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tigerace について

税理士

オホーツクの泪(なみだ)

愈々おとといからコールデンウィークに入りましたね。人々の往還で気になるのはオミクロン株の感染です。大連休が終わって中頃にその結果が出るものと思われます。その時若し蔓延がなければオミクロン株も終熄に向かって行くのかなと淡い希望を抱いています。
玄関の庭先では何時もならゴールデンウイークが終わってから満開を迎えるヒメウツギが我が世の春と咲き誇って居ます。白い花って清潔感があってとてもいいですね^^。

 

オホーツク悲しい海の出来事に私達は心が悼みます。「暴れる知床に生きる人達は、少しの危険があれば海には乗り出さない」とは嘗て60年前森繁久彌が歌った「しれとこ旅情」で語られる言葉です。荒れ狂う海に投げ出され海水の温度1度は瞬時にして乗客の心臓を突き刺し、乗客乗員は苦しむことなくショックで瞬時に息絶えたであろうと思われますが、溺死を思えばせめてもの救いだったのではないでしょうか?それにしても此の観光会社社長の不誠実さは腹立たしいね。土下座をした社長の赤いネクタイとか、高い保険料を払っておいて良かったと高言し乗客乗員の命よりお金優先の姿勢は、行方不明者を気遣う姿勢が全く窺えず不愉快でなりません。警察は港の不文律に違反した罪で彼を拘束し裁判所は此奴に重罪を課して下さい💢。

 

週イチで掲載される毎日新聞の人生相談には小説家高橋源一郎さん、漫画家の山崎マリさん、詩人の伊藤比呂美さんなどさまざまな人生経験者が回答者として登場されます。先々週でしたが夫と10年前に結婚し、2女を持つ41歳の女性からの女性誌を思わせる赤裸々な質問が登場しました(@@)。「日本人の夫は真面目で温厚で誠実で仕事も育児もちゃんとしてくれ思い遣りがあって申し分ないが娘が生まれてから何年もずっとセックスレスです。私は夫婦関係(セックス)が家族のベースと考えており、幾度も話し合ったのですが今では手を触れることすらありません。何年も悩んでいる自分が惨めでなりません。関係を修復する方法はあるでしょうか?」と此の女性にとっては至極切実な質問のようでした。然し風紀に厳正な日刊新聞に掲載されるにしては余りにもリアル過ぎて多くの読者の嫌悪感を募らせたのではないかと私は危惧しましたが、我々日本人には此の女性の様な思いを持っていてもそれを他人(ひと)に話すことは端(はした)ないと思う倫理観がありますからこの方の勇気を褒めて良いものやらどうなのやら?と私自身眉を潜める複雑な気持でありましたが、文頭の「日本人の夫と…」に酷く拘(こだわ)りを憶え、ひょっとしてこの女性は大和撫子ではなく外国人かも…?我が国には古来「秘すれば花なり」と言う世阿弥の名言があります。投書の質問は「見知らぬ者に対して常識ある日本人が発する言葉」ではなかったと私は思ったのでした。五回結婚し四回離婚経験と人生の地獄の経験者である高橋源一郎さんの解答を興味深く期待したのですが、意外にも修羅場を潜り抜けた彼らしくなく至極簡単で常識的なものであり、斬新で奇抜な解答を期待していた私を甚(いた)く失望させました(::)。私は男なのでこの女性の気持ちが十分に理解できませんが、無理に言い寄って夫に嫌われたくないのなら自身の欲求をご自分で処理されたら?と思います。現在は何事にもオープンな便利な時代ですからネットなど利用して一昔に比べて一段と精巧になったグッズなどを求めるのも一策だと思います。昨今多くの若い人が煩わしい人間関係を嫌って恋愛も結婚もしようとせず独身生活に満足し、男女ともに性的本能は自分の好きなときに自身で処理するのが主流となっています。恋愛するにしても相手が要るし、お金も掛かるし、心変わりや嫌いになった相手のストーカー化など心配の可能性が一杯ありますから、移り気で忍耐心の乏しい今の多くの若者にはみんなでワイワイ騒いでも特定の相手を決めることは絶対にしないのが決まりごとになって居ます。此等は我が国の人口減少原因の大もととなって居ますが、産めよ増やせよと激励されて戦時中に暮らした我々の世界観はとっくに捨て去られました(::)。この様な我が国文化の社会的変貌を理解されて、此の奥様も自身の欲求不満は夫に求めず自助努力で解決され、家庭生活では優しくて良いご主人と何時までも幸せに添い遂げられることをと私は願いました。年齢からしても奥様の辛抱はせいぜい後20年がやっとだろうし、個人差はあるけど性交渉で女性に比べ男が遥かに疲労することをこの奥様だって十分に理解されて居るのではないでしょうか?最後に一言、此の愚昧なシモネタ質問を取り上げた人生相談コラム担当者の記者としての社会常識を私はメチャ疑ったものです💢。

 

オホーツクの海、婚約者二人哀れ(;;)体しっかり結んだね?

 

先週の読めそうで読めない字     悪事を発(あば)く

今週の読めそうで読めない字      人生の(奥義)

ロシヤ人留学生

春爛漫を迎えて、今週後半にもコールデンウイーク到来と言うのに新型コロナ・オミクロン株は一向にその勢いが衰えず、国からの給付金で漸く倒産を免れた観光業界が待ちに待った稼ぎ時が近づいてきましたが、果たしてコロナ患者数の趨勢はどうなることでしょうか。
玄関の庭先ではゴールデンウイークを待ち兼ねてアザレア(西洋ツツジ)が咲き誇って居ますこの花の真紅はホント半端じゃありません(@@)。

 

昨日の毎日新聞朝刊社会面にて「留学生にも経済制裁」のタイトルで日本の大学受験を目指すため専門学校に学ぶロシア人留学生である一人の少女レナさん(仮名)の窮状に付いて七段組の記事が大きく掲げられました。仮名の理由はこの記事から母国のお母さんに迷惑が掛かることをレナさんが恐れてのもので、ロシヤが如何に怖い国であるかが垣間見えます(::)。ウクライナの人は誰も暖かい目で見られているのに、ロシアから留学したと言うだけでお母さんからの僅かな送金も金融期間が欧米の金融制裁のためストップされ手持ちのルーブルは3割も超下落し食事付きの寮費も支払えなくなり、家賃の安いところへ引越さねばならぬ三重苦の中を大学進学を目指して必死で頑張っている此の少女をなんとか助けてあげられる術(すべ)はないものかと心が悼みます。ロシヤ語の語学講師と飲食店でのアルバイトは規則である週28時間の制限付きで現在お金はアルバイトの8万円だけ…(;;)。万(ばん)已むを得ずクレジットカードのキャッシングに頼ったけど此れも何れは自分が追い込まれいつかは高利で返済せねばならず、自らが不幸にしてロシア人であることを深く嘆いて居られますが、そのうち理不尽にも自らの身体を売って借金返済…なんて悲劇が起こらないことを唯々祈るばかりです。プーチンは悪くてもロシヤの一般市民は悪くないのに彼女達まで制裁の巻き添えにするアメリカや欧州の荒っぽい制裁の態度は心配りに欠けメチャ酷いと思いました。

