい苦難の時代にAJIに騙された会社が生き残れる道理がないよな、妻は今度は愈々山陽タクシーの電話番号を憶えるつもりのようだ(;;)。
先週の常用漢字表外読みの答
水仕事で指先が(潤びる) (ほとびる)でした。
指紋の個所がしわしわになること
今週の常用漢字表外読みの問題
毒薬を(私か)に手に入れた

ストーカー事件の波紋

春は選抜からと謂うが甲子園球児の熱戦が酣(たけなわ)となってきた。お彼岸も過ぎて近くの桜もちらほらと綻びかけ、野の草花が萌み池のメダカも水藻の間に姿を現し餌をねだっているから愈々春の息吹が聞こえてきたようだ(^^)。老耄に鞭打って今年も仕事にもう一踏ん張りして見るか。

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最近「漢字が乱れた」とは良く謂われる言葉だが、写真は我が町垂水商店街にある居酒屋の店先に掲げられた開店前のお洒落なキャッチコピーだ。今年の初めより出されて居たと思うが、字の怪訝(おか)しいことに誰か気付いてその内訂正されるだろうと思っていたが三月近く経っても少しも訂正されぬのに愕いた:-)。「こめる」は広辞苑などに拠れば「込める」と「籠める」が併記され一見同じ意味と思われ勝ちだが、厳密には「こめる」対象物によって使い分けされるべきであって上記のフレーズに使われた漢字は正しくなく、心をこめるとか魂をこめる場合に使う字は「込める」ではなく「籠める」を使用すべきだと私は思った。「込める」は主として混雑するとか弾を込める場合に使い、詰め込む意であり、「籠める」は包むなどソフトな雰囲気を醸しており、少しだけ意味合いが違うのではないか、漢字検定準一級では「心を込めて」と書くと×になるのではなかろうか。多くの異論があるのを知りながら、敢えて漢字に拘泥(こだ)わりを持つ市井の一人として一言申し上げたい。心を詰め込んでどうするか!
 AIJ投資顧問が年金資産約2千億円を消失させた衝撃の事件は現在捜索中であるが調べたとて詐欺同然の遣り口だったから2千億円が戻ってくる道理もなく、悪い奴らから弁償させるにも金額が多過ぎてどうにもならず刑務所へ送り込む位しかできないのは情けない。
この消えた年金の穴埋めにはナント!厚生年金の保険料が使われることに決まったとか…、おいおい、それはないだろうが:-)
この事件の背景には運用を委託した企業年金側の役員や職員の大半が、資産運用をした経験のない「アマチュア」だったという現実があった。又、それを良いことに旧社会保険庁から年金基金に天下りした600名の運用担当者は実は資産運用など何も知らぬ奴等であって、役所時代の人脈の情報交換だけで運用先の危険など見抜く力が全くなかったことが今回の事件の遠因だったのだ。
何て奴なんだ!現役時代は厚生年金加入者の年金記録を消すことに一所懸命励み、退職後は、何の知識もないのに年金基金に天下って高い俸給を貪り、果てはAIJを選んで年金基金に莫大な損害を掛けるなんて疫病神のような連中だな:-)。社会保険庁で働いていることと年金基金の運用とまるで職種が違うことは誰も知って居ることではなかったのか!悪いのは社保庁の官僚と不適所不適材を黙認した政治家だったろう:-)。
卒業式での教職員の君が代起立斉唱が各地で問題となっている。大阪府では起立しない先生は容赦なく処罰されるが、それでも中にはズルの先生も居るもので、立つだけ立っても歌わないのも居るらしく、歌っているかどうか口許まで確認されたのは府立和泉高校で校長は橋下市長の盟友であり市長が府知事時代に民間人校長に選ばれた弁護士とか…、まるで狐と狸の騙し合いだな(^^)、先生も起立までしたのならパクパクコンテストでも実践して居れば見付かることもなかっただろうに(;;)、処が優柔不断な教育委員会はこの先生が歌わなかったことを認めたのに、処分を見送ることに決めたそうだ。「歌っているか、いないか確認が難しく不起立と比べて式に与える影響に差がある」とのこと、中身を問わずに形式だけを問題にするのでは教育委員会の連中も同類項でないの?この事勿れ主義には呆れるな!規則でははっきりと「起立斉唱」と定められているから、歌わなかったことを認めた先生は明らかに規則違反だ。罰せられないのなら「斉唱」など決めるな!
大阪市教委では先週21日、この日に行われた市立小学校の卒業式で、女性教諭が君が代斉唱の際に起立しなかったと発表した。市立学校の教職員に君が代の起立斉唱を義務づける市条例が制定された後、不起立が確認されたのは3人目だそうだ。 また大阪府公立小中学校の卒業式で3人の教諭の不起立があったが、府教委は定年後の再雇用の取り消しを含む処分を検討するとかいうが、そんな生温(ぬる)いことを言って居るから赤い先生に嘗められる。ひょっとして教育委員会の連中も日教組の赤色に染められて居るんじゃないの?
千葉三重長崎に跨がるストーカー事件で被害者2名が殺害された事件では、被害届の先送りを求めた担当警察官が北海道旅行にまで行っていたことまで発覚し、遂には警察庁長官まで狩り出されて事態の収拾に追われることになったが、長官まで出馬となると三つの県警から出る怪我人は習志野署長の辞任で終わらず、本部長以下少なくないだろうな(;;)。
それにしても刑事ドラマなど見ていると警官は誰もメチャ多忙で家にも帰れず、奥様から去り状など貰っているが、総員12名もの旅行など聞かされると刑事ドラマもインチキ臭いな。警察官は誰も有給休暇をしっかり20日間取って居るに違いない(;;)。「警官の紋章」佐々木譲も「第三の時効」横山秀夫も愈々作風を変える必要に迫られたそうだ。
ストーカー事件は最近頓に増加しているが、時代の趨勢からして加害者は男性と限らず女性だって可成り多いようだ。警察庁の調べでは此までの10年間に毎年1万4千件以上もあるそうだが、考えるに此は事件として処理されたのが1万4千件で、相談などは無数にあったに違いないが、ストーカーなど事件にしたくない警察に相手にされず放置されたり、追い返されたりしたケースは数十倍に上ると思われる(;;)。危害を加えられなければ事件にして貰えなかったのが今回の不祥事でストーカー被害の申告に対して少しはマシな対応が受けられるのではなかろうか。それにしても、ストーカーなんてネチネチした奴は昔居なかったと思う。告白して(最近はコクルなどと言うらしい)断られたらさっぱりと潔く諦めたものだが、現代の若者は草食化したと謂われ乍ら片やこんな卑劣な連中が増加していることは情けない。このように陰湿極まるストーカーの増加は、お互いの人格の確認や相手に対する労りの心を欠き自己チュー人間ばかりを産出した現代の教育に於ける悪しき産物ではなかろうか。
 