一方、ウクライナ人なら前から居た人も避難された方もミーハーの日本人にヤンヤヤンヤと歓迎され、やれ就職だ宿舎だ、ヤレ語学学校だと至れり尽くせりの中を、ロシアから日本語を取得した上で単身渡日されています。我が国の学問を学ぼうとしたロシアの少女が地球上の同じ人間なのにこんな不幸に遭遇せねばならぬのは至極不条理です。此れは欧米のロシア制裁のとばっちりを受けた気の毒な被害者と言えるでしょう。金融制裁で銀行がストップされてはどうにもなりません。岸田内閣のアメリカ寄りの目の粗い政策では、十把一絡げで細やかな心配りが全くされていないのが常であり、多くを期待できませんが、政治のことと無関係な健全な青少年の希望まで踏み躙る行為は行き過ぎだと思います。此の少女が此れからも帰国してからもずっと日本ファンで居て頂きたいと願うのは私一人ではないのではないでしょうか。

ウクライナ東部では何百と言う墓穴が掘られて何万人ものウクライナ人の死体が埋められていると人工衛星写真の解読が我々に告げられました。ロシア人って死体の尊厳を守るんや(@@)、偉いな!と一瞬考えたけど本当は大量虐殺が世界に知れるのが嫌で死体を隠すようにプーチンから命令されたから埋めただけなんやと推察しました。埋葬されたのでなく隠されただけやったんや!

上記のごとく、ロシアって途方もなく怖い国ですね💢。日本も総理がロシアに対しウクライナの肩を持った発言をし、ウクライナ避難民を喜んで受け入れていますが、一体からこれからのサケ・マスの漁業交渉をどうするつもりでしょうか?毎年2億ドル位払っているけど、来年からお金が数倍に値上げされるか或いは交渉断絶されたりして…(;;)。此のサケ・マスは日本の海で獲れるけど生まれたのがロシアの河川だからとお金を毟られる不条理なものです。北海道の河川で生まれたサケ・マスも多く居ると思うんやけどな…(::)。フイリピン海溝で生まれる鰻は採ってもフイリピンにお金払ってないよね?何処が違うのかな?

 

先週の読めそうで読めない字     注連(しめ)飾り

今週の読めそうで読めない字     悪事を(発く)

映画のエンディング

4月も半ばを迎えて各地のサクラや八重桜が満開を迎えて居ます。それにしても週初めのポカポカ陽気が何処に行ったのかやっと仕舞ったストーブを再び出す寒い昨日今日でしたね、この花冷えには桜も戸惑っていると思います(::)。

 

最近どこかしこでイタリア映画「ひまわり」が放映され、大入り満員が続いています。ヘンリー・マンシーニの音楽がとても素晴らしい作品です。舞台が今全世界注目の渦中にあるウクライナであることが紹介され、リバイバルしたものですがあの広大なひまわり畑はちっぽけな島国に住む我々日本人を圧倒します。処で私はこの作品がジョバンナ役であるソフィアローレン主演であることを百も承知の上で、マーシャの可憐な美しさに惹かれたマルチェロ・マストロヤンニ演じるアントニオの選択肢を選びたいと思いました。マーシャ役の女優リュドミラ・サベーリエワはウクライナ人でバレリ-ナですが、ジョバンニが探して辿り着いたアントニオが暮らす小さなお家は温もりがあり幼い娘のカチューシャとの生活は心地良さげです。ジョバンニの話を聞いたマーシャが不安な面持ちながらも戦争で記憶を失ったアントニオを彼女に逢わせようと決意し、駅舎で列車から降りてきたアントニオの処へ走り寄って話して居るマーシャを見てジョバンナが突然逃げるように動きかけた汽車に飛び乗り、人目を構わず号泣する情景には思わず涙をそそられます。二人の強い絆を目の当たりにした女の鋭い直感で自らの敗北を一瞬にして悟ったに相違ありません。Time and tide wait for no man「歳月人を待たず」でありました。その後ダラダラした幾つかのシーンは全て蛇足であって、別れのあの場面を前奏曲とし、ジョバンナの号泣を以て映画の「FINE(the end)」にすべきだったと私は思ったのです。

 

先週講談社文庫の「同和と銀行」を読みました。1980年当時銀行大手6行の最下位にあった三和銀行がバブルのど真ん中に急成長を遂げるべく、当時被差別部落の出身であった部落解放同盟の小西邦彦との癒着が生んだノンフィクションでありましたが、読んで居て動くお金が桁外れに大きいので魂消ました(@@)。昭和44年に制定され33年も生き続け、悪法の最たる見本であった「同和対策事業特別措置法」により国の財政上の特別措置を設けられ全国展開されましたが、寝て居た子を起こすような此の法律は「穢多」を「新平民」と呼ぶ「穢多廃止令」が明治4年施行に制定されたことで、ひっそりと息を潜めて生きてきた人達が人前に曝され戸惑い逆に棲み難くなった約100年間を償うべく税金から限りなく同和関係者に利益を与え、それまでの身分差別の贖罪にしようと政府が目論んだ忌まわしい法律でありました。そんなこんなで特措法が成立し、特に同和部落の多い関西各府県各市町村では役所の公共事業をほぼ同和関係者が独占することになりましたから、それまでの業者は同和の下請けに成らざるを得ず美味しい上澄みはしっかり同和に取られる有様でした。国税局にもわざわざ同和担当部門が置かれ、所得税や法人税ばかりか更には相続税や贈与税までお目零しされて一般の住民が酷税に悩んでいる最中にも彼等が特別待遇だったことを私は職業柄この目で見て良く知っており、そのあからさまな不平等には歯軋りしたものです(::)。本文では同和関係者が土地を10億円で売ったら税務署が態々(わざわざ)やって来てくれて譲渡収入5千万円での申告書を作って済ませてくれたとはっきり書いてあります(;;)。

「同和と銀行」の舞台は大阪東淀川区にあった三和銀行淡路支店が主要な資金提供役を務めて進行しますが、群がった他の銀行も併せて不良債権の総額は80億円にも上り、バブルが弾けて焦げ付いた貸金が訴訟となって最終的に銀行が回収できたのは僅かに部落解放同盟会長小西邦彦の定期預金1億円のみでありました(::)。

エピソードとしては1980年当時のこの淡路支店にその後俳優になる「竹内力」が2年間ではありましたが大分の高校を卒業して入行し勤務しており、ヤクザ顔に整形する前の彼は半端なくハンサムであって、態々支店にやってくる女性達が多く、近くの柴島高校の女子高生が下校途中に彼の顔を見ようとして行列を作ったそうです(@@)。此の本には三和銀行の慰安旅行時の写真まで掲載されており、あのリーゼント姿は間違いなく「難波の帝王」竹内力その人でありました^^。

 

ウクライナの惨状は見るに堪えない状況だが、米、西欧共にロシアを非難するだけ、傍観して居ないで助けてやろうとウクライナに武器を持って入る国はどうして居ないの?

 

先週の読めそうで読めない字     彼の家を訪(おとな)う

今週の読めそうで読めない字      (注連)飾り

 

白内障手術

昔から「花冷え」と謂う言葉がありますが、先週の日曜日や火曜日は小雨がばらぱらと寒い日でしたが木曜日から暖かくなり神戸では桜が満開になる処が多くて、週末は家族や友人たちと各地でお花見の方が多かったと思いました。コロナも怖いけど偶には息抜きもしないと…(;:)。写真は木曜日アイセンターへ外来診察に行く途中ポートライナーから眺めたポーアイ入り口の公園付近のお花見風景です^^。

 

そのアイセンターに先々週木曜金曜と二泊して両眼白内障の手術を受け土曜日午前中に帰宅しました。白内障手術は通常日帰りと聞いていましたがこの病院に限って手術の前後2日の宿泊を要求されます。第一日は14時30分までの入院を求められましたが簡単な手術の説明と点眼だけでお終いとなり、私はアンチTV派なので深夜までスマホのラジコを聴いて就寝し、翌日午後手術を受けて三日目の朝に開放され大量の目薬と共に漸く帰宅できました。思うに予め術前の点眼薬の処方箋は前の診察で既に貰っており、手術日の他二泊せずとも…と言って見たのですが、「そういう決まりです!」と突き放されてはそれ以上言えず「泣く子と地頭に勝てず」でありましたが、手術当日以外は説明だけで特に何もなく、アイセンター病院は神戸中央市民病院の一部であって眼の専門病院だけあり前日入院を経て翌日手術をされるのが決まりのようで、先生の命令で見えない方の目まで手術される仕儀となりました(::)。
この病院には変な規則があって、病棟全て絨毯敷きで靴を履いた儘入棟しスリッパ等には履き替えない仕組みだと言われました(;;)。靴は外出時だけで十分ですからスリッパ或いはつっかけを持参したいと願ったのですが、転んだら困るからと拒絶され居場所はベッドしかないため夜中にトイレに往く際もベッドで靴を脱着する煩わしさには外人でもあるまいし…、と呆れました(::)。次回があれば夜間ナースも手薄だしこっそりとスリッパを持参しようと思って居ます。翌日は先生の気紛れから手術時間がなかなか決まらず当初の11時から13時になり、術前瞳孔を開く点眼を済ませてからも更に時間が遅れて漸く13時半にオペ・スタートとなりましたが、終了まで50分を要し、殆ど麻酔なしの感覚で目を針やメスで突かれたり切られたりの苦痛は耐え難いもので、途中オペナースが「血圧217です!」と大声で先生に告げましたが、先生は手を止めることなく生まれてから86年間で一番長い50分でありました(::)。217の血圧って脳溢血クラスじゃないの?怖いよね(@@)。

 

もう一つ文句を言いたいことは運が悪かったのか病院の作為か分かりませんが今回私は31日入院の1日手術でしたから二月を跨ぐことになり、後期高齢者の月額上限が15万円なので二ヶ月分の負担となりメチャ損をした気分でした。今月中に別の病気で入院や手術などしたら取り戻せるけど…それはそれで嫌だしね(::)。31日は体調の質問以外特に何もしなかったけどしっかり算入されての入院費32000円は理不尽だと感じました。月跨ぎは病院の錬金術かも知れん(::)。
手術が済んで一番驚いたことは、帰宅して夜睡るときに枕元に置いている本やCDなどが全て埃まみれなのに気付いたことでした。「何十年も埃に塗れて寝て居たんや!見えてなかったんや!」知らぬが仏の数十年でありました(::)。唯々愕然としています(@@)。

 

部下をクソミソに言ったり、過激発言など何かと話題の多い明石市の泉市長が企業秘密に触れて問題になっています💢。この市長さん庶民派の顔や物言いに似合わず東大出の弁護士さんなんです。この方の衣着せぬ言葉は絶えず物議を醸しますが、失言責任をとって辞職しても必ず再任される庶民派ですが、今度は明石西部に大きな工場を持つ川崎重工業に対し、住民税を5年間も払わないことに「けしからん」とお叱りのお言葉でした。赤字の会社は均等割だけと法律で決まっており、膨大な敷地や建物への固定資産税はちゃんと払って居るし、従業員の多くは明石に住んでいるだろうから彼等の住民税や固定資産税が明石市の税収となって居るし、市長さんのイチャモンは無理筋です。
話は昔に飛びますがこの工場では戦時中は飛行機など作っていたため米軍の標的となり、B29に総攻撃されました。現在では主として輸出用のバイクを作っています。昔「メグロ」と言う重たいことで有名なバイクメーカーが倒産してその技術を川重が継承したものですが、国産のバイクはホンダやヤマハそしてスズキが多くのシェアを占め、川重のバイクは輸出専用となりましたが、その理由は単純でカワサキのバイクは非力な日本人には少し重たいと言うのが過去の定評であり、私が大昔自動二輪免許取得のため本山の試験場で乗った自動二輪車がメグロ350CCで100貫近くあリ、メチャメチャ重たい鉄の塊だったのに魂消たことを今も憶えています(@@)。最近は軽量化に努め随分軽くなりましたが、一般的に「カワサキのバイクは重い」のイメージが払拭されず、国内販売が振るわず止む無く輸出が主となって居ますが川重は主力の造船が大赤字ですからバイクが黒字になっても通算されて赤字決算が5年も続いて法人市民税が明石市に支払われないことが市長さんを苛立たせたものです。然し川重が赤字なのは誰も知ってることであっても公的には企業秘密であり、それを明石市長が暴くのは明らかに失言です。市長さんどう収拾されることやら…💢。

 

ロシア兵に拠る残虐行為によるウクライナの惨状は目に余ります(::)。この際だから西欧とアメリカは協力してウクライナ東部地区の復興と共に、数年前ロシアに掠め取られたクリミア半島をも奪還して頂くようお力添え賜りたいと希って居ります。

 

先週の読めそうで読めない字     花の顔(かんばせ)

今週の読めそうで読めない字   お力添え賜りたいと(希って)居ります

故郷を古里と書くな!

寒暖を幾度となく繰り返した3月が漸く終わって花の4月を迎えて居ます。奥庭でひっそりと周囲の雑草に気兼ねしながら懸命に咲いているサルビア・ミクロフィアとは対象的に庭の道路際では春の到来を待ち望んでいた「ゆきやなぎ」が先週後半から満を持して咲き誇って居ます^^。僅か数日の命なんですが、彼女はその日のために一年間営々と根を張って今日に備えてきたのでした。偉いなあ^^。

 

埼玉県のさる高校が生徒達の学校の制服にユニクロを加えたそうです(@@)。此れまで学校の制服について男子は詰め襟で女子はブレザーにプリーツのスカートが定番だったのを見直す新しい試みだそうですが、制服は意外に高く5万円位もして、替着も要るので父兄の負担は半端ではなく、その辺りを見直すためにユニクロの案が出たそうです。でも制服って値段で決めるものなんかなあ…。その上ユニクロは中国の新疆ウイグル自治区で縫製された綿製品がウイグル人の強制労働により生産された疑いがあるとユニクロが国際的に批判されている中を日本の公立高校がユニクロ製品を制服に定めたことには各界から「無神経な行動だ」との批判が起こるのではないでしょうか?