先週の常用漢字表外読みの答え
訝(いぶか)しげに(左見右見)する (とみこうみ)する。でした、
蛇足ながら(左見右見)はずっと昔、藤原審爾の小説に始終登場する言葉であり憶えて居たが何故か彼の作品には漢字でなく「とみこうみ」と平仮名で書かれており、キョロキョロすることであろうとは前後の文脈で分かったが、「と見こう見」と書く作家も結構多く、長くその漢字を知らなかったものだ(;;)。従って若いときに憶えた漢字でないため虚(うろ)覚えであって必然性に乏しいため、右と左のどちらが先か迷い(右見左見)と書き誤ること頻りであり、一計を案じ(左見右見)(右顧左眄(うこさべん))と同意義の言葉を並べ対照させて憶えることにした。さすれば右の反対は左であり、(右顧左眄)は「読み」からして書き誤ることがないから対照の(左見右見)も正しく書ける所以である。因みに(右顧左眄)の眄(べん)の旁(つく)りは書き難い字で嫌だなあ(;;)。
今週の常用漢字表外読みの問題
彼女は言い寄って彼の心を(掌)にした。

今度は京大医学部


先週末久し振りの雨だった。旱天(かんてん)の慈雨と謂うと大袈裟だが昨年末に少し雨が降った記憶があるが、その後お正月になっても雨らしい雨が降らずに半月以上も乾燥注意報が続いていた。毎年ならこの時季はプランターに水を遣る倣わしなどないのだが、今年に限り毎日水遣りに追われて居たが琵琶湖の水は大丈夫かな?など案じていたから此で一安心だ(^^)。雨が降らず好天気が続き気温が高かったせいか何時もより2週間も早く事務所玄関先の白梅が萌み綻んできた(^^)のでご覧下さい。