 

「♪春は名のみの風の寒さよ♫」と誰もが口遊んだことがある小学校唱歌「早春賦」(そうしゅんふ)は、東京音楽学校の教授だった吉丸一昌が大正初期に信州の安曇野を訪れ、穂高辺りの雪解け風景の美しさに感銘を受け書かれた詩であったとされています。私はこの歌を聴く度に65年前を思い出します。当時私の好きな人は音楽の先生で岡谷の長地小学校勤務、家は当時南安曇郡三郷村にあって林檎栽培農家でした。丁度穂高山系の麓にあり大糸線の一日市場(ひといちば)夏休みに駅から徒歩で西へ4キロ余り右手に雄大な穂高山系を眺めながらの訪いはとても思い出深いもので脳裏を去ることはありません。今思うに南安曇郡三郷村は丁度飛騨の幼い工女たちが野麦峠を経て松本に出る街道口ではなかったでしょうか…、話が脱線したので引き戻しましょうね、春早々の話題は私の拘(こだわ)りである漢字の話です。「早春賦」と同じ時代の愛唱歌「故郷(ふるさと)」を皆様きっとご存じですね。私が国民学校で習ったこの歌は前の世代の方も後の方も誰も忘れずに何時でもソラで歌える数少ない愛唱歌であり、幾つになってもこの歌を聴くと童心に帰れるから不思議でなりません。

 

北朝鮮による日本人拉致問題の支援者団体が開催する集会では、集会の最後に日本人拉致被害者の早期帰国を願って、参加者全員で「故郷」を熱唱することが慣例となっていることは皆様御存知の通りであり聴く度に涙するこの「故郷」ですが、近年「故郷(ふるさと)」の漢字が当て字であると言い出したのは、あの不埒な国語審議委員会だと思いますが、彼らの企みに国語辞典を編集する辞典発行の各社が微妙に影響されて読みを優先した言葉を採択する傾向が強くなりました。つまり「故郷(こきょう)」を「ふるさと」と読ませない姿勢が強くなり「故郷(ふるさと)」の代替字「古里」が国語審議委員会の推奨する熟語となって参りました💢。不思議に思った私は2000年以降に発行された手持ち8冊の国語辞典を調べた処、「ふるさと」の漢字第一候補はナント!「古里」が7冊で「故郷」は三省堂の新明解国語辞典のみでありました(;;)。そして7冊の辞典にある「ふるさと」の漢字表記トップは「古里」で二番目が「故里」三番が「故郷」でした(;;)。同じ三省堂の辞書であっても三省堂国語辞典は一番目が「古里」であり、新明解国語辞典が「故郷」ですから同じ会社でも部門が変わると対立し金田一京助派の新明解チームが見坊豪紀派の三省堂国語辞典チームに真っ向から立ち向かっている姿勢が窺えます。私は「古里」は易しい漢字を単に優先させただけで情緒がまるでなく人気(ひとけ)のなくなって誰も行きたくない寂しい「古里」なんて書きたくありません。「郷」が画数が多い6年生の配当漢字ではありますが、国語審議委員会は唯々易しい漢字でさえあれば言葉の由来などどうでも良い姿勢を崩さないのは正しい日本語に対する冒涜ではないかと考えます。「故郷」は訓読みを採用しているので決して当て字ではなく「古里」が第一候補に居座り、公式文書や新聞に採用され跋扈しているのはどうにも合点が行かず腹立たしく思います。誰か文句を謂う学者は居ないのでしょうか?何れも常用漢字だし画数の多少で使用を制限するのはどう考えても無理筋だと考えます。

 

お笑いタレントの松本人志が先月27日日曜日放送のフジテレビ「ワイドナショー」に出演、北朝鮮の弾道ミサイル発射に対し、メモを見ながらコメントする岸田文雄首相について苦言を呈しました、つまり「原稿棒読みを止め自分の心を直にマイクに伝えよ」という意味でした、この方お笑いやったのに何時の間にか政治評論家になったみたい…^^。誰も言いたくても言えなかったことだから「いいね」を付けたいけど司会が本業になった浜田はどうするのかな?二人共大物になりすぎて今更お笑いに戻れないみたい…(::)

 

昨日まで私は三日間白内障手術神戸アイセンター病院に缶詰にされて居ました。通常白内障は日帰り手術なんですが、私が両目ともに黄斑変性症であることを理由に前日入院当日手術翌日退院とされました(;;)。見えない方の目まで手術されて何か手術代を損をしたような気持ちでしたが掛かり付けの先生の言葉は絶対で断れば二度とアイセンターに行けなくなるので仕方なくお言葉に従いました。詳細は次週にて…。。

 

多勢に無勢なのにウクライナの人って挫けないで戦っています。女性戦士も多いとか…、強いなあ!偉いなあ!我々も彼らの爪の垢でも煎じて呑まないと…(::)。

 

先週の読めそうで読めない字     紺屋(こうや)の白袴

今週の読めそうで読めない字     花の(顔)

ウクライナの命運

コロナが終熄しない儘に緊急事態宣言が解除され春がやって参りました(;;)。でも地球の向こう側ウクライナの人々には春も来ず、来るのは一般人を狙ったロシアのミサイルばかりです。停戦すると言ってはウクライナの病院を攻撃して年寄り子供を虐殺するプーチンは酷い奴ですね。そしてロシアTVニュース画面の後ろに立って「NO WAR」のプラカードを掲げて視聴者に訴えた女ならではの度胸は男が到底叶わぬ肝っ玉の持ち主でありました(@@)。拘束されたけど国民の圧倒的な支持により彼女は無事釈放されたそうですから民の力は強いなあ!何れプーチンはウクライナではなくロシア内部から粛清されるのではないでしょうか?人間の常識を越えた彼の行動は悪魔だと言われても仕方がありません。そしてバイデンさんは口先だけで実行力がなく何か胡散臭いね💢、トランプさんの方がまだマシだったかしら?などと思ってしまいます(;;)。そして又コロナ禍は一体無事終熄するのでしょうか?不安一杯の春です。

 

皆様ご存知のグリコが先月創業100周年を迎えました^^。グリコの原点は牡蠣の煮汁に含まれる栄養である「グリコーゲン」です。グリコは森永の「ミルクキャラメル」全盛の中を「一粒300米」をキャッチコピーに小売店から百貨店まで売り込みに成功しましたが、バンザイして走る男性の姿は今も大阪道頓堀のシンボルです。グリコ創業者である初代江崎社長は商品の売上を注視し実際に販売現場でグリコを手に取って居る客を観察し、買わなかった客を追いかけその理由を尋ねたら「男の顔が怖い」との客の言葉に早速帰社してランナーを柔しい表情に変えたそうですが^^、発売から5年目に玩具のオマケをつけることがグリコ躍進の決め手となりました。全ては初代社長の実体験に拠る発想だったそうです。昔の社長さんは皆苦労人らしく偉かったね(@@)。高級車に踏ん反り返ってお昼前に出社して高給を食む幾多の坊っちゃん社長にはグリコだけでなく多くの創業者の苦労を偲んで爪の垢でも舐めさせたいよな💢。

そう謂えば今度社長から会長に勇退した三代目江崎社長を誘拐したグリコ森永事件の犯人であるキツネ目の男は警察に二度も顔を見られながら結局捉まらなかったね。世間を席捲したあの事件が解決しなかったのは大阪府警と兵庫県警が互いの縄張り争いから情報を共有せず秘匿したからだとの説が強いが、そんなときこそ警察庁が出馬し、頭(かしら)として両警察の意思疎通を図るべきを放置したせいだと私は思っています。一昔前である30歳位の頃ですが夕刻、神戸大学病院の南にある山手線楠町の道路を歩いていた折、見知らぬ男が喧嘩をしていたので、道を隔てた西の歩道に偶然警察官が居るのを見付け駆け寄って喧嘩を通報したら、「あれは生田警察の管轄やから儂は知らん…」と言って去ってゆきました(@@)。後で聞いたのですが、兵庫警察署の人は警官として所轄外地域に入って行けない規則なんですって…(;;)。殺人事件なら放って置けないと思いますが、生田署の管内で兵庫警察が喧嘩しているものを止めもできないなんて不思議な規則ですね💢。グリコ森永事件は兵庫県警と大阪府警がお互いの情報を共有せず手柄を独り占めにしようとしたため未解決に終わったに違いないと思ったものです。

 

罪のないウクライナに対するプーチン大統領の理不尽な手口は太平洋戦争終戦末期のドサクサに樺太と千島列島などを奪い取ったスターリンと全く同じです。弱者を苛めるロシア人ってホントに狡いヤツや💢。第二次世界大戦当時日ソ中立条約を結んでいたのに、スターリンはドイツ戦終了と同時に対日参戦することをソ連の意思として伝え、45年8月ア広島に原爆が投下された直後スターリンはヤルタ会談での他の連合国との密約を基に日ソ中立条約を一方的に破棄し、攻撃開始の直前に駐ソ日本大使に対して形だけの対日宣戦布告をし、日本および満州国に対して参戦し、8月15日昭和天皇による玉音放送(終戦の詔勅)をもってポツダム宣言の受諾を表明し、日本軍の全ての戦闘行為は停止されたにも関わらず日本の領土を少しでも多く略奪することを画策したスターリンは停戦を無視し、日本の同盟国の満州国と蒙古連合自治政府への攻撃のみならず、南樺太と千島列島への攻撃を継続させたことにより、その後の北方領土問題を引き起こす原因を作ることになりました。スターリンは南樺太や千島列島に加えて、北海道北部をも併合したいとトルーマンアメリカ大統領に申し入れましたがトルーマンにこの提案を拒否され、腹いせに同年8月23日に「国家防衛委員会決定」を発令し、これにより戦後に抑留された70万人にも達する日本軍捕虜や民間人をシベリアに抑留して強制労働に就かせ、日本企業の生産設備などをソ連国内に運び去ったのはハゲタカのような無法行為でした。その上英米軍を中心とした連合国軍事司令官総本部に対し、北海道全体と東北一帯の分割占領を提案したものの、これは即座に英米から拒否されましたが、これらの経緯からプーチン大統領のすることなすことスターリンもどきであり、非人道的で今回のウクライナに対する卑劣な攻撃は76年前ロシアの我が国に対して行ったと同じ手段をウクライナに対しても取っていると思います。アメリカも西欧も今の為政者は何れも76年前の旧ソ連であるロシアが如何に残虐で酷(むご)い人種で非人道的な行為をしたかを知らない世代であり、根本的に事態の対応策を変えるべきです。彼に人の倫を説いても理解しないと思います。このままではウクライナは76年前の我が国の満州と同じ運命を辿るのではないでしょうか。バイデンさんも西欧も何故かはっきりせず及び腰で牴牾(もど)かしい毎日です。

 

先週の読めそうで読めない字     血脈(けちみゃく)とは家の血筋を言います

今週の読めそうで読めない字    (紺屋)の白袴

 

再び「坊ちゃん」

明日は春分の日を迎えますが、待ちに待った春の訪れで日一日と暖かく、庭では春を待ち焦がれていたいろんな花が咲き初め、毎朝「見て!見て!」と、私の起きるのを待っています。今日は久し振りに酢漿草に覆われた奥庭に咲いた紅白のサルヴィア・ミクロファイアを御覧ください。ドコモには未だ行けてないので写真添付は愚息を煩わせました。

 

三年前の東京医科大学の不正入試について調査をしていた第三者委員会(委員長=元最高裁裁判官那須弘平)から一次報告書が公表されました。それによると女子の受験生に対する不利益な得点操作をした結果、2017年度と18年度の一般入試では本来合格していた計55人の女子が何故か不合格にされて居ました💢。報告書は同大が追加合格の判定を行った上で結果を公表し、新たに合格者となった受験生には補償などの対応をするよう求めて居ますが、少女期から成年へ脱皮する貴重な三年間を償う方法など何処にも有りはせず、金銭になど到底換算できないものを東京医科大学は如何に収拾するのでしょうか。女子を合格させなかった理由が「女は仕事を休んで子供を生むから」など極限のセクハラでありましたが、本心は女性医師が増えることで男社会が脅かされることが彼等の気に入らなかったに相違ありません💢。

 

処で先日の報道では2021年度の各大学医学部試験合格者が男女逆転し女性が優位に立ったと正式に発表されました (@@)。2021年度の大学受験医学部の合格者率を全部曝けだすと驚くべきことに女子が13.60%、男子13.51%と僅かですが男女比が逆転して居ます(@@)。医学部志願者は高額な入学金や授業料など女子の受験機会が狭められている中での2021年度での合格者率逆転は若し男女平等の社会慣行への移行と周辺環境の理解更には家族の協力に依り受験機会が十分に与えられたならば女性の合格率は優に60%を超えて行くのではないでしょうか。「女性の方が勉強ができるんや!」2018年に東京医科大学で女性への不正採点が明るみに出たことで世間をアッと驚かせましたが、もともと女性は受験の年齢当時には男と違って青春の煩悩に悩まされることがなく勉学に集中できるため男性に優位であって当然です。先月ご紹介した高3で日本学生陸上競技対校選手権(インカレ)女子三段跳に出場し、翌春東大理科三類に現役合格した(@@)内山咲良さんのように女性が男性に勝るとも劣らぬことが実証されましたから愈々女性上位時代の到来となりました^^。学費の問題や社会環境に両親の財力と理解さえ得られれば今後女子が男子を上回ることに相違ありません。女子校である東京の桜蔭学院が85名と東大合格者の総数で男子校の嘗て東大合格日本一を誇った灘高校79名を上回ったのは確か一昨年でしたし、今年の前期入試でも桜蔭は理科三類にトップで13名を送り込み灘10名開成6名の男子校を見下ろして居ます^^。女性恐るべし!