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岩波書店から発売された「日本海軍は何故過ったのか」の図書広告が先日各新聞に載せられていた。ふと“過った”は “誤った”の誤りではないのかと漢字に違和感があって気になり調べて見た。“誤”と“過”は同じような意味を持つ常用漢字だが、漢検辞典を見ると“誤”は「あやまる」とあり“過”は「あやまつ」と明確に送り仮名が定められて居たが、広辞苑によると「あやまつ」には“過つ” “誤つ”両方の文字が用いられ「道ならぬ行為をする」とあって頭が混乱した。文語体の場合“過”を使うのかな?などと思い色んな辞典を調べて見たが基本的には「間違ったことをする」の意であり種々考えたがよく分からない(;;)。
ネットで調べたら「学生の答案に見つけるのは「誤り」で,他人の奥さんを犯してしまうのは「過ち」と使い分けるべきなのだろう。」と大袈裟に書かれたものまで見付けたが、新潮国語辞典に拠れば「過ち」が“男女間で道徳に外れた関係を結ぶこと”とあり「誤る」には“男女間の間違いをする”と後者が少しだけ消極的な意となるから、強いて拡大解釈するなら過ちを犯すことが到底赦されない場合を「過ち」と謂い、反省すれば宥恕できる程度のものを「誤ち」とでも謂うのではなかろうか。きっとこの本の作者は日本海軍の行為が到底赦せるものではなかったことを言いたくて「過ち」を用いたものだと納得した。さすればネット上の「他人の奥さんを犯してしまう」も或いは正解だったのかな?と思ったものだが漢字って本当に難しいなあ(;;)
「過ちて改めざる是を過ちと謂う」と謂う論語の教えがあるが、改めることのできる過ちは“誤ち”と送れない処が微妙だな。
昨秋10月に一度触れたことがあったが、遂に東京大学が春入学を廃止して秋入学に決定した中間報告を纏めたそうだ。と言っても他校と両股掛けられては敵わぬので試験は何時も通り春に行い秋までの半年間は、偏差値重視の受験戦争で染みついた心の垢(あか)を拭い落とすためにボランティア活動や企業インターシップ(就業体験)或いは秋入学を目指した東大の主目的である海外留学に当てられるそうだが、とても良い発想だと思い大賛成だ(^^)。
9月入学は世界の主要な大学と歩調を合わせようとしたもので優秀な留学生を他国に取られず東大に誘致するために考えられたもので、飛び級可能としても卒業まで原則5年となるのが難点だが、現在昔からの惰性で存在する2か月もの夏休みなどを廃止すれば充分に4年で単位は取得でき卒業させることができるのではないだろうか。然し如何に天下の東大であっても頭が硬く視野の狭い文科省が官吏の採用が春4月と定められているため9月入学にウンと言うとは到底思えず、この中間報告は日の目を見ぬことになりそうだと思っていたら先週金曜日に北海道大学が9月入学に名乗りを上げさらに京都大学、東北大学、大阪大学も同調し、終には全国36校まで9月派となって今後益々増えて行きそうな雰囲気だ。此では流石の文科省も兜を脱ぐしかあるまいな。「赤信号みんなで渡れば怖くない」タケシのジョークだったかな?
先日の夜イタリア中部沖で、乗客4200名を乗せた全長300m近い大型クルーズ船が船長の重大な判断ミスにより座礁し不幸にも11名が死亡、行方不明者24名もの大事故が勃発したが、ナント!この船の船長(52歳)が乗客を放置して自ら逃げて陸地に避難し、沿岸警備隊関係者から船に戻るよう促されたが結局も戻らなかったそうな(;;)。