 

お詫びm(_ _)m。「坊っちゃん」は2013年1月6日に既に発表済でした!ブログ文末にバックナンバーが何故か勝手に数個表示されますが、先月の「坊っちゃん」の文末参照欄にに旧「坊っちゃん」が掲げられました(@@)。此の表示は流動的なものでその時々に応じ変化し、現在は消滅して居ますが上梓して足掛け10年となっては嘗て並の人より記憶力を誇った私も耄碌してすっかり忘れて居ました、申し訳ありませんm(_ _)m。 前回の文章は凡そ今回と変わって居りませんから、10年間私の思考は全く進歩して居なかったようです(::)。念の為下記に10年前の「坊っちゃん」を再掲させて頂きましたのでお読みください、きっと皆様も私の進歩のなさに驚かれることでしょう(;;)。

正月休みのつれづれに十年振りかで漱石の「坊ちゃん」を読んだ。歯切れの良い文体のリズムが躍動し何度読んでも面白い、この小説がいつの時代になっても名作として読まれている原因はこの小説に流れている温もりだと思う。此は漱石の自叙伝だがこの小説の中で一貫して坊ちゃんの心を占めているのは学校でも赤シャツや山嵐やうらなりでもマドンナでもなく、先生になって田舎の松山へ出かけた坊ちゃんの帰りを東京でひたすら待ち侘びて居る女婢のお淸であることに誰もが気付かされる。「坊ちゃん」の真の主人公はお淸ではあるまいか。此の作品から暖かさを感じるのはお淸が存在するからだ。「坊ちゃん」の呼び名も淸の呼び掛けの言葉であり、他に誰も彼を「坊ちゃん」なんて呼びはしない。お淸は年寄りだが「坊ちゃん」には恋人以上の存在だったのだろう、其れが証拠に小説の終わりに至って俄に…俺は淸のことを書くのを忘れて居た…、…おれが東京に着いて下宿へも行かず革鞄を提げたまま「淸や帰ったよ、」と飛び込んだら、あら坊ちゃんよくまあ早く帰ってきて下さった、と涙をぽたぽたと落とした。おれも余り嬉しかったから、もう田舎には行かない東京で淸とうちを持つんだと云った。
恰も長く逢わなかった恋人との再会を彷彿(ほうふつ)させる章(チャプター)だが、漱石の淸への深い愛情があふれ出ている。……淸は玄関付きの家でなくっても至極満足の様子であったが気の毒なことに今年の2月肺炎で死んでしまった。死ぬ前日俺を呼んで「坊ちゃん後生だから淸が死んだら、坊ちゃんのお寺に埋めて下さい。お墓の中で坊ちゃんの来るのを楽しみに待って居ります」と云った。だから淸の墓は小日向の養源寺にある。……此処でこの小説は終わるが、最後「だから」の重い言葉に漱石のこの小説への全ての思いが籠められて居る。恐らく若い頃の彼にはお淸のような女婢が実際に存在し、その女性の死に直面した深い悲しみが心に染みついており、彼女への追慕の念が「坊ちゃん」の作品の背景になったのだと思う。或いは彼が結婚に踏み切ったのもお淸の死であったかも知れない。処で漱石の奥さん鏡子さんの旧姓はキヨであったし、未完の絶筆となった「明暗」の主人公の嘗ての恋人が矢張り清子であったが、漱石には「淸」には深い思い入れがあったのだと思います。漱石は大正5年49歳で早世しましたが、ひょっとしたらお淸が雲の向こうから「坊ちゃん、早くに来て下すった、お待ちして居ましたよ」とハラハラ涙を流したのではあるまいか。

 

先週の読めそうで読めない字       雪洞(ぼんぼり)に灯をともす

今週の読めそうで読めない字      (血脈)とは家の血筋を言います

 

あゝ野麦峠 その3

春が来た気配は不幸にして目が痒くなり今年の花粉症を体感することになりました(;;)。色々あった令和3年度の確定申告も漸く無事終了することができて全員ホッとする反面、確定申告に感(かま)けて放置していた関与先法人の決算や月次帳簿処理など日常業務が一杯残って居ることを思い起こしもうひと踏ん張りせねばならぬと覚悟を新たにして居ります。

「あゝ野麦峠1&2」は多くの方の共感を呼びました。私が購入した令和3年版は再販に続く再販でナント!75版であったのには驚きました(@@)。読者からの投書や資料提供に基づいて著者が更にペンを取られた力作「続あゝ野麦峠」を読むと北アルプスの野麦峠を越えて岡谷に向かった工女の中には飛騨高山在の少女ばかりでなく越中富山の八尾(やつお)からの少女も多く野麦峠を越し、岡谷までの往還をして居た事実が新たに判明します(@@)。著者が実際に八尾を訪れてそれが真実であることを確認されたそうですが、「越中おわら節」で有名な富山県八尾町から飛騨高山まで直線で凡そ50km、野麦峠には及ばぬまでも冷たい高原を野に山にと高低に加えて、高山を経由し野麦峠を経ての強行軍は筆舌に尽くせぬものだったでしょう。昔の子供の逞しさより今の子供を始めとする多くの若者のメチャ軟弱な身体機能に腹立ちを禁じえませんが、我が国も韓国に倣って男子に兵役義務を課したらどうでしょうか!

話は戻ります。富山の八尾(やつお)と謂えば誰もが越中おわらの祭の夜に互いに心を通わせながら、離ればなれに20年の歳月を生きた男と女が辿る危うい恋の旅路を八尾を舞台に美しく描き出した作家高橋治の直木賞受賞風の盆恋歌」が懐かしく思いだされます。此の唄は八尾で歌い継がれる民謡であり、毎年多くの観光客が訪れるおわら「風の盆」にてこの越中おわら節の旋律に載せて若い女性の踊りが披露されます。雪洞に灯(あかり)がともり、胡弓の音が流れるとき、風の盆の夜が更ける「風の盆恋歌」は石川さゆりが唄ってレコード大賞でしたからご存知の方も多いでしょう。八尾の少女達の旅は越中八尾から飛騨高山まで直線で15里(60km)であってもアップダウンがあり約2日を要したと思います。著者が実際に聞き取った八尾の少女(当時)高井すえの話「初めて糸引きに出たのは12歳だった、それまで4年子守に出ていた。」此の在所では飛騨高山と風習を異にして糸ひきのできない者は嫁に行けない仕来りで全員糸ひきに出て居ました。「それでわしは13年間糸ひきに通った。2月頃雪の野麦峠を越えて行ったときのことは今も忘れられん。出発のときオレも近道を行くと野麦を越えた。」飛騨の高山でそこの女子と一緒になり野麦峠まで5日も6日も掛かったが、ここまで来ると疲れ果てて動けなくなるものも出てきた。八尾から野麦峠を越えての岡谷までの往路は凡そ260kmにも達し少女たちの徒歩での強行軍は筆舌に尽くせぬ労苦であり想像を絶する過酷な道程であったと思われます。雪の野麦峠はあまりに過酷なので後には海岸線を直江津まで歩いて行くことになったが、距離は120km(約神戸岡山間)と長くても平坦であり直江津には既に岡谷へ行ける汽車が来ていました。昔の少女って逞しいなあと思ったものです。キカヤでは朝4時から夜10時まで働き詰めで休みはなかった。食事は4回でも少なく夜はおにぎりか芋が出たがひもじくて動けなくなり家からも豆や干し栗を送って貰ったとか…。

八尾からキカヤに行ってから仕事はずっと苦しかったが唯一楽しかったことは年に一度のお盆に他の工場の者も越中者ばかりを集めて「越中おわら」を一夜町を流して歩いたことだった。「あの岡谷のお盆の楽しさは今も忘れられない」辛い過酷な仕事の中での故郷を想う年一回の楽しい踊りは生涯の想い出として脳裏に深く刻まれたことでしょう。恐らく日常抑圧された青春のエネルギーが夏の夜の一夜爆発してのもので「♫ 越中で立山、加賀では白山、駿河の富士山、三国一だよ。キタノサー、ドッコイショ♪」哀調を帯びた北陸独特の旋律は一夜中岡谷の町並みに溢れたのでした。越中八尾の人達はその後10数年を経て故郷に帰って結婚し、貧しいながら死ぬまで糸を繰ることを生業(なりわい)としたそうです。

「あゝ野麦峠」には北アルプス安曇野の山々が再々出て参ります。私は初めて信州を訪れたのは囲碁部の主将となった大学3年生のとき先輩に招かれた夏の合宿でした。普段山と謂うものは目の前に見えるものですが、驚いたことには松本駅では頭の真上に山があることでした(@@)。

合宿で車座での晩餐時にはお酒が出て先輩が唄った安曇野に伝わる俗謡が今も忘れられません。                            「♫酒は焼岳、心は穂高♪、早く乗鞍、槍ヶ岳♫」                                  とお猪口(ちょこ)を片手に首を振って唄うのです。昔の方ってお米も碌に食べられない貧しい暮らしの中でこんなに諧謔心が旺盛だったのにとても驚いたものです^^。

ウクライナ情勢は予断を許さず原油欲しさに西欧はプーチンの専横を止めようとしない(;;)。多くのウクライナからの難民の訴えには身が詰まされ、遣リ切れない抵牾(もどか)しさに我が身を捩(よじ)って居ます。銃弾の中をキエフに留まって必死で国を護るウクライナの大統領は立派だと思いますm(_ _)m。

先週の読めそうで読めない字    深い縁(えにし)で結ばれる

今週の読めそうで読めない字   (雪洞)に灯をともす

あゝ野麦峠 その2

久し振りに雨が降って暖かい春の訪れかと思える穏やかな一週間でしたね。このまま春が来ればいいのですがお彼岸までにもう一度「寒の戻り」が訪れるのが通例です(;;)。事務所では3月15日の確定申告期限を間近に迎えて土日も最後のラストスパートですが、うちの司令塔の3週間不在のブランクをも全員力を併せて奮励努力して奪い返し、申告も後数件となり間もなく無事ゴールに辿り着くことができそうです^^。

「あゝ野麦峠」今日は前回に続き飛騨から険しい峠を幾つも越えて信州に向かった飛騨の貧しい工女達の回顧談などをお伝えしましょう。「2年目から峠を越すときはキカヤの男衆が付いてくれて越しました。雨具にはキゴザ(藺草「いぐさ」で編んだゴザ)を背負って行きました。今考えるとザマではない、ワハハハ^^、銭なんか貰わなかったね、ただ食べさせて貰えるだけせ」。「3つのときに子守に行き学校は知らね。10歳の時のとき野麦峠を越えて諏訪湖に出た。2月の野麦峠を皆素草鞋で越えたが、足が凍って泣いて越した。初めの年は1年働いても3尺のモス切れ1枚貰った」。「ワシラは紺股引に素草鞋で峠を越した。あれはワシが11の年(当時は満年齢でなく数え年でした)だったがその頃は雪のときは通らなかった。1年働いて1円貰って帰ったことを覚えている。昔は口減らしに往くのだから銭のことで不平はなかった。米の飯が食べられるので家に居れば粟や稗(ひえ)しか食えないから遥かに良かった。」米のご飯が食べられれば仕事の対価として充分だなんて美酒飽食に馴れた私達には考えさせられることです。飛騨の貧農は誰も子沢山で作った米を地主に取られ、高い利息で借米をして居たので借金が増える一方でした。あの頃は取り上げ婆さんしか居なかったけど、大気汚染など全く無かったせいか、高山でも何処でも嫁は10人位子供を生みました。それにしても人工授精とか保険の効かない高価な不妊治療に命を尽くす現代の夫婦と当時の夫婦と何処がどう異なっていたのか不思議でなりません(;;)。現代はあらゆる交通手段から垂れ流されるCO2ばかりでなく、食物にも化学肥料や有害防腐剤が満載され、海の魚も汚染が酷く、文明の発達は人類の滅亡を齎す不妊原因を増加さして居るに違いありません。あの当時は生まれた子供を半分疫病で亡くしても食い扶持が足らずに地主から借金しての利息は幾ら働いても追いつかず、正月位しか米のご飯が食べられなかったのは士農工商の順位の割には田を持たない百姓は誠に不公平であり不憫でした、きっと食べ盛りの彼女達は毎朝4時起き就業で夜10時まで糸を繰り、休日は週に半日のキカヤであっても三度々々食べさせて貰える米の飯が何より嬉しかったのは、彼女達が貧農の出身だからこそ辛抱ができたものだと思いました。当たり前に白米を食っては今日の飯は不味い…💢など言っている私達は二分搗き三分搗きの米を嬉々として食べていたあの頃の少女たちに対して顔向けのできない罰当たりだ!と思ったものです。

明治も30年後半になると百円工女(1年間に)が出るようになって、娘の持ち帰る百円は現在の数百万円にも当たり、高山では田圃が1反(1000㎡)買えました。此れは全て工女の生来の器用不器用と眼の良さに由来して居り、矢張り年の瀬に1円も持たずに帰る口減らしだけの娘も多く居たのです。ある村では三人の姉妹が250円持ち帰って評判になり、翌年は飛騨古川の三宅イトが13歳で4人の姉に続いて岡谷に行って姉4人が全て百円工女になり、5人で600円持って帰った年もあったりして小作農であった父は毎年田圃を買い増して地主にまでなった逸話がありますが、百円工女の秘訣は努力だけでなく持って生まれた才能にあり、本人の眼力(めぢから)と器用さと体力であり、目の悪いものには蚕から出す細い糸がうまく紡げず、売価の80%を占める原料繭を無駄にするため借金が増える一方の工女と100円工女の差となりましたが、180度の熱湯で茹で上がられる繭は蛹(さなぎ)の悪臭で充満し作業場現場では全員が汗まみれで、並の人には数分すら耐えられぬ場所であったと思います。

「あゝ野麦峠」は発売後ベストセラーの地位を譲らず昭和43年35回も増刷を重ねた結果、紙型が摩耗してしまい47年には新たに活字を組み直して出すに当たって著者は新事実の追加や夥しく届いた読者からの助言や資料提供などにより旧版を全面的に書き改められましたが、新版も15回の増刷を繰り返し、如何に此の本が世の読者に迎えられたかが分かる具体的な数字でありました。読者層は年寄りから中学生にまで及び、昭和45年2月「青少年読書感想文第15回コンクール」入賞作品の一つに此の本を取り上げた三重県の女子中学生の感想文が選ばれて居ます。恐らく作文には此の中学生の100年前の同世代女性に対する切々たる想いが籠められたものだったと思いました。

私が「あゝ野麦峠」を二度に亘ってまで取り上げたには理由があり、私が昔、この小説の舞台である信州岡谷と二度に亘って深い縁に関わったことに拠ります。経緯詳細は私ごと故、伏せさせて頂きますが、初めは蒸気機関車の噴煙に塗れながら中央線を北上した学生時代には木曽福島辺りからお蚕さんの桑畑が林立し、二度目は電化により煤煙に塗れることがなくなった木曽は桑畑が消失して玉蜀黍(とうもろこし)畑と化し、塩尻から岡谷への車窓には変わらず私の好きな月見草が一面に土手を覆って居たのを今も夢に見ます。その後40数年が経過しましたが、時代の変遷には唯々感慨無量の思いです。

工女たちはその後キカヤからの余りの冷遇から日本初の一大労働争議と発展し、結果は言うまでもなく国家権力の庇護を受けた製糸業者の圧勝に終わったのですが、此の事件には市川房江、片山哲等戦後の日本に民主主義を灯した方々が登場されています。来週が最終回となります。

先週の読めそうで読めない字      偏に(ひとえに)両親の顔を見たい

今週の読めそうで読めない字  深い(縁)で結ばれる。

 

あゝ野麦峠

いつもの月より短い二月も明日でお終いとなりますが、うちの司令塔である愚息の帰還が思ったより早くて全員が安堵し申告事務が順調に進んでいます^^。あと半月どうか誰も風邪を引かぬよう体調に留意して頑張りたいと思います。北京オリンピックも抜き打ち検査とかいろいろあったけど日本がスケートの高木選手を筆頭に多くのメダルを獲得して無事終了しました。気温が氷点下17度とか…(@@)、選手の皆様ご苦労さまでした。

先週「ああ野麦峠(ある製糸工女哀史)」を読みました。再読は40年振りかと思いましたが、私の当時の年齢や価値観など現在と随分変わったこともあって全く違った気持ちで読了できました。明治の初期から大正昭和に掛けて飛騨高山在貧農の娘たちを巡る悲しい実話ですが、この地方のお百姓は苦労して作った焼き畑で採れた米を地主に渡し、小作料の米は食べずに全額金に替え、主食は粟や稗を常食と言う貧しい地域の人たちばかり、不作となっては田圃を地主に返して離散する者も少なくなく明日は我が身と周辺の貧農では女児を三才で子守に出して働かせ相手の子供が子守と同じ三才であることも稀ではなかったそうです(;;)。そして娘が小学校を卒業(当時4年生)すると「口減らし」と年の暮れに持ち帰る現金をあてにして明治維新当時信濃国鈴木村にて生糸の輸出で外貨を獲得のため勃興した製糸工場(通称キカヤ)へ働きに行かせました。子ども達は健気にも苦しい生活に喘ぐ両親に報いようと村の同年輩である仲間数人と道案内であるキカヤの若者に先導されて髪は桃割れ、赤い腰巻きに草鞋履きで身の回りのものを袈裟に背負い、両親に別れを告げて早朝3時に出立する姿はいじらしいものだったと謂われています。夕刻には海抜1670mの野麦峠を越えて歩む数知れぬ峠道の連続は慣れない者には果てしなく遠く、地図の上で直線80kmであっても実際に歩く山道は遠周りとなり幾つもの峠のアップダウンを経て島々、松本、塩尻を経由し信濃国諏訪鈴木村(現在の岡谷市)に到着するには7日間45里(180km)の山歩きであって幼い子どもの足では大変だったと思われます。野麦峠は岐阜県高山と長野県の県境に位置し、南に木曽岳、北に乗鞍岳、遠くに焼岳に穂高岳が一望される飛騨と信濃の国を結ぶ鎌倉街道、江戸街道とよばれ、古くから重要な路線の峠であり、明治時代には日本の製糸産業を支えた飛騨の女工たちの交通路として賑わい、そこから此の本が生まれてベストセラーとなり映画は大ヒットとなりました。明治の終わりに高山鉄道が開通してから汽車で下呂まで出て付知峠を越えて美濃坂下に出て中央線で岡谷に向かったのでした。野麦峠も今は街道の賑わいも忘れ去られましたが昔を偲んで静かで自然の美しいこの場所を訪れる人達が少なからず居られるそうです。

明治5年(1872)、明治政府はフランス式繰糸機を輸入して官営富岡製糸場で生糸の操業を始めたことは皆様ご存知の通りです。近代日本製糸業の夜明けでありました。然しその当時はフランス人の技師が当時の太宰大臣より高い月額700円の給与を取っていたため、コストが高くついて大変でしたが、数年後、日本人の知恵は凄く諏訪の平野村(現岡谷市)で武居代次郎なる人が岡谷独自の繭から糸を紡ぐ「諏訪式繰糸機」を生み出しました^^。これはイタリア式とフランス式を折衷した画期的な機械でコンパクトで性能が良く、低価格で高品質の生糸が生産できました。そしてこの機械はあっという間に全国に広まり、日本が世界一の輸出生糸生産国になって外貨を獲得し、我が国が諸外国と肩を並べるまでに成長する要因となりました。日清戦争や日露戦争で我が国が最強の軍艦を率いて勝利し、世界を驚嘆させることができたのも「キカイ道楽」と呼ばれた情熱と創意工夫の人武居代次郎のものづくり精神から作られた「諏訪式繰糸機」により多くの生糸が廉価で生産され外貨獲得に拠って得られた戦艦射撃砲によるものであることは言うまでもありません。この機械は岡谷の宝物と呼ばれて、今も各地現役で活躍しています。その製糸工場で働く女性は北海道を始め全国各地から集められましたが、前述の聳える山脈西にある飛騨地方高山在の出稼ぎ娘が多く、当時は4年生で小学校を卒業する10歳で故郷飛騨を見下ろせる野麦峠を後にして島々宿に迂回し、松本に出て塩尻から諏訪へと草鞋を履き潰しながら7日間歩き通しての少女たちの強行軍は今なら想像もつかぬことでありましたが、幼い頃から田圃や水汲み仕事で鍛えた当時の女児の足は強かったなあとつくづく思いました。彼女達は只管働いて年の暮れにお金を持ち帰り両親の喜ぶ顔を見たさに二度三度と145キロの峠越えに挑むのでありました。工女の一人吉野すえさんの回顧談をご紹介しましょう。「仕事はノルマ制でそれは苦しいもので御座いました。いっそ諏訪湖へ飛び込んで死んでしまおうと思ったこと数え切れず、それでも暮れに野麦峠から故郷飛騨を眺めて涙を流し、峠を越えて家に帰り一年働いて貰った「1円」を母に渡すと母はそのお金を抱きしめて「此れで年が越せる」と声を上げて泣き、病いの父は起き上がって「すえ、ご苦労だったなあ」と言って手を合わせて何度も頭を下げて礼を言い、お金を一升マスに入れて神棚に供えお灯明を上げて明るいお年とりをしました。あのときの両親の顔を思い出すと工場でどんなに苦しくてもワシらは我慢できたのです」                     来週に続く…

遂にウクライナロシアが侵入し首都キエフに戦火が起こり巷ではプーチンに対する非難の声が轟々ですが、一方で先日まであれだけ意気込んでいたバイデンさんがいざ鎌倉となると何もできずにまるで対岸の火事を見る如き態度は看過できません(;;)、世界は何れ滅んで理不尽な行為を続ける悪魔であるロシアと世界一の物財を誇る中国共産党のものになるのでしょうか💢。

先週の読めそうで読めない字  昔は文盲(もんもう)の人が多かった

今週の読めそうで読めない字   彼女は(只管)糸紡ぎに励んだ