この何ともしらこい船長は結局過失致死などの容疑で検察に身柄を拘束されることになったが、彼には12年もの禁錮刑が科される可能性があるとか…:-)。この男は刑に服することや自らの行為が全世界からから非難され糾弾されることなど何も考えずに我が身可愛さで無意識に決断したものと思われるが、罪や刑罰は別としてこの男に人間としての倫理観の持ち合わせがない処が腹立たしく、船長として何よりも護らねばならぬのは己が命ではなく乗客の安全であることを忘れて居たことは到底赦されるべきではなく、職務に対する不適格を咎めて我が国江戸時代なら市中引廻しの上獄門晒し首となったろうな:-)。
然し彼も牢獄の内は兎も角刑期を終えてからが地獄であり、事件を忘れない民衆の敵意に満ちた眼差しに射竦められ、戸外にも出ることも叶わず、何れ自らの命を優先した行為を恥じて縊死することになるだろうから浅薄な男だったな:-)。此を仏の教えでは“因果応報”と謂う。英語でも「An ill life ,a bad end」と謂うからイタリアでも同じような諺があるのではないのかな?避難する乗客が漸く救命ボート迄辿り着いたらボートにはスタッフの乗員が大勢先に乗っていたので乗れなかったそうだから船長も船長なら乗員も乗員だったな:-)。
思えば古い話だが我が国では1904年に始まった日露戦争時に旅順港にて閉塞船(海上封鎖の目的で船舶が出入港や通過することを阻止するために自沈させられる船舶のこと)福井丸に爆弾を仕掛け、ボートで退避する際途中で姿が見えなくなった部下の杉野兵曹長を捜索するうち、ロシア軍の砲撃を受けて戦死し、海軍初の「軍神」となり文部省唱歌「広瀬中佐」に歌われた広瀬武夫のことが思い起こされる。自らの命を捨ててまで部下の無事を願った広瀬中佐と、乗客を放置したこの愚かなクルーズ船の船長や乗員との価値観の落差は一体何処から来たものだろうか。きっと日本とイタリアの国に於ける幼少時よりの倫理教育の差であったろう。話は冒頭に戻るが「日本海軍は何故過ったのか」はよもや日露戦争の東郷平八郎以下広瀬武夫達海軍の精鋭達を指弾したものではあるまいな!
電車で通勤中の31歳パート女性の何処かを触ったとして、京都府警七条署は先週痴漢の疑いで、大阪府柏原市の京都大医学部3年ボート部所属の大坪尚貴容疑者21歳を逮捕したそうだ(;;)。逮捕容疑は18日朝米原発姫路行きのJR普通電車の車内で、約2分間にわたって女性の何処かを左手で触った疑いで、同署によると女性が大坪容疑者の手を掴み「痴漢したでしょ」と問い詰めると認めたという。名も知れぬ三流大学ならいざ知らず天下の京大医学部となればメディアが飛びつかない訳はなく本名まで公表され、学校も彼を退学させる術(すべ)しか知らなかったろう(;;)、最高学府のエリート駿才が三十路の小母さんを痴漢し、洋々たる前途を2分間の悪夢で瞬時に失う愚かさは今の若者の刹那主義を象徴するに相応しい愚行だったな:-)。受験に於ける偏差値など人間の品性に何の関わりも持たないことを無性に悲しく思ったものだ(;;)。先日大王製紙嫡男アホボンの愚行で東大法学部が味噌を付けた処だが今度は京大医学部とは…:-)、此でアイコだな。彼の出身校である大阪大手前高校もとんだ「落ちた偶像」に愕いたろう。
今日は嫌なことばかり書き連ねたが、最後に楽しいニュースをお届けしよう。
昨日卓球の全日本選手権第5日目が東京体育館で行われ、女子シングルス決勝で福原愛選手が宿敵石川佳純を下し優勝したが、ナント!彼女は13回目の出場で初優勝だったのだ(^0^)/今23歳だから小学生の時から全日本に出場しているのに愕いたな。幼少時バンビの部で活躍した選手は金属疲労で誰も大成せず消えて行く中を中を愛ちゃんは偉かったな。
処で愛ちゃんには両親とお兄さんが常に帯同しているが、この人達の生活費は誰が払っているの?
先週の常用漢字の表外読みの答え
彼は(約やか)な生活を送った。(つづまやか)でした。
今週の常用漢字の表外読みの問題
花の(顔